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地対地中距離弾道ミサイル「北極星2」の発射実験を撮影した写真。朝鮮中央通信が配信(撮影場所不明、2017年2月12日撮影)〔AFPBB News〕
北朝鮮の核ミサイル開発が加速し始めた理由 もはや危険水域に、日本や米国の常識外を想定せよ
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/49218
2017.2.20 中谷 寛士 JBpress
2017年2月12日、北朝鮮は約2日間にわたった安倍晋三首相とドナルド・トランプ大統領の初の日米首脳会談直後に弾道ミサイル発射実験を行った。発射のタイミングから見て、日米を牽制する狙いがあると考えられる。
また、2006年から約3年おきに行ってきた核実験を昨年は2回も実施した。専門家は北朝鮮の核開発能力が着実に高まっていると見る。
だが、北朝鮮が核開発を加速させれば日米間の強硬姿勢を強めることにも繋がる。実際、2月11日(現地時間)の安倍首相との共同記者会見で、トランプ大統領は「米国は偉大な同盟国、日本と100%共にある」との発言を行っている。
これら一連の北朝鮮の行動にはどのような意味があるかを考察する。
そのために、冷戦後の核兵器情勢(核政治)を概観する。複雑かつ非常に専門的な点が多い核戦略を理解するうえで大切な視点を、まず冷戦中の米ソ関係を例に1つ示す。
具体的には、冷戦中、核政治は相互確証破壊(MAD: Mutual Assured Deterrence)を意味しだが、そもそも本当に相互確証破壊であったのかを考える。最後にこの点を踏まえ北朝鮮の行動を分析する。
■核兵器による長い平和
冷戦において核政治の中心は言うまでもなく米国とソ連の対立関係にあった。長期間の緊張関係にもかかわらず、2国間の戦争が起きなかったことから、米国人の歴史家であるジョン・ギャディス氏は核兵器による「長い平和(The Long Peace)」と冷戦を表した*1。
そして、一部の専門家は冷戦後の現在を「第2次核時代」と呼び、冷戦時代と区別している*2。ここで重要なことは、この専門用語の定義ではなく冷戦時代と現在の状況の違いである。
第2次核時代の中心は、冷戦時代のような2大超大国間による対立関係ではなく、地域的に限定されてはいるが、より多くの核保有勢力の出現であり、核の多極体制への移行である。
この時代の一番の懸念はいわゆる「ならず者国家」の核保有である。北朝鮮が顕著な例だが、冷戦中、国際政治への直接的な影響がほとんどなかった国々である。
そして、この時代の中心はアジア(東アジアおよび南アジア)である。現に冷戦後の新たな核保有国家はすべてアジアから発している。
2016年5月に当時のバラク・オバマ米大統領が現役大統領として初めて広島に訪問したことから、日本では「核兵器なき世界」の実現に前進したように思われたかもしれない。しかし、現実はこの理想の世界とは逆の方向へ(核戦力の近代化、増強)進んでいる。
日本は改めて核保有国に囲まれている事実を再認識するべきだ。そしてこれらの国々は核兵器に戦略的意義を見出しているのである*3。
■神話だった冷戦中の核政治
次に、核兵器をめぐる国際政治に関してよく誤解(神話とも言える)され、あまり疑われてこなかった重要な点を1つ考察したい。
2大超大国間によって支配されていた冷戦中、両国は相手を自らの思想によって大きく歪んだ視点から見ていたという点だ。
一般的に冷戦中の核政治は相互確証破壊と同一視されやすい。しかし、この理解は非常に限定的であり、なおかつ有害でもある*4。実際には文字通りの相互という状態からはかけ離れていた。
第1に抑止は米国の核戦略にとって重要であるが米国の核戦略は常に核兵器の先制使用が基本姿勢であり、なおかつ米国の核戦力の破壊目標は、都市ではなく軍事目標(主として核戦力)であった*5。
実際の運用計画においては、相手の核攻撃に対する報復攻撃に集中するのではなく、状況次第では大量の核兵器の先制使用もあり得るという態勢を取っていた。
これは軍事戦略に基づく合理的な考えとされた。しかし、実際にこれまでの米大統領には核兵器を先制使用するという意思はなかったことが、自伝などを通して分かってきた。
米国のこの実際の運用計画をソ連は知っており、ソ連が相互確証破壊を受け入れない要因の1つとなった。相互という言葉からソ連の核戦略は誤って理解されやすいが、ソ連は相互確証破壊を受け入れたことはなかった。
西側諸国においては相互確証破壊という言葉から核戦争に勝者は存在せず、合理的な政治の延長ではないと早くから考えられていた*6。
*1=John Lewis Gaddis: “The Long Peace: Elements of Stability in the Postwar International System”, International Security Vol.10 No.4 (Spring 1986), pp. 99-142.
*2= 第2次核時代については以下を参照 Paul Bracken: “The Second Nuclear Age”, Foreign Affairs Vol. 79 No. 1 (Jan/ Feb 2000), pp. 146-156; Paul Bracken: The Second Nuclear Age: Strategy, Danger, and the New Power Politics (New York: St. Martin’s Press., 2013);Victor D. Cha: “The second nuclear age: Proliferation pessimism versus sober optimism in South Asia and East Asia”, Journal of Strategic Studies Vol. 24 No. 4 (2001), pp. 79-120; Colin S. Gray: The Second Nuclear Age (Colorado: Lynne Rienner Publishers, Inc., 1999) and Keith B. Payne: Deterrence in the Second Nuclear Age (Kentucky: The University Press of Kentucky., 1996).
*3=Bracken, The Second Nuclear Age, pp. 1-10.
*4=Payne, Deterrence in the Second Nuclear Age, p.1, 17
*5=Honore M. Catudal, Jr: Nuclear Deterrence: Does it deter? (London: Mansell Publishing Limited., 1985), pp. 203-204; Fred Kaplan: “Rethinking Nuclear Policy”, Foreign Affairs Vol.95 No.5 (Sep/ Oct 2016), p. 19.
*6=Bernard Brodie: “The Development of Nuclear Strategy”, International Security Vol.2 No.4 (Spring 1978), p. 74.
一方、ソ連では1980年代までクラウゼヴィッツの「戦争は政治の延長」であるという考えを継承し、核戦争も政治の延長であると捉え、核戦争における勝利を志向していた*7。
そして、核戦争の勝利よりも現状の回復(Status quo)を望んだ西側が取った(核兵器の甚大な破壊力による)抑止戦略よりも、ソ連の核戦略は戦闘抑止戦略(War-Fighting)であり核兵器を絶対的なものだとはみなしていなかった*8。
キューバ危機で核戦争の現実味が増した後、ソ連はより核戦略に対して柔軟性を求めたのと、核兵器の数が増大するにつれ、核戦争を実行するのが難しくなったことを理解し始めた。
また、アフガニスタンへの介入で国内経済が疲弊、そしてチェリノブイ発電所事故、ゴルバチョフの出現など国内環境の変化から、ソ連の核戦略が西側流の抑止戦略を取るようになったのは1980年代以降である。
この2か国の核戦略の違いをもたらした要因は何であろうか。むろん要因を1つには絞れない。しかし、あえて1つの重要な要因を挙げるとすれば、冷戦中(特に1950年代から60年代にかけて)に米国で発達した抑止理論は、米国という特殊な環境で発達したことを忘れてはならない。
米国の戦略家たちは、ソ連も自分たちと同じように合理的に動くと考え(合理的抑止理論)、米ソ間の均衡は安定関係にあると見ていた*9。しかし、これは必ずしもソ連との共通認識ではなかった*10。
米国は自らの主義、思想(合理的なので行動が予測できる)が相手にも共有されていると自民族中心主義的にソ連を捉えていた。特に、この傾向は1970年代まで色濃く残っていた*11。少なくとも歪んだソ連像を描いていたのである*12。
相手も合理性に基づいた行動を取るという考え方は、米国の思想が反映されものとしてよく議論される*13。また、米国はソ連の核戦略を合理的抑止理論に基づくものだと考えていたのと同時に、ソ連を拡張主義者で攻撃的であるとも見なしていた。
しかし、実際にはソ連の指導者たちは戦争が始まる時は強欲な資本主義者の米国の先制攻撃によって始まると考えていた。お互いに相手を自らの思想を通して捉えていたのだ。
つまり、ここから理解できるのは、米ソ双方がそうであるようにすべての核保有国はそれぞれ独特な性格を有し、国内の環境(国内政治や文化)を無視して核政治を語れないということである。要するに戦略が形成される国内環境から戦略は免れないのだ。
ソ連は抑止の重要性を認識しつつも、相互抑止という考えを受け入れることはなかった。ここで大事なことは、国内要因(ここでは、歴史的経験から形成される政治的価値体系とする)がどのようにソ連の核戦略に影響を与えたかである。
昨今のウクライナ危機でも指摘されることが多い歴史的経験が大きな国内要因として挙げられるだろう。
身近な例を挙げるとナポレオンのロシア遠征と第1次、第2次世界大戦におけるドイツのロシア侵攻などがある。ほかにも例はあるが、要は、ロシアは歴史的に他国の侵攻を受けてきたのである。
このことから、ソ連は米国も同じようにソ連への先制攻撃を準備していると信じ、自らも相手の先制攻撃に備えるために、相手の先制攻撃を探知したら自らの戦略核兵器を相手に発射できる態勢(Launch on Warning)を採用した。
つまり、ソ連の核戦略は防御的と見ることもできる*14。そして、この他国からの侵攻を許した苦い歴史的経験から自国の安全と存亡に非常に敏感であり他国の合理性と良心に依存する相互抑止という考えは決して許容できるものではなかった*15。
むしろ、自らの手で安全を勝ち取るという考えが主流であり、抑止とは防御の延長であり、核戦争においても勝利できると相手に予想させることで相手を抑止できるという考えを冷戦末期まで維持していた*16。
ただ、核戦争における勝利を信じたソ連の指導者層も、当然核戦争は被害が甚大なことから避けなければならないと認識していたことも事実である*17。
そして、第1次戦略兵器制限交渉(SALT I)において相互抑止態勢が維持されたとよく指摘されるが、ソ連は逆に米国の迎撃ミサイルシステム(ABM)の歯止めをかけたと見ていた。また、米国との核の均衡が公式に取れたと捉えている*18。
米国の著名な外交官であり「封じ込め戦略」の生みの親でもあるジョージ・ケナンもソ連が敵と合意を結ぶ時は、戦術的行動と見なすべきであり十分に注意すべきだとも指摘している*19。
米ソはお互いに相手を誤認していたわけだ。しかし、これは米ソ間に限った話ではない。残念ながら歴史を通して、敵対国の行動を誤認することは稀なことではなく、むしろ頻繁に起きてきた*20。
また、人間の認知能力には限界があり、完全に合理的になることは不可能(限定合理性)なのである*21。人間が行う行動には常に不可測なことがつきまとい、相手の行動や感情を100%理解することはできない。
ただ、1つ言えることは相手をより理解するには、相手の行動や視点を左右する価値体系を理解することが重要である*22。もちろん、ほかにも政治制度、組織文化、財政的制限、技術、地理など様々な要因が国家の行動に影響を及ぼすが、国際政治(特に主要な国際関係理論)で見落とされがちなこの国内要因を無視することはできない。
*7=Joseph D. Douglass, Jr and Amoretta M. Hoeber: Soviet Strategy for Nuclear War (California: Hoover Institution Press., 1979), p. 7; Beatrice Heuser: Reading Clausewitz (London: Pimlico., 2002), pp. 143-150; Richard Pipes: “Why the Soviet Union Thinks It Could Fight & Win a Nuclear War”, Commentary, Vol. 64 No. 1 (July 1977), p. 21.
*8=Douglass, Jr and Hoeber, Soviet Strategy for Nuclear War, p.7; Pipes: “Why the Soviet Union Thinks It Could Fight & Win a Nuclear War”,34
*9=Brodie: “The Development of Nuclear Strategy”, p.69, 73; Keith B. Payne: The Fallacies of Cold War Deterrence (Kentucky: The University Press of Kentucky., 2001), pp. ix-x
*10=Colin S. Gray: “National Style in Strategy: The American Example”, International Security Vol. 6 No.2 (Fall 1981), p. 44.
*11=Fritz W. Ermarth: “Contrasts in American and Soviet Strategic Thought”, International Security Vol. 3 No.2 (Fall 1978), pp. 138-155; Gray, “National Style in Strategy”, p. 21; Pipes, “Why the Soviet Union Thinks It Could Fight & Win a Nuclear War”, pp. 21-34; Jack L. Snyder: The Soviet Strategic Culture for Limited Nuclear Operations (Santa Monica CA: Rand Corporation., 1977), R-2154-AF.
*12=Ken Booth: Strategy and Ethnocentrism (London: Croom Helm., 1979); Beatrice Heuser: The Evolution of Strategy: Thinking War from Antiquity to the Present (Cambridge: Cambridge U.P., 2010), p.359
*13=Payne, The Fallacies of Cold War Deterrence, p. xi.
*14=Catudal, Jr: Nuclear Deterrence, p. 204.
*15=Ken Booth: “Soviet Defence Policy” in John Baylis, et al (eds.): Contemporary Strategy II: The Nuclear Powers, 2nd ed (New York: Holmes & Meier., 1987), p. 56; Ermarth: “Contrasts in American and Soviet Strategic Thought”, p. 139
*16=Booth, “Soviet Defence Policy”, pp. 92-93.
*17=Ermarth: “Contrasts in American and Soviet Strategic Thought”, p. 143.
*18=Booth, “Soviet Defence Policy”, p. 94; Ibid, p. 146.
*19=このフォーリン・アフェア―ズ誌に記事を投稿した際は本名を使わず匿名であった。X: “The Source of Soviet Conduct”, Foreign Affairs Vol. 25 No. 4 (Jul 1947), p. 572.
*20= Robert Jervis: “Introduction: Approach and Assumption”, in Robert Jervis, et al (eds): Psychology & Deterrence (Baltimore: The Johns Hopkins U.P., 1985, ppb. 1989), p.1.
*21=Reinhard Selten: “What is Bounded Rationality”, Paper prepared for the Dahlem Conference. (May 1999), pp. 2-3.
*22=Jervis: “Introduction: Approach and Assumption”, p. 33.
■北朝鮮が核とミサイル開発を加速させる理由
以上の重要な点を考慮して今回の北朝鮮によるミサイル発射実験と2016年の2回の核実験が何を意味するのか吟味したい。
第1に言えるのは、北朝鮮を核保有国と見なし自国の安全保障を考えるべきという点だ。
核兵器は約70年前に開発された兵器であり、実際に開発できるかどうかに関係なく核兵器開発に関する知識はすでに知れわたっている。そして、2006年から北朝鮮は5回の核実験をミサイル発射実験と並行して行った。
北朝鮮の核兵器に関する情報は非常に限られているので開発状況の現状を正確に把握できないが、北朝鮮が米西海岸まで届く弾頭ミサイルとこれに搭載可能な小型化された弾頭を持つ日は、そう遠くないと認識する必要がある。
中国が1964年に核実験を行いアジア初の核保有国になった際に日本はこの事実に驚愕した。当時の日本では貧しい中国が核兵器を開発する能力などないと信じられていたからである。
中国はいまや、立派な核保有国であり、米国への報復能力をさらに高めようとしている。このように時間の経過とともに開発能力も向上することを忘れてはならない。
さらに北朝鮮の金一家の独裁政権という特殊性から人民の生活よりも核開発に力を注ぐことができるというのも事実である。
北朝鮮の核兵器に関しては秘密が多く、正確なことは断定できない。ただ、戦略理論を用いて分析することは可能である。
ジョージ・ブッシュ政権(ジュニア)の北朝鮮政策のアドバイザーを務めたビクター・チャは北朝鮮が核戦略を3つの理論的枠組み(盾、刀、象徴)から分析している*23。これは、簡単に言えば、核兵器による抑止(盾)、核兵器という攻撃兵器(刀)と核保有による国内外の存在感の拡大(象徴)を意味している。
ここでは、この外的要因(相手に対する抑止効果)と内的要因(核による権威)を比較しつつ、現在の北朝鮮の核戦略はどのようなものなのか、この核戦略が国際政治にどのような影響があるか分析したい。
■核兵器による抑止理論
まず核戦略を語るうえで欠かせないのは抑止理論である*24。冷戦中の一般的な抑止理論とは、米ソ間の大量の核兵器は先制攻撃からの残存性(Survivability)を保証し、確実に報復する能力を維持することで抑止の信頼性を高めるという状態であった。
ここれには大量の核兵器と報復手段としての弾頭ミサイルが必要だが、北朝鮮はまだこの状態には達していない。この状態に達するには非常にコストが高いため、北朝鮮が目指す抑止態勢ではないだろう。
今現在の現実的な抑止態勢としては、実存抑止(Existential Deterrence)であろう。これは、単に核兵器の存在だけで相手を抑止するというものである。
これはなぜなら、核兵器の存在は、事態がエスカレートした時に核兵器の使用される可能性を含んでいるからである*25。今現在、核兵器の数が限られている中でこの貴重な戦力を実際に使用することは可能性としては非常に低く、米国の脅威に対する実存抑止に頼っていると考えられる*26。
ただ、2010年の天安沈没事件や延坪島砲撃事件など、通常兵器で始まった事態を核の使用まで意図的にエスカレートさせることで相手を抑止させるということは考えられる。もちろん、そうしない可能性も高いのは事実である。
そして、この核の使用をちらつかせ、危機を意図的に高めることにより相手からの譲歩を狙う「瀬戸際外交(Brinkmanship)」は次に考えられる選択肢である*27。
実際に北朝鮮は核を放棄していないにもかかわらず、米国からのエネルギー、経済支援、テロ支援国家からの解除などを引き出している。またこの核のカードを使い米国との平和的共存を目指している*28。これも第2次核時代の特徴である。
つまり、核兵器によるエスカレーションの脅威を意図的に煽り、交渉に持ち込むのである*29。ただ、戦略の逆説(パラドックス)としては、以前この選択肢がうまくいったからといって、同じ選択肢が次に上手くいくとは限らない。
実際に、オバマ政権下では、北朝鮮は米国からの何かしらの有効な譲歩を引き出せてはいない。また、今回の発射実験を受け、トランプ大統領は米国の北朝鮮に対する姿勢を見直し、「あらゆる選択肢をテーブルに載せながら外交的に解決していきたいと考えている」と発言した。
このことを考えると北朝鮮の次のステップとしては米国まで到達可能な弾道ミサイルの開発とこのミサイルに搭載可能な核弾頭を小型化することである。そして、万が一米国から先制攻撃されても少ない数の核兵器でも確実に報復する能力があると見せつけることである。
そのために北朝鮮は新たに潜水艦からの報復能力向上に力を注いでいると思われる。これは最低限抑止(Minimum Deterrence)と言われ、相手から攻撃された際に確実に相手に報復する能力を持つことで相手を抑止するものである。
*23=Victor D. Cha: “North Korea’s Weapons of Mass Destruction: Badges, Shields, or Swords?”, Political Science Quarterly Vol. 117 No. 2 (Summer 2002), pp. 209-230.
*24=Brodie, “The Development of Nuclear Strategy”, p. 65.
*25=Marc Trachatenberg: “The Influence of Nuclear Weapons in the Cuban Missile Crisis”, International Security Vol. 10 No. 1 (Summer 1985), p. 139.
*26=Cha, “North Korea’s Weapons of Mass Destruction”, p. 217; John S.Park and Dong Sun Lee: “North Korea: Existential Deterrence and Diplomatic Leverage” in Muthiah Alagappa(ed.): The Long Shadow Nuclear Weapons and Security in 21st Century Asia (California: Stanford U.P., 2008), pp. 270-271.
*27=Thomas C. Schelling: Arms and Influence (New Heave: Yale U.P., 1966), pp. 199-201.
*28=Park and Lee, “North Korea”, pp. 274, 289.
*29=Payne, The Fallacies of Cold War Deterrence, pp. 33-34.
一部の専門家は、「相手を抑止する目的のためには小型の核兵器でも十分であり、核兵器の存在が危機を拡大するのではなく安定させる。なぜなら核兵器に対する完全なる防御兵器は存在しないからである」と論じる*30。
この場合の核兵器のターゲットは都市などである。この段階に達した場合に交渉に向けた新たな政治的シグナル(例えば、我々は米西海岸の都市を人質に取っているなど)を米国に送ることは十分あり得る。
■核兵器開発を進める国内要因
次に国内要因であるが、北朝鮮の経済力は非常に乏しく、飢餓で国民が餓死、また冬は凍死するなどの状態が続いているからこそ、核保有国になることによって国威発揚を狙っているのと、国内に向けて北朝鮮の技術がいかに優れているかを誇る手段とも考えられる*31。
特に北朝鮮では1980年代以降、先軍政治体制を敷いていることから、軍が国家運営を握っており、核兵器は国内における立派な軍のステータスの一種であり、核開発における貴重な資源を軍が優先的に使用することを可能にする*32。
2016年の2回にわたる核実験と度重なるミサイル実験は先軍政治が金正恩体制で、さらに加速していることを表していると想像できる。そして、この先軍政治体制を維持するために国外に対しては、核兵器は大国の介入を妨げる手段となる。
北朝鮮の貧弱な経済力では通常兵器に資金を投資するよりも核兵器に投資する方がより効果的であり、大国に対等に立ち向かうための兵器(Equalizer)となるだろう*33。
そして、米国が北朝鮮を「核保有国家」として認めることが核交渉への条件とし*34、この状況を米国に認めさせることで国内にも北朝鮮が国際的な核勢力だとアピールすることになる。
北朝鮮としては、核があることで米国の脅威に屈せずにすみ、金一家の体制維持にも繋がる*35。また、このような国内情勢を考慮すると、核兵器なくして国際政治に与える影響は全くない*36。
核兵器がなければ国連安全保障理事会で北朝鮮が議論されることは、朝鮮戦争再開の危機が高まる以外(もちろん、拉致問題などもあるが)あり得ないだろう。このため、核兵器が、金一家と軍の国内における統治の正当性の拠り所と言える。
これが第2次核時代の特徴である。つまり、核兵器がなければ全く世界から注目されることはない国々が核保有国となり影響力を持つようになるのだ。
北朝鮮にとって核兵器は体制を維持するための最後の手段であり、これをやすやすと使用するということはあまり考えられない。もし、自ら先制使用した場合、米国からの核の報復は体制どころか国家すら破壊しかねない。このことも北朝鮮の首脳陣はもちろん理解している*37。
以上を踏まえると、北朝鮮が核兵器を放棄することは恐らくないだろう。むしろ、最近の北朝鮮の一連の動向を踏まえると逆に核兵器への依存を高める方に進むと思われる。
6か国協議も2008年以降開かれておらず、残念ながら北朝鮮の核問題に対する日本の影響力は限りなく低い。日本一国ではなく多国間での協力が必要である。
北朝鮮に影響力を及ぼすことができるのは中国と米国であろう。これらの国も北朝鮮に核を持ってほしくはないが、それよりも北朝鮮が崩壊して、地域のバランスが崩れることをもっと警戒している*38。
日本が最も注意すべきことは、ソ連が1957年に人工衛星スプートニクを発射したことによって起きたスプートニックショックのように、米国に到達可能な核の運搬手段を北朝鮮が持った場合、日本に何ができるかを考えることである。
北朝鮮が報復能力を持ったからといって実際にこれを使用することはないと考えられるが、報復能力が向上するにつれ、1964年に中国が核実験を行った時と同様に、日本における米国の核の傘への信頼が揺らぐ可能性はある。
だが、結果として当時の佐藤内閣は米国の傘に依存することが最適であると考え、以後、米国の核に依存することが日本の現実的な選択肢となった。
日本における米国の傘の必要性は今後も変わらないであろうが、核の傘に関しては今回の日米会談でも話題となっており、今後も政治レベルで議論を継続していくことが重要である。
北大西洋条約機構(NATO)に対する米国の核の傘の信頼性をより強固したのは、米国とヨーロッパのNATO加盟国との間の核の傘に関する定期的な議論の場である。
冷戦中NATO国内では国民の核の傘に関する興味は高く、国内での議論は非常に活発であった。日本も国民の理解が米国との政治レベルの議論をより促進し、平時から議論が継続的にあることで米国の核の傘をより信頼のあるものにする。
従って重要なことは東アジアの核兵器をめぐる現実から目を背けず、核の傘がどうあるべきかをもう一度再考することであろう。ただ、決して間違えてはならないのが誤った知識から安易な平和主義や核武装論などに走らないことだ。
*30=Kenneth N. Waltz: “Nuclear Myths and Political Realities”, The American Political Science Review Vol. 84 No. 3 (Sep 1990), pp. 746, 740-740.
*31=Cha, “North Korea’s Weapons of Mass Destruction”, p. 227; Scott D. Sagan: “Why Do States Build Nuclear Weapons? : Three Models in Search of a Bomb”, International Security Vol.21 No.3 (Winter 1996/97), pp.63-65.
*32=Cha, “North Korea’s Weapons of Mass Destruction”, p.228; Park and Lee, “North Korea”, pp. 275-276; Jonathan D. Pollack: No Exit: North Korea, Nuclear Weapons and International Security (Oxon: Routledge, 2011), p. 189.
*33=Cha, “North Korea’s Weapons of Mass Destruction”, p. 89, 91, 94; Kenneth N. Waltz: “The Emerging Structure of International Politics”, International Security Vol. 18 No. 2 (Autumn 1993), p. 51.
*34=Pollack, No Exit, p. 160.
*35=Alexandre Y. Mansouro: “North Korean Decision-Making Processes Regarding the Nuclear Issue at Early Stages of the Nuclear Game” in Young Whan Kihl and Peter Hayes (eds.): Peace and Security in Northeast Asia (New York: M.E Sharpe., 1987), p. 222.
*36=Cha, “The second nuclear age”, p. 96.
*37=Park and Lee, “North Korea”, p. 279, 286.
*38=Bracken, The Second Nuclear Age, p. 193.
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