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Photo:KCNA/新華社/アフロ
北朝鮮VX使用が示唆「金正恩は本気で核を使いかねない」
http://diamond.jp/articles/-/120418
2017.3.8 武藤正敏:元・在韓国特命全権大使 ダイヤモンド・オンライン
■金正男暗殺にVXを使った北朝鮮
今後の動向には相応の覚悟が必要
金正日朝鮮労働党総書記の頃、北朝鮮の核開発は「瀬戸際外交」の手段だと言われた。核やミサイルの脅威をチラつかせ、韓国を脅迫して欲しいものを手に入れると、宥和姿勢に転じる、という外交である。その結果、金大中、盧武鉉大統領の90年代半ば以降、官民あわせて30億ドルが北朝鮮に流れたと言われている。
その頃、北朝鮮の挑発行動は少なかったが、核・ミサイル開発はその資金で加速された。この間は米国も、オバマ大統領の言うところの「戦略的忍耐」をもって、アメとムチで対話を通じた核の放棄を促そうとした。
それに対し北朝鮮は、時として核開発を抑制するかのような行動をとった時もあったが、それは偽装だった。昨年5月の朝鮮労働党大会において、金正恩朝鮮労働党委員長はとうとう核保有宣言を行い、核・ミサイルの最終的な開発と実戦配備を宣言した。昨年だけで、2回の核実験と20回以上のミサイル発射を行った。
それでも、西側諸国の常識的見方は、北朝鮮の核ミサイル開発は自己防衛のためであり、これを使用したり、中東のテロリストに売却するような自己破滅につながる行為はしないであろうと考えてきた。
しかしこの度、北朝鮮が金正男殺害にVXを使用したことで、その考えを改める必要性が高まっている。
猛毒のVXは化学兵器禁止条約で使用、生産、保有が禁止されているものであり、これを使用するなどあり得ず、それは自滅につながる行為であると考えられている。それでも使用した北朝鮮が、核やミサイルは絶対に使用しないと言えるであろうか。化学兵器ばかりでなく核・ミサイルまで使いかねないことを再考する必要がある。
トランプ政権の誕生後、2月初めにはマティス国防長官が最初の訪問地として日本と韓国を訪問した。3月16、17日にはティラーソン国務長官が訪日する。いずれも北朝鮮への対応が主たる議題である。
米国も北朝鮮に対してこれまで以上に危機感を抱いている。27日ワシントンで開催した6ヵ国協議の首席代表による日米韓協議で米国は、2008年に解除した「テロ支援国家」に北朝鮮を再指定する検討に着手したと日韓に説明した。日本や韓国も今後の北朝鮮の動向については覚悟を持って臨むべき時に来ているのではないかと危惧される。
■世界第3位の化学兵器大国
中東への輸出も疑われる
韓国の国防白書によると、北朝鮮の化学兵器保有量は米国、ロシアについで世界第3位、25種類2500〜5000トンを保有する。VXのほかサリンなど神経系に作用する6種類の猛毒物質を保有するそうである。
今回使用したVXは有機リン系の猛毒の神経剤であり、同じ神経剤の中でももっとも殺傷力が高く、皮膚にわずかにつくだけで死亡するという。このため、化学兵器禁止条約では使用、生産、保有が禁止されている。なお、北朝鮮はこの条約には未加盟である。
なぜ、それほど大量の化学兵器を保有しているのか。実は北朝鮮が保有する通常兵器は、年代物が多く、燃料も石油を中国から若干輸入している程度で、通常兵器によって米韓連合軍に対抗するのは不可能である。そうした中で自己防衛を図ろうとすれば、化学兵器が最も安価で効果的である。化学兵器を大量に保有すれば攻撃を受けないと考えた。このため、北朝鮮は、長年化学兵器の開発・製造に力を入れてきたのである。
さらに北朝鮮は化学物質の使用ばかりでなく、輸出も疑われている。
韓国国防省傘下のシンクタンク、国貿研究員の資料は「北朝鮮は金正恩体制発足以降、シリア政府に化学兵器の売却を大きく増やした」と紹介、シリア軍に軍事顧問を派遣、技術の助言や訓練指導までしたと説明しているそうである(「日本経済新聞」より)。これにより北朝鮮は科学物質を拡散し、核・ミサイル開発の資金を得ているのであろう。化学兵器を中東に輸出する国であれば、核・ミサイルも秘密裏に中東に輸出しようとしても不思議ではない。恐ろしい国である。
■マレーシアの善意に
テロ行為で応えた北朝鮮
今回の金正男暗殺事件は、北朝鮮にとって友好国であるマレーシアの善意を踏みにじって、不法行為を繰り返し、それが露見するとしらを切るばかりか、友好国を誹謗中傷する国であることを実証した。要するに北朝鮮に対しては友好的な姿勢で接しても、恩をあだで返す国だということである。
北朝鮮は、化学兵器の使用を認めないであろう。金正男の殺害を否定し、心臓発作であると言い張っている。また、犯人を隠ぺいして捜査を妨害し、確証を取らせないようにし、罪を2人の外国人女性に被せようとしている。
しかし、マレーシア警察によって金正男の遺体の目の粘膜と顔に付着した成分を分析してVXを検出した。VXを調達できる組織が関与した可能性が濃厚であり、国外から持ち込まれた可能性が高いとしている。
マレーシア警察は、4人の主犯格は既に北朝鮮に逃亡しているが、これ以外にも北朝鮮大使館の2等書記官と高麗航空職員など3名の容疑者がいるとして捜査している。VXは北朝鮮大使館の2等書記官によって外交行嚢(本国と大使館との間で文書をやり取りする袋で、接受国はこれを開封できない)を使って持ち込まれたのではないか、と疑っているようである。北朝鮮の非協力によってマレーシアの捜査は難航している。しかし、これだけの状況証拠があれば北朝鮮の犯行を疑わない訳にはいかない。
マレーシアは北朝鮮の姜哲(カン・チョル)大使を「ペルソナ・ノン・グラータ(国外追放)」にした。北朝鮮は金正男氏の殺害を認めないばかりでなく、マレーシア政府の捜査を妨害し、姜大使自身が「(マレーシア警察の捜査を)信用できない」「北朝鮮を中傷するために外部勢力と結託している」と誹謗中傷を繰り返した。ナジブ首相は「(発言は)無礼だ」として不快感を表明し、外交ルートを通じ謝罪を求めたが、北朝鮮からの返答はなかった。そうした中、4日夕刻マレーシア外務省の呼び出しにも姜大使が応じなかったことから48時間以内の国外退去が通告されたものである。
マレーシアと北朝鮮の対立はどこまで行くのか。マレーシア警察は、金正男氏殺害の捜査に北朝鮮が非協力的であることから、周辺部分にも捜査を広げ、その結果、北朝鮮大使館の内部事情も相当わかったようである。北朝鮮大使館員は外交団リストに載る者が14人であるが、車両登録など調べたところ実際には28人おり、そうした人々は、軍事物資の非合法な輸出や、資金洗浄、諜報活動など大使館員としてふさわしくない活動に従事している可能性がある。ちなみに、問題のヒョン・グァンソン2等書記官は外交団リストには載っていない。
国連安保理の専門家パネルによる最新の報告書によれば、昨年8月にエジプト当局が拿捕した船舶からロケット弾3万発が発見されたそうであり、アフリカ向けの航空貨物からは軍事用通信機器が押収されたが、これらには北朝鮮のフロント企業「グローコム」のラベルが貼られていたそうである。国連安保理制裁破りの密輸もマレーシアに駐在するこうした要員が仲介したのではないか。大使館がそうした不法行為に加担していれば、国交断絶も視野に入ってくるであろう。
■想像以上のスピードで進んでいる
北朝鮮の核・ミサイル開発
北朝鮮は昨年、2度の核実験を行った。これまでは数年に一度のペースであったから、核の開発を急いでいる様子がうかがえる。9月の5回目の核実験は核弾頭の爆発実験ではないかと言われており、核弾頭は完成に近づいているのではないか。さらに、近々6回目の実験を行うのではないかと危惧されている。
金正男殺害の前日の2月12日、北朝鮮は弾道ミサイル1発を発射した。「北極星2号」と名付けられたこのミサイルは高度約550km、東に500km飛行して日本海に落下した。これは移動式発射台を使用して発射したものであり、昨年8月に発射した潜水艦発射弾道ミサイルの射程を延長し、5−10分で注入可能な固形燃料(液体燃料であれば約2時間)を使用している。
このミサイルは液体を注入しない分、衛星でミサイル発射の動きを事前に察知するのが難しく、先制攻撃「キルチェーン」が効かないミサイルであると考えられる。また、これを迎撃する場合にもこれまでのパトリオットミサイルでは届かず、最新の地上配備型迎撃ミサイル「THAAD」が必要と言われている。通常の角度で打ち上げた場合の飛行距離は2500kmと推計され、これはグアムの米軍基地に到達する距離である。
北朝鮮のミサイル技術がこれほど急速に発達するとは、韓国の専門家も予想していなかったようである。米国本土に届く大陸間弾道弾はまだ完成していないと言われているが、そう遠くない先かもしれない。北朝鮮の核・ミサイル開発は待ったなしの状況である。
さらに、3月6日の朝には、4発の弾道ミサイルを日本海に向けて発射し、そのうち3発は日本の排他的経済水域(EEZ)に着弾した。これは3月1日から4月末まで行われる米韓合同演習を牽制したものであろう。4発も同時に発射することは異例である。私は、軍事技術の専門家ではないが、これを同時に撃ち落とすことが可能であろうか。
北朝鮮がこうした大量破壊兵器を使えば、逆に全面的な報復を受け北朝鮮が滅びるから使わないであろうとの常識は、もはや通用しない。
このことがわかったのが、先述したVXの使用である。それがマレーシアにおいて使用され、しかもインドネシア人とベトナム人の女性を使って、北朝鮮の行為であることを隠蔽しようとしたのである。仮にこれを中国やマカオで行えば、中国の報復を受けるであろうが、マレーシアも北朝鮮と極めて友好的な国である。
もし核やミサイルが使用されるとなれば、日本や韓国がまず標的になるであろう。核が輸出され、中東のテロリストに渡れば、米国が危険にさらされるであろう。
また、仮に今、日本でテロが起きるとすれば、イスラム過激派よりも北朝鮮による行為を心配する必要があるのかもしれない。現に多くの日本人が北朝鮮に拉致されている。今回の北朝鮮によるVXの使用はこうしたリスクを改めて認識させるものである。
自国が滅びるくらいなら、世界もろとも……と自暴自棄になった指導者には、抑止力という概念は意味を持たない。日本は北朝鮮の現実的な脅威を認識し、これにどう備えるか真剣に検討するべき時が来ているのではないか。
■北朝鮮の核・ミサイル開発は
従来の発想では止められない
これまで北朝鮮の核ミサイル開発を阻止するため、中国を議長国とする6者協議を行い、国連安保理決議の制裁決議を再三強化するとともに、日米韓を中心に一層強い措置を講じてきた。しかし、北朝鮮は長年の制裁によってこうした措置に慣れてきており、中国の非協力もあって、その効果は限定的であった。
今後、中国の石炭輸入禁止などの措置はそれなりの効果はあろうが、北朝鮮の核ミサイル開発は、その効果を上回る速度で進んでおり、米国のトランプ大統領も、「遅すぎるかもしれない」「オバマ政権が対処しておくべきであった」と述べている。
北朝鮮の核ミサイル開発を抑止するためには、金正恩の行動を止めるしかないであろう。これを日米韓でやろうとすれば非常に大きなリスクを伴う。中国が動くのが最もリスクが少ないが、中国は北朝鮮の混乱や崩壊を危惧して最後まで追い詰めることには躊躇してきた。
ただ、トランプ政権の誕生後はこれまでよりは動くようになったと思う。中国の懸念を除きつつ、行動をとらせるためにはより率直な対話が必要である。米国ティラーソン国務長官の日中韓訪問が実り多いものとなることを期待する。
(元・在韓国特命全権大使 武藤正敏)
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