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熊本県南阿蘇村で、輸送支援を終え離陸する米海兵隊の新型輸送機オスプレイ(2016年4月18日撮影)〔AFPBB News〕
危うし尖閣諸島、南西防衛努力は焦眉の急 自衛隊に対する国民の一致団結した支持が不可欠
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/48254
2016.11.1 横地 光明 JBpress
我が国の安全保障の当面の緊急課題が、北朝鮮の核ミサイルの脅威に対する対応措置をいかに構築するかと、中国が日に日に圧力を加えている南西諸島(とりわけ尖閣)への武力行使に対し、これを抑止し侵害されれば速やかに奪還できる有効な防衛態勢をいかに整備することにあることは言うまでもない。
北朝鮮の核ミサイルの脅威に対してはイージス艦への早期の「SM-3ブロックUA」や「THAAD」、高性能改良「PAC-3」の導入が必要だが防衛的な拒否的抑止だけでは不十分である。
やむを得ない事態には発射基地を叩く手段(例えば長距離の弾道・巡航ミサイルや有人無人爆撃機など)を保有し懲罰的抑止力能力を整備する*1ことが欠かせない。また特殊部隊その他による日本海沿岸に多数存在する原発基地の防護や化学兵器テロ対策も疎かにできない。
南西諸島防衛のためには米軍のように水陸両用作戦を専門とする海兵隊1〜2個師団を持ち大規模な海上・航空機動を可能とする艦艇や航空機、敵前上陸のための舟艇・水陸両用車、これを火力支援する艦隊、専門航空団、さらに固有の兵站部隊を整備することが望ましい。
また沖縄に配備されている貧弱な名前だけの陸自の第15旅団の防御力を格段に強化するため勢力の拡大・高性能対空ミサイル、さらに長射程の対艦ミサイルの早期展開が必要であり、また本州などからの緊急増援部隊のみならず弾薬燃料などの兵站物資輸送手段として固有の海上経空輸送手段を保有することが欠かせない。
加えて陸海空自衛隊はその能力向上のため、2次的隊務は極力割愛しそのために専念すべきだろう。
この観点からある防衛大臣がかつて「海洋国家で海兵隊を持っていないのは日本だけだ、周辺諸国を見よ」とその必要性に言及した。確かに中国・韓国をはじめ台湾はもちろん、タイやインドネシア、フィリピン、ベトナムに至るまで海兵隊や海軍歩兵(陸戦隊)を保有している(表1参照)。
表1 周辺諸国の海兵隊等の保有状況(防衛白書などから筆者作成)
また某幕僚長は、南西方面島嶼防衛のためには陸自の定員2万5000を海自に移し海兵部隊を整備することが欠かせないと主張した。
以上は防衛当局も十分に認識している。しかしながらこれが容易にできない事情が存在し、関係者はこれをいかにして達成するかに心を砕いているのである。
以下、南西防衛に関しその実態を顧みてみよう。
■南西方面防衛施策のジレンマ
我が国においては自衛隊や内局を含む防衛当局が、防衛所の緊急所要をいかに要求しても政治・社会はこれを容易には許容しないのである。
「戦争は他の手段を以ってする政治の延長」(クラウゼヴィッツ)であるし、民主主義国家においてはシビル・コントロール(Civil Control)の原則上、軍事は政治に従わなくてはならないが、その政治は国民の大方の意志に支配される。
その我が国民はなおも米国の占領政策によって度を越した反戦平和意識が牢固として刷り込まれたままで、また与えられた憲法が戦力保持を禁じ・武力行使を封止し・交戦権を否認したため、国民の安全保障意識は今なお現実無視の幻想の世界にある。
このため、専守防衛、廃止されたが基盤的衛力構想、防衛費1%枠、周辺諸国に脅威を与えない防衛力などの軍事的合理性に悖る防衛政策を強いられてきた。
*1=政府はかねて「座して自滅を待つことが憲法の趣旨とするところではなく、やむを得ない際にはそのミサイル等の基地を攻撃することも自衛の範囲である」とたびたび国会で明らかにしている(衆・内閣委S351.2.29および34.3.19)。
加えて最近の国際情勢と我が国の国際的立場上国際平和活動や周辺軍事情勢の緊張化から政府は自衛隊の任務役割を拡大させながらも、その勢力や予算上の配慮が少なく自衛隊の能力と任務は著しくバランスを失している。
陸自の勢力に限って考察しても、日本の防衛には米国が10個師団32.5万が必要だとしその早期整備を要求し、当時の保安庁の制度委員会(委員長次長・委員各幕僚長)でも略同数の整備所要を答申した。
しかし軽武装方針の吉田茂首相は池田・ロバートソン会談で10個師団18万を軍事的に意義づけられることのないまま総枠として固めそれを不動の整備目標にしてしまった。
しかも陸自はその後、米陸上戦闘師団の完全撤退の穴を埋めるため、その勢力のままで13個師団へと単位を増加し、さらに沖縄の本土復帰に伴い15個作戦隊部隊(現在では9個師団6個旅団)態勢に転移したため、編制は全くひ弱いスケルトン(Skelton:骨格)状態に陥り、削減の余地は豪もない。
さらに大蔵省(当時)は法律定員に勝手に充足率を課した予算定員(実員約15万)で縛り、今やその勢力は年々増加する警察の半分ほどに陥り世界に例を見ない有様を呈している。
しかも、これは北方からの脅威に備えるものが主体であったが、今や北の脅威は緩和されたが、それにもまして南西方面が急を告げ、朝鮮半島からの脅威が新段階に入り余談を許さないものがありその所要増加は明らかだ。
したがって、仮に2.5万を海自に海兵隊用に回せば、防衛所要と地政学上の作戦運用・防衛行政上の要求特性にかろうじて対応している陸自の態勢は崩壊し、防衛警備だけでなく、与えられる国際平和任務の遂行や治安出動ならびに災害派遣や国民保護における国民の期待に全くそぐわないものに陥る。
このため政府が、驚天動地的自衛官増員を図らなければ本格的海兵隊の創設は不可能である。
小規模の海兵隊の保有は人事・教育・装備・兵站・管理のため独自の組織を必要とし極めて不経済になる。
旧軍では陸軍が広島第5師団と善通寺第11師団に上陸作戦の任を与えて、当時の敵が薄弱であったとは言え中国・南方作戦の上陸作戦を成功裏に実施し、さらに船舶工兵部隊が舟艇による機動輸送を担当した実績がある。したがって陸自がその機能を持つことは不合理ではない。
■任務に対する陸自の悲壮な取り組み
北方の備えての在北海道師団・旅団は重装備のままだ。これは単にその侵攻の脅威の抑止対処ためではなく、力を信奉し北方4島の軍備強化を図っているロシアへの我が国の最小限の防衛意志表示である。
しかし、統合機動防衛力構築のためにその他の師団・旅団からは世界の軍事常識を覆し、島嶼作戦にも有効な戦力の骨幹である戦車(戦場の王者)、野砲(戦場の女神)をあえて全く外す処置を取らんとしている。
これは部隊の軽量化のためのみならず、限られた勢力で南西方面の防衛力強化のための所要部隊整備のための勢力捻出と必要な新装備取得と基地の設定ならびにそれらに伴う兵站能力確保のための予算確保の必要に迫られるための苦肉の策である。
また我が国は世界最高の濃密高速の陸海空交通インフラを持っているのに自衛隊は緊急展開に不可欠な輸送力確保のためのその協力確保に苦しめられている。さらにサイバー戦など新しいドメーンへの対応を忘れてはならないものがある。
かかる状況の中で、第一義的任務でない災害派遣のための大規模演習や、なけなしの大量の弾薬を消耗しての無意味なこけおどしの「火力総合演習」にうつつを抜かしているのは、あたかも北朝鮮軍の馬鹿げた壮大な軍事パレードに似て全く何事かとの批判がある。
しかし我が国おいては目下日本列島全体で巨大震災の発生が確率高く予想される事態で、国民の生命財産を守るべき自衛隊が、無為に傍観することは許されないものがある。
また火力総演は一般国民の防衛思想涵養という日本独自の必要性と、学生への教育および全自衛隊への訓練水準提示の要もあるものである。論者はこのことを考慮することが必要でもあろう。
念のためだが、自衛官の統合マインドの不足を危惧する向きがあるが、確かに陸海軍の対立が前大戦敗北の大きな要因の1つであったし、日本人の縦割特質が今次の東京都豊洲市場問題を惹起したことに鑑みても統合マインドの涵養は極めて重要である。
このため各自衛隊は統合運用に重大な注意を払っており、これは単に統合幕僚監部を設置して運用の一元化実現だけではなく、高級上級指揮官幕僚を養成する各自幹部学校の統合教育を最も留意し、その教育過程の抜本的改善は往年の想像をはるかに超えるものがある。
これを要するに我が国の防衛態勢、なかんずく自衛隊の態勢、隊務運営は、許される範囲で知恵を絞り、汗水を流し、現下の我が国に対する脅威に對応せんと最大の努力が払われているが、問題は与えられる権限・資源が所要と甚だしく乖離し、国民と社会の協力が薄弱で時には阻害されていることなのだ。
国防は国家民族の興亡の懸る至高の課題で国民が一体となり国家の総力を挙げなければならない。
しかるに我が国社会ではある有名なノーベル賞作家が「防衛大生を同世代の恥辱」と侮辱したり、事実上国家の禄を食む国立大学や学術会議が技術水準こそが国防力の中核なるのに防衛技術研究協力を拒絶し自衛官の研修教育を拒んでいることに象徴される異常な状態にある。
すなわち我が国の常識は世界の非常識で、世界の常識は我が国では通らないのである。
肝心な政府も自衛隊と自衛官に軍と軍人の使命を与えながら行政機関・公務員の地位権限のまま放置している。さらに政府はこともあろうに(S28.10.4)、「自衛官が捕虜となる事態は想定されない。仮令捕虜になってもその扱いはジネーブ条約によらなくても普遍的人権基準や国際人道法の原則精神に従うべきだ」と安閑として加盟しているジュネーブ条約(捕虜の権利)適用を態々排除する見解を示した。
これは交戦権にからんでの憲法問題の惹起を避けたためだろうが、自衛隊は名称いかんにかかわらず捕虜規定の条件*2を満たしている。
しからばこの政府見解は国家の命に従い身命を懸けて任務に服さなければならない自衛官の命をことさら軽視しているとしか言いようがない。これは自衛官の士気に致命的影響を与えることを避け得ない。
したがって、我が国の防衛問題を論ずるにあったっては、この国防に対する国家社会の異常な全体システムこそ真っ先の問われるべきで、識者はこれを間違えてはならない。
*2=捕虜の待遇に関する1949年8月12日のジュネーブ条約(第3条約)第14条A(2)同法の当事国は164 日本は1949.8.12署名、1953.7.29国会承認、1953.10.21発効
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