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表現の不自由展
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/354.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 1 月 04 日 10:58:09: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: メモ帳 _ 天皇一族は朝鮮人だった 投稿者 中川隆 日時 2020 年 1 月 04 日 09:11:13)

表現の不自由展


1投稿者:777  投稿日:2019年12月30日(月) 13時30分23秒
表現の自由展は有名な芸術家を輩出した読売アンデパンダン展を倣っているんだろ:
読売アンデパンダン展(1949年 - 1963年)は、読売新聞社の主催で行われた無審査出品制の美術展覧会。
読売新聞という巨大メディアによる新人発掘の場ということで人気をよび、野心的な若手作家たちがこぞって出品した。

1958年(第10回展)頃より若手作家(初期に出展していた若手作家よりも若い世代)が「焼いて縛った竹(廃棄異物)」「小便をかけたゴミ」など常軌を逸した作品を出品するようになり、一般市民や行政や主催者とトラブルを起こすことになる。当時の読売アンデパンダン展に出展していた若手作家らによって1960年に結成された芸術グループのネオ・ダダイズム・オルガナイザーズは、そのマニフェストに於いて「殺戮者」を自認していた。


1960年(第12回展)に出品された工藤哲巳の作品『X型基本体に於ける増殖性連鎖反応』に対して評論家の東野芳明は『反芸術』と評し、若手芸術家の間に反芸術ブームを巻き起こした。また、インスタレーションやハプニング的要素などといった、日本の美術界にかつてなかった前衛的な潮流を巻き起こし、当時の美術雑誌においてにも大きな論争を巻き起こした。『自称』前衛芸術家に過ぎない若者たちによる実験的な出展作品には賛否両論あったが、彼らを支持する瀧口修造などの美術界の大物もいた。

しかし、主催者の読売新聞社と東京都美術館側から見ると前衛芸術どころかエロ・グロ・ナンセンスの無法地帯以外の何者でもなかった。1958年(第10回展)以降、無審査・自由出品を標榜するアンデパンダン展にも関わらず主催者側による出展拒否作品が増加。一方、出展作品は「女性器の接写(わいせつ物)」「うどん(会期中に腐る)」などどんどんエスカレート。

1962年12月、東京都美術館は「陳列作品規格基準要項」を制定。

(1)不快音または高音を発する仕掛けのある作品

(2)悪臭を発しまたは腐敗のおそれのある素材を使用した作品

(3)刃物等を素材に使用し、危害をおよぼすおそれのある作品

(4)観覧者にいちじるしく不快感を与える作品などで公衆衛生法規にふれるおそれがある作品

(5)砂利、砂などを直接床面に置いたり、また床面を毀損汚染するような素材を使用した作品

(6)天井より直接つり下げる作品

の出品を拒否するとした。この条文は、同年の読売アンデパンダン展の作品状況を裏側から描写している。

しかし1963年(第15回展)のアンデパンダン展においても「下半身裸で踊る自分自身」「紙幣の模写(通貨模造)」など状況は変わらず、主宰者は相次ぐトラブルに手を焼き、1964年の第16回展直前、突然開催中止をアナウンスし、その歴史に幕をひいた。ある意味で大手メディアによる芸術振興の限界を示したとも言える。

読売アンデパンダン展をカオスに導いた自称芸術家の中には、後に有名となった者も多くいる。読売アンデパンダン展への出展作品がきっかけで逮捕され、後に芥川賞作家となった赤瀬川原平が、1960年から1963年にかけてのネオダダの作家たちの活躍を著作にまとめている。なお、赤瀬川らは「読売アンパン」と呼んでいた。
2投稿者:2  投稿日:2019年12月30日(月) 18時45分42秒
「北海道表現の自由と不自由展」の出品は写真 を焼く事自体には意味は無いでしょう。
焼いた写真の方が誰でも、有名な人であれば誰の写真でもいいのです。
皇族やアイドルの写真を焼くとそれを不快に思うのが普通なので、そういう不快さを感じさせるのが目的なのですね。

実際に作品を見て不快に感じている人が沢山いるので、作者の意図は成功した事になります。
3投稿者:2  投稿日:2019年12月30日(月) 18時58分19秒
「北海道表現の自由と不自由展」の出品は写真 を焼く事自体には意味は無いでしょう。
焼いた写真の方が誰でも、有名な人であれば誰の写真でもいいのです。
皇族やアイドルの写真を焼くとそれを不快に思うのが普通なので、そういう不快さを感じさせるのが目的なのですね。

実際に作品を見て不快に感じている人が沢山いるので、作者の意図は成功した事になります。

芸術の定義は無意識を表現する事ですね。 政治や経済の話を取り上げても、それは意識レベルの話なので、芸術にはならないのです。

天皇の写真が燃やされているのを見た時の何とも言えない嫌な気持ち、それが無意識の情動の動きですから、
この作品が芸術であるのは間違いないでしょう。
反対に、天皇はこんな悪い事をした、こんな極悪人だ、とか叫んでも、それは意識レベルの話なので芸術にはなりません。
4投稿者:2  投稿日:2019年12月30日(月) 19時04分37秒
「北海道表現の自由と不自由展」の出品は写真 を焼く事自体には意味は無いでしょう。
焼いた写真の方が誰でも、有名な人であれば誰の写真でもいいのです。
皇族やアイドルの写真を焼くとそれを不快に思うのが普通なので、そういう不快さを感じさせるのが目的なのですね。

実際に作品を見て不快に感じている人が沢山いるので、作者の意図は成功した事になります。

芸術の定義は見た人の無意識に訴えて情動を動かす事ですね。 政治や経済の話を取り上げても、それは意識レベルの話なので、芸術にはならないのです。

天皇の写真が燃やされているのを見た時の何とも言えない嫌な気持ち、それが無意識の情動の動きですから、
この作品が芸術であるのは間違いないでしょう。
反対に、天皇はこんな悪い事をした、こんな極悪人だ、とか叫んでも、それは意識レベルの話なので芸術にはなりません。
5投稿者:5  投稿日:2019年12月30日(月) 22時34分29秒
現代音楽も不快なだけで音楽でないと思っている人が多いですからね。
自分に合わないと思ったら見なければいいだけです。
6投稿者:2  投稿日:2019年12月30日(月) 22時41分57秒
現代音楽も不快なだけで音楽でないと思っている人が多いですからね。
何故わざわざそんな変な音楽を書くかというと、モーツァルトの時代なら素直に思い付いた楽想を楽譜化すれば作曲できたのですが、現代は既に無数の名曲が存在していて、同じ様な曲を書いたら盗作や模倣だと思われるからなのです。
美術も全く同じで、ピカソやクレーみたいな作品を書いても誰にも相手にされないのですね。

自分に合わないと思ったら見なければいいだけです。
7投稿者:2  投稿日:2019年12月30日(月) 22時43分08秒
現代音楽も不快なだけで音楽でないと思っている人が多いですからね。
何故わざわざそんな変な音楽を書くかというと、モーツァルトの時代なら素直に思い付いた楽想を楽譜化すれば作曲できたのですが、現代は既に無数の名曲が存在していて、同じ様な曲を書いたら盗作や模倣だと思われるからなのです。
美術も全く同じで、ピカソやクレーみたいな作品を描いても誰にも相手にされないのですね。

自分に合わないと思ったら見なければいいだけです。
8投稿者:2  投稿日:2019年12月31日(火) 15時19分23秒
皇族は今は芸能人化していますからね。
芸能人だからある程度の事が許されるので、それが嫌なら皇族を止めれば解決する事です。
有名税ですね。  

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コメント
1. 中川隆[-14792] koaQ7Jey 2020年1月06日 13:09:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1783] 報告
「表現の自由と不自由展」の出品は写真 を焼く事自体には意味は無いでしょう。
焼いた写真の方が誰でも、有名な人であれば誰の写真でもいいのです。

皇族やアイドルの写真を焼くとそれを不快に思うのが普通なので、そういう不快さを感じさせるのが目的なのですね。

実際に作品を見て不快に感じている人が沢山いるので、作者の意図は成功した事になります。

皇族は今は芸能人化していますからね。

芸能人だからある程度の事が許されるので、それが嫌なら皇族を止めれば解決する事です。

有名税ですね。

芸術の定義は見た人の無意識に訴えて情動を動かす事ですね。 政治や経済の話を取り上げても、それは意識レベルの話なので、芸術にはならないのです。

天皇の写真が燃やされているのを見た時の何とも言えない嫌な気持ち、それが無意識の情動の動きですから、

この作品が芸術であるのは間違いないでしょう。

反対に、天皇はこんな悪い事をした、こんな極悪人だ、とか叫んでも、それは意識レベルの話なので芸術にはなりません。


現代音楽も不快なだけで音楽でないと思っている人が多いですからね。

何故わざわざそんな変な音楽を書くかというと、モーツァルトの時代なら素直に思い付いた楽想を楽譜化すれば作曲できたのですが、現代は既に無数の名曲が存在していて、同じ様な曲を書いたら盗作や模倣だと思われるからなのです。

美術も全く同じで、ピカソやクレーみたいな作品を描いても誰にも相手にされないのですね。

自分に合わないと思ったら見なければいいだけです。

2. 中川隆[-14791] koaQ7Jey 2020年1月06日 13:09:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1782] 報告
「表現の自由と不自由展」はダダイスム の流れを汲む革新的芸術ですね
まあ、ウェーベルンやベルクの音楽を理解できないアホもいるみたいなので、すべての人が馴染める作品でないのは確かですが:

ダダイスム(仏: Dadaïsme)は、1910年代半ば[1]に起こった芸術思想・芸術運動のことである。第一次世界大戦に対する抵抗やそれによってもたらされた虚無を根底に持っており、既成の秩序や常識に対する、否定、攻撃、破壊といった思想を大きな特徴とする。

ダダイスムの流れは、第一次世界大戦の1910年代半ばに、ヨーロッパのいくつかの地方やニューヨークなどで、同時多発的かつ相互影響を受けながら発生した(初期ダダ)。 「ダダ」という名称は1916年にトリスタン・ツァラが命名したため(辞典から適当に見つけた単語だったとも言われる)、この命名をダダの始まりとすることもある(ダダ宣言)。ツァラなどによってチューリッヒで行われた、特にチューリッヒ・ダダと言われる運動は、キャバレー・ヴォルテール(Spiegelgasse 1番地に往時の様子を偲ぶことができる)を活動拠点として参加者を選ばない煽動運動的要素も孕んでいた。1918年にチューリッヒでツァラにより第2宣言がなされる。


ダダイスムに立脚した写真表現も存在する。第一次大戦と続く第二次大戦を通じて形成された虚無感を背景に、常識や秩序に対する否定や破壊といった感覚を表現の基調とする。

___

表現の自由展は有名な芸術家を輩出した読売アンデパンダン展を倣っているんだろ:

読売アンデパンダン展(1949年 - 1963年)は、読売新聞社の主催で行われた無審査出品制の美術展覧会。

読売新聞という巨大メディアによる新人発掘の場ということで人気をよび、野心的な若手作家たちがこぞって出品した。

1958年(第10回展)頃より若手作家(初期に出展していた若手作家よりも若い世代)が「焼いて縛った竹(廃棄異物)」「小便をかけたゴミ」など常軌を逸した作品を出品するようになり、一般市民や行政や主催者とトラブルを起こすことになる。当時の読売アンデパンダン展に出展していた若手作家らによって1960年に結成された芸術グループのネオ・ダダイズム・オルガナイザーズは、そのマニフェストに於いて「殺戮者」を自認していた。

1960年(第12回展)に出品された工藤哲巳の作品『X型基本体に於ける増殖性連鎖反応』に対して評論家の東野芳明は『反芸術』と評し、若手芸術家の間に反芸術ブームを巻き起こした。また、インスタレーションやハプニング的要素などといった、日本の美術界にかつてなかった前衛的な潮流を巻き起こし、当時の美術雑誌においてにも大きな論争を巻き起こした。『自称』前衛芸術家に過ぎない若者たちによる実験的な出展作品には賛否両論あったが、彼らを支持する瀧口修造などの美術界の大物もいた。

しかし、主催者の読売新聞社と東京都美術館側から見ると前衛芸術どころかエロ・グロ・ナンセンスの無法地帯以外の何者でもなかった。1958年(第10回展)以降、無審査・自由出品を標榜するアンデパンダン展にも関わらず主催者側による出展拒否作品が増加。一方、出展作品は「女性器の接写(わいせつ物)」「うどん(会期中に腐る)」などどんどんエスカレート。

1962年12月、東京都美術館は「陳列作品規格基準要項」を制定。

(1)不快音または高音を発する仕掛けのある作品

(2)悪臭を発しまたは腐敗のおそれのある素材を使用した作品

(3)刃物等を素材に使用し、危害をおよぼすおそれのある作品

(4)観覧者にいちじるしく不快感を与える作品などで公衆衛生法規にふれるおそれがある作品

(5)砂利、砂などを直接床面に置いたり、また床面を毀損汚染するような素材を使用した作品

(6)天井より直接つり下げる作品

の出品を拒否するとした。この条文は、同年の読売アンデパンダン展の作品状況を裏側から描写している。

しかし1963年(第15回展)のアンデパンダン展においても「下半身裸で踊る自分自身」「紙幣の模写(通貨模造)」など状況は変わらず、主宰者は相次ぐトラブルに手を焼き、1964年の第16回展直前、突然開催中止をアナウンスし、その歴史に幕をひいた。ある意味で大手メディアによる芸術振興の限界を示したとも言える。

読売アンデパンダン展をカオスに導いた自称芸術家の中には、後に有名となった者も多くいる。読売アンデパンダン展への出展作品がきっかけで逮捕され、後に芥川賞作家となった赤瀬川原平が、1960年から1963年にかけてのネオダダの作家たちの活躍を著作にまとめている。なお、赤瀬川らは「読売アンパン」と呼んでいた。

3. 中川隆[-14790] koaQ7Jey 2020年1月06日 13:11:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1781] 報告
「北海道表現の自由と不自由展」はダダイスム の流れを汲む革新的芸術ですね
まあ、ウェーベルンやベルクの音楽を理解できないアホもいるみたいなので、すべての人が馴染める作品でないのは確かです。 ウェーベルンやベルクは100年経ってもまだ現代音楽と呼ばれていますし、チャップリンのモダンタイムスは今見てもモダンタイムスなのですね。 判る人にはわかるし、判らないアホには永遠に判らないのです:

ダダイスム(仏: Dadaïsme)は、1910年代半ば[1]に起こった芸術思想・芸術運動のことである。第一次世界大戦に対する抵抗やそれによってもたらされた虚無を根底に持っており、既成の秩序や常識に対する、否定、攻撃、破壊といった思想を大きな特徴とする。

ダダイスムの流れは、第一次世界大戦の1910年代半ばに、ヨーロッパのいくつかの地方やニューヨークなどで、同時多発的かつ相互影響を受けながら発生した(初期ダダ)。 「ダダ」という名称は1916年にトリスタン・ツァラが命名したため(辞典から適当に見つけた単語だったとも言われる)、この命名をダダの始まりとすることもある(ダダ宣言)。ツァラなどによってチューリッヒで行われた、特にチューリッヒ・ダダと言われる運動は、キャバレー・ヴォルテール(Spiegelgasse 1番地に往時の様子を偲ぶことができる)を活動拠点として参加者を選ばない煽動運動的要素も孕んでいた。1918年にチューリッヒでツァラにより第2宣言がなされる。

写真・映画
ダダイスムに立脚した写真表現も存在する。第一次大戦と続く第二次大戦を通じて形成された虚無感を背景に、常識や秩序に対する否定や破壊といった感覚を表現の基調とする。
ダダと呼べるような写真作品を残している代表的な写真家・美術家に、マン・レイ、クリスチャン・シャド、マックス・エルンスト、ジョン・ハートフィールド、クルト・シュヴィッタース、ハンナ・ヘッヒ、ラウル・ハウスマン、北園克衛などが挙げられる。
ダダに特に多い写真表現としては、フォトモンタージュがある。単に写真を切り貼りしたというコラージュというような作品から、より緻密に1枚の作品に仕上げているものまであり、後者の作品は、シュルレアリスムの写真へもつながっていく。複数の写真を組み合わせることにより、比較的に容易に意外性を生じさせたり社会風刺ができるところに、ダダイストたちがフォトモンタージュを好んだ理由の1つがあると推測される。 ドイツの画家ハンス・リヒターは、1910年代半ばから1920年代にかけて、ダダイスム映画作品も手がけている。

▲△▽▼

若き日の川端康成も同じ様な前衛映画を作っていますね:

狂つた一頁 動画
https://www.youtube.com/watch?v=UXlQ1_9Ypwo

狂つた一頁 A Page of Madness 1926年(大正15年)
製作・監督:衣笠貞之助原作:川端康成
脚色:川端康成、衣笠貞之助、犬塚稔、沢田晩紅キャスト小使:井上正夫

妻:中川芳江
娘:飯島綾子
青年:根本弘
医師:関操
狂人A:高勢実
狂人B:高松恭助
狂人C:坪井哲
踊り子:南栄子

『狂った一頁』は大正末期、文壇で新鋭作家の集団として結成された“文芸時代”の同人・横光利一、川端康成ら、いわゆる新感覚派の協力を得て、衣笠貞之助が日本映画史上はじめて監督として独力で製作した作品。 純粋映画を狙った画期的な無字幕の無声映画として話題を呼び、当時としては異例に洋画系で封切られた。 狂った妻が入院している精神病院に勤める小使いの目をとおして、非日常的な世界を光と影の中に描いた映像は強烈。 50年間フィルムは消滅したものと思われていたが1971年に偶然完全な状態で発見され、監督自らがサウンド版を作りフランスやイギリスで公開、大成功を収めた。

元船員の男は、自分の虐待のせいで精神に異常をきたした妻を見守るために、妻が入院している精神病院に小間使いとして働いている。ある日、男の娘が結婚の報告を母にするために病院を訪れ、父親が小間使いをしていることを知る。
娘の結婚を知った男は、縁日の福引きで一等賞の箪笥を引き当てる幻想を見る。男は妻を病院から逃がさせようとするが、錯乱した男は病院の医師や狂人を殺す幻想を見る。今度は男は狂人の顔に次々と能面を被せていく幻想を見る。___
衣笠が始め構想していたストーリーは、老人とサーカス一座の話で、ファーストシーンは
「雨風のはげしい夜、一人の老人がサーカス小屋にたどりつく、天幕が、嵐ではためいて音をたてる。はげしい雨音がする。そして、老人は、人影のない小屋の中へ入ってゆく…」
というものだった。

川端、片岡の2人と烏森の旅館で話し合う内、松沢病院を実際に見学してきた衣笠の見聞を基に、精神病院を舞台としたプロットが構想された。シナリオは撮影開始当日までに完成せず、撮影と同時進行で、川端、衣笠、犬塚、沢田晩紅の4人がメモ書きでアイデアを出し合いながら撮影された。シナリオは5月末の撮影終了後に4人がメモを持ち寄って川端がこれを脚本としてまとめ、6月15日の締切日ぎりぎりに入稿させ、翌7月創刊の『映画時代』にシナリオが掲載された。
川端は本作撮影時のことを題材にした掌編小説『笑はぬ男』を1928年(昭和3年)に発表した。この作品は掌の小説集『僕の標本室』(新潮社、1930年4月)に収録され、のちの1971年(昭和46年)の掌編小説集『掌の小説』(新潮文庫)にも収録された。

4. 中川隆[-14789] koaQ7Jey 2020年1月06日 13:13:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1780] 報告
「北海道表現の自由と不自由展」はダダイスム の流れを汲む革新的芸術ですね
まあ、ウェーベルンやベルクの音楽を理解できないアホもいるみたいなので、すべての人が馴染める作品でないのは確かですが:
ダダイスム(仏: Dadaïsme)は、1910年代半ば[1]に起こった芸術思想・芸術運動のことである。第一次世界大戦に対する抵抗やそれによってもたらされた虚無を根底に持っており、既成の秩序や常識に対する、否定、攻撃、破壊といった思想を大きな特徴とする。

ダダイスムの流れは、第一次世界大戦の1910年代半ばに、ヨーロッパのいくつかの地方やニューヨークなどで、同時多発的かつ相互影響を受けながら発生した(初期ダダ)。 「ダダ」という名称は1916年にトリスタン・ツァラが命名したため(辞典から適当に見つけた単語だったとも言われる)、この命名をダダの始まりとすることもある(ダダ宣言)。ツァラなどによってチューリッヒで行われた、特にチューリッヒ・ダダと言われる運動は、キャバレー・ヴォルテール(Spiegelgasse 1番地に往時の様子を偲ぶことができる)を活動拠点として参加者を選ばない煽動運動的要素も孕んでいた。1918年にチューリッヒでツァラにより第2宣言がなされる。

写真・映画
ダダイスムに立脚した写真表現も存在する。第一次大戦と続く第二次大戦を通じて形成された虚無感を背景に、常識や秩序に対する否定や破壊といった感覚を表現の基調とする。
ダダと呼べるような写真作品を残している代表的な写真家・美術家に、マン・レイ、クリスチャン・シャド、マックス・エルンスト、ジョン・ハートフィールド、クルト・シュヴィッタース、ハンナ・ヘッヒ、ラウル・ハウスマン、北園克衛などが挙げられる。

ダダに特に多い写真表現としては、フォトモンタージュがある。単に写真を切り貼りしたというコラージュというような作品から、より緻密に1枚の作品に仕上げているものまであり、後者の作品は、シュルレアリスムの写真へもつながっていく。複数の写真を組み合わせることにより、比較的に容易に意外性を生じさせたり社会風刺ができるところに、ダダイストたちがフォトモンタージュを好んだ理由の1つがあると推測される。 ドイツの画家ハンス・リヒターは、1910年代半ばから1920年代にかけて、ダダイスム映画作品も手がけている。

▲△▽▼

若き日の川端康成も同じ様な前衛映画を作っていますね:

狂つた一頁 動画
https://www.youtube.com/watch?v=UXlQ1_9Ypwo狂つた一頁

A Page of Madness 1926年(大正15年)
製作・監督:衣笠貞之助原作:川端康成
脚色:川端康成、衣笠貞之助、犬塚稔、沢田晩紅キャスト小使:井上正夫
妻:中川芳江
娘:飯島綾子
青年:根本弘
医師:関操
狂人A:高勢実
狂人B:高松恭助
狂人C:坪井哲
踊り子:南栄子

『狂った一頁』は大正末期、文壇で新鋭作家の集団として結成された“文芸時代”の同人・横光利一、川端康成ら、いわゆる新感覚派の協力を得て、衣笠貞之助が日本映画史上はじめて監督として独力で製作した作品。 純粋映画を狙った画期的な無字幕の無声映画として話題を呼び、当時としては異例に洋画系で封切られた。 狂った妻が入院している精神病院に勤める小使いの目をとおして、非日常的な世界を光と影の中に描いた映像は強烈。 50年間フィルムは消滅したものと思われていたが1971年に偶然完全な状態で発見され、監督自らがサウンド版を作りフランスやイギリスで公開、大成功を収めた。
元船員の男は、自分の虐待のせいで精神に異常をきたした妻を見守るために、妻が入院している精神病院に小間使いとして働いている。ある日、男の娘が結婚の報告を母にするために病院を訪れ、父親が小間使いをしていることを知る。
娘の結婚を知った男は、縁日の福引きで一等賞の箪笥を引き当てる幻想を見る。男は妻を病院から逃がさせようとするが、錯乱した男は病院の医師や狂人を殺す幻想を見る。今度は男は狂人の顔に次々と能面を被せていく幻想を見る。___
衣笠が始め構想していたストーリーは、老人とサーカス一座の話で、ファーストシーンは
「雨風のはげしい夜、一人の老人がサーカス小屋にたどりつく、天幕が、嵐ではためいて音をたてる。はげしい雨音がする。そして、老人は、人影のない小屋の中へ入ってゆく…」
というものだった。
川端、片岡の2人と烏森の旅館で話し合う内、松沢病院を実際に見学してきた衣笠の見聞を基に、精神病院を舞台としたプロットが構想された。シナリオは撮影開始当日までに完成せず、撮影と同時進行で、川端、衣笠、犬塚、沢田晩紅の4人がメモ書きでアイデアを出し合いながら撮影された。シナリオは5月末の撮影終了後に4人がメモを持ち寄って川端がこれを脚本としてまとめ、6月15日の締切日ぎりぎりに入稿させ、翌7月創刊の『映画時代』にシナリオが掲載された。
川端は本作撮影時のことを題材にした掌編小説『笑はぬ男』を1928年(昭和3年)に発表した。この作品は掌の小説集『僕の標本室』(新潮社、1930年4月)に収録され、のちの1971年(昭和46年)の掌編小説集『掌の小説』(新潮文庫)にも収録された。

5. 中川隆[-14788] koaQ7Jey 2020年1月06日 13:13:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1779] 報告
表現の自由展は有名な芸術家を輩出した読売アンデパンダン展を倣っているんだろ:
読売アンデパンダン展(1949年 - 1963年)は、読売新聞社の主催で行われた無審査出品制の美術展覧会。
読売新聞という巨大メディアによる新人発掘の場ということで人気をよび、野心的な若手作家たちがこぞって出品した。

1958年(第10回展)頃より若手作家(初期に出展していた若手作家よりも若い世代)が「焼いて縛った竹(廃棄異物)」「小便をかけたゴミ」など常軌を逸した作品を出品するようになり、一般市民や行政や主催者とトラブルを起こすことになる。当時の読売アンデパンダン展に出展していた若手作家らによって1960年に結成された芸術グループのネオ・ダダイズム・オルガナイザーズは、そのマニフェストに於いて「殺戮者」を自認していた。


1960年(第12回展)に出品された工藤哲巳の作品『X型基本体に於ける増殖性連鎖反応』に対して評論家の東野芳明は『反芸術』と評し、若手芸術家の間に反芸術ブームを巻き起こした。また、インスタレーションやハプニング的要素などといった、日本の美術界にかつてなかった前衛的な潮流を巻き起こし、当時の美術雑誌においてにも大きな論争を巻き起こした。『自称』前衛芸術家に過ぎない若者たちによる実験的な出展作品には賛否両論あったが、彼らを支持する瀧口修造などの美術界の大物もいた。

しかし、主催者の読売新聞社と東京都美術館側から見ると前衛芸術どころかエロ・グロ・ナンセンスの無法地帯以外の何者でもなかった。1958年(第10回展)以降、無審査・自由出品を標榜するアンデパンダン展にも関わらず主催者側による出展拒否作品が増加。一方、出展作品は「女性器の接写(わいせつ物)」「うどん(会期中に腐る)」などどんどんエスカレート。

1962年12月、東京都美術館は「陳列作品規格基準要項」を制定。

(1)不快音または高音を発する仕掛けのある作品

(2)悪臭を発しまたは腐敗のおそれのある素材を使用した作品

(3)刃物等を素材に使用し、危害をおよぼすおそれのある作品

(4)観覧者にいちじるしく不快感を与える作品などで公衆衛生法規にふれるおそれがある作品

(5)砂利、砂などを直接床面に置いたり、また床面を毀損汚染するような素材を使用した作品

(6)天井より直接つり下げる作品

の出品を拒否するとした。この条文は、同年の読売アンデパンダン展の作品状況を裏側から描写している。

しかし1963年(第15回展)のアンデパンダン展においても「下半身裸で踊る自分自身」「紙幣の模写(通貨模造)」など状況は変わらず、主宰者は相次ぐトラブルに手を焼き、1964年の第16回展直前、突然開催中止をアナウンスし、その歴史に幕をひいた。ある意味で大手メディアによる芸術振興の限界を示したとも言える。

読売アンデパンダン展をカオスに導いた自称芸術家の中には、後に有名となった者も多くいる。読売アンデパンダン展への出展作品がきっかけで逮捕され、後に芥川賞作家となった赤瀬川原平が、1960年から1963年にかけてのネオダダの作家たちの活躍を著作にまとめている。なお、赤瀬川らは「読売アンパン」と呼んでいた。

6. 中川隆[-14787] koaQ7Jey 2020年1月06日 13:14:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1778] 報告
「北海道表現の自由と不自由展」の出品は写真 を焼く事自体には意味は無いでしょう。
焼いた写真の方が誰でも、有名な人であれば誰の写真でもいいのです。
皇族やアイドルの写真を焼くとそれを不快に思うのが普通なので、そういう不快さを感じさせるのが目的なのですね。

実際に作品を見て不快に感じている人が沢山いるので、作者の意図は成功した事になります。

芸術の定義は見た人の無意識に訴えて情動を動かす事ですね。 政治や経済の話を取り上げても、それは意識レベルの話なので、芸術にはならないのです。

天皇の写真が燃やされているのを見た時の何とも言えない嫌な気持ち、それが無意識の情動の動きですから、
この作品が芸術であるのは間違いないでしょう。
反対に、天皇はこんな悪い事をした、こんな極悪人だ、とか叫んでも、それは意識レベルの話なので芸術にはなりません。

7. 中川隆[-14786] koaQ7Jey 2020年1月06日 13:15:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1777] 報告
現代音楽も不快なだけで音楽でないと思っている人が多いですからね。
何故わざわざそんな変な音楽を書くかというと、モーツァルトの時代なら素直に思い付いた楽想を楽譜化すれば作曲できたのですが、現代は既に無数の名曲が存在していて、同じ様な曲を書いたら盗作や模倣だと思われるからなのです。
美術も全く同じで、ピカソやクレーみたいな作品を描いても誰にも相手にされないのですね。

自分に合わないと思ったら見なければいいだけです。

8. 中川隆[-14785] koaQ7Jey 2020年1月06日 13:15:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1776] 報告
皇族は今は芸能人化していますからね。
芸能人だからある程度の事が許されるので、それが嫌なら皇族を止めれば解決する事です。
有名税ですね。

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