http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/572.html
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(回答先: おかしな所が1カ所あるから他の部分も信じられない、と言ってその資料を利用しなかったら、歴史が白紙になってしまう 投稿者 中川隆 日時 2020 年 4 月 01 日 10:11:02)
南京大虐殺30万人は過大評価なのか?
貴重資料『南京事件U』 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=yrLPTGCXPr0
南京事件資料集
http://kk-nanking.main.jp/
南京事件(南京大虐殺)の真実
「否定派の解釈の誤りと、捏造のすべてを明るみにだします」 by タラリ
http://www.nextftp.com/tarari/index.htm
【右派も左派も必見の動画】南京大虐殺に関する動画は、戦後中国政府が作ったプロパガンダ映像が混じっていることが多いが、これは「1938年」(虐殺直後)に公開された当時のもの。日本と同盟していたドイツ高官が「総統閣下にも見て欲しい」と公式に送った第一級の資料映像。しかも生存者の証言が細部まで一致している。女性や子どもも無差別に殺害しており、便衣兵云々の言い訳は通用しない。また「日本軍がやった」と外国人医師を含め誰もが詳細に語っており、「国民党軍の成りすまし」論がどれほど被害者を馬鹿にしたものか分かる。
番組前半の映像はショッキングだが、それ以上に番組後半の、家族を失った証言者の話「今は日本人と友だちになりたいと思っている」が心に残る。この言葉に対して謙虚でありたい。※MBSナウ・スペシャル『フィルムは見ていた 検証・南京大虐殺』より(1991年10月放送)※ギャラクシー賞・選奨を受賞★他の第一級資料動画●CGで再現した南京大虐殺 https://youtu.be/QJ38Hg7Vdw8●残念だが南京事件はあった〜当時の陣中日記から(2008) http://goo.gl/d2fGMA (32分)●当時の一次史料『南京事件・兵士たちの遺言』(2015) http://goo.gl/K0U1Ef (45分)●日本軍の記録に残る南京大虐殺(軍命令により実施) http://urx3.nu/ouPU (7分)−−−−−南京占領軍への当初の命令は「青壮年はすべて敗残兵、又は便衣隊(ゲリラ)と見なし、すべて逮捕監禁すべし」。つまり、老人と子ども以外の中国人男子は全員逮捕監禁せよという厳命。だが、捕虜10万人の食料も収容する施設もない。やがて命令は「捕虜を処分(処刑)、殲滅(せんめつ)せよ」に変わった。『ハーグ陸戦協定』では「武装解除した捕虜の虐殺」を戦争犯罪としている。ネット上では多数のデマが流れているため、よくある質問と答えを以下にまとめる→・日支事変は国際法上の“戦争”ではないため『ハーグ陸戦協定』は当てはまらない。→ならば平時の殺人であり戦犯以前に殺人罪。・便衣兵(ゲリラ)だから処刑していい。→略式でも裁判は必要だし、そもそも南京城内に便衣兵はいなかった(後述)。・虐殺証言で登場する元日本兵は中国共産党に洗脳された中国帰国者(中帰連)。→南京戦に投入された部隊(歩兵第66連隊等)は捕虜にならず帰国しており、中国共産党は無関係。・虐殺を見ていない海外ジャーナリストがいる。→虐殺現場は街から4キロ離れた揚子江の川岸。中心街で数万人を殺害したのではない。・南京入りした後発補充部隊は「虐殺はなかったと聞いている」と証言している。→「なかった」と証言する元兵士は全員が事件後に南京市入りしている。しかも伝聞の証言であり説得力なし。何より、軍の公式記録である第66連隊の部隊記録に捕虜殺害の数が記録されており、その数は加害兵士の陣中日記や証言と一致している。・捕虜の暴動が起きたので仕方なく殺した→この話は戦後に現場指揮官の1人が戦犯指定を逃れるためにでっち上げたものと2018年に判明。暴動説はデマが確定。〔まとめ〕南京を占領した日本軍は、各部隊とも自軍の10倍近くの捕虜を得て、その処理に困って殺害に至った(例えば山田支隊1500人に対して15000人の捕虜が発生し幕府山事件が起きた)。本来、捕虜ならば軍法会議、捕虜以外は軍律会議の判決で処断せねばならない。便衣兵が「ハーグ陸戦協定違反」であろうとなかろうと、丸腰の人間を裁判抜きで殺害するのは戦争犯罪。“南京事件否定派”の意見は国際社会で通用しない。-------------------------------〔補足・通州事件〕拡散希望【通州事件…ネット右翼が知らない3つの事実】(1)通州事件は、日本人104名と朝鮮人108名、計212人が殺害された。朝鮮人の死者の方が多いが、当時の朝鮮は日韓併合下にあったため「邦人200人以上」としている。(2)通州事件は日本軍の誤爆事件が先にあった。襲ってきた中国人部隊は元々親日派で、日本軍が育てた子飼いの部隊。誤爆事件で飼い犬に手を咬まれた。(3)日本軍は通州からヘロインなど大量の麻薬を大陸に流していた(毒化政策)。その悪行が中国人から反発を買った。−−−−−−−−−〔補足2・便衣兵のせいというデマ〕第一次上海戦では便衣兵(ゲリラ)の攻撃を受けたが、第二次上海戦では便衣兵からの攻撃はないに等しかった。特に南京城内では報告皆無。南京戦では「国際法を違反した便衣兵」は存在せず、虐殺を正当化する理由にはならない。仮に便衣兵がいたとして、日本が他国を武装して占領するから装備に劣る相手側が「祖国を守るため」にゲリラ戦を選んだのであり、加害者がそれを虐殺の理由にするのは酷い話。侵略していなければそもそも便衣兵になる必要もなかった(ここは非常に重要な部分)。−−−−−−−−−〔補足3・人口のデマ〕否定派は「南京の人口が占領前に30万人で占領後40万人増えているのがいい証拠」という。これは簡単に説明できる。南京一帯で戦闘が行われているわけで、南京市の国際安全区になだれ込んでいる。参考までに以下のやり取りも紹介。KAZUYA氏「人口20万人の南京で、30万人殺したという。ファンタジー的だ」記者「20万人というのは南京市の特定地域(国際安全区)の人口の推計で、市全体のものではない」KAZUYA氏「知っています。耳を引くためにオーバーな言い方をしています」−−−−−−−−−〔補足4・犠牲者30万人に根拠はあるか〕1927年に国民政府が南京を首都に定めて以降、南京市政府は市内の常住人口について統計資料を保存している。1935年に100万人の大台を突破し、虐殺9カ月前の1937年3月の調査では101万9667人で、戸数は20万810戸(南京の首都警察庁調べ)。この3月時点の100万人は、虐殺肯定派、否定派とも見解が一致している。その後、日本軍の連日の空襲で人口が減り始め、11月20日に国民政府が重慶への首都遷都を宣布、さらに日本軍の接近が伝えられたことで住民が激減、11月23日に南京市政府(馬超俊市長)は「現時点で人口は約50万」「ただし今後20万人の周辺難民の流入を予測」と国民政府軍事委員会に報告している。実際、膨大な数の農民が難民となって城内に避難した。南京守備部隊、常住人口、流動人口の合計が約60万人、そして虐殺後の人口が30万人強であることから、中国側が主張する犠牲者30万人は、「最大値としては」あり得る数字だ。
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