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日本政府がフィリピン政府に巡視船2隻などを貸与する計画は中国を挑発する米国の戦略に基づく
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201608140001/
2016.08.14 19:55:55櫻井ジャーナル
日本政府はフィリピン政府と巡視船2隻の貸与に関して話し合いを進めていると外務副報道官の大鷹正人は語ったという。全長90メートル程度と言っているので、おそらく「ひだ型巡視船」3隻のうち2隻を貸し出す意向なのだろう。偵察機も貸すようだ。勿論、相手として想定されているのは中国。
岸田文雄外相が話し合っている相手はフィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領のらしいが、この人物が大統領に就任したのは今年6月で、前任者のベニグノ・アキノ3世による中国を敵視政策を軌道修正している。巡視船の貸与問題を両国で話し合っているとするならば、現フィリピン政権の要求というより日本、そしてその背後にいるアメリカの意向だと考えるべきだろう。
ベニグノ・アキノ3世の父親は1983年8月にマニラ国際空港で殺されたベニグノ・アキノ・ジュニアで、母親は86年2月から92年6月まで大統領を務めたコラソン・アキノ。アメリカの支配層と関係の深い一家だ。
アキノ3世がフィリピンの大統領に就任した3カ月後、2010年9月に海上保安庁は「日中漁業協定」を無視する形で尖閣諸島の付近で操業していた中国の漁船を取り締まり、中国側を怒らせた。漁業協定に従うならば、日本と中国は自国の漁船を取締り、相手国漁船の問題は外交ルートでの注意喚起を行わなければならない。
海上保安庁の現場が独断で2国間の協定を無視したとは考え難い。海上保安庁は国土交通省の外局なので、国土交通大臣だった前原誠司が承認していたと見るべきだろう。この協定破りで悪化した中国との関係を修復する役割を負うのは外務省だが、事件の直後に前原が外務大臣に就任する。この人事を見ると、日本と中国との関係を悪化させるのは菅直人政権の意思であり、その背後にはアメリカの好戦派がいることを示している。
本ブログでは何度も書いてきたが、アメリカやイギリスの世界制覇プランはロシアを包囲して締め上げるというもの。そのプランをまとめたものがハルフォード・マッキンダーが1904年に発表したハートランド理論。
この理論では世界を3つの「島」に分ける。まずヨーロッパ、アジア、アフリカを「世界島」、次にイギリスや日本などを「沖合諸島」、そして南北アメリカやオーストラリアを「遠方諸島」と呼ぶ。世界島の中心がハートランドで、具体的にはロシアを指す。このハートランド/ロシアの制圧が世界制覇のカギを握っているとマッキンダーは考えた。
ハートランド/ロシアを支配するため、ふたつの「三日月帯」で締め上げていくという戦略を彼は立てた。西ヨーロッパ、パレスチナ(1948年にイスラエル建国を宣言)、サウジアラビア(サウード家のアラビアを意味するサウジアラビアが登場するのは1932年のこと)、インド、東南アジア諸国、朝鮮半島をつなぐ「内部三日月帯」と、その外側の「外部三日月地帯」だ。
一方、中国は経済発展の基本プランとして「一帯一路」、つまり「シルク・ロード経済ベルトと21世紀海のシルク・ロード」を打ち出している。その海上ルートが始まる場所が南シナ海。ここでハートランド理論の内部三日月帯とここでクロスする。中東におけるシリアと同じように重要な場所だと言える。
アメリカは「一帯一路」の海上ルートを断ち切るため、「東アジア版NATO」を考えている。その中軸が日本、ベトナム、フィリピンで、そこへ韓国、インド、オーストラリアを結びつけようとしている。THAAD(終末高高度地域防衛)ミサイル・システムをアメリカが韓国へ配備しようとしている理由もそこにある。
封じ込め政策は第2次世界大戦の直後にも打ち出されている。フォーリン・アフェアーズ誌1947年7月号にソ連への警戒を呼びかける論文が掲載され、その中でソ連は基本的に西側との共存を望まず、ソ連流の支配システムを世界に広めようとしていると主張している。それに対抗するため、西側がそうした計画に反対していることを強く示せばソ連を封じ込めることができるという議論だった。この論文は匿名で書かれたが、執筆したのはジョージ・ケナンだ。ここでソ連の戦略としているものは、アメリカのそれにほかならない。その戦略に基づいてアメリカは世界に破壊と殺戮を蔓延させてきた。
この封じ込めは軍事衝突を想定していないことになっているが、イギリスやアメリカの支配層は大戦中からソ連を敵国と見て動いている。そうした中、ファシズムや植民地に反対していたフランクリン・ルーズベルトは異質の存在だった。
そのルーズベルトは1945年4月、執務中に急死するが、その時点でアレン・ダレスなどはナチスの高官や協力者と会い、取り引きをしている。この交渉を大統領は知らされていなかった。
ルーズベルトが死んだ翌月、ドイツが降伏する。それを受け、ウィンストン・チャーチル英首相はJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連へ軍事侵攻するための作戦を立案するように命令、提出されたのが「アンシンカブル作戦」。7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦が実行されなかったのは、参謀本部が反対したからだという。
一方、核兵器を手にしたアメリカでは、1949年に出されたJCS(統合参謀本部)の研究報告の中で、ソ連の70都市へ133発の原爆を落とす(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)という計画が書かれている。
1954年になると、SAC(戦略空軍総司令部)は600から750発の核爆弾をソ連に投下して、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すという計画を作成した。この年の終わりにはヨーロッパへ核兵器を配備している。(前掲書)1956年にSACが作成した核攻撃計画に関する報告書によると、ソ連、中国、東ヨーロッパの最重要目標には水爆が使われ、ソ連圏の大都市、つまり人口密集地帯に原爆を投下することになっていた。
1957年の初頭にアメリカでは、300発の核爆弾をソ連の都市へ投下するという内容の「ドロップショット作戦」をスタートさせている。テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授(経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイスの息子)によると、ICBMの準備ができる1963年の後半にはソ連を核攻撃するというスケジュールになっていたという。それより遅くなるとソ連もICBMを配備すると見ていたのだ。
そうした計画の実行を妨げる最大の障害はジョン・F・ケネディ大統領だった。そのケネディは1963年11月22日、テキサス州ダラスで暗殺された。その背後にキューバやソ連がいるとする情報をCIAは流すが、この情報が正しくないことをFBIがリンドン・ジョンソン大統領へ伝え、核戦争にはならなかったと言われている。
アメリカの核攻撃計画に日本が無関係だったということはありえない。沖縄では1953年4月に布令109号「土地収用令」が公布/施行され、武装米兵が動員された暴力的な土地接収が強行され、55年の段階で沖縄本島の面積の約13%が軍用地になるが、これも戦争を見据えてのことだろう。
この時期、住民側のリーダー格だった人びとが排除されている。例えば、1954年7月には人民党中央委員の林義己と畠義基に退島命令が出され、10月には同党の瀬長亀次郎書記長らが逮捕され、それを不当だと抗議した二十数名がさらに逮捕された。弁護士のいない裁判で瀬長は懲役2年の判決を受けている。また、1956年10月には比嘉秀平琉球主席が55歳の若さで急死した。
1955年から57年にかけて琉球民政長官を務めたライマン・レムニッツァーはカーティス・ルメイと並ぶ好戦的な軍人で、第2次世界大戦の終盤にはルーズベルト大統領を無視する形でアレン・ダレスたちとナチスの高官を保護する「サンライズ作戦」を実行している。
こうした展開を見てもわかるように、封じ込めは核戦争に直結する。ここにきて影響力は弱っているようだが、それでもまだ主導権を握っているネオコン/シオニストは買収と並行して、軍隊や「テロリスト」を使ってターゲットを脅し、屈服させきた。そうした手法が通用しない中国やロシアも脅しているつもりだが、相手は屈服しない。しかも通常戦でアメリカはロシアに勝てない。必然的に核戦争ということになる。
6月1日、安倍晋三首相は官邸記者クラブのキャップとの懇親会で「安全保障法制」、いわゆる戦争法制は「南シナ海の中国が相手」だと口にしたと伝えられている。当然、巡視船2隻の貸与もこの戦略に基づいているはずで、軍事的な緊張を高めることになる。その背景にはアメリカの好戦派が描く戦略がある。アメリカ支配層が一枚岩だということはできず、核戦争へ向かう道を驀進中の勢力がいる事実から目を背けるべきではない。
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