http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/463.html
Tweet |
(回答先: マルクス思想がユダヤ思想というのは間違い 投稿者 中川隆 日時 2020 年 1 月 27 日 11:15:56)
ロスチャイルドのエージェントのチャーチルは徹底した反共だよ
広島と長崎に原爆が投下されたとき、すでに米英はソ連との戦争を始めていた 1945年4月12日にアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領が急死、5月上旬にドイツが降伏、その直後にイギリスのウィンストン・チャーチル首相はソ連を奇襲攻撃する作戦を立てるようにJPS(合同作戦本部)に命令、5月22日に「アンシンカブル作戦」が提出される。
その作戦によると、攻撃開始は7月1日。アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。
ソ連へ攻め込んで壊滅したドイツ軍に替わり、アングロ・サクソン軍がドイツ軍とポーランド軍を引き連れて攻め込もうというわけだが、この作戦は実行されていない。参謀本部が5月31日に計画を拒否したからである。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)
チャーチルは7月26日に下野するが、その10日前にアメリカは原爆の爆発実験(トリニティ)を成功させた。これを受けてハリー・トルーマン大統領は原子爆弾の投下を7月24日に許可し、26日にアメリカ、イギリス、中国がポツダム宣言を発表したわけである。
首相の座を降りた後もチャーチルはソ連との戦いを諦めない。そして1946年3月5日にアメリカのミズーリ州フルトンで「バルト海のステッティンからアドリア海のトリエステにいたるまで鉄のカーテンが大陸を横切っている」と演説し、冷戦の開幕を告げたのである。 デイリー・メール紙によると、1947年にチャーチルはアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得して欲しいと頼んだとするFBIの文書が存在する。
1932年の大統領選挙でニューディール派のルーズベルトが当選したことを受け、ウォール街、つまりアメリカの巨大金融機関は1933年から34年にかけてニューディール派を倒してファシズム政権を樹立するクーデター計画を立てていた。
この計画はスメドレー・バトラー少将が阻止、議会でも詳細に証言している。その後の研究でウォール街がナチス時代のドイツを支えていたことも判明しているが、ウォール街はシティ、つまりイギリスの巨大金融機関と深く結びついている。
ドイツが降伏したのは1945年5月だが、実際は軍の主力は1943年2月にスターリングラードで壊滅している。つまり、その時点でドイツの敗北は決定的だった。それを見てアメリカとイギリスは慌てて動き始め、1943年7月に両国軍はマフィアの協力を得てシチリア島へ上陸、1944年6月にノルマンディー上陸作戦を実行した。
これはソ連軍より先に西ヨーロッパを制圧することが目的で、ドイツ側とも話はついていたはず。スターリングラードでドイツ軍が壊滅してからドイツ軍の幹部たちはアレン・ダレスたちと盛んに接触。その結果、アメリカ政府はナチス幹部などの逃亡を助け、保護し、後に雇用することになる。
1945年4月に急死したルーズベルトや45年1月まで副大統領だったヘンリー・ウォーレスはウォール街とファシストとの関係を熟知していたはず。ルーズベルトは1938年にファシズムを私的権力が政府を所有している状態だと定義、ウォーレスは44年にファシズムの脅威がアメリカを襲うピークは第2次世界大戦の後だと主張、米英は帝国主義化し、アメリカをロシアとの戦争へ向かわせると警告していた。
ウォーレスはスキャンダルで副大統領から商務長官へ降格になり、シオニストをスポンサーにするハリー・トルーマンが新たな副大統領になる。ルーズベルトの急死で大統領になるのはこのトルーマンだ。そのトルーマンはウォーレスを嫌い、1946年9月に務長官を辞めるように通告してホワイトハウスから追い出している。その時、すでにチャーチルはソ連との戦争を始めていた。
_______
ロスチャイルドの代理人ウィンストン・チャーチル
ウィンストン・チャーチルは若くして、ロスチャイルド一族に惚れ込んでいた。 彼は南アフリカ戦争(1899年〜1902年)の戦闘に参加する直前、21歳のときにロスチャイルド邸のパーティーに招かれた。 「ロスチャイルド卿は素晴しい感覚の持主で、まことに博識です。 このように賢い人に会って話を聞くことができるというのは実に貴重な体験です」 と書いた手紙を母に出していた。
チャーチルのロスチャイルド一族への惚れ込み様は尋常ではなく、彼は終生、ロスチャイルドの代理人として働いた。
戦後、チャーチルは南アフリカの 「アングロ・アメリカン」 や 「リオ・チント」 の資金をまとめて、カナダのチャーチル河にあるチャーチル滝のダム建設という巨大発電プロジェクトを成功させ、アンソニー・グスタフ・デ・ロスチャイルドとエドモンド・ロスチャイルドを感激させた。 このプロジェクトは、ロスチャイルドが原子力帝国を築く為の出発点となった。
ロスチャイルドの誠実な代理人で好戦家、これがチャーチルの特質であった。 チャーチルがロスチャイルド財閥のメンバーとして首相の座につくと、イギリス国内の反ユダヤ勢力は一掃され、上流社会の動揺は鎮静した。 ロスチャイルド財閥は崩壊していなかったのである。
以上、広瀬隆氏の著書『赤い楯』(集英社)より
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。