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アレッポ陥落、オバマは何を間違えたのか?
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2016/12/post-882.php
2016年12月20日(火)14時00分 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代冷泉彰彦 ニューズウィーク
<アレッポ陥落に際して対シリア外交の失敗を認めたオバマ。アサド政権に対するもっと強力な外交攻勢が必要だったが、それが可能だったかどうか現時点で評価するのは困難>(写真:反政府勢力が支配する別の地域を目指して東アレッポから避難する家族)
シリアのアレッポ東部では、アサド政権に抵抗する反政府勢力に対して、政府軍やロシアによる空爆が続いていましたが、今月14日前後にほぼ組織的な抵抗は終了し、事実上陥落したアレッポは政府軍のコントロール下に置かれました。
その時点で、問題は東アレッポの住民を「安全に脱出させる」ことに移っています。つまり、政府軍やその同盟軍であるシーア派武装組織、ヒズボラなどの暴力から保護して、シリア北部もしくはトルコ領内へ移動させる作戦です。
この「脱出作戦」に関しては、アサド政権は「テロリストを逃がすことは許容できない」と反対していました。確かにアサド政権に抵抗した人間は、アサド政権から見れば「テロリスト」なのでしょうが、さすがに安保理ではロシアも「脱出作戦」には反対しませんでした。最終的に18日には、戦火の止んだアレッポに、大量のバスが派遣され、各国の報道陣に公開されています。
どうしてロシアは国連安保理の「脱出作戦決議」に対して拒否権を発動しなかったのでしょうか? それはこの事態、つまりアレッポが「陥落」して、負けた反政府勢力とその支配下の住民が「追放される」状況それ自体が「オバマの政治的敗北」だからです。住民を移送するためにバスが行列している「絵」それ自体が、アメリカの「負け」を描き出しているからです。
【参考記事】世界が放置したアサドの無差別殺戮、拷問、レイプ
オバマ大統領は、19日の記者会見で「(自分のシリア政策は)成功したとは言い難い」と述べ、ハッキリと失敗を認めていました。オバマとしては、アレッポ陥落の事実だけでなく、この事態に至るまでの人道危機を止められなかったこと、さらに「ロシアやアサド政権を支持し、シリア政策でオバマ=ヒラリー路線を批判」したドナルド・トランプが当選したことで、二重三重の政治的敗北となりました。
では、オバマは何を間違ったのでしょうか?
3つの要素に分けて考えたいと思います。
1つ目は、一連の「アラブの春」に関する姿勢です。オバマは、チュニジア、リビア、エジプトでの革命を支持し、リビアではカダフィ政権を打倒するために軍事的な介入も行いました。
その一方で、リビアではカダフィ殺害後の政治的混乱を「最悪の状態」になるまで放置していますし、エジプトでも「穏健派の大統領候補の擁立失敗」から「同胞団による政権樹立」そして「軍クーデターによるシシ政権登場」、さらに「シシ政権の中ロ接近」へと至る迷走を見せたわけですが、こちらも放置しています。また湾岸産油国のバーレーンにおける穏健な反政府行動に関しては見殺しにしました。
そうではあっても、シリアのアサド政権に関しては、反政府デモによる政府軍の殺戮があったわけで、ここで毅然とした姿勢を示すことができれば、2009年にカイロで行った自分の「イスラムとの和解演説」に端を発した中東外交について「全面的に失敗だった」などという評価は回避できたはずです。
【参考記事】国連が警鐘「アレッポで多数の住民が殺害されている」
2つ目は、アサド政権の「化学兵器使用疑惑」です。明らかに使用されたという疑惑があるにも関わらず、最終的にはロシアの仲介による「化学兵器廃棄」という措置で「政治的に無罪放免」に近い形にしてしまったというのは、やはり大きな失策でした。
3つ目は、時間感覚の欠落です。シリアの反政府運動は、その初期においては分厚い中産階級が参加し、欧州の後押しも得て「平和的革命」になる可能性もあったと考えられます。ですが行動を躊躇するうちに、「反政府勢力にはアル・カイダ系が混じっている」という理由から武器供与ができなくなってきたのです。そこでさらに躊躇しているうちに、反政府勢力の一部がISISに走るという事態になりました。
そして気付いてみると、中産階級の多くはトルコ経由で欧州へ脱出し、反政府勢力が善玉なのか悪玉か分からなくなる中で、政府軍とロシア軍に蹂躙されるに至ったわけです。
ではオバマはどうすれば良かったのでしょうか?
シリア内戦に関しては、ごく初期の反政府デモだった時期、そこでアサド政権が政府軍を使って自国民虐殺を開始した2011年の時点、そこが第1のターニングポイントだったと見られます。軍事介入や、大規模な武器供与をする必要はなかったかもしれませんが、とにかく強力な外交攻勢をかけるべきでした。
第2のターニングポイントは2013年に化学兵器(具体的にはサリン)使用疑惑が持ち上がった時点です。そこがラストチャンスであり、また大量破壊兵器使用の抑止という国際社会の要請を代表する形で、もっと強力な外交を展開すべきでした。
この時点で、非常に強い外交攻勢をかけることができれば、現在のような「政治的敗北」には至らなかったと考えられます。ですが、2011年にしても、13年にしても、アフガン・イラク戦争の失敗という負の記憶が新しい中で、アメリカの世論や議会には「アメリカが戦争に巻き込まれるような判断には反対」という強いムードがありました。
そのような中で、力を誇示しつつも、あくまでも外交というフィールドで強い影響力を行使する、そんなことは可能だったのか、その評価は現時点では困難です。いずれにしても、今回の「アレッポ陥落」はシリア内戦の大きな転換点で、またオバマ時代の終焉を象徴する事件となりました。
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