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(回答先: メモ帳 _ 天皇一族は朝鮮人だった 投稿者 中川隆 日時 2020 年 1 月 04 日 09:11:13)
表現の不自由展
1投稿者:777 投稿日:2019年12月30日(月) 13時30分23秒
表現の自由展は有名な芸術家を輩出した読売アンデパンダン展を倣っているんだろ:
読売アンデパンダン展(1949年 - 1963年)は、読売新聞社の主催で行われた無審査出品制の美術展覧会。
読売新聞という巨大メディアによる新人発掘の場ということで人気をよび、野心的な若手作家たちがこぞって出品した。
1958年(第10回展)頃より若手作家(初期に出展していた若手作家よりも若い世代)が「焼いて縛った竹(廃棄異物)」「小便をかけたゴミ」など常軌を逸した作品を出品するようになり、一般市民や行政や主催者とトラブルを起こすことになる。当時の読売アンデパンダン展に出展していた若手作家らによって1960年に結成された芸術グループのネオ・ダダイズム・オルガナイザーズは、そのマニフェストに於いて「殺戮者」を自認していた。
1960年(第12回展)に出品された工藤哲巳の作品『X型基本体に於ける増殖性連鎖反応』に対して評論家の東野芳明は『反芸術』と評し、若手芸術家の間に反芸術ブームを巻き起こした。また、インスタレーションやハプニング的要素などといった、日本の美術界にかつてなかった前衛的な潮流を巻き起こし、当時の美術雑誌においてにも大きな論争を巻き起こした。『自称』前衛芸術家に過ぎない若者たちによる実験的な出展作品には賛否両論あったが、彼らを支持する瀧口修造などの美術界の大物もいた。
しかし、主催者の読売新聞社と東京都美術館側から見ると前衛芸術どころかエロ・グロ・ナンセンスの無法地帯以外の何者でもなかった。1958年(第10回展)以降、無審査・自由出品を標榜するアンデパンダン展にも関わらず主催者側による出展拒否作品が増加。一方、出展作品は「女性器の接写(わいせつ物)」「うどん(会期中に腐る)」などどんどんエスカレート。
1962年12月、東京都美術館は「陳列作品規格基準要項」を制定。
(1)不快音または高音を発する仕掛けのある作品
(2)悪臭を発しまたは腐敗のおそれのある素材を使用した作品
(3)刃物等を素材に使用し、危害をおよぼすおそれのある作品
(4)観覧者にいちじるしく不快感を与える作品などで公衆衛生法規にふれるおそれがある作品
(5)砂利、砂などを直接床面に置いたり、また床面を毀損汚染するような素材を使用した作品
(6)天井より直接つり下げる作品
の出品を拒否するとした。この条文は、同年の読売アンデパンダン展の作品状況を裏側から描写している。
しかし1963年(第15回展)のアンデパンダン展においても「下半身裸で踊る自分自身」「紙幣の模写(通貨模造)」など状況は変わらず、主宰者は相次ぐトラブルに手を焼き、1964年の第16回展直前、突然開催中止をアナウンスし、その歴史に幕をひいた。ある意味で大手メディアによる芸術振興の限界を示したとも言える。
読売アンデパンダン展をカオスに導いた自称芸術家の中には、後に有名となった者も多くいる。読売アンデパンダン展への出展作品がきっかけで逮捕され、後に芥川賞作家となった赤瀬川原平が、1960年から1963年にかけてのネオダダの作家たちの活躍を著作にまとめている。なお、赤瀬川らは「読売アンパン」と呼んでいた。
2投稿者:2 投稿日:2019年12月30日(月) 18時45分42秒
「北海道表現の自由と不自由展」の出品は写真 を焼く事自体には意味は無いでしょう。
焼いた写真の方が誰でも、有名な人であれば誰の写真でもいいのです。
皇族やアイドルの写真を焼くとそれを不快に思うのが普通なので、そういう不快さを感じさせるのが目的なのですね。
実際に作品を見て不快に感じている人が沢山いるので、作者の意図は成功した事になります。
3投稿者:2 投稿日:2019年12月30日(月) 18時58分19秒
「北海道表現の自由と不自由展」の出品は写真 を焼く事自体には意味は無いでしょう。
焼いた写真の方が誰でも、有名な人であれば誰の写真でもいいのです。
皇族やアイドルの写真を焼くとそれを不快に思うのが普通なので、そういう不快さを感じさせるのが目的なのですね。
実際に作品を見て不快に感じている人が沢山いるので、作者の意図は成功した事になります。
芸術の定義は無意識を表現する事ですね。 政治や経済の話を取り上げても、それは意識レベルの話なので、芸術にはならないのです。
天皇の写真が燃やされているのを見た時の何とも言えない嫌な気持ち、それが無意識の情動の動きですから、
この作品が芸術であるのは間違いないでしょう。
反対に、天皇はこんな悪い事をした、こんな極悪人だ、とか叫んでも、それは意識レベルの話なので芸術にはなりません。
4投稿者:2 投稿日:2019年12月30日(月) 19時04分37秒
「北海道表現の自由と不自由展」の出品は写真 を焼く事自体には意味は無いでしょう。
焼いた写真の方が誰でも、有名な人であれば誰の写真でもいいのです。
皇族やアイドルの写真を焼くとそれを不快に思うのが普通なので、そういう不快さを感じさせるのが目的なのですね。
実際に作品を見て不快に感じている人が沢山いるので、作者の意図は成功した事になります。
芸術の定義は見た人の無意識に訴えて情動を動かす事ですね。 政治や経済の話を取り上げても、それは意識レベルの話なので、芸術にはならないのです。
天皇の写真が燃やされているのを見た時の何とも言えない嫌な気持ち、それが無意識の情動の動きですから、
この作品が芸術であるのは間違いないでしょう。
反対に、天皇はこんな悪い事をした、こんな極悪人だ、とか叫んでも、それは意識レベルの話なので芸術にはなりません。
5投稿者:5 投稿日:2019年12月30日(月) 22時34分29秒
現代音楽も不快なだけで音楽でないと思っている人が多いですからね。
自分に合わないと思ったら見なければいいだけです。
6投稿者:2 投稿日:2019年12月30日(月) 22時41分57秒
現代音楽も不快なだけで音楽でないと思っている人が多いですからね。
何故わざわざそんな変な音楽を書くかというと、モーツァルトの時代なら素直に思い付いた楽想を楽譜化すれば作曲できたのですが、現代は既に無数の名曲が存在していて、同じ様な曲を書いたら盗作や模倣だと思われるからなのです。
美術も全く同じで、ピカソやクレーみたいな作品を書いても誰にも相手にされないのですね。
自分に合わないと思ったら見なければいいだけです。
7投稿者:2 投稿日:2019年12月30日(月) 22時43分08秒
現代音楽も不快なだけで音楽でないと思っている人が多いですからね。
何故わざわざそんな変な音楽を書くかというと、モーツァルトの時代なら素直に思い付いた楽想を楽譜化すれば作曲できたのですが、現代は既に無数の名曲が存在していて、同じ様な曲を書いたら盗作や模倣だと思われるからなのです。
美術も全く同じで、ピカソやクレーみたいな作品を描いても誰にも相手にされないのですね。
自分に合わないと思ったら見なければいいだけです。
8投稿者:2 投稿日:2019年12月31日(火) 15時19分23秒
皇族は今は芸能人化していますからね。
芸能人だからある程度の事が許されるので、それが嫌なら皇族を止めれば解決する事です。
有名税ですね。
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