先島諸島は、日本の南西諸島に属する琉球諸島のうち、南西部に位置する宮古列島・八重山列島の総称である。 先史時代の先島諸島では縄文文化の影響は殆ど見られず、台湾との共通点が指摘される土器が多く見つかっている。 約2500年前から無土器文化(料理には同様に無土器文化を持つポリネシアと同じく石焼を多く用いたと考えられている)に入るが、 この時代もシャコガイ貝斧などがみられ、これもフィリピン方面との文化的関係が考えられている。 約800年前ごろからカムイヤキや鍋形土器など、本島さらには北方との関係がみられるようになる。 記録としては、『続日本紀』に、714年(和銅7年)に「信覚」などの人々が来朝したと記されており、「信覚」は石垣島を指すといわれる。沖縄の島々に人間が適応できたのは縄文中期後半から後期以降であるために、 10世紀から12世紀頃に農耕をする人々が九州から沖縄に移住した 考古学などの研究も含めて南西諸島の住民の先祖は、九州南部から比較的新しい時期(10世紀前後)に 南下して定住したものが主体であると推測され、それまで居住していた奄美・沖縄諸島と先島諸島の2グループの先住民に 取って代わったと考えられている。これらのことから九州以北とは遺伝的・人類学的にみても明瞭な境界線を引くことは難しい。 2014年9月17日、琉球大学大学院の研究グループが、琉球列島(沖縄本島だけでなく、八重山・宮古地方も含む)の人々の遺伝情報を広範に分析した結果、 台湾や大陸の集団とは直接の遺伝的つながりはなく、日本本土に由来する事がわかったとモレキュラーバイオロジーアンドエボリューション(英語版)に発表した[14]。 また、いわゆる琉球民族にはATLのレトロウイルス(HTLV-1)が日本列島内でも高頻度で観察される事から、縄文人の血が濃く残っていると考えられる[15]。 2018年に国立遺伝学研究所が発表した核DNA分析における遺伝子研究による民族の遺伝的分布において、 アイヌ・本土・沖縄は共に父系を縄文人に持つ同一円内と判明し、他の東アジアとは別種であることが確認された[16]。 アイヌと琉球人と同和部落民は縄文系D1a2a なんだよ ハプログループD1a2a (Y染色体) 当時無人の日本列島に到達したハプログループD1a2系統は、海洋資源に恵まれ、温暖であったため日本で繁栄した。 中国大陸から弥生人が日本列島にやってくるまでの約3万5,000年間に、日本列島においてハプログループD1a2の中から ハプログループD1a2aが誕生したと考えられる。彼らは縄文人としてのちにはO系統などの弥生人と融合し、陸稲を栽培していたと考えられる。 日本各地で高い頻度を誇るが、特に東日本や沖縄に多い。 青森:38.5% 静岡:32.8% 徳島:25.7% 九州:26.4% 沖縄:55.6% (Hammer et al. 2006[17]) アイヌ:87.5%(Tajima et al. 2004[18]) 縄文人の古代DNA 北海道礼文島の船泊遺跡(縄文時代後期前葉から中葉(約3,800-3,500 年前))から出土した人骨・船泊5号のY染色体は、 ハプログループD1a2a2a(D-CTS220)であった[20][21]。 これにより「ハプログループD1a2a系統は縄文系である」という従来からの仮説が立証された。
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