日本は戦争中に従軍慰安婦に何をやったのか 従軍慰安婦強制連行 _ 吉田清治の話はやっぱり事実だった
経済ジャーナリスト・今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」 http://masato555.justhpbs.jp/newpage113.html 『ある日赤紙が来て』 真鍋元之著 1981 1942年頃、平陽鎮の軍専用慰安所 つねに満員だったと言う。 「私の馴染んだ慰安婦は、職業用の日本名をミサオと呼んでいた。生家は江原道のもっとも貧しい農家だったが、ある日突然村長がやってきて 「軍の命令だ。お国への御奉公に、娘を差し出せ」 という。御奉公の意味がすぐに分かったので、父母は手を合わせ声の限りに哀号を繰り返したが、村長は耳を貸さない。この面(村)へ8名の割り当てが来たが、面には娘は5人しかいないから、ひとりも容赦はならぬ、とニベもなく言い放つ。村長の背後では、刀を吊った日本人の巡査(警官)が、肩をそびやかせている。 5名の村娘が、石ころのようにトラックに乗せられ、村境の土橋を渡ったのが、故郷との別れであった。文字が書けないので、家族の安否を、手紙で問い合わせる事もできない。・・・」 http://d.hatena.ne.jp/kounodanwawomamorukai/20121208/1354914020 子供を抱いていれば二三人がかりで赤ん坊をもぎ取って、女を引きずってトラックに押し込む。
そういう場合は、赤ん坊だけでなく、三歳四歳・・三歳か五歳ぐらいの子供が母親を奪われる現場では、泣き叫んで命がけで母親にとりすがる。それを突き飛ばし蹴飛ばし・・ 慰安婦強制連行は一週間にわたり、10人の武装した兵隊と憲兵に護衛された徴発隊によりおこなった。その徴発隊は島を縦横にかけめぐり、泣叫ぶ若い朝鮮人女性を狩りたて、片はしからトラックに積み込みこんだ。役得としてトラック上で強姦する兵もいた。
女工たちは竹かごの中から貝殻を、手早く鉄わくの中へ入れ、足踏み機械を操作すると、一銭銅貨より小さなボタンを同時に十個ばかり作っていた・・・・隊員たちがすばやく工場内の二か所の出入り口を固め、木剣の先を突きつけて、女工たちを起立させた。 「体格の大きな娘でないと、勤まらんぞ」 と山田が大声で言うと、隊員たちは笑い声をあげて、端の女工から順番に、顔とからだつきを見つめて、慰安婦向きの娘を選びだした。 若くて大柄な娘に、山田が「前へ出ろ」とどなった。娘がおびえてそばの年取った女にしがみつくと、山田は・・・・台をまわって行って娘の腕をつかんで引きずりだした・・・・ 女工たちはいっせいに叫び声を上げ、泣き声を上げていた。隊員たちは若い娘を引きずり出すのにてこずって、木剣を使い、背中や尻を打ちすえていた。・・・・女工の中から慰安婦に徴用した娘は十六人であった。 ____ 日本軍「慰安婦」生活を強要されたキム・デイル女性の証言を聞いてみよう。
「平壌が故郷だという、“ハナコ”と呼ばれた女子が妊娠したが、田中は酒をひどく飲んで入ってきて、彼女を倒して容赦なく腹を蹴り飛ばし、次に彼女の腹から胎児を取り出して投げ飛ばした。 そして、朝鮮女性をみな集めてからそのはらわたを刃先で引き出して「慰安婦」の首にかけ、部屋の床の血をなめろと言った。 この時、多くの女子は気絶し、心臓が破裂して死んだ女子もいた。 ある日、田中は大きい犬一匹を引いて入ってきて、犬に 「俺もしたから、お前もやれ」 とそそのかし、私に×××させた。 私が気を失って倒れると、冷水を浴びせて狂ったように襲いかかり、獣欲を満たした。 さらに奴らは麻薬を吸わせた後、タバコにガソリンをつけて口や鼻、子宮に突っ込み、火をつけて火傷させた」 日本兵は、ある「慰安婦」少女が必死に反抗したため、5匹の馬に彼女の腕と脚と首をくくり、引きちぎって殺したという。 かと思えば、ある女性が自分たちの要求に応じないため、「乞食」に「しつけ」をしてやるといい、彼女を木に逆さにぶら下げ、無理矢理襲いかかって銃卓で殴打した後、乳房をえぐり取って残忍に虐殺したという。 日本兵は「慰安婦」が伝染病にかかれば、彼女らがいる「慰安所」に火を放ち、死体を川や山中に捨て、戦闘に敗れて追われる時には「慰安婦」を一列に並び立たせ、順に首を切り落とした。 http://www.piks.or.tv/date/japan/20040826.htm 『沈黙の叫び 日本軍「慰安婦」出身のおばあさんの声』
耐えかねて逃げようとした女を日本兵達が見せしめに縛り上げて乳房を短剣で 切り落とすと傷口から真っ白な脂肪が溢れ出してきて、やがてそこから血が流れ出した。 http://www.eigaseikatu.com/imp/14905/152813/
日本兵は彼女の首を切り、その煮汁を飲めと強要しました
私は4人兄弟の長女で、弟3人がいました。 ところが、両親は私たちを残して死んでしまい、一番下で乳飲み子だった弟もお母さんに続いて死んだのです。 住む家もないので橋の下で雨露をしのぎながら、乞食をしたり農家の手伝いをして弟たちを養いました。 私が数え年で17歳の夏、住んでいた小屋に帰って来ると、巡査か兵隊なのかわからない日本人の2人の男が現れたのです。 彼らは私の髪の毛をつかんで、放り投げるように大きなトラックに乗せました。 弟たちが「お姉ちゃん行くな」と泣き叫んだの で私は振り返ろうとしたのですが、男たち に蹴られてトラックに押し込められました。 その中には、幼い少女から20歳前後までの娘たちでいっぱいで100人くらいいました。 男たちは、泣き叫ぶ私たちを殴ったり蹴ったりして黙らせたのです。 水原(スウォン)の駅から汽車に乗せら松中国の大連へ連れて行かれました。 私たちが列車の外をのぞこうとすると、「何を見ている」 と兵隊は髪を引っ張ったり足で蹴ったりしました。 私は、弟たちのことも心配だしこれから何が起きるかという不安で泣き出したのですが、そしたらまた殴られたのです。 兵隊たちは、途中のハルビンや牡丹江などで娘たちの一部を汽車から次々と降ろして行きました。 私は東寧県で汽車を降ろされ、20人くらいの女性たちとトラックでプチャゴルに連れて行かれました。 到着すると将校が 「天皇と軍の命令だ。 言うことを聞かないと殺す」 と言いました。 私は5号室に入れられ、着いたその日から強姦されたのです。 あちこちの部屋からも悲鳴が聞こえてきました。 それからは、少ない日でも30人くらいの日本兵の相手をしなければなりませんでした。 ある日、2人の女性が兵隊の相手をするのを拒否したということで、両手を縛られて庭に引っ張られて来ました。 兵隊たちは、 私たちを呼び集めて2人を高い木に吊るしたのです。 その娘たちは兵隊に 「犬のようなお前たちの言うことなんか聞かない」 と言いました。 そうしたら、奴らは刀で彼女たちの乳房をえぐり取ったのです。 血が吹き出ました。あまりにも残酷なので私は気絶してしまいました。 彼女たちが死ぬと兵隊たちは首を切って沸いた湯の中に入れました。 そして、その煮汁を私たちに飲めと強要しました。 拒否 すれば私たちも殺されるので、生きるために仕方なく飲んだのです。 女性たちの数はいつも20人くらいで、病気で死んだり逃亡に失敗して殺されたりすると新しい女性が補充されました。 ある時、 私は逃げようとして捕まってしまいました。 板にくぐり付けられて何十人もの兵隊に犯され逃げ出せないように足の神経を切られてしまったのです。 そして、別の部隊に移されて砂地に天幕を張っただけの所に入れられました。 私は、 鉄条網の下をくぐって逃げようとしましたが、鉄条網に鈴が付いていたのを知らなかったので再び捕まってしまいました。 すると、兵隊たちは赤く焼いた鉄棒とドラのような鉄板を私のお尻に押しつけたのです。 この時の火傷はケロイドになってしまったので今でも歩くのが困難で、痛くて横になることもできないほどです。 ある時、奴らは私たちの食事に毒薬を入れました。
私は火傷のために早く歩けなかったので食事に遅れたのですが、私が行った時には先に食べていた女性たちがすでに死んでいたのです。 私は、這って逃げ出して、その村の中国人にかくまってもらいました。 私はここの「慰安所」に8年間いました。 体の火傷の跡を見てください。正視できないほどです。 1947年に帰国しましたが、 故郷には帰れませんでしたし、子どもを生むこともありませんでした。 http://www6.ocn.ne.jp/~kitanisi/knews/knews0109.html 日本軍はどのように慰安婦の秩序を保ったか:
A. 韓国人慰安婦の1人は、なぜ1日に40人もの男にサービスしなければならないのかと尋ねたために、日本軍指揮官の命令によって、他の慰安婦の面前で、刀でたたかれ、裸にされて、たくさんの釘の突き出た板の上を転がされ、血だらけになった後に首を切られた。
さらに、日本軍指揮官の1人は、それを見ていた人々の前で 『あなたたち全員を殺すのは、犬を殺すよりも簡単だ』 と述べ、死んだ女性の死体を煮て食べるように強要した。 B. 韓国人慰安婦の1人は、他の40人とともに蛇だらけの水溜りに入るよう命令され、そのうち数人は、無理やり水中に押し込まれ、その後、土をかぶせて生き埋めにされた。
C. 兵士に噛み付いた新入りの慰安婦は、他の慰安婦の面前、慰安所の中庭で首を切られ、ぶつ切りにされた。
D. 激しく抵抗した慰安婦の1人は、胴体と頭を別々の馬に縛り付けられ、他の慰安婦の面前で引きちぎられて殺された。
E. 多くの慰安婦は、中国兵捕虜の頭を煮た水の残りを飲むように強要された。
F. 性病にかかり、50人の日本兵に病気を移した韓国人慰安婦の1人は、灼熱の鉄棒で膣を消毒された。
G. 性的サービスを逃れようと入浴を拒んだ慰安婦は、木に逆さに吊るされ、ライフルで殴られ、乳首を切り取られて、最後に膣から銃で撃ち抜かれて殺害された。
筆者が最近傍聴した集会にも、元慰安婦が招かれ、体験談を語ったが、その上品で温和な顔立ちの元慰安婦が、
「慰安所の天井から赤ん坊の頭で作ったモビールのような飾りが吊るされていた」 と語ったとき、会場は一瞬息を呑んだ。 http://www.cmht.com/casewatch/civil/comfort.html http://www.geocities.com/lordfreeza88/esytesti.htm 朝鮮人「慰安婦」の証言
12歳で「慰安婦」に 李京生
私は3歳で母を亡くし、6歳のときには父を亡くし、育ててくれた祖母とも死に別れた。孤児となった私は、地主の家の子守や下女として一人で生きてきた。 12歳になったある日、区長が呼んでいるというので行ってみたら、既にキム・グワンソン、パク・スボク、ユン・チュンソンの3人がきていた。みんな私と年齢が前後する女の子たちであった。区長は、私に「お前は哀れな星の下に生まれて苦労している。きょうからお前の人生を変えてやろう。良い所へ連れていってあげるがどうだ」と言った。 私はそれまでのみじめな境遇が辛かったので、今より良い暮らしがあるのなら「行きましょう」と答えた。区長は、「私が呼び出したら朝でも夜でもすぐくるんだよ」と言った。幼い私は、「はい、すぐきます」と答えた。 夜になって区長の家から使いがきたので、私は急いでいった。区長は立派な日本人が迎えにきたといった。見ると長い刀を腰にさした男が3人きていた。私たちは怖くなって「アッー」と声をだしてしまった。それを見た区長は、「お前たちを良い所へ連れていってくれるのに怖がるな」といった。そしてその男たちに私たちを引き渡すと、村の外まで見送ってくれながら、「きょうからお前たちの運命が変わるのだ。いい所にいけよ」と励ますようにいって家に帰ってしまった。どうしていいのかわからないままに、私たちはその男たちの後についていった。 男たちの後についていくとやがて駅前に出た。そこで汽車の貨車に乗せられた。良い所に連れていってくれるとは言われてみても、そこは子供だから、次第に心細くなり、4人してめそめそしたりしていた。 明け方近くなって降りろというので降りたら、駅前に車が迎えにきていた。車には2人の日本人が乗っていた。私たちは、見知らぬ3人の日本人についてくるだけでも怖かったのに、また2人ふえたのでもっと怖くなった。しり込みする私たちをみて、男たちはまるで豚のしっぽをとって車に乗せるように、私たちを5人がかりでほうり上げて乗せた。 どれくらい行ったのか記憶に残っていないが、まわりが明るくなったころ、やがて山の中に到着した。彼らは「降りろ」といったが、私たちはおじけづいてじっとしていたら、ひきずり降ろされた。そして、「ここが良い所だから入れ」と言って家の中に連れ込まれた。そこが慶尚道・昌原にあった軍の秘密工場であることは、ずっと後で知った。 指定された部屋の中でしばらくじっとしていると、日本の着物を一抱え持った看護婦が入ってきて、「朝鮮服を脱いでこれに着替えなさい」と命令した。もじもじしているとむりやり脱がされて裸にされ、浴衣を着せられて胸に「ミイコ」という名札を付けられた。そして、「お前はきょうから朝鮮人ではなく日本人だ。日本帝国の天皇陛下のために働かなければならない。お前の名前はミイコだ、朝鮮語を使ってはならない」といった。それからは約半月の間、雑穀の入った食事を三度与えられるだけで、仕事はさせなかった。苦労ばかりしてきた私は、区長が言っていたように良い所へきたのかな、と単純に思ったりした。 やがて半月が過ぎると今度は将校がやってきて「足を洗え」「つめを切れ」などと命令するだけで、仕事らしいことは何もなかった。ただ、「風呂に入れ」とか「身体検査」と言われれば体重計に乗ったりして、言われるままに行動していた。そんなことでまた半月が過ぎた。 ある日の朝、前庭に集まれというので行ってみたら、少女たちが20名くらいいた。その少女たちと一緒に私たちも一列に並ばされた。私たちの前に将校たちがやってきた。その中で星が4つ着いた将校が、一列に並んだ少女たちをなめるように見回していたが、一番背が低いので端っこにいた私を、自分のそばに引っ張りだした。次に少しくらいの低い将校が、同じようにして他の少女を選んだ。 こうして順番に将校が気に入った少女を選びだし、自分の部屋に連れていった。私はその時、8号室に入れられた。私と一緒にきたユン・チュンソンは隣の9号室であった。やがて昼食がすむと、工場から800メートルほど離れたところにある場所に連れていかれた。そこでも8号室に入れられた。そこは将校が入る部屋だと後で聞いた。 夜になって男が部屋に入ってきたが、それは朝、私を選んだ将校であった。その将校の名前は「トウギョウ」といった。彼は、12歳の私を暴行した。あまりにも幼い体なので膣が引き裂かれてしまった。翌朝の8時か9時ころ、医者と看護婦がやってきて治療してくれた。そんな状態にもかかわらず、その将校は毎夜のように襲ってきた。 それは、私だけではなく他の部屋でも同じであった。9号室のユン・チュンソンは恐怖と嫌悪感から拒否して叫んだので、口をふさいで窒息死させられてしまった。 こうした行為を強いられて1か月もしたころ、トウギョウという将校は「もうお前に飽きた。好きにしろ」と言ってこなくなった。それからは毎日のように7、8人くらいの兵士がやってきた。こうして、この秘密工場での私の「慰安婦」生活が始まった。 これは、慶尚北道安東出身の多くランという18歳の女性のことである。彼女は襲ってきた兵士に反抗して、相手にかみついたり、ひっかいたりしたというので、裸にされて工場の電信柱に一日中逆さつりにされた。ほとんど瀕死の状態の彼女に対して、「これでもお前は反抗するのか」と威嚇する兵士に、彼女は「言いなりになるくらいなら死んだ方がましだ」といって抵抗し、ついに他の「慰安婦」たちの前で見せしめになぶり殺された。死体はバラバラにされてカマスに入れて川に放りこまれた。 忠清北道のキム・サムニョという20歳前後の女性は美しい人であった。彼女のところには数十人の兵士たちが列をなしていた。この屈辱的な暴行に耐えられなくなった彼女は、死を覚悟して抵抗した。日本軍は、見せしめだといって、彼女を板の上に仰向けにさせて両手両足をしばり身動きできないようにした。そして30人くらいの兵士たちが馬とびのようにして輪姦した。彼女もまたついに命を落とした。こうして、3人もの女性が殺されるのを見せられた私たちは、恐怖のために抵抗も逃げ出すこともできなかった。 16歳になった私は、知らぬ間に妊娠していた。それを知った将校は、軍医に診察させて妊娠を確認すると、「天皇に忠誠をつくさない朝鮮人の子供は必要ない」と言って、私を部屋に閉じ込めてお腹を裂き、数カ月経っている胎児を引きずりだして殺した。その時に受けた傷が今でも残っている。 ○彼女は襲ってきた兵士に反抗して、相手にかみついたり、ひっかいたりしたというので、裸にされて工場の電信柱に一日中逆さつりにされた。ほとんど瀕死の状態の彼女に対して、「これでもお前は反抗するのか」と威嚇する兵士に、彼女は「言いなりになるくらいなら死んだ方がましだ」といって抵抗し、ついに他の「慰安婦」たちの前で見せしめになぶり殺された。死体はバラバラにされてカマスに入れて川に放りこまれた。
○将校は、軍医に診察させて妊娠を確認すると、「天皇に忠誠をつくさない朝鮮人の子供は必要ない」と言って、私を部屋に閉じ込めてお腹を裂き、数カ月経っている胎児を引きずりだして殺した ○日本軍は、見せしめだといって、彼女を板の上に仰向けにさせて両手両足をしばり身動きできないようにした。そして30人くらいの兵士たちが馬とびのようにして輪姦した。彼女もまたついに命を落とした それから間もなくであったと思う。そこで賄い婦をしている朝鮮人のシン・ファジャというおばさんが私たちのところに忍んできて、「お前たちはみんな可愛い顔しているね。こんな可愛い子たちがここで朽ち果てるのはかわいそうだ」「ここは秘密工場だから、ここにきた女性たちは生きてでられないよ」といって「何とかして逃げなさい」と教えてくれた。それから一緒にきた私たち3人は逃げ出す方法を計画した。
当時の兵士たちは将校と違って思い通りに酒を飲めなかった。お酒を飲みたがっている彼らの弱みを知っている私たちは、酒を与えて酔いつぶす計画をたてた。私たちは、将校が飲み残した酒やつまみをこっそりとっておいて集めて3本分の酒を用意した。 土・日曜日は将校たちが家族のもとに帰っていく。その日をねらって門番の兵士に酒を与えた。酒につられた彼らは、私たちの計画にはまり、私たちはやっとの思いで逃げ出すことができた。私たちは3人がバラバラになって逃げた。それっきり私は同郷の友人たちの消息を知らない。 私は電線のない深い山奥をめざして逃げた。そこでひっそりと住んでいる老人夫婦の家をみつけて、かくまってもらい、老人夫婦の好意でそこに住みついた。 18歳の時に、山村の人々の世話で、身寄りのない若者と所帯をもった。結婚式も何もない貧しい者が寄り添った暮らしには、家財道具も何もなかった。周辺の人々が持ち寄ってくれた必要最低限の道具で2人の生活は始まった。しかし、私は常に追手の影におびえていた。私は夫に哀願を繰り返し、中国に逃げようとせっついた。そして中国の瀋陽に渡っていったのである。 解放は中国で迎えた。祖国の解放を知った私は、今度は故郷に帰りたくて、また「朝鮮に渡ろう」と夫に哀願した。夫は「お前は、前には中国にいこうとせっつき、今度は朝鮮に帰ろうと騒ぐ。いったいなぜなんだ」と聞いたが、私は過去のことは一切いわなかった。 1960年代に祖国に帰国した。祖国では協同農場の一員として夫婦で働いてきた。私たちの農場は稲作を主としてやっている。私は農民として働ける暮らしがうれしくて、本当に良く働いた。 ことしの3月27日にただ一人の身内である夫を亡くし、一人ぽっちになってしまった。夫にも過去を隠して暮らしてきた自分の半生がなんであったかを考えると、涙にくれるばかりであった。むなしかった。 今までにも、「慰安婦」時代を思い出して夜中に飛び起きて胸の締めつけられる思いを何度したことか。黙ってしまってきた過去を告発して楽になりたい、と思った。何日も考えた末に、みずから平壌中央テレビを訪ねていき、「私が元慰安婦です」と最初に名乗りをあげた。 (リ・ギョンセン 1917年6月29日生 咸鏡北道魚郎郡出身) http://tabakusoru.hahaue.com/ianhu.syougen.1992101200.html http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/51/
拷問の後遺症に苦しむ日 李福汝 私は4人兄弟の長女として生まれたが、両親は弟3人と私を残して亡くなった。乳飲み子の弟は、母の死後まもなく死んでしまった。私は6歳と7歳の幼い二人の弟の面倒を見なければならなかった。
住む家もなかったので、橋の下で雨露をしのぎながら、もらい乞食をしたり、農家の手助けをして生きるだけの食べ物を得て弟たちを養っていた。 私が数え17歳の夏であった。弟の一人が風邪気味なので、居住していた小屋に寝かせておいて食べ物をもらって帰ってきたら、日本人の、巡査なのか兵士なのか区別ができない男が二人あらわれて、いきなり有無を言わせずに、私の髪の毛をつかんで大きなトラックに放り上げるように乗せた。弟たちが驚いて「お姉ちゃん行くな」と泣き叫ぶ声に振り返ろうとしたが、男たちに蹴られて車に押し込められた。弟たちの「行くな」という声だけが聞こえてきて、姿は見ることができなかった。 トラックには、既に大勢の女性が乗っていた。幼い少女から20歳前後の娘たちでいっぱいであった。100人くらいはいたと思う。彼女たちは泣きわめいていたが、男たちは泣き叫ぶ私たちに蹴る殴るの暴行を加えながら黙らせた。周囲をうかがおうとしたら、「何を見ている」と言って足で蹴られた。 水原の駅から汽車に乗せられてソウルを経て大連に連行された。途中、鴨緑江のペネンという所で汽車が途中で止まったので、こっそり外をのぞいたら、鉄橋が二つに分かれて上がっていて川を横切る船が過ぎ去っていくのが見えた。そんな私を見とがめた男が、「何を見ている」と言って髪の毛をつかんで殴った。私は弟のことも心配だったし、これから何が起きるかもわからないので不安で泣きだしたら、また殴られた。 途中で娘たちの一部を降ろして行きながら、ハルピン、ボンチョン、牡丹江などを経由して東寧県北満州に到着した。そこで汽車を降りた。そこからはトラックに乗せられてプチャゴルに連れて行かれた。 プチャゴルには20人くらいの娘たちが連れて行かれた。到着すると将校がでてきて、「天皇と軍の命令だ。言うことを聞かないと殺す」と言って私たちを脅した。私は5号室に入れられたが、やがてあちこちの部屋から悲鳴が聞こえてきた。私はその日のうちに暴行された。 私は訳がわからないままに慰安婦にされてしまった。 それからは慰安婦として毎日2、30人の相手をされた。拒否すると見せしめに庭に引きづり出され木につるされ、「降参しろ」と迫った。 私たちが到着して間もなくのある日、2人の女性が慰安婦を拒否したというので木につるされていた。軍人たちは「慰安婦」たちを全員呼び集めた目前で「降参しろ」と迫った。しかし、彼女たちは「おまえら犬のようなやつに降参するか」と抵抗した。たけり狂った軍人は、私たちの目の前で乳房をえぐり、なぶり殺しにした。私は余りの残酷さに気絶してしまった。 鬼のような軍人たちは、2人の慰安婦の首を切り取り、それを、かまゆでにして、その煮汁を私たちに飲めと強要した。しかし、それを拒否すれば、私たちも殺される。殺されては生き延びる手立てもない。仕方なしに私たちは、それを飲んだ。こうしたことを、私たちは何度か体験した。 「慰安婦」たちは、常に20人くらいいた。病気で死亡したり逃亡に失敗して殺されたりした欠員は補充されていた。 ここの慰安所には8年いたが、そこにいた軍の部隊の名称はわからない。タカシマという名前と、イケダという50歳過ぎの眼鏡をかけたひげを生やした将校(大将)がいたことは記憶している。このイケダは、逃亡に失敗した私に拷問を命令した男である。 あるとき私は逃亡しようとして失敗した。捕らえられた私は、板にくくり付けられて何十人もの男たちに犯されて、2度と逃げ出さないようにするといって、足の神経を切られた。それがために現在の、この不具の体になった。 それから私は東寧県に連れて行かれ、そこで騎馬隊−騎兵隊に引き渡された。そこでは、砂地に天幕を張っただけの所に入れられた。そこには鉄条網が張られていたが、私は、そこ多くぐって、またも逃亡しようとして失敗した。その鉄条網に鈴がついていたのを知らなかったのである。 その時には、火で焼いたドラのような鉄板でお尻の右側に火傷をおわされる拷問を受けた。その時の火傷がケロイド状態で今でも残っている。(調査団のメンバーが肉眼で確認済み)。その火傷のために足がつって歩行困難になってしまった。いまだに、食をするのにもキチンと座ることができない。 それでも、はってでも逃げようと、私は逃亡することだけ考えていた。 ある時、チシャ(サラダ菜)に包んでご飯を食べていた慰安婦たちが、2口ほど食べたところで次々と倒れて死亡した。私は、歩行が不自由なので食事に遅れたが、それが幸いして、そのチシャを食べずにすんだ。 私は、はってそこを逃げ出した。その私を村の中国人が助け出してかくまってくれた。それが1944年であったと思う。中国人は朝鮮に逃げなさいと教えてくれた。1947年清津に帰国した。 私は、私の青春時代に、花の年齢に、私を拉致して「慰安婦」にし、こんな障害者にした日本軍人を許さない。 (リ・ポクニョ 1919年4月18日生 京畿道出身) http://tabakusoru.hahaue.com/ianhu.syougen.1992101202.html 12年間の「慰安婦」生活 金大日 私の実家は余りにも貧しかった。数え12歳のときに、わずかな米と引きかえに金持ちの家に下女として連れて行かれた。そこから日本人の経営する紡績工場に売られた。1932年、数え16歳のある日、今度はフクダという日本人がやってきて、「食べ物に困らないところに連れて行く」と言った。私は、またもや売られてのである。
私は、フクダと一緒に汽車に乗って釜山港に連れて行かれた。そこには朝鮮女性が20人くらい、あちこちから連れてこられていた。自分がどこへ連れて行かれるのか理解できないままに船に乗せられ、下船したのは下関であった。下関に上陸すると同時に、フクダという男は、「これからは朝鮮語を使ってはいけない。もし使ったら殺す」と脅し、そして「これからお前の名前はシズエだ」と行った。そこから連れて行かれたのが大阪の病院であった。 病院では雑用をさせられた。地で汚れた包帯やガーゼ、患者の大小便で汚れた衣類の洗濯など、日本人が嫌ってしない汚い仕事は全部させられた。 来る日も来る日もべっ視と屈辱的な扱いの中で、長時間の労働を強いられ、外出する機会も与えられず、病院の雑用を押し付けられていた。 数え18歳になったお正月の夜、病院の院長だと名乗った男が、私の部屋に入ってきてナイフを突きつけ、「私の言いなりにならなければ殺す」と脅して、叫び声をあげた私の口を手で押さえて暴行した。その日まで、私は院長の顔も知らなければ会ったこともない。院長は「お前は美しいので、前から目をつけていた」と言った。 それから、しばらく経ったある日、院長が「お前のこの病院で2年も奉公したから、今度はもっと良いところに行かせてあげよう」と言って、見知らぬ日本人の男に私を引き渡した。 その男は、私を東京に連れて行った。そして、日本の軍隊に「挺身隊」として送り込んだ。そこには朝鮮女性が30人くらいいた。1934年のことである。現在では「従軍慰安婦」と言っているが、私が当時、言われたのは「挺身隊」とはっきり記憶している。 そこで、軍隊と一緒に連れて行かれたのが旧満州である。まず、東京から船で釜山へ行き、釜山から汽車で新京、それからハルピン、チチハル、牡丹江であった。そこで私のほかに数人の女性が選ばれて、船に乗せられて連れて行かれたのが上海であった。 上海には既に朝鮮女性が大勢いた。その女性たちは、「あなたはどうしてこんな所にきたの」と言いながら私を哀れんだ。私は、「お姉さんたちと同じように無理やり連れてこられました」と答えるしかなかった。 上海では中国人の民家の2畳くらいの部屋に入れられた。部屋の前には番号が40くらいふってあって、私は12番に入れられた。その夜、将校たちが私を暴行した。それからは1日4、50名もの日本兵が私の部屋の前に列をなし、「早く早く」とせかして先を争い、入れかわるとすぐにのしかかってきた。私は起き上がる暇もなかった。 私が最初に従わせられた軍隊は12師団で、その師団の移動に伴って私たちは引きずり回された。上海の次にはハンカオへ連れて行かれた。そこから南京、トウヨウ、キショウと、転戦する軍隊に従って中国各地を連れ回された。 日本の軍隊のなかでも九州6師団が一番悪かった。他の日本軍は胸に標識をつけていたが、九州6師団はそでに標識をつけていた。 私はこうして12年間も慰安婦生活を強いられたが、中でも6師団に加えられた数々の暴行は、決して忘れられない。彼らは酒に酔ってやってきて短刀を突きつけて、「おれの言うことを聞かないと殺す」と身体を傷つけたりした。「この朝鮮ピー」とさげすみながら私たちを威嚇した。彼らはまた、ほかの兵士が先に入っていても、「早く出てこい」と言って脅し、先の者がまだいるのに押し入ってきて性行為を強要した。 私は、こんな「慰安婦」生活がのろわしくなって自殺を2度も図った。2度ともすぐに発見され、生き返らされてしまった。生かしたのはアキカワという大隊長で、「この女は見殺しにするのは惜しい、使い道があるから生かせ」と言った。私には死を選ぶ自由もなかった。 私は、何か言うと「殺す」と言って脅していた6師団の兵士に、ある日、覚悟を固めて「私も朝鮮人だ。朝鮮人の女の心意気を見せてやる。殺すなら殺せ」と反抗したために縛られて、ひどい拷問を加えられた。それを見ていたアキカワ大隊長が、「それ見ろ。この女は度胸がある。使い物になるから、殺すな」と言って止めた。そのために、私は地獄のような「慰安婦」生活を続けなければならなかった。 ある時、私は50人もの兵士を相手にして気絶してしまった。その私に彼らは「ノーシン」という薬を飲ませて意識を回復させて行為を継続させようとした。しかし、私がもうろうとして使い物にならないとわかると、たばこに火をつけて鼻や口に押し付けるなどの屈辱を加えた。 めったなことではたじろがない私が、恐怖に震えたことがある。それは6師団の兵士の蛮行であった。6師団の一将校が、「おれは、飽きたからお前がやれ」と連れてきたセパード犬を私にけしかけたのである。その時はあまりにもの恐怖で、さすがの私も「助けて」と大声で叫び、周囲の部屋から「慰安婦」たちが飛び出してきたほどである。 こうした屈辱は、私ばかりでなく他の朝鮮人「慰安婦」たちも同じくあじ合わされたばかりか、短刀で傷つけられたり、中には殺された者もいる。 こんなことがあった。私の隣の部屋にいた全羅道出身の知らぬ間に妊娠した。彼らは妊娠しているのもかまわず性行為を強要し、ついには性行為の最中に流産した彼女のおなかを日本刀で切り裂き、出てきた胎児をごぼう剣で刺し殺し、妊婦までも殺したのである。 日本の敗戦も濃厚になってきたころ、軍人たちは、私たちが朝鮮語で話したりすると神経質になって、「日本が負けると言っただろう」と執拗に迫り、日本が負けることになったら「お前ら皆殺しにする」と言って脅した。 ○火のついた煙草を鼻や子宮に入れる
○将校が「おれは、飽きたからお前がやれ」と言ってシェパードをけしかける ○戦闘で負けた腹いせに慰安婦に銃を乱射して殺したり、穴を掘って入れ、手榴弾を投げ込む ○妊婦の腹を裂き胎児を刺し殺した後、妊婦も殺す ○慰安婦150人を並ばせて斬首 日本の敗戦が決定的になったころ、血迷った彼らは、朝鮮人と中国人の慰安婦ら150名くらいを2列に並ばせて、「かかれ」と小隊長が号令をかけた。両端から日本刀を振りかざした兵士らが襲いかかり、皆殺しを始めた。飛び散る血の雨に私は意識を無くして倒れた。私には3、4日くらい時間が過ぎたように思う。意識を取り戻してみたら、その血の海の中で、私のほかに2名が生き残っていた。
はうようにして近くの中国人の家に助けを求めに行った。「私は朝鮮人です。助けてください」と必死に叫んだ。 中国人は数日間かくまってくれて、中国服を一着くれた。それを着て朝鮮人の家を探して行き、そこでしばらく世話になった。8月15日の解放は、その朝鮮人に教えられた。 9月になってどうしても故郷の両親に会いたくて、世話になった朝鮮人の家族に旅費を借りてやっとの思いで故郷に帰ってきた。しかし、両親は既に死亡していた。 私が日本人からもらったものは病気だけ。子宮はメチャメチャにされ、心臓は悪くなり、腸も悪くて下痢ばかりして、今でも病院に通っている。 日本軍の通った中国大陸の隅々には、犠牲になった朝鮮女性の血がしみこんでいる。このことを知ってもらいたい。
日本人に問いたい。立場を変えて、あなた方の娘も姉妹、妻や母が私のような体験をさせられたとしたらどう思いますか。 (キム・デイル 1916年11月5日生 黄海道沙里院市出身) http://tabakusoru.hahaue.com/ianhu.syougen.1992101204.html http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/51/ 使い捨てにされた朝鮮女性 金英実 両親、祖母と妹2人、弟1人の7人家族の長女として生まれた。家庭が貧しかったので数え13歳のとき、咸鏡北道の会寧に住んでいた父の妹のところにいった。
会寧は、私の故郷に比べれればそれでも働き口があるというので、叔母の家で世話になりながら、近所の雑用をして働いた。数え18歳のとき居酒屋で雑用係をしていた。 1941年のある日、そこに背広を着た日本人があらわれて「条件の良い仕事をあっせんしてやろう」と話しかけてきた。「条件の良い仕事」なら故郷の家族に仕送りができるので、家計を助けるためにもやってみたいと思った。故郷を離れたといっても叔母のそばで働いていたので、見知らぬ土地にいくことには不安があった。しかし、少しでも条件の良い仕事をして故郷に仕送りできればと考えていたので、集合場所に指定されていた村の日本人区長の家にいった。いって見ると私と同世代の女性が、既に14、5 人集まっていた。 区長の家の前にはトラックが迎えにきていた。それに乗って会寧駅にいき、そこで昼食時に汽車に乗り換えてアオヂを経由してウンドクに到着したのは夕刻であった。そこからチョンアクドンにいくと、ほろ付きのトラックが待機していた。それに乗せられて30分ばかり走ったところの山中に連れていかれた。 その山中には日本の軍人がいっぱいいた。 私たちは中国と旧ソ連の国境地帯の、少し奥地に入ったところに連れていかれたが、到着してみるとそこには既に、10人位の朝鮮女性がいた。女性たちは私たちに、「なぜこんなところにきてしまったのか。ここからは生きてでることはできないのに」と悲しげに話しかけてきた。私には何のことかわからなかった。 軍人がやってきて私たちを最初に倉庫に連れていった。今まで着ていた朝鮮服を脱いで和服に着替えろと強制した。私は恐怖と羞恥から拒否すると殴る蹴るの暴行を受け、むりやり裸にされて着替えさせられた。そして、「ここでは朝鮮語を使うと殺す」と脅かされた。 その日、一緒にきた女性たちの一部は他所へ連れていかれ、彼女たちがどこへ行ったのか、どうなったのか一切わからない。私は人間2人が入ればいっぱいになるような部屋に入れられた。 夜、麦御飯とスープだけの粗末な夕食をだされたが、恐怖でのどをとおらなかった。ただどうにかして逃げ出さなければとばかり考えていた。そんなことを考えていたときに、私たちを連行してきた男が軍服を着て入ってきた。将校(肩に星が3つ付いていた)の軍服を着てきた。将校はいきなり入ってきて有無をいわさず私を強姦した。この将校は、それからも和服に着替えてどこかにでかけていっては、朝鮮女性を連れてきて「慰安婦」にした。そればかりか、ここにいた女性をどこかへ連れ去りもした。 最初の日の夜は、その将校の外に7人もやってきて私に暴行を働いた。私が7人という数字を記憶しているのは、それまで想像もできなかったつらい暴行を受けて、この後何人にこんな思いをさせられるのかと思い詰めていたからである。厳しい監視の中で私は逃げ出す方法も考えられないままに、そのままそこで「慰安婦」を強いられることになってしまった。 食料事情は悪く、ろくな食べ物はなかった。そのために栄養失調と過労のために病気になるものが多かった。重病のために役に立たないものとわかると、病死者も含めてどこかに連れ去られた。彼女たちがどうなったかはわからない。ただ、行って見たことはないが、豆満江がすぐ近くを流れていたので、そこが墓場になったのではないだろうか。 この周辺のアオヂ、チョンアクドン、クロン、サフェなどには付設の慰安所があったが、ホンイリにはなかった。 慰安所のないところには私たちが派遣させられて奉仕させられた。そこには週に1〜2回いかされ、朝から翌朝まで奉仕させられた。時には1泊2日で夜中に帰ってくることもあった。 私たちのグループは常に14、5 人で、欠員がでるといつのまにか必ず補充されていた。 ある日、「トキコ」と呼ばれていた私より幼い女性が朝鮮語を使ったという。それをみとがめた将校が私たち全員を呼び集め、その前で見せしめに、幼い「トキコ」の首を日本刀ではねて殺した。あまりの恐ろしさに泣き叫ぶ者、気絶する者もいた。私はただうつむいて声をだすこともできなっかた。それからは、日本語のよくわからない私たちは、ただ目と目で語り合うことしかなかった。 また、「ジュンコ」と呼ばれていた女性は、妊娠に気付かぬうちにいつしか臨月に近くなっていた。軍人たちは、「ジュンコ」が出産する直前まで「慰安婦」として利用していた。ある日、彼女が出産した。彼女の部屋に入っていった将校は、生まれた乳児を布で包んでどこかに連れ去った。そして、衰弱した「ジュンコ」が役に立たないと思ったのか、彼女をどこかに連れ去っていった。それっきり私たちは、彼女の消息を聞いていない。 ここにいたらいつか私も殺されると思った。 1945年8月13日、軍人たちが、「日本に帰るから、お前たちも一緒に連れていく」といった。ここでもこんなに辛い思いをさせられいるのに、日本にいけばどうなるのか見当がつかない。そこで皆と話し合い逃げることに決めた。一緒だと捕まるのでバラバラに逃げようと約束した。 その夜、私はトウモロコシ畑にひそみ、明け方、山に登っていった。山の中で2日くらい隠れていて、そこから山のふもとの人家を探していき、そこで食べ物をもらった。祖国の解放はその時聞いたが、信じられず捕まることを恐れて、ずっと山の中に潜んでいた。 秋になって清津にでてきた。 (キム・ヨンシル 1923年10月21日生 両江道普天郡出身) http://tabakusoru.hahaue.com/ianhu.syougen.1992101201.html
チョン・オクスン(ChongOkSun) 現在74歳のチョン・オクスン(ChongOkSun)の証言は、日本帝国陸軍の兵士による性的暴行と日々の強姦に加えて、これらの女性が耐えなければならなかった残酷で苛酷な取り扱いを、とくに反映している。
「私は1920年12月28日、朝鮮半島北部咸鏡南道のプンサン郡フアバル里で生まれました。
13歳の時の6月のある日、私は畑で働いている両親のために昼食の用意をしなければならなかったので、村の井戸に水を汲みに行きました。そこで一人の日本 の守備兵が私を不意に襲い、連れて行きました。ですから両親には自分の娘に何が起きたか分かりませんでした。私はトラックで警察に連れて行かれ、数人の警 官により強姦されました。私が叫ぶと彼らは口に靴下を押し込み強姦を続けました。私が泣いたので警察署長は私の左目を殴りました。その日、私は左目の視力 を失いました。 10日ほどして私はヘイサン市の日本陸軍守備隊の兵営に連れて行かれました。私といっしょに約400人の朝鮮の若い娘がいて、毎日性奴隷として5000人以上の日本兵の相手をしなければなりませんでした――一日に40人もです。 その度に私は抗議しましたが、かれらは私を殴ったり、口にぼろきれを詰め込んだりしました。あるものは、私が抵抗をやめるまで秘所にマッチの棒を押し当てました。私の秘所は血まみれになりました。 一緒にいた一人の朝鮮の少女が、どうして一日に40人もの大勢の相手をしなければならないのかを尋ねたことがあります。質問したことを罰するため、日本の 中隊長ヤマモトはこの少女を剣で打つように命じました。私たちが見ていると、 彼らは少女の衣類をはぎとり、手足を縛り、釘の出た板のうえを、釘が血と肉片 で覆われるまで転がしました。 最後に、彼らは彼女の首を切りました。別の日本人ヤマモトは、 「お前たちみんなを殺すのは簡単だ。犬を殺すよりもっと簡単 だ」 と語りました。彼はまた 「こいつら朝鮮人少女は食べ物がないといって泣いているから、この人肉を煮て食べさせてやれ」 とも言いました。 ある朝鮮人少女は、頻繁に強姦されたため性病にかかり、そのために50人以上の日本兵が病気にかかりました。病気の蔓延を防ぎその朝鮮人少女を「無菌化」 するため、彼らは焼けた鉄棒を彼女の秘所に突き刺しました。
あるとき彼らは私たちのうち40人を、トラックに乗せて遠くの水たまりに連れて行きました。水 たまりは水と蛇でいっぱいでした。兵隊たちは数人の少女を水のなかに突き落とし、水たまりに土をどんどん盛り、彼女たちを生き埋めにしました。 ○「兵隊一〇〇人の相手ができるのは誰か」と刀を下げた兵隊が聞いた。その時に手を上げなかった一五人の女性は、他の女性への見せしめとして殺された。その方法は、裸にした女性たちの頭と足を兵隊たちがつかみ、一面に釘を打った板の上をゴロゴロと転がしたのだ。噴水のように血が噴きだし、釘には肉片がこびりついた。
○鄭さんたちが泣いているのを見た中隊長は、「慰安婦たちは肉を食っていないので、肉が食いたくて泣いているんだ」と言った。兵隊たちは、殺した頭を釜で煮始めた。そして、鄭さんたちを木刀で叩いて、無理やりその汁を飲ませた ○オ・チョンヘという女性が、将校によって子宮に鉄の棒を押し込まれて殺された ○オ・ズンイとう女性が、梅毒にかかったことを知らせなかったため将校にうつったという理由で殺された。彼女は口に布を詰められ、焼いた鉄の棒を子宮に入れられて即死。引き抜いた棒には肉がこびりついていた ○鄭さんの口にゴムホースが押し込まれ、水が注がれた。膨れ上がったお腹の上に板が乗せられ、兵隊がシーソーのように踏みつけた ○鄭さんたちは、足首を縄で縛られて逆さに吊り下げられた。兵隊は、針がたくさんついた拳大の黒い塊を持って来てそれに墨をつけた。そして、鄭さんや他の女性たちの口をこじ開けて強く押し込んだのである。鄭さんの前歯は折れ、激しい痛みで再び気を失った ○口だけでなく全身に刺青がおこなわれた。兵隊たちは、殺す前に女性たちの肉体に落書きをしたのだ ○兵隊たちは数人の少女を水のなかに突き落とし、水たまりに土をどんどん盛り、彼女たちを生き埋めにしました 守備隊の兵営にいた少女たちの半分以上が殺されたと思います。二度逃亡を企てましたが、いつも数日で捕まってしまいました。私たちはいっそうひどく拷問を うけ、私はあまりに多く頭を殴られたので、どの傷もまだ残っています。
彼らはまた私の唇の内側や胸、腹、体に入れ墨をしました。私は気絶しました。気が付いてみると、私は恐らく死体として捨てられて山の蔭にいました。私といっしょにいた二人の少女のうち、私とク・ハエ(KuHae)が生き残りました。山の なかに住んでいた50歳の男が私たちを見つけ、衣服と食べるもの多くれました。彼はまた朝鮮に帰るのも助けてくれました。私は、日本人のための性奴隷とし て5年間使役されたのち、18歳のときに、傷つき子を産めない体で、言葉を話すのも難かしいありさまで帰国しました」。 http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data5/data5-5kumarasuwami.html http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/51/ ファン・ソギョン(HwanSoGyun) 77歳のファン・ソギョン(HwanSoGyun)の証言は、大勢の娘たちを軍事的性奴隷に誘い込んだ詐欺的方法による徴集方法の証拠となる。
「私は、1918年11月28日に日雇い労働者の次女として生まれました。私どもは平壌市カンドン区のタエリ労働者街に住んでいました。17歳のとき、1936年のことですが、部落の長がやってきて私に工場の仕事を世話すると約束しました。私の家はたいへん貧しかったので、私は喜んでその 収入の良い仕事を引き受けました。私は日本のトラックで、すでに20人ほどの朝鮮の娘たちが待っている停車場に連れていかれました。私たちは汽車と、その 次にはトラックに乗せられ、数日間の旅ののち中国の牡丹江のほとりにある大きな家につきました。私はそれが工場だと思いましたが、工場などないことが分か りました。少女たちは、わらの布団があり、ドアに番号がついている部屋を、一人に一室ずつ割り当てられました。 何が身に降りかかるかも知らず二日間待った後、軍服をきて帯剣した日本兵が一人私の部屋にやってきました。彼は「自分の言うことを聞くかどうか」と尋ね、 私の髪の毛をつかんで床のうえに倒し、足を開くようにいいました。彼は私を強姦しました。彼が離れたとき、私は外で20人か30人の男たちが待っているの を見ました。全員がその日私を強姦しました。それ以来、私は毎晩15人か20人の男たちに襲われました。 私たちは定期的に医学的検査を受けなければなりませんでした。病気にかかっているとわかると、殺されてどこか分からない所に埋められました。 ある日、新し い娘が私の隣の部屋に入れられました。彼女は男たちに抵抗を試み、そのうちの一人の腕に噛み付きました。 そのあと彼女は中庭にひきだされ、我々全部の見て いる前で刀で首を切り落とされ、体を切り刻まれました」。 ァン・ソギュン(HwangSoGyun)は、性奴隷として7年間日本兵の相手をさせられた後、1943年に「慰安所」から逃げることができた。その後39歳のとき結婚することができたが、家のものに過去を語ったことはなかった。心理的肉体的な傷と婦人科的問題のため、子供をもつ ことはできなかった。 http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data5/data5-5kumarasuwami.html ファン・クムジュ(HwanKumJu) 現在73歳で、韓国永登浦区のドンチョン洞に住んでいるファン・クムジュ(HwanKumJu)の証言は、陸軍が慰安所を運営した際の規則類を例示している。
「17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に日本軍の工場に働きに行くように命じました。そのとき私は労働者として徴用されたのだ と思いました。3年も働いたころ、ある日一人の日本兵が自分のテントについてこいと要求しました。
かれは着物を脱げと私にいいました。たいへん怖かったの で抵抗しました。私はまだ処女でした。しかし彼は銃剣の付いている銃で私のスカートを引き裂き、下着を体から切り離しました。そのときに私は気を失いまし た。そしてふたたび気が付いたときには毛布を掛けられていましたが、あたり一面に血が付いていました。 そのときから最初の1年間は、いっしょにいた全ての朝鮮の少女たちと同様に高級将校の相手をするように命令されましたが、時がたち私たちがますます「使役」されるのにしたがい、私たちはもっと下級の将校の相手をするようになりました。もし誰かが病気になれば、その人は消えてしまうのが普通でした。また私 たちは「606号注射」を与えられましたが、それは妊娠しないようにするためや、妊娠したときにいつも流産するようにするためでした。 衣類は一年に2回しか与えられず、食べ物も足りず、餅と水だけでした。私たちの「サーヴィス」には、支払いはありませんでした。私は5年間「慰安婦」とし て使われましたが、そのことで一生苦しめられてきました。私の内臓は何度も病におかされるたび、手術で取り除かれており、苦痛と恥にみちた経験のために、 性交渉を持つことはできません。私はミルクや果汁を吐き気を催さずには飲むことができません。彼らが私に押し付けた汚らしい事柄をあまりにもたくさん思い 出させるからです」。 ファン・クムジュ(HwangkumJu)が特別報告者に語ったところでは、中国の吉林省の慰安所での最初の日に、日本兵からこ こには従わなければならない五つの命令があり、従うか死ぬかだといわれたという。 第一、天皇の命令。 第二、日本政府の命令。 第三、彼女が所属している陸軍 中隊。 第四、中隊のなかの分隊。 そして最後に彼女が自分に仕えているテントの持ち主としての彼の命令。 http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data5/data5-5kumarasuwami.html キム・ボクスン (KimBokSun) また別の生存者、韓国のキム・ボクスン (KimBokSun)は、性奴隷としての自分の生活は、軍により直接に統制されていたと証言した。 毎日午後3時から9時は下士官の相手をしなければならず、 午後9時以後の夜は将校のためにとっておかれた。 また大部分の兵隊たちはその使用を拒否したが、全ての女性は兵隊たちを性病から守るため、コンドームを支給された。 http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data5/data5-5kumarasuwami.html 朴永心(パク・ヨンシム) 朴永心の証言 『女性国際戦犯法廷の全記録・ 第5巻 日本軍性奴隷制を裁く-2000年女性国際戦犯法廷の記録』http://www.ryokufu.com/books/ISBN4-8461-0206-8.html −−どのようにして日本軍「慰安婦」として連行されたのですか。
朴証人:私は四人兄弟の三番目です。上に兄が二人、下に妹が一人いました。幼い頃母を亡くし継母に育てられました。家はとても貧乏でした。一四歳のとき南浦に行き洋服店の女中として働きました。
一七歳のときでした。一九三八年三月だったと思います。ある日、日本の巡査が軍服に帯剣のいでたちで洋服店に現れました。彼はいい金儲けの口があるが行かないかというので、そのままついて行きました。そうして私は日本軍の性奴隷になったのです。 −−「慰安婦」として連れ回された経路について。 朴証人:はじめ、ほかの娘と一緒に平壌に連れて行かれました。二二歳の女性でした。車に乗せられしばらく走り続けました。数日後着いてみると見たこともない所でした。最初に連れられて行ったのが南京でしたが、そこの「キンスイ楼」に入れられました。私はそこで歌丸という日本名で呼ばれました。そこで三年ほど性奴隷の生活を強要されたと思います。 たしか一九四二年頃だったと思います。ある朝、表へ呼ばれました。出てみると七名の別の女性たちもいました。皆朝鮮女性たちでした。一緒に行こうと言うのでしたが二名の日本人兵士がいました。その二名が私たちを監視しながら慰安所を後にしました。別の慰安所に行くというのです。 私たちは南京で汽車に乗りました。上海に行きました。船に乗り換えシンガポール経由でビルマのラングーンに着きました。ラングーンからラシオにある「イッカク楼」へ行きました。慰安所の名前です。そこでまた性奴隷の生活をすることになりました。慰安所の〔経営者が私に名前を付けました。若春という日本名でした。ラシオには二年ほどいました。私がその時相手をしていた二名は今でも名前を憶えています。オオタミノルという将校とタニという軍曹です。 一九四三年〔正しくは四四年〕春だったと思います。日本軍は私たちを再び車に乗せビルマと中国の境にある拉孟(ラモウ)へ連れてゆきました。日本軍はそこを松山と呼んでいました(中国側の呼称が松山)。その時から連合軍の捕虜になるまでそこにいました。日本軍の性のなぐさみものとしてだけ生かされました。 松山に来て間もなく猛攻撃が始まりました。連合軍の爆撃でした。私たちがそこで相手をさせられたのは日本軍第五六師団でした。主に歩兵と戦車兵の相手をさせられました。毎日数十名の日本軍から性行為を強いられました。その合間を縫っては握り飯を作り、爆撃の中を運びました。日本軍の戦闘壕へ運んで行ったのです。そこには初め一二名の朝鮮女性が連れられて来ましたが、八名が爆撃で死に私たち四名が残りました。 −−その後、生き残った「慰安婦」たちはどうなったのですか。 朴証人:私たちは……日本軍が日本国民を乗せるということを[……]。日本が敗れたのです。日本軍は、戦争に敗れると何の知らせもなく自分たちだけで逃げました。私たち朝鮮女性四名は、怖くなって防空壕に隠れましたが、中国軍にみつかりました。それで外へ出ましたが、私たちを取り調べたのは米軍将校でした。米将校があれこれと質問しました。 −−ここに一九四四年九月三日、米軍が朝鮮人「慰安婦」を捕虜にしたという写真があります。ここにあなたはいますか。 朴証人:これが私です。この服装で裸足で、……髪も編み下げ〔おかっぱのことと思われる〕にして、確かに私です。連合軍の捕虜になった時、妊娠していました。 −−捕虜になった後どうなりましたか。 朴証人:トラックに載せられ昆明の収容所へ行きました。収容所で捕虜として扱われました。そこには日本軍捕虜がいました。収容所にいってから、おなかがカチカチに張ってきてとうとう出血しました。収容所内の病院に入院しました。中国人医師が注射をし手術しました。妊娠した後も日本軍に絶えず性行為を強いられたのが原因だったと思います。胎児が死んだのです。 収容所には一年ほどいたと記憶しています。 http://d.hatena.ne.jp/noharra/11001201/p2 李桂月(イ・ゲウォル) 1922.9.6、黄海南道碧城郡に生まれる。5歳の時、父の死亡と共に家を追い出され、2年間乞食生活を送る。8歳の時、面(※地方行政の最下級機関)の書記の家に子守りに入り、13歳の時、書記に旅館の下働きに売り渡される。15歳になった年、村の区長に「よい仕事を斡旋する」と言われ、ハルピン近くにある日本軍の慰安所に連れて行かれる。1939年、日本軍の将校に酒を飲ませて酔わせ、隙をみて逃亡した。
十五歳になった年の3月頃のことです。ある日、村の区長が訪ねて来て旅館の主人に何か話し、私を呼んで「ここで苦労をしなくてもいいように仕事を斡旋するから、いい所に行こう」と言いました。私は住み慣れた所がいいと思い、行かないと言ったのですが、区長は私の腕を掴み、旅館から少し離れた駅に無理やり私を連れて行きました。十五歳といっても私は背が低く、体も弱かったので、私は区長にひっぱられるままでした。
駅には二人の日本軍人がいました。一人は肩章に星がついた将校で、「タナカ」という名前の男でした。彼らは私を引き取ると無理やり有蓋貨車(屋根のある貨車)に押し込んだのです。貨車の中にはすでに二人の娘が乗せられていましたが、二人は私より年下の十四歳と十三歳の少女でした。 翌日、中国のハルビンに着いて、私たちは汽車から降ろされました。〜(中略)〜着いた所は民家一つない日本軍の駐屯地でした。「タナカ」は私たちを駐屯地の建物に監禁したのです。 私は住み慣れた所がいいと思い、行かないと言ったのですが、区長は私の腕を掴み、旅館から少し離れた駅に無理やり私を連れて行きました。〜(中略)〜駅には二人の日本軍人がいました。一人は肩章に星がついた将校で、「タナカ」という名前でした。彼らは私を引き取ると無理やり有蓋貨車(屋根のある貨車)に押し込んだのです。〜(中略)〜日本兵は私たちが逃げるのを恐れて貨車に鍵を掛けたので、私たちは外に出ることができませんでした。 ○私は部屋に入って来た将校に「体の調子が悪い」と言って相手をすることを拒絶したのですが、〜(中略)〜将校は私を押し倒して腹や胸を蹴り、しまいには軍刀のさやで額を殴りました。私のあばら骨は折れ、額からは血が流れ、とうとう私は気を失ってしまいました。
○「死んでない」と言いながらたばこに火をつけて私の腹に押し付けました。私の体が熱さと痛さでひくひくとするのを見て、「タナカ」は「おもしろい」と言い、たばこを取り替えながら更にあちこちにたばこの火を押し付けたのです。 ○日本兵は「皇軍のために頑張れ」と言い、「100人でも200人でも入って来るだけ奉仕しろ」と命令しました。 ○日本兵は妊娠している女は不必要だと言って軍刀で彼女の腹を切り裂きました。 ○ある日、日本兵は泣き出すイ・プニの頭を石にぶっつけて殺してしまいました。 ○五人の女性が逃亡して捕まえられたことがありましたが、日本兵は見せしめのつもりで「慰安婦」たちを全員集合させ、彼女たちを裸にして縛って井戸の中に投げ込んで殺しました。 ○私は夢中で葦原を抜け出し、どこともわからないまま川辺を走っていきました。すると、川辺で釣りをしている朝鮮人が目に入り、私は彼に助けを求めたのです http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/27/ 郭金女(カク・クムニョ) 1923.1.8(注)、忠清南道天安郡(チョナングン)生まれ。生活は苦しく、14歳の時、日本人の家の子守りをし、16歳の時、日本人が経営する製紙工場で女工として働く。1939年10月頃、工場経営者が「ソウルの食品工場で働くことになった」と言って日本人に引渡した。中国牡丹江穆稜(ソ連国境地帯)にある慰安所に入れられる。2年後、警備の歩哨の隙を見て慰安所から逃げ出す。
私の故郷は、南朝鮮の忠清南道天安です。兄が一人、姉二人に妹一人の五人兄弟でした。私が八歳の時に父は亡くなり、母が地主の家で働きました。炊事をしたり、衣類を縫ったりという仕事です。もちろん、子供たちは学校には行けませんでした。
私は全羅南道順天の日本人の家で子守りとして働いた後、一六歳の時に全羅南道光州の製糸工場へ働きに行きました。ここは日本人の経営でした。カイコから糸を取るのが仕事で、お腹が空いている時にマユの中のサナギを食べたこともあります。 ここで一年間働いた時、呼ばれて事務所に行くと刑事らしい日本人の男がいました。私が刑事だと思っている理由は、後に列車の中で拳銃を持っているのを見たからです。 「パンや飴を作る『京城』(現在のソウル)の食料工場で働くと、お腹がいっぱりになるので行くように」と言われたんです。私を含めた娘たちの名簿が、会社から刑事に渡されました。 ソウルまで汽車で行き、旅館に泊まりました。その翌日になると、「牡丹江に行こう」と刑事が言い出したんです。「なぜ中国に行くのか?私は行かない!」と抗議したところ、「朝鮮は植民地なので、どっちみちお前たちは死ぬのだ!」と言われ、列車に無理やり乗せられました。 そして翌々日の朝、牡丹江に着きました。駅の待合室に二〇分ほどいると、幌のついた車のトラックがやってきました。降りてきた憲兵に、「長谷川さん、二〇人連れて来ました」と刑事は言っていました。そのトラックに乗せられ、「満州」(中国東北地方)とソ連の国境地帯にある穆稜という所に着きました。 私たちは、憲兵隊が駐屯している三階建ての建物に連れて行かれ、畳の部屋に入れられて鍵をかけられました。出されたご飯も食べず、その夜はみんなで泣いていたんです。 翌日、医者と看護婦が私たちを診察しました。今考えれば、病気を兵隊にうつさないためです。連れて来られた女性の一人は、顔がまっ黄色でした。そのため地下室に入れられてしまい、後に亡くなりました。 大きな建物の中は仕切られていて、一〜二〇番までの部屋があり、私は「一番」の部屋をあてがわれました。中はタタミ二畳ほどの二人がようやく横になれるくらいの広さでした。大切な髪を短く切られ、来ていたチマ・チョゴリを浴衣に着替えさせられたんです。このチマ・チョゴリは母が作ってくれたものなので、くやしくて泣きました。日本人に「レイコ」という名前をつけられました。 部屋にいると、憲兵の将校が入ってきました。彼は刀を壁に立てかけてから服を脱ぎ、私にのしかかりました。その当時の私は何も知らない娘でしたから、その日本兵を虎よりも恐ろしく思いました。私は泣き叫んで、将校の手を噛みました。すると血を流した将校は、麻酔の注射を私にしました。一分も経たずに気を失った私は、将校に犯されたんです。〜(中略)〜 一日に二〇〜三〇人もの相手をさせられました。抵抗した私に、「子宮を取ってしまうぞ!」と言って小さなナイフで切りつけてきた将校もいました。刀で刺された太股の傷痕は今も残っています。むこうずねは刀でえぐり取られました。私の体は刀傷だらけです。 「言うことは聞かない」と言って、兵隊が私の腕をねじり上げたことがあります。骨折して腕が動かなくなってしまい、二ヵ月間ぐらいギブスをして生活しました。髪をつかんで引きずられたこともありました。痛いというよりは悔しい思いだけでした。 こうしたことをされたのは、私だけではありません。私と一緒に連行された李春心という娘がいました。日本兵は彼女を犯そうとしましたが、彼女は泣き叫びながら激しく反抗しました。 すると将校は、彼女の乳首を歯で噛み切ってしまったんです。そこから血が吹き出し、彼女は気絶しました。彼女はその傷で破傷風にかかり、死んでしまったんです。子宮を蹴られて、二日後に死んだ女性もいます。 「言うことを聞かないと地下室へ入れるぞ!」
と日本兵は言い、私たちをそこへ連れて行きました。その地下室には、ここで殺された娘たちの死体が捨てられていました。腐った匂いが充満し、少しでもそれを嗅げば頭が痛くなるほどひどい所でした。 逃げようとして捕まった女性がいました。私たちが見ている前で日本兵は、皮のベルトで彼女を叩いたんです。「私たちは逃げないから、その女性をこれ以上叩かないで!」と頼みました。ですが、その女性は一週間後に亡くなり、その地下室へ捨てられたんです。このようにして殺された女性は一〇人ほどになります。 ○みな処女であり、初めてのことだから恥ずかしくて検診を拒んだのですが、軍医は「言うとおりにしなければ殺す」と脅しました。
○私は必死で抵抗したため、日本兵は怒って私を殴ったり蹴ったりしました。そして「子宮を切り取ってやる」と言い、刀で切りつけました。私は血だらけになって気を失ってしまいました。 ○私と同じ工場からひっぱられて来た「エイコ」と呼ばれていた金徳女(キムトンニョ)は、乳首を噛み切られ、破傷風になって死んでしまいました。 ○慰安所の建物には地下室がありましたが、日本軍人は死んだ「慰安婦」を山に葬るのではなく、地下室に投げ込んでおいたのです。そして、軍人に反抗したり、逃亡しようとする女性たちを、その地下室に閉じ込めました。 「これでは自分も殺される」と思った私は逃げる決意をしました。一一月頃のある日曜日。歩哨が居眠りをしている隙に、小さな門から一人で逃げ出したんです。朝の四時でした。
八キロメートルほど行った所に「朝鮮病院」と書かれた建物がありました。私は朝鮮語の文字を少しは知っていました。それは朝鮮人が経営する個人病院でした。「助けてください。私は『慰安婦』にされていました」と言うと、医者の妻がごはんを炊き始めたんです。「食事どころではない」と思った私は食べずにいました。すると、「何とか匿ってあげるので、この病院にいなさい」と言ってくれたんです。金という名の医者は咸鏡南道出身で、三五歳くらいでした。 http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/27/ 金英淑(キム・ヨンスク) 1927.1.24、平安北道秦川郡(テチョングン)生まれ。10歳の時、地主の妾の家で奉公をする。1940年、13歳の時、日本人の巡査に「お金が稼げる仕事がある」とだまされ、中国の瀋陽にある憲兵隊専用の慰安所に入れられる。五年間後の1945年3月頃、慰安所を脱出してモンゴルに逃れる。
今は平安南道温泉郡で暮らす金英淑さんは、平安北道泰川郡で生まれた。あまりにも生活は貧しく、母親は家族を捨てて逃げ出した。父親は日本人が経営する金鉱山で働いていたが、日本人の現場監督からひどい暴行を受けて死亡。金さんと弟の二人が残された。その時一〇歳だった金さんは、地主の三番目の妾の家で働くことになった。「水瓶を割ってしまった時など激しい叱責を受けました。夜明けから夜空に星が輝くまで私の涙は乾くことがなかったんです」。
こうした苦しい生活を続けていた時に、心ひかれる話がきた。 「一三歳の時、やって来た日本人の巡査に 『ここでそんな苦労をせず、お金の稼げる所へ行こう。おいしい物を食べ、きれいな服も着られるよ』 と言われたんです。 この巡査に連れて行かれたのは瀋陽です。そこには日本兵がいっぱいいて、巡査は私を『ナカムラ』という名の将校に引き渡しました。私はだまされたんです」 「慰安所」が谷間に建っていて、高さ五メートルほどの塀で囲われていた。建物は木造平屋で、三〇ほどの部屋が通路の両側に並んでいるという構造だった。途切れることなく金さんの話は続く。 「その日の夜に私の部屋へやって来た『ナカムラ』は、私を押し倒して覆いかぶさってきました。だけど私が若すぎて欲望を満たせなかったため、私の性器をナイフで切り開いたんです。私は気を失いました」。 「 将校に殺されそうになったこともある。「カネムラ」という将校に従わなかった金さんは、 「言うことを聞かないと肝を取り出して食べるぞ」 と脅された。その言葉にひるまず将校を力一杯に突き飛ばしたところ、日本刀で胸を切りつけられたのだ。「傷を見てください!」と金さんは私に言うやいなや、チマチョゴリを脱いで上半身裸になった。 胸から腹にかけて、縦に二〇センチほどの鮮明な傷痕がある。かなり深い傷だったようだ。金さんは、全身に残る他の傷も次々と説明する。肩と尻には短刀で突き刺されたいくつもの傷痕、右足の膝には兵隊に軍靴で何度も蹴られて骨が折れた痕が残っている。 「一日に二〇〜三〇人の兵隊の相手をさせられました。妊娠したために腹を切り裂かれたり、軍犬にかまれたりして、ここの女性たちが次々と殺されて行くようすを見ました」 と金さんは叫ぶように語った。〜(中略)〜 ○彼の性欲を満たすためには私はあまりに幼かったのです。しばらくしてそれに気がついた「ナカムラ」は刀を取り出し、私の陰部に刀を差し込みました。その瞬間、私は「ぎゃあ!」と悲鳴を上げて気を失ってしまいました。
○するとその軍人はかんかんに怒り、私の髪を掴んで部屋の床に打ちつけ、靴で全身を蹴り、私の足を踏みつけました。全身にあざができて、私は気を失ってしまいました。そのとき、奴の乱暴で足の骨が折れたのですが、まともな治療も受けられなかったため元に戻らず、結局、障害者になってしまいました。 ○日本兵は、私が反抗すると「朝鮮人のくせに帝国の将校を冒涜するのか」とどなり、「日本軍人を慰安できない者は殺してもいい。私の言うことを聞かないとおまえの肝を取り出して食べてしまうぞ」と脅かしました。 ○野蛮な日本軍人は「慰安婦」たちが苦しむ姿を見て快楽を覚えたのか、「慰安婦」たちを裸にしては刀で刺したり、噛みついたり、火のついたたばこを押し付けるなど、さまざまな残虐なことをしました。 ○日本兵は「慰安婦」が妊娠すると、容赦なく殺しました。そのような女性の中に、ボンニョという女性がいました。 ある日、日本兵は「慰安婦」たちをみな庭に集合させ、みんなの見ている前でボンニョを木に吊るし、軍刀で彼女の腹を切り裂いたのです。そして、出てきた腸や胎児をめった切りにして、私たちの首に掛けたのです。 ○そうして、五年の年月が過ぎました。非人間的な虐待や病魔、栄養失調のため、初めの頃は二〇人余りいた「慰安婦」は、五年のあいだに大勢亡くなり、残ったのは数人だけでした。 この「慰安所」には、金さんが連行されて行った時には二五人の女性がいた。その中には中国人と白人が一人ずついて、他は朝鮮人だった。その鼻が高い白人とは言葉が通じなかった。この場所が中国東北地方ということを考えるとロシア人だろう。
部隊の中には何人からの朝鮮人軍属がいた。一九四五年三月、金さんはその中の金・サングクさんと死を覚悟してここを脱出。その時点で、「慰安所」で生き残っていた女性はわずか五人だった。 http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/27/ [18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理
12. 中川隆[-12957] koaQ7Jey 2018年6月12日 13:17:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15211] ▲△▽▼ ムスリムは日本人と違って変態的ではない イスラム女性について教えて 308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/25(木) 22:38:02 ID:???
「ロリウッド」とは、ハリウッド、ボリウッド (ボンベイ中心のインドの映画産業)をもじって、 パキスタン映画産業・文化を表現する言葉で、 パキスタンの映画産業の中心地である古都ラホールの頭文字「L」を取りもじったという。 ロリウッド映画超大作「預言者とその9歳の妻アーイシャ」
「ああ、アーイシャ、美しいよ」 後に真実の宗教イスラームの預言者と知られるようになるムハンマド・ イブン・アブドゥッラーフは、そういって眼前の少女の性器に感嘆した。 9歳の少女アーイシャの無毛の性器は、今まで年増しか知らないムハンマドにとって 極めつけの刺激であった。 ムハンマドはペニスを取り出すと、そのままアーイシャの性器に擦り付ける。 「預言者様、怖い・・・」 幼い瞳を恐怖に染めるアーイシャ、しかしそれも今のムハンマドにとっては情欲を高めるエッセンスにしかならなかった。 大きく腰を引くと、そのまま一気に前に突き出す。 アーイシャの純潔は、あっけなく散らされた。 アーイシャの幼い性器にめり込む黒々した預言者の陰茎、処女膜を紙のように打ち破り、狭い膣口を限界まで押し広げる。 結合部からは血がどくどくと流れ、あまりの悲痛さにアーイシャは涙を流した。 預言者ムハンマドは、そのまま数回ピストンを繰り返す。 しかし9歳の幼い少女の膣は、いかに神の預言者とはいえ50を過ぎた初老の男にとっては あまりにも耐え難い快感だった。 「うう、そろそろ出るよアーイシャ・・・ ああ、アッラーの他に神はなし、アッラーに感謝いたします。」 そういってムハンマドは腰を深く打ちつけ、アーイシャの子宮に精液を放った。 313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/10(土) 21:48:27 ID:???
ウラジミール・ロリコフ作の大河小説「アーイシャ」より。 私はアーイシャ・ビント・アビーバクル。9歳です。私にはだんな様がいます。 その名は・・・神の預言者、世界の創造主であるアッラーフの使徒、ムハンマド様です。 『はあはあ、アーイシャ、今年も私の精子をしっかりと受け止めるんだよ』 そういって預言者様は私の大切なところに預言者様のとがったものを押し付けてきます。 預言者様のあれの広がったところが私の大切なあなを押しひろげ、預言者様のあれが私の中に入ってきました。 『うう、痛い。』 預言者様のあれはやっぱり鉄のように硬く、棒のように太く、 馬のようにおおきいです。 今でも、えっちなことをするたびにあそこがすこし裂けてしまいます。 血が出ることも、しばしばです。でも私はくじけません。 預言者様は、真実の宗教イスラームを広めるために毎日、文字通り命を懸けて戦っておいでです。 妻である私が、小さいからといって預言者様のお疲れを癒すことを怠るなんて、 そんなの許されない。 私はちっちゃい女の子に過ぎないけど、それくらいわかります。だから、 『あああ、ああムハンマド様、お願いです。 アーイシャの中に、端女の中に預言者様の白い汁を。』 『はあはあはあ、アーイシャ、アーイシャ!いこう!私とともに! アッラーフが私たちにお許しになった悦楽の境地へ!』 そういって預言者様の腰が海老のようにのけぞり、私の小さな、赤ちゃんの宿る ところにどくどくと預言者様の濃い精液が流れ込みます。 『はあはあ、預言者様、ご満足いただけましたか?』 私の言葉に、預言者様は暖かく微笑まれました。 『無論だともアーイシャ。君は本当に私に尽くしてくれる。 君がいるからこそ、 私はアッラーフの道のために戦うことができるのだ。』 預言者様の言葉に、私は交わった後でまだ荒い息を整えながら、誓いました。 私はまだ 9歳の子供だけど、祖父のような年齢のこの人の戦いを少しでも支えたいから、誓いました。 “今年も、精一杯預言者様に尽くして、預言者様に気持ちよくなってもらおう”って。 33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/15(日) 15:41:46 ID:7sWmXx3U
中東の女ってかなりの確率で美人だよな。 布切れかぶすのはもったいない。 34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/15(日) 17:03:53 ID:zU3HfZer >>33 トルコ・ヨルダン・イランの女性は美人が多いよ。
169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/26(火) 11:48:08 ID:lIvRLZQg
ひと言 イラン女性には信じられない美人がいる 172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/28(木) 22:29:44 ID:PQ7iZaOp >>169 濃すぎて飽きる
61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/27(金) 22:26:50 ID:RG4QIpKX
中東の女性については好みがわかれるかも 浅黒くて鷲鼻で毛が濃いから ヒゲが生えてる人もいるし。 44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/18(水) 00:55:25 ID:UddieA05
ムスリムの人はパイパンにしてるってよ 47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/18(水) 08:04:16 ID:dF1LYJuP
パイパンは女だけじゃないよ 男もチン毛剃ってるよ 男もワキ毛剃ってるよ 体毛びっしりなのにあそこだけ逆三角に白いのはww 66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/29(日) 17:44:10 ID:Gtle+OmI
あとクリトリス切られたりとかな 113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/18(土) 16:06:41 ID:???
エジプト女性の大半が割礼で陰核を切り取られている。 275 :ちび:2008/03/22(土) 02:25:59 ID:SPoS03V9
女性の割礼はイスラム教義ではなく、アラブ&アフリカの文化ですよ。 エジプトの首都在住の非常にマトモな医者(男性)に聞いたところ、カイロで割礼している女性の割合は約7割ほど。 でもその医者は自分の娘にはさせていないとのこと。 高収入高学歴になるほど率が下がる傾向にある。 けれどいくら金持ちでも田舎の大地主とか成り上がりの新興金持ちとかでは昔の文化から抜け出せずにいることが多い。 友人(日本人女性)のそのまた友人(現地女性)の話では、男子の割礼は生まれて数日目(6日目だったかな)で包皮だけを切り取るので、そのときはギャーギャー泣いても、物心ついた頃にはまったくその時の痛みを覚えてない。 でも女子は6歳くらいで局所麻酔(これだけでもすごく痛そうだけど)で非常に敏感(神経が集まってる)お肉そのものを切り取るので、施術の時には痛みをそれほど感じなくても、麻酔が醒めた後は地獄の苦しみを味わうそうで、成人してたその娘曰く「あの痛みを思い出しただけで具合が悪くなるから、もうこの件には2度と触れないで」とのこと。 それもきちんとした医療施設でやればまだいいが、歯痛止めのスプレーをシュシュッとかけて、自宅でそういうことに慣れてる近所のオバサンとかがやったりもするらしい(こわい)。 昔は根こそぎバッサリが普通みたいでしたが、時代が下がるに連れて上端ちょこっとだけ切除で、付け根部分を残すようにもなってきたらしい。ただしその親の考え方次第みたい。 割礼にもいろいろあって、陰核のみ切除(エジプト)と北アフリカ(スーダンとか)は陰唇部分まで根こそぎ取ってしまう為、術後完治するまでかなりかかるし、感染症になってしまうこともあるようです。 おまけに傷が引き攣れてしまい、尿道口がが歪になり、排尿の際に出にくくなったり(シャーではなくポタポタ)することもあるとのこと。 また中東(湾岸)駐在経験のある商社マンから聞いたのですが、ある日大事な取引先の方に自宅でパーティー開くから来いと言われ出かけていったら、 「今日はお前が主賓だから、これを食べなければならない」 と出されたのが、その方の娘さんの切り取った部分。 その日のパーティーは娘さんの割礼記念パーティーだったわけ。仕方なく目ぇつぶって一息に飲み込んだそうな(信じられないけど、ホントの話です)。 276 :ちび:2008/03/22(土) 02:34:27 ID:SPoS03V9
体毛を剃るのもイスラムではなく、アラブ・アフリカの土着文化。 今はシェーバーとか出てるけど、本来は飴に似たハラワというものをべったり塗り、乾いてきたらベリッと剥がします。ワックスと同じ原理。 しかし飴だから温度が下がると固まっちゃうので塗る時はかなり熱い(らしい)。今は薬局に柔らかい樹脂のような既製品が置いてあります。 私も友人(母親)とその娘(16歳くらい)に無理矢理腋に施術されましたが、痛いのなんの。 もちろん1回では取りきれないので何回が塗っては剥がすを繰り返し、脱毛そのものよりも腋の薄い皮膚が引っ張られ(生皮剥がされてる感じ)その後両腋が腫れ上がり、5日間ほど気を付け姿勢が取れない状態になり、2度とやらないと心に決めました。 腋でさえこんなに痛いのに、下のほうはどうするの?と尋ねたところ、専門のビューティーサロンみたいなトコでやってもらったり、 出張施術士(もちろん女性)を自宅に呼んでやってもらうんだそうな。 でもそれは月1回くらいで、後は自分で鏡見ながら剃ったりしてるとのこと。 でも他の女性に聞いたら、週一くらいで自分で塗っては剥がす式で処理してるとのこと。何度もやってると痛いのは痛いけど、慣れて来るそうな。 でもどんなにイヤでも結婚式のときはmustで、前日までには専門の施術士に髪と眉以外の体毛をすっかり処理してもらうのが常識。 男性は冬は放っている人が多いみたいだけど、夏はヒゲ剃り用剃刀でやるらしい。なんで?って尋ねたら夏は汗かくので、嫌なニオイが発生しやすいので剃るのだとのこと。 それにしても現地の友人たちと泳ぎに行き、それを初めてこの目で見たときはギョッとしました。 ハッキリ言って筋骨たくましい胸毛生えてる濃い顔した男が、ハ〜イって手を振ったら腋がまっ白ってのはマヌケな光景で驚いた後は爆笑しました。 本人たちはなにが可笑しいのか理解できずキョトンとしてましたけど。 でも過激的信仰者だと、通年かもしれない。けっこうイスラム狂信者ってイスラムの教義を捻じ曲げて信じてる人が多いので。アフガンのタンバリンさんたちみたく。 3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/03(火) 23:09:33 ID:DqxLrd55
ムスリム女性は、 髪・眉以外の全体毛を剃る(パイパン) 婚外交渉はキスまで(だいぶ開明的な所でも) 以上マジレス 8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/04(水) 08:23:40 ID:/3fftczo >>3 マジ!?マン毛無しツルツル???? おぉぉぉ、俺も回教徒になってアラブに移住しよ!!
54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/19(木) 23:31:20 ID:???
日本人にくらべたら体臭は強いと思います。 ワキガ率も高い・・・・・ 152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/13(水) 21:31:25 ID:???
イスラム女は、ほぼ100%ワキガ、マンガなのでそれがOKじゃないと。 185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 20:42:41 ID:BscgMyD4
ワキガだけど慣れれば平気です。 エチ-は自分本意だから指導して直してあげました。割礼してるから風呂にはいらなくても全然臭くないよ! 154 :あるやーパン:2005/07/14(木) 00:28:46 ID:dJooaE0r
日本人女性(沖縄女性)のあそこは他にはないぞ!!ステキすぎ!! 北海道女性はゆるい。 アメリカ=臭い イラン=結婚 フィリピン=沖縄女性と同格 トルコ=芳醇な香り! 中国=普通 アフリカ=反応が最低 ドイツ=普通 イタリア=オーバー フランス=大げさ ロシア=もち肌 スイス=日本人にはピッタリ モンゴル=ロリ婚 まっ、どーでもいいや
26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/12(木) 23:24:07 ID:K+w/2A1Q
処女を重視するあまり、処女じゃないとケコンできない だからアナルセクスをするらしい 「お尻の穴でして」って言うらしい イランの男もトルコの男も同じこと言ってたからね そいつらはアヌスがガバガバでも処女ならOKって言ってたよw 5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/04(水) 00:27:36 ID:???
イスラム教徒の女は異教徒との結婚は禁じられていると聞きました。 しかしながら現実にはイスラム女と結婚している日本男が存在しています。 これってどういうことなんでしょう? 7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/04(水) 08:15:40 ID:??? >>5 まちがいなく、男の方がイスラムに改宗しています。
15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/05(木) 15:49:55 ID:F+PdifKH >>5 異教徒との結婚が禁じられてるのではないの。 異教徒の男性がイスラム教に改宗すればすむこと。
むしろ親の決めた結婚や近親婚がまだ大多数をしめるアラブ社会における 恋愛結婚の理解自体に問題があると言えます。 42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/17(火) 22:54:29 ID:b0LuQSdT
改宗をしないと原則的には結婚は出来ない。 けど改宗をせずに結婚をしてる日本人女性も一部いるよ。 36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/16(月) 00:05:06 ID:??? >>5 昔、吉村作治が研究の為にエジプト人と結婚したんだけど、 ラーメン屋でチャーシュー食ってるとこ見つかって離婚したって聞いたが、 これもイスラム教かな?
17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/08(日) 06:23:06 ID:???
レイプ被害者であっても、姦淫の罪で石打ち処刑になりかねない。 何とか国外に脱出しても、近親者が、「身内の恥」を抹殺する為血眼で追って来くるので、一生逃げ回る事に... 166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/07/22(金) 12:52:55 ID:???
19歳の性奴隷が処刑される 【イラン】 知的障害があり、精神年齢が8歳程度とされていた19歳のイラン人少女の死刑が、様々な人権団体の反対を押し切って執行された。 彼女は8歳のとき、実の母親から売春をさせられ、12歳のときにはアフガニスタン人男性の「一時的な妻」として売り飛ばされた。 さらにその男性の母親から売春を強いられるという虐待を受けていた。 その後、妊娠していしまい、ムチ打ち100回の刑を受けている。 今回は、少女の自白を元にした刑なのだが、イラン当局は知的障害があることはまったく問題にしていない。 そして、少女に売春させた人たちの罪はうやむやになったままだ。 187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 02:23:50 ID:0CS9/m9p
イスラムの法律である「シャリーア」によると、死刑に相当する罪は大きく3種類。 殺人、麻薬密輸入、そして婚外交渉、だそうで。 少女が死刑にされた理由は「姦通」の罪と言うことですが、もちろん結婚なんてしていないわけで。 このことは出生証明書と死亡証明書の双方が揃っていることから証明されており、これがきっかけで調査が行われたそうです。 彼女は13才の頃にパーティに出席した際、自動車の中で少年と2人きりでいたという理由で「道徳警察」によって「純潔に関する犯罪」で逮捕され、刑務所で短期間ではあるが放り込まれ、むち打ち100回の刑を受けたそうです。 また、刑務所からの釈放後、彼女の年の3倍と同じくらいの年齢の男性から暴行を受けていたそうで。 それが、Ali Darabiという既婚で子どもがいる51才の男性。 この男から数回にわたってレイプされていた、とのこと。 彼女の死刑は家族には通知されず、裁判所の記録によると彼女の年齢は「22才」ということで処理されたそうです。 一応イランもいろいろな国際法に批准しており、18才以下の場合にはイスラム法を適用しないとなっているのですが、それを無視するために「22才だ」ということにしたようです。22才という年齢は裁判官が彼女の体を見て決めたそうです。 ちなみにレイプした男性の方は95回のむち打ち刑で済みました。 51才の男性にレイプされた16才の少女が死刑 - GIGAZINE http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20060728_execution_teenage_girl/
【イスラム】51才の男性にレイプされた16才の少女が死刑 http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1154086189/l50 190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 18:44:10 ID:???
パキスタンでは、いまだに姦通の抗弁において成人男性4人の証言が必要となっている。 そのため、強姦について被害者が証人を連れてこない限り、フドゥード刑が適用され、被害者たる女性が罪を負わされるという始末だ。 ムシャラフがイスラーム政党との妥協を強いられているために、いまだに強姦罪についての法律改革が進まないらしい。 他の国では法律改正が済んでいるところもあるが、訓詁学的法律解釈に固執する パキスタンのウラマーは非難されてしかるべきだろう。 イスラームが野蛮であると言う前に、それを勝手に解釈し利用する連中が野蛮なのだ。 キリスト教原理主義もイスラーム原理主義も所詮自らの利益を正当化するために 主張されている「背教的」ドグマだ。こいつらこそ「アヘン」中毒者だ。 お互いにポピー栽培でもしてろ。 117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/19(日) 00:25:55 ID:DxxHZgKq57 :
パキスタン レイプされた女性に石投げ刑 ザフラン・ビビ(推定26)は夫の兄弟にレイプされたが、当地のコーランをもとにした「フドゥード法」によって石投げ刑(死刑)に処せられることになった。 同法ではいかなる場合も婚外性交は許されず、合意・強制の区別はない。 レイプは犯罪行為ではあるが有罪になることは少なく、今回も男性は釈放された。 2002.5.20 IHT 71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/31(火) 21:17:06 ID:???
パキスタン レイプされた女性に石投げ刑 ザフラン・ビビ(推定26)は夫の兄弟にレイプされたが、当地のコーランをもとにした「フドゥード法」によって石投げ刑(死刑)に処せられることになった。 同法ではいかなる場合も婚外性交は許されず、合意・強制の区別はない。 レイプは犯罪行為ではあるが有罪になることは少なく、今回も男性は釈放された。 2002.5.20 IHT 74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/02(木) 23:58:03 ID:rtZz1W3v >>71 土に体を埋められて石を投げつけられるんだっけ? 石の大きさも決まってるんだよね。。 カワイソス・・・・・・・・・・
251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 05:52:39 ID:GQlOBanT
石打ち刑 全身を白い布で覆われて、ひざから下あたりまでを地面に埋められ、周りから石を投げつけられる。 処刑される者は何時間ももだえ苦しみ、白い布が真っ赤に染まるころ息絶える。 さらに、処刑される者は、倒れ込むこともできず、死ぬまで中途半端な形で立っていなけらばならない。 意外に、気絶などできないようだ。 こんな残酷な殺し方があるだろうか? 広場に集まった男たちは、この光景をうれしそうに眺める。 娯楽の少ないイスラム世界にあっては最高の娯楽なのだろう。 これが若い女性の場合は、男たちはさらに興奮する。 19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/09(月) 07:31:30 ID:yRhePTBH
痴漢の様に「被害者」の虚偽告発による冤罪がなければ、加害者の処刑も大いに結構なんだけどね。 中村幸子の様な奴が出たらどうするよ。罰金刑や執行猶予付きであっても、有罪になれば社会的ダメージは大きいというのに。 尚、イスラムの場合は、被害者が姦婦として処刑、もしくは名誉殺人(身内による私刑。多くは事故や病死として処理され、治安当局も見て見ぬふり)されてしまう 一方、加害者は「誘われた」「相手が抵抗しなかった」と称して無罪放免となりがち。 13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/05(木) 06:03:22 ID:???
厳格なイスラム国における女性の典型的処遇の例 ・参政権がない ・自動車免許がとれない ・公衆の前でスポーツをしてはならない(故に国際試合にも出られない) ・出国の自由がない(夫もしくは父親がパスポートを申請しない限り) ・異教徒と結婚できない(イスラム男性=セム系一神教徒女性の組み合わせであれば可能) なお、改宗の自由がないのは男女とも同じ。 イスラム女性は自らの処遇に不満があっても、それを改善する為の活動には大幅な制約が伴う。また、自国を見限って他国に行く自由すらないのである。 旧共産圏と変わらないではないか。 89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/12(日) 17:03:26 ID:9OvsJ8Ae
イランはとても規律の厳しい国だから女がイランに行ったら嫌いになるだろう。 イランは女性への気遣いがほとんどなく法律も女性にたいしてとても厳しい。 例えば、 *離婚の禁止 *出国するには国と夫の許可が必要 *スカーフから髪が出てると警官に銃をつきつけられる *夫への隠し事は許されない。破ると夫にボコボコにされる。 *お祈りが一日五回もあるので毎日早寝早起きさせられる(朝から謎の祈りの声が聞こえるため。 *子供の養育権がなくドレスで街を歩くと逮捕。 *もちろん水着になって海で泳ぐことも禁止。 イラン人と日本で結婚してイランに行くとする。イラン人と結婚するとその妻も自動的にイラン人になるので注意!!
29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/15(日) 02:53:12 ID:7sWmXx3U
イスラム圏には風俗店は絶対存在しないんでしか? 30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/15(日) 09:54:29 ID:zU3HfZer >>29 存在します。
31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/15(日) 10:25:38 ID:??? >>29 そのつど結婚して離婚するらしいです。
32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/15(日) 10:35:31 ID:zU3HfZer >>31 イランではね。
東南アジアやドバイやモロッコあたりはそんな事はしなくてもいいです。 非イスラム圏と同じ。 トルコは合法化しています。がトルコ人以外は立ち入り禁止。 じゃあ外国人はどうするのかって言うと、昔で言ったら遊郭地以外の所で 遊びます。 37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/05/16(月) 01:34:15 ID:u4tvpyPA >>29 イスラムっつっても国や地域によっていろいろだよ。 ここに書かれてるのはかなりステレオタイプ。
モロッコで若いムスリム女性が路上で男と金銭交渉してるのを何度も見たし、 現地の友達もヤリたい放題やってたし、自国の女たちはヤリマンって言ってたぞ。 ただし、そういうことは親には絶対知られてはいけないとな。 だから、女性が結婚する場合は特に処女のフリはするだろう。 75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/03(金) 00:36:29 ID:WKnBjARm
イスラム女性とセックスする時クンニしたら驚くかな? フェラチオとかとんでもないいやらしい行為に感じそう 78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/09(木) 19:32:39 ID:LXG8PgVl
クンニで驚くわきゃないじゃん、、 あっちの男のセックスって凄いよ。 79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/09(木) 19:51:27 ID:??? >>78 女か? 具体的に書いてみ。
80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/09(木) 21:22:21 ID:???
はい、女です。 まず大きさが全然違う。 ディープキスも上手いし、前技が長くて丁寧。 クンニなんて舌の使い方も凄い上に、同時にその高い鼻も使ってくれる。 挿入も入れたまま最低3度は可能。 一晩に最低5回。 体位も色々だし、体が大きいからそんな事まで?ってことまで可能。 してる間もすごい言葉攻め。 彼氏はパキスタン人ですが、もう日本人には戻れません。 82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/09(木) 23:38:39 ID:??? >>80 ふ〜ん。そんなに違うのか。
大きいけどフニャフニャしていると聞いたんだけど、そうなの? あと貞操観念が強い本国で、誰を相手にテクニックを磨いたの? 「言葉攻め」って何語でしてくるの? 83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/09(木) 23:53:59 ID:???
白人でも何人でも、「やたら長い」モノはフニャチンでした。 日本人の3倍くらいの太さでもカチカチの人はカチカチ。 貞操観念が強い国でも、お手伝いさん相手とか、留学してたりなとで経験ありの人は多いよ。 あとはやっぱりアメリカのAVなんかは流通してるみたい。 貧乏パキ、インド人には嫁き遅れドブスの日本人嫁がいたりするけど (永住権とれた途端に離婚されるパターン多し) 金持ちパキスタン男とかには凄い綺麗な日本人彼女がいたりする。 92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/13(月) 12:18:28 ID:???
年増、ブス、日本人には相手にされないブスをターゲットにし、ビザ欲しさに出会ってすぐ結婚を迫り永住権をゲットした途端、自国の若い美人を連れて来てしまうパターン多いです。 当然日本のブス妻は用無しなので離婚を迫り、殴る蹴る生活費入れないで追い出す。 基本的にあちらの男は、自分の国の女が一番綺麗でセクシーだと思ってます。 日本人は顔も体もセクシーじゃないので、ビザの為なら誰でもいいらしい。 94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/06/13(月) 22:18:14 ID:yLo7eowb >>92 知り合いのイスラム男が3人ともそのパターン でも、最初は見慣れない日本人がカワイイと思うんだと そして日本に来て自分の嫁の悲惨さをしるらしいw
203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 20:06:00 ID:???
日本人(非イスラム教徒)の女がイスラム教徒と結婚するとどういう目にあうかがよくわかる。 コーランでは家庭内暴力は公認されているからね。親回虫が一番嫌がる事つまりコーランの引用をしよう。 4 女 38 アッラーはもともと男と(女)の間には優劣をおつけになったのだし、また(生活に必要な)金は男が出すのだから、この点で男の方が女の上に立つべきもの。 だから貞淑な女は(男にたいして)ひたすら従順に、またアッラーが大切に守って下さる(夫婦間の)秘めごとを他人に知られぬようそっと守ることが肝要(この一文は色々な解釈の可能性がある)。 反抗的になりそうな心配のある女はよく諭し、(それでも駄目なら)寝床に追いやって(懲らしめ、それも効がない場合は打擲(ちょうちゃく)を加えるもよい。だが、それで言うこときくなら、それ以上のことをしようとしてはならぬ。 アッラーはいと高く、いとも偉大におわします。 「打擲(ちょうちゃく)を加えるもよい」という句が家庭内暴力を正当化するのは猿でもわかるよね。
「寝床に追いやって」というのは家庭内レイプしろという意味だ。 「男の方が女の上に立つべきもの」とか「アッラーはもともと男と(女)の間には優劣をおつけになった」とか女性蔑視は露骨だ。 ここでは引用しないが、 女の財産相続権は男の半分とか、裁判での証言は女2人で男1人と同じとか、女の権利を男の半分とする規定もある。 「猜疑心/ある活動家」は「イスラムにおいて夫の暴力は許容範囲なのでしょうか?」などとイスラム教についての無知をさらけ出している。 基本的知識がないから問題がイスラム教自体にある事に気付かない。イスラム教では家庭内暴力は 神の言葉として公認どころか神聖化されている。 だからこそイスラム国の裁判所は、夫の妻に対する暴力を認める判決を出すのだ。 左翼ならこういう前近代的な宗教はそれ自体を批判すべきだろう。 マルクスは宗教をアヘンと言ったんじゃなかったか? 「猜疑心/ある活動家」は「あなたのような偏屈で偉そうな人がいるからイスラムは日本でも誤解はされても理解されず、批判の的にされるのですよ。」などと馬鹿な事を口走っているが「誤解」ではなく「正しい理解」なだけだ。 204 :あきれる引用者:2006/09/27(水) 20:07:04 ID:???
そして掲示板でのイスラム教徒連中の答え方。 自分達に不都合な問題を指摘されると、事実を疑って問題の存在を否定しようとし、証拠が提出されると、人格攻撃やレッテル張りで話をそらす。 常岡某はジャーナリストでイスラム関係でも多くの文章を書いててそれなりに有名人だが、人間性はクズだな。 イスラム教を信じると人間性が歪む見本を見せてくれて有難う。 本人のサイトを見ると真面目なイスラム教徒とは思えない。 イスラム原理主義者の思考様式は理解してないと思われる。 常岡のようなご都合主義な言論は、オウム事件の時にも上祐某が駆使していた。カルト信者に特有な頭の構造なのだろう。 アラブ人の家庭に崩壊家庭が多い事は、心に傷を負った青少年を増やす原因だ。 こういう連中が手っ取り早い救済を求めてイスラム原理主義に吸引されて自爆テロに走る。現地の事情に詳しい人は自爆テロが「自分探し」であると気付いている。 イスラム教は家庭内暴力の公認からもテロを促進する宗教なのだろう。 問題の真の解決策は、イスラム教の教義のうちにある女性蔑視や女性差別や家庭内暴力の公認の部分を放棄する事である。 しかし実際にそれが行われるのは、第3次世界大戦の後なのだろう。 213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/25(水) 08:06:49 ID:cc8g8Jod
いやーイスラム教徒になってしまいました。 アラビア語を勉強したくてモスクにいったらイスラムになれといわれて 信仰の告白をし、イスラムの知識人ファフィズからレッスンというわけでしたが なにか、突然結婚すると本国から独身証明とシャワールカシミーズ ドゥバタが 私の家に送られてきて、あれれれ、先生は男女が二人きりになることになれていないので これでは、結婚であると もう自分のことをだんなさんとよんでおり わたしのことは、オクサンと呼んでいるのですよ。 あああ しかし、イスラムの純潔の戒めにより婚前なんてしませんから 先生もう少し話し合いがといいますと 「結婚すればいくらでも話せる 話て俺が嫌いというのか?とすごい剣幕です。」 彼はイスラムの知識人なので 手淫もしていなくて、ものすごい欲求不満で切れまくっています。 もし家を留守にすれば「50回電話した どこにいっていた 誰とてた 豚は食べていないだろうな] 結婚前は手がだせないので、ものすごい言葉攻撃で 「愛している愛している」 まぁネタとしては面白いので、結婚してみますか〜 陰毛問題 あれは 女は生理の後脱毛ワックスで処理するんだそうです。
男は、十日に一度そるんだそうですよ。 それから、清めの儀式があって 細かく洗う順番がきまっているらしく 先生は、私と会ったあとは、手耳頭とか洗っています。 「結婚をして私とセックスする前と後に風呂に入りなさい」 日本人は、会社から帰ると飯食って風呂は行ってセックスして寝るでしょう。」 それから胸元の開いているワンピースなんて着ていたら大騒ぎで 「悪魔シャターンがお前には入っている」と騒ぎます。 「結婚前にそんな服は着るな それは、わたしとセックスする時に着なさい」 といっていますよ。 まさにアラビアンナイトの物語のようで 観察としては面白いです。 214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/25(水) 08:21:33 ID:cc8g8Jod
イスラムの結婚年齢というのがあって預言者ムハンマドと妻の年齢というのが基準になっているらしいですよ。 預言者は二十歳年上の女性と結婚していましたから よくパキスタン人から七十歳までOKとかへんなこというなとおもっていたら そこいらへんなんだそうですね。 水着の写真もだめヌードなんてとんでもない しかし、ポルノなんてみせたら頭へんになるとおもいますよ。 強姦もしかねないですよ。 218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/14(月) 19:03:05 ID:qbBXrggQ
わたしの フィアンセは イスラムの知識人ですが もちろん婚前交渉はしません キスもしない口にしてだめです。 しかし首筋なめまくる これはいいのでしょうか? 乳や性器は、さわらない しかし そのほかの場所は なでまくる。 攻めまくって「どうだシャターンは はいったか?」 イスラムの男にとって日本の女は戦利品のようなものでしょう。 イスラムのモスク先生たちはみんな日本の女と結婚しています。 もちろん、一夫多妻ですから本国にも家族がいます。 彼らにとって、それは当たり前ですから電話一本で 「こんど結婚する離婚のサインしろ」 妻「あなたイスラムだから四人までもてるでしょ」それで 何の感情も無い 結婚したら外にでる時はブルカを着用しろ 兄弟でもだめだ。 嘘をついたら殴る アラビアンナイトの夫たちで すごくやさしくて妻を愛していてそれで ひとたび嘘があれば 手足を切ってさらし者にする、 外で素っ裸にして いろいろなやつにやらせる。 アラビアンナイトの話をするとうれしそうに納得しています。 http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/news5/1114925680 [18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理
13. 中川隆[-12962] koaQ7Jey 2018年6月12日 13:21:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15217] ▲△▽▼ ムスリムは日本人と違って変態的ではない _ 2 元インドネシア駐在員 【性別】男性 :2015/05/10 13:14:57
この投稿は20年前の1995年(児童買春・児童ポルノ禁止法施行より前)に1年間だけインドネシア駐在員だった私の大昔の思い出として読んでください。
当時の私は45歳。某社のインドネシア駐在員でした。
インドネシアでは童貞を守っていましたが、任務を終え帰国する直前に妻は日本国内の交通事故で亡くなり、当時19歳で大学1年の一人娘は日本で彼氏の家に入り浸るようになり、私の寂しさは極限に達していました。 もともと私は南方系の(エキゾチックな顔立ちと褐色の肌の)女性が大好きで、今は亡き妻も、既に嫁いだ一人娘も、現在の人気女優で例えるなら安室奈美恵や杏や黒木メイサや松下奈緒あるいはJKT48のようなタイプでした。
ですから、私は現地の女性と無性にSEXしたくなってしまいました。 もっともインドネシアは国民の約9割がイスラム教徒です。 イスラムの教義に厳格に従うなら、女性は@〜Bの戒律を守る義務があります。
@イスラム教徒の女性は結婚まで処女を守らなければならない。 Aイスラム教徒の女性は非イスラム教徒の男性とは肉体関係を持ってはならない。 Bいったん結婚したイスラム教徒の女性は数多くの子どもを授かるためイスラム教徒の夫との肉体関係の際には避妊せず中出しを受け入れなければならない。 もっとも、イスラムの教義に厳格に従っても、男性はCの抜け道があります。 Cイスラム教徒の男性はイスラム教徒を増やす趣旨で非イスラム教徒の女の子に妊娠させるために肉体関係を持ってもよい。 当然のことながらイスラム教の世界では売買春は厳しく禁止されており、上記の@Aに反した男女は戒律の厳しい国なら発覚と同時に死刑執行です。 となると本来ならばインドネシアにはイスラム教徒の売春婦はいないはずです。 ところが、どんな原則にも例外はあります。
どういうわけかインドネシアには各地に売春宿があり、数多くのイスラム教徒の未婚女性が@の戒律をクリアして売春婦として活躍し、Aの戒律をクリアして同じイスラム教徒の男性のみならずキリスト教徒や仏教徒の男性のSEXの相手となるばかりか中出しさえ受け入れています。 そんな売春宿のうちの一箇所を帰国する直前の私のためにインドネシアの友人が用意してくれて、私は娘より年下の美少女5名を相手に日本円に換算して合計25000円程度の低価格でノースキンの中出しを楽しむことができました。 なんと1カムショット(射精1回)あたり平均5000円です。 正確にはイスラム教徒の女性とのベッドの上のソフトなセックスが1回4000円、非イスラム教徒の女性を野外でレイプのように犯すハードファックが1回8000円でした。 私がインドネシアの売春宿で中出しできた5名の美少女のうち東ティモールのポルトガル人の血を引くカトリック教徒の美少女(現在の日本人女優で言うなら常盤貴子のデビュー当時みたいな16歳)1名を除き、残り4名はインドネシアのイスラム教徒の美少女たちでした。 私は上記の@とAの制約をクリアするために以下のような手続きを踏みました。
【中出し後の処罰から逃れるため偽装改宗・偽装結婚・偽装離婚を体験した私】 どうしてイスラム教徒の女性が売春できるのか不思議に思いながらも、同時に経済的に苦境にある彼女たちを自分自身の援助によって救いたい純粋な気持ちとわずか1回平均で4000円で褐色の肌の美少女に中出しできる素晴らしい機会を逃したくないという性欲の高まりにより『私も売春婦も処刑されることがないようにする条件で』イスラム教徒のインドネシア人女性を買うことにしました。 私はインドネシアの売春斡旋業者の導きによって、仏教徒である私とイスラム教徒の美少女との売春を正当化する裏技も体験したがゆえイスラム教徒の美少女に中出しする時の背徳感は素晴らしく高まりました。 〔偽装改宗=イスラム教徒の美少女に中出しするために一夜だけイスラム教徒に〕 私がインドネシアの売春宿で“グラマラスで若い女の子を”という条件で売春婦を調達しようとすると別の部屋に連れ込まれました。
部屋の中で斡旋業者から『アラーを唯一の神と信じるか?』と質問されました。彼が小声で『イエス』『アッラーアクバル』と繰り返したので、私が大きな声で『イエス!』『アッラーアクバル!』と返事をすると『もはやお客様はイスラム教徒になりました』『隣の部屋にいるイスラム教徒の女性と結婚しましょう』と言われて隣の部屋に移動します。 この時点で私は形式上はイスラム教徒に改宗したことになり、イスラム教徒の女性たち4人と結婚(SEX)できます。すなわちAの制約をクリアしました。 〔偽装結婚=SEXの前後だけ松下奈緒みたいな15歳の美少女と結婚の宣誓〕 さて隣の部屋には結婚相手=売春相手のイスラム教徒の女性が待っていました。
ここで私は最近になって登場してきた日本人女優で言うなら松下奈緒そっくりの美少女を選んで結婚する手続きを数十秒で終えました。 具体的には偽名でいいので30分間限定で夫婦になるという趣旨の宣言を男性(私)と女性(私が指名した売春婦)が宣誓して、@の制約をクリアしました。 イスラム教徒同士が結婚する時に、夫が妻に渡すマフル(日本でいう結納金に相当します)の代わりとして、プレイ代を渡すのです。 売春斡旋業者から『コンドーム着用ならば200000ルピア(約2000円前後)、膣内射精ならば400000ルピア(約4000円前後)のマフルを』と言い渡されます。事前に聞いていたとはいえ、あまりの安さに私は驚きました。 ちなみに現在は当時の数倍は支払わなければならないようです。 松下奈緒にそっくりの一人目の美少女が『私は18歳です』『売春婦になって2週間です』と語っていたので、彼女に膣内射精は酷だと思ってコンドーム着用の200000ルピアを選択しようとしたら、売春斡旋業者が怒り出しました。
売春斡旋業者は『結婚した夫婦が子供づくりを阻害するコンドームを使用する行為は駄目!』『せっかくイスラム教徒になれたので4名のイスラム女性と結婚して各女性に400000ルピアのマフルを支払って4名とも妊娠させてあげるべきですよ!』というので、選んだ一人目の女性に400000ルピア(約4000円前後)のマフルを支払いました。 ここでBの制約をクリアさせられました。 〔中出し=膣内射精の瞬間に『アッー!アッラーアクバル!』と叫び神に感謝〕 さて、イスラム教徒になった私はSEX部屋へ移動します。
SEX部屋は狭くシャワールームとベッドがあるだけです。 隣の部屋との仕切りはあってないようなもので、男性客の骨盤が美少女のお尻に当たりパンパンする音、ベッドが軋む音、精神は拒んでも肉体は感じている美少女が漏らす喘ぎ声などが互いに聞こえまくりです。 隣でオーストラリア人の男性客が相手のインドネシア人の美少女が16歳であることを告げられて興奮している会話まで聞こえてくる構造でした。 私も松下奈緒みたいな美少女をシャワールームに連れ込み前戯をします。
その時に年齢を聞き出したら、なんと15歳でした。 児童買春・児童ポルノ禁止法が海外でプレイした日本人にも適用されるようになった現在なら犯罪です。 その時の私は、娘よりも4歳も年下の日本なら中学3年生に相当する美少女に中出しできることから興奮状態にあり、松下奈緒みたいな15歳の美少女を頭頂からオッパイ・秘部・足裏まで舐め回しました。 その15歳の美少女は、お返しに私のペニスに心をこめてフェラチオしてくれました。 さて、制限時間の30分が近づいてきたので松下奈緒みたいな15歳の美少女をベッドに誘って、私の勃起したペニスを膣に挿入して激しく腰を振ります。 その時、隣室から耳を疑うような叫び声が聞こえてきました。
地元のインドネシア人と思われる男性客が猛然と腰を振ってベッドを軋ませた後に『アッー!アッラーアクバル!(唯一神アッラーは偉大なり!)』と大声で絶叫するや否や安室奈美恵のような13歳の美少女がすすり泣き、ピタリとベッドの軋む音がしなくなりました。 きっと安室奈美恵のような美少女は赤ちゃんを妊娠させられても仕方ないほどの精液を流し込まれたのでしょう。さらに私は興奮しました。 他の部屋からも、連鎖的に男性客たちが『アッー!アッラーアクバル!』と叫び声をあげながら美少女に膣内射精して果てる様子がうかがえました。 私もイスラム教徒に改宗した直後です。 ですから悪乗りではなく18歳未満の美少女に1回4000円で中出しできる幸福に感謝して真心を込めて『アッー!アッラーアクバル!』と叫び松下奈緒みたいな15歳の美少女の中で果てました。 〔偽装離婚=プレイ終了後に松下奈緒みたいな15歳の美少女と離婚の宣誓式〕 虚しかった点は、松下奈緒みたいな15歳の美少女に中出しした直後の余韻を楽しむ時間が短かったことです。 私が『アッー!アッラーアクバル!』と叫んだ30秒後には私と松下奈緒みたいな15歳の美少女がつながっている状態の部屋に売春斡旋業者が部屋に乱入してきて『お客さん!今日中に3人のイスラム教徒の女性と1回につき400000ルピア(約4000円前後)のマフルを支払い中出しSEXしましょう』『それに気分転換に非イスラム教徒の売春婦と中出しSEXすると興奮します』と言い放ったことです。 私はペニスの先の精液を拭く暇もなく裸のまま偽装結婚の手続きをした部屋に連れ戻され、15歳の美少女と離婚する旨を誓約して夫婦関係を解消します。 意外なことにイスラム教は離婚や再婚について規制していません。
それゆえ、この松下奈緒みたいな15歳の美少女も、私から中出しを受け入れた直後に私と離婚の手続きをした後なら、別の男性客と偽装結婚したうえで売春可能なのです。 〔2人目のイスラム教徒の美少女とのSEX〕 現在の日本人女優で言えば、安室奈美恵みたいな13歳の美少女に同じ行為を繰り返しました。 〔3人目のイスラム教徒の美少女とのSEX〕
現在の日本人女優で言えば、黒木メイサみたいな17歳の美少女に同じ行為を繰り返しました。 〔4人目のイスラム教徒の美少女とのSEX〕
現在の日本人女優で言えば、杏みたいな14歳の美少女に同じ行為を繰り返しました。 【イスラム教徒の美少女とのSEXは一日4人まで/5人目は東ティモール出身のカトリック(キリスト教旧教)の美少女と野外SEX】
ひさしぶりのSEXで火が付いた私は性欲を抑えきれなくなりました。
実際、杏みたいな14歳の美少女にペニスを挿し込んだ状態で、売春斡旋業者に5人目の美少女の提供を求めました。 そうすると売春斡旋業者は『お客さんは既にイスラム教徒になっていますから一夫四妻制に従ってイスラム教徒の女性とのSEXは一日に4名までにしておきましょう。』と私を焦らして来ました。 上記のCにもあるイスラム教徒の男性はイスラム教徒を増やす趣旨で非イスラム教徒の女性に妊娠させるために肉体関係を持ってもよいという考え方を示されて『800000ルピア(約8000円)を支払うなら中出しできる非イスラム教徒の美少女を紹介する』と言われました。 そして、私は5人目の美少女を買いたい旨を告げました。
するとトップレスの女の子が私の目の前に登場しました。 匂ってきそうな汚いパンティを吐いてはいますが、上半身はバストトップを掌で隠しています。 16歳の中国とポルトガルの血を引く東ティモールのカトリック(キリスト教旧教)を信仰する女の子でした。 現在の日本人女優で言えばデビュー当時の常盤貴子そっくりで、ドラマ『悪魔のキッス』で常盤貴子の乳房を目の当たりにした眼福の瞬間を思い出しました。 売春斡旋業者は『イスラム教徒として4名のイスラム教徒の妻に中出しをしたお客様はもはや東ティモール出身のカトリックの女の子とは結婚できません。』『だからイスラム教徒ではないカトリックの女の子にイスラム教徒であるお客様の子どもを妊娠させる趣旨で強姦するしかないです。』と私に耳打ちしました。 私が強姦料金800000ルピア(約8000円)と日本に持ち帰るパンティの代金100000ルピア(約1000円)を支払った直後に、売春斡旋業者が私に『レイプ・ハー!』『レイプ・イット!』とけしかけることにおびえた常盤貴子そっくりの16歳は売春宿の外に逃げ出しました。 もはや私には@ABの制約はありません。
もはやイスラム教徒としてCの権利を行使するだけ、あるいはCの義務を果たすだけ、生物学的に言えば動物のオスとして美しいメスに性欲を爆発させるだけです。 彼女が逃げたことで私の興奮度は高まりました。 中国人とポルトガル人の血を引く16歳を売春宿の裏庭に追い込んで、激しく押し倒します。 そして常盤貴子そっくりの顔をなめ、唇を奪い、うなじをなめ、名ドラマ『悪魔のキッス』で目の当たりにした乳房と同じかたちの乳房を揉みしごいてはなめまわし、スコールと呼ばれるインドネシアの豪雨に濡れた彼女の全身に私はキスを雨を降らせます。 そして、私は彼女を常盤貴子と思って勃起したペニスを挿し込みました。 そして、中国人とポルトガル人の血を引く東ティモール出身の16歳の女の子がカタコトの英語で『プリーズ・カム・アウトサイド・ユア・スペルマ!(どうぞ精液を外に出して!)』 『ドント・カム・インサイド・ミー!(中には出さないで!)』と彼女が懇願したにもかかわらず、私は『アイ・アム・ムスリム!(俺はイスラム教徒なんだよ!)』 『アイ・マスト・ノック・ユー・アップ!(俺は君を妊娠させなければならないんだよ!)』 『アッー!アッラーアクバル!(唯一神アッラーは偉大なり!)』などと雄叫びをあげて、スコールを浴びながら、常盤貴子にそっくりの16歳の膣の中に私の精液を流し込みました。 結局、私は約20年前に一日限定でイスラム教徒になりきったうえで、日本に帰国する直前にイスラム教徒の女の子4名(13歳・14歳・15歳・17歳)を相手に偽装結婚をしたうえで形式上は愛あるSEXを楽しみ、締め括りにカトリックの女の子1名(16歳)とはレイプみたいな野外SEXを楽しみました。
今も私はインドネシアが大好きで、妻を亡くして失意のうちに帰国する直後の私に肉体を差し出して慰めてくれた当時は13歳〜17歳であった女の子たちには今でも心から感謝しています。 彼女たちが間違っても私の子どもを身籠ることなく現地で幸せな生活を送ってくれていることを祈っています。 http://エッチ体験談話.com/%E7%94%B7%E6%80%A7%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%81%E3%81%AA%E8%A9%B1/%E3%80%90%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%B3%E9%A7%90%E5%9C%A8%E5%93%A1%E3%80%91%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E6%95%99%E5%BE%92%EF%BC%94%E5%90%8D%E3%82%92%E5%90%AB%E3%82%80%E7%BE%8E%E5%B0%91/ [18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理
14. 中川隆[-12961] koaQ7Jey 2018年6月12日 13:23:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15217] ▲△▽▼ イスラム教の人気の秘密教えてあげる: バッカじゃないの、おまえらカーフィル(不信心者)はどうしてイスラームの偉大さを理解しないのか? いいか、猿以下の頭脳しかないカーフィルにもわかるように真実の宗教イスラームの美徳を教えてやる まずイスラームに入信すれば、慈悲深く慈愛遍きアッラーフのお定めになった聖法に従い、4人まで妻が持て、また女奴隷をいくらでも所有することができる。 夫が浮気しても何の罰もないが、妻が姦淫すれば石打ちで処刑だ。 妻が文句を言ったらなぐり倒せばいいし、離婚したければおまえと別れると3回言えばいい。 さらにだ、イスラームでは9歳の女の子(小学校3年生)との結婚・セックスも合法だ。 預言者ムハンマド(彼の上に平安あれ)も、9歳の少女アーイシャと結婚し、性行為を遂行された。 またイスラームの天国はすばらしいぞ。緑の木々に囲まれ清らかな水が流れる楽園で、悪酔いしないうまい酒や食い物が飲み放題食い放題、 1人につき72人の専属美少女がつき セックスし放題。彼女たちは永遠の処女で処女膜が再生する、貞淑でやさしい最高の女の子たちだ。 イスラームのために戦って殉教すればどんな馬鹿でも悪党でも天国へいけるのだぞ。 どうだ?馬鹿なカーフィルにも、イスラームの偉大さがよく理解出来たろ? _________
色情狂の精神異常者 ムハンマドの妻・妾一覧
正妻
1.ハディージャ 2.サウダ・ビント・ザムア:en 3.アーイシャ(アブー=バクルの娘) 4.ハフサ(ウマルの娘):en 5.ウンム・サラマ・ヒンド(アブー・スフヤーンの娘):en 6.ザイナブ・ビント・フザイマ:en 7.ウンム・ハリーマ・ザイナブ・ビント・ジュフシュ:en 8.ジャワイリーヤ・ビント・ハーリス:en 9.ウンム・ハビーバ・ラムラ・ビント・アビー=スフヤーン(アブー・スフヤーンの娘で上記のウンム・サラマの姉妹):en 10.サフィーヤ・ビント・フヤイイ(ハイバル出身):en 11.マイムーナ・ビント・アル=ハーリス:en コプトのマリア(マーリーヤ・アル=キブティーヤ・ビント・シャムウーン):en(ムハンマドの末子イブラーヒームの母。エジプト出身のコプト教徒の娘。[11]) シャラーフ・ビント・ハリーファ・アル=カルビー(ベドウィンの出身でムハンマド在世中に死去) アーリーヤ・ビント・ズブヤーン(ムハンマド在世中に離婚。) ファーティマ・ビント・ダハーク・アル=ハズィーリー(ムハンマド在世中に離婚。) アスマ-ウ? (ソバ出身) ハブラ アスマーウ? (ノーマン出身) 側室
ライハーナ? ウンム・シャンク? クハウラ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%83%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%95 ▲△▽▼ イスラームと性と宗教
最近イスラム教において 「イスラムでは男性は天国でフーリーと呼ばれる72人の処女とセックスを楽しむことができる。 彼女たちは何回セックスを行っても処女膜が再生するため、永遠の処女とされる。 また決して悪酔いすることのない酒や果物、肉などを好きなだけ楽しむことができるとされている。」 とかいう描写がされてるのを知ってマジビックリした。 そもそも宗教とはそういう欲というものを忌むものであり、イスラム教は特に禁欲的な宗教だと思っていたからだ。 その他にも
イマーム・スユーティーは 『フーリーとセックスをするたびに、あなたは彼女が処女である事を知るであろう。 加えて、勃起したペニスはなえる事がなく、永遠に勃ちつづける。 あなたがセックスを行うときの感覚はすばらしく気持ちよく、この世のものとは思えない。 この世でこれを経験してしまったならば、気絶するほどである。 それぞれの(ムスリム男性)はこの世の妻に加えて、70人のフーリーを娶れる。 そして彼女たちはみなあなたの欲望をそそるような名器の持ち主である。』 と述べている
とか イブン・カスィールはフーリーに関して、
『彼女たちは陽気で、夫の前に誰ともセックスを行わなかった乙女たちである。』 と述べ 、また 『天国においては, 彼女たちが老いたならば, 明るく、若く、美しく、親切でかわいらしく、夫に対して情熱的な処女へと絶えず戻るのである。』 とも述べている とかマジで意味が分からない。なんで天国の話でそんなに性描写たっぷりなんだよ。
そもそも「イブン・カスィール」とか「イマーム・スユーティー」とか誰なんだよw 預言者でもないのに勝手に言いたい放題言っちゃっていいのか? どんどん後付けていって言ったもん勝ちみたいになってるじゃねえか。 そもそもムハンマド本人が
『天国では男性は一日100人の処女とセックスが出来る』 とか 『われわれは天国で処女とセックスが出来るのでしょうか?』 と問いかけた信者に対して、 『もちろん出来る。そしてセックスが終わった後には、彼女は清らかな乙女に戻るのだ。』 とか言ってる所がもうね・・・ 本当に失望させていただいた。
これさえなければイスラム教結構好きだったのになぁ。 こんな事書いちゃうと、なんか言い方悪いけど陳腐に見えるから不思議。 天国でヤりたいっていう「欲」のために 「生活において品行を保ち、欲望を抑制して、イスラームの教えにのっとってあるべき社会の秩序を実現させようとするものである。」 とか言って現世で禁欲的なことをするのもなんか本末転倒というか、おかしい気もするけど。 そもそも処女ってのは別に膜を破りたいわけじゃなく、他の男を知らないってことに価値があるんだろw 膜なんて痛がらせるだけなんだからいらねえってのw しかも「酒は戒律上禁止」とかいってウィーン包囲の時もコーヒー飲んでたりしてるくせに、その割には 「また天国では決して悪酔いすることのない酒や果物、肉などを好きなだけ楽しむことができるとされている。」 とか書いちゃってるし。 今世でアッラーの教えを守る事によるご褒美っていう点はまぁ理解できても、そのご褒美にアッラーの教えで禁止されてる酒が含まれてるってのはどうよ?って感じだしなぁ。 まぁそもそもイスラム教ってのはムハンマドが「世の人々は堕落、腐敗している」って思ってその人々をアッラーの教えに沿って正しい方向へ導こうと考えたのが始まりらしい。 でもこの預言者も アーイシャ自身(嫁の一人)からの伝承として、 「彼女は6歳の時に預言者(ムハンマド)に嫁ぎ9歳(満8歳)の時に正式に結婚し、9年間を共に暮らした」 とあり、 「正式な結婚」とは婚儀の後の結婚初夜のセックス・性行為も含まれるとされる ↑ペドフィリア乙 またムハンマドは一晩に数人の女性と連続で性行為を行ったことがあるなど、性的能力の高い男性であったという伝承がある ↑ヤリチン乙
あるいは信者の一人が結婚を報告した際、 ムハンマドはその信者に娶ったのは結婚経験のある女か処女かと聞き、 信者が(結婚したのは)結婚経験のある女であると答えると、もし処女を娶っていればお互いにセックスを楽しめただろうにと忠告した伝承も存在する ↑処女厨余裕でした ムハンマドはある日美しい女性を見て彼女とセックスしたいという欲望に駆られ、その足ですぐ家に戻り妻の一人であるザイナブとセックスをした。 ↑救いようがない
って感じだしなぁ。こいつが一番堕落してると思うんだけど。 信者がそこら辺をどう思ってるのかが気になる。 決して悪い宗教だとは思わないんだけど、こういうのを聞くとねぇ・・・ 過激派が自爆テロの扇動にその天国の話を利用してるってのもなかなかまずいと思うんだけど。 そもそもイスラムは女性に対する風当たりが強すぎるんだよな。
婚前交渉を悪とするってのはわかるけど、死刑ってのは行き過ぎだろう。 だいたいレイプ事件にしてもレイプされた方の女が婚前交渉の罪で死刑ってマジキチだとしか思えない。 「ムハンマドが婚外セックスを行った男女に対して、未婚のものは鞭打ち、既婚者は石打ちによる死刑を行ったことが記されている」 って本当にもう言葉が出ないよw あんたの嫁は離婚して再婚だから許されるのかよw あんたは結婚してるからって一晩で何人もとヤッても許されるのかよw 結婚すればなんでもいいのかよw あの宗教はいったい何なんですか・・・ http://lunaticist.blog133.fc2.com/blog-entry-120.html [18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理 15. 中川隆[-12960] koaQ7Jey 2018年6月12日 13:28:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15217] ▲△▽▼ 中東のメイドの仕事とは
若い女性が金持ちの家にメイドで雇われて、性的被害に遭う話は、それこそ膨大にある。
ある女性が中東にメイドで雇われたが、仕事は老人の性介護(セックスの相手)であり、そのうちその家の息子たち全員の性の玩具にされてしまったという凄惨な話があった。 中東の出稼ぎはフィリピン人も多いが、やはりホスト・ファミリーにレイプされたり、性的ないやがらせを受けたり、虐待されたりしている。 ブラジャーだけやトップレスで掃除することを強要されたり、レイプされそうになって雇い主を刺殺したら、正当防衛に関わらず死刑の判決が下ってフィリピン全土が大騒ぎになったりした。 マレーシアでもインドネシアの女性が凄まじい虐待を受けた例もある(ぼろぼろになるまで虐待され、レイプされていく現代のメイドたち)。 インドネシアと言えば、最近はサウジアラビアで起きた事件でメイドとしてサウジに働きにいくことを禁止するほどの大事件が起きているのはご存知だと思う。 雇い主に追いつめられたインドネシア人のメイドが雇い主のサウジアラビア人を殺したのだが、政府は彼女に死刑を宣告し、インドネシア政府に何も知らせないまま断首刑を執行した事件である。 サウジアラビアで母を勝手に断首刑にされて嘆く娘
ユドヨノ大統領は激怒してサウジアラビア政府に最大限の抗議を行っている。
インドネシアの女性が国外で虐待に遭う事件が続出していて、メイドがいかに危険な仕事なのかを国民はもう知っている。しかし、それでも出稼ぎに行かなければ食べていけないのがインドネシア国民の悲哀でもある。 虐待を受けたメイドがどんな状況になっているのか、以下を見ればその深刻さが分かるだろう。 これは今、私が愛してやまないインドネシアやフィリピンの女性に起きている現実である。 雇い主に暴行(というよりも拷問)を受けたインドネシア人メイド
自国の女性に振るわれる暴力に抗議する人たち
平和が消滅すると女性の人権も消滅する
貧困国・貧困家庭の子どもや若い女性は、どこの国のどんな地域でも、必ず人身売買や性的搾取のターゲットとなっている。人種、宗教、地域問わず、すべてそうだ。 女性の時代というのは、「平和」と「豊かさ」と「教育」が維持されているときだけに囁かれるものであり、そのいずれかが消え去ると同時に女性の時代も簡単に消し飛ぶ。 特に「平和」は、「女性の時代」という幻想を築く上ではなくてはならないものである。 平和でなくなった瞬間、女性の時代もなくなる。女性の時代どころか、女性の地獄が出現するだろう。 人身売買の横行する貧困国を見ているとそれはよく分かる。戦争や内乱がそれに加わると、どうなるかはコンゴの例を見ればいいかもしれない(戦争とレイプ(3)コンゴのレイプ地獄から逃げて国境でも輪姦)。 今年に入ってからはリビアもカダフィ政権もまた中東民主化の波で内乱状態のようになってしまっているが、政権側は反政府側の女はレイプしても構わないとする「レイプ戦術」を執ったとも言われている。 15人に集団レイプされたと訴える女性
これはもちろん反カダフィ側(つまり欧米側)のプロパガンダである可能性もあって何とも言えないところでもある。
しかし、エジプトでもCBSの女性記者だったララ・ローガンがレイプされているのも周知の事実なので、リビアの女性が無事であるとは私には到底思えない。 内乱の際、レイプは暴徒にとっての最大の「楽しみ」になっているという醜い事実は隠しようがない。 http://www.bllackz.com/2009/12/blog-post_26.html ぼろぼろになるまで虐待され、レイプされる現代のメイド
http://www.bllackz.com/2010/11/blog-post_18.html
フィリピン女性に限らず、インド女性も、インドネシア女性も、中東にメイドとして出稼ぎに行く。
以前にも「上半身裸で働かされた」「レイプされ続けた」「父親からその息子たちにまで、みんなにレイプされた」「棒で叩かれ、小屋に閉じ込められ、食事を与えられなかった」と、様々な虐待がメイドたちに対して行われていることを書いているが、そういった虐待はなかなか収まることはない。 なぜなら、アラブ人は昔から「奴隷(スレイブ)」という存在に慣れていて、「奴隷は人間ではない」「動物と同じだ」「自分に所有権があるのだから、自分のものには何をしてもいい」という意識が根底にあるからだ。
アラブ人がという言い方をすればもしかしたら語弊があるかもしれない。イスラム社会の一部では、という言い方のほうが穏当だろう。 マホメットも奴隷を「所有」していたし、アラブ社会で続いていた戦争や略奪の中では、戦争捕虜は戦利品であり「奴隷」だった。奴隷の売買もあった。 またアフリカは奴隷の草刈り場だったので、アラブ人の多くがアフリカに南下して「人狩り」をしていた。当然、略奪されて集められた女性たちは「セックスの奴隷」とされるわけである。 ソマリアの村人大虐殺事件やレイプ事件でもアラブ人の民兵が容赦なくキリスト教徒を標的にしていることが知られている。 アラブの裏の世界でよく知られているのは「ハーレム」という女性の集められたシステムだ。 権力と金を持ったアラブ人はハーレムを作って、片っ端から女性を集めて、女性たちを好きに性処理の役目をさせていたが、彼女たちの面倒を見て、なおかつ好きなときに主人のセックスの相手までしていたのが「奴隷」である。奴隷に拒否権はない。 マホメットからアッバース朝、そしてオスマン帝国に到るまで、そのようなシステムは維持されていたが、そういった歴史があるので、アラブ人は「奴隷」について西洋人とは同じ観念を共有していない。 「人権」という概念そのものが社会に定着していないという言い方もできるかもしれない(もちろん、すべてのアラブ人がそうだというわけではないのは断っておきたい)。 一般に中東やイスラム社会というのは、奴隷や召使いの存在を当然のものとして、自分たちと対等の人間であると認める精神的構造がないことも多い。 これは彼らが冷酷非情なのではなく、そういう文化の中で育ってきたからである。アラブでの暴力の概念は非常に冷徹かつ直接的であり、、私は特別な関心を持ってそれを見つめている。 この暴力の概念が世界に及ぼす影響は大きいはずだ。何しろ、キリスト教徒が対立しているのが彼らなのだから。 〓 虐待に次ぐ虐待の記録
日本ではまったく報道されないので知らない人も多いと思うが、フィリピンのみならず、インドネシアでもメイドとしてマレーシアやサウジアラビアに向かった先で、凄まじい虐待に遭って国際問題になっている。 マレーシアで起きた虐待のほうは罵る、叩く、熱湯をかける、棒で殴打する、ベルトで鞭打つ、熱したアイロンを押しつけるような虐待をしていて、それが裁判沙汰になると、「あれはメイドの自作自演だ」と平然と主張した事件だった。 サウジアラビアのほうも凄惨だ。私の読んだ記事では事件の詳細には触れられていないのだが、「嫉妬した妻がインドネシア人のメイドに激しい虐待をした」と書かれている。
しかし、彼女は殴られ、蹴られ、罵られ、鉄の棒で焼かれ、はさみで身体と言わず顔と言わず、切り刻まれていた。 あまりにもショッキングな虐待にインドネシアの新聞では、彼女の切り刻まれた口唇にぼかしをかけるなどして報道している。 写真を見てわかる通り、これはもはや虐待の域を超えた制裁であり、インドネシアのユドヨノ大統領は激怒して「異常な拷問だ!」と叫んだという。
ただちにサウジアラビア大使を召喚して、これを外交問題化することを宣言し、いったい何が起きたのか調査団を派遣することに決めた。 サウジアラビアでも事態を重く見ており、この拷問の虐待者を非難しているようだ。 もしイスラム法で処罰するのであれば、虐待者の口唇も切り刻む必要があるが、そのような処罰は行われていないという。 しかし、今回の事件は稀な事件ではなく、氷山の一角であることをインドネシア国民は指摘している。 マレーシアの件でもサウジアラビアの件でも、インドネシア政府は救済に動くことを約束しているが、虐待もレイプも密室で行われる。後手後手の対応になるのは目に見えている。 また出稼ぎ先である中東との決定的対立もできないという弱味もあってインドネシア政府のできることと言えば、女性の「駆け込み機関」を作るくらいが精一杯ではないだろうか。 これとは別に、スリランカの女性もまた虐待されていて、スリランカで大問題になっていた。 彼女は雇い主に明け方から深夜まで休みなく働くことを強制され、睡眠時間を取ることも許されず、休みももらえず、疲れきって動けなくなると、熱した釘を腕に打たれたという。 その数は23本だった。 http://www.bllackz.com/2010/11/blog-post_18.html 「誘拐してセックスの奴隷にする」人身売買の世界のこと
http://www.bllackz.com/2010/10/blog-post_24.html
人身売買された子供たちを救う運動をしているフィリピンのシンディ・ロマイン氏が ABS-CSN NEWS 紙で語っている様々な話題のひとつに、興味深い話が載っていた。
人身売買を扱う悪人たちもフェイスブックを見ながら子供たちの情報を集めてキッドナップ(拉致)しているというのがインタビューの主旨である。 ウィリアム・ヒラーの事件
長い記事なので全部は紹介できないが、この記事の後半にあった娘を誘拐された父親の話は壮絶だった。要約しつつ書くと、話としてはこういうものだ。 子供を誘拐された父親の名前はウィリアム・ヒラー。アメリカ陸軍特殊部隊の大佐だった。 彼の娘はふたりの友人と共にバンコクを出発した列車の中で誘拐された。 24時間以内に、すでに彼女たちはクアラルンプールで無理やりセックス奴隷にされていたという。 誘拐された娘を見つけるために、ヒラーは友人を仲間に入れて、誘拐された娘の足取りを半年間追い続けた。 その捜査のために、彼はクアラルンプール、バンコク、カンボジア、香港、マカオ、そしてフィリピンと渡り歩くことになる。 そして最後に、ボルネオの倉庫で32人の少女が閉じ込められているところまで突き詰めた。そこで彼は娘の友人のひとりを見つけて、「俺の娘はどこだ」と尋ねた。 「ああ……。一週間前、彼女はここを脱出したの。でも警察に見つかって、警察は彼女をここに連れ戻して売った。彼女は他の子と同じように拷問されて死んでしまったわ」 子供たちが商品のごとく売られていく。 今、私たちが生きているのは、そのような異様な世の中である。
人身売買の映画「96時間」
ヨーロッパでリュック・ベッソン制作、リーアム・ニーソン主演の映画「96時間」というものがある。 この映画はウィリアム・ヒラーに起きた悲劇とよく似ている。このウィリアム・ヒラーのことをモデルに映画化されたのだとも言われている。 映画のほうはアルバニアの人身売買業者が犯人になっているのだが、アジア中を移動させられたウィリアム・ヒラーの娘と、アルバニアの人身売買業者は立場的によく似ているので、変更されたのだろう。 アジアの人身売買の出来事を、ヨーロッパの映画監督が舞台を置き換えてヨーロッパの物語にしたのである。 いずれにしても、どこの地域のどこの少女に置き換えても、この物語が成立することに、人身売買の根深さがある。 ちなみに10年前はロシア女性がカンボジアのホテルに監禁されてセックス奴隷にされていた事件があった。
彼女たちを買った客は政府関係者だったと言われているが、状況はうやむやにされて闇の中に消えてしまった。 「味をしめた」中東の男たち
人身売買が驚くほど広範囲で広がっている。フィリピンの子供で言えば、もうずっと前から中東に売り飛ばされて性奴隷にされていることが確認されている。 以前から何度も書いているが、フィリピンと中東の結びつきは非常に深いものがあって、中東にはフィリピン女性の多くがメイドとして中東に「輸出」されている。 アラブ一帯では昔から大勢の女性をひとりの男が独占するハーレムの様式とは別に、ひとりの女性を一家の男たち(祖父、父親、そしてその息子たち全員)が「共有」するのに抵抗がない裏事情がある。 メイドでやってきたフィリピン女性が、父親にレイプされたあと、日を置いて息子たちにも次々とレイプされ、最後には11歳だか12歳の男の子の性処理までさせられたという話も「ごく普通に」あって驚く。 上半身裸でメイドの仕事をさせられて最後には虐待死した女性もいるし、レイプされそうになったメイドが主人を殺して正当防衛が成立せずに死刑になりかけた事件もあった。 多くのフィリピン女性がレイプや性的嫌がらせ、そして虐待に耐えかねてNGOのシェルターに逃げ込んでいるのだが、表沙汰になるのは氷山の一角である。 ・ぼろぼろになるまで虐待され、レイプされる現代のメイド ・貧困・戦争がやってきたとき、女たちの人権はまったくない
そうやってフィリピン女性は犯罪の犠牲者にされているのだが、「味をしめた」中東の男たちにとっては、こういう発想を持つ男も出てくる。
「メイドではなく、フィリピンの幼い女の子を金で買って、永遠にセックスの奴隷にしてしまえばいい」 需要があれば供給があるのは裏世界でも同じで、そこで両国の人身売買業者がせっせと性奴隷にするフィリピンの幼女をアラブに送り込むことになる。 用済みになったら(あるいは虐待死してしまったら)、どうするのか。アラブでは特に慌てることもないようだ。そこには広大な砂漠が広がっている。 人身売買という世界があることを啓蒙するポスター。 売られていくのは、貧しい家庭の子供たち。 http://www.bllackz.com/2010/10/blog-post_24.html
比大統領、「恒久的に」クウェートでの就労渡航を禁止 2018年4月30日 8:31 発信地:マニラ/フィリピン クウェートから帰国したフィリピン人労働者ら。フィリピン・マニラの国際空港で(2018年2月18日撮影、資料写真)。(c)AFP PHOTO / NOEL CELIS 【4月30日 AFP】フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ(Rodrigo Duterte)大統領は29日、就労を目的とした自国民のクウェートへの渡航を恒久的に禁止すると明らかにした。これまでは一時的な措置にとどまっていた。クウェートで就労するフィリピン人労働者への待遇をめぐり、両国の外交的な対立がさらに深まっている。
クウェートでメイドとして働いていたフィリピン人女性が、冷凍庫内に押し込められた状態で発見された事件を受け、ドゥテルテ大統領は2月、クウェートでのフィリンピン人の新規就労を全面的に禁止していた。 さらに先週、クウェートのフィリピン大使館職員が、雇用主から虐待を受けていたとみられるフィリピン人メイトを手助けしている様子を捉えた動画が公となったことをめぐり、クウェート当局がフィリピンの外交官に国外退去を命じたことから、両国の緊張が高まっていた。 ドゥテルテ大統領は出身地である同国南部ダバオ(Davao)で記者団に対し、「禁止措置を恒久的なものにする。特に家政婦は今後増えることはない」と語った。 フィリピン外務省によると、クウェートでは約26万2000人のフィリピン人が働いており、その60%近くが家政婦。 [18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理 132. 中川隆[-11554] koaQ7Jey 2018年4月30日 13:17:05 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-12637]
▲△▽▼ フィリピン 虐待も横行する外国での家政婦労働 それでも外国に出ざるを得ない国内事情 2018-02-20 (クウェート市で、フィリピンから到着したばかりの女性たちが配属先の決定を待つ。【ナショナル ジオグラフィック日本版 2014年1月号】)
【海外出稼ぎ労働者からの送金は国内総生産(GDP)の1割に相当】 国内に十分な就業機会がないフィリピンでは、女性のメイド(家政婦)、男性の建設業など、外国への出稼ぎが重要な収入源となっています。こうした海外で働く者からの国内への送金は、GDPの1割にもなるとのことです。 下記はかなり古い記事ですが、状況は現在とあまり変わらないでしょう。 ****フィリピン人の出稼ぎ 送金額、GDPの1割 **** フィリピン政府によると2013年末時点で同国人口の1割の約1023万人(永住者を含む)が海外で暮らす。渡航先は米国が353万人と最も多く、中東が248万人で続く。 フィリピン人は公用語の英語が堪能で、世界中で看護師や技師、船員、ホテル従業員などとして働く。米ホワイトハウスの料理長が比人女性であることも知られている。日本の商船会社の乗組員の7割近くは比人で、日本郵船は現地に商船大を設立したほどだ。 こうした人たちは「OFW(オーバーシーズ・フィリピーノ・ワーカーズ)」と呼ばれ、首都マニラの国際空港には専用の出入り口まである。 OFWからの送金は国内消費に直結し、経済成長を支える。比中央銀行によると14年の送金額は前年比6%増の243億4800万ドル(約2兆9200億円)。国内総生産(GDP)の1割に相当する。 フィリピンは国民の平均年齢が23歳と若い。人口増に見合った就業機会を国内で提供できていなかったことがOFW増加の背景にあった。 優秀な人材が流出したり、家政婦として働く女性が虐待される事件が後を絶たないといった負の側面も無視できなかった。 経済成長に伴い「貧困層の出稼ぎ」の図式は変わりつつある。渡航費を自分で負担できる中間層が、より収入の高い仕事を求めて渡航する例が増えている。 一方で家族と離ればなれの暮らしを敬遠する風潮も出ており、在外比人の数は12年末の1048万人をピークに漸減傾向にある。【2016年1月4日 日経】 ******************* 【ドゥテルテ大統領 「アラブ人らは雇ったフィリピン人女性らを日常的にレイプし、毎日21時間働かせ、ごみを食べさせている」】 “経済成長に伴い「貧困層の出稼ぎ」の図式は変わりつつある”とは言え、未だ、そうした面が色濃く残っているのも事実でしょう。 そして上記記事が指摘している、家政婦として働く女性への虐待・搾取という“負の側面”がしばしば国際問題ともなります。 家政婦労働は家庭内で行われるため、虐待等の問題が表面化しにくいこと、主な出稼ぎ先である中東において、“アジア女性蔑視”とも思えるような風潮が見られることなども、そうした虐待の背景にあると推察されます。 こうした出稼ぎ労働が多いのはフィリピンだけでなく、インドネシアでもしばしば同様な問題が表面化して国際問題ともなっています。 現在問題となっているのは、フィリピン女性の中東クウェートでの虐待・レイプです。
****比大統領、中東でのメイド就労禁止を示唆 「レイプ事件横行」受け**** フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領は24日、中東クウェートでフィリピン人の家庭内労働者たちがレイプされているとして、自国民女性がメイドとして中東地域で就労することを禁止する方針を示唆した。 中東で就労しているフィリピン人は200万人以上。その多くがメイドとして働いており、家族への送金によりフィリピン経済を下支えしている。 しかし、クウェートおいて虐待や搾取のまん延、および複数の死亡事例が報告されたことを受け、ドゥテルテ氏は先週、自国民に対して就労を目的とした自国民のクウェートへの渡航を禁止した。ただ、すでに同地で就労している労働者は対象外だという。 ドゥテルテ氏は首脳会議出席のためインドに向かう直前、怒った表情で「また一つ女性に関する事件があった。フィリピン人女性労働者が向こうでレイプされ、自殺を図った。もう止めるつもり、禁止するつもりだ」と語った。 また、ドゥテルテ氏は「クウェートは同盟国だから、これについては率直に言わせてくれ」と述べ、「お願いだから、中東の他の国のためにも何とかしてほしい」「わが国の人々を人間として、尊厳を持って扱ってくれないか?」と述べた。 ドゥテルテ氏は先週、フィリピン人女性4人が過去数か月の間に死亡したことを明らかにしていた。自殺とみられるという。【1月24日 AFP】 ******************** 特にフィリピン国民、ドゥテルテ大統領の怒りを掻き立てたのが、フィリピン女性メイドの遺体が1年以上冷蔵庫の中に押し込められて放置されていたという事件。 ****クウェートで出稼ぎのフィリピン人女性、冷凍庫で発見 無言の帰国**** クウェートでメイドとして働いていたフィリピン人女性が今月、冷凍庫内に押し込まれた状態で発見され、16日に無言の帰国をした。 ジョアンナ・デマフェリスさんは、レバノン人男性とシリア人女性の夫婦のメイドとして働いていた。雇用主の夫婦は2016年から消息を絶っている。 首都マニラの空港で待ち受けた遺族は、輸送機から降ろされたデマフェリスさんのひつぎに取りすがって号泣した。デマフェリスさんは生前、両親と一番年下のきょうだいを助けたい一心で故郷を離れるのだと語っていたという。 事件はフィリピンとクウェートの外交問題に発展。 激怒したフィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領は、アラブ人らは雇ったフィリピン人女性らを日常的にレイプし、毎日21時間働かせ、ごみを食べさせていると非難した。 さらにフィリピン政府はクウェートにおける自国民の新規就労の全面禁止を発表するとともに、数百人を飛行機で帰国させた。この動きは中東諸国の反発を招いている。 当局によると、クウェートで出稼ぎするフィリピン人の数は25万2000人に上っており、その多くがメイドとして働いている。クウェートでは家事労働者には一般の労働法が適用されておらず、虐待や搾取の被害を訴えるフィリピン人労働者が後を絶たない。【2月16日 AFP】 ******************** ドゥテルテ大統領は「彼・彼女らの尊厳と基本的人権を重んじて欲しい。危害を与えないで欲しい」とも。 ****ドゥテルテ大統領、クウェートへのOFWsの派遣を禁止**** ロドリゴ・ドゥテルテ大統領は、虐待やそれによる死亡のケースが増えていることから、海外フィリピン人労働者(以下、OFWs)をクウェートに派遣することを禁止にした。(中略) 大統領は、「フィリピン人は誰に対しても、どこででも、奴隷ではない」と強調し、「私達は労働者への特別なケアや特権を求めているわけではない。ただ彼/彼女らの尊厳と基本的人権を重んじて欲しい。危害を与えないで欲しい。お願いします」と述べた。 記録によると、2016年には82件のOFW死亡のケースがあり、昨年は103件であった。現在クウェートでは約262,000人のOFWsが働いており、そのうち170,000人が家政婦として働いている。 ****虐待か無職か フィリピン人出稼ぎ労働者に突き付けられる究極の選択****
クウェートでメイドとして働いていたフィリピン人女性が殺害された事件をきっかけに、同国で家事労働をしていた多数の女性たちがフィリピンの首都マニラに相次いで帰国している。 彼女のたちの多くは雇用主による虐待や暴力を経験しているが、それでも再び国外で働くリスクを負う覚悟をしている。 自国の家族を養う必要性が、時として劣悪な環境やクウェート警察の目をかいくぐりながら生活することの危険性を上回っているからだ。 富裕国クウェートで5年近く働いたというマリッサ・ダロットさんは、 「雇用主の母親に暴力を振るわれました。厚底の靴で殴られ、体にあざができましたが、それでもとどまりました」 と語った。 「子どもたちが学校に通っている間は、帰国せずに働き続けたかったんです」と話すダロットさんは、結局先週末に帰国することに決めた。 国外で働くフィリピン人労働者は約1000万人。その職業はさまざまだが、中央銀行によると彼らが国に送金した金額は去年だけで計280億ドル(約3兆円)を上回り、フィリピン経済の屋台骨となっている。 クウェートで家事労働をする人々の環境をめぐる問題は、フィリピン人のジョアンナ・デマフェリスさんが遺体となって冷凍庫から発見されたことによって浮き彫りにされた。 激怒したフィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領は、アラブ人らは雇ったフィリピン人女性らを日常的にレイプし、毎日21時間働かせ、残飯を食べさせていると非難した。 クウェートで働くフィリピン人労働者は約25万2000人。多くはメイドとして雇われており、虐待や搾取が横行しているという報告もある。 ドゥテルテ大統領は、自国民に対して、就労を目的としたクウェートへの渡航を禁止した。すでに同地で就労している労働者を法的に保護する手立ては、現在閣僚らが検討している。また、クウェートからの出国を希望する家事労働者には無料の航空券を手配している。 https://blog.goo.ne.jp/azianokaze/e/82f0d42b1a3e581840e422453eac36f7 サウジアラビア 繰り返されるアジア人出稼ぎメイドを巡るトラブル 背景に差別意識も 2013-01-10
(サウジアラビアで斬首刑にされたスリランカ人出稼ぎメイド、リザナ・ナシカ元死刑囚の姉リフタ ナシカ元死刑囚が通った学校の校長によれば、ナシカは家族・姉妹思いの勇気ある女性だったそうです。
言葉も分からない異国でメイドとして働くことになった17歳の少女に何が起きたのかは、よくわかりません。 姉リフタの服装からすると一家はムスリムのようです。 そのこともあってイスラム国家サウジアラビアに向かったのでしょう。 “flickr”より By IPS Inter Press Service http://www.flickr.com/photos/ipsnews/6755674291/) 【「サウジ当局が基本的な人道や法的義務を軽視していることがはっきりした」】 中東の富裕国サウジアラビアでは、東南・南アジア各国から貧困層が出稼ぎ労働者として多く働いていますが、その労働環境・待遇には問題も多く、トラブルが絶えません。 女性の場合はメイドとして働くことが多く、労働現場が家庭内ということもあってトラブルの真相も明らかでないことも多いようです。 また、イスラム諸国の中でも厳しい宗教戒律で知られるサウジアラビアにあっては、斬首刑といった極刑が課されることもあって、国際的な問題ともなります。 今回、斬首刑が執行されたのは、事件当時17歳という未成年だったスリランカ女性です。 ****赤ちゃん死なせたスリランカ人メイドを斬首、サウジアラビア**** サウジアラビアで9日、雇用主の赤ちゃんを殺害したとして有罪判決を受けたスリランカ人メイドの斬首刑が執行された。死刑執行の猶予を繰り返し求めていたスリランカ政府は激しく抗議している。 処刑されたリザナ・ナシカ元死刑囚は、事件が発生した2005年当時、まだ17歳だった。未成年の犯罪に対して死刑を科しているのはサウジアラビアのほか世界で2か国しかなく、処刑には各人権団体からも非難の声が上がっている。 国営サウジ通信が伝えた同国内務省の声明によると、ナシカ元死刑囚は雇い主の女性と口論になった後、その子供を窒息死させた罪で死刑判決を受けた。 斬首刑は、スリランカ政府が恩赦を求めるための代表団をサウジアラビアに派遣しようとしていた矢先、首都リヤド近郊で執行された。スリランカのマヒンダ・ラジャパクサ大統領は即座にこの処刑を非難。知らせを受けた同国議会では、議員らが1分間の黙とうを捧げた。 国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチによると、ナシカ元死刑囚は生前、自白は強要されたもので、赤ん坊の死はボトルからミルクを飲んだ際に誤って窒息したことによる事故死だったと訴えていた。 同団体の女性権利担当者は「リザナ・ナシカさんを処刑したことで、サウジ当局が基本的な人道や国際社会で求められる法的義務を無情にも軽視していることがはっきりした」と述べている。【1月10日 AFP】 ********************** スリランカでは海外への出稼ぎ労働は、タミル人武装組織との内戦で疲弊した経済を再建するためのもっとも手っ取り早い方法と考えられています。 実際、年間40億ドル以上が海外出稼ぎによって送金されており、その少なくとも30%を家政婦・メイドとして働く女性が担っています。 経済の生命線を担っているとも言えますが、その対価は決して小さくありません。 適切な職業訓練もせずに若い女性を送り出す斡旋機関の問題もあります。 【「奴隷のよう」 過酷な労働実態】
1年半前、インドネシアからの出稼ぎメイドがやはりサウジアラビアで斬首刑となり、インドネシア側の激しい反発を招いた事件がありました。 ****インドネシア、出稼ぎメイドの斬首刑でサウジに抗議**** インドネシアのスシロ・バンバン・ユドヨノ大統領は23日、サウジアラビアで雇い主を殺害したとして有罪となったインドネシア人メイド(54)が斬首刑に処せられたことについて、サウジ政府が国際関係上の「規範と礼儀」を破ったと国民に向けたテレビ演説で非難し、「最大限の抗議」を行うと述べた。 一方、国営アンタラ通信がムハイミン・イスカンダル労相の話として伝えたところによると、インドネシア政府は22日、自国民がサウジアラビアへ出稼ぎに行くことを禁止する措置を8月1日から実施することを決めた。この措置は、サウジアラビア政府がインドネシア人労働者の人権保護に関する覚書に署名する日まで有効だという。 インドネシア当局によると、18日に処刑されたこのメイドの女性は、サウジアラビア人の雇い主にインドネシアへの里帰りの許可を求めたが認めてもらえなかったため、雇い主を殺害したと供述していたという。 処刑を受けて、インドネシア政府はサウジアラビア政府に強く抗議。インドネシア議会は21日、人権の保証が確約されない限り自国民を海外に送り出すことを禁止すべきだと政府に提言した。また、インドネシア人労働者が海外で度重なる虐待を受けている問題をめぐって、ユドヨノ内閣の一部閣僚が辞任を余儀なくされている。 サウジ政府は22日、女性の処刑をインドネシア政府に前もって伝えていなかったことを謝罪した。 なお、サウジアラビアでは別のインドネシア人メイドも、2007年12月にイエメン人の雇い主を殺害したとして死刑判決を受けている。このメイドは、レイプされそうになったために殺害した正当防衛だと主張している。 インドネシア当局によると、雇い主の遺族は女性が今年7月までに200万リヤル(約4300万円)の賠償金を支払えば赦免すると述べており、インドネシア政府がこの賠償金を肩代わりするという。【2011年6月23日 AFP】 ********************** メイドは家庭内で暴行・虐待・レイプなどにさらされることも多く、インドネシア民間団体によると、 雇用主の暴力が原因と見られるインドネシア人の死者はサウジアラビアだけで少なくとも100人以上にのぼるとも報じられています。 下記記事からは、その劣悪な労働環境が推察されます。 ****インドネシア:家政婦遺族ら真相究明を サウジで斬首刑に***** サウジアラビアで雇用主の女性を殺害したインドネシア人家政婦に斬首刑が執行され、出稼ぎ労働者の過酷な労働実態にインドネシア国内で批判が強まっている。暴力が原因と見られる死亡例も多く、遺族らは真相究明と遺体の早期送還を求めている。 「あんなに元気だった妹がなぜ。真相を知りたい」。イエニさん(35)がサウジで働いていた妹エルナワティさん(18)の訃報を聞いたのは今年2月。 妹は15歳だった08年8月、サウジのハイルに出稼ぎに行った。直後から携帯電話で雇用主の妻による暴力を訴えた。 睡眠時間は約3時間。仕事は多く、失敗すると何度もたたかれた。 帰国は許されず、雇用主の友人にレイプされそうになったこともある。 今年1月、「死んだら両親をよろしく」と携帯電話のメッセージが届いた直後、連絡が途絶えた。外務省に保護を求めたが、対応してもらえなかったという。 一緒に働いていた家政婦によると2月10日、それまで3日間食事を与えられず、逃げようとしたところを雇用主の妻に見つかり、その友人の男性にホースで胸などを何度も強く打たれた。 血を吐いて倒れ、病院で息を引き取ったという。病院からは同13日、「自殺した」と連絡があった。大使館に遺体引き取りを依頼したが、「調整中」としていまだに実現せず、同時に求めた実態調査も「地元警察に依頼した」と返答があっただけだ。 民間団体「ミグラント・ケア」によると、雇用主の暴力が原因と見られる死者はサウジだけで少なくとも100人以上。 約半数は遺体がインドネシアに返還されていない。同団体のアニス事務局長は「政府は対応が遅すぎる。労働者保護と遺体送還をきちんと定めた覚書を一刻も早く締結すべきだ」と主張する。 インドネシア外務省報道官はエルナワティさんのケースについて「病院の検視が終り次第送還される」と説明。他のケースについては「要望があった際は大使館を通じてサウジ側に送還を依頼してきたが、遺族が望まないことも多い」と話した。【2011年6月28日 毎日】 ********************** サウジアラビアだけでなく、近隣の湾岸諸国でも同様の問題が起きています。 ****インドネシア:「奴隷だった」オマーンから帰国の元家政婦***** サウジアラビアで雇用主を殺害したインドネシア人家政婦が6月中旬、死刑となったのをきっかけに、出稼ぎ労働者に対する虐待への批判が高まるインドネシア。 「まさに奴隷だった」。2カ月前に中東オマーンから帰国した元家政婦ルスナニさん(47)は毎日新聞の取材に、その実態を証言した。 サウジ、クウェート、オマーン。ルスナニさんはこれまでに計3回、中東諸国に出稼ぎに行った。「雇用主や家族の暴力は当たり前。サウジで斬首刑になった女性と私の境遇はとてもよく似ている」と打ち明けた。 3人の子供の教育費を稼ぐためだった。夫とは離婚。いずれの国でも、雇用主から虐待を受けたり、給与の不払いを経験した。「何度も復讐(ふくしゅう)したいと思ったが、私は殺さなかった。お金のため、と自分に言い聞かせ、子供のことを考えて耐えた」 09年5月、アラブ首長国連邦のアブダビへ。他の家政婦と一緒に「マネキンのように並べられ、8000サウジリヤル(約17万円)でオマーンの政府高官に買われた」。仕事は炊事、洗濯、掃除に庭の手入れ。 睡眠時間は、平均すると約3時間程度。 10年4月に雇用主が失業してからは、特にその妻からの虐待が激しくなり「仕事が遅い」と木の棒や素手で殴られ、賃金の支払いも滞った。 「大金を払ったのだから、あんたは私のモノ。何をしてもいいの。政府や法律なんて関係ない」。 妻は何度もそう言ったという。 手紙を出すことも電話をかけることも許されず、外出もできない。 「インドネシアに帰らせて」。そう頼むたびに、暴力を受けた。 4月中旬、キッチンで妻が「新しいナイフはどこ」と尋ねた。思い出せずに探していると、自分で見つけた妻がルスナニさんの首にナイフを突きつけ、「帰ることばかり考えているから忘れるんだ。だったら先に首だけ帰してやる」と叫んで力を込めた。あごが切れ、血が流れた。 翌朝、雇用主から不払い給与13カ月分のうち4カ月分の約520万ルピア(約4万9000円)だけ渡され、そのまま放り出された。 今も棒で殴られた右腕がしびれ、力が入らない。虐待された記憶がよみがえり、恐怖と怒り、悔しさで涙が止まらなくなる。末っ子の長男はまだ高校生。大学生の長女と約束したパソコンは今も買えていない。【2011年7月4日 毎日】 ********************* 【差別意識が虐待などを助長】 こうした事件・トラブルが後を絶たない背景には、中東諸国におけるアジア人蔑視の風潮があると指摘されています。サウジアラビアなど保守的イスラム国では女性の社会的地位も低いことから、アジア人女性は社会的最下層に位置することになります。 ****アジア人への偏見も**** インドネシア大のスリスティオワティ・イリアント教授(女性・ジェンダー学)の話 中東諸国は一般に、渡航手続きの規制が緩い。出稼ぎ労働者の多くは地方の貧困層で、年齢などで規定に満たない場合も少なくない。書類を偽造し、渡航をあっせんするアラブ系移民の業者もあり「行きやすい」ことが背景にある。 一方、インドネシア人の大半はイスラム教徒で「アラブ」は預言者ムハンマドを生んだ聖地であり、雇用主はその末裔(まつえい)と考えることが多い。富裕層への憧れもあり、「アラブ人は豊かで善良」とのイメージも根強い。 だがアラブ社会には、アジア人に対する偏見がある。アラブ人と非アラブ人、富者と貧者を区別し、男尊女卑の文化も色濃く残る。 最上位はアラブ人男性で、アジア人女性は最下位に置かれる。 同じアジア人でも、フィリピン人の多くは看護師など医療部門で働くが、インドネシア人の女性は家政婦中心で最下層と見なされ、差別意識が虐待などを助長している。【同上】 https://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20130110 [18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理 16. 中川隆[-12977] koaQ7Jey 2018年6月12日 13:39:25 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15235] ▲△▽▼ ムスリムは粗暴なだけで日本人みたいに変態的ではない 1 ボボタン 2006/04/03(Mon) 15:09 安徽省の中国人から、9歳の少女を養うという約束で5万円で引き取りました。 学校行かせてますが1年間の学費が2000元。。。
夜は、一緒に寝て性教育をしています。 中国北部には、2万人以上が女の子の養育に困っています。 少女を養育してやると言えば、数万円で手放す親がいくらでもいますよ! どうですか? 一人ぐらい飼ってみるのは。。。。 ______
中国の南部では少女買春が盛んです。
これは、「処女とセックスすると長生きできる」という迷信ゆえ、宗教思想によってもともとそうしたマーケットがあったようです。 それに拍車をかけたのが経済的発展を遂げた西欧諸国、そして日本からの買春ツアーのお歴々です。 1980年代末、児童売買シンジゲートは香港で暗躍し、一部の山岳民族などが 貧困のため、小学校入学前の子供を売りに出したのである。 その少女を買うために、世界から中国・タイなどに集まっています。 いまだに、少女売春が出来るのも発展途上国の少女達のおかけです。 香港でも、同じようなことをやっているよっ!
年齢からすると、まだ10歳にもならないだろう少女が親に手を引かれ外国人(主にアメリカ人と日本人)相手に、 「私の娘を買ってくれ。私の娘はこの辺では一番安い。」 などとまとわりついてくるよっ! 貧しい国は、風俗もすごい!
未成年はもちろん、まだハイハイしてるような女の子(赤ちゃんだね)もいる。 香港での幼女の値段は確か5万円くらいのはずだ! 大卒のサラリーマンの月給が5000円程度だから、向こうではかなりの高額だといえるのかもしれない。 「金があればなんでも出来る。」と中国人が言っていたのは、嘘では無いようだ。
俺が勤めている会社の社長は、
「もうやりたいことは全てやってしまった。 だから今度はもっとすごい事がやってみたい。」 って言ってますよ!!
貧しい国ではなんでもあり。 幼女を買ったり売ったりなんて、日常茶飯事です。
僕は中国しか知らないので、両国とも日本円で2万あれば一日中OKですよ。 15位になるとこれよりも安くなりますよ。 僕は5〜10位の娘が目的なもので、5歳の娘に口内発射した時は最高でしたよ。 飲む姿よりゲボゲボする姿が最高に興奮するのです。 5歳の娘のフェラなら20〜30で楽しめますよ! 月に一度は、18時間かけて国境近くまで遊びに行ってます。 場所は、詳しく言えないけど此処はまだ5〜10位の娘と遊べます。 俺が買ったのは恐らく7歳(言葉通じないんだよ)で、内容は日本円5万で2日間貸切!
その間は傷つけたり、殺さなければ何でもOKでした。 まぁ、俺の場合最初の24時間は舐めさせ続け 二日目は、挿入プレイ(もち、中出し・顔射もあり) 使いこまれてはいないが痛がる気配無し ほのかに感じた顔が余計に性欲を掻き立てる 日本円で+5万出せば本物の幼女処女も手に入る しかし、泣き喚いてウザイので俺は2回しか買った事がない あ、あとオプションのドラッグ入れてのセックスやったけどあれはダメだ! 日本に帰りたくなくなる ___ 中国の小学生だったら充分できるよ。
さすがに初めは処女だっていうのもあって大変だったけど、濡れヅライ部分はローションでカバーしてる。
やっぱり中国の小5でも体格は、日本の2・3年ぐらい体格です。 中学にもなると体も少し発達してるし、年頃で色気づいてるからそういう所をくすぐれば結構簡単にできるかも。 俺が遊んでいる子は、小5だけど生理もないし、体格も3年生ぐらいです。 恥じらいも無いので、人差指と中指でちょっと大きくなってるクリトリスを皮ごと挟んでしごくように愛撫した。 たまに中指を薬指に変えて、クリトリスの皮を剥いて自由になった中指でちょん、ちょん、と触ってやるだけで濡れます。 時々体がビクンってなって、乳首も堅くなります。 それからは中指でクリトリスを回すようにしてみたり、親指と人差指で摘むようにしてみたりして、クリトリスをコリコリしてやると驚く程肥大してくる。 いつもより一段と堅くてデカくなってるペニスをおまんこにあてがってゆっくり入れていこうとしてもかなり締まっててなかなか入っていかない。 だからほんの少し入れてそこでユックリと出し入れをしてやってる。 入ってく時はムリュって感じで押し入る感じが最高です。 そうしてると結構濡れてきて、亀頭くらいは入るようになるけど、それでもかなり窮屈。。。 ちょうど半分くらい入っていった時に、一度目の射精をしてやると体を震わせてしがみ付いてくる。 それからも少し時間をかけてゆっくり奥まで入れてやり、ヌルヌル度が増して入れ易くなってくるから、時間をかけて根元まで挿入してやる。 後は出し入れするのを速めたり遅くしたりして、充分キツキツの小学生のおまんこを味わっています。 「小学生の」「小学生の」って思うとすぐにイきそうになっちゃったから実はできるだけそう思わないようにしてたんだけどね。 小学生とやると理性崩壊して中に出してしまいますよ。
かなり興奮しているから絶え間なくドクドクと出てきて自分でも驚くくらいの量の精子がでますね。 後は、しゃぶらせているけど、セックスのおぼえがいいみたいでかなりうまくなってきています。 俺も小学生相手にやりすぎかもしれないけど最高のペットですね! 4歳にもなると、朝おむつを替えてやると恥ずかしそうにして可愛いですよ! でも、オマンコにチンポを入れても痛がらずに腰を振りますからね。 遊ぶには最高です。 おむつっ子は8枚〜10枚ってとこが相場です! 俺が、いまハマッテるのが失神セックス。。。
首の頚動脈を軽く押さえて失神させるやつ! 絞め技と同じように少女をおとすのよ。 ただでさえ狭い少女の膣が、失神する前に断末魔の締りをするんだよ。 これが、数分続くから最高だね! この辺の相場は、赤7枚ってとこだね。 ____
アナルベイビーという言葉を知っているかな?
アナルベイビーとは男女問わずアナルを犯されるために取引されている赤ちゃんのことです
もちろん買う人や赤ちゃんの性別によってアナルだけではすまないことも多々ありますが… 男女に共通しておかされるアナルからとってアナルベイビーという名がついたようです 買う人間はたいていが香港大富豪の変態のようです でも、2〜3万元と言うから買えない金額じゃないと思うけど、買っても育てるのが大変だから… 中国って売ってない物は無いって感じだね!!
ちっちゃいおんなの子のアナルって良いよね! 5歳位までのちっちゃい子のアナルに萌える人集いましょう! 蛇口で買った、少女の後ろから勃起したペニスを肛門に入れてアナルセックスを楽しみました。
アナルセックスは初めてらしく、最初は痛がって逃げようとしてましたよ! グッボッォとチンポが入ると「ぎぃぃぁぁぁぁぁ…」と叫び声をあげて失神。 腰を少しづつ突き上げてゆっくりとチンポを入れてやった。 後ろから抱きしめながら少女を引き付け腰を沈めこんでやると気が付いたらしく。 チンポを出そうと力んで肛門が閉める。 これが最高に気持ちが良く少女は泣きながら腰を突き出しくるから、腰を一旦引くと勢いをつけて押し出して中に出してやった。 最高のアナルセックスが楽しめたよ!
これで、6枚なら安い買い物だと思うよ。 ____
先月、買った女の子とアナルで遊びましたよ!
アナルを使って射精して! 射精して萎えないのでとっても嬉しい!
二発目が終わってチンポを抜くと不気味に膨れ上がったアナル。 次の瞬間、拡張されまくったアナルから、極太の一本糞。。。。。 俺のチンポの数倍の太さがあって凹みました。 あの齢で、あれだけの太さの一本糞をするのだから、フィストも出来そうですよ! やっぱり、女の子のアナルは最高ですよ。 少女とアナルセックスをしている人って多いんですね!
年令によっては、アナルの方が入れやすいよ! 詳しくは、ヤバくて書けないが経験者ならわかる事です。 パカッと開かす事も可能です。 それに決してキツくは無いので入りますよ 南京で3歳と7歳のアナルに入れたことがあるよ! 結構きつかったけど気持ちよかった。 征服感が凄くて興奮したよ! ハァハァ・・・た、たまらないよねぇ・・・
幼女の子宮にピュッピュッって射精 征服感と満足感が最高だねぇ・・・ いやがる幼女のアナルに無理矢理入れて犯すのがやめられないねぇ・・・ 可愛いマンコがこれ以上無いくらいに汚くなる瞬間が最高だよ!! 深夜の1時から始めて終わったのが明け方6時を回っていたのよ!
これで5時間くらいやりっぱなしで、それで挿入したまま爆睡。。。 気づいた時は、夕方の4時を回っていたよ。 そのときは、2才児だったから挿入されたままオネショしていたね! 私は、起きて直ぐに幼女を連れてお風呂に連れて行きアナルにしてやったよ! 勿論、挿入したままは出来ないから、抜いてポッカリ開いたアナルにめがけてしやった。 結構感じたらしくオシッコを漏らしながら痙攣してイッタみたいだった。 アナルは、初めてでもすんなり入る子が多いからねっ。
今付き合ってる床屋の12才は初めてでもあまり痛がらなかった。 むしろマムコの方が入らない・・・ だから仕方なくアナルに挿入してる。。。 何度もアナルセックスを繰り返しているうちに挿入のコツを掴んだので小柄だった小6の子を置屋で買った時、あっさりと挿入する事ができました。 本当に「すんなり」っていう感じでした。 肛門の伸縮は凄いですよね。 もちろん4歳児だった3人目もあっさりと入れる事が出来ました。 先月の初めに、蛇口で買った8歳のアナルバージンは腰枕の体勢で正常位(ブス顔を見ながら)と冒険しました。 でも、締まりは最高でしたね! ____
中国では一人っ子政策で女の子が生まれると捨てられます。
男の子と女の子なら当然男のこの方がたよりになるからです。 そして、そういう子はマフィアや拾い主によって売春になります、 だいたい8歳ごろからはじまります。 15歳ごろまでは女の子は顔が日本人とあまり変わらないので多分それぐらいまでやらされることでしょう。 ぶっちゃけすごくかわいいですよ。まあ、ロリですけど・・ ヤミで売買される幼女1人の価格は『健康』な6歳以下の幼女ならば5万リンギ(約160万円)以上が相場。
美少女中学生にはその半額から7倍程度が支払われていたと見られている。 7 (><)ゞ 2003/11/05(Wed) 18:10
これ知ってる、と言うか買わないかと言われた、 この人たちからじゃないけど農村に行ったときに、断ったんだけどね 31 名無しさん 2006/04/02(Sun) 23:25
中国の赤ちゃん事情は、幼姦のための売買ですね! 1歳〜3歳の処女で、3000元〜5000元ですよっ! 中国の平均月収の2ヶ月分ですから、凄い高価な遊びです。 4歳〜6歳の処女で、2000元〜3000元で、 7歳〜の処女が1500元ぐらいです。 俺が、買った幼稚は3歳の処女! 2700元の掘り出し物でした。
1晩で、次の昼過ぎには自分でチンポにオマンコを擦り付けて来るほどの淫乱になっていました。 最高でしたよ!!
いろんなタイプの女と いろんな体位で とことんやりこんできた。 そして あらゆる経験をすることで ようやくわかってきた。 この世の究極の快楽はロリだということが。 全身 身震いするほどの絶頂感! もう普通の女は臭くて抱けん。 ロリと一度も経験しないで死んでいくなんてそんなつまらない人生を送っていいのだろうか。 中国人の幼女が最高の絶品名器でございまする。
中国幼女 >カンボジア、ベトナム幼女 >タイ、日本女児
ただし中国で幼女貫通がチクラレルと、麻薬系犯罪と同じように死刑にもなりかねませんので、こころしてヤッテくださいネ。
6歳ならすんなり入るが、3歳女児はやっぱりすっごく大変。
てかうまくいってないんだけど。 上記のコピペ元は
深セン夜遊び情報 http://www.p-shanghai.com/megabbs/shinsen/index.html 上海夜遊び情報 http://www.p-shanghai.com/megabbs/shang/index.html 上の掲示板はつい最近まではこういう記事で賑わっていたのです。
日本人は南京大虐殺の時から何も変わっていないんですね。 中国人が反日になるのも当然です。 [18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理
17. 中川隆[-12976] koaQ7Jey 2018年6月12日 13:47:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15235] ▲△▽▼ ムスリムは粗暴なだけで日本人みたいに変態的ではない _ 2 日本は戦争中に中国で何をやっていたのか 日中戦争証言 劉寨子 王さん(64歳)さんの話 1972年の日中友好国交回復に対して、この地域の人はみんな反対しました。 私たちは、つらい経験したのに、どうして今更友好などという言葉を言い出して関係を回復するのか。 政府は何回も説得して、 「当時は軍国主義のやったことで、日本人民、日本国民たちとは友好関係を持っていかなくてはだめだ。戦争は、普通の人民の責任ではない。」 と教えられた。 しかし、今も気持ちとしては、今になってもやはり「日本」という二文字を聞いたら「憎む」という気持ちが湧いてきます。 私の考え方では、このような歴史はいつまでも次世代、どんな世代になっても忘れてはいけないことです。私はわりと若いですから、当時の詳しい話は次の夏さんに教えていただきたいです。 http://www.jade.dti.ne.jp/kaworu/syogen/ryujya.html#ou78 父の遺言 倉橋綾子
憲兵だった私の父・大沢雄吉(1915年群馬県生まれ)は、1986年に肝硬変を患い、71歳で亡くなりました。その直前に私は父から紙切れを手渡されました。鉛筆書きのふるえる字で、次のように書いてありました。 「旧軍隊勤務十二年八ケ月、其ノ間十年、在中国陸軍下級幹部(元憲兵准尉)トシテ天津、北京、山西省、臨扮、運城、旧満州、東寧等ノ憲兵隊ニ勤務。侵略戦争ニ参加。中国人民ニ対シ為シタル行為ハ申訳ナク、只管オ詫ビ申上ゲマス」 父はこれを墓標に刻んでくれと言い残しました。しかし様々な事情により、その願いをかなえることができないでいます。(昨年、羽生市の翁抗日反戦美術館に、父の遺言文と写真を置かせていただき、ほっとしました。) 父は祖父の道楽のため貧しい少年時代を送り、中学校には行けませんでしたが、猛勉強して憲兵試験に合格したとのこと。高い給料が欲しかったのだと思います。敗戦を旧満州で迎え、二度逃亡して帰国できたそうです。 ゼロから始めた洋品店を大きくすることに心血を注ぎ、働きづくめでした。従軍看護婦だった母もまたよく働きました。父は枕元にいつも「中央公論」を置き、林芙美子の「放浪記」、深沢七郎の「風流夢タン」などがお気に入りでした。五味川純平の「人間の條件」を読んで泣き、その映画を私たちに見に行かせました。田舎には珍しく進歩的、合理的な人間で、尊敬されたり煙たがられたりしていました。 私は父に可愛がられ、人生観、世界観にその影響をもろに受けました、やたら正義感がつよくて突っ走ってしまうのは、父そっくりです。私は子供の頃から、父があの戦争に加わったことを悔やんでいたのは知っていました。しかし一度も、父が実際には何をやったのか聞いたことはありませんでした。 父の死後、謝罪の遺言を残すほど悩み抜いたことを思うにつけ、父があわれでなりません。その苦しみを分かちあってやれなかった自分が情けなくもありました。そこでせめて、父の戦友からどんな事があったのか、話を聞いてみようと思いたちました。 http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/backnumber/03/kurahasi_yuigon.htm 君のお父さんが中国で何をしていたのか教えてあげるよ.
仕事だから仕方無かったのさ: 拷問の光景を見てみよう。
土地の者ではないということが、怪しいとみた理由だが、功名心にはやる土屋にとっては、それで十分だった。抗日分子なら大手柄だ。「オレが張った綱にかかった」のである。名前を張文達といった。三十三歳の近くの農村の農民で、「この街に買い物に来ただけ」と、おびえた目で話した。「いやいや、これは怪しい。この男は抗日軍の物資調達係だろう。貫禄から見て班長級だな」ど、士屋は決め込んだ。「何としても本拠地を吐かせ一網打尽にしたい」「これは大変な功績になるぞ」。思いだけは駆け巡るのだが、土屋は実際の取り調べをしたことがなかった。それて先輩格の伍長に取り調べを頼んだ。・・・ まず、伍長が命じたのは、「こん棒を持ってこい。それも生木の丈夫なのだ」。これで殴りつけろ、という。土屋の頭に浮かんだのは、「何も生木のこん棒でなくても。相手は人間なのだから、せめて竹刀ででもいいではないか」という思いだった。だが、伍長の、それも実務を教えてくれようとする上官の命令だ。士屋ど同僚の上等兵とで、こん棒を振り回した。男は殴りつけるたびに、「ウッ」「ウッ」と声を立てたが、何も言わなかった。着ている綿衣からほこりだけはあがった。 効果がないのが分かると、伍長は、机を二列にして、積み重ねさせ、上に棒を渡した。いわば器械体操をする鉄棒のような形だ。この棒に、両手足を麻縄で縛った男を後ろ手にしてつるした。体の重みを不自然な形の両腕で支えるのだから、苦しい。それも一時間、二時間の単位だ。はじめ真っ赤になった男の顔は、青ざめていき。脂汗をにじませてきた。だが、何もいわない。「こんちくしょう」と、伍長は十キロもある石を軍馬手に持ってこさせ、浮いていた男の足に縛りつけた。両肩の関節がゴクッとなった。「ウーン」とうなり、男は気絶した。舌打ちをした伍長は「今日はもういい、明日は必ず吐かせてやる」と言い残して自分の部屋に戻ってしまった。・・・ 二日目もひどい拷問が続いた。指南役の伍長は、どこからか焼きゴテを探して持ってきていた。これをストーブで焼け、という。「赤くなるまでだ」と、次の場面を予想して躊躇する土屋に付け加えた。男を留置場から引き出し、上着をはがし、背中をむき出しにした。赤く焼けたコテを男に見せて脅し、自白を強要するのか、と士屋は思った。ところが違った。伍長はいきなり背中に押しつけた。ジューッという音と、煙、それに激痛に思わず口をついた男の叫び声があがった。と同時に、何ともいいようのないにおいが部屋にも充満した。 「お前の本拠はどこだ。仲間は?言え!言わないか!」。伍長は、怒鳴りながら何回となく男の背中を焼いた。「苦しい」を繰り返し、男はついに、「話す。話すからやめてくれ」といった。伍長は手を休めたが、相手は、肩で大きく息をするだけで、結局、何もいわない。伍長が再び赤く焼かせたコテを使った。部屋には鼻をつく臭気がこもり、断続的な男の低いうめき声が床をはった。・・・ 拷問は、さらに続いた。逮捕して二日間というもの、男に何も食べ物を与えていなかった。水すらも飲ませなかったと思う。それが三日目は水責めだった。弱り果てた男を裸にし、長椅子にあおむけに縛りつけた。そして、水を入れた大きなやかんで口と鼻に水をジャージャーと注ぎ込んだ。絶え間ない水のため、息ができず男は口をパクパクさせて水をどんどん飲み込む。みるみる腹が膨らんでいった。すると、拷問指南役の伍長は、「腹に馬乗りになって水を吐かせろ。そして、また注ぎ込め」という。この繰り返しだった。何回やっても同じだ。相手は気絶している。自白を得るという効果はなかった。・・・ 三日目は水責めで終わり、四日目は、いわゆるソロバン責めだった。「丸太を三本持って来い」と、伍長がいい、軍馬手に三角柱になるように削らせた。三本並ペ、その中でも鋭角の部分を上にし、男を座らせた。足はズボンを脱がせ素肌である。いわゆる弁慶の泣きどころに角が当たり、体重がかかる。男はこれまでの苦痛とは別の痛みで、悲鳴をあげた。その上だ。伍長は、男の上に乗っかれ、という。しかも土屋と同僚二人一緒にだ。そして、体を揺すれ、といった。ゴキッと音がし、男はうなるような声を立てた。もはや、脂汗も出ないほど弱っていた。男のすねの状態を、どう表現したらいいか。「生ぬるい。足に板をはさみ、両端に重石をのせろ」。すでに別の世界にいたのか、伍長は、さらに命令した。・・・ 足を痛めつけた翌日、伍長は、何を思ったか、太い針を買って来いと命じた。通訳が布団針を四、五本求めてきた。この針を男の手の指に刺せという。指といっても爪と肉の間にだ。映画でみたか、話に聞いたか、そんな拷問があるとは知っていたが、自分がやることになるとは思いもしなかった。ためらっていると、ほおのこけた伍長が病的な目でにらんだ。やらなければならない。男はこれから何をされるのかを察し、腕を縮めた。この腕を同僚に押さえつけてもらい、土屋は、右手中指の爪の間に針を刺した。だが、実際はろくに刺さらなかった。相手はあれだけ痛めつけられていたのに満身の力で手を引こうとした。それに、土屋はおっかなびっくりだった。それで、腕を押さえるのに伍長も加わった。だが刺さらない。男も自白らしいことは、むろん何も言わない。そのうち血やら汗やらで針がすべり出した。それでも刺そうとすると、針を持つ土屋の指のほうが痛くなってきた。 男はすでに死を覚悟していたらしく、悲鳴もあげなくなった。ただ、ものすごい形相で土屋たちをにらんでいた。足がすくむような思いに襲われながらも、伍長の命令で続けた拷問だったが、ついに伍長もあきらめた。「張文達三十三歳、近くの農村から買い物に来ただけ」ということ以外、何の自白も得られなかった。班長格の軍曹は、すでに男を抗日分子としてハルビン憲兵隊に報告していた。だが、拷問の限りを尽くしても、本拠地の所在など肝心なことは何一つ聞き出せなかった。かといって、拷問によって半死半生になっている男を、このまま釈放するわけにはいかなかった。男の処分はどうするのか、土屋にはわからなかった。 こういう時の処分で悩むのは、土屋のような新米憲兵ぐらいである。土屋が初年兵時に公主嶺で経験したように、仕掛けがあった。針の拷問から二日後だった。平陽鎮にいた満州国軍歩兵十五師団の日系軍官である中尉が訪ねてきて、男を連れて行った。「日本刀の試し斬りに」だった。男が墓地で首を落とされるのを土屋も見た。(p.81-86) http://www.ne.jp/asahi/kuma/radical/dokusyo/special/kenpei_kiroku.htm 広東州の中央憲兵隊へ補助憲兵として私は派遣された。野戦補助憲兵といって、憲兵と同伴の時だけにかぎって憲兵の資格を有していた。主な任務は、保全地区(駐留日本軍の勢力圏内)での治安維持であった。特に、思想犯に目を光らせた。思想犯を捕え、拘留し、洗脳するのであったが、そのやり方は目を覆うものであった。
コンクリートの上に、真っ赤に焼けた木炭を敷きつめ、その上に裸にした“囚人”を転がした。喚き、のた打つ“囚人”は隅へ隅へと転がってくるが、周囲には日本兵がいて、それを蹴飛ばして再び中央へ戻した。“囚人”の反応の仕方は、もはや人間のものとは思えなかった。多くの“囚人”は三日目を境に死んでいった。 女に対してもその残虐度は同様であった。やはり全裸にして、獣のように四つん這いにさせ、丸太で打ちのめした。 私は、そればかりはどうしてもできなかった。すると、 「これしきのこと、できんのかッ」 一人の憲兵が私を蹴飛ばしてから、丸太で渾身の力を込めて女を打ちすえた。 中国人は人間に非ず、否、生き物にさえ非ずとでも思っているような拷問であった。彼らの抵抗は死以外の何ものでもなかった。 http://page.freett.com/sokagakkai_komei/www.sokagakkai.or.jp/sokanet/HBK/Heiwa/hansen-7.html 日中戦争証言 車河堡 王さん(69歳)柳河口
1回だけ見たことがあります。強姦したのは普通子どもには見せないんです。 1回見たのは、若い女性に沢山水を飲ませて、お腹を膨らませたり、 鉄の棒を火で焼いて、赤い鉄の棒を乳房に当てたり、女性の生殖器に差し込んだり、 あるいは銃剣の先を焼いて乳房や生殖器をえぐり取ったりしました。 http://www.jade.dti.ne.jp/~kaworu/syogen/syakaho.html 860 :名無しさん :02/07/04 01:33 ID:03UDq1eg
死んだ人の事を悪く言いたくなかったけど言わせてもらう。 漏れの近所の銭湯で番台やってた爺さん(もう亡くなった)。 漏れが小さい頃よく戦争当時の話を銭湯の番台で自慢げに語ってたバカ。 『チャンコロ(中国人)の妊婦を木に縄で縛って銃剣で刺したら「ボムッ」って鈍い音出して破裂してよー。 ホント面白かったぞー。だから毎日チャンコロの妊婦探して見つけては、それやって遊んでたんだ。あの頃がなつかしいなあ(ニヤニヤ』 上の話が嘘だと思うなら,まずこれを否定してね:
小平義雄連続殺人事件 http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/kodaira.htm
小平義雄は戦地より帰って以来、性的に突如放縦になった。 放縦なだけでは留まらず海軍被服廠の軍属であった戦争最後の年に、同じ職場の女子工員を強姦した上殺害している。以後、終戦直後の混乱の中で女性を食料をエサに誘いだし、次々と6人も、犯しては殺していった。 小平が女性を犯して殺す、その味を覚えたのは、中国の前線だった。 予審調書の中で小平は言っている。 「大怙では強姦のちょつとすごいのをやりました。…父親を縛り上げて戸棚の中入れ… クーニャン(娘)を出せと言って出させました。 …強盗強姦は日本軍隊には付き物ですよ。 銃剣で突き刺したり、妊娠している女を銃剣で突き刺して子供を出したりしました。 私も5,6人はやっています」 取り調べと裁判の段階で明らかになったことがあるんですね。それは、彼の戦争体験のことだったんです。
「済南事件」:南京大虐殺の先駆けですね。住民の殺戮です。その時にもの凄く多くの中国人の女性が日本兵によって強姦されて殺された。この小平という人物は、その時の兵隊だったんです。 「連続強姦殺人魔」と言われた人の犯罪を重ねる下地が「戦時強姦」で培われていた、っていうことです。そのことが日本が戦争で負けた後に一気に吹き出してきた事件なんですね。 __________________________________________________________________________ 南京で暴虐の限りを尽くした田所耕造。 http://anarchist.seesaa.net/article/78079481.html 陸軍第114師団重機関銃部隊所属 田所耕造。
『週刊アサヒ芸能』(71年)の取材に答えた当時、彼は53歳。 彼が語った残虐の限り。しかもこれが「命令」なんだから驚くしかない。 女が一番の被害者だったな。年寄りからなにから、全部やっちまった。 下関から木炭トラックを部落に乗りつけて、女どもを略奪して兵隊に分ける。 女1人に兵隊15人から20人くらい受け持たせてね。倉庫のまわりなど、 日当たりのいいところを選んで、木っ葉などをぶらさげて場所をつくる。 赤ケンといって、中隊長のはんこがある紙を持った兵隊たちが、ふんどしを はずして順番を待つんだ。 いつか女の略奪班長をやったことがあるけど、ゆくと、女たちはどんどん 逃げる。殺すわけにはいかないから、追いかけるのに苦労したもんだよ。 支那の女は技術はうまいね。殺されたくないから、必死なんだろうけど、 なかなかいい。なにしろ上陸以来女の身体にさわったこともないんだから 、いじくりまわしたり、なめまわしたりする。私らは、よくなめ殺すといったもんです。 その凶暴兵は、柳川平助兵団(第10軍)第114師団所属。南京作戦での「働きぶり」によって上等兵に昇進。
そして、血に飢えた「ならずもの部隊」は徐州(シュイチョウ)へ進撃したのだった……。 南京に2ヶ月ぐらいいて、徐州に向かったんだけど、このときだったな、 股裂きをやったのは。ある部落で、みせしめのために女を柳の木に縛りつけ、 両足首にまきつけたロープを2頭の馬の鞍に結び、左右からムチをくれると 股から乳房のあたりまで肉がさける。骨があとに残るんだ。それを部隊 みんなでみている。中隊長もみてみぬふりだった。将校だろうと下士官 だろうと、文句をつけても『ウシロダマ(後ろ弾)だぞ』とおどしちゃう
田所耕造はこの気分が悪くなるような話を得意げに話している。上官を 無視しても、「戦闘」では頼りになった兵士による略奪・強姦・虐殺は セットで日本軍は容認していたということだ。 川沿いに、女たちが首だけ出して隠れているのを引き揚げてはぶっ殺し、 陰部に竹を突きさしたりした。杭州湾から昆山(クンシャン)まで道端に延々と そういう死体がころがっていた。昆山では中国の敗残兵の大部隊がやられて いて、機関砲でやったらしいが屍の山で、体は引き裂かれて、チンポコが 丸出しで死んでいた。そのチンポコがみな立ってるんだ、ローソクみたいに。『チンポコ3万本』と俺たちはいっていたが、3000人以上はいたろうな。遠くからロングに引いてみると、残虐というより壮観だった。
読売のカメラマンで発狂したのもいたな。やったってしようがないのだが、 飛び出してやめさせようとするものもいた。普通の百姓だからといってね。 しかし兵隊はそんなのにかまわずぶっ殺していった。俺か? 俺は残虐な 写真ばかり撮っていたので病膏肓に入っていた。そういう残虐な写真を 撮るのも喜ぶものもいたし、やめとけというのもいた。参謀本部では証拠に ちゃんと写真を撮っていたな。 以上はすべて、柳川平助兵団が南京に入城する前の段階の話である。これだけの鬼畜行為を楽しんだキチガイ兵士が「南京」になだれ込んだのだ。後はご想像の通りだ。 当然のことながら、柳川平助兵団による強姦・虐殺は南京攻略以降の 徐州・漢口作戦でも繰り返されることとなる。 徐州作戦では捕獲したチェコの機関銃がよく使われた。10人、20人と固まって 死んでるのが3キロも4キロもつづく。殺し方もいろんな方法をとった。 3人ぐらいいっしょに木にぶら下げられていたり、首をはねたり。子どもの 首をはねるのだけど、うまいもんだね、皮一枚ちゃんと残るように斬るんだよ。 その瞬間の写真を撮ったけど…… 自分が犯した罪を自慢げに話した田所耕造は、もちろん中帰連ではない。ビルマで敗戦を迎えている 股裂きなんぞ、東映のモンド映画『徳川いれずみ師 責め地獄』にて鬼才石井監督が撮っていたけど、その遥か以前に日本軍では娯楽の殿堂として「日常風景」だったとは驚きだ。 日本軍って、頭の中が「石井輝男」と同じだったんだな。
「股裂き」の田所耕造が所属していた柳川平助兵団が如何に凄まじい「ならずもの部隊」であったか、従軍カメラマンとして共に行動した河野公輝さんが証言しているな。 これも酷すぎて卒倒するぜ。 蘇州(スーチョウ)の略奪もすさまじかった。中国人の金持ちは日本とはケタがちがうからね。あのころでも何万円とするミンクのコートなどが倉の中にぎっしりつまっているのがあった。寒かったから、俺も一枚チョーダイしたよ。(中略)東京の部隊では赤羽工兵隊というのが一番悪かった。 蘇州の女というのがまたきれいでね。美人の産地だからね。兵隊は手当たりしだい強姦していた。犯ったあと必ず殺していたな。
以上はすべて、柳川平助兵団が南京に入城する前の段階の話である。これだけの鬼畜行為を楽しんだキチガイ兵士が「南京」になだれ込んだのだ。後はご想像の通りだ。
以上の証言は河出文庫『証言・南京事件と三光作戦』より引用した。
この本のAmazonでのレビューにこんなのがあったが…… 洗脳、と言う言葉がある。 この言葉は元々は中国語だ。日本語ではない。 朝鮮戦争時の捕虜米兵に対して共産主義を信じることをせまった行為を 中国共産党が洗脳と呼んでいたのが語源だ。 この捕虜米兵と同じように洗脳された人たちがいる。 日中戦争時に捕虜となった日本兵捕虜である。 生きて日本に帰ることのできたこの日本兵捕虜は「中帰連」(中国帰還者連絡会)と呼ばれ、帰国してから「証言」したものが、南京虐殺やら三光事件やらの 「旧日本軍が大陸でいかに悪いことをやったか」を描いた数多くのプロパガンダ本の基となった。本多勝一の『天皇の軍隊』も彼らの「証言」を基にした著作だという。 さて本書であるが、タイトルの、証言とはいっても上記の中帰連(笑)の生き残りの人たちがメインである。この時点でこの本の客観性や実証性はゼロといっていいプロパガンダ本といっていい。「南京大虐殺」「三光作戦」がウソ、でっちあげの産物であると言うことはネットや書籍を通じてようやく近年常識として広まりつつある。 これも一つの戦後レジームからの脱却と言っていいだろう。
『週刊アサヒ芸能』のインタビューに答えた人間が中共の捕虜だと決め付け、事実を歪曲しているところなんぞ、まさに中共と同じやり口だな。藁
自分が犯した罪を自慢げに話した田所耕造は、もちろん中帰連ではない。ビルマで敗戦を迎えている。インタビューを受けた当時でも、自分が行ったことは間違っていないと自慢していた神社の神主であった。三島が自決した日に息子に「お父ちゃんもあんなふうに死ぬのか」と聞かれた彼は、「お父ちゃんが死ぬときは共産党と社会党のやつらを皆殺しにしてからだ」と答えている。 http://www.asyura2.com/08/reki01/msg/182.html
中国山西省に出征した旧軍人のKさんは3年兵の時、トーチカ(砲台)の 一室で、4〜5人の4年兵が現地女性を連れ込み輪姦している場面に 出会った。4年兵の兵隊が終ると、「今度は3年兵の番だ」と言われ、 Kさんは、強姦は犯罪だという認識がなく、単に古兵の命令に従わなければ ならないと思いそれに加わった。Kさんはこういう“戦争犯罪に対する無感覚”は戦時中だけではなくて、戦後も変わらなかったと指摘する。戦友会の席上では、このような犯罪が懐かしい話、面白い話として語られるという。
その中には「股裂き事件」という話もあった。ある旧軍人が1944年の 河南戦争前後で見たことだ。中国人女性の片足を木に縛りつけ、もう片足を 馬の鞍に括りつける。そして突然馬のお尻を叩き、驚いた馬が走り出すと、 女性の体が二つに裂けてしまうというものだ。Kさんが駐在していた山西省 旧遼県でも、1941年4月に日本軍隊長が中国語で「勒馬分身」(股裂き) という方法で殺人を行ったという。そのことは中国側の資料にも記述されている。 http://www.magazine9.jp/kaigai/dai027/index.html 仏典の地獄を偏執的狂人の妄想から生まれた怪奇残酷趣味のフィクションにすぎないと考えるのなら、これはどう思われるか。…
「村民を銃剣で追い立てて並ばせ、機銃掃射で薙ぎ倒す。 泣き叫ぶ乳幼児や子供たちを銃剣で突き殺し、 妊婦の腹を切り裂いて胎児を放り出す。 死体の山に石油をかけて焼き尽くす。 木に縛り付けて鞭打っては冷水をかけ、凍死させる。殴り殺す。蹴り殺す。死体を野犬に食わせる。 背中に石を結わえて水中に投げ込む。 輪姦し、その女の赤ん坊を銃剣に刺して肩に担ぎ、軍歌を歌って歩き回る。 赤ん坊を投げ殺す。踏み殺す。巨大な石を担がせて圧死させる。 鞭で殴って焼けた棒を押しつけ、冷水をかけて極寒の場に捨てて凍死させる。 婦女子を狩り集めて輪姦し、腹を裂いて内蔵をえぐりだす。 生き埋めにする。眼をえぐる。耳を切る。鼻を削ぐ。首を切り、その数を競う。生きながら解剖する。銃剣で突き刺し、崖から落とす。等々」 これはフィクションではない。「正義」を掲げた日本軍が中国でやったことである。といっても、ここでは戦争の是非を論じようというわけではない。地獄は決してフィクションなどではなく、スーパーリアリズムの世界だと言いたかったのである。我々の心の内側にある畑が荒れ果てたとき、地獄はどこにでも出現する。地獄の発生は倫理や道徳では抑えられない。かつて倫理や道徳が声高に叫ばれていた時期に、戦争が絶えたことはなかった。いや、むしろ、戦争は倫理や道徳の意図的操作によって遂行されたと言ってもよい。これは歴史の教えるところである。 http://web.kyoto-inet.or.jp/people/shiunji/yowa/yowa7.html 南京にいた日本兵たちの人間墜落と性的異常行為は限界がありませんでした。ちょうど退屈凌ぎに殺人コンテストが考案された様に、兵士たちはセックスの十分な供給に飽きると様々な気晴らしの強姦ゲームを創造しました。
おそらく日本兵が気晴らしにした最も残忍な作法の中に、女性の膣の突き刺し刑があります。 南京の通りには足を広げ、開口部に木の棒や小枝や雑草を突き刺されて倒れている女性の死体がありました。南京女性の拷問に使用され、耐え難い苦痛を与えたこの方法は考えただけでも精神が麻痺してしまうぐらい痛ましいものがあります。若い女性を強姦した日本兵は彼女にビールボトルを突き刺して射殺し、別の所ではゴルフクラブを突き刺された強姦犠牲者が発見されました。 また12月22日にTongjmenの門近郊で強姦された理髪店の妻は膣にかんしゃく玉を突っ込まれて、爆破して殺害されました。 そして犠牲者は女性だけに限られた訳ではありませんでした。中国人男性はよく男色の相手にされたり、笑う日本兵たちの前で恥ずかしい性芝居を演じるように強制されました。ある男性は雪上に転がる女性死体との性行為を強いられ、それに拒絶して殺害されました。また日本兵は禁欲主義を誓っていた男性に性交際を強制して喜ぶこともしました。男性に変装して南京の門を通過しようとした中国人女性が股の間を掴みながら一人一人チェックしている日本近衛兵に真実の性を暴かれてしまい、集団暴行を受けている時に、たまたま現場近くにいた仏教僧は危険を冒して止めに入り、不幸にさらされました。日本兵たちは彼に強姦したばかりのその女性との性交際を強制し、それを拒んだ僧侶はその場で去勢されて出血多量のために死に陥れられました。 さらに最も卑劣な性的拷問手段の中には家族に対する退廃があります。 日本兵は中国人男性に対して、父親は娘を、兄弟は姉妹を、息子は母親を強姦させる近親相姦を強制して、加虐的な喜びを味わいました。 中国軍大隊の司令官だったGuo Qiは、街が陥落して息詰まっていた3カ月の間に、少なくとも4、5回は日本兵が母親を犯すように息子へ強制して、拒んだ者はその場で殺されているのを見たり、聞いたりしました。 この報告書は、ある中国人男性が母親を強姦することを拒んでサーベルで突き殺され、直後にその母親も自殺したことについて報告したドイツ人外交官の証言で実証されています。 家族の中には、この様な行為を強いられるぐらいなら率直に死に応じる者もいました。ある一家は揚子江を横断しようとしたところで二人の日本兵に止められ、点検を求められました。ボード上で若い女性や少女たちを見つけた日本兵たちは両親や夫の目の前で女性の強姦を始め、これでも十分にひどい行為にかかわらず、兵士たちが次に要求したことは一家をさらに困惑させました。彼らはこの一家の年老いた男性にも同様に女性たちを強姦させようとしました。一家は従うよりも川へ身を投げて溺れ死ぬことを決意しました。 日本兵に捕らえられた女性たちは強姦された直後に殺され、生きる望みはほとんどありませんでした。
女性たちは様々な方法を用いて強姦から逃れようとしました。中には、すすを顔に擦り付けて老いて見せたり、病気にかかっているように見せたり、頭髪を剃って男性を偽ったりして変装する女性たちもいました。(ある利口な若い女性は金陵大学の安全地帯までの道のりを老婆に変装し、杖を持って足をひきずりながら、背中に借りた6才の子供を負ぶって歩いてきました。)また4日前に死んだ子供を生んだと日本兵に告げて病気を装ったり、中国人捕虜の助言を受けて指を喉に突っ込んで何回か嘔吐して見せた女性もいました。(彼女を捕らえた日本兵は慌てて建物から追い出しました。)中には人混みの中を屈んで進み、壁を敏捷によじ登って日本兵からの追撃を逃れた女性や、三階の日本兵を妨害して、庭の中国人男性が支える竹棒を滑り落ちて、辛うじて暴行から逃れた少女もいました。 しかし、あがいた女性は一度、捕らえられると、日本兵に抵抗しようとした見せしめのために拷問にかけられました。日本兵に挑んだ者たちは、よく目玉をえぐり抜かれていたり、鼻や耳や胸を削がれている状態で後に発見されました。 金子安次 「昼間のうちにいい女に目をつけておいて、夜襲いに行く兵士もいた。頑強に拒んだ女性には膣に棒を押し込み、子宮を切り裂き、油をつけた綿を押し込み燃やしたこともしばしばあった。」
金子さんの話によると、民間人に対する殺戮と性的虐待は日常的に行われていて、これに加担しなかった日本兵は、少なくとも金子さんの知る限り、ほとんどいないという。 子供は、慣例のごとく両親の目の前で殺された。 子供の前で母親を犯す。赤ん坊を火にくべる。または子供の前で親を焼き殺す。
生きたまま生体実験を行う。 慰安と称して女性の膣にガソリンを含んだ布を押し込み、火をつける。 日本兵が南京の居住民に与えた数々の拷問は人間の理解できる範囲を越えています。下記の例はそのほんの一部分です。
(生き埋め殺人)日本兵は機能的に埋葬活動を実施することで大量虐殺の効率化を図りました。中国人捕虜たちはそれぞれグループに分けられ、まず第一グループが自分自身の墓穴を掘らせられ、第二グループが第一グループを埋め、続いて第三グループが第二グループを埋めて行くという具合に強いられました。犠牲者たちの中には胸や首から下部分を埋められて、刀で徐々に切り刻まれたり、馬や戦車で下敷きにされたりして、さらに大きな苦しみを受けた者たちもいました。 (切断)日本兵は犠牲者たちのはらわたを抜き出したり、斬首したり、手足を切断しただけでなく、さらにひどい種類の残酷な拷問を行ないました。 街の至る所で捕虜たちが板に釘付けにされて戦車にひき殺されたり、木や電柱にくくりつけられて肉体を切り刻まれたり、銃剣の練習台にされて虐殺される光景があり、明らかな事実の中には、100人以上の男性が銃殺される前に目玉をえぐり出されたり、耳や鼻を削ぎ落とされたということがありました。また200名を越える中国兵や市民の集団が裸で柱や学校の戸に縛られ、zhuiziという特別の針で口や喉や目を含む何百カ所という肉体部分を突き刺されることもありました。 (火による殺害)日本兵は犠牲者たちを集めて一気に焼き殺しました。江口の日本兵は中国人捕虜を10人単位でまとめて縛り、ガソリンをかけて火が点けられている窪地へ落とし込みました。太平路でも大量な数に上る店員が火刑を宣告され、ロープでまとめて縛られて炎の中へ投げ込まれました。さらに中国人暴徒たちを建物の最上階や屋根上に集めて、階段を破壊し、炎を下に灯すという余興の火刑ゲームも考案されました。多数の者が窓や屋根上から飛び降りて自殺を図りました。 また犠牲者たちを燃料でずぶぬれにして射撃し、炎上するのを観望するという娯楽も実施されました。ひどい事件の中には日本兵が何百人に上る男性や女性や子供たちをガソリンでびしょ塗れな広場の中に入れ、マシンガンで火を点火することもありました。
(氷による殺害)南京大虐殺中、 何千人に上る人々が故意に凍死させられました。何百人に上る中国人捕虜たちが凍結している池の辺まで行かされ、裸になって氷を壊し、水の中へ魚を捕まえに飛び込む様に命令され、水の中に入ると彼らの肉体は日本兵の銃弾に穴を空けられる浮いた的と化しました。また避難民集団を縛って浅瀬の池へ投げ入れ、そして手榴弾で爆破して「血と肉体の爆発雨」を引き起こすこともありました。 (狂犬による殺害)残虐非道な拷問方法の中には、犠牲者たちの腰部分まで土の中に埋めてジャーマンシェパード犬にかみ殺されるところを観望するというものもあります。日本兵が犠牲者を裸にして、肉体の敏感な部分をジャーマンシェパード犬に噛みつかせる指図をしているところを見物人が見ていました。犬たちは腹を噛み開き、腸を離れた場所へ引きずり出していたそうです。 これらの出来事は日本兵が犠牲者たちの拷問に用いたほんの一部です。日本兵は犠牲者をACID(麻薬)浸けにしたり、赤ん坊を銃剣で突き殺したり、人々の舌をフックに掛けて吊るすといった残虐な行為を公然と行ないました。 日本軍はまったく人間性を喪失してしまい、少しもはぱかることなく女性を強姦・輪姦した。幼女からろうぱまで、はなはだしきにいたっては妊婦さえも免れることはできなかった。 数多くの女性は暴行されたのちまたむざんにも殺害された。日本軍が南京を占領して1か月の間に、2万回以上もの強姦事件が発生した。その時、南京にいた外国の人たちが日本軍のことを「きん獣の群れ」といったのである。 ”輪姦の後、殺害された女性”とキャプションのあるこの写真では腹を割かれ、内臓がとび出している。少し開き加減の足。左足の先のほうにはズボンと覚しきものがからまりついている。 http://www.jca.apc.org/nmnankin/magaz306.html 人前で中国人の首を斬殺さしたり、妊婦を銃剣でお腹を裂き見世物にしたとか、娘らを強姦したら殺す!(死人にくちなし、と言う事だそうです)
乳飲み子を母親から取り上げ谷へ投げ捨てた。 子供に”みの”をかぶせ火の中に投げ入れ、熱い熱いとみのがゆれるさまを喜んで”みの踊り”と言ったそうです 日本兵は「幼い娘は熟していない」といって、下腹部を切り開き輪姦を始めるのであった。妊婦でさえも容赦はなかった。 妊娠9ヶ月の17歳の少女を2人の日本兵が強姦する。この結果流産してしまい、彼女は発狂してしまった。HongWu門外では日本兵が農家の妊婦を強姦し、女性の腹部を切り開き、胎児を取り出した。また別のところでは、日本兵が妊婦を強姦しようとしたがお母さんが立ちふさがる。 そこで日本兵の超残虐な行為が始まる。日本兵は老婦を蹴飛ばし、妊婦の腹部をナイフで切った。数ヶ月たったばかりの胎児が中から飛び出した。 このようにして2人の尊い命が一瞬のうちに消えてしまった。多くの女性が強姦の後殺害されている。ある日本の上官は部下にこう言った。「後で厄介になるから、用を済ました後は分からぬように殺しておくようにしろ」多くの女性はこの時の経験を話せない。 しかしそのような地獄から生還した女性もいる。彼女はJianYin通り6丁目に住んでいた。彼女は他の女性といっしょに日本軍に連れ去られた。日中は洗濯をさせられ、夜になると輪姦の道具となる。年増の女は一晩で10回から20回。若くてかわいい女はもっと多かった、と証言する。 正月元旦の日、二人の日本兵が彼女を連れ誰もいない学校にやってきた。そして彼女を10回銃剣で突き刺した。首の後ろに4回。腕に1回。顔に1回。背中に4回刺された。日本兵は彼女が死んだと思い、去っていった。あとで通行人に助けられ病院に担ぎ込まれ命を取り留めた。強姦の後幸運にも殺されなかったが性病に罹り、一生苦しんだ人たちもいることを忘れてはならない。 " 外国人の見た日本兵の蛮行 # という本の中に著者の TianBoLie 氏は南京の虐殺の事実を記録に残している。そのほとんどが強姦であった。それから少し例を拾ってみるだけでも日本軍の罪の重さがわかる。12月14日正午、日本兵は JianYing 通りの民家を襲った。4人の少女を誘拐し2時間かけて強姦した。12月14日夜、日本兵が民家を襲って女性を強姦し、連れ去った。12月15日夜、大勢の日本兵が Jinling 大学の講堂に押し入った。そこで30人の女性を強姦した。ある者は6人の日本兵から次々と輪姦された。 12月15日夜、大勢の日本兵が ShanTiao通りの民家に押し入り、多くの女性を強姦した。12月16日、日本兵は保育大学から7名の少女を誘拐した。年齢は16歳から21歳までの娘であった。そのうち5名が後に釈放された。18日におこなわれた事情聴取によると彼女らは一日に6回強姦されたといっている。
12月18日の夕暮れ時、4,5百人の女性がわれわれの事務所に保護を求めてやってきた。 この多くは日本兵に強姦されていた。 ここに記載した事件は南京陥落後のほんの数日間に起こった氷山の一角に過ぎない。 実際、 " 強姦は南京陥落後6週間に渡って大規模に行われた」のである。これらの犯罪は下級兵士の行動にとどまらず、指導者層にまで及んでいる。 南京虐殺の主犯格である日本軍第六師団長谷寿夫の証言によると、彼は ZhongHua 橋の近くで Din Lan という女性と他に二人を強姦している。また、SaiHongQiaoで Liu YuQingさんと他三名を強姦した。他のところで10名以上の強姦も認めている。日本軍の侵略者たちは強姦で動物本能を満たすだけでは終わらなかった。 彼らは集団で輪姦し、その後、殺して死体を切断するのであった。多くの女性は10人くらいの日本兵に輪姦された。そして女性は死んでいく。この種の経験をした女性の死体は数限りなくあった。虐殺の期間中、強姦の犠牲者には教授婦人、尼僧、労働者、教師、学生などがいた。 2月の終わりごろ、14人の難民の家族が日本軍により惨殺された。一番下の娘はほんの14歳。彼女は二つの正方形のテーブルの上に乗せられて死んでいた。上半身は服を着たままであるが、下半身はすべて剥ぎ取られテーブルは血の海であった。そして彼女の下腹部には銃剣で刺した後が二つあった。
お姉さんは妹と同様の格好でベッドの上に倒れていた。母親はテーブルのところで1歳の赤ん坊を抱きかかえ倒れていた。赤ん坊は腹部をナイフで切られ、内臓が飛び出していた。正視できない地獄絵巻である。国際委員会の委員は調査に乗り出した。 写真を撮り、それをアメリカの市民のもとに送った。日本大使館にも送った。 日本軍の地獄の苦しみを味わったのは主に女性であった。彼女らは強姦されてそれで終わりではなかった。日本軍から胸を切り落とされ骨が見えている女性。 下腹部を銃剣で刺され苦痛で泣き叫ぶ女性。また、下腹部に木材、竹、人参などを差し込まれ、かき回されて死んでいく女性。
これを端で見ている日本兵は拍手を送り高らかに笑っていた。日本軍に囚われコックとして働かされた中国人が脱走後次の話をしてくれた。12月16日、通りに出てみるとまだ火も残って煙が立ち込めていた。我が同胞の死体の山、山、山。特に女性の死体が目立つ。それらの中で10体のうち8体は腹部を切断され中から内臓が出ている。 血まみれの胎児を手にした母親の死体もある。女性の乳房は切り取られるか銃剣で刺され、血と肉の固まりと化している。南京市内外の虐殺の期間中、多くの女性の死体はこのような様子であった。XinZhong門の城壁近くの家で60歳代のおばあさんの死体が見つかった。おばあさんの下腹部は大きく膨らんでいた。 YangPi通りの北に少女の死体が見つかった。おなかは切り開かれ内臓は引き出され、2つの目は大きく見開き、口からは血が流れていた。 GuYiDian通りでは12歳の少女が死んでいる。下着は破られ、目は閉じたまま口は開いていた。この死体を見てわかることは、これらの女性が単に日本兵の刃に倒れただけでなく、辱めを受けているということだ。 日本兵の犯した強姦の罪は重い。その残虐さは彼らの殺戮に劣らなかった。日本軍の上官はこれらの残虐行為の手をゆるめることはなかった。むしろ兵士の動物本能を満足させるためにこれを奨励した。その結果、日本兵はどこに行っても強姦をやった。上海、SuZhu,WuXi, HangZhou でも日本兵は同じことをやった。 南京の女性の運命は特に悲惨なものであった。南京陥落後、日本兵は女性を求めて南京のいたるところを探し回った。そして見つけると集団暴行を行う。 http://www.geocities.com/Pipeline/Halfpipe/3791/katari2-2.html 日本兵の婦女暴行・強姦の実態
1.妊娠している婦人を全裸にして刀で刃傷、木の間に女の両手両足をゆわえて子宮に手オ留弾をさして爆発。興味本位で、得意気に。(元軍曹T) 2.死体処理の少年の証言、女性の死体は特にひどい。ある女性は両手両足をひろげてベッドに縛られ、局部にサイダーの壜を深く刺されて被殺。 3.多くの少女はベッドに縛りつけられ誰でもがすぐに犯せるようにしている。少女があまり泣きじゃくったり、性病に罹ったりしたら、すぐに殺されてしまう。路地や公園には女性の死体でいっぱいだ。 彼女らは死んだ後でも切断されたり、局部に物を差し込まれたりして辱めを受けている。 4.一月一日、呉昌生が光華門外の自宅に帰った時、七人の日本兵がひとりの中国人のおばあさんを連れてやってきた。彼らにおばあさんを犯せと命じた。日本兵はこの光景を見て笑っていた。 5.二月五日、三牌楼に住む六十歳を超える陳さんのところに三人の日本兵がやってきた。 一人が見張りで、他の二人は交代で強姦した。日本兵の一人はおばあさんにペニスをなめてきれいにしろと言った。 6.1944年の春頃、鈴木氏が分隊長として、討伐作戦に参加した際のある村の話であった。 彼の分隊が休憩していたある農家に、一人の憲兵が現れ、惨劇が始まった。村の女性に食事を作ることを強い、お湯を沸かせていた時のことだった。 突然、その憲兵は梅毒にまみれた自らの陰茎をとりだし、食事の準備中の、一人の女性に、これを舐めろと要求した。ところが毅然と拒絶したその女性に、憲兵は激怒し、服をちぎって沸騰したお湯を浴びせ、遂に殺害した。 7. 12月15日、またもや押し入ってきた日本軍の兵士が、数え年8歳の蔡さんを強姦した。蔡さんはその様子を次のように語る。「日本兵は、私の陰部に手をねじ込み、その時まだ幼かったので、非常に硬かったのを無理やり押し込んでこじ開けた。
8.「冬には、至るところで暖をとります。兵隊は、赤ん坊をひっ捉まえ、火の中に投げ込んだものです。」と、古参兵の一人が報告する。別の帝国陸軍の兵隊が語る。
彼の部隊は打ち棄てられた村で女をみつけ、裸にし、「膣に布切れを押し込み、ガソリンを染み込ませて、火をつけました。皆それを見ていました。隊長もです。 部隊の慰安の一種だったんです。」 「暗い部屋に産褥の婦人ありて傍らにいとけなく眠る嬰児。銃剣で布団を跳ねのける。女は両手を合わせて拝んでいる。(略)彼女は衣服乱れて乳房一突き息絶えていた。」「先に高粱で隠された長持の中の娘もどうやら、輪姦の上刺殺した模様であった」(一一○頁)。
「掃討にあって残虐は付きもので、女をあさる。 輪姦、強姦と、又素裸にして乳房を刺突或は陰部にローソクを垂らし悶えるを見て悦び、恥毛に煙草の火をのせて焦げゆく興味。 タマゴを局部に挿入二個、三個と、更にトウモロコシを挿入或はピストン運動、トウガラシを詰め込み歓声を上げる。 銃剣の先で膣をつつく。こうして時間をもて遊んでいる。呻き苦しみ悶絶、出血滴る女と、掃討の修羅である」(一一二頁)。 「捕らえた女を丸裸にして寝かせて、両足を一ぱいに広げ杭に結びつけ尻したに枕して腰を浮かせて膣に、ナンパ大根と挿入できるようなもの等、刺激物のトーガラシとかをもって、いろいろなことをして、悶える表情に歓声を挙げていた。 更にローソクの垂汁をポトポトと膣に落し上手、下手を争って楽しんでいた。 乳房、腹上、局部にムカゼ・サソリ等を捕らえて這わせての興味を持っての蛮行が、いずこの部隊でも隠された所で行われることが、討伐作戦の楽しみであった。」 「捕虜の男と女を牢から出して来て裸体にして女に男の性器をくわえ吸わせ舐めさせ、性器が勃起するの見物と、性交させることの成り行きと、女の膣ネブリ、乳房と、ああしろ、こうしろと、注文をつけて、その表情を楽しんでいた。」(一一七頁) 強い攻撃性は、攻撃の対象により強く大きな苦痛と恥辱を与えることで、自らの勝利感、征服感を満足させた。その対象が女性であるときは、性器への攻撃となって現われた(二六)。 http://park17.wakwak.com/~ueba/sankousakusen.4.html まず、釣り針が連続して付いている釣り糸と竿を用意します。
そして、女の股をひらかせます。 女の膣に釣り糸を挿入。 釣り針も全て挿入し、挿入が終わったらウィンチで思い切り引っ張る。 これは第二次世界大戦時、日本軍が中国で行ったお遊びです。
男性に対しては行われず、女性のみを対象とした完全な性器刑。 失血死した人もいたそうです。 [18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理
18. 中川隆[-12975] koaQ7Jey 2018年6月12日 13:53:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15235] ▲△▽▼ イスラム教があっという間に増えた秘密 dharma3korondaさん 2009/12/16 秘密を知ったわたしは『イスラム教徒の男性とは絶対結婚しない』と堅く決心しました。 女性のみなさん。イスラム教があっという間に増えた秘密は何でしょうか? −
独身の貴女も知っておかないと後悔するかもしれません。結婚の大切な質問です。 日本人はとかく宗教音痴のようです。最近は中東から来日するムスリム男性の姿を良く目にします。結婚してムスリムに改宗する女性も見かけるようになりました。 でも、チョット立ち止まって良く考えませんか?後悔先に立たずですから。 ベストアンサーに選ばれた回答 king_of_charityさん 2009/12/23 【ムスリム黒人奴隷−ブラック・アフリカ・イスラム奴隷史】 ビデオを見て自分の頭で熟考してください。
Muslim Black Slavery - Islam Slave History of Black Africa https://www.youtube.com/watch?v=pJhSejBDTPI
アラブ人イスラム教徒が征服したアフリカ黒人に対して一体何をしているか?
大人は皆殺し、 子供は拉致し、 男の子は睾丸を削除し洗脳してイスラム侵略の先兵とし、 女の子は「セックス奴隷」 とした1400年の隠された歴史を確認してください。 @大人が全員殺されて、そうやって両親の文化や信仰を子供に継承できますか。
A男の子が全員玉なしにされても子孫が残せますか? B生まれた子は自動的にイスラム教徒というイスラム法を定め、正妻1人の他、3人まで「セックス奴隷」を持てますという結婚制度を超国家的に作ったら、どうなりますか? Cその上、死んだ両親もムスリムだったと親なし子たちが騙されてきたとしたら。 D毎日5回祈りを強制されたら疑問を抱く間もないでしょう。 数世代しない内に、全員がイスラム信仰継承者になるじゃないですか!
こんな効率的な伝道方法が他に考えられますか?「クルアーンか剣か」です。 イスラムはこれでアフリカからインドネシアに至る今日の勢力圏を得た。 宗教音痴は身を滅ぼし、子々孫々末代まで祟るという最悪の実例です。 ちょっとクルアーンをかじった程度の耳学問で、熱心にイスラムを布教する日本人男性、ムスリム男性との結婚を美化する日本人女性は、1400年のムスリム奴隷史を知った上で、尚も自分の無学を人様に晒し続けるのも自由、また止めるのも自由です。日本では自由です。
しかし私は、あなた達は日本人の敵であり、日本人同胞の為になることは何もしていないとだけ申し上げます。 ◎終戦の日迄に流された幾百万の尊い同胞の血の犠牲の上に勝ち取った「憲法」です。その信教の「自由」を賢く用いられますように、私は神の国と日本の国とを愛する一キリスト者としてお祈りしています。
--------- 答え:イスラムの秘密は、イスラム法の結婚制度を悪用しあなたの子供を強制的にイスラム教徒にする「強盗宗教」だという事です。 ■イスラムの結婚制度
@異教徒(ユダヤ教徒・キリスト教徒他)の男性を社会的に差別し結婚させない。 Aイスラム教徒の男性ならば無条件で結婚を許可する。 B非イスラム教徒の女性はイスラムに改宗せずに結婚できる。但し正妻にはなれない。 すると非イスラムの女性が余りますね^^ C女性だけでは経済的自律を不可能な程度に女性の地位を貶めておく。 D宗教的に寛容なイスラムの男性は合計4人まで妻として異教徒の女性でも娶ってあげることにする。 Eでも。生まれた子供は自動的に漏れなくイスラム教徒とする。 ■キリスト教徒・ユダヤ教徒の国々を征服し、上記結婚制度を実行したら「アッラー」不思議、あっと言う間に全員イスラムになっちゃった^^
■イスラムの素晴らしい結婚制度を日本にも導入したら草食系の日本男も誰でも結婚できますか・・・・。 「あいのり」でラブワゴンが回った先の中東の国でイスラム男性と結婚した日本人女性が、盛んにイスラムは平和の宗教だと力説したのを覚えてますか?しかし、彼女たちはイスラムの秘密を教えるべきだったのでは? あなたが好き好んでイスラム男性と結婚してあなたの子供をイスラムにしても良いのでしょうか?結婚は人生の墓場と言いますが、イスラム男性との結婚は、子々孫々のイスラム化を意味します。 ■全く悪魔が作った結婚制度ではないかと私は憤慨したのであります。 イスラム教のどこが平和の宗教?どこが平等? http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1034178310
[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理
19. 中川隆[-12974] koaQ7Jey 2018年6月12日 13:56:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15235] ▲△▽▼ 【閲覧要注意】イスラム教の男性って女性をどんな風に扱うの? ロシアのスレッド http://blog.livedoor.jp/sekaiminzoku/archives/24115706.html 2013年03月04日 パキスタン もし貴方のガールフレンドが人生に対し不平不満を言っている様だったらこの画像を見せてください。彼女の価値観は変わり、貴方を更に愛してくれるでしょう。
パキスタンでは女性が家庭や夫による虐待等を受け、ショッキングな容姿や、不快な顔になってしまった女性が働く為の美容院がオープンしました。 オーナーがリハビリセンターを開いた時女性はその火傷に苦しんでいました。 ここパキスタンでは、「酸」や「可燃物」による女性に対する虐待が頻繁に行われています。 今ここにその卑劣な復讐の犠牲者となった女性の物語を紹介します。 因みに仮に女性がこのセンターで働けても苦しみが終わる訳ではありません。 26歳のSair Liaquatは彼女が16歳だった頃の画像と一緒に取材に同意してくれました。
彼女は15歳の頃親戚の男性と結婚しました。 しかしその男性は彼女が男性と一緒に暮らす事を強要する為に彼女の容姿を台無しにしたのです。 その怪我から彼女は9回の手術を受ける結果となりました。 彼女は現在リハビリセンターであるビューティーサロンで働いています。 18歳のShamim Akhterは彼女が住むパキスタンの街Jhangでカメラマンにポーズを取ってくれました。
彼女は3年前3人の男性に強姦され、その後酸を浴びさせられました。 彼女は治療の為10回の手術を耐え抜き現在も容姿を回復する為に努力してます。 30歳のこの化粧をしている女性 Sabir Sultanは妊娠中彼女の夫によってガソリンを浴びせられ、その後火を放たれました。
その原因は彼女の両親が払う結納金が少なかった為です。 彼女は現在まで20回の整形手術を受けました。 このイスラマバードに住む30歳の Irumu Saidは、12年まえある男性に求婚されましたがそれを拒否しました。
その復讐により彼女の顔、肩、背中に道の真ん中で酸を掛けられたのです。 彼女は25回に及ぶ整形手術を受け現在に至ります。 16歳のKhalil Atiyuは近所の男性の求婚を断った為に酸をかけられました。 既に彼女は3回の手術を受けています。
28歳のAkbar Uruzhは3年前彼女が寝ている時、怒り狂った夫により灯油をかけられ、火を放たれました。現在彼女はサロンで働き、娘を養っています。
現在16歳の Najaf Sultanaは5歳の頃実の父に寝ているときに放火されました(放火方法は記載なし)。
その理由は単純で「これ以上女の子が必要ない」でした。 火傷で失明した彼女は家族に捨てられ保護されました。彼女は15回に及ぶ手術を受け現在に至ります。 32歳のパキスタンの都市Jhelumに住むShahnazさんは、19年前親戚の男性に求婚されました。
しかし彼女の両親が拒否した所、その男性に酸を浴びせられその傷から8回の整形手術を受け現在に至ります。 このビューティーサロンの顧客であるSair Liaquatさんに寄れば、彼女達の仕事は丁寧で信用できますが、彼女達の視力の弱さに少し心配があるそうです。
ソース記事:http://www.dezinfo.net/foto/6135-kak-musulmane-vospityvayut-zhenshhin-9-foto-tekst.html
▲△▽▼
アラブの人々 〜恋愛編〜
シリア ヨルダン 地図イスラム教では、男は4人まで奥さんを持つ事を許されている。法律でそれを規定している国は、今ではもうないとは思うのだが、とにかくムスリムの男はそれを理由によく女を口説く。 俺が女の子と二人でいる時に、ムスリムの男と話す機会があったとする。道端で声を掛けてきたおっさんでも、たばこ屋のおっさんでも、とにかくまずは俺達2人の関係を聞いてくる。 「友達だ」と答えると、その瞬間から俺には目もくれずに女の子を口説きに入る。 「恋人だ」と答えると、俺がいないタイミングを見計らって口説き始める。 「夫婦」と答えた時は、さすがに大人しく引き下がる。そして、その口説きの内容とは、真剣に、真剣に結婚しようと言っているのだ! もちろん全てがそうではない。俺をシリアの彼氏にしてくれというパターンもあるが、おっさんやおじいさんの多くは結婚を迫る。 「俺には1人女房がいるんだが、2番目の奥さんになってくれないか?」
「ダメです」 「大切にするから。絶対に幸せにするよ」 「イヤです」 「俺はラクダを100頭持っているぞ」 「そんなの関係ない」 「馬だって50頭持っているし、家だってある」 「ダメだと言ったらダメ」 「何故なんだ?どうしてラクダも馬もたくさん持っているのに、何の不満があるんだ?」 こんな事を大真面目に言っているのだ。
一度、「恋人だ」と答えた時に、そのおっさんは俺に交渉を持ちかけて来た事があった。 「お前の彼女をラクダ200頭で俺に譲らないか?」 「それはちょっと難しいな」と俺が答えると、 「よーし、300頭でどうだ!」と言って来た。 「よしっ、それで手を打った!」と俺が言った時、一緒にいた女の子は大慌てだった。それで本当に手を打っていたら、俺はラクダをまじで貰えたんだろうか・・。 イスラム教では、性が厳しく抑制されている。女の人が全身を黒い布で覆い、顔まで隠すのは、体を人目にさらさないようにする為だ。 だからムスリムの男達は、とにかく性に飢えている。 そんな中に外国人の女性がいると、ムスリムの男達にジロジロ見られる事になる。 胸元やヒップラインだけでなく、顔、うなじや腕などの露出した肌、髪の毛までもが、彼らの“性”の対象になるのだ。 いや、彼らの見方はジロジロなんかではとても表現できない。限られた目に見える範囲から可能な限りに想像力を働かせるように全神経を集中させて見つめる。ひょっとしてこいつら透視ができるんじゃないかと思わせるくらい、穴の開く程の眼力で凝視する。 だが、さすがに彼らもカップルの女に対しては、そこまであからさまに見ることは出来ない。 俺が女の子とバスの一番後ろの席に座って、二人して眠っていた事があった。ふと、俺が目を開けると、男達がささっと前を向いたような気配を感じた。そこで俺は、今度は薄めを開けて眠ったふりをしてみた。 すると、次第に男達が後ろを向き、隣の女の子の寝顔をまじまじと見つめている。しかもバスの中のほぼ全員がだ。そしてまた俺が目を開けると、一斉に彼らは前を向いた。俺は一人笑いを耐えていた。 https://www.waja.co.jp/corp/essay/syria7.html ▲△▽▼ 中東No.1ロリ巨乳ミア·ハリファちゃん! こんなSEXジハードはイスラム的にOKなの!? 2015/2/25 2015/2/25
この美少女の名前は、ミア·ハリファちゃん21歳。 出身は中東のレバノンなんだそうです。 イスラム教圏にAV女優がいることにも衝撃ですが、このロリ巨乳っぷりはもはやテロですよ。爆乳テロリスト。もし、こんな子がシリアにいたら、秒速で 「イスラム国」の人たちにレイプされちゃうよ!早く逃げて〜! そもそも、イスラム教徒って婚前交渉OKなのかな?おそらく死刑だったはず。 しかも、ひどいのがレイプされたとしても、教義に反するとかで死刑にされても文句が言えないんだとか。ガクブルですね。 ちなみに、イスラム教徒は結婚初夜に初SEXをするんですが、その翌日、本当に処女だったかを親に証明しなくちゃいけなくて、その方法が、「血がついたシーツを見せる」というものらしいんですよ。 なかには血が出ない人もいますよね。そんな時は、非処女と疑われて、離婚はもちろん、最悪の場合、死刑になってしまうんだとか。 だから、あそこに鶏かなんかの血のりを仕込んでおく子もいるんだそうです。 そして、そんな感じに性に厳格な国なのに、なぜか女性の下着ビジネスは発展してて、イスラム教徒の女性はあの布の下にものすごいセクシーな勝負下着を着ているらしいんです。 でも、結婚初夜で処女だと思ってたら、ものすごいド派手な下着を着ていたら、童貞夫は面食らっちゃいますよね。 そんな、このアダルト動画のみどころは・・・
★ざっくりいうと 【1】メガネをかけた高校生風のミア·ハリファちゃん 【2】爆乳をゆらしてのディープスロート 【3】美しすぎる寝乳正常位 SEXジハード2!中東No.1ロリ巨乳がイスラム男根の自爆テロで狂乱祭り! 2015/2/28
大人気ミア·ハリファちゃん第二弾。
前回の 「中東No.1ロリ巨乳ミア·ハリファちゃん! こんなSEXジハードはイスラム的にOKなの!?」 が大好評だったので、もう一発お届けします。 ちなみに、「SEXジハード」という言葉を知ってますか? 「ジハード」は日本語で「聖戦」と訳され、イスラム教が他教から脅かされる際に使われたりします。 一方、「SEXジハード」は女たちの聖戦なのです。 男達がアラーのために命をかけるのであれば、女たちはその男達のために身をささげようという発想のもと、村を代表してうら若き女子数名が戦地を訪れ、文字通り、身をささげるんだそうです。 つまり、生死をかけて戦う男達に精子をかけてもらおうということです。 夜な夜な男達のキャンプを回って、殺気立った男達の股間を鎮めてまわるんだとか。 そのため、一回のSEXジハードを行うと、行く前は処女だったのに帰ってきたら経験人数数百人だったということもままあるんだそうです。 なかには、子どもを身ごもって帰ってくる女性もいるんだとか。 父親は誰かわからないけど、ジハードに参加した勇者の子ということで、村をあげて歓迎するそうです。 ちなみに、SEXジハードに参加した女性は、村では勇敢な女傑として権力を持つことができ、その後の生活も安泰なんだとか。 これもう間接的な出稼ぎですよね。僻地に売春に行ってたんまり稼いで、その後の余生をすごすあたりとか。 いわゆるイスラム教的な考えからいけば、結婚前のSEXは死罪に値するんですが、なぜかSEXジハードに関しては特に問われないという、まさに男尊女卑の極み。 そんな世界が嫌でミアちゃんは脱走してきたのかな。 そんな、このアダルト動画のみどころは・・・ ★ざっくりいうと 【1】天然レバノン乳があばれるバック 【2】悶絶のミアちゃん 【3】とにかくチンコがでかい [18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理
20. 中川隆[-12994] koaQ7Jey 2018年6月12日 14:53:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15256] ▲△▽▼ という事で、 欧米のインテリから見ると「イスラム国」も「大日本帝国」も同じ様な狂ったカルト宗教を信じている国に見えるんですね。 我々が「イスラム国」は滅ぼした方がいいと思っている様に 戦時中の欧米人も「大日本帝国」は滅ぼした方がいいと思っていたのです: 人類の未来の為に「イスラム国」と「大日本帝国」は絶滅させなければならない
西洋人の日本人観
チャーチル 「日本人は中国娘と猿との野合の末に生まれた類人猿のようなもの」 ルーズベルト「日本人は獣である」 「マンハッタン計画」をスタートさせたフランクリン・ルーズベルト大統領は、日本人を“劣等人種”として激しく差別していたことで知られている。 一般のアメリカ人の間にも、日本人に対する人種差別意識が蔓延していた。 当時のアメリカの雑誌にはこう書かれていた。 「アメリカ人はドイツ人を憎むことを学ばなければならないが、日本人に対しては憎しみが自然と湧いてくる。これはかつてインディアンたちと戦ったときと同様に自然なものだ。」 「普通の日本人は知性が低く、無知である。 たぶん人間なのだろうが、人間であることを示すような点はどこにもない。」
当時、トマス・ブレーミー将軍も、こう演説していた。 「諸君らが闘っているのは奇妙な人種である。 人間と猿の中間にあると言っていい。 文明存続のために我々は最後まで戦いぬかねばならない。 日本人を根絶しなければならない!」 ウィリアム・ハルゼー海軍元帥
日本軍との戦闘に際し 「敵を殺せ!敵をもっと殺せ!猿肉をもっと作れ!」 など度々過激な発言を繰り返したことで知られている。 http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc700.html#ex15 ハイドパーク協定
1944(昭和19)年9月18日 フランクリン・ルーズベルト米大統領とウィンストン・チャーチル英首相が 米ニューヨーク州ハイドパークで会談し、日本への原爆投下と将来の核管理について 申し合わせた秘密協定 1972(昭和47)年に初めて公開された ニューヨーク州ハイドパークの大統領私邸でルーズベルトと会談した英国の ロナルド・キャンベル大使がルーズベルトから「劣等アジア人種」の品種改良と いうとんでもない提案を受けたと本国に宛てた書簡に書き残している。 「インド系、あるいはユーラシア系とアジア系を、さらにはヨーロッパ人とアジア 人種を交配させ、それによって立派な文明をこの地に生み出していく。 ただ日本人は除外し、もとの島々に隔離して衰えさせる」 ハル・ノート:日本が対米開戦を決断した無理な米国側の要求。
米国に潜伏するソ連スパイが日米を衝突させるために作成した。 http://mikomo.hp.infoseek.co.jp/a-f2.htm#03 トルーマンのカバートへの返事
1945年8月11日 日本人の理解する唯一の言語は、彼らを爆撃することのように思われます。 獣と相対したときは、獣として扱う他はありません。 http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/RE_sammuel_1945_8_11.htm トルーマン回想録
"Japanese are beast. So are treated as"(「日本人は獣だ。だから、そのように扱った」) アメリカからみると対独戦より対日戦の方が、はるかに「人種戦争」という面が濃厚であった。 ダワー教授によれば、アメリカ側の、日本人に対するステレオタイプの典型は「猿」であり、野蛮人、劣等人間、人間以下、害虫、と続いた。それは、個性もなく次々とわいてくるものであったという。 ところがアメリカのヨーロッパでの敵は、ドイツ人自体ではなくヒトラー一派であり、ジャーナリズムも、日本軍の残虐行為については盛んに報道したという。 ダワー教授は、このような相手を人間以下とみなす発想は、日本人に対して初めてではなく、歴史上繰り返してきた非白人に対する蔑視、具体的にはインディアンと黒人に投げつけてきた表現が噴出したものにすぎないとしている。 http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc700.html#ex15 日本を見るユダヤ人の目は今も厳しいのです。
ユダヤ人学生は、広島の平和記念公園に、ホロコースト慰霊碑があることに驚いて、 「ヒロシマ」の横に「アウシュヴィッツ」を並べて、同列に扱うのはおかしいと言いました。 「むしろ『南京虐殺』を並べて、原因と結果の因果関係を展示すべきではないか」と。 また、ホロコースト生存者の映画を撮ったユダヤ人女性は、 「原爆は日本への罰」と言いました。つまり、原爆の被害を受けた日本でも、 ユダヤ人から見れば、加害者でしかないということです。 ノイマンや投下の乗組員は差別主義者で狂ったサルには神の裁きをと死ぬまで攻撃支持しています。
エノラゲイではアロハシャツを着て原爆を落としていったとどこかで聞きました。 ポール・ティベッツは確か「人類初の原爆投下をした男」というTシャツを作って、得々として着ていたはずですし、「眠れない夜などない」発言でも知られています。 【原爆投下搭乗員の中のユダヤ人について】
原爆を落とした爆撃機の機長、ポール・ティベッツ大佐はユダヤ系のアメリカ人です。 その爆撃機はユダヤ人の母親の. エノラ・ゲイ・ティベッツにちなんで、「エノラ・ゲイ」と 名付けられました。 全人口に対してユダヤ人口が5〜6%にしか過ぎなかった当時のアメリカで、広島に原爆を投下したB29「エノラ・ゲイ号」の搭乗員として特別に選ばれた15名のうち、ユダヤ人が7名も占めていた。 機長のポール・ティベッツもユダヤ人である。広島に原爆を落としたとき、彼はまだ30歳だった。ポール・ティベッツ機長をはじめ搭乗員の多くは、戦後もずっと「全く後悔していない。夜眠れなくなったことも一度もない。あの時、我々は人類にとって最善のことをしたんだ」と述べ、原爆投下の正当性を強調している。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1012944300 [18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理
21. 中川隆[-12999] koaQ7Jey 2018年6月12日 16:36:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15262] ▲△▽▼ まあ、イスラム教もキリスト教もクルクルパー・カルトであるのは変わらないんですけどね: 回心者ブッシュの演説に聞き入る「十字軍」兵士達 アメリカには「ポーン・アゲン」を なのり、そう呼ばれる人びとがいる。 人生の道半ばで、神に、キリスト に、聖書に出会い、キリスト教徒とし て新しく生まれ変わった人びとであ る。改宗ではなくて、回心と再生を誓う、プロテスタント教会のなかの行動的な一派である。 ◆40歳にして「回心再生」 ブッシュニ世はボーン・アゲンのひとりになった。飲酒にふけって、安易 な生活を送っていたのが、名高い伝道師の説教を聞いてからは、四十歳にして酒を断ち、回心再生の人となった。 朝は祈りと聖書の読誦にはじまり、閣議も祈りではじまる。 演説には聖書のことばがちりばめられている。 「アメリカに昧方しないやつは敵だ」というブッシュニ世の人物を特色づける発言も聖書からでている。 「わたしの側に立たない者はわたしに逆らう者、わたしと共に集めない者は散らす者である」 神仏の信仰を問わず、ボーン・アゲ ンの宗教体験をもつ人びとのおおくは、個人の内面の間題として回心をうけとめている。
ところが、アメリカの 「生まれ変わり」は異様に猛烈である。かれらは公の場で回心の体験を声高 に語って、人間は罪を負って生まれた存在であるから回心しなさい、改俊しなさいと、説得と折伏の活動に訴えることを神に奉仕する使命と信じている。 その特徴は徹底した二元論である。人間は神に選ばれて救われる者と、救 われない者に分かれている。回心者に は永遠の平和、福音に耳ふさぐ者は悪魔の子で永遠の地獄が待っている。 善と悪、神と悪魔、味方と敵、白と黒、光と闇が現世を二分して戦ってい るという論理を用いて、迷える小羊に選択をせまるのである。 原理主義(ファンダメンタリズム) はイスラムの 「専売」のように思われて いるが、この 言葉と運動は はじめて一九 二〇年代アメ リカの白人プロテスタントの環境からうまれた。 ボーン・アゲンは原理主義の三つの 教条を継承している。 聖書に書かれてあることはすべて神の言葉であって、解釈や考証はゆるされない。 人間は神によってつくられた被造物で、サルから進化したなどという「妄説」はゆるされない。 やがてキ リストがこの世に再臨して至福の千年 が始まるから、神への奉仕にいそしまなければならない。 ◆悪魔うけいれる土壌
最近のギャラップ世論調査による と、アメリカ人の48%は神が人間をつ くったと信じ、28%が進化論に傾いている。そして、悪魔の存在を68%が信 じている。 テロリズムも「九・一一」の悲劇も、バグダッドに巣食う悪魔の仕業だ という圧倒的な政治宣伝がたやすくう けいれられる精神的土壌がそろっている。 プロテスタント教会の少数派であっ たボーン・アゲン原理主義と、帝国を夢みる新保守覇権主義の二つの特殊な 潮流と人脈が、アメリカ政治の中枢を乗とってしまった。 神の下なる道義の国アメリカの指揮 官ブッシュニ世は、「万軍の王の王、主の主」(ヨハネ黙示録)として、神の御業を実践する十字軍に立つのであ る。 しかし、利得の追求を宗教的熱狂で紛飾した十字軍は、中東のみならず、 世界の現状にひそむ限りない複雑さ と、そして、人間の惨害を無視して強行されるのだから、前途には、とほうもない魔の陥弊が待っている。 現在の狂ったアメリカ人の精神構造を探るには、アメリカを覆っているキリスト教原理主義的教義が分からないと理解できない。
回心再生と言ったって何のことか分からない。 回心再生して神に仕え、そうでない福音に耳を塞ぐ者たちを、悪魔の子として永遠の地獄に突き落とすことが、彼らの使命なのだ。 このようなキリスト教原理主義の教義が分かっていれば、ラムズフェルドの冷酷さも理解できる。
彼はアフガニスタンの戦場における、タリバン兵の捕虜達をクンドゥスに集め、爆撃して皆殺しにした。悪魔の子として地獄に突き落としたわけだ。 彼らにとっては異教徒は人間とはみなさないのだ。 http://www.asyura2.com/0304/bd25/msg/114.html [18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理
22. 中川隆[-12995] koaQ7Jey 2018年6月13日 07:52:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15274] ▲△▽▼ イスラム教もキリスト教もクルクルパー・カルトであるのは変わらない _ 2 キリスト教原理主義 キリスト教原理主義の本質は、主に米国が過去に行った過失を正当化できるからこそ普及しているのであり、キリスト教よりもユダヤ教の亜種に近い性質を帯びている。 プロテスタントといえば、多くの日本人はルター派とカルバン派しか思いつかないだろうが、英米のプロテスタントの多くは、英国国教会の亜種である。 英国国教会は、設立当初から血塗られている。 ローマ教会が離婚を許さないのを理由に、ローマ教会を離脱して英国王が首長となる教会を設立したのであるが、そのヘンリー8世は6人の妻を持ち、2番目の妻アン・ブーリンと5番目の妻キャサリン・ハワードを姦通罪で処刑している。6人のうち死別は3番目の妻ジェーン・シーモアのみである。 英国国教会の成立には、ローマ教会を通して仏の影響力を廃したかったのもあるだろう。アビニョン捕囚(1309〜77)の影響でフランスはローマ教会への影響力を強化していた。 また、ローマ教会自体が各国の王の上に己の存在を置く状態であり、英国内の反発があるからこそ、英国国教会は存続したのだろう。 つまり、設立自体が、エゴイズムとナショナリズムが動機である。 そのため、エリザベス一世時代に英国国教会から清教徒が反発して分離するのだが、彼らがローマ教会へ戻らずに新しい諸派を建てていった理由も、ナショナリズムによるローマ教会への反発があった。 もちろん、当時のローマ教会は相当腐敗していたのも事実だ。 つまり、英米のプロテスタントの場合、ルター派とカルバン派ほど純粋な動機とは言い難い部分が元来強かったのである。 ローマ教会を離れた時に、教皇に替わる宗教的権威は、何になるか。
自派内のヒエラルキーの頂点である。 古い宗派の中で頂点を極めることは難しいが、新派を建てれば己自身が頂点になりうる可能性がある。 「英国人は六十の宗派を抱えているが、料理のソースは一つだ」というイタリアの諺があるほど、英米のプロテスタントは多数の派がある。 己が宗教的権威になりたいという我欲こそが、多数の派が存在する理由の最大の要因ではないかと憶測している。 一番の問題は、聖書無謬性という偏向なのだが、これはルター派が聖書中心主義を唱えた影響から英米のキリスト教原理主義に多い。 キリスト教において本来一番大切なのは、イエス=キリストの言葉であった筈だが、イエス=キリストの言葉と矛盾する見解を米国人が頻繁に出すのは、聖書無謬性の影響ではないかと思う。 聖書無謬性、というよりも、旧約聖書無謬性こそが、キリスト教原理主義の中心に存在するのではないか。 旧約聖書は、無謬どころか矛盾だらけだが、キリスト教原理主義で重要視されているのは、旧約聖書の内容とヨハネの黙示録なのである。 ヨハネの黙示録の諸派にとって都合の良い解釈することと、旧約の内容が、キリスト教原理主義の根本のようだ。 これでは、キリスト教というよりも、選民思想が極端に強いユダヤ教の亜種である。 まず、北米インディアンの土地を奪ったことについては、「アメリカは約束の地である」と説明する。
鉄砲隊に向かって「特攻」を続けた北米インディアンを、虐殺し続けるのに当たって、「北米インディアンは聖書に書かれていない。だから、あれらは人間ではない」と説明する。 奴隷貿易の中心は実は英国だったが、「黒人は聖書に書かれていない。だから、あれらは人間ではない」と同様に説明している。 聖書の無謬性という信仰を利用することによって、自分達のエゴイズムや貪欲な物欲、選民思想を合理化できるのだ。 どんな人間だとて、異民族でも多数の人間を無差別虐殺すれば、潜在的に罪悪感を感じるものである。 もちろん、本物の「見せかけだけの善人」ならば、潜在的にも罪悪感を感じないだろうが。 米国人の心に在った潜在的罪悪感や不安感を薄れさせ、自らの虐殺・軍事的及び経済的侵略を正当化するために、聖書無謬性は、実に利用価値の高い説なのである。 聖書無謬性は、選民思想を強化し、エゴイズムの発現と経済侵略を正当化する。 だから、英国は「死の商人」として長年成功できたのだろう。日本で有名なグラバーも、英国の武器商人である。 第二次世界大戦後、英国の国土は荒廃していた。 戦争の被害のない米国が「世界の中心」となったのは必然であるが、その世界の中心とは、「世界の武器工場」なのである。この情けない地位は、この先当分揺るぎそうにない。 人殺しで儲ける「商売」は、私は世界中で最も卑しい職業だと思う。 殺傷兵器を多数生産することにも、自己正当化と合理化が必ず必要になる。 「我々は、民主主義を世界に普及するために武器を製造しているのである」とか工場で合理化の言葉を言わなければ、現場の労働意欲が必ず低下していく筈だからだ。 米国で武器を多数製造しなくても、たくさんある別の産業に大半を転換すればいいだけの筈だ。日本は、戦後ちゃんとできたのだから。 だが、恐らく、最早不可能だろう。
なぜなら、米国は「民主的な豊かな社会」から「憎悪と恐怖の対象」「言論を弾圧する強国」へと変質して行っているからである。 報復を恐れて先制攻撃し、無差別攻撃するために、他国民の憎悪と怒りが増し、死を賭しても抵抗を表したいという人々をどんどん増やしているという、ごく当たり前の論理が、米国人には理解できないようだ。 恐らく、欧米人以外の人々を、無意識下で「人間」と認めていないからである。 世界中から恨まれ憎まれていることを、米国人の大半が9.11まで気づかずに済めたのは、エバンジェリカルが米国民が潜在的に持つ罪悪感や不安感を合理化し、選民思想を強化してくれているためである。 戦争があるたびに、米国内のエバンジェリカルは信者数を増していく。 今や、聖書無謬性を信じる米国人が半数以上なのではないか。 例え、神が言ったことが正しかったとしても、転記を続けた古代ユダヤ人が自分達に都合の良い内容に書き換えなかったと何故信じられるのかは、理解に苦しむ。 古代ユダヤ人の知っている世界しか書かれていないからといって、それ以外の土地に住むのは人間ではない、あるいは被差別民族だと信じられるのは、何故なのか。 「木を見る西洋人 森を見る東洋人」に従えば、西洋人の世界観があまりに単純だからと説明できるだろう。 そんなに、世の中、単純なわけなかろうが。 あらゆる物事は、複雑に絡み合っている。 人体の一部が悪くなれば、全体に影響が及ぶようにだ。 潜在的罪悪感を引きずるからこそ、米国は犯罪大国になったのではないか。 エバンジェリカルは「核戦争を待望する人びと―聖書根本主義派潜入記 朝日選書」によると、ヨハネの黙示録の「ゴグとマゴク」、つまりイスラエルに進攻して戦う二つの大国とは、ロシアと中国だと教えているそうだ。
信者を増やすために、「核戦争はすぐ来る」とエバンジェリカルが米国民の恐怖を煽れば煽るほど、「どうせ先はないんだから」と自暴自棄の心境に陥り、犯罪に走る者は増えていったのだろう。 潜在的罪悪感や不安感は、潜在的犯罪者を増加させていき、米国民の人心を荒廃させて行ったのである。 「人のふり見て我がふり直せ」と言う。 経団連が武器輸出を求めた結果、内閣が勝手に、当座米国にのみミサイルを輸出することに決めてしまったが、これは米国の轍を踏むことになるだろう。 潜在的罪悪感を合理化する装置としての宗教は、日本において国家神道と靖国である。 次第に国粋主義者が再度増えて行っている現状を、よく考えてほしい。 米国の事実上支配下に入っている日本では、精神的には戦後の混乱が続いたままなのである。 恐らく、潜在的罪悪感や社会の矛盾を合理化するために、日本人の多数が、再び自発的に国家神道と靖国に縋り始めたのである。 それを否定する者に対して、「非国民」扱いが始まっている。 戦後の精神的混乱を「日教組の偏向が」等とする、安易な合理化を続けているようでは、昭和初期と同じ状況を自ら作り出してしまうだろう。 そして、潜在的罪悪感と社会の矛盾を合理化するのに、靖国では駄目だと考える人々が新・新興宗教に縋っていくのである。 この状況が長く続けば、オウムのような極端な教義を必要とする人々が増えていくはずだ。 武器輸出は、第二・第三のオウムを作り出し、アーレフを強化する。 エゴイズム、利己主義と物質主義、利益優先主義、選民思想などの、「アメリカナイゼーション」が「グローバリズム」の名で一層進行していけば、犯罪発生率が増加するのは当然である。 物事は連鎖していると考えるのは、東洋的発想らしいが、過去の清算が充分に済まないならば、潜在的罪悪感や不安感が、国を誤った方向へと導くのは避けがたいだろう。
良い商品を世界に供給するのを止めて、死の商人への道を進むのが、日本国の将来のために素晴らしいことと思いますか。 経済的論理のみを追求すれば、犯罪発生率は高まり、要人暗殺や報道機関への武力攻撃等の右翼テロが頻発する時代をもたらすだろう。 その先にあるのは、五‐一五事件(1932年犬養毅首相暗殺)、二‐二六事件(1936年陸軍クーデター)のような時代が来るだろう。 貴方は、奥田経団連会長や小泉首相が、そういうことまで考えて武器輸出を決めたと思いますか。 重要案件が国会の議決を経ないで決まる事態は、民主主義の形骸化の進行です。 「誰がなっても変らない」と賢しらに言う人々が多数日本にはいますが、本来、日本の未来を選ぶのは、国民の一票の筈です。 貴方は、どんな未来を選びたいと考えていますか? 何もせずに他人(政治家や官僚)のせいにするというのも、一つの選択であり、その選択に相応しい未来が待っているはずです。 【福音派】聖書の外典・偽書と「聖書の絶対不可謬性」
キリスト教史の中で、旧約聖書が正式に聖典の扱いを受けるようになった歴史は意外に浅く、トリエント公会議(1545)の時である。 2世紀には既に旧約聖書を認めない派が存在し、それに反対するためにも4世紀に聖書のラテン語訳が始まり、397年「正典」が一応決まった。 特に、ヨハネの黙示録を新約に残すかどうかで、随分揉めたらしい。 東方正教会は、長く認めていなかったという。 1世紀末に書かれたもので、「ヨハネによる福音書」「ヨハネの手紙」の著者とは別人が書いているが、今でも諸説あり、作者が福音書作者でないと文献学等で否定されていることを聞くと激怒する宗派もあるらしい。 どの文書が聖書として認められるべきか否かで、長く揉めて来た歴史というのは、大抵の宗教にあることだ。例えば、「北伝仏教の経典の多数は偽書である」という研究もある(「梅原猛の授業 仏教」をご参照下さい) そんな歴史があるのに、特に、キリスト教原理主義者達を中心に「聖書の絶対不可謬性」を固く信じているキリスト教徒が結構いるのだそうだ。 聖書の中には、これを聖書に含めるかで揉めた文書があるという歴史等を、清教徒は全く知らなかったらしい。そのため、アメリカを中心に「聖書の絶対不可謬性」という、珍奇な教義をもつ教団が多いのだそうだ。 しかも、彼らが「間違いがない」と主張するのは、大抵、本来は聖典ではなかった旧約聖書のほうで、新約と違って間違いだらけの書物だ。 281投稿者:狂ったアメリカ人の精神構造 投稿日:2007年06月10日(日) 08時50分55秒 旧約聖書は盲信されると、世界の迷惑になる話が多すぎるのだ。
聖書と言っても旧約聖書は、基本的に泊付けのために導入されたものであり、どう考えても新約聖書の「神」と矛盾している。 旧約聖書の「神」は、所詮民族宗教の神なので、イエスと違い、人を幸福にすることのない神なのだ。 その「神」とイエスが三位一体であると言ったものだから、それから、キリスト教の神は相当残虐な「神」に変化し、教会の教えも残虐なものに変質してしまったのかもしれない。 ローマカトリックが新教の発生と共に今までの教会のあり方を見直して現在に至るのと対照的に、「自分達こそ、(旧教の輩と違って)汚れなき者である」と主張し続けて来た人々は、随分人殺しが好きな人々になっていき、全く自分達の行動を振り返ろうとはしない。 「神に選ばれた」とか「(自分達だけは)清浄なるものである」とか、「アメリカは『神の国』である」とか言うのは、明らかな(誇大)妄想である。 民族宗教の神ならともかく、キリスト教の神が、そんなに驕り高ぶり尊大で、「自分達は選ばれているから何をやっても許される」といった論理で他国民を無差別虐殺するような信者を、そんなに高く評価するだろうか。 「汝の敵のために祈れ」と言った神がだ。 聖書を書き記したのは所詮古代ユダヤ人であり、聖書の中にサハラ以南の黒人、インド以東のアジア人、北米南米・オーストラリア・ミクロネシアの現地人の存在が書かれていないのは、単に、当時の古代ユダヤ人の知識が足らなかっただけである。 ところが、「聖書の絶対不可謬性」を盲信する人々は、聖書に出て来ない人々を「人間として認めてはならない」という、見解になりがちだ。
清教徒が最初にこの考え方を米国に伝え、英国の清教徒が奴隷貿易を擁護した。自分達は清い名を名乗り、その行動は実に血なまぐさい。 聖書が誤っていることを認めぬ代わりに、世界や現実のほうを自分達の信念に合わせようとすると、随分多数の人々の人権を侵害し、戦争を次々起こし、多数の国を弱体化させ、...たくさんの異教徒をアジア・アフリカ・南北アメリカで殺さなければならない。 実際に、合わせようと今まで努力してきたのが、アメリカ合衆国という国の「裏の歴史」ではないのだろうか。 「キリスト教原理主義のアメリカ」(p.94)では、「聖書の絶対不可謬性」を信じる信者の割合を表示している。 ユニタリアン・ユニバーサリスト 6% 統一キリスト教会 12% アメリカン・福音ルーテル教会 21% エビスコーパル・チャーチ(聖公会) 22% 統一長老派教会 25% 統一メソディスト教会 34% エホヴァの証人 51% チャーチ・オブ・クライスト 55% サザン・バプティスト会議 58% チャーチ・オブ・ナザレン 58% アセンプリーズ・オブ・ゴッド 65% ユナイテッド・ペンテコスタイル・チャーチ 69% チャーチ・オブ・ゴッド 80% http://hoffnungenlied.cocolog-nifty.com/kaizen/cat1966234/index.html 「敵を妥協せず徹底的に叩く」というアメリカの精神的背景について http://www.kanekashi.com/blog/2017/10/5503.html アメリカに移住したピューリタンは、「キリスト教原理主義」を貫いて、「エルサレムの建国」を「マニフェスト・デスティニー(明白なる使命)」として、西部開拓(実際は先住民殺戮)を推し進めた。
この「キリスト教原理主義」の精神性が連綿と続いているという。
「キリスト教原理主義」は聖書(:福音)絶対であるのと同時に、選民思想であるという。これが他部族みな殺しを正当化させているとのこと。 元々、ヨーロッパ自体が
「古代・地中海周辺における皆殺し戦争の結果としての共同体の徹底破壊」 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=330205 により、選民思想も登場してきているという背景があります。 ヨーロッパは、17世紀中頃に徹底殺戮の宗教戦争(:「神」と「悪魔」の戦い)をやめる条約を取り交わしました。しかし、アメリカ(に渡った移民)はその後も長きにわたって、みな殺しの殺戮を繰り広げてきたことが、今尚「敵を妥協せず徹底的に叩く」という精神性に繋がっているのだと思います。
以下、
『世界を操るグローバリズムの洗脳を解く(馬渕睦夫著) https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%82%92%E6%93%8D%E3%82%8B%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%81%AE%E6%B4%97%E8%84%B3%E3%82%92%E8%A7%A3%E3%81%8F-%E9%A6%AC%E6%B8%95%E7%9D%A6%E5%A4%AB/dp/4908117144 からの紹介です。
**************************** ■アメリカを新しいエルサレムの地にする イギリスでピューリタン革命が起こる前、宗教的な迫害を受けたピューリタンの一部の人たちは、新天地を求めてイギリスからアメリカ大陸に向いました。1620年にピルグルム・ファーザーズがメイフラワー号でアメリカに渡ったのです。 ピューリタン(清教徒)というのは、purity(純水、清浄)という言葉から来たものですが、文字通り、宗教的な純粋、純化を求めていた人たちです。 彼らは、当時のカソリックの腐敗した状況を見て、ルターの宗教改革をさらに徹底してやらなければいけないと考えました。
ある意味で、キリスト教の原理主義であり、相当極端な過激な思想であったと思われます。それゆえに、イギリス国内での迫害も強かったのでしょう。ピューリタンたちはイギリスで食い詰めた最下層の人たちだったという説もあります。 いずれにせよ、彼らの一部はイギリスを逃れてアメリカに移住しました。
彼らピューリタンは、司祭の言葉ではなく、聖書の言葉こそ神の言葉と考えて、聖書の言葉を忠実に実践しようとしました。そして「この地に自分たちにとってのエルサレムを建国しよう」と考えたのです。 ピューリタンたちは旧約聖書を重視しましたが、旧約聖書に忠実に従ったという点ではユダヤ人たちと考え方は同じです。
ユダヤ人は自分達を選民と考えていましたが、ピューリタンも自分達を現代の選民と考えて、アメリカという地をエルサレムにして、神の福音を世界に伝えようと考えました。これが「マニフェスト・デスティニー(明白なる使命)」と呼ばれるものです。建国の精神に立ち戻って考えれば、アメリカと言うのは宗教国家であることが分かります。 彼らは、神の福音を伝えることを使命と考えていましたから、それを妨害する勢力は皆敵と見なしました。その観点に立てば、先住民の殺戮も正当化されました。 そして神の福音を妨害する勢力を西へ、西へとなぎ倒していったのがフロンティア・スピリットです。フロンティア・スピリットは、ピューリタニズムと表裏一体です。
西へ、西へと進んでいって最終的にたどり着いたのがカリフォルニア。そこから先は海に遮られています。しかし、太平洋を越えて福音を伝えようと考え、アメリカはハワイ、フィリピンに進出し、さらに日本、中国にも福音を伝えようと考えました。 このように、アメリカのたどってきた歴史は、マニフェスト・デスティニーの歴史と考えると筋が通ります。 ■宗教国家のアメリカには「妥協」がない
現代のアメリカには、ピューリタニズムの精神はもうほとんど残っていません。アメリカの国体はすっかり変わってしまいました。国体は変質してしまいましたが、彼らのマニフェスト・デスティニーの考え方は変わっていません。アメリカ的な発想を世界に普及させる、あるいは押し付けるというやり方を続けています。つまり、「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」を世界に広げることが、一貫したアメリカの世界戦略です。 彼らは、「自分達は植民地主義者ではない。帝国主義者ではない」とずっと主張し続けていますが、実際の現象を見れば、遅れてきた帝国主義者の様相を呈しています。彼らは「門戸開放」という言葉を使いましたが、言い方を変えれば、「オレたちにも分け前をよこせ」という意味です。
神の福音を伝えることが目的であったにせよ」、「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」を広げることが目的であったにせよ、実質的には帝国主義と同じです。
建国の経緯を見れば、アメリカと言う国の本質は宗教国家であることが見えてきます。宗教を広げることを理念としている以上、彼らに妥協というものはありません。その点を理解しておくことが重要です。宗教国家の側面は、アメリカの戦争のやり方にも影響しています。
ヨーロッパにおける戦争というのは、妥協が成立することがよくあります。17世紀に宗教戦争によって疲弊しきったヨーロッパ諸国は、1648年にウェストファリア条約を結んで宗教戦争を止めることを決めました。
宗教戦争というのは、「神」と「悪魔」の戦いですから、悪魔は徹底的に叩くほかなく、どちらかが破滅するまで行われます。続けていけば際限が無くなり、ヨーロッパ全体が破壊されてしまうため、宗教を理由とした戦争を止めるウェストファリア条約が結ばれました。
ウェストファリア条約以降は、ヨーロッパでは戦わずして対立が終わることもありましたし、話し合いによって妥協が成立することもありました。
アメリカの場合は、選民思想によるマニフェスト・デスティニーが根本にあるため、アメリカにとっての戦争は、いずれも宗教戦争的意味合いが濃く、彼らには妥協というものがありません。 第二次世界大戦においては、アメリカは日本を徹底的に攻撃して壊滅状態に追い込みました。その後の占領政策では日本の国体を徹底的に潰そうとしました。一切の妥協はありませんでした。それが宗教国家のやり方です。
今は、ピューリタニズムのアメリカ的な精神を持った人たちは、ほとんどいなくなりました。アメリカの国体が変質して、宗教国家の要素はなくなっていますが、妥協しないやり方は変わっていません。 http://www.kanekashi.com/blog/2017/10/5503.html [18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理 23. 中川隆[-13000] koaQ7Jey 2018年6月13日 08:03:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15280] ▲△▽▼ イスラム教もキリスト教もクルクルパー・カルトであるのは変わらない _ 3 ◆エリート以外の米国民は全員 知恵遅れのカルト信者 とにかく、米国の成人の5人に1人は天動説を信じていますし、26%しか進化論を信じていません。そもそも、高卒以下の人々の約45%は聖書に書かれていることはすべて真実だと信じています。 それどころか、白人の原理主義的(evangelical)キリスト教徒の60%は、議会ではなく、聖書に拠って米国の法律が制定されるべきだと考えているのです。 また、成人のたった57%しか年間に1冊以上ノンフィクションの本を読んでおらず、若い成人の3分の2はイラクがどこにあるか地図上で示すことができず、成人の3分の2は米国の3権を列挙することができず、同じく3分の2は1人の最高裁判事の名前も挙げることができません。 15歳の数学の力はOECD加盟29カ国中24位ですし、2007年の研究では読む力が男女とも、しかも教育レベルの相違にかかわらず、低下気味であることが明らかになっています。 http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu181.htm 313 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2009/10/10(土) 21:14:27
ところで、アメリカはどうか。 アメリカではだいたい三割が実質的文盲です。 また、さらに八割はアンダードッグ(=負け組)です。 日常の情報は入るけれども、少し高度な情報となると入らないという人が八割くらいいるわけです。 逆に、勝ち組になればなるほど情報の流通が非常に制限されてしまう。 自分だけで握って人に話さない(笑)。 すでにロックフェラーの支配が確立されているのですね。 そういう意味で、アメリカは情報化社会になればなるほど、 情報の流通に対するロックフェラーの抵抗が大きい。 今、アメリカではこれが大問題となってきている。 このロックフェラー支配は中国とロシアでも、日本とくらべれば同じですね。 ロシアなんて最もひどい。 ヨーロッパではまあ少しはいい。 そういう意味で、これからは日本が非常に有利となる。 >3 何度か、英語字幕付きの日本映画を見たけど登場人物が難しいことを言いだすと、長い単語が画面にズラズラと流れてこれは無理だと思ったよ。
8 :名無シネマさん[sage]:2009/07/19(日) 20:34:54 ID:ShU9guzs
ドイツに半年いたことがあったけど、 映画館は約8割はハリウッド映画を吹き替え上映してたよ。 1日一本週4日、メジャーな映画(天使と悪魔、グラントリノ、ターミネーター等)の英語のオリジナル(字幕なし)上映があってたけど。 >>4が最初のほうでいってるように、 吹き替え上映はアメリカに限らず、けっこういろんな国で多数派なのでは? 10 :名無シネマさん[sage]:2009/07/28(火) 18:02:21 ID:W/Jd8xzS
吹替えって結構徹底してるみたいです。 しかし一度「John Rabe」というドイツ映画を見に行ったことがあるんだけど、 これがドイツ映画でドイツ語が主言語のくせにせりふがすべて吹替え! なぜかというと、この映画はシンドラーのリストドイツ版? 日本軍の南京大虐殺から中国人を救ったドイツ人ビジネスマンの話。 なので、せりふもドイツ語のほか、英語、フランス語、中国語、日本語といくつかある。(IMDbで確認した) 日本人の将校役の俳優さんたちは日本語だな!と期待したらだめだった。 明らかにドイツ語でしゃべってる部分まで調整のため?かふきかえられてんだもん。 まじで徹底した吹替えっぷり。 これはドイツでの一例なので、ほかの国でどうなのかは未体験だが・・・ 外国いって字幕で外国映画を見ようなんて、アメリカに限らずどこの国いっても期待しないほうがいいぞ。 そしてその結果、アメリカ人の知性はこの有様:
「アメリカでは大人の4人に1人が自分の名前程度しか読み書きできない」。新聞や雑誌で、こんな統計に出くわしてハッとする。
ただそれは、ぼくが4人に1人という数に驚くからではなく、 「やっぱりそうか、アメリカの非識字率ってそんなとこだったんだよな・・・・・」 と改めて意識させられ、でもショックは受けず、危機感もイマイチわかず、 「ま、別段新しい数字でもないし・・・・・」 と片付けそうになる、とそこで気がつく。そしてハッとするのだ。慣れっこになってはならない、深刻な問題なのだ。 しかしまったく、ぼくの母国はどこを見ても、危機的な統計がゴロゴロしている。 ――国民健康保険の制度はなく、アメリカ人のおよそ6人に1人が無保険状態で、事実上、医療が受けられない。
――ブッシュ政権が1期目で実施した大型減税は、総額の半分以上が超富裕層のトップの1パーセントの懐に入った。
――米国人は世界人口の5%にも満たないが、世界の石油消費量の4分の1以上を、一国だけで燃やしている。
――マリア様がセックス抜きに、処女のまま妊娠してキリスト様を産んだという「処女懐胎」を、アメリカの成人の8割が信じている。
25%の非識字率と、その他もろもろのトンデモ統計と、当然みんな地続きのものだ。字がうまく読めないと、テレビが主な情報源になってしまい、テレビ報道は、「処女懐胎」と同じくらい現実から掛け離れていることが多々ある。
では、もし一生懸命ABCを勉強し、どうにかディクショナリーと首っぴきで新聞が読めるようになったとして、それで確かな情報にありつけるかというと、そうはメディア屋が卸さない。 例えば、二年前の古新聞を見てみると、『ニューヨーク・タイムズ』を始めアメリカの全国紙も地方紙も、妄想とイリュージョンの記事で埋め尽くされている。「死との隠れん坊・なおくすぶるイラクの核兵器の謎」「細菌博士・世界一の殺傷力を持つ女」―― 2002年の暮れは、イラクが隠し持っているに違いない生物兵器と化学兵器と核兵器と弾道ミサイルの脅威の話題で100%持ち切りだった。 http://www.web-nihongo.com/back_no/column_01b/041221/index1.html 世界一豊かなアメリカはこんな国
▽3100万人の国民が飢えている。 ▽4500万人が医療保険に入っていない(国民健康保険制度がない) ▽国民の8人に1人が貧困レベル以下(2人家族で年収140万円以下)の暮らし振り。 ▽貧困児童数は先進国でもっとも多い1300万人。 ▽乳児死亡数は1日あたり77人。 ▽国内に350万人のホームレスがいる(そのうち50万人が退役軍人)。 ▽国内には約2億3000万丁の銃がある。 ▽銃によって死ぬ子どもは1日平均13人。 ▽選挙では不正が横行(黒人投票者を露骨に排除など)。 ▽大学に行けなかった者は一生のあいだ時給5ドル(あるいはそれ以下)の仕事にしか就けない。 ▽成人の4人に1人が自分の名前程度しか読み書きできない。 ▽処女懐胎を、アメリカの成人の8割が信じている。 ▽ブッシュ政権が1期目で実施した大型減税は、総額の半分以上が超富裕層のトップの1パーセントの懐に入った。 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4875252307/ref=sr_11_1/503-0687016-2159947?ie=UTF8 1.スーパーのレジが異様に遅い。(日本の5倍くらいはかかってるw)
2.ファーストフードのセットメニューを頼むと、時々一品抜けてる。(3品しかないのにねw) 3.まともな運行時刻表すらないアメリカのバス・電車。(アメリカでは新幹線なんてとてもムリw) 4.殆どのアメリカ人って、外国に行った事も無い、外国語も話せない。要は、無知な田舎者w 5.レディーファーストなんてカッコつける割には、旦那の暴力が社会問題&驚異的な離婚率w 6.アメリカ人の運転マナーの悪さ・自分勝手度合い・・・ 日本人には『想定外』の連続ですw 7.何かを発注したとき、まず守られない納期。稀に納期を守る会社があるとビックリするw 8.議論は長いが何の結論も出ないアホな会議が、実は日本より多いw 9.必ず下らないギャクを入れるプレゼン。アメリカ人はプレゼン上手だと勘違いしてる模様w 10.テメーの稼ぐ金よりも、多くの金を浪費してる国・国民。愚かな・・・(以下省略w 11.コミュニケーションという言葉が好きみたいだが、要はペチャクチャ話して仕事せずw 12.自由を守る!テロとの戦いだ!などと他国に騒いでるが、要は、親米か反米か、それだけw 13.ミーティングでは“No Problem. We can do that” し か し・・・行動が伴わないw 14.ゴミの分別などお構いなし。誰も居ない週末のオフィスでも冷房ガンガン。環境を語る資格ナシw 15.駐車場で白線内にクルマを停めない馬鹿が多過ぎw、世間の程度が知れるw 16.セクハラ訴訟で何百億円、タバコ訴訟で何千億円・・・素晴らしい常識の国だよw 17.国民総肥満w、何食ってどれだけ怠惰に生活すれば、あんな肥満になるのか誰か教えてくれw 18.いまだにアメリカだけポンド・ガロン・インチ・・・の世の中w ま、彼らに国際単位系への変更なんて理解不能かw 19.終わってる製造業w 武器以外に輸出できるようなモノって一体何があるの?誰か教えてくれw 20.たかだか二百数十年の『アメリカ史』w なんせ白人は人々が暮らしているのにアメリカ大陸“発見”だからw 皮肉な事に、日本の負け組みに限って渡米希望w ◆米国民の知的劣化
これは、米国民が、知的に劣化したせいだと考えられるのです。 とにかく、米国の成人の5人に1人は天動説を信じていますし、26%しか進化論を信じていません。そもそも、高卒以下の人々の約45%は聖書に書かれていることはすべて真実だと信じています。 それどころか、白人の原理主義的(evangelical)キリスト教徒の60%は、議会ではなく、聖書に拠って米国の法律が制定されるべきだと考えているのです。 また、成人のたった57%しか年間に1冊以上ノンフィクションの本を読んでおらず、若い成人の3分の2はイラクがどこにあるか地図上で示すことができず、成人の3分の2は米国の3権を列挙することができず、同じく3分の2は1人の最高裁判事の名前も挙げることができません。 15歳の数学の力はOECD加盟29カ国中24位ですし、2007年の研究では読む力が男女とも、しかも教育レベルの相違にかかわらず、低下気味であることが明らかになっています。 http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu181.htm アメリカ人の優位性は自国語が国際語になっているという事だけ: ヨーロッパ連合(EU)では、医師免許をはじめとする諸種の国家資格が共有化されようとしている。そこでは英語が共通言語だ。この国家の壁を乗り越えたヨーロッパの歴史的で壮大な試みを無視してよかろうはずがない。医学生に限らず、わが国の大学生は皆、日本語の教科書だけで学問ができる。その例外性に多くの人は気づいていない。 日本以外の国では、英語(最低、ヨーロッパ系言語)ができなければよい教科書が読めないし、医者にも看護師にも臨床検査技師にもなれない。日本語は漢字のおかげで、外来語を簡単に母国語化するすばらしい能力を有していることを再確認したい。タイ語やスワヒリ語では医学用語の大部分が表現できない。韓国でも、医学生は英語でばかり勉強して、ちっともハングルで勉強してくれないと多くの教員が嘆いている。 EUでは医師免許をはじめとして、いろいろな国家資格が英語で統一されようとしている。最近になってフランス文化やドイツ文化の最先端科学部門における劣勢がはっきりしてきて、ドイツ人もフランス人もその他のヨーロッパ人は最先端科学部門は英語が出来ないと母国語では無理らしい。 同じアルファベットを使い、ラテン語からの派生語や、大きな影響を受けた同じ文化圏の言葉だから、専門用語はいちいち翻訳するよりも英語をそのまま使ったほうが手っ取り早いのでしょう。もはやフランス語やドイツ語はローカル言語であり、英語でないと最先端科学分野の学問は出来なくなっている。だからドイツ人やフランス人のお医者さんは英語が堪能なのは国家資格が英語で行われるからだろう。 アジア、アフリカ、中南米諸国の医学生は英語ができなくては最先端医療が学ぶことが出来ないし、多くの留学生を欧米に送り込んで学ばせている。タイ語やスワヒリ語では専門用語が翻訳できないからだ。2010年9月7日の株式日記ではスウェーデンの化学や文化の事を書きましたが、スウェーデン語と英語の二重言語生活を強いられる結果をもたらしている。他のヨーロッパ諸国も大なり小なり同じだろう。英語を学ばなければ最先端科学について行けない。 中国や韓国が大量の留学生をアメリカに送り込んでいるのも同じ理由によるものだろう。まさに英語帝国主義の大勝利であり、英語がグローバルスタンダード言語となり、非英語国では二重言語生活を余儀なくされている。その反面では英米人は外国語を学ぶ必要が無く、その時間を科学分野の研究に割り当てることが出来る。英語で国家試験が行われるようになると言うことは、それだけ非英語国民は負担を強いられることになる。 スウェーデンにおいても、スウェーデン語で書かれた文章と、英語で書かれた文章を読ませて、理解力を比べてみたら25%も英語で読んだグループは劣っていた。 つまり国際競争力においてもアメリカイギリスといった英語を母国語とする国民が圧倒的に有利になり、スウェーデンなどのヨーロッパの小国は言葉も文化もやがては失われていくのだろう。アイルランドもかつてはアイルランド語を話していましたが、今では英語が国語となりアイルランド語は文化財として残っている程度だ。 IT用語や金融用語や医学用語などは英語が共通語となり、日本も例外ではない。かつては武力が帝国の力の象徴になっていましたが、現代では言語が帝国の象徴となり、非英語国では二重言語生活を余儀なくされて、25%ものハンデを背負っているようなものだ。 http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu232.html [18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理
24. 中川隆[-12999] koaQ7Jey 2018年6月13日 08:10:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15280] ▲△▽▼ 異教徒は「人間」ではないので殺してもいい 平和や愛を説いている宗教が大量殺戮を生み出す皮肉な現実 https://www.bllackz.net/blackasia/content/20180130T0221060900.html アメリカの調査機関ピュー・リサーチ・センターは、2015年に世界人口における宗教人口の変動を予測した結果、今のままで推移すると、2100年にはイスラム教徒が最大勢力になると報告した。 アメリカの調査機関ピュー・リサーチ・センターは、2015年に世界人口における宗教人口の変動を予測した結果、今のままで推移すると、2100年にはイスラム教徒が最大勢力になると報告した。 人口の35%はイスラム教徒になる。イスラム教徒と言えば、私たちは中東・北アフリカをイメージするが、世界最大のイスラム人口を抱えているのはインドネシアである。人口の35%はイスラム教徒になる。イスラム教徒と言えば、私たちは中東・北アフリカをイメージするが、世界最大のイスラム人口を抱えているのはインドネシアである。 今後はインドも巨大なイスラム人口を抱えることになるのが分かっている。アジアもまたイスラム人口で覆い尽くされていくことになる。今後はインドも巨大なイスラム人口を抱えることになるのが分かっている。アジアもまたイスラム人口で覆い尽くされていくことになる。 この予測は実は2008年頃にカトリック総本山のバチカンでも統計年鑑で示されていたことである。今後はキリスト教徒も全体数として増えるのだが、イスラム教徒の方が多産なので人口で完全に抜かれるのである。この予測は実は2008年頃にカトリック総本山のバチカンでも統計年鑑で示されていたことである。今後はキリスト教徒も全体数として増えるのだが、イスラム教徒の方が多産なので人口で完全に抜かれるのである。 この科学万能時代に宗教人口が増えるというのも興味深いが、どんなに科学が発達しても人々は神を捨てることはない。この科学万能時代に宗教人口が増えるというのも興味深いが、どんなに科学が発達しても人々は神を捨てることはない。 私は無宗教を通り越して確信的な無神論者だが、私のような無神論者は全世界の人口から見ると2.2%でしかなく、完全に少数派(マイノリティー)である。私は無宗教を通り越して確信的な無神論者だが、私のような無神論者は全世界の人口から見ると2.2%でしかなく、完全に少数派(マイノリティー)である。 人類の70%がキリスト教・イスラム教・ヒンズー教・仏教のいずれかを信じている。人類の70%がキリスト教・イスラム教・ヒンズー教・仏教のいずれかを信じている。 多くの国で、私は神に祈る人々に接してきた
多くの国で、私は神に祈る人々に接してきた。私が愛した女性たちもまた数多くの宗教を信じていた。多くの国で、私は神に祈る人々に接してきた。私が愛した女性たちもまた数多くの宗教を信じていた。 たとえば、タイ女性の多くは車の中から寺院や祠が見えると、そっと合掌(ワイ)をした。どんなに若い女性であってもそうだ。私はその姿が美しいと思った。たとえば、タイ女性の多くは車の中から寺院や祠が見えると、そっと合掌(ワイ)をした。どんなに若い女性であってもそうだ。私はその姿が美しいと思った。 インドネシアで知り合った女性たちは、もちろんイスラム教徒が多くて彼女たちの誰かと暮らすようになったら私もまたイスラム教徒にならないといけないのかもしれないと漠然と思っていたこともある。インドネシアで知り合った女性たちは、もちろんイスラム教徒が多くて彼女たちの誰かと暮らすようになったら私もまたイスラム教徒にならないといけないのかもしれないと漠然と思っていたこともある。 普段は派手な格好をしてタバコを吸って男とやり合っていた女性たちが、ある時にジルバブを付けてモスク(イスラム寺院)に行く姿を見た時、私は派手な格好をしている彼女たちよりもジルバブの姿の方に感銘を受けたものだった。普段は派手な格好をしてタバコを吸って男とやり合っていた女性たちが、ある時にジルバブを付けてモスク(イスラム寺院)に行く姿を見た時、私は派手な格好をしている彼女たちよりもジルバブの姿の方に感銘を受けたものだった。 インドネシアのジルバブはカラフルで美しい。 (ジルバブをつけたインドネシアの女性たちはとても華やか) https://www.bllackz.net/blackasia/content/20141007T2223520900.html インドでは、売春宿にいる女性たちは自分に客が付くと、ドアの上やベッドの壁に飾っているシヴァ神の写真に向かって感謝の儀式をした。インドでは、売春宿にいる女性たちは自分に客が付くと、ドアの上やベッドの壁に飾っているシヴァ神の写真に向かって感謝の儀式をした。
夕方、泊まっていたホテルを抜けてスラムに入ると、スラムの一角ではヒンドゥー教の何かの儀式があって、私も誘われてヒンドゥー教のお参りを見よう見まねでした。その儀式で私は彼らに受け入れられた。夕方、泊まっていたホテルを抜けてスラムに入ると、スラムの一角ではヒンドゥー教の何かの儀式があって、私も誘われてヒンドゥー教のお参りを見よう見まねでした。その儀式で私は彼らに受け入れられた。 フィリピンではどうだったのか。フィリピンでは出会う女性は、細かい宗派は違うとしても、基本的にみんなキリスト教徒だった。女性たちはみんな十字架のペンダントをしていた。フィリピンではどうだったのか。フィリピンでは出会う女性は、細かい宗派は違うとしても、基本的にみんなキリスト教徒だった。女性たちはみんな十字架のペンダントをしていた。 何気なく入ったショッピングモールでは礼拝堂があって、そこでも多くの客が礼拝を受けていたのに驚いたこともある。何気なく入ったショッピングモールでは礼拝堂があって、そこでも多くの客が礼拝を受けていたのに驚いたこともある。 私が行ったすべての国で、それぞれの人々が生活の中で神と密着した日常を送っていたのだ。それぞれの文化、それぞれの伝統はそこで定着している。そして、時には美しい。私が行ったすべての国で、それぞれの人々が生活の中で神と密着した日常を送っていたのだ。それぞれの文化、それぞれの伝統はそこで定着している。そして、時には美しい。 しかし、私が彼らに影響されることはない。私は依然として何も信じていない。私は無神論者である。しかし、私が彼らに影響されることはない。私は依然として何も信じていない。私は無神論者である。 私が行ったすべての国で、それぞれの人々が生活の中で神と密着した日常を送っていたのだ。それぞれの文化、それぞれの伝統はそこで定着している。そして、時には美しい。 信じなければ、生きていけない世の中だった
神を信じる人は圧倒的多数である。信じないのであれば、その時点で人類のデファクトスタンダード(事実上標準)から弾き飛ばされる。神を信じる人は圧倒的多数である。信じないのであれば、その時点で人類のデファクトスタンダード(事実上標準)から弾き飛ばされる。 信じている人間から見ると、信じない人間は、共同体に属する意思がない人間であると認識される。信じている人間から見ると、信じない人間は、共同体に属する意思がない人間であると認識される。 共同体に帰属できない人間は爪弾きされるのだが、かつて「村」という狭い共同体の中で爪弾きされたら生きることすらも困難になる。共同体に帰属できない人間は爪弾きされるのだが、かつて「村」という狭い共同体の中で爪弾きされたら生きることすらも困難になる。 中世のキリスト教徒たちは、非キリスト教徒を人間扱いしなかったのはよく知られている。ユダヤ教徒も、異教徒は人間ではないと考える層もいた。中世のキリスト教徒たちは、非キリスト教徒を人間扱いしなかったのはよく知られている。ユダヤ教徒も、異教徒は人間ではないと考える層もいた。 現代のイスラム教でも、イスラム原理主義が跋扈するようになると、大勢の異教徒が殺されていった。これは中世ではなく、現代シリアで起きていたことだ。 (人類の歴史は殺戮の歴史であり、地獄はどこにでも口を開く) https://www.bllackz.net/blackasia/content/20170728T0151200900.html 戦争している国だからそんな悲劇が起きるので、普段は排斥なんか起こらないと思うのも間違っている。戦争している国だからそんな悲劇が起きるので、普段は排斥なんか起こらないと思うのも間違っている。
パキスタンでは、「イエス・キリストは人類の罪のために十字架で死んで下さった。ムハンマドは何をしたの?」と問いかけた普通の女性が死刑を宣告されている。 (少しでもイスラム教をけなすと、冒涜罪で死刑になる危険な国) https://www.bllackz.net/blackasia/content/20130802T2244050900.html 宗教を信じている人たちの中で異端でいるというのは、このような恐ろしい目に遭うこともあるのだ。宗教を信じている人たちの中で異端でいるというのは、このような恐ろしい目に遭うこともあるのだ。
共同体の中で、人々が信じているものを信じないのは実は恐ろしいことなのである。信じないことを隠していればいいというわけでもない。信じていないことは、何気ない態度の端々に現れるからだ。共同体の中で、人々が信じているものを信じないのは実は恐ろしいことなのである。信じないことを隠していればいいというわけでもない。信じていないことは、何気ない態度の端々に現れるからだ。 人は信じていないものを信じていると言い続けることはできない。覆っていたものは暴かれる。口で言わなくても、態度で信じていないことが周知の事柄になっていく。公言してもしなくても結果は同じということだ。人は信じていないものを信じていると言い続けることはできない。覆っていたものは暴かれる。口で言わなくても、態度で信じていないことが周知の事柄になっていく。公言してもしなくても結果は同じということだ。 本音のところで共同体を構成する最も重要な部分を信じていなければ、それは共同体では危険人物と見なされていき、徐々に排斥の対象になっていく。本音のところで共同体を構成する最も重要な部分を信じていなければ、それは共同体では危険人物と見なされていき、徐々に排斥の対象になっていく。 共同体の中で、人々が信じているものを信じないのは実は恐ろしいことなのである。信じないことを隠していればいいというわけでもない。信じていないことは、何気ない態度の端々に現れるからだ。 異教徒は「人間」ではないので殺してもいい?
アメリカでは宗教の自由が保障されており、もちろんイスラム教徒も多い。アメリカでは宗教の自由が保障されており、もちろんイスラム教徒も多い。 しかし、全体を見れば依然としてこの国にはキリスト教が根を下ろしている。大統領も、日曜日になれば教会に行って牧師の話を聞く国でもある。しかし、全体を見れば依然としてこの国にはキリスト教が根を下ろしている。大統領も、日曜日になれば教会に行って牧師の話を聞く国でもある。 キリスト原理主義的価値観は、まったく廃れる気配もない。ドナルド・トランプ大統領を支持していたのもキリスト教の福音派、宗教右派、キリスト教原理主義者たちだった。キリスト原理主義的価値観は、まったく廃れる気配もない。ドナルド・トランプ大統領を支持していたのもキリスト教の福音派、宗教右派、キリスト教原理主義者たちだった。 福音派の定義は曖昧だが、狭義の意味で言うと「聖書を神の言葉であると信じ最終権威と考える人たち」を指す。ここから進化論すらも否定するのがキリスト教原理主義者となる。福音派の定義は曖昧だが、狭義の意味で言うと「聖書を神の言葉であると信じ最終権威と考える人たち」を指す。ここから進化論すらも否定するのがキリスト教原理主義者となる。 キリスト原理主義者の信じているもののひとつが、あの有名な終末論だ。キリスト原理主義者の信じているもののひとつが、あの有名な終末論だ。 すなわち、「世界が終わる(神の審判が下る)とき、イエス・キリストが降臨して千年王国が始まる」というものだ。すなわち、「世界が終わる(神の審判が下る)とき、イエス・キリストが降臨して千年王国が始まる」というものだ。 聖書は、確かに歴史書としては興味深いものがあるのかもしれない。しかし、それを一字一句信じるのは愚かであることは現代人であれば誰でも感じるはずだ。聖書は、確かに歴史書としては興味深いものがあるのかもしれない。しかし、それを一字一句信じるのは愚かであることは現代人であれば誰でも感じるはずだ。 処女懐妊から死者復活、そしてキリストの昇天まで、どう読んでも科学的ではない。しかし、信じないでいると、このように脅迫される。処女懐妊から死者復活、そしてキリストの昇天まで、どう読んでも科学的ではない。しかし、信じないでいると、このように脅迫される。 「信じない者は救われない」「サタンから来た者だ」「信じない者は救われない」「サタンから来た者だ」 キリスト教は世の中の文化にも定着している。人類の教養の基礎にもなっている。アメリカでも、そうした人々が選挙権を行使して世の中に影響を及ぼす。キリスト教は世の中の文化にも定着している。人類の教養の基礎にもなっている。アメリカでも、そうした人々が選挙権を行使して世の中に影響を及ぼす。 「隣人を愛しなさい」と説く美しい宗教なのだから、さぞかし世界は平和になりそうだ。「隣人を愛しなさい」と説く美しい宗教なのだから、さぞかし世界は平和になりそうだ。 ところが、現実は真逆だ。ところが、現実は真逆だ。 「隣人を愛しなさい」と説くキリスト教の国が世界最大の軍産複合体を持ち、「自由はただではない」と言い、全世界で戦争を仕掛けて回っている。どうしたことなのか。「隣人を愛しなさい」と説くキリスト教の国が世界最大の軍産複合体を持ち、「自由はただではない」と言い、全世界で戦争を仕掛けて回っている。どうしたことなのか。 宗教が平和や愛を説くのは、同じ宗教を信じている人たちに対して言っているというのが分かる。自分たちの宗教が否定されると、突如として牙を剥く。宗教が平和や愛を説くのは、同じ宗教を信じている人たちに対して言っているというのが分かる。自分たちの宗教が否定されると、突如として牙を剥く。 そして、「異教徒は自分たちの宗教が理解できない劣等民族であり、そもそも人間ではないので殺してもいい」という論理で正当化して大量殺戮に走っていく。平和や愛を説いている宗教が大量殺戮を生み出す。皮肉な現実だ。そして、「異教徒は自分たちの宗教が理解できない劣等民族であり、そもそも人間ではないので殺してもいい」という論理で正当化して大量殺戮に走っていく。平和や愛を説いている宗教が大量殺戮を生み出す。皮肉な現実だ。 世界最大の軍事力を持つアメリカ。「隣人を愛しなさい」と説くキリスト教の国が世界最大の軍産複合体を持ち、「自由はただではない」と言い、全世界で戦争を仕掛けて回っている。 https://www.bllackz.net/blackasia/content/20180130T0221060900.html [18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理
25. 中川隆[-12998] koaQ7Jey 2018年6月13日 08:11:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15280] ▲△▽▼ 祈りとは「よけいなことを考えさせない」ための行為である 2013-09-02 https://www.bllackz.net/blackasia.php/content/20130903T0014520900.html?a=l0ll 現代人は、もう宗教というのは勝手に考えた妄想だと知っているし、神を信じていない人も多い。 それでも、この時代にも宗教を必要とする人たちがいるのは、いったいなぜなのだろうか。それは、それを信じていることにしたほうが「共同体の維持」に好都合だからだ。 別に神がいようがいまいが、もうどうでもいい。全員が同じ妄想を信じることにしたら、それで対立が減るし、共同体が維持できる。 「みんな同じ考え方」というのは、余計な対立がないということなのである。つまり、共同体の中では安心して暮らせるということなのだ。 ある人がキリスト教を信じていて、右隣の人はイスラム教を信じていて、左隣の人は仏教を信じているとする。習慣も、文化も、何もかも違う。 違うだけならいいが、互いに「他の宗教は間違っている」と思っていたら、毎日がいがみ合いの生活になり、共同体が成り立たない。 宗教には必ず上下関係(ヒエラルキー)がある
だから、隣近所はみんな同じ宗教・同じ宗派であったほうが安心して暮らせる。いちいち、他人の思想を確認しなくても済むし、相手が理解できるし、自分も理解してもらえる。 人類はそれが欲しかったのだ。 また、権力志向の人間にとっても、それは重要だった。自分が司祭の立場になると、勘違いした信者が司祭を「神」か「神の使者」と間違えて一緒に祈ってくれる。それは、都合が良かったのだ。 宗教には上下関係(ヒエラルキー)がある。ヒエラルキーの上部にいる人間は、わざと一般的ではない、どこか奇妙な服を着て、神々しく振る舞う。それは、「演出」である。 演出して、無理やり自分を祈らせ、あがめさせようとする。 そうなると、宗教に名を借りた支配が可能になるので、人を疑うことを知らない人間を服従させることができるようになる。 宗教のコミュニティーの中では「疑うことを知らない純真さ」が尊ばれる。なぜ、それを徹底して教えるのか。 いちいち、他人のことを疑う人間がいたら、ピラミッドの上部にいる人が居心地が悪くて眠れないからである。 「神などいない」と考えるような人間が出てくると、上層部はとたんに「ただの人」にまで落とされる。 だから、信者がよけいなことを考えないように「祈りなさい」と祈りを強要し、共同体でがんじがらめにしてしまう。祈りとは、実は「よけいなことを考えさせないこと」なのである。 フィリピンでの子供たちの祈り。祈りとは、実は「よけいなことを考えさせないこと」なのである。
疑う人間は、一心不乱に祈らせて考えさせない
胡散臭い宗教であればあるほど、長時間祈らせたり、頻繁に祈らせたりする。疑問を感じると「それは雑念だ」と言って恫喝する。 祈るというのは、自分自身を自分で洗脳することだ。 キリスト教も、イスラム教も、そうやって長い間、子供の頃から祈りを通じて、自己洗脳を強制し、洗脳し、共同体に組み込んできた。 疑う人間は、一心不乱に祈らせて考えないように仕向けた。 大人になって、「実は神はいないのではないか?」「仏はいないのではないか?」「この宗教は間違っているのではないか?」と思ったときはもう遅い。 そう思った瞬間に、共同体から弾き飛ばされる。そして、今まで信じていたものが崩れると、人格崩壊の可能性もある。 だから、大人になってからの、「この宗教は、何か違う」という違和感や「宗教は妄想だ」という覚醒は危険なのだ。 みんなが妄想に浸っているときに自分だけ覚醒してしまうというのは、突如として自分が異分子になるということだ。信じている仲間を裏切り、文化を裏切ることにつながる。 信じ込んでいる人であればあるほど、「正気に返れない」ようになっている。正気に戻ったら、共同体から出て行かなければならないからだ。 そこで、洗脳が解けそうになると、共同体にいたいがために、人は必死で「祈る」ことになる。つまり、自己洗脳を強化するということだ。 もっとも、湧き上がる疑念は抑えられないこともある。 アメリカでもイタリアでも、あるいはアフガンやイランでも、本当はキリストやイスラムに懐疑的な人が山ほどいるのだが、あえてそれを言わない。何食わぬ顔をして、信じているふりをしている。 しかし、覚醒しているので、本当は心の中で馬鹿馬鹿しくてつきあってられないと考えている。 アフガニスタンで、イスラム教に疑問を持ったら、果たして生きていけるかどうか分からない。
不可知論者という、一種の「気配り」が考え出された
欧米では、無神論者だと思われたら共同体から爪弾きにされ、差別や報復の対象になってしまう。 だから、神を信じていなくても「自分は無神論者だ」と主張する人は少ない。 しかし、今どき「男から女を作った」「処女懐妊でキリストが生まれた」「キリストは死んでから3日後に復活した」と言われて純粋に信じる人も少なくなった。 そこで、「不可知論者」という概念が生まれている。 日本語も難しいが、英語も「アグノスチック」という難しい言い回しが使われている。不可知論というのは「神はいるともいないとも言えない」という立場である。 「神などいるわけない」と口に出して言えば危ない。自分は白い目で見られるし、相手も傷つく。親や友人が宗教を信じていて、それを嘲笑したくないときもある。 そういうときは、「神がいるかいないか私の中では未知なので、不可知論者なんですよ」とやんわりと無神論であることを主張できる。 欧米人が考え出した一種の「気配り」が、不可知論というものであると捉えれば分かりやすい。 欧米人は自分の考えや思いを主張して、ディベートする民族ではある。 それでも宗教批判はコミュニティを破壊し、相手の全人格を破壊するので、非常に「微妙」な扱いにされている。欧米人にして、「気配り」が必要なほど微妙な問題なのである。 こんな時代になっても、いまだに宗教は続いて行く
昔は、交通機関が発達していなかった。人類が「村」や「町」という共同体の中で、小さく暮らしていた。 そんな時代、宗教は共同体の維持に役に立った。 しかし、やがて人類が「国」単位で暮らすようになると、宗教は多種多様な考え方をする人を取り込めなくなってしまった。 そして、人類が「国際」「世界」単位で暮らす現代になると、今度は宗教そのものが、対立や紛争を引き起こす災厄の種になってしまっている。 宗教というのは、まだ人類が小さな共同体、つまり「村」や「町」で暮らしていた頃の伝統である。 これだけ世界がつながってしまうと、もう宗教という「共同体維持のための仕組み」は、かえって人類の足を引っ張る厄介者に過ぎなくなった。 宗教対立・宗教戦争・宗教弾圧をなくすにはどうしたらいいのか。本来であれば、「もう宗教は役に立たないので、みんなで一緒にやめましょう」と、やめてしまえばいい。 しかし、現実的にはそれは不可能である。 宗教という枠組みの中で、ヒエラルキーの上部にいる人間は、絶対にそれをさせない。共同体が崩れ去ると、自分がただの人に転がり堕ちるからだ。 また、宗教は、その人の思想、文化、両親の存在、共同体の存続すべてに関わっている。宗教を否定するというのは、その人の全人生と歴史を否定するということになる。 だから、こんな時代になっても、いまだに宗教は続いて行く。そして、裏切り者は殺され、異宗教との戦いも続く。 そして、疑い深い人がいたら、とにかく祈らせる。祈らせて、考えさせないようにする。一日に何度も、あるいは長時間に渡って祈らせる宗教は、そういうことなのだ。 祈りは、とても危険な行為なのである。 http://www.bllackz.net/blackasia/content/20130903T0014520900.html?a=l0ll [18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理
26. 中川隆[-12997] koaQ7Jey 2018年6月13日 08:12:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15280] ▲△▽▼ イスラム教では女性が自分の頭では何も考えられない様に教育している: タリバンが女性に課したルール 「http://www.jca.apc.org/ 」では、アフガン女性のどのような制約を強いているのか書かれている。一部、抜粋・要約して紹介したい。厳格なイスラム教を信奉するタリバンは以下を女性に強要している。 女性が家の外で仕事することは一切禁止
男性の付き添いなしに屋外で活動することは一切禁止 女性は男性の店主から物を買ってはならない 女性は、男性の医師から手当てを受けてはならない 女性は勉強することを許されない 女性は、ブルカをかぶらなくてはならない。 従わない女性は、鞭打ち、殴打、および言葉による暴力の刑 足首を隠していない女性は、公開鞭打ち刑 婚外交渉をもったと告発された女性は公開投石刑 化粧品の使用禁止 爪を染めた女性は指を切断 女性は親族以外の男性と話したり、握手をすることを禁止 女性は大声で笑ってはならない 女性は知らない人に声を聞かれてはならない 女性は、音のする靴を履いてはならない 男の親族と一緒でない女性はタクシーに乗ってはならない 女性は、公衆の集まりに出てはならない 女性はスポーツをしてはいけない 女性は自転車やバイクに乗ってはならない 女性は明るい色の洋服を着てはならない 女性は娯楽目的の場へ出かけてはならない 女性は公衆の場や川の脇で洗濯をしてはならない 女性はバルコニーから姿を見せてはならない 女性家のすべての窓に色を塗らなくてはならない 女性は公衆浴場に行ってはならない 女性と男性が同じバスに乗ってはならない 女性を写真や映画に撮られてはならない 言うことを聞かない女たちに暴力を振るってもアシッド・アタックをしても許される。アフガンの家庭内暴力の凄惨さは目を覆わんばかりの悲惨さだ。
女性に対する脅威
タリバンの説くイスラムは「厳格なイスラム」であって、たとえば戒律の緩いインドネシアではまったく様相が違う。 しかし、そのインドネシアでさえイスラム原理主義社のような人間たちがいて、このような「貞操の強制」を求めている。 先進国の女たちは、なぜイスラムを強制されている女性たちに無関心でいられるのか不思議に思うことがある。 家長主義を根本に持つ宗教、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教・ヒンドゥー教・儒教などは、女性に対する脅威であり、女性に対して有害なものであり、女性を抑圧する「暴力装置」である。 女性たちは宗教が自分たちにとって壮絶な危険思想であることをもっと明確に気がつく必要がある。女性たちは、あまりにも危険なものを長い間放置しすぎた。 そろそろ、これらの危険思想を世の中から一掃すべきだと思わないだろうか? 男はみんな女の子供だ。だから、母親は「宗教」という女性を縛る危険思想に自分の子供たちが染まらないように子供の頃から教育することができる。 宗教は単なる共同幻想だ。女たちは神はいないと自分の子供に教育するだけで宗教を破壊できる。 そうでもしない限り、女性の地獄はどこまでも続くだろう。馬鹿げた宗教がいつまでも女性を縛る。人類は2000年前に間違った。 男はあまりの宗教に染まりすぎてもう修復不可能だ。今や、それを正せるのは女性だけになってしまった。ひとりでも多くの女性がそれに気がつくことを願いたい。 http://www.bllackz.com/2011/12/blog-post_03.html [18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理
27. 中川隆[-13020] koaQ7Jey 2018年6月13日 08:22:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15304] ▲△▽▼ イスラム教、キリスト教やヒンズー教の様なクルクルパー・カルト宗教が何時まで経っても滅びない理由 2015-01-28 それぞれの宗教を信じていた女性を、心から愛し続けたい タイで初めてパッポンに向かい、とても惹かれた女性がいた。彼女は仏教徒だった。タイの国民はその多くがほぼ仏教徒であり、街の祠(ほこら)で手を合わせるタイ女性の姿はとても美しい。そんな彼女たちの姿には、素直に感銘を受けた。
私がカンボジアで知り合ったあるベトナムから来た女性は、キリスト教徒だった。彼女はとても貧しい境遇の中にあったが、彼女が裸になると、その胸には小さなシルバーの十字架が暗い売春宿の中できらめいた。 「私は彼(キリスト)を信じているのよ」と彼女は柔和に笑って、十字架をぎゅっと握りしめた姿をまだ覚えている。私は彼女の真っ直ぐな性格が好きだった。 私がインドで知り合った売春女性たちの多くは、ヒンドゥー教のシヴァ神を信じていた。売春宿のドアの上に神棚があったり、壁にシヴァ神のポスターが飾ってあったりした。 みんな、シヴァに手を合わせて売春ビジネスを行った。彼女たちは信じることによって安らぎを得ていた。赤ん坊の絵はクリシュナ神だ。彼女たちは、まるで我が子のように、クリシュナを見て顔をほころばせた。 私は、彼女たちの信仰を否定することは決してない
私がフィリピンで知り合った売春女性の多くは、キリスト教徒だった。彼女たちも、街を歩いていてキリスト教会を通り過ぎるとき、一瞬立ち止まって十字を切る。 弾けるような明るい女性が、急に恭しくなって、そっと目を閉じ十字を切る。 「自分が貧しいながらも何とか生きていけるのは、イエス・キリストのお陰」と彼女たちは真剣に考えていた。 やはり、彼女たちもみんな十字架のペンダントをして神を身につけていた。それはファッションではない。彼女たちにとっては信仰の対象だ。 私は無神論者であり、今まで一度も神を信じたこともなければ、すがったこともない。これから信じることもない。 私が好きだった女性がそれぞれの神を信じており、とても真剣に神に祈っていても、私が彼女たちの宗教に寄り添うことはなかった。これからもないだろう。 しかし、私は彼女たちの信仰を否定することもない。私が信じていないというのは「私の信念」であり、それは彼女たちに何の関係もないからだ。 私は彼女たちが信じているものを信じていないが、それを信じている彼女たちの姿は美しいと思った。信仰とは、本来は幸せと平和を祈るものである。 彼女たちが信じているものが何であれ、幸せと平和を祈念する女性の姿は、とても美しくて癒やされた。 慈愛に包まれた信仰心のある女性の姿は愛している。彼女たちの心の中にある「深い優しさ」を感じるからだ。 私は、イスラムの女性がとても気に入っている
インドネシアの売春地帯にいたとき、そこで知り合った女性たちはみんなイスラム教徒だった。私は、インドネシアの女性がとても気に入っている。 なぜなら、彼女たちの優しさや、穏やかさや、もの柔らかさは、まるで底なしの湖のように深いからだ。とても繊細で、一緒にいて心地良い女性が多い。 あるときは、すべてを捨ててインドネシアで暮らしたいと思い詰めたほど惚れた女性もいる。インドネシアのイスラム女性とは、とても気質が合う女性が高確率で存在する国だった。 イスラム教徒の女性も、自分の写真をとてもたくさん持っている。それを見せてもらうと、必ず彼女たちの写真の中に、ジルバブをつけた姿がある。 ジルバブはイスラム教の女性独特の頭を覆う布だが、それを見ると彼女たちも普段は敬虔なイスラム教徒であるのが分かる。彼女たちの優しさは、イスラム文化の中で形作られたものなのである。 信じられないかもしれないが、イスラムの女性もごく普通の感情を持ち、ごく普通に暮らしているわけで、日本女性と何ら変わるところがない。文化的な差異はあったとしても、本当に拍子抜けするほど「普通」だ。 私はバングラデシュも好きなのだが、バングラデシュの女性もまた優しい。人なつっこく、素朴で、邪心がない。スレたインド女性よりも、むしろバングラデシュの女性の方が私には合っている。 バングラデシュはもちろんイスラム教が国教になっているので、彼女たちはみんなイスラム教徒である。皮肉なことに、こわもてのイスラムのイメージとは裏腹に、イスラム教徒の女性の方が私には心が通える。 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がる時代に
今後、世界は大きな暴力に包まれていく、アメリカは2001年から巨大な暴力をイラクやアフガニスタンで行使し、反米感情から多くのイスラム教徒をテロリスト側に追いやった。 彼らはテロで対抗し、世界中にテロが拡散していった。そのテロによってイスラムに対する嫌悪や憎悪は膨れあがり、それがまた新たな対立を生み出す。 そうやって、世界は暴力の渦に包まれていく。 さらに、資本主義が暴走しており、経済格差はとどまるところを知らない。経済格差は貧困をもたらすが、その貧困は鬱積した不満となって必ず爆発する時がくる。これもまた暴力を生み出す元凶になる。 そしてグローバル化した社会もまた、国家間の相互不信を生み出しており、その軋轢は新たな衝突の芽を生み出す。 いろんなものが、暴力に向かって突き進んでいるのが今の時代であり、その不穏な時代の空気は、誰もが感じ取っているはずだ。2001年9月11日の同時多発テロから、暴力の時代へと突き進むベクトルはまったくぶれていない。 「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉と地震が起こる」という新約聖書のマタイの福音書の如く、時代が暴力に向かって進んでいる。 しかし、暴力が吹き荒れる中で、私は多くの国々で知り合った女性を想い続ける。それぞれの宗教を信じていた、それぞれの国の女性を、私は心から愛し続けるだろう。 仏陀に祈り、キリストに祈り、シヴァに祈り、イスラムの神に祈る堕ちた女性たちが、自分の人生と共にあったことを忘れない。みんな、大事な女性たちだった。 今でも、それは変わらない。 http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150128T0350180900.html 無意識を自覚する方法。自分が何に洗脳されているか、一瞬で知る方法
インドの女性は歌が好きだ。
インド・コルコタにいたとき、ひとりの女性が口ずさむように、静かで優しい歌を歌ってくれたことがある。 彼女は普段はどちらかと言えば粗野な喋り方をする女性で、感傷的な感情をほとんど持っていないようにも見えた。 しかし、物憂げな部屋の中で暇を紛らわすように歌ったその歌は、とても感傷的なリズムで、抑制された美しい声に私は聞き惚れて涙がこぼれそうになった。 マントラという歌
声のトーンも彼女の普段の粗野なものが消えていて、まるで彼女が別人になったかのような不思議なものであった。 「それは何の歌だい?」と尋ねると、彼女は部屋の神棚に飾っている私の知らない神の写真を指さして「昔の歌(Old Song)よ」と答えた。 確かにそうだろうと思う。街の騒々しいボリウッドソングとはまったく違った趣(おもむき)の歌だった。 そのとき、私は知らなかったのだが、のちにこのような歌をマントラというのだと分かった。 マントラという言葉は初めて聞く言葉ではない。それは呪文だか呪術だとか、そういうニュアンスで私は覚えていたので、歌までマントラという括りをすることに驚いた。 今となっては彼女がアカペラで歌ったそのマントラがどんなものだったのか旋律が思い出せないのだが、その歌を聞いたときの感情は生々しく思い出すことができる。 美しい歌を聞いたときの感動の震えがそこにあった。そして、ずいぶん後になって私は「これは危険だな」と意識したのだった。 美しさに取り込まれてしまいそうなのが分かっていた。 その歌がマントラなのであれば、その歌の先にヒンドゥー教が待っている。 ガヤトリ・マントラ
人は美しい歌を聞いて感動し、その歌の世界観に浸って自分の心を癒すことができる。 宗教はそういった歌の効用をよく知っていて、それを巧みに使って心を操っていく。 キリスト教徒は賛美歌やゴスペルに涙を流す。 たとえば、「アメイジング・グレイス」や「What A Friend We Have In Jesus」などをじっくり聞いていると、キリスト教徒は涙がとまらなくなるという。 人口に膾炙する美しい旋律(リズム)と、その詩の内容の優しさが加わって心に響くようだ。 インドのマントラも美しい旋律のものがいくつかあって、ガヤトリ・マントラ(GAYATRI MANTRA)などはよく知られている。 ただ、古い歌にはよくあることだが、ひとことでガヤトリ・マントラと言っても、膨大な種類のリズムと歌詞があって、同じ歌でもまったく違うように聞こえる。 私が聞いているガヤトリ・マントラは YouTube で見つからないのだが、近いのはドイツ出身の歌手、デヴァ・プレマールの歌うガヤトリ・マントラかもしれない。 Deva Premal and Miten - Gayatri Mantra http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=d63COahIpVM Om bhur bhuvah svaha tat savitur varenyam bargo devasya dhimahi dhiyo yonah prachodayat 彼女はドイツ人だ。なぜドイツ人女性がヒンドゥー語でガヤトリ・マントラを歌っているのか最初は戸惑った。 調べてみると、彼女は子供の頃から父親にマントラを聞かされていたらしく、その影響が強かったようだ。 こういった珍しい経歴の人もいる。彼女は歌を通してヒンドゥーに取り込まれていた。 欧米でも、このようなヒーリング的なものを求める人たちにはよく売れているようだ。 人は、このような歌から精神世界や宗教に取り込まれていく。その典型的な例がマントラの旋律にあった。 美しさは無条件に人の心に染み入っていく。 そして何度も何度もそれを繰り返すことによってその歌の世界が自分の感情と同化していく。 そこに宗教的なメッセージがあれば、歌と同時に人はそれをも無意識に受け入れてしまう。歌が美しいゆえに拒絶反応すら起きることがない。 美しい旋律の歌が人生を変える
これは一種の巧妙な洗脳とも言える。 アメイジング・グレイスやガヤトリ・マントラのような美しい旋律の中に宗教を散りばめて人々を取り込んでいくのである。 教会や寺院で人々は何をやっているのか。賛美歌を歌っているのではなかったか。 賛美歌は神を讃える歌詞をリズムに載せたものである。それを皆と一緒に歌い、感動を共有し、その宗教と一体化する。 日本が無神論者のような人が多いのは、仏教が美しい歌を「開発」しなかったからだと私は強く思っている。 念仏は眠気を誘うが宗教心を芽生えさせない。そういう意味で仏教の親玉は他の宗教と比べると知恵が足りなかったのだろう。 ヒンドゥー教もキリスト教も、歌だらけだ。 インド人は幼い頃からマントラを聞いて、歌って、その世界観の中で生きていき、成人する頃には頭の中はその思考から離れられない。 あの真っ青な荒唐無稽な神は私にとっては単なる滑稽なフィクションだが、彼らにはそうではない。それが自分の血肉に染み付いた大切な精神世界なのだ。 同じことがキリスト教にも言える。あの十字架にぶら下がっている死体は、やはり私にとっては滑稽なフィクションだが、彼らはそれを「なんという友、私たちのジーザスよ」と感極まっている。 子供の頃からくり返しくり返しそれを聞いて、それを歌い、それが思考の基盤になっていている。 父親も母親も、そして兄弟も地域社会も、自分のまわりがすべてそのひとつの宗教に染まっている。 そこまで行くと、その宗教を否定することは両親や地域社会や文化をすべて裏切ることになる。 美しい歌があり、心地良い思い出がすでに蓄積されている。だから、いくら荒唐無稽だとしても、その宗教を否定することなどできなくなってしまっている。否定する意味もない。 そして、村ぐるみで、町ぐるみで、国ぐるみで宗教を擁護し、それを認めない者を「自分を否定した」と憎むようになる。 アメイジンググレイス http://www.youtube.com/watch?v=uofG9z66LXg&feature=player_embedded#!
多くの国の美しい曲
たったひとつの美しい旋律の歌が、そのような篤い宗教心の人間を生み出しているのは間違いない。 私が感銘を受けたガヤトリ・マントラは、その一曲で私をヒンドゥー教に向かわせる威力もあったはずだ。 美しい旋律の曲が人生を変えるというのは本当だ。自分の気に入った歌を思い出して欲しい。 あなたは無意識にその歌の世界をなぞって生きているはずだ。 それに気がつかなかった人もいるかもしれない。そして、それに気がつくと、恐ろしくなる人もいるかもしれない。 あなたが子供の頃から知っている好きな歌が、あなたを洗脳した歌だ。そして、その歌の世界が、あなたの世界観である。 あなたの自分の世界観は、実はあなたが考えた世界観ではなく、歌で洗脳された世界観だ。 あなたが何に洗脳されたか知る方法は、あなたがどんな歌が好きなのかを思い出すだけでいい。 自分の愛する歌は、それ自体が自分の感情に対する訴えかけを失ってからもずっと後まで、意思決定や性格形成に影響を与え続ける。 私がガヤトリ・マントラでヒンドゥーに染まらなかったのは、理由はひとつだ。 私は、タイでタイの美しい歌に聞き惚れ、カンボジアでカンボジアの美しい歌にしっとりとし、インドネシアでやはり美しい歌に心を奪われた。 多くの国の美しい曲が、私をひとつの思考や哲学や宗教や国にとどまらせるのを許さなかった。 http://www.bllackz.com/2011/02/blog-post_3799.html 釈迦が理解できなかった本当の信仰とは: ディーバ。アプサラ。巫女。神聖なる女性に隠された闇とは? 今から1000年ほど前、ちょうどインドで大勢力を誇っていたのがチョーラ帝国(チョーラ朝)だった。
最盛期のチョーラ帝国は現在のインド・ベンガル州からバングラデシュを抜け、東南アジア南部、あげくにインドネシアまでを含む大帝国だった。 そして、インドのみならずアジア一帯のあちこちに石窟寺院を残している。 こういった寺院には非常に多彩で複雑な彫刻が施されているが、そこに描かれている女性が、「デバダシ(Devadasi)」である。 チョーラ帝国の時代、寺院で信者ややってくる人々に踊りや歌やサービスを提供する女性たちがいた。 彼女たちが「デバダシ」と言われる存在であり、初期は恐らく崇高で崇められる女性たちであったと思われる。 若干ニュアンスは違うが、日本の巫女(みこ)を想像すれば、彼女たちの存在は分かりやすいかもしれない。 ディーバ、デバダ、デバダシ。この共通点
アンコールワットもびっしりと女性の彫刻が施されているが、彼女たちはデバダ(Devada)と呼ばれており、やはりチョーラ帝国のデバダシと同様の役割があった。 こちらはよく「仙女」と訳されている。現代のカンボジアでは、仙女と言えば、デバダという古語ではなく、アプサラという言葉のほうが使われている。 ベトナム戦争からポルポト政権の激動を生き抜いたカンボジアのシハヌーク王は、ことさらアプサラたちが踊るのを見るのが好きだったと言われる。 あの手首を独特に回すアプサラたちの踊りは確かに優雅で美しく魅力的だ。歌や踊りの訓練を受けて、寺院に来る人々を魅了したデバダシ、デバダ……。 ヨーロッパではオペラ歌手のプリマドンナのことをディーヴァ(Diva)というが、これは「歌姫」と訳される。 今はもう歌姫というのはオペラのプリマドンナのことだけではなく、カリスマのある女性歌手はみんな歌姫(ディーヴァ)と言うようになっている。 この Diva というのが、Devadasi、Devada に近い語感があるので、もしかしたらチョーラ帝国のデバダシから派生した用語なのかもしれない。 Devadasi Devada Diva 並べて見ると、一目瞭然だ。 デバダシ・カーストの女性。チョーラー帝国の巫女がデバダシだ。
神聖なるものと裏返しの、「闇」が存在している
1981年にはフランスでそれを題名にしたディーヴァという映画が公開されているが、出てくるのはオペラ歌手であり、これに映画の主人公と「娼婦」が絡んでくる。 このフランス映画の監督が、ディーヴァと娼婦を登場させたのは、深い意味があったのかどうかは知らない。しかし、それほど奇妙な取り合わせではなかった。 カンボジアの仙女(アプサラ)をことさら愛したシハヌーク国王だったが、かつてアプサラは歌や踊りだけではなく、妖艶な「性の化身」でもあった。 そして、ポルポト政権からその崩壊までの東南アジア史上最悪のジェノサイド(大量虐殺)を生き抜いたアプサラたちは、その貧しい教え子たちに踊りを継承させることになる。 しかし、教え子たちは踊る前に生きる必要があり、若い女性が売春に駆り立てられていたのが1980年代以降の現状だった。 2000年に入っても、アプサラ志願の女性は、相変わらず売春ビジネスをしていた。(アプサラを踊る娘。貧困地区に棲む天使(アプサラ)の笑み) 日本の巫女はかつては処女性が重視されていたのだが、一方で密教の巫女には「性の儀式」もあったという噂もあって、その姿は一様ではない。 宗教の裏側で、なぜか神聖なるものと裏返しの、「闇」が存在しているのである。神聖なる女性に隠された「闇」とは、すなわち「セックスの提供」だ。 巫女はかつて漢字で「神子」と書くこともあった。 そして、「神子」と言えば、英語では「シャーマン(shaman)」、すなわち呪術師と同一にされている。 だから、巫女を Devada ではなく、Shaman と訳すのが正しい現代語かもしれない。 写真はカンボジアのアプサラ。カンボジアのアプサラは「仙女」。インドでのアプサラは「水の妖精」になる。
現在、デバダシは寺院に囚われた「娼婦」
シャーマンとはシャーマニズム(呪術)を通して神と交信する人なのだが、密教系のシャーマンは、しばしばセックスを通して神と交信する。Shaman と Devada と 性がここでも結びついている。 密教と言えばキリスト教にも拝蛇の密教があって、その教義は性と結びついていた。 キリスト教は歴史的にも数々の異端の教え、異端の集団を生み出しており、セックス教団も数多く存在する。これらの教団に属する女性たちは信者であって、デバダでもある。 では、チョーラ帝国のデバダシはどうなっているのだろうか。 もともとインドは神々と性は別に秘されているものではない。神々が何百日にも渡ってセックスをやめなかったような伝承が残っているくらいで、リンガ・ヨーニに至っては、それが何を意味しているのか誰もが知っている。 シヴァリンガというのは、シヴァ神の男性器をそのまま現しており、ヒンドゥー寺院にはそれらのシンボルが安置されている。女性たちは男性器に礼拝し、油を先端に差す。 リンガ・ヨーニのミニチュア版もインドではどこにでも売っているが、それらはすべて聖なるものであり、礼拝に欠かせないものである。 ヒンドゥー教というのはそのような宗教であり、はじめてインドにやってきてトラヴィダ人やタミル人と接したアーリア人は、その土着のアミニズムに取り込まれて、今では彼らもインド人でありヒンドゥー教徒になった。 そして、そのヒンドゥー教の中にデバダシはしっかりと根づいているが、時代が繰り上がるたびにデバダシは世俗化し、カースト化し、そして意味合いが変質した。 現在、デバダシは寺院に囚われた「娼婦」として残されており、一種の売春カーストになってしまっているという。 貧困家庭が子供をデバダシとして売り飛ばし、少女は性奴隷としてずっと売春をしながら生きていく。 聖女、巫女、神子、仙女、歌姫、と様々な単語や意味となって世界の歴史をくぐり抜けてきた Devadasi が、最後には売春カーストとなっているわけだ。 男は誰でも彼女たちを金で買うことができる。しかし、かつての神聖なる姿がそこにあるのかどうかは分からない。 デバダシ・カーストの女性。 http://www.bllackz.net/blackasia/content/20130113T0403570900.html
光が乱舞する心の深層の世界
仏教タントラではブラフマン(創造神)とアートマン(真我)の合一を体験することをサマジー(三昧耶)・・・暝想の極致という。 ダンマ(真理)に接近しこれと合一する(即身成仏)ことを目的にした、究極的な高度で、深い暝想のはてに、浄化がある。 ○想像力は目にみえないものを見させる
ハワイのフラダンスは、もともと神に奉げれていた神舞であった。 フラの巫女には、女神ペレのマナ(霊力)が感応してくる。 ハワイ語でマナとはスピリチャル・パワーのことだという。 そこで、もともとフラは神霊との交流の儀式であった。 始めに、詔(みことなり)や、リズムと歌で、神々しい雰囲気と聖なる場を整える。 「真如」の導入である。 次に、フラのダンサーは、そのリズムで踊りながら陶酔し、やがて「没我」となる。 そこに、神霊が「感応」する。 恍惚が踊り手を支配する。 すると、神からの返答が現れ、「天恵」が現象化する。 こうしたプロセスをもつ古代儀式は、世界中に普遍的にある。 ダンスがそもそも交霊術であることを示してくれる明確な例はスーフィのダンス、鎌倉時代に起きた一遍の「踊念仏」などが上げられよう。 不乱の舞は、「没我」に至るには欠かせなかったのだろう。 古代的な交霊は、表面的にしか物事を見ない人々には理解できない。 エンタテインメント化されたショウとしてのフラよりも、マナ(スピリチャル・パワー)と一体になったフラは偉大で神聖である。 ハワイ島では、古代と同じ”のり”で女神ペレへの感謝のフラが、今でも行われている。
これが奇跡なのだろう。 なんであれ、音楽とダンスとは一体であり、それは神楽(かぐら)だった。 日本の祭の神輿(みこし)の”のり”が、それなのだろうか。 洸惚感、あの陶酔感は、御輿(御神体)を担ぐことによって、はじめて感じることができる。 神輿を担ぐことは、スピリチャル・ダンスだった。 真の芸能には、「真如」「天応」「没我」「天恵」の4つのプロセスが必ず組み込まれている。 だからこそ喜びと生きる力を与えていた。 現代では、真のイベントは少なく、その一部か、残り物だけとなってしまっている。 それは、大音響のロックの陶酔感とはあきらかに違うものである。 http://hwbb.gyao.ne.jp/akione-pg/Japanese/008.html 仏教がインドに根付かなかった理由 アメイジンググレイス ヘイリーによるア・カペラ https://www.youtube.com/watch?v=uofG9z66LXg https://www.youtube.com/watch?v=uofG9z66LXg&feature=player_embedded#!
無意識を自覚。自分が何に洗脳されているか一瞬で知る方法 2015-02-05
インドの女性は歌が好きだ。インド・コルコタにいたとき、ひとりの女性が口ずさむように、静かで優しい歌を歌ってくれたことがある。
彼女は普段はどちらかと言えば粗野な喋り方をする女性で、感傷的な感情をほとんど持っていないようにも見えた。 しかし、物憂げな部屋の中で暇を紛らわすように歌ったその歌は、とても感傷的なリズムで、抑制された美しい声に私は聞き惚れて涙がこぼれそうになった。 声のトーンも彼女の普段の粗野なものが消えていて、まるで彼女が別人になったかのような不思議なものであった。 「それは何の歌だい?」と尋ねると、彼女は部屋の神棚に飾っている私の知らない神の写真を指さして「昔の歌(Old Song)よ」と答えた。 確かにそうだろうと思う。街の騒々しいボリウッドソングとはまったく違った趣(おもむき)の歌だった。そのとき、私は知らなかったのだが、のちにこのような歌は「マントラ」と呼ばれていることに気付いた。 宗教ソングの美しい旋律の歌にある世界観に危機感
彼女が歌っていたのは、こちらだ。「ガヤトリ・マントラ」という。ガヤトリ・マントラも同名で別曲がいくつもあるが、この曲が一番美しい。 マントラという言葉は初めて聞く言葉ではない。それは呪文だか呪術だとか、そういうニュアンスで私は覚えていたので、歌までマントラという括りをすることに驚いた。
今となっては彼女がアカペラで歌ったそのマントラがどんなものだったのか旋律が思い出せないのだが、その歌を聞いたときの感情は生々しく思い出すことができる。 美しい歌を聞いたときの感動の震えがそこにあった。そして、ずいぶん後になって私は「これは危険だな」と意識したのだった。美しさに取り込まれてしまいそうなのが分かっていた。 その歌がマントラなのであれば、その歌の先にヒンドゥー教が待っている。人は美しい歌を聞いて感動し、その歌の世界観に浸って自分の心を癒すことができる。 宗教はそういった歌の効用をよく知っていて、それを巧みに使って心を操っていく。 キリスト教徒は賛美歌やゴスペルに涙を流す。 たとえば、「アメイジング・グレイス」や「What A Friend We Have In Jesus」などをじっくり聞いていると、キリスト教徒は涙がとまらなくなるという。 人口に膾炙する美しい旋律(リズム)と、その詩の内容の優しさが加わって心に響くようだ。 インドのマントラも美しい旋律のものがいくつかあって、ガヤトリ・マントラ(GAYATRI MANTRA)などはよく知られている。 ただ、古い歌にはよくあることだが、ひとことでガヤトリ・マントラと言っても、膨大な種類のリズムと歌詞があって、同じ歌でもまったく違うように聞こえる。 シヴァ神と、妻パールバティ。ヒンドゥー教お馴染みの世界観。
美しさは無条件に人の心に染み入っていく
ガヤトリ・マントラは様々な歌手が歌っている。たとえば、ドイツ出身の歌手、デヴァ・プレマールの歌うガヤトリ・マントラも私が聞いた上記のものと同一のものだ。 Om bhur bhuvah svaha tat savitur varenyam bargo devasya dhimahi dhiyo yonah prachodayat 彼女はドイツ人だ。なぜドイツ人女性がヒンドゥー語でガヤトリ・マントラを歌っているのか最初は戸惑った。 調べてみると、彼女は子供の頃から父親にマントラを聞かされていたらしく、その影響が強かったようだ。こういった珍しい経歴の人もいる。彼女は歌を通してヒンドゥーに取り込まれていた。 欧米でも、このようなヒーリング的なものを求める人たちにはよく売れているようだ。 人は、このような歌から精神世界や宗教に取り込まれていく。その典型的な例がマントラの旋律にあった。 美しさは無条件に人の心に染み入っていく。 そして何度も何度もそれを繰り返すことによってその歌の世界が自分の感情と同化していく。 そこに宗教的なメッセージがあれば、歌と同時に人はそれをも無意識に受け入れてしまう。歌が美しいゆえに拒絶反応すら起きることがない。 これは一種の巧妙な洗脳とも言える。アメイジング・グレイスやガヤトリ・マントラのような美しい旋律の中に宗教を散りばめて人々を取り込んでいくのである。 皆と一緒に歌い、感動を共有し、その宗教と一体化 教会や寺院で人々は何をやっているのか。賛美歌を歌っているのではなかったか。 賛美歌は神を讃える歌詞をリズムに載せたものである。それを皆と一緒に歌い、感動を共有し、その宗教と一体化する。 日本が無神論者のような人が多いのは、仏教が美しい歌を「開発」しなかったからだと私は強く思っている。 念仏は眠気を誘うが宗教心を芽生えさせない。そういう意味で仏教の親玉は他の宗教と比べると知恵が足りなかったのだろう。 ヒンドゥー教もキリスト教も、歌だらけだ。 インド人は幼い頃からマントラを聞いて、歌って、その世界観の中で生きていき、成人する頃には頭の中はその思考から離れられない。 あの真っ青な荒唐無稽な神は私にとっては単なる滑稽なフィクションだが、彼らにはそうではない。それが自分の血肉に染み付いた大切な精神世界なのだ。 同じことがキリスト教にも言える。あの十字架にぶら下がっている死体は、やはり私にとっては滑稽なフィクションだが、彼らはそれを「なんという友、私たちのジーザスよ」と感極まっている。 子供の頃からくり返しくり返しそれを聞いて、それを歌い、それが思考の基盤になっていている。 父親も母親も、そして兄弟も地域社会も、自分のまわりがすべてそのひとつの宗教に染まっている。 そこまで行くと、その宗教を否定することは両親や地域社会や文化をすべて裏切ることになる。 美しい歌があり、心地良い思い出がすでに蓄積されている。だから、いくら荒唐無稽だとしても、その宗教を否定することなどできなくなってしまっている。否定する意味もない。 そして、村ぐるみで、町ぐるみで、国ぐるみで宗教を擁護し、それを認めない者を「自分を否定した」と憎むようになる。たったひとつの美しい旋律の歌が、そのような篤い宗教心の人間を生み出しているのは間違いない。 自分の気に入った歌の世界観が、あなたの世界観
私が感銘を受けたガヤトリ・マントラは、その一曲で私をヒンドゥー教に向かわせる可能性も威力もあった。 美しい旋律の曲が人生を変えるというのは本当だ。自分の気に入った歌を思い出して欲しい。 あなたは無意識にその歌の世界をなぞって生きているはずだ。 それに気がつかなかった人もいるかもしれない。そして、それに気がつくと、恐ろしくなる人もいるかもしれない。 あなたが子供の頃から知っている好きな歌が、あなたを洗脳した歌だ。そして、その歌の世界が、あなたの世界観である。 あなたの自分の世界観は、実はあなたが考えた世界観ではなく、歌で洗脳された世界観だ。 あなたが何に洗脳されたか知る方法は、あなたがどんな歌が好きなのかを思い出すだけでいい。 自分の愛する歌は、それ自体が自分の感情に対する訴えかけを失ってからもずっと後まで、意思決定や性格形成に影響を与え続ける。 私がガヤトリ・マントラでヒンドゥーに染まらなかったのは、理由はひとつだ。 私は、タイでタイの美しい歌に聞き惚れ、カンボジアでカンボジアの美しい歌にしっとりとし、インドネシアでやはり美しい歌に心を奪われた。 多くの国の美しい曲が、私をひとつの思考や哲学や宗教や国にとどまらせるのを許さなかった。 http://www.bllackz.net/blackasia/content/20150205T0253220900.html
[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理
|