●同じ種である人類同士が、殺し合いをするのは動物にも劣る愚かな行為であり、また、悲劇以外の何ものでもない。だから、ISの指導者は罪深い。また、同じイスラム教徒同士が、殺し合いするのも、動物にも劣る愚かな行為であり、また、悲劇以外の何ものでもない。だから、クルド人の指導者も罪深い。 イスラム教では、アダムはイスラム教徒なので、アダムの子孫である全人類も、潜在的なイスラム教徒と考えるので、困った時にモスクに行けば異教徒でも助ける。イスラム教は同じ一神教でも、キリスト教やユダヤ教とは全く異なる。 日本を代表するイスラム哲学者で、カイロ大学の客員教授やイラン王立哲学アカデミーの教授を務めた黒田寿郎氏によると、イスラム教の核心である「タウヒード」は、仏教と同じぐらい精緻な<関係主義>の哲学を説いていると言い、そのレベルは、ヨーロッパの現代哲学と同じだと言う。 ★この<関係主義>の世界観こそが、日本も含めた東洋の伝統的文化の特徴であり、核心的な世界観である。 ●東洋の伝統的な文化である仏教や儒教、道教、日本の縄文神道、そしてイスラム教には、<関係主義>という共通の世界観がある。 この世界観では、人間には生まれながらの性質や本質は無いということ、つまり、性善説や性悪説は誤りということで、儒教の「衣食足りて礼節を知る」という人間観のように、人間は環境の産物という人間観である。 つまり、誰でも青少年期には、「自分は生まれながらのバカではないか」とか、「生まれながらの小心者ではないか」などと悩むものだが、これは間違いということ、人間は努力次第で変わることが出来るという人間観でもある。 ●一方で、キリスト教のように、全知全能の人格神が人間を創造したと考えると、個々の人間の運命は神が決めたもので、既に全知全能の神は知っている、決まっているということになり・・・ 「神が善人として創造した人は善を為し、死後は天国へ行く」、一方、「神が悪人として創造した人間は悪を為して地獄に堕ちる」と生まれる前から運命や性質は決まっているから、努力しても本質は変えられない、無駄ということになる。 なぜなら、神は全知全能だから、個々の人間の未来も知っているハズで、しかも、神が善人として創造した人が悪を為したら、神は全能ではないと言うことになってしまうから、全知全能の人格神が人間を創造したと考えると、悪を為す人は生まれながらの悪人で、矯正しようがないということになる。 だから、キリスト教の神は「汝の敵を愛せ」とも言うのだが、一方では「悪を為したビンラディンのような奴は殺して良い、むしろ殺すのが神の意思」ということになり、裁判もしないで、寝間着姿の無抵抗な老人に過ぎないビンラディンを、簡単に殺してしまい、キリスト教世界では称賛すれど、誰も老人殺しを咎めない。 ●人間には、生まれながらの愚者や賢者などいないということであり、血統主義を否定する人間観こそが、実は東洋の伝統文化・伝統思想である。 しかし、常識では西洋よりも東洋の方が、日本の「天皇主義」思想のように、血統主義的な人間観の方が根強いように思える。 確かに、輪廻思想のように、生まれる前から運命は決まっているという常識的な人間観が、東洋には根強く残っている。しかし、そうした常識的な人間観を否定するために仏教や儒教、道教、そしてイスラム教が誕生したのである。 釈迦や孔子の人間観が、当時の常識と同じであるなら、そもそも唱える必要がないし、宗教としても成り立たない。彼らの人間観は、当時の常識=良識=共通認識的な人間観と異なったからこそ、彼らは布教を行った。 (釈迦が唱えた原始仏教は輪廻思想を否定していたが、後に、弟子たちが布教を優先して、民衆の常識的人間観に妥協して、仏教に取り入れてしまった) ●そして、何とこの<関係主義>的な世界観で、資本主義を分析したのがマルクスなのである。 だから、マルクスは唯物論の立場でありながら、人間や社会、国家、資本、あるいは価格として現象する商品の<価値>などは全て、<関係態>=<半ば幻想>であると主張した。 それどころか、マルクス思想の神髄は「国家死滅論」=「権力の廃止」思想であり、マルクスは左派の権力であれ、強制を行う権力というものは、そもそも危険なものという権力観こそが核心的思想であったのだが、実は儒教も実質的には同じ権力観を唱えていたのである。 ●というのは、儒教では、古代中国の皇帝「堯」(ぎょう:実在したかどうかは?)の統治時代を再現すべき<理想社会>としていた。この時代の中国社会は、数十年もの間、平穏無事に治まっていたという。しかし、ある日、堯は「本当に天下は平和なのか」、「自分が皇帝で民衆は満足しているか」と不安になり、自分の目で確かめよう街に出てみたというのだ。 堯が変装して街に出てみると、子供たちが堯を賛美する歌を歌っているのを見たのだが、疑り深い堯は「子供たちは大人に歌わされているのではないか」と思って、次に、年老いた農民が・・・ 日の出と共に働きに出て、 日の入と共に休みに帰る。 水を飲みたければ井戸を掘って飲み、 飯を食いたければ田畑を耕して食う。 帝の力がどうして私に関わりがあるというのだろうか。 ・・・と歌っているのを聴いて、やっと堯は世の中が平和に治まっていることを悟って安心したという。 つまり、堯の治世下の中国では、民衆は皇帝が存在することすら忘れつつあるということであり、これは数十年もの間、皇帝(政府)が権力を行使しなくとも、社会は自律的に秩序を維持し、民衆は平和に暮らせてきたということを意味している。 その結果、とうとう最高権力者の皇帝「堯」自身が本当に居るかどうかさえも、民衆はわからなくなってしまった。皇帝「堯」自身が、民衆から忘れさられつつあるということである。 ●この話は、儒教で聖人と崇められていた堯は、自分自身が民衆から忘れられそうになっているのに安心したという話なので、一見すると奇妙な話なのだが、実はこのように、非常に重要な儒教の唱える「理想社会の構想」を明らかにした話である。 この話は、たとえ良いと思えることであれ、自律的であるべき人間には、<強制>ということ自体が望ましいものではないという普遍的な真理を示す話だからである。 これは、<強制>ということ自体が理想ではないということだけでなく、そもそも本当に良いことなのかどうかは、実行してみるまでは不明だからである。また、あらゆることは、たとえ、実行して一時的に良くても、長期的には惨禍をもたらすかもしれないからでもある。 ★だから、たとえ実践で良いと判明したことも、疑い続けなければならないのである。 ★人間はサルの親戚に過ぎないのだから、自分自身の確信も疑わなければ、騙されてしまうのである。 ●この話は、聖人である堯は<自分のような皇帝=権力など、本当は無い方が良い>と考えていたということであり、また、そのような堯を聖人と崇める儒教も、本当は世の中には<権力>など無い方が良いと考える宗教ということである。 つまり、今まで儒教は封建的なイデオロギーとされてきたが、実は、儒教の理想社会とマルクス派社会主義の理想社会と非常に良く似ているのである。 儒教の理想社会である「大同社会」とは、皇帝も民衆と同レベルの生活をする平等な社会のことであり、また、儒教もマルクスと同じように「権力の消滅」、つまり「国家の死滅」を理想としていたということだからである。 ●<権力>というものは、たとえマルクス派の権力=労働者の権力であれ、権力=強制力=暴力で秩序を維持しているので、理想的な社会ではない。つまり、<権力>が存在するということは、社会の秩序を維持するには、強制力=暴力が必要な状態、つまり、社会が分裂し、対立があるということで、社会が真の「共同体」になっていないということを意味するからである。 それで、<権力>というものは、人々が無くそうとすれば無くせるというような単純なものではないが、社会が真の「共同体」になり、政治的対立が無くなれば、この対立が激化して共同体自体が破壊されるのを防ぐために対立を調整する仕事もなくなるので、政府の権力的機構==警察や軍、裁判所などは自然に廃止なる。 皇帝が存在していても、存在していないような社会=「大同」社会=の実現を理想とした、つまり、一切の権力が無くなった状態を理想としたので、数千年も前に、中国では既に、ここまで考えられていたことに驚くかもしれないが、実はそうではない。 ●太古には、権力が無い社会の方が、普通の社会だった可能性が高いのである。というのは、南米のアマゾンとかに残っている「未開社会」でも、特定の権力者が存在しない社会があるからで、また、つい最近まで、国家ではない社会=氏族社会(宗族社会)や部族社会=共同体が、地球上には多数存在したからである。 ★つまり、人類史では、戦争を引き起こす国家という存在は異常な存在であり、消滅した方が良いのである。 (最近の日本サルの研究では、ボスザルは存在しないことが判明したそうである。ボスザルと見なされたサルは、人間社会をサル社会に外挿した幻影=人間の先入観が創り出した幻影だった) たとえば、ロシアのチェチェン民族は、ロシアに征服されるまで国家を形成せず、共通の問題が起きた時だけ、各地のチェチェン民族の部族代表が集まり、話し合いで対応を決めていたので、恒常的に存在する権力機関が無いので、国家を形成していなかった。 その各地の部族社会には、一応リーダーがいたが、基本的には同じ血縁集団なので、集団を統率する<掟>はあっても、その<掟>で裁かれる「犯罪者」も同じ血縁なので、現在の<法>のように、公平一律に、杓子定規に適用される建前のものではなかった。 ●更に驚くのは、チェチェン民族は太古から、非常に誇り高い戦闘的な民族なので、部族長と部族民との関係も対等だったというのである。つまり、部族長は権力ではなく、権威=道義を説くことで間接的に集団を「治める」存在だった。 このように、国家が形成される前の人類社会は、チェチェン民族の社会と同じだったと思われる。戦時には、狩猟=戦闘が上手い人がリーダーに選ばれ、指揮を執るが、戦争が終われば、一般の部族民に戻る。 この戦時のリーダーやシャーマンのような宗教者が族長からリーダーシップを奪い、宮中で血税を使い、得体の知れない不気味な儀式を、年がら年中行っている天皇のような「王」が誕生したと思われる。 (日本には、アマテラス教=天皇教の信者が大勢いるから、儀式をしても良いのだが、天皇は世界有数の大富豪でもあるのだから、自腹でするべきであり、年間約260億円もの血税を使うべきではない) 堯 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%AF 宮中祭祀 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E4%B8%AD%E7%A5%AD%E7%A5%80
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