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支援物資を運んでいた車列を攻撃したのは米軍の同盟国が飛ばしたドローンだという分析に説得力
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201609230001/
2016.09.25 04:58:23 櫻井ジャーナル
アメリカのジョン・ケリー国務長官はシリア領空をロシアとシリアの航空機が飛行することを禁止、その一方でリビアと同じようにアメリカが主導する連合軍がシリア政府軍を空爆できるようにしようと提案、失笑を買った。飛行禁止空域を設定するということはアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を支援することにほかならないからである。
こうした主張をアメリカ政府が主張する切っ掛けになった出来事が9月19日にシリアのアレッポで起こっている。国連の車列が攻撃されて12名が死亡したのだ。アメリカ政府は例によって証拠や根拠を示すことなくロシアやシリアを批判したわけだが、いつものようにその主張は早くも崩れ始めている。
攻撃の状況はアメリカ側が不利。シリア政府軍と国連の関係は悪くない上、車列は政府軍が支配している地域を通過していた。その車列をロシアやシリアが攻撃する理由が見当たらない。それに対し、侵略軍は攻撃の数日前に国連の行動を批判していた。
また、爆発の瞬間を撮影した映像の分析からアメリカ製の攻撃用ドローン、プレデターから発射されたヘルファイアー・ミサイルではないかという見方が出ている。ロシア国防省は車列の横を迫撃砲を引いて走る車両の映像を公表したほか、トルコのインシルリク空軍基地を飛び立った攻撃用ドローンが空爆の頃に車列の上空を飛行していたことを示す証拠を持っていると発表しているので、符合する。
ロシアやシリアがケリーの提案を受け入れるはずはなく、多くの人はこの提案を「冗談」と受け取ったようだ。アメリカがこのプランを強行したなら、ジョセフ・ダンフォード統合参謀本部議長が上院軍事委員会で語ったように、ロシアやシリアと戦争になる可能性が高いのだが、それでも設定したいと考えているのがジョン・マケイン上院議員のようなネオコン/シオニスト。
本ブログでは何度か指摘したが、NATOは関東軍化している。例えば、NATO欧州連合軍最高司令官だったフィリップ・ブリードラブ米空軍大将は2014年11月12日にロシア軍兵士と戦車のウクライナ侵攻したという偽情報を発信、彼の下で副最高司令官を務めたイギリス陸軍のリチャード・シレフ大将はロシアの周辺国で軍事力を増強してロシアを威圧するべきだと主張、またイギリスのマイケル・ファロン国防相は軍事的緊張の高まりをロシアに責任を押しつけている。
今年8月22日に国防総省で広報官を務めるピーター・クックは自分たちが中心になっている連合軍を守るために必要ならシリアやロシアの戦闘機を撃墜すると語った。アメリカの行動を見ると、その連合軍にアル・カイダ系武装集団やダーイッシュが含まれているとしか思えない。
そのほかFOXニュースの番組に軍事アナリストとして登場したロバート・スケールズ退役少将はロシア人を殺せと発言、最近ではマイク・モレル元CIA副長官も似たようなことを言っている。シリアを侵略して制圧するという計画をロシアやイランが妨害していることに怒り、ロシア人とイラン人を殺すべきだとインタビュアーのチャーリー・ローズに対して8月8日に語っているのだ。
こうした考え方は昨日今日に始まったことではない。バルバロッサ作戦でソ連に攻め込んでいたドイツ軍がスターリングラードの戦いでソ連軍に敗北、1943年1月31日に降伏する。慌てた米英は同年5月にワシントンDCで会議、同年7月にアメリカを中心とする部隊はシチリアに上陸し、9月にイタリアを制圧する。ハリウッド映画で有名なオーバーロード作戦(ノルマンディー上陸作戦)は1944年6月のことだ。米英の作戦はドイツではなくソ連が相手だと言うべきだろう。
1945年4月にルーズベルトは執務中に急死、5月にドイツが降伏したときにはウォール街がホワイトハウスの主導権を奪還していた。その直後、ウィンストン・チャーチル英首相はJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連へ軍事侵攻する作戦を立案するように命令、そこで考え出されたのがアンシンカブル作戦。7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。
チャーチルは1945年7月26日に退陣するが、翌46年3月5日にアメリカのミズーリ州フルトンで、「バルト海のステッティンからアドリア海のトリエステにいたるまで鉄のカーテンが大陸を横切って降ろされている」と演説、47年にはアメリカのスタイルス・ブリッジス上院議員と会い、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得して欲しいと頼んでいたという。
アメリカの統合参謀本部が1949年に作成した研究報告にはソ連の70都市へ133発の原爆を落とすという内容が盛り込まれていたが、54年になると内容がより具体的になる。その年、SAC(戦略空軍総司令部)は600から750発の核爆弾をソ連に投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すという計画を作成したのだ。1957年初頭には300発の核爆弾でソ連の100都市を破壊するという「ドロップショット作戦」が作成されている。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)
SACが作成した核攻撃計画に関する1956年の報告書によると、モスクワ、レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)、タリン(現在はエストニア)、キエフ(現在のウクライナ)といったソ連の都市だけでなく、ポーランドのワルシャワ、東ドイツの東ベルリン、チェコスロバキアのプラハ、ルーマニアのブカレスト、ブルガリアのソフィア、中国の北京が攻撃目標に含まれていた。
このように1950年代から核攻撃の準備は始まり、テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、ライマン・レムニッツァーJCS議長やSAC司令官だったカーティス・ルメイを含む好戦派は1963年の終わりに奇襲攻撃を実行する予定だったという。その頃になればアメリカはICBMを配備でき、しかもソ連は配備が間に合わないと見ていたのだ。この攻撃を成功させるためにもキューバを制圧し、ソ連の中距離ミサイルを排除する必要がある。この計画に反対していたジョン・F・ケネディは1963年11月にテキサス州ダラスで暗殺された。核戦争を始めるための大きな障害が排除されたということだ。
そうした流れの中でロシアに対する核戦争も語られている。シリアの「停戦」はロシア軍とシリア軍の手を縛り、アメリカ側が侵略部隊を立て直して新たな攻勢を始めるための時間稼ぎにすぎないことも本ブログで何度も指摘してきた。アメリカ政府の要求を受け入れるロシア政府の姿勢を懸念する声は西側の元政府高官などから聞こえてきたが、ロシア政府は話し合いで解決する道を探してきたのが実態だ。アメリカ政府のこうした姿勢から目をそらせるだけでも犯罪的である。
アメリカ支配層の一部は戦争への道を驀進している。予想されていた通り、アメリカ大統領選挙の投票日が近づくにつれ、軍事的な緊張が高まってきた。ヒラリー・クリントンの病状も今後の展開に少なからぬ影響を与えるだろう。万一、クリントンが病死した場合、「暗殺」が演出される可能性もある。
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