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(回答先: 太平洋戦争は本当に避けることができなかったのか 5つの戦争から読みとく日本近現代史 (第7回) 投稿者 軽毛 日時 2016 年 8 月 15 日 23:06:23)
小室直樹「日本の敗因」では、引き返すチャンスは何度もあったと具体的に指摘している。
≪英米との戦争回避はいとも簡単≫
アメリカの正体を見破れば、米英との戦争を回避することなど、いとも簡単であった。こんな簡単なことはない。アメリカが対日禁油をしたら、オランダにだけ宣戦してインドネシアの油田をおさえるのである。ルーズベルトは、もちろん烈火のごとく怒るであろう。しかし、それだけのことである。…ルーズベルト自身、対独戦争と関係のない対日戦争には反対であった。
しかし、日本のインドネシア征服を、指をくわえて放置することはあるまい。何やかやと干渉してくるに違いない。そこで日本は、かの「大東亜宣言」を公表するのである。すべての植民地主義、不平等条約を許すことはできないと宣言するのである。これはアメリカに対日戦争をしないための絶好の口実を与えるであろう。
≪早期講和の方法もあった≫
講和の妙案を示そう。真珠湾攻撃が大成功したときに、ただちにドイツに「日本に味方してアメリカに宣戦布告する必要なはい」、すなわち三国同盟を発動する必要はないと通告するのである。三国同盟では、アメリカが日本かドイツのどちらかに攻めてきたときは、他方の国はアメリカに宣戦しなければならない。当時、アメリカはドイツと戦争したがっていたが、ドイツはアメリカと戦争したくなかった。…日本が、三国同盟は発動する必要はありませんと通告したら、ドイツは欣喜雀躍したろう。
ルーズベルトは困ったろう。…なるべく日本とは戦争したくないが、ドイツをアメリカとの戦争に引き込む手段として日本との戦争を考えてみたのである。
…日本が三国同盟を廃棄した(とルーズベルトは思うだろう)とのニュースが飛び込む。…日本はこのとき、どんな条件でも講和すべきであった。「大戦勝の後の講和条約は何でもよい」というのがビスマルクの定理である。どんな条件でも講和していれば、アジアは開放されて、それが日本の功績となる。…この講和に気づかなかったことこそ、最大の敗因である。政治力・外交能力が貧弱なのは、昔もいまも変らないのである。
三国同盟廃棄の他に、次の政策を断行する。同時に、植民地全廃、アジア開放の「大東亜宣言」を発する。そして、米英の「大西洋憲章」なんか、これに比べればまやかしであると宣伝する。
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