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逃げ場を失ったダーイッシュの指揮官たちを米軍がヘリコプターで救出しているとイラン系メディア
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201703160000/
2017.03.16 04:48:38 櫻井ジャーナル
アメリカ、サウジアラビア、イスラエルを中心とする国々がリビアやシリアで始めた侵略戦争の傭兵グループ、つまりアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)は崩壊寸前にあるようだ。西側の有力メディア、「人権擁護団体」、あるいは国連などは侵略軍を攻撃しているシリア政府軍やロシア軍などを激しく批判しているが、戦況を変えることは難しいだろう。
そうした中、アメリカ軍はイラクのモスルやシリアのデリゾールでダーイッシュの指揮官たちをヘリコプターで救出しているとイランのメディアは伝えている。ここにきて侵略軍は逃げ場を失っているので、そうせざるをえないのだろう。
アル・カイダについてロビン・クック元英外相はCIAから軍事訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルだと説明している。アル・カイダはアラビア語で「ベース」を意味し、「データベース」の訳語としても使われているようだ。なお、クックはこの指摘をした翌月、保養先のスコットランドで心臓発作に襲われて死亡している。享年59歳だった。
こうした訓練は1970年代の終盤にジミー・カーター政権の大統領補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキーが考えた戦略に基づいて始められた。アフガニスタンの武装集団とCIAを結びつけたのはパキスタンの情報機関ISI。資金を提供し、サラフ主義者/ワッハーブ派やムスリム同胞団を中心とする戦闘員を送り込んだのがサウジアラビア。アメリカはTOW対戦車ミサイルや携帯型のスティンガー対空ミサイルを提供、戦闘員を訓練していた。こうした構図の戦闘は1989年2月にソ連軍が撤退するまで続いた。
2001年9月11日、ニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンにある国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された直後にジョージ・W・ブッシュ政権は証拠を示すことなく、アル・カイダという名前を「テロの象徴」として使い始める。その組織を率いているのがオサマ・ビン・ラディンだというのだが、この主張を嘘だとクック元英外相は2005年に指摘したわけだ。
その翌年、フォーリン・アフェアーズ誌(CFR/外交問題評議会が発行)の3/4月号にロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できるとするキール・リーバーとダリル・プレスの論文が掲載された。ロシアや中国の反撃を恐れる必要はないという主張だ。当然、この論文はロシアや中国の人びとが読むことを念頭に置いて書かれたわけで、アメリカのすることの口出しするなという恫喝だったのだろう。
その一方、2007年3月5日付けのニューヨーカー誌には、アメリカがイランとシリアを標的にした秘密工作を開始、イスラエルとサウジアラビアが参加していると調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが書いている。
この工作を作成するにあたって中心的な役割を果たしたのはリチャード・チェイニー副大統領(当時。以下同じ)、ネオコンのエリオット・エイブラムズ国家安全保障問題担当次席補佐官、ザルメイ・ハリルザド、そしてサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタン国家安全保障問題担当顧問(元アメリカ駐在大使、後に総合情報庁長官)だという。ビン・スルタンはアル・カイダ系武装集団を動かしていた人物だ。
2007年には調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュがニューヨーカー誌に興味深い記事を書いている。アメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を始めたというのだ。
その記事の中で、ジョンズホプキンス大学高等国際関係大学院のディーンで外交問題評議会の終身メンバーでもあるバリ・ナスルの発言を引用している。「サウジは相当な金融資産があり、ムスリム同胞団やサラフ主義者と深い関係がある」としたうえで、「サウジは最悪のイスラム過激派を動員することができた。一旦、その箱を開けて彼らを外へ出したなら、2度と戻すことはできない。」と指摘している。
そのサウジアラビアの国王がアジア大陸の東岸に現れた意味は重い。彼らが見せびらかす札束の向こう側には地獄が存在している。
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