2017年08月27日 ニュースは最初からフェイクだった 新聞は書き手にとって都合が良い事だけを書き、人々の対立を煽ってきた 引用:http://barnessite.weebly.com/uploads/1/3/1/4/13141100/951411743.jpg 世界は偽ニュースに汚染された 現代の世界ではフェイク(偽)ニュースが飛び交っていて、欧米や日本では選挙や政治を左右するほどになっています。 アメリカではトランプ大統領を巡って双方が偽ニュースを発信し合い、伝統的な大手メディアまで参戦しています。 ワシントンポスト、NYT、CNN、フェイスブックなどもフェイクニュースを配信していました。 大手メディアはすぐにばれる嘘よりも、「一方的で偏ったニュースだけを放送する」という手段を好みます。
例えばフェイスブックは大統領選挙期間中「共和党に都合が良いニュースは配信するな」という指示をニュース選択部門に出していました。 期間中FBのニュースでは「共和党また不祥事」「民主党がリード」という記事だけが配信され、反対の記事は掲載されませんでした。 日本のテレビや大新聞も全部これをやっていて、自分が反対する政党やグループには悪い記事だけを流し、良い記事は掲載しません。
受信料を強制徴収しているNHKですら、はっきりと中国に都合が良い報道だけをし、中国に都合が悪いニュースは放送しません。 フジテレビは「韓流騒動」の頃、韓国に都合が良いニュースだけを流し、日本については悪いニュースだけを流し続けました。 例えばフジテレビのフィギュアスケート番組では、日本の選手については転倒した場面だけを繰り返し流し、韓国選手は成功した場面だけ放送していました。
欧州でも同じで、イギリスのEU離脱国民投票のとき、賛成反対双方が偽ニュースを流し、結果は離脱に決まったが非常に後味が悪いものになった。 フランスの大統領選挙も偽ニュースでの叩きあいに終始し、結果はマクロンが勝ったが、フランス国民は「なぜこの男に投票してしまったのだろう」と自問しているようです。 新聞の始まりはフェイク こんな世界になってしまったのはインターネットが普及して、個人が偽ニュースを配信し、影響力を持つようになったからでした。 2011年の東日本大震災で、既存の大メディアの情報を人々が信じなくなり、ネットの「まとめサイト」が大ブームになりました。 まとめサイトの情報源は玉石混合で、新聞社のサイトをソースにする事が多かったが、個人が書いた記事も多かった。 ネット世界に対抗するように、テレビや新聞、大手メディアも自分に都合が良いフェイクニュースを流しだしました。
こうして世界は大混乱に陥っているのですが、「では偽ニュースが飛び交う前は『正しい情報』だったのか」という疑問が沸きます。 日本では数十年間信じられていた従軍慰安婦が、朝日新聞社による捏造だったのが判明しました。 同じように南京事件、731部隊、東京裁判、関東大震災の朝鮮人襲撃などが、次々に「偽ニュース」ではないかと疑惑をもたれています。
反対に新聞やテレビはアメリカ軍やソ連、中国に都合が悪い事は70年間隠し続け、あたかも日本人が一方的な悪者だったかのように報道してきました。 アメリカや英米、ドイツなどでもこうした捏造は数十年間続けられていて、既存の大手メディア全てが加担していました。 するとメディアは昨日今日フェイクになったのではなく、少なくとも70年前からフェイクニュースを配信し続けていたのです。
さらに戦前に遡っても、各国の新聞社はそれぞれ好き勝手な嘘を報道していて、アメリカなどは偽ニュースによって、日本人への憎悪を国民に植え付けていました。 ニュースの始まりは新聞ですが、その始まりは欧州では1600年ごろの英仏独で始まり、最初から自分に都合が良い記事だけを掲載していました。 最初の記録もフェイク 考えてみれば自分に都合が悪い記事など書く人はいないので、最初からニュースはフェイクだったのです。 フランス革命では新聞による偽ニュースで市民の怒りを煽り、王妃マリー・アントワネットが『パンが無ければケーキを食べなさいよ』と言ったなどがでっち上げられた。 王家や貴族の贅沢な暮らしぶりは誇張され、革命家たちの冷酷さは一言も記事にしませんでした。 フランス革命は美化されていますが、実際の事実だけを検証すると、テロリストが民衆を操って暴動を起こし、大量の人をしなせたに過ぎません。
だがこれが才能有る芸術家によって文章や絵画になると、崇高で美しい出来事に思えてくるのです。 日本でも1600年代から「かわら版」が始まりましたが、読み物としての面白さが重視されていて、事実かどうかは後回しでした。 各国で最初のニュース報道は聖書や古事記のような宗教書で、古くからの伝承を記録したものと言われています。
文字が発明されるまでは口頭で伝えるしかなかったので伝承は重要であり、何かの出来事を伝えようとした痕跡が見られます。 伝承は多くの人に「伝言ゲーム」のように伝えるため、記録性より大げさで覚えやすい事が重視されます。 「紅海を渡った」よりも「モーゼは海を割った」のほうが覚えやすいしドラマチックで注目を集めやすいという事です。
皆既日食や天候不順と言うより「アマテラスが岩戸に隠れて太陽が消えた」の方が伝えやすいのです。 もちろん伝承を伝える人に都合が悪い事は伝えなかった筈で、このように考えるとニュースは最初からフェイクだったとも言えます。 http://www.thutmosev.com/archives/72323299.html.
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