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そもそも日本は何のためにアメリカと戦争したのだろう? 「目的」は終始混迷していた(現代ビジネス)
http://www.asyura2.com/16/warb19/msg/406.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 12 月 27 日 16:29:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 


そもそも日本は何のためにアメリカと戦争したのだろう? 「目的」は終始混迷していた
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50527
2016.12.26 森山 優 歴史学者 静岡県立大学准教授  現代ビジネス


今から75年前、日本はアメリカとの戦争に踏み切った。しかし、なぜ戦争しなければならなかったのか? そもそも目的はなんだったのか? 改めて聞かれると、実はよくわからない。

当時の政策決定者たちは、なぜ「最悪」の決定を選んだのか。日・米・英の情報戦と政策決定の実態を丁寧に追い、日米戦争の謎に迫った話題作『日米開戦と情報戦』よりその一部を特別に紹介します。

■戦争目的の混迷

日本は、なぜアメリカと戦争をしたのだろう。この問いに即答できる人は案外少ないのではないだろうか。

高校の日本史や世界史の教科書を開いても、日本の「南進」政策やABCD包囲陣、アメリカのハル・ノートなどさまざまな記述があるが、はっきりとした原因を読み取ることは難しい。これは教科書の執筆者にも起因する(当該期の専門家が執筆陣に入っていないケースすらある)が、この戦争に固有の特徴に影響された側面も大きい。

一般的には、戦争は政治の延長と考えられている。クラウゼヴィッツの「戦争は政治におけるとは異なる手段をもってする政治の継続にほかならない」というテーゼは、しばしば引用される(『戦争論』初版1832年)。

当事国が平和的手段である「外交」によって問題が解決できない場合に、「武力」で決着をはかるのが戦争ということである。そこには何らかの争点が存在し、理性的な検討を経て戦争という選択がなされると理解される。

しかし、この枠組みでは理解困難なのが、日米戦争なのである。その過程ではつねに原因と結果、目的と手段が不断に錯綜し、戦争指導は困難をきわめた。

さらに、この戦争は未曾有の規模で戦われ、前線と銃後の境界は曖昧となった。それ故、戦争体験者の身に起こったことは千差万別だった。

戦争目的の混迷と戦争の巨大さ、この二つは一般的な歴史認識が戦後に形成されることを妨げた大きな要因であり、それは現在においても克服されたとは言い難い。

戦争の巨大さについては筆者の手に余るため割愛するとして、戦争目的に関する混迷の例を一つ示そう。

開戦後2年を経過した1943(昭和18)年末、昭和天皇に国情を伝えるべく高松宮(昭和天皇の弟、海軍大佐)との連絡係の任に細川護貞(もりさだ)(細川護熙元首相の父)が就いた。義父である近衛文麿の要請だった。

細川の日記をひもとくと、1943年11月末にいたっても、戦争目的に関する議論が政府と軍のあいだでくりかえされていることに驚かされる。

もちろん、この事実をもって日本は目的もなしに戦ったなどと批判をするつもりはない。1943年秋といえば、フィリピンやビルマなど日本の占領地の代表を集めた大東亜会議が開催され(11月5、6日)、戦争の完遂と大東亜の建設をうたった大東亜共同宣言が採択された直後である。

つまり、日本の戦争目的を明示したはずの共同宣言を出した後も、日本は戦争目的を確立できていなかったことに着目したい。

戦争は暴力の行使であり、勝利を至上の目的とする。そのため、いったん発動されてしまうと、当事者の当初の意図をはるかに超えて、独自の論理で動き出してしまう性格を持っている(このこともクラウゼヴィッツは指摘している)。

戦争目的に関する議論は、米英との戦争をはじめた後も、陸海軍や外務省のあいだで、延々とくりひろげられてきていた。戦争目的の確立は、その後の軍事行動を規制するため、きわめて微妙な課題でありつづけた。

これが当時の政策決定の内実だったのである。

■目的なき戦争

一般に、日米戦争は、アメリカによる東アジアにおける門戸開放・機会均等原則の主張と、それに挑戦する日本の「東亜新秩序」との激突である、と理解されている。

しかし、日米がその理想を自国民のおびただしい血を流してまでも現実のものとしなければならないと考えていたわけではない。

アメリカの理想が実現している地域は、中南米をのぞけば、世界のどこにも存在しなかった。このため、日本側は日米交渉の過程で、アメリカの主張に主義上の賛意は表明したが、東アジアへの適用は世界中で実現した場合に限るという論理で、実質的には拒否したのである。

そして、「東亜新秩序」という日本の主張は、泥沼化した日中戦争を解決するため、苦し紛れにひねり出された構想だった。

1938(昭和13)年11月3日、近衛文麿首相は当時戦われていた日中戦争の目的を、「東亜新秩序」の建設にあるとする声明を発した(第二次近衛声明)。じつは、日中戦争も「目的」を失った戦争だったのである。まず、開戦直前の状況を概観してみよう。

1937(昭和12)年7月にはじまった「支那事変」当初は、中国に対する憎悪だけで国民を動員することができた。日本製品に対する排日不買運動、在留邦人へのテロ・虐殺など、敵愾心を煽る材料には事欠かなかったからである。

しかし、一時期の感情だけで長期戦を戦うのは無理である。

同年12月、首都南京が陥落しても、蒋介石は漢口さらに奥地の重慶に立てこもって抗戦をつづけた。日本は大きな損害を出したにもかかわらず、蒋と中国ナショナリズムを武力で屈服させることはできなかった。

南京陥落の翌月、1938年1月16日には、日本は「国民政府を対手(あいて)とせず」という声明(第一次近衛声明)を出して蒋介石政府を否認し、占領地に傀儡政権を樹立して、統治にあたらせようとした。しかし、傀儡政権には統治能力がなく、治安の維持さえおぼつかなかった。

このような事態を打開するために発されたのが、先述の第二次近衛声明とそれにつぐ12月の第三次近衛声明(近衛三原則、すなわち善隣友好、共同防共、経済提携に基づく「東亜新秩序」建設を謳った)だったのである。

これに呼応して、中国国民党のナンバー2だった汪兆銘のグループが重慶を離脱、日本との和平交渉を開始する。

ところが、日本は公式には非併合・無賠償と言いながら、汪兆銘との条約交渉では露骨な権益獲得を秘密協定で要求した。日本の要求を受け入れれば漢奸(裏切り者)となるのは避けられない。汪兆銘グループは分裂し、汪の側近だった高宗武らは香港に脱出する。

彼らは1940(昭和15)年1月22日、日本が出した条件を世界に暴露した。残された汪兆銘は自ら国民政府を名乗るが、日本の傀儡政権とみなされる運命となった。

日本政府は汪の統治能力の限界を悟ると、ふたたび重慶との直接交渉に乗り出し(桐工作)、汪政府の承認をひきのばしにかかった。最終的に汪政府との条約が締結されたのは、1940年の11月30日であった。汪の重慶脱出から、すでに2年が経過していた。

汪政府を国家として承認することは、蒋介石との和平が不可能になることを意味した。調印のために南京に向かった元首相の阿部信行大使の使節団一行を送るパーティーは、さながらお通夜のようだったという。

中国と戦いながら、中国を味方としなければいけない。この矛盾を鋭く衝いたのが、民政党の代議士斎藤隆夫による1940年2月2日の、世に言う「反軍演説」だった。

陸軍が桐工作に乗り出す直前の第七五帝国議会で展開された斎藤の演説は、論旨明快だった。彼にとって国際社会は弱肉強食の世界であり、戦争では勝ったほうが負けたほうから獲物を分捕って当然であった。しかし、政府は「支那事変」を「聖戦」と称し、領土も賠償金も要求しないと主張している。はたして何のために日本は戦っているのか、というのである(有馬学「戦争のパラダイム─斎藤隆夫のいわゆる「反軍」演説の意味」『比較社会文化』1、1995)。

政府のもっとも痛いところを衝いた斎藤の主張は、一般庶民の感覚に近かっただろう。まさに目的もなく、出口も見えない泥沼の大戦争になってしまったのが「支那事変」だった。

■イデオロギー戦争としての日米戦争

「東亜」が「大東亜」に、「新秩序」が「共栄圏」と名前を変えても、それが何を意味するか、日本人のあいだですら共通の了解はなかった。

このような理解不可能なもののために国運を賭ける国家が存在するだろうか。

政治学者で国連次席大使の経験もある北岡伸一は、「太平洋戦争の「争点」と「目的」」(細谷千博ほか編『太平洋戦争』東京大学出版会、1993。のち北岡『門戸開放政策と日本』東京大学出版会、2015)で、日米間には戦争に訴えてまで解決しなければならなかった争点が存在しなかったことを指摘している。

北岡によれば、日本が主張した東亜新秩序に対するアメリカの批判はイデオロギー的で、アメリカの現実的利害は小さかった。日本市場に比較して、中国市場が占める比重は格段に小さく、いわば想像上の利害(中国統一後は有力な市場となりうる)に過ぎなかった。

にもかかわらず、アメリカは日本の行動を門戸開放原則に対する重大な挑戦と受け取ったのである。また、日本側にとってもアメリカの主張は自らの生存圏を脅かすものと認識された。

これが日中間や日英間であれば、満蒙権益や中国市場という具体的な争点が存在するため、非常にわかりやすい。

しかし、日米間の対立は原則に関する対立であった。そのため、いったん両国関係が危機に陥った際、具体的な取引による解決が困難だったのである。日米戦争は、まさにイデオロギー戦争だった。

■戦争の直接的動機─南部仏印進駐

もちろん、日米間の原則的な妥協が困難でも、直接的な動機がなければ、戦争にはならない。具体的な懸案の解決策が原則問題に抵触し、硬直的な対応しか採れなくなったときに、はじめて戦争の危機が生じる。

その発端となったのは、1941(昭和16)年7月末の日本の南部仏印進駐と、それにつづく8月のアメリカ、イギリス、オランダによる対日全面禁輸であった。

日本は現在も当時も、その領土内から産出される資源に乏しい。特に石油は、需要のほとんどを米英圏からの輸入に頼っていた。当時の試算では、備蓄は平時需要の2年分、戦時だと1年半分であった。

備蓄が尽きた時点で英米が強硬な要求を突きつけてきても、それを呑むしかない。それならば、戦える力が残っているうちに、オランダ領東インド(蘭印)の資源地帯(当時、第一の産油地帯は蘭印であった。またゴム・ボーキサイトなどの戦略物資も豊富に産出していた)を武力を行使してでも確保すべきである、という議論が陸海軍に起こった。いわゆる「ジリ貧論」である。

もちろん、全面禁輸を解除すべく必死の対米交渉がつづけられ、中近東からの輸入や人造石油(石炭液化)なども検討された。しかし、アメリカはその原則を譲らず、日本もアメリカの要求に屈して中国からの撤兵を呑むことはしなかった。

つまり、日本が戦争に踏み切った直接的な動機は、平和的手段では入手困難となった戦略物資の獲得であった。少なくとも当時の指導者層の自己認識としては、「自存自衛」のためにやむを得ない戦争だったのである。

このことを明確に打ち出したのが、1941年12月8日、開戦と同時に発表された「宣戦の詔書」である。

ここで天皇は、日本に対して抗戦をつづける蒋介石の中国を支援する英米が、軍事的・経済的な圧迫を日本に加えたことで国の存立が危うくなったため、「自存自衛」のためにやむなく戦争に訴えたと述べている。

この詔書は、国民に対して戦争目的を明示する意味で、延々とくりかえし喧伝された。戦争中、毎月8日は「大詔奉戴日」とされ、国民学校(1941〜46年度の6年間、小学校は国民学校とされた)では校長が詔書を恭しく朗読したという。

国はさまざまな手段を使って、国民に対して戦争目的をわかりやすく浸透させようとした。

その目的で製作された大政翼賛会宣伝部による『敵だ!倒すぞ米英を』と題する紙芝居をみてみよう。

戦後も活躍した人気漫画家近藤日出造の画になるこの紙芝居は、戦争原因を米英のアジア搾取(図1)とABCD包囲陣(図2)に求め、アメリカが最後通牒を突きつけてきたため、日本はやむなく立ち上がった(図3)と説いている(神奈川大学非文字資料研究センター所蔵)。


 図1 米英のアジア搾取


 図2 ABCD包囲陣


 図3 たちあがる日本

「支那事変」の不可解さに比較すれば、戦争目的の明快さは際立っていた。しかも、「弱い支那」をいじめるのではなく、世界の大国にいじめられた日本が立ち向かうという主張である。

先行きの不安はさておき、当時の国民が抱いたある種の爽快さは、それなりに筋が通っていた。国民にとって、この戦争目的はわかりやすく、そのために浸透することができたのである。

それではこの「自存自衛」という認識は、いったいいつつくられたのだろうか。そして、これが脅かされれば戦争に訴える理由になり得ると、開戦を決意した政府や軍の当事者たちは本気で考えていたのだろうか。

(続きは明日公開)


             


 

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コメント
 
1. 新共産主義クラブ[2831] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2016年12月27日 16:36:03 : yLe170fVic : P2MWXPYVcG8[19]
>そもそも日本は何のためにアメリカと戦争したのだろう?
  
 その時の「昭和天皇のお気持ち」が理由だったのではないか。
 

2. 2016年12月27日 17:30:10 : 12IP2Sdqho : VNO@r4EGNzo[1]
アメリカが、ドイツとの戦争に踏み切る理由が欲しかったから
日本を利用して開戦させたのさ。
当時から日本の上層部はアメリカの犬だったのだ。
庶民には迷惑な話だよ。

3. 2016年12月27日 17:52:17 : 2ba1UeOS2E : 62OIab_eEe0[204]
驚くほど秀逸な記事ですね。
これまで断片的に読んだ知識に軸が通る感じです。

本はまだ読んでいませんが、この要約記事からも、いろいろ考えさせられます。
歴史の因果関係が複雑に絡み合い、権力者がどこかの時点で戦争をしたいという意識が芽生える(今の日本なら金儲けのためか赤字をチャラにするためになるかな)。
そして戦争をする理由を後付して(ブッシュの大量破壊兵器、イラク戦争のような)巧みに国民を知識誘導(洗脳)して戦争に至る。理由をつくるため仕掛けをする等。

トップの白黒写真に鳥肌。


4. 中川隆[5722] koaQ7Jey 2016年12月27日 17:53:37 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6163]

日中戦争で勝てそうもなくなったから、共産革命が起きる前に米軍に占領して貰ったんだよ

昭和天皇の誤算は,中国の正規軍がいくら弱くても,ゲリラには絶対に勝てないという事だったのです. 今のイラクやアフガニスタンと同じですね:


もと陸軍中将、第59師団(衣部隊)の師団長だった藤田茂氏は、八路軍と
戦った自分自身の体験から次のように述べています(季刊『中帰連』第16号)

俺は衣部隊の師団長をやっていたが、山東省の解放地区では八路軍にほとほと手を焼いた。当時の判断を言うと、俺はあと一年と山東地区では日本軍はもつまいと思っていた。衣部隊全滅を覚悟していた。

討伐に行くと八路軍は逃げてしまって、こちらの損害ばかり積み童なってゆく、とうとう旅団長一人は狙撃されて戦死だ。

(中略)実際問題として、ソ連相手の北進を命じられた時、私はほっとした。ゲリラ戦で次第に戦力を消耗させられるよりも、満蒙で大いに戦った方がすっきりするという感じだった


藤田氏は、八路軍と日本軍の違いについて、こう述べています:

日本軍に昔から苦しめられてきた住民にとっては八路軍はまるで後光がさしている軍隊に見えるわけだ。

家を出てゆく時には、瓶に水を一杯くんで、全部掃除をし、塵ひとつ残さんようにしてゆく、昨晩の泊まり賃も置いてゆく、食物代もいくらいくらと精算してゆく、子供はいたわる、老人は大切にする。

こんな軍隊を私は見たことがないわけだ。日本軍が行けば、銃剣で脅かして、
米を出せ、麦を出せ、薪を出せ、出さぬと家に火をつける、女は強姦する、
手がつけられない。当然、八路軍さまさまになってしまう。

http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/hatsugen/nicchuu-hachiro.htm


そのまま行ったらソ連が参戦してきて日本は占領されてしまう.

そして,昭和天皇が中国での大虐殺の黒幕だったことが明らかにされ,戦犯として死刑になり,その汚名は世界中で何千年も語り継がれる事になる.

しかし,昭和天皇は凡人には想像を絶する程の賢こかったんですね.

昭和天皇が考えた天才的アイデアとは:


アメリカはアジアを侵略した日本を懲らしめるため、そして国民が好戦的であるから原爆投下をして戦争を終わらせ、いく百万の人命を救ったと、みずからを平和主義者であるかのように宣伝してきた。

だが実際は、日本を侵略し、単独で占領して属国にする計画を、ずっと以前から持っており、それを実現するチャンスと見なして緻密な計画を持って望んだ戦争であった。日本支配にあたっては、天皇を傀儡(かいらい)とする政府をつくることも計画していたし、戦時中も天皇や皇族を攻撃してはならないという命令を米軍将兵に厳守させていた。それは天皇側にも知らされており、近衛文麿や吉田茂などはその線で動いていた。東京大空襲でも皇居は攻撃されていない。


国民は皆“お国のため”といって国に殺された。天皇はアメリカに日本を占領してくれとお願いしたんだ! それは共産主義が怖くてアメリカに自分を守ってもらうためだった。

米軍の無差別空襲のなかで、不思議なことに皇居は攻撃対象からはずされ、三菱重工広島造船所や長崎造船所は広島、長崎の原爆投下でも被害はなく、下関空襲でも三菱や軍は無傷であった。


アメリカの国立公文書館で発見された「米国陸軍軍事情報部真理作戦課『日本プラン』」

日本プラン」は1941(昭和16)年12月、すなわち日本軍の真珠湾攻撃の直後に作成が開始されたもので、「天皇を平和の象徴(シンボル)として利用する」戦略が明記されていた。すべての戦争責任を、「軍部」に押しつけて天皇を免罪し、「象徴天皇制」のもとで日本を占領支配するという計画を立てていた。1942(昭和17)年5月には「皇室に対するすべての攻撃は避けられなければならない」とする「英米共同指針計画」を出し、皇居への爆撃の禁止命令を厳格に実施させた。戦後駐日大使となったライシャワーはその当時、「日米戦争勝利後の“ヒロヒトを中心とした傀儡(かいらい)政権”」を提言し、「天皇は100万の軍隊駐留に匹敵する」と主張していた。

三井、三菱、住友、安田の4大財閥は、太平洋戦争中の4年間に重工業においては全国投資額に占める割合を18・0%から32・4%にふやし、金融では25・2%から49・7%へと急膨張を遂げており、「三菱は戦争のたびに大きくなった」と三菱電機社長はのべている。

 こうして1945(昭和20)年までの15年戦争で、日本の人民大衆は320万人以上が殺され、日本の都市の大部分は焼け野原となり、親兄弟、息子を殺され、家屋敷、家財道具を空襲で焼き払われて失い、塗炭の苦しみを味わった。だがこの戦争で、三井、三菱などひとにぎりの独占資本はボロもうけし、天皇を頭とする支配階級はアメリカによりすがり、アメリカの日本占領支配の下請機関となって生きのびた。そして戦後61年たった今、世界でもまれにみるアメリカの従属国家となっている。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/320mannninngakorosaretadainizisekaitaisenn.htm

対日戦争というのは、野蛮な日本の侵略をこらしめ、平和と民主主義のための参戦だったと欺瞞する。しかし、日露戦争後に、日本との戦争は必至と分析し、ハワイ攻撃を待って徹底的にたたきつぶし、無条件降伏させるという計画を持っていた。ライシャワーなどは、「戦争責任はすべて軍部にかぶせて、天皇を傀儡(かいらい)として利用する」といっていた。日本にかわって中国アジアを侵略するためであり、日本を占領支配するための戦争だった。そして、日本の人民が抵抗できないように、戦地では餓死、病死に追いこみ、内地では原爆投下、全国の都市空襲、沖縄戦でさんざんに殺しまくった。

あれだけ鬼畜米英でやっていながら、その後の占領は、今から見てもスムーズすぎる。アメリカは日本を侵略・占領するための戦争をやっていたのだ。日本の全土を焼き払って攻撃して、民間非戦斗員をぶち殺している。一般国民は自然の感情として、国を守らなければと思う。特攻兵士の心情などが端的だ。

アメリカや天皇は、それが次にはアメリカの占領とそれに従っていく自分らに反対して向かっていくのが怖いわけだ。「本土決戦」を叫んでいるが、真実がばれたらその矛先が自分に向く関係だ。だから、国民には竹槍を与えるが、鉄砲で武装させるということはなかった。「鬼畜米英」のインチキはそのへんにある。

あれほどスムーズにやれたのは、天皇がやったことと、そのために本土空襲や飢餓作戦で地獄の状況を作り、国民をへとへとに疲れさせたことによる。それをアメリカが計画的に作り出したし、日本の支配階級も望んだ。国内は戦意喪失で、軍隊は独断で解散していく。集団でも離隊していく。占領軍への抵抗なども起こりようがない。かなりの男は外地に行ってしまっていない。武装解除をさせて、しかも権力の空白ができないように、そこは米軍が来て占領する。そのうえマッカーサーは民間の銃剣をすべてとりあげる徹底した「刀狩り」までやった。


マッカーサーが無条件降伏から二週間後に上陸できたのは、安心しきっていたのだ。ずっと以前から日本の対応がわかっていて、武装解除の進行具合を把握していた。占領された敗戦国でこれほど組織的な抵抗がなかったところは世界的にもまれだ。

「戦後の方が食糧がなかった」というのが実態だが、占領軍が食糧を持ち去ってないような状況にして、「食糧援助」と称して恩義を売る。飢餓作戦をやっていた。

占領期の検閲問題なども暴露されていない。きれいにマインドコントロールされるようになっている。マッカーサーは45(昭和20)年9月15日、「プレスコード」(新聞紙法)を発したが、アメリカ占領軍の「検閲」の名による言論統制を四五年秋から非公然に開始した。検閲要員は1万人近くいた。その対象は、新聞・雑誌、放送・演劇脚本・映画、紙芝居・幻灯などのすべてにわたり、国民の手紙や葉書などの郵便物、電話の盗聴までやっていた。

そういうことについても、一切知らせてはならないと、徹底した検閲をやった。日本のメディアは、自分らで自主検閲するようにするし、朝日新聞なんかは自主検閲要領というのをプレスコードの線に沿ってつくっていた。それはいまでも続いているしもっとひどくなっている。一方で、GHQは新聞やラジオなどを直接にも利用して、宣伝していった。第2次大戦についてのアメリカ軍を美化する心理作戦でも、商業新聞に直接GHQが原稿を書いていたり、NHKの「真相はこうだ」という特集などもそうだ。


米軍について悪くいうことを徹底して封じた。だから原爆の実態や空襲実態についても徹底し隠した。沖縄戦なども典型的で、日本軍がみんな殺したようなイメージをつくり出す。マニラとか長沙などへのアメリカ軍の爆撃もみんな隠蔽していた。安岡の戦争体験者が長沙へのアメリカの空襲を近年朝日新聞に投稿したら、ボツにされたといっていた。

戦後のアメリカの検閲のやり方を見ても、報道内容をチェックするばかりではなく、郵便物や電話まで開封、盗聴する。しかも検閲してないような格好をしてやる。戦前の検閲は、伏せ字で検閲したことが分かる形だったが、アメリカの方はまだ陰険だ。内容は、原爆を公表してはならない、戦争の悲惨さを公表してはならない、反米的なものは許さないというものだった
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/aratanabaikokutosennsounosyuppatutenn.htm


真珠湾攻撃をやるまえに海軍自身が「石油は2年しかもたない」といっていたが、天皇も軍部も最初から負けるとわかっていてアメリカとの戦争に突っ走った.

天皇が一番怖かったのは日本のなかでの革命だった。満州事変のまえの2・26事件にしても、日本は農村恐慌で農民一揆も2000件もあり、社会不安が起こる危険性が高かった. ソ連や中国に負けるわけにはいかなかった、どうしてもアメリカに負けなければならなかった

そうした背景があって青年将校が事件を起こした。事件そのものは鎮圧したが、天皇や上のものは、共産革命が日本でも起こることを念頭においていただろうし、それをもっとも恐れただろう。

太平洋戦争でアメリカに負けたというが、そのまえに中国でさんざんにやられている。それが日本の敗戦を決定的にしたのだ。
 日本軍は中国人や朝鮮人を「チャイナ」とか「ヨボ」とかいってべっ視しきっていた。創氏改名をさせ、名前も宗教も認めない、日本に労働力として強制連行したり、兵隊にとっていた。中国に負けて撤退となると、「勝った、勝った」という大本営発表がうそだったということになり、国内で大混乱になる。それこそ革命が起こり、天皇の首が危なくなる。だから、「中国からの全面撤退」は絶対に認められなかった。それよりも天皇制を維持するために、負けるとわかりきったアメリカとの戦争に突入した。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/utunomiyamutuo.htm


負けると分かった戦争に突き進み、いくら負けてもやめることはせず、原爆投下になって無条件降伏をした。45年2月、吉田茂などが関わり近衛文麿の天皇への上奏文がある。それは、米英は国体を守ってくれること、もっとも恐るべきことは敗戦にともなって起こる人民の革命だというものであった。

天皇とその側近がもっとも心配していたのは、国体が護持されるかどうか、自分たちの地位が守れるかどうかだけであった。だまされて死ににいかされた兵隊たちが返ってきたら、反乱を起こし、自分たちの支配の地位が剥奪されるという不安であった。

日米戦争に突き進むとき、すでに中国で打ち負かされており、戦死者は20万人近くになっていた。ここで支配勢力が心配したことは、中国撤退となると、天皇の権威が崩壊することであり、反乱・革命が起きることであった。そして日米戦争に突き進んだ。

天皇を頭とする政治家、財閥などは、原爆投下を絶好のチャンスとして、アメリカに降伏し、命乞いをした。そして戦争に駆り立て犠牲を強いた人人には何の償いもせず、民族的な利益のすべてを売り飛ばすことでその支配の地位を守ってもらう道を選んだ。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/beikoukanngagenbakutoukaseitoukawohatugen%20nihonsukuuzihibukaikouito.htm


大本営は兵隊をわざと死なせるような作戦をやった

まともな戦争ではなかった――ほとんどが餓死か病死だった

武器も食糧も持たせず死ぬとわかった輸送船に乗せて送り出した

敗戦したとたんに、天皇も財界も官僚、政治家も平和主義者のような顔をした

そして日本はアメリカの属国になった


あれだけ鬼畜米英でやっていながら、その後の占領は、今から見てもスムーズすぎる。アメリカは日本を侵略・占領するための戦争をやっていたのだ。

日本の全土を焼き払って攻撃して、民間非戦斗員をぶち殺している。一般国民は自然の感情として、国を守らなければと思う。特攻兵士の心情などが端的だ。アメリカや天皇は、それが次にはアメリカの占領とそれに従っていく自分らに反対して向かっていくのが怖いわけだ。「本土決戦」を叫んでいるが、真実がばれたらその矛先が自分に向く関係だ。

だから、国民には竹槍を与えるが、鉄砲で武装させるということはなかった。「鬼畜米英」のインチキはそのへんにある。精神主義とかいっているが、その気じゃないのだ。マッカーサーが日本に上陸するのが8月15日から2週間後の30日だ。司令官がすぐ乗り込めるのだ。


丸ごと米単独占領 支配階級・日本を米国に売る

占領軍には1発も銃弾は飛ばなかった。

あれほどスムーズにやれたのは、天皇がやったことと、そのために本土空襲や飢餓作戦で地獄の状況を作り、国民をへとへとに疲れさせたことによる。それをアメリカが計画的に作り出したし、日本の支配階級も望んだ。国内は戦意喪失で、軍隊は独断で解散していく。集団でも離隊していく。占領軍への抵抗なども起こりようがない。かなりの男は外地に行ってしまっていない。武装解除をさせて、しかも権力の空白ができないように、そこは米軍が来て占領する。そのうえマッカーサーは民間の銃剣をすべてとりあげる徹底した「刀狩り」までやった。

マッカーサーが無条件降伏から二週間後に上陸できたのは、安心しきっていたのだ。ずっと以前から日本の対応がわかっていて、武装解除の進行具合を把握していた。占領された敗戦国でこれほど組織的な抵抗がなかったところは世界的にもまれだ。

ドイツの場合は行政機構は壊滅しており、官僚機構も軍隊も解体したが、日本は軍隊は解散させるが、官僚機構はすべてそのまま残した。日本は空襲でも官庁がやられていない。国会議事堂はそのままきれいに残った。大蔵省や日銀も戦前からの建物がそのままだ。

ドイツは戦争に協力したマスメディアなどはすべて廃刊になった。日本は違った。悪かったのは軍部だけで、天皇はじめ、官僚機構がそうだし、独占企業、マスコミ、全部が元元平和主義者のような顔をして生き残った。それが単独占領を保障したわけだ。みなアメリカに協力して民族的な利益を売り飛ばしていった。

アメリカは日本占領に50万人の兵力を用意していた。しかし20万人でよいといって削った経緯がある。戦前の体制がそっくりアメリカの配下になったからできたことだ。いかに日本の支配階級が売国的かがわかる。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/aratanabaikokutosennsounosyuppatutenn.htm

日本は海外に巨大な権益を持つ帝国主義国であるがアメリカの屈辱的な植民地的隷属下にあるという特質を持っている。

 このような日本社会のさんざんな崩壊状況は第二次大戦に根源がある。
あの戦争では320万人が犠牲となった。あらゆる家族で親類に戦死者がいないところはないというほど殺された。

あの戦争は天皇を頭とする独占資本集団が、国内をさんざんに搾取収奪して、
狭隘な国内市場から海外に求めて侵略につぐ侵略、戦争につぐ戦争を繰り返し、
最後に中国への全面侵略戦争を引き起こし、米英仏蘭列強の植民地争奪戦に突入して敗戦となったものであった。

 ところがアメリカの対日参戦は、アジアをファシズム国の侵略から解放するためでも、社会主義ソ連とともに日独伊ファシズムとたたかって民主主義の世界を実現するためでもなかった。

アメリカは中国市場を奪う野望とともに、日本をたたきつぶし単独で占領するという明確な計画を持って臨んだものであった。

 そして天皇をはじめとする独占資本集団、政治家や官僚、大新聞など、戦争を指導してきた支配層は、人人には「鬼畜米英」「一億総玉砕」などとあおり立てながら、実際には「国体の変革」すなわち人民の革命を恐れ、米英に救いを求めていった。

自らすすんでアメリカによる日本支配を担うこと、日本の民族的な利益のすべてを売り飛ばすことによって、自分たちの支配の地位を守ってもらう道を進んだ。


現在むき出しにあらわれた日本社会の植民地的隷属状態は、日本の政財官界から新聞界などあらゆる支配勢力が、アメリカの利益のために自ら進んで日本の民族的利益を根こそぎ売り飛ばしてきたことによって進行した。

かつて旧満州を統治するのに六〇万余の軍隊を必要とした。

かつてマッカーサーは「天皇は一〇〇万の軍隊に匹敵する」といったが、
四万人ほどの米軍で日本を隷属支配しているのは、アメリカの意向をくんで自分から進んで働いて地位を得るという売国的な支配勢力の存在があるからである。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/anpokaiei50nensengo65nenwotyokusi.html

第二次世界大戦は、まぁ知っている人は知っているのですが、
海軍の上層部、山本五十六、米内光正、井上成美さんがコロッと洗脳されてしまって、日本敗戦への先導役を務めたというのは、まぁ知ってる人は知ってることなのですた。
ぇええ?
山本五十六ってあの真珠湾攻撃の時の日本連合艦隊、山本司令長官?
日本連合艦隊司令長官が奴らの手先?

何を言っているのだ、このバカキチガイ狸はと思う人も多いとは思うのですが、山本さんは最初からシナリオ通りに動いていただけのですた。

3百万以上と言われるにも多くの日本国民が戦死した太平洋戦争。
多くの日本人が無念のうちに死んでいった先の大戦は奴らが最初からシナリオを作り、そのシナリオ通りに動いた日本人たちによって引き起こされた。
信じたくなくても事実なのだからしょうがありません。

必ず戦争にはシナリオがある。

お互いにシナリオを決めて、さてこの線で始めますかなどとやっているのです。
ハーバード大学でワンワールド思想の素晴らしさに陶酔してしまった山本さんは自国民を大量殺りくするということも何とも思わないほど洗脳されてしまったのです。
新しい世界を作りたい。すばらしい世界を作りたい。
それが日本のためでもあり、世界のためなんだ。

そういう自分たちが正義と思った瞬間こそ、人間が一番残酷になれる時なのですた。
本人は正義のつもりだったのです。大真面目だったのですた。
ご多分にもれず、山本五十六さんたちは、日本を敗戦に導くようにわざと戦略上の失敗を繰り返します。

ミッドウェー海戦大敗北に至るまでの、数々のわざとらしい失策、別に戦史に詳しくなくても一般の人でも不自然に思うことでしょう。
あの戦争は、結局のところわざと負けたのですた。

http://goldentamatama.blog84.fc2.com/blog-entry-275.html


日本帝国海軍の中枢は欧米派であった。このため、日本海軍はあらゆる太平洋上の戦闘で不可思議な動きをする。それは、敵に手ごころを加え、まるで、負けることを目的としたかの如き戦いぶりであった。また、日本陸軍についても同様のことが言えた。大本営参謀本部の高級参謀たちはつねに無謀極まる作戦計画を立てては日本軍に多大な損害を与え、多くの将兵を失う結果を招来した。

国家としてあろうことか、日本はこのような売国的戦争指導者たちによって太平洋戦争を戦わなければならなかったのである。欧州では昭和14年第二次世界大戦が勃発していたが、欧州で苦戦を続ける英仏を救済しアメリカを参戦させることはフランクリン・D・ルーズベルトの基本戦略であった。ルーズベルトはチャーチルと共謀し、日本を追い込み、先に攻撃を仕掛けさせてアメリカの世論を激高させ、対独伊戦、対日戦を正統化しようと目論んだ。

山本五十六はルーズベルトとチャーチルに協力してハワイ真珠湾攻撃の構想をねった。真珠湾に集結していた戦艦はいずれも1910年〜1920年代に就役した旧式艦で攻撃しやすいように並べて停泊してあった。また真珠湾は海底が浅く、海底に沈座しても引き上げが容易で短期間で修理可能であった。真珠湾攻撃は一種の茶番劇であった。

宣戦布告の通知の遅れたのも仕組まれたものであった。大使館員全員無神経怠慢な動きをとっていることは、無能な集団でない限り確信犯である。戦後、その責任については吉田茂にうやむやにされてしまったが、当時の大使館員達は「功労者」としてその後栄進している。

また、真珠湾の陸上軍事施設対する攻撃不徹底も、アメリカ空母が真珠湾にいなかった日を真珠湾攻撃の日としたことも山本長官の策謀である。ミッドウェーで山本長官がなぜ空母のみを突入させ、自らは戦艦とともに安全圏にいたかは謎であったが、山本長官はルーズベルトやチャーチルとの約束により、ミッドウェーで日本の空母を壊滅させ次のガダルカナル、ソロモン海戦で日本軍敗北の総仕上げを行い、自らはブーゲンビル上空で戦死の狂言を実行する。
http://watch-fr-br.iza.ne.jp/blog/entry/926847/


アメリカの完全なる属国に 戦後の日本社会

 A 第二次大戦後の日本社会の基本構図をみなが実感している。
日本は帝国主義国であるがアメリカの完全なる属国だ。高度に資本主義が発達した植民地。

先進資本主義国が植民地になっているのは歴史上も例がない。

日本の独占資本やその代理人たる政治家であれ、官僚であれ、
日本の支配機構を使って植民地支配してきた。この支配階級の売国性がすごい。

アメリカに身も心も売り飛ばして、日本の民族的利益を根こそぎ売り飛ばした。
ブッシュは「日本支配がイラク占領のモデルだ」と公然と主張したが、そういうことだ。

 日中戦争で満州を支配するのに、関東軍は60万人配置されていた。
ピーク時には100万人だった。外国を占領しようと思ったらそれほどの人員を要した。

日本国内に駐留している米軍は4万〜5万人。それなのにどうして支配できるのかというと、日本の支配機構を使っているからだ。

大新聞も戦争を煽り上げた反省もなく、戦後は廃刊にもならず、
そのまま何もなかったかのように発行しはじめた。同じ敗戦国のドイツは新聞はみな廃刊になった。
日本は廃刊になったところは一社もなく、そのまま機能しはじめた。

天皇制もしかり。財閥もそう。


D ドイツの場合は独立性を持っている。日本はまるきり隷属。この違いは何か。

ドイツは連合支配だった。日本は単独占領だ。そのための原爆投下だった。

ドイツはアメリカもいるがソ連もいるし、フランスやイギリスなど欧州の国国もいるなかで共同管理になった。一国がなにもかも隷属させることはできなかった。

日本はアメリカの思う通りに戦後の大改革がやられた。
単独占領は原爆によってもたらされたものだ。


 A 戦後64年たった日本の現状を、死んだ320万人の霊は何と思うかと、年寄りは語っている。

「何たる様か」「顔向けできない」と。戦時中の日本人の苦難を思うと、
まさに人間が虫けら同然だったわけだが、今も虫けらだ。

誰が虫けらとして扱っているかというと、アメリカであるし日本の支配階級だ。

あれほど全国空襲で焼き払って、戦地で餓死させた連中が、引き続き労働者はまともな生活ができないモノ扱い。
年寄りが長生きしたら国賊扱いをする。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/hinnkonntodokusaitosensounometubousurukunini.html
 


5. 中川隆[5724] koaQ7Jey 2016年12月27日 18:00:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6165]

東京を囲むように米軍基地がある。
横須賀に海軍もある。
東京に敵は攻めて来るか?
なら、東京周辺は、何のために?

天皇家を守るために、又ク-デタ-を心配して駐屯しているのだそうだ。


太平洋戦争中から戦況を逐一把握しており

欧州でのフランス革命やロシャ革命での国王がどのように追放され処刑されたか

太平洋戦争後の日本で共産主義・社会主義政権が成立すれば天皇の地位はどうなるか
あらゆる情報を掴み的確に情勢判断が出来る立場にあった昭和天皇

国体護持に拘り条件付き降伏で敗戦の時機を失した責任は重大であると思う

昭和天皇は太平洋戦争敗戦にいたる責任追及が当然天皇に及ぶことを危惧し戦後の日本社会で共産主義社会主義政権樹立を阻止する為に沖縄を提供することを含め進駐軍のマッカーサー元帥を再三訪問して米軍の日本駐留を熱望していたのである


ホイットニー文書【以下がヒロヒトの発言記録(1946・4〜6)】

@ 天皇は「日本人の心にはいまだに封建制の残澤がたくさん残っている。それも根こそぎにするには長い時間がかかるから占領は短かすぎない方がいい」といった。

A「神道を奉じる分子とその同調書は反米的だから警戒を要する」といった、というものである。


ヒロヒトの発言は決して日本国の象徴たるものにふさわしいといえない。まさに偽帝の言というべきである。
http://zenkyoto68.tripod.com/CourtneyWhitney1.htm
http://nueq.exblog.jp/20875307/


6. 2016年12月27日 19:20:43 : 2LiKY8ftgY : PTfAaIrqs6s[735]
大義より 死の商人の ボロ儲け

7. 2016年12月28日 00:17:54 : TMel2aB2D2 : P5yNR3ROGrg[1]
>日中戦争で勝てそうもなくなったから、共産革命が起きる前に米軍に占領して貰ったんだよ

違うと思うな
天皇というかその背後の支配層は、20世紀がアメリカの世紀であることを熟知していた。
北朝鮮のような軍国体制では、まともなビジネスもできやしない。
米英と同じ思想、価値観を持つ国に作り替える必要があった。
創造のための破壊を選択した。
大正デモクラシーが順調に育っていればその必要は無かったかもしれない。
当たり前のことだが、日本の支配層は海外にネットワークを持っている。
共産主義の正体も、当時から知っていたはずで、共産革命も意図的に起こさなければ起きないことも知っていた。


8. 茨城T[24] iO@P6VQ 2016年12月28日 19:28:59 : cvL2P7K3lk : WAupRKeOgIs[1]
>1.
 そもそも日本は何のためにアメリカと戦争したのだろう?
 その時の「昭和天皇のお気持ち」が理由だったのではないか。

〇そのとおり
 当時の事情を調べれば調べるほど、これ以外に、日米開戦の動機は考えられない。
 山本五十六とか反対者は何人もいたが、天皇のお気持ちには勝てなかったということであろう。
 東条英機も、すべて天皇の命令でやったこと、と言明している。
 この「天皇のお気持ち」に触れないと、昭和の歴史は、この記事のように霧の中になってしまう。


9. 2016年12月28日 23:27:24 : rpsX42gwzE : 5KokyL2Mhh4[1]

A級戦犯を見ればよくわかる

A級戦犯は陸軍関係者のみ

海軍関係者はいない

志位共産党委員長の家系は代々陸軍参謀本部付けの家柄だ

中国共産党の中核を形成するパーロ軍の軍服は、日本が敗戦する前から関東軍よりの支給物

陸軍が内通してたんだよ

コミンテルンに内通していた

コミンテルンは、ドイツとの戦争が避けられない以上、日本との両面作戦を避ける必要があった

また、ドイツを弱めるためには、アメリカとドイツを開戦させねばならなかった

つまり、コミンテルンの走狗となった陸軍は、日本を米英との戦争に引っ張り込むことで、コミンテルンを守ろうとした

アメリカ側で日米開戦に動いた勢力は、やはりホワイトハウスに送り込まれていたコミンテルンのスパイだったことが、今では明らかになっている

全ては共産主義者の陰謀だ


10. 中川隆[5757] koaQ7Jey 2016年12月29日 20:24:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6198]
>>9
違うよ

ルーズベルトが反金融資本、反ファシズム、で共産主義のシンパだっただけだよ

昭和天皇は金融資本の手先だからね


11. 2016年12月30日 01:04:46 : M6P7nhoK5E : Np5dffau2SU[387]
日本はアジアだけ攻めていたのなら、欧米からの解放という大義名分も成り立ったのにねえ
わざわざハワイを攻め、宣戦布告をワザと遅らせて悪者になり、肝心な戦いではワザと負け、資源もなく戦略上意味もない絶海の孤島で貴重な兵力をワザと損耗させ、最後は原爆まで落とさせた

で、「ユダメリカ様に国を丸ごと献上して一丁上がり」 by上級国民

こんな感じかな?


12. 2016年12月30日 06:10:21 : ZONVaw60jw : sw2NlRXxnX4[48]
関係ない。
誰が利益したかを見れば全ての煙幕が消え実相が見えるだろう。
巷間まことしやかに語られる煙幕を元にするから謎が深まる。
政治的な諸事項はすべて原因ではなく結果だ。

戦争の理由は国民資産の略奪だ。外国を使って国民を殺し、その資産を奪い、労働力をタダで利用する。巨大なユダヤ人労働収容所が存在したと思えばいい。そこで日本人はまさに収容所のユダヤ人でありそこで起きたことはホロコーストだった。

もちろんアメリカと結託して共同事業として実行されたものだ。防空法は37年に成立、対米戦争前の41年には修正されている。つまり戦争前に空襲を想定して国民が空襲から逃げないように縛り付ける法律が作られていた。勝手に避難したら、食料を配給しないと脅し、呼び戻すことまでしている。あとはアメリカがB29で殺してくれる。国民に限界まで国債を売り付け、少国民債といって子供からまで毟ったのは戦争の原因ではない。戦争の目的だ。

戦争に勝つ事が目的ではなく、戦争に付随するあらゆる利権を使って国民から全てを奪って最終的に殺処分することが目的だったと考えて、はじめて様々な謎の説明がつく。その最大の謎、死ねば負けなのに、なぜ死ぬことを推奨したか、賞賛したか。これに取ってつけたまわりくどい説明をつけているが、国民を殺すことが目的だったとすれば説明するまでもあるまいが。

謝罪は国民に対してしろ。共犯者同士で慰霊と和解ごっこなど白々しい。


13. 2016年12月30日 06:39:21 : fpt8itpB5Q : zW@YYVl31Kw[1122]
材料は次の3点
 ・天皇は朝鮮人だ
 ・天皇は武器商人だ
 ・1930年代、物理学者が核兵器が可能だと言い出した

以上から次のことが展開される
 ・核開発の資金集めのためにアジア各地で金品を略奪
 ・原爆の殺傷力は、日米が協力して戦争状態を作り都市で起爆して調査
 ・朝鮮人の天皇は、日本人や中国人を殺す

また、日米は本来の戦争はしていないのだから、一部中川さんも言われるように
 ・GHQは占領軍ではなく、東京裁判は天皇が責任転嫁するための寸劇だ
 ・在日米軍が東京の制空権を握っているのは皇居を国民から守るためだ
 ・ジャパン・ハンドラーや日米合同委員会を操っているのは天皇一味だ


14. 2017年1月04日 21:36:46 : tVa37j1VfM : e2Yx1Zh5SwQ[13]
後の歴史を知っている我々は、日本は絶対に勝てるはずのない対米戦争に突入したとしている。本当にそうだろうか?

日本が真珠湾を攻撃したまさにそのときモスクワのすぐ郊外までドイツ軍は迫りソ連の崩壊は時間の問題とも思われていた。そうなればヨーロッパはもうドイツの支配下に入る。イギリス一国ではもうどうしようもない。アメリカは遠すぎる。

日本もその後、マレーシア、シンガポール、インドネシア、フィリピンを占領し東南アジア地区における西欧の植民地国家はすべて崩壊させた。世界は3分割されることになった。2対1に持ち込める。ミッドウェー海戦など必要ではなかった。

日本は原爆を落とされて降伏するが、これも偶然に過ぎない。その後の兵器の方向を決定ずけたジェット機、ミサイル技術を先に実用化したのはドイツだった。

日米の工業生産力の差が5倍以上あったのは確かだが常識だけにとらわれていてはいけないとは思う。初めから負けると決まっているは思ってはいなかったのではないか。(馬鹿だとは思うが)


15. 2021年4月16日 02:08:50 : VTH59AY6XQ : WWk1VDA0bXVWVGM=[1413] 報告
ではここで正解を書いてしまいましょう

   都市での原爆実験を正当化するには戦争状態でなければならないから

なんの争いもないところで、多くの人間が生活しているところで
原爆を炸裂させられるわけないでしょう


まず真珠湾攻撃は、アメリカに指定されたボロ船や、軍の食堂などを空爆していた
完全に八百長戦争だった
戦後の元兵隊さんの証言を聞いても判る
スパイだったベラスコの話からも分かる
吉田茂や天皇の母親や、その他大勢の日本の上層部が米国のスパイだったという話
日本は随所で自滅する作戦がとられているという話
事故と見せかけた自爆や軍内部の殺人
敵が前にいるのに後ろから撃たれる
・・・
とにかく調べてみよ
八百長戦争の証拠がどんどん出てくる

そして欧州の物理学者たちが「核兵器が作れそうだ」と言い出してまもなくWW2が始まったこと
世界の富の半分を所有する資産家が、その話を聞いて何を考えるか

  ・その兵器は自分だけが所有しなければならないと考える
  ・その兵器の殺傷力を確認しないと無暗に使えない

天皇への指示は、バチカン→上智大学→皇居 と与えられたようだ

日本を原爆実験場として差し出す見返りは、欧州から東南アジアに逃避してくる大量の金塊だ

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