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韓国で文在寅大統領の誕生に伴い、民主化を求めた市民や学生が軍との衝突で犠牲になった37年前の「光州事件」が再び脚光を浴びている。文大統領は「その精神が『ろうそく革命』で復活した」とたたえている。
韓国民主化求めた37年前の「光州事件」、文在寅政権誕生で再び脚光、「ろうそく革命で精神復活」と大統領
http://www.recordchina.co.jp/b179334-s0-c10.html
2017年5月27日(土) 21時0分
2017年5月27日、韓国で文在寅大統領の誕生に伴い、1980年5月の「光州事件」が再び脚光を浴びている。民主化を求めた市民や学生が軍との衝突で犠牲になった37年前の事件を文大統領は「その精神が朴槿恵大統領を退陣に追い込んだ『ろうそく革命』で復活した」とたたえている。
1979年10月に朴正熙大統領が暗殺された後、同年12月に全斗煥保安司令官(後の大統領)が盧泰愚陸軍少将(同)らと共に粛軍クーデターを起こして全権を掌握。80年5月17日には全土に戒厳令を布告し、野党指導者の金泳三、金大中両氏(その後、いずれも大統領)らを逮捕した。
翌18日に金大中氏の出身地だった韓国南西部・全羅南道の光州市で戒厳令などに抗議する学生と軍の部隊が衝突。その後、事態はエスカレートし、市民も加わってバスやタクシーを倒してバリケードを築き、角材や鉄パイプ、火炎瓶などで応戦した。21日に群集に対する空挺部隊の一斉射撃が始まると、市民側は郷土予備軍の武器庫から銃を奪取して武装し、市街戦の様相を呈した。
26日になると、陸軍部隊が戦車で市内に進出。27日に市内全域を制圧したが、流血の大惨事となり、当初の政府発表でも死者は170人に上った。金大中氏には9月に軍法会議で内乱予備罪などで死刑判決が言い渡された
全斗煥政権下で事件は「内乱」としてタブー視されたまま。続く盧泰愚政権では一部の参加者の名誉が回復されたが、93年に金泳三政権が発足すると評価が一転した。粛軍クーデターから光州事件までの一連の事件の責任に関して97年4月に最高裁で全斗煥氏に無期懲役、盧泰愚氏に懲役17年の判決が確定(その後、2人とも特赦)。金大中、廬武鉉と続く文民政権で光州市は民主化運動の国家的聖地となったが、保守系の李明博、朴槿恵政権では風向きが変化、必ずしも重視されてはいなかった。
聯合ニュースなどによると、18日に光州市の国立5.18民主墓地で開催された光州民主化運動37周年の記念式典で、文大統領は「5.18は不義の国家権力が国民の命と人権をじゅうりんした韓国現代史の悲劇だが、これに立ち向かった市民の抗争が民主主義の里程標を立てた」と称賛。「5月の光州は昨冬全国を明るく照らした偉大なろうそく革命で復活した。新政府はこの地の民主主義を完全に復元する」と強調した。
文大統領は朴正熙政権当時、逮捕されたこともある学生運動の活動家だった。自らの原点にも重なる光州事件を再評価することを通じて「脱朴槿恵」をアピールし、新政権の求心力を高める狙いとみられる。
こうした中、全斗煥氏は最近出版した回顧録で自身を「5.18の治癒と慰撫のために犠牲になった」と表現。事件犠牲者の遺族が怒りの声を上げるなど、物議を醸している。(編集/日向)
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