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厦門理工学院の丁亭伊さんは、病弱だった幼少期に日本のアニメを通じて生まれた母との思い出について、作文につづっている。資料写真。
日本のおにぎりの作り方を教わったとき、目に涙があふれた―中国人学生
http://www.recordchina.co.jp/a171229.html
2017年3月4日(土) 7時10分
現在、中国には日本のアニメが好きな若者が大勢いる。彼らの多くが日本のアニメを見て育った世代といえるだろう。厦門理工学院の丁亭伊さんは、病弱だった幼少期に日本のアニメを通じて生まれた母との思い出について、作文に次のようにつづっている。
「どうして日本のアニメが好きなの?」。たびたびそのように尋ねられた私は、何度も黙ったまま自分の思いに沈んでしまった。
母は35歳のときに私を生んだ。私は病気がちだった。母は思い切って仕事をやめて、四六時中私のそばで片時も目を離さなくなった。病気で食欲がない私は、いざ食事となると、母にさんざん迷惑をかけた。始めは、「これを食べたら公園に連れて行ってゾウさんを見せるよ」とか「食べるとすぐ背が高くなるよ」とか、母はうそばかりつき、最後には左腕で私を抱えながら左手で碗を持ち、右手に鉄製のスプーンを持って、家の近くの大通りを歩きながら私に食べさせるという変な状態になった。毎度私の食事が終わったら、母はじっとりと汗ばんでくたびれていた。
90年代の中国は日本から次々アニメを輸入してきた。92年に生まれた私は時期に恵まれて、日本の輸入アニメと共に成長している世代といっても言い過ぎではない。ある日、部屋の中で「桃太郎伝説」を見ていた私は母に呼びかけた。「お母さん、桃太郎のおにぎり、食べたい」「桃太郎のおにぎり?どういうもの?」。私は答えようにも答えられず。自分でもよく分かっていなかったのかもしれない。私の想像が母の手作りとあいまって、「桃太郎のおにぎり」が作られた。
母はちゃんと手を洗って、圧力鍋からご飯をすくって、私の口の大きさに合うほどに丸めた。そうしてからというもの、相当長い間、私はちゃんと食事をした。「桃太郎と同じものを食べている」と私はそう思っていた。そのコツを見つけると、母はよく日本のアニメを利用して、私に教えてくれた。いつかテレビに夢中だった私に「一休さんはもう寝たよ、寝なきゃ頭のいい子にならないよ」と言った。残念だったが私は従順にベッドに横になって毛布を掛けた。
中学校のとき、一度引越しがあった。熱波に耐えて部屋で宿題をしていた私は、客間から父の声を聞いた。「新しいマンションは狭いだろ?無用なものは早く捨てよう」「でも、これらはあの子が小さなときずっと大切に守ってた宝物なのに。まだ壊れてないし…」と母はぶつぶつ言った。私が行って見ると、桃太郎の人形やウルトラマンのカードなどばかりだった。もう中学生で自分が大人だと思っていた私は、そのときなんとなく恥ずかしくなった。「捨てよう、ばかばかしいものばかり、もう二度と手にしたくないよ」と言った。
その夏休み、捨てられたのはばかばかしいものだった。私はそう思った。でも気がつかなかったが、母と私が一緒に楽しんだ子どものころの記憶まで、捨ててしまったのだ。
大学に入ってから、日本語科を選んで専攻している。ある日、日本人の田中先生が文化体験の授業で日本のおにぎりの作り方を教えてくれた機会があった。その授業で私は初めて自ら本物のおにぎりが作れた。手元の海苔つきのおにぎりを見ると、何となく心の底からいろいろな感慨が一気にわきあがってきた。桃太郎のおにぎり、米粒つきの母の手、それに、とがらしている姉の口まで、いずれもそのときはっきり思い浮かべた。涙を浮かべ、視界がぼんやりとなった。
「どうしてそんなにアニメが好きなの?」。私は友人に再び尋ねられた。「そうだね、どうしてかな?私も分からないよ、ぜんぜん。でも、未来の自分に子どもがいれば、日本のアニメを見てほしい」。(編集/北田)
※本文は、第十回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「『御宅』と呼ばれても」(段躍中編、日本僑報社、2014年)より、丁亭伊さん(厦門理工学院)の作品「桃太郎のお握り」を編集したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。
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