本当に立派だったのはこの人だけだよ。 経済ジャーナリスト・今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」 http://masato555.justhpbs.jp/newpage113.html
日本人は吉田証言が嘘だとか、慰安婦が売春婦だとか悪質なデマを流し続けてるから信用されないんだよ: 朝鮮女性の場合は日本女性と違って泣き寝入りできなかった特殊な理由があるんだよ
朝鮮は儒教社会だから慰安婦の姉妹や娘は一生 売春婦以外の仕事はできなくなる だから元慰安婦だったとわかると一家は路頭に迷う事になる 吉田清治はそういう事を考慮して意図的に強制連行した日時と場所を変えて書いたんだ 吉田清治は実際に強制連行した日時と場所を公表しろと何度も言われたけど、元慰安婦の身元がわかって本人や家族が迫害されると困るので、絶対に応じなかったんだ おそらく、チャンネル桜や文春・産経関係者が慰安婦・南京大虐殺に関するデマを流し続けているので、純真な人は そういうのを安易に信じてしまうのでしょうね ___
吉田清治さんに協力する元同僚は誰もいなかったこと。吉田さんが韓国への配慮から、地名や年月日などを変えて本に書いたこと。秦先生は、そういうものは無視して、吉田は「職業的詐話師」!と糾弾するわけです。
秦先生は1996年3月27日の吉田清治さんとの電話での会話について、こう書いている。なんか臭う・・・
・・・彼が 「済州島の慰安婦狩りの情景は、実際には全羅南道でのできごとだった」 と言うので、 「では全羅南道の話はすべて真実か」 と聞くと、 「いや、全羅南道の被害者に迷惑がかかるといけないので、他の場所での話が混ぜてある・・・・・」 と答えるに及んで、私はそれ以上、問いただす気力を失った。 しかし、この問答は事実上彼の証言がほとんど虚構であることを自認したものと見てよいのではないだろうか。
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吉田さんの全羅南道での慰安婦狩りをそのとき初めて聞いたはずの秦先生が、
『すべて真実か』 と聞くのも変だし、吉田さんが 『他の場所での話しが混ぜてある』 と答えるのも辻褄が合わない。 だいいち、何故、『ほとんど虚構であることを自認した』ことになるのだろうか? まぁ、秦先生が書かなかった部分の会話で詳しい内容を吉田さんが話したという考え方もできるが(それなら、秦さんの書き方の問題だ)、それなら今でも遅くないから会話の全貌を明らかにすべきだろう。また、いままで知らなかった吉田さんの話が出てきた以上、学者ならきちんと調査すべきではなかったのだろうか?
それはそれとして、この1986年の吉田さんの講演については、ネット上でも断片的に情報が出ているが、これを「強制連行はなかった」と叫ぶ人たちも問題にしていないことも気になる。彼らは真実を知りたくないのだろうか?それとも吉田さんは「職業的詐話師」と決め付けてしまっていて、これもどうせ嘘だと結論づけるのだろうか? やはり、ここはぜひ、秦先生が吉田さんの証言の真相(済州島、全羅南道、1986年の講演)を明らかにするべきだと思うのだが、みなさんどうであろうか? 吉田さんが言っている済州島、全羅南道、もしくは朝鮮半島でのことが真実だった場合、一国の総理が一国民を不確かな証拠にもとづいて国会で”嘘つき”呼ばわりしたことになるのだ。その場合、これは由々しき問題になる。 http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080819/p1 動員部長である吉田さんの弁によれば、吉田さんは済州島の各地で強制連行をしたそうです。その証言に登場した城山の貝殻ボタン工場跡をテレビ朝日が実際に取材しました。その報告はTV番組「ザ・スクープ、従軍慰安婦Part2、戦争47年目の真実」(1992年)で放送されました。 番組では、女性アナの田丸美寿々さんが現地で二人にインタビューしました。一人は城山の長老の洪さんです。田丸さんの質問「この工場から徴用された慰安婦がいるか」に対し、洪さんは 「いないよ。いない。この辺にはいないよ。もしいたとすればよそから来た人だよ。何十人か連れていかれたという話もあるけれど、それは済州島の人間じゃないよ」 と微妙な返答をしました。つまり、済州島の人間は連れていかれたことはないが、よそから来た人は何十人か連れていかれたという話をきいていると、肯定とも否定ともとれる返答をしました。
もう一人インタビューに応じた地元の女流作家、韓林花さんは番組でこう語っていました。 「(地元の人は)みんな知らないふりをしている。口にしないようにしている問題なんです。日本に女まで供出したことを認めたくないという民族的自尊心と、女は純潔性を何よりも最優先にするものだという民族的感情のせいなのです」 この二人の話をつなぎ合わせると、番組のニュアンスは「強制連行」は あったかも知れないという印象でした。 韓国では身内や一族から「従軍慰安婦」を出したとあっては大変な恥です。こうした精神的風土から戦後、多くの「従軍慰安婦」の女性たちは故郷に戻れませんでした。その上、自分が「従軍慰安婦」であった事実をひた隠しにして生きざるを得ませんでした。 そのあたりの事情をテレビ朝日は1991年に放送したTV番組「ザスクープ・追跡朝鮮人慰安婦、知られざる真実」で紹介していました。その時の番組では、「従軍慰安婦」を多く出したとされる全羅南道のある市場で、妹を連行された女性と周辺の人を取材しました。そのやりとりを記します。 アナ「(この辺で)女の人が狩り出された話を知っていますか?」 男性「(横にいる)ハルモニの妹が連れて行かれた」 アナ「どういう風に連れて行かれたのですか?」 男性「強制的にだよ・・・ここは儒教社会だから体面があってあまり話せないんだよ。自分の家から女子挺身隊を出したとなると、他の者の結婚にも さしつかえる・・・結婚してたら連れて行かれないというので、12から14歳くらいでみんな結婚させたんだよ。連れて行かれたらもう消息が途絶えちゃうんだ。行方不明の人多いよ」
アナ「おばあさんはそれから妹さんに会いましたか?」 ハンメ「会っていない。行方不明だよ。生きているのか死んでいるのかわからない」 (注)ハンメ、ハルモニ=おばあちゃん、おばあさん さて、吉田証言にもどりますが、地元の新聞「済州島新聞」は強制連行の事実を否定した記事をわざわざ載せたそうです(未確認)。これは韓林花さんのいう「民族的感情」を裏付けているのかも知れません。 一方、吉田さんを「職業的詐話師」と酷評している人もいます。千葉大学の秦郁彦教授はクマラスワミさんにそのように非難したという記事が週刊新潮(96.5.2)に掲載されたそうです。(未確認) 吉田さんは、独立紀念館の近くにある韓国最大の集団墓地「望郷の丘」に自費で「謝罪の碑」を建てました。これに対し秦教授は今度は「職業的演技 者」とでも呼ぶのでしょうか? http://www.han.org/a/half-moon/hm012.html#No.117
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