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米好戦派は東アジアの軍事的な緊張を高めたいようだが、フィリピンやベトナムは中国と関係修復へ
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2016.10.23 23:46:44 櫻井ジャーナル
アメリカ海軍は駆逐艦のディケーターを西沙群島の近くを10月21日に航行させた。この群島は南シナ海にあり、中国とベトナムが領有権をめぐって対立しているのだが、アメリカとの「離別」を宣言したフィリピンに続いてベトナムも中国との関係を修復する動きがある中でのことだ。その翌日、は中国の艦隊がベトナムのカムラン湾を訪問している。ただ、10月2日にはアメリカ海軍の駆逐艦ジョン・S・マケインと潜水母艦フランク・ケイブルもカムラン湾を訪れているので、フィリピンとは違ってアメリカからの「離脱」の姿勢は見せていない。
アメリカ政府はネオコン/シオニストをはじめとする好戦派の戦略に基づき、東シナ海の尖閣諸島(釣魚台群島)、南シナ海の西沙(パラセル)群島や南沙(スプラトリー)諸島での領土紛争を煽り、この地域を不安定化させようとしている。
ポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)がふたりの国防次官補、I・ルイス・リビーやザルメイ・ハリルザドといったネオコンと一緒にDPGの草案という形で世界制覇プラン、いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンを作成したのは1992年2月。
1991年12月にソ連が消滅したことでアメリカは唯一の超大国になったと認識、潜在的なライバルを押さえ込もうというプランで、潜在的なライバルとして旧ソ連圏のほか、西ヨーロッパ、東アジア、南西アジアなどを想定している。
日本の支配層もアメリカのこうした流れに対応しようとしたのか、1992年にPKO法を公布/施行、カンボジア(92年)、モザンビーク(93年)、ルワンダ(94年)、ゴラン高原(96年)などへ自衛隊を派遣している。また、1994年には細川護煕政権の諮問機関「防衛問題懇談会」が「日本の安全保障と防衛力のあり方(樋口レポート)」というタイトルの報告書を発表した。
しかし、こうした対応にネオコンは満足せず、国防大学のスタッフだったマイケル・グリーンとパトリック・クローニンが動き始める。このふたりは日本が自立の道を歩き出そうとしていると主張、友人のカート・キャンベル国防次官補を説得してジョセフ・ナイ国防次官補たちに彼らの考えを売り込み、その結果として1995年にナイが「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表した。
その後、1996年4月に橋本龍太郎首相はビル・クリントン大統領と会談、「日米安保共同宣言」が出されるのだが、これによって安保の目的が「極東における国際の平和及び安全」から「アジア太平洋地域の平和と安全」に拡大、97年にまとめられた「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」は、「日本周辺地域における事態」で補給、輸送、警備、あるいは民間空港や港湾の米軍使用などを日本は担うことになった。
1999年に「周辺事態法」が成立するのだが、そこで考えられている「周辺事態」は、「そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態」を意味し、「周辺」は「地理的なものではない」という。
日本に対する直接的な武力攻撃がなくても、その恐れがあると誰かが判断すれば始動するということ。その「誰か」とは、言うまでもなくアメリカ政府だ。当時、防衛庁長官を務めていた野呂田芳成は、アメリカの判断を日本政府がノーと言うことは「実態上はないと思います」と答えている。
2000年になると、ナイはリチャード・L・アーミテージたちと「米国と日本−成熟したパートナーシップに向けて(通称、アーミテージ報告)」を作成、集団的自衛権の行使に踏み込み、武力行使を伴った軍事的支援を行うように求めている。
この報告書を作成したメンバーの中にはナイ、アーミテージ、キャンベル、グリーン、そしてウォルフォウィツが含まれ、「日本が集団的自衛権を禁じていることが両国の同盟協力を制約している。この禁止を解除すれば、より緊密かつ効果的な安保協力が見込まれる。」としている。(“INSS Special Report The United States and Japan: Advancing Toward a Mature Partnership”, 11 October 2000)
この報告書が出された2000年には、ネオコン系シンクタンクPNACが1992年に作成されたDPGをベースにした報告書『米国防の再構築』を公表、その翌年にはニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンにある国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、アメリカは国内でファシズム化が進められ、国外では軍事侵略が本格化する。
そして2010年9月、菅直人政権の時に海上保安庁は「日中漁業協定」を無視する形で尖閣諸島付近で操業していた中国の漁船を取り締まり、漁船の船長を逮捕した。この逮捕劇の責任者は国土交通大臣だった前原誠司。この後、田中角栄と周恩来から始まる日中友好の流れは断ち切られ、軍事的な緊張が高まる。
しかし、2011年3月11日に東北の太平洋側で巨大地震が起こり、日本と中国の対立は緩和されそうになるが、それを関係悪化の方向へ戻したのが石原親子。2011年12月に石原伸晃が「ハドソン研究所で講演、尖閣諸島を公的な管理下に置いて自衛隊を常駐させ、軍事予算を大きく増やすと発言、今年4月には石原知事が「ヘリテージ財団」主催のシンポジウムで尖閣諸島の魚釣島、北小島、南児島を東京都が買い取る意向を示したのだ。
この親子に大きな影響を及ぼしていたのがハドソン研究所の上級副所長だったI・ルイス・リビー。ウォルフォウィッツ・ドクトリンを作成したひとりで、安倍晋三とハドソン研究所を結びつけたのもリビー。ナイ・レポート以降、日本の支配層は東アジアの軍事的な緊張を高めようとしてきたが、その背後にはネオコンがいるということだ。
バラク・オバマ政権も日本、ベトナム、フィリピンを中心とする国で中国を封じ込めようとしているが、これはロシアを周辺から締め上げようというハートランド理論とも重なる。中国の目には、自分たちの基本戦略である「一帯一路(シルク・ロード経済ベルトと21世紀海のシルク・ロード)」のうち、南シナ海から始まる海のシルク・ロードを破壊しようとしているように映るだろう。
アメリカは日本、ベトナム、フィリピンに韓国、インド、オーストラリアを結びつけようと考え、7月8日には韓国へTHAAD(終末高高度地域防衛)ミサイル・システムを配備することが決まったという。このシステムは攻撃用へすぐに変更できる。
ところが、ここにきてフィリピンがアメリカからの離脱を宣言、ベトナムも中国との関係を修復しようとしている。アメリカ支配層の命令に従っている韓国の大統領は国内の評判が良くない。インドはBRICSのひとつであり、アメリカに絶対的な従属を誓うような状況ではないだろう。
1946年6月から国王の座にあったラーマ9世(プーミポン・アドゥンヤデート)が死亡したタイの情勢も注目されている。王位を継ぐと見られているワチラロンコン皇太子は2014年にクーデターで倒されたインラック・チナワットやその兄のタクシン・チナワット元首相と親しいとされ、チナワット家はアメリカの支配層、特にブッシュ一族と深く結びつき、巨大ファンドのカーライル・グループとも関係が深いとされている。アメリカ軍が2003年3月にイラクを先制攻撃した際、タクシンは軍部や国民の意思に背いてイラクへ派兵している。ラーマ9世の死は現体制にも何らかの影響を及ぼしそうだ。
ところで、ラーマ9世はアメリカのマサチューセッツ州で生まれ、兄のラーマ8世(アーナンタマヒドン)が寝室で急死したことを受けて即死している。額から後頭部にかけて銃弾が貫通していた。アメリカとイギリスの情報機関が暗殺したと信じている人は少なくない。
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