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エリック・ハイドシェック 名演集
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/154.html
投稿者 中川隆 日時 2017 年 8 月 03 日 19:02:43: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: オッリ・ムストネン 名演集 投稿者 中川隆 日時 2017 年 8 月 03 日 12:42:18)


エリック・ハイドシェック(Éric Heidsieck, 1936年8月21日 - )


ヘンデル

Händel - Eric Heidsieck (1958) Suite no 6 in g minor hwv 439 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=EAAMcKf0-9o


0:00 : Allemande
3:19 : Courante
6:38 : Gigue


 

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コメント
1. 中川隆[-13665] koaQ7Jey 2018年9月13日 10:59:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18523] 報告

エリック・ハイドシェック (ピアノ) 田部井剛指揮 カメラータ・ジオン 
2018年 7月 8日 東京文化会館小ホール
https://culturemk.exblog.jp/27381996/


フランスのピアニスト、エリック・ハイドシェックは 1936年生まれで、来月 82歳になる。シャンパーニュ出身で、実家はなんと、有名なシャンパン、シャルル・エドシックの醸造家であるらしい。


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彼は 20世紀を代表するフランスの大ピアニスト、アルフレッド・コルトー (1877 - 1962) の愛弟子のひとりであり、60年以上に亘る演奏歴を持っている。その活動はもちろん国際的ではあるが、いわゆる世界トップクラスの超人気ピアニストというよりは、一部のファンに深く愛されるという印象がある。特に日本では、宇和島でのライヴ録音などを通してファンが多いようだが、そのひとつの理由は、個性的な音楽評論家であった故・宇野功芳が彼の演奏をいつも激賞していたことだろう。私も多少はその影響を受けて、彼の CD を何枚か聴いたことがあるが、明るく人間的なタッチのピアノは、確かになかなか素晴らしい。だが、実演で接する機会はこれまでになく、今回が初めてになる。遅きに失した感はあるが、80を超えてもこのように日本にやってきてくれることに感謝して、その音楽に虚心に耳を傾けたい。これは以前の来日のときの様子だが、今回もこのような衣装で登場した。

今回の演奏会は、プログラムが面白い。オール・モーツァルトで、以下の通り。

 ピアノ協奏曲第 14番変ホ長調K.449 より第 2楽章

 ピアノ協奏曲第 16番ニ長調K.451 より第 2楽章

 交響曲第 29番イ長調K.201 より第 2楽章

 ピアノ協奏曲第 12番イ長調K.414 より第 2楽章

 交響曲第 41番ハ長調「ジュピター」K.551 より第 2楽章

 ピアノ協奏曲第 21番ハ長調K.467 より第 2楽章

 他、巨匠選りすぐりの独奏を予定しております


最後の一文は、プログラムに掲載されている通り。つまり、アンコールとしてピアノ・ソロが聴かれるということだろう。休憩は、ピアノ協奏曲 12番と「ジュピター」の間に入る。いやしかしそれにしても、モーツァルトのピアノ協奏曲と交響曲の第 2楽章ばかりとは、なんともゆったりとした曲目構成であることか。実際にこれらはいずれも例外なく、ゆったりとした音楽であるが、緩徐楽章というには少し速めのテンポで、大抵はアンダンテ (= 歩く速さで) の指示がある。この日の東京は晴れたり曇ったりの暑い日で、日曜の午後、優雅な音楽に耳を傾けるとは豪奢なことではないか (ただ、西日本での豪雨による甚大な被害の痛ましさを、忘れることはできないが・・・)。オーケストラは、田部井剛 (たべい つよし) 指揮のカメラータ・ジオン。この室内オケは群馬に本拠地を持ち、ジオンとは「慈音」から来ているという。田部井自らが 2003年に結成したもので、コントラバス 1本の極小編成。これが田部井。

ハイドシェックの音は想像通り、美しいものではあったが、かなり音量もある。極限の繊細さを感じさせるよりは、まさに歩くような速さの音楽から、人間の春夏秋冬の営みを連想させるようなものであった。呼吸は自然だし、音の流れもよい。そこには滋味があるとは言えるが、それは決して後ろ向きのものではなく、しっかりと前に向かって進んで行くような音楽であったと思う。技術的に破綻はないが、それ以前に、技術のことすらあまり感じさせないほどの自然さがあるので、誰もが安心してモーツァルトの世界に身を委ねることができた。オケの伴奏も、きっちりと仕上げていて過不足ない出来。心が温かくなるような演奏会であった。

だが、さすがに第 2楽章だけを集める内容であれば、これだけ曲数があっても、すぐに終わってしまう。15時開始、途中 20分間の休憩を挟んでも、16時15分にはプログラムを終了してしまった。さて、その後は「巨匠選りすぐりの独奏」である。演奏されたのは以下のような曲。

 

 バッハ : フランス組曲第 6番からサラバンド

 ドビュッシー : 「子供の領分」から「小さな羊飼い」

 ヘンデル : 組曲第 3番からアリア

 ハイドシェック : プレリュード


なるほど、バロック物と自作を交えたフランス物を交互に弾いたわけである。彼は演奏の前に曲目の紹介を英語で行っていたようだが、ピアノに向かいながら喋るので、ほとんど聞き取れなかった。自作のプレリュードについては、フランス語ではなんとか、英語では LOVE なんとか、と言っていたようだが・・・。まあ、言葉はともかく、バロックもフランス物も、雄弁な音楽であり、ハイドシェックの個性が表れていたと思う。実は私はこれらのアンコールを聴いて、うーん、モーツァルトのアンダンテばかりでなく、少しはこのような音楽をメインのプログラムに入れてくれた方が、変化があってよかったのに・・・と思ってしまった。その点は少し残念な気がした。ともあれ、上記の曲のあと、最後に彼は数秒ピアノを弾いたが、早々に切り上げた。そしてユーモラスに腕をさすって見せることで、16時30分にコンサートは終了した。


終演後のサイン会も和やかな雰囲気であった。よく主催者側から、ひとり一点という制限がつくことがあるが、今回はそれもなく、熱狂的なファンの人は沢山サインをもらって満足げであった。中には、ショパンの第 2コンチェルトのスコアにサインをもらっている人もいて、ハイドシェックはその冒頭のオケの部分を朗々と口ずさみ、「アルフレッド・コルトーの前でこの曲を演奏したものだよ」と懐かしそうに呟いていた。それにしても、おしゃれな人である。

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言い忘れたが、今回は彼の初来日から 50周年を記念しての演奏会。その人間味あふれるピアノを、これからも日本の聴衆に聴かせ続けて欲しいものである。
https://culturemk.exblog.jp/27381996/

2. 中川隆[-13664] koaQ7Jey 2018年9月13日 11:02:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-18523] 報告

エリック・ハイドシェック 氏 (Eric Heidsieck) ピアニスト Now!
Pianist Lounge (ピアニスト・ラウンジ) ヤマハ株式会社
https://jp.yamaha.com/sp/products/musical-instruments/keyboards/pianist-lounge/now/011/

私はタダでお洒落をする名人なんですよ、と笑顔で語るハイドシェック氏。
フランスの伊達男にふさわしいダンディズムを漂わせながら、日本の温泉が大好き!とインタビュー当日も終始スタッフを笑わせつつ、独自の音楽に対する美学を熱心に語って下さいました。


 フランスの古都、シャンパンの産地として有名なランス出身のハイドシェックは、粋で洒脱で色彩感に富むピアノを奏でることで知られる。1960年代にはフランス音楽界きっての個性派として輝かしい演奏を聴かせたが、その後しばらく沈黙の時代を迎え、80年代に再びエネルギッシュな音楽を聴かせるようになった。

 現在は、ソロ、夫人との2台ピアノの演奏、オーケストラとの共演、作曲、教育、ロン=ティボー国際コンクールの審査員など、幅広い分野で活躍。来日も多く、日本のファンも非常に多い。さらに弟子入りを希望する人があとを絶たず、マスタークラスなどもいつも満員だ。

「教育というのはとても大切な分野です。特に子どもにとっては。私も子どものころからすばらしい先生に出会い、音楽が大好きになるような教育を受けてきました。練習も苦痛ではありませんでしたし、ピアノに向かうことに大いなる喜びを抱いていました。

 いま、私のところに日本の先生たちが多く勉強にやってきますが、彼女たちが日本に戻って次に生徒たちに接したとき、あっ、先生変わったな、と思ってもらえたら最高です。それは単に技術的に向上するという意味ではなく、その先生の音楽に対する態度が変わったと感じてもらえればうれしいのです。

 私の経験からいうと、いい教えを受けた人はいい音楽を奏でるようになるからです。もちろん、短期間のマスタークラスを受けたからといって、すぐに上達するわけではありません。要は、気持ちの問題です。音楽に心を捧げる、その思いが強くなるという意味です」


 ハイドシェックは80年代にリヨン音楽院で教鞭を執っていた。そのときにも、生徒たちにテクニック上のことのみならず、自身のモットーである「音楽を愛すること」をさまざまな方法で伝えた。

「しばらく沈黙の時代があったといわれていますが、その間もずっと勉強は続けていたんですよ。教えることも多く行っていましたし、作曲もしていました。そして80年代に入って、モーツァルトのピアノ協奏曲の全曲演奏に取り組みました。カデンツァ(終止の前に挿入される奏者の自由に任された部分)の作曲に魅せられていましたので、これに長い時間をかけていたのです。

 その後、ベートーヴェンのピアノ・ソナタの全曲演奏に全力を傾けました。私はひとつのことに熱中するタイプで、ある作曲家の作品に取り組むと、とことんそれを追求したくなり、どこまでも突き進む癖がある。ですから、何がなんでも全曲演奏をしなくては、と考えてしまうのです。なぜなら、モーツァルトもベートーヴェンも、その作品を1曲弾いただけでは見えてこないことも、全曲通して弾くことにより明確に見えてくるわけです。作曲家の人間性の多様性が浮き彫りになりますし、より作曲家に近づくことができる。こんなすばらしいこと、やめられますか。途中でやめられるわけがありませんよ(笑)」


 ハイドシェックの実家はシャンパン王として知られる名門。ただし、彼自身は気取りも気負いもなく、きさくなキャラクターと自然体の演奏を特徴としている。

「確かに恵まれた子ども時代を過ごしましたが、私の時代は戦争があった。その苦難や苦悩はいまでも忘れません。明るく見える曲でも、楽譜の奥に秘められた影の部分を読み取るようになったのは、この体験がものをいっています。

 私自身は元来楽天的な性格ですが、人間の影の部分を必ず見ますね。作品に関してもそうです。想像力を最大限働かせて作曲家の意図するところ、真の意図を探し出すわけです。それを聴いてくれる人たちに届けるのが、ピアニストとしての私の使命だと思っていますから」


 ハイドシェックは、「演奏はタピストリーを織るようなもの」と語る。ひとつひとつこまやかに感情を込めて織り込んでいく。そして いま、そのタピストリーを織る先に見えているのがJ.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集」。昔からグレン・グールド、エドヴィン・フィッシャーの録音を聴き続けてきたが、いまようやく自分の「平均律」を演奏したいと願うようになった。

「もちろん家では長年演奏していますよ。でも、いまはステージで演奏したい。《イタリア協奏曲》も《パルティータ》も弾きたいと思っています。バッハは学生のころ、拍をしっかり刻んで規則正しく弾くように弾いていましたが、実はそれはとんでもないまちがいだと気づいた。当時は筋肉を鍛えるために練習しているようなところもありました。

 バッハは拍を意識せずに、波が打ち寄せたり引いたりするように動きを持って演奏しなければならない。潮の満ち引きと同じです。月の満ち欠けに従い、潮は規則正しく満ち引きが行われますが、そのなかで波は一定ではなく自然でなめらかで自由です。フレーズを大きくとらえ、波のように少し浮いたような感じで自由に演奏する。自然な息遣いで、呼吸するように弾くことが大切。それに気づいたとき、私のなかでバッハがより大きな存在を占めてきたわけです。いまバッハを弾かずしていつ弾く、という感じ。ほら、もう指の先までバッハがきているのが見えるのです(笑)」


パリの自宅ではヤマハのピアノで練習しているのだが、実はこのピアノ、購入時にちょっと変わったエピソードがある。というのは、1997年の日本ツアーの折、仙台で練習するピアノがなく、ヤマハの店頭に置いてあるピアノを貸してもらった。短時間のつもりが、熱中する性格ゆえ店頭で演奏に没頭してしまい、我を忘れて20分以上弾き続けた。それほどこのピアノが手に合っていたのである。

「そのときは息子が一緒でしたので、私はこんなピアノを探していたんだよ、と彼に伝えたところ、息子はすぐにお店の人と交渉。そのピアノを購入することができるようになったんです。しかも、展示品だから安くするといわれた。でも、その後3カ月かかって船でパリに輸送され、たまたま自宅の前の家が工事中で、クレーンで私の家まで吊り上げて運んだため輸送代がものすごく高くなってしまった。結局、安いんだか、高いんだか(笑)。でも、このピアノは12年間弾いているけど、とても弾きやすい。私のバッハはこのピアノから生まれるんですよ」


 ハイドシェックには何度もインタビューをする機会があるが、いつも彼は全身を使って自身の考えを表現。手を大きく広げたり、立ち上がったり、歌を歌い出したり、「紙と書くものを貸してくれ」といって音符や絵を書き出したり。顔の表情もすこぶる豊か。俳優のように表情を幾重にも変えながら、早口で大きな声で話す。そしてジョークを連発。その話の流れは、あたかもハイドシェックの演奏そのものを連想させる。

 ピアノに向かい、作曲家の魂に寄り添うよう楽譜に忠実に、真摯な思いで演奏するが、その音楽からはひとつのストーリーが描き出される。ウイットとユーモアが見え隠れし、情感豊かな音楽が紡ぎ出される。彼がタピストリーを織るという表現をしたことが思い出され、そのこまやかな表現と繊細さ、優雅さの裏に息づく作曲家が意図したドラマチックな物語に心を奪われていく。

「私はフランスで生まれましたが、ドイツの血をひいています。ですからドイツ系の作曲家や作品への理解が自然にできるのです。もちろん音楽には国や民族は関係ありませんが、私は子どものころからドイツ的な物の考えかたをする人間でした。5歳から20歳までコルトーの助手を務めていたパスクール・ド・ゲラルディに師事しましたが、彼女は大のベートーヴェン好きで、ベートーヴェンに関しては何でも知っているような人でした。

 私は8歳のときにベートーヴェンのピアノ・ソナタ第1番を持っていったのですが、そのときに彼女はとても熱心に演奏を聴いてくれました。そして終わると、こういったのです。まあ、この子はベートーヴェン弾きね、って。でも、当時の私はベートーヴェン弾きというのが何を意味するのかわからず、それ、何のこと? って聞いたんですよ(笑)。それ以来、私はベートーヴェンを愛し、ずっと弾き続けているというわけです」


 その後、ヴィルヘルム・ケンプからもベートーヴェンをはじめとするドイツ・オーストリアの古典派の作品を学んだ。
「ケンプはとても明るい人でした。ベートーヴェンの作品を教えてくれるときも、各々の作品に光を見出していた。作品のなかに潜む光に惹かれていたんです。いつもそれを追求し、私にも探究するようにいいました」

 アルフレッド・コルトーはケンプとは異なり、影を愛し、暗いものが好きだった。
「ケンプとコルトーは性格的にまったく逆でした。私はいつもこう思ったものです。コルトーはそういう性格ゆえ、フランス作品に宿る、色彩感あふれる輝かしい響きに魅せられたのではないかと。影を愛しているがゆえに、まばゆさに惹かれたのではないかと思っていました」


 そんなハイドシェックは、いつも獅子座に因んでライオンのネックレスをしている。これがエネルギーの基なのだろうか。

「昔、妻がイスラエルで買ってきてくれたものなのですが、太ったためかはずせなくなってしまった。私は日本の温泉が大好きなんですが、温泉にもはずさないで入るため、変色してしまったんですよ。えっ、お守りかって。いやいや、ネクタイ代わりですよ」

 以前、そのネックレスの下に藍染の綿のスカーフをしていてとても粋だったため、「そのスカーフ素敵ですね。フランス製ですか」と聞いたところ、「何いってんだよ、きみ。これは日本製だよ。祇園の温泉でもらった手ぬぐいさ。そう、そんなに似合っている? 私はタダでおしゃれをする名人なんだ」との答えに、その場に居合わせた全員が大爆笑。

 個性的な演奏と個性的なキャラクター。リサイタルにはいつも熱心なファンが大勢詰めかける。彼は音楽の喜びを与えてくれるからだ。次なるバッハにも期待したい。


Text by 伊熊よし子

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