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漁船だけではなく中国公船の領海侵入もあった。写真は中国海警局の船舶。南シナ海で2014年3月撮影(2016年:ロイター/Erik De Castro)
尖閣問題、中国の主張には2つの誤りがある なぜ、今になって強硬姿勢を見せているのか
http://toyokeizai.net/articles/-/131518
2016年08月13日 美根 慶樹 :平和外交研究所代表 東洋経済
8月5日から中国漁船に続いて、中国公船(中国政府に所属する船舶)による尖閣諸島周辺の領海・接続水域への侵入が始まった。その後、公船の数は十数隻にまで、また漁船数は200〜300隻にまで増加した。
日本側からは岸田文雄外相はじめ各レベルで中国側に抗議するとともに、我が国の領海・接続水域から直ちに立ち去るよう求めたが、中国船はその後もなかなか退去しなかった。
中国の公船による我が国領海・接続水域への侵入は過去何回も繰り返されてきたが、今回はその規模、行動の執拗さなどから見てまれにみる悪質なものである。中国はなぜそのような行動をとるのだろうか。ここであらためて歴史的経緯を含めて検証しておこう。
■国際法的に日本の領土であることは明らか
尖閣諸島は、日本政府が1895年1月、無主の地であることを確認して日本の領土に編入して以来日本の領土となっている。サンフランシスコ平和条約でも沖縄の一部として扱われており国際法的にも日本の領土であることは明らかだ。日本政府は、表現は若干違うところもあるが大筋はこのような立場であり、かつ、有効に支配している。
一方、中国は、尖閣諸島は中国「固有の領土」だと主張し、また、尖閣諸島についての記述がある古文献を持ち出してその主張の正当性をアピールしようとすることもある。
しかし、このような中国側の主張にはあまり説得力がない。古文献には、かつて中国人が航海した際に目印となっていたことを示す記載はあっても、中国が実効支配していたことを裏付けるものはない。それどころか、中国の領土は明代まで原則中国大陸の海岸線までであったことを示す文献が多数存在している。
このような事情から、日本政府は、尖閣諸島については「解決しなければならない領有権の問題は存在しない」という見解であり、中国側が国際司法裁判での決着を望むならいつでも受けて立つという姿勢である。
厄介なのは、日本が軍国主義の下で中国から領土を奪取したという歴史観が中国にあることであり、それは、具体的な表現はともかく、筋道としては誤りでない。
■日本が尖閣諸島を編入したのは侵略の一環?
たとえば、中国は、1895年に日本が尖閣諸島を日本領に編入したことを日本の侵略の一環としてとらえている。日本政府は、日清戦争(1994年6月〜1995年3月)とは関係ないことであったとの立場だが、中国側は狭い意味での戦争行為のみならず、日本の行動全体を問題視しているのだ。この両者の異なる立場について明確なかたちで白黒をはっきりさせるのは困難だろう。
しかし、中国の主張には明らかな誤りが2点ある。その1つは、日本が編入するまで尖閣諸島は中国領だという前提に立っていること。もう1つは、中国が尖閣諸島は台湾の一部と考えていることだ。しかし、地理的な近接性が領有権の根拠とならないことは確立された国際法である。
中国の歴史観は、1992年に制定した「中華人民共和国領海及び接続水域法(領海法)にも表れている。この法律では、「台湾、尖閣諸島、澎湖諸島、東沙諸島、西沙諸島、南沙諸島は中国の領土である」と途方もないことを規定したのだが、これらはたしかに、かつて日本が領有していた島嶼・岩礁であった。
中国は南シナ海、台湾、東シナ海を含む広大な海域について、「管轄権」を持つと主張することもあるが、同じことである。
国際法的には、サンフランシスコ平和条約の解釈が決定的な意味を持つ。同条約では、台湾は日本が放棄すると明記されたが、尖閣諸島の扱いは何も記載されなかった。しかし、その後の米国による沖縄統治の間に尖閣諸島は沖縄の一部として扱われた。したがって国際法的には尖閣諸島は沖縄の一部であったと解されていたのである。
今回の侵入事件のきっかけとなったのは、さる7月12日、南シナ海におけるフィリピンと中国との紛争に関し国際仲裁裁判所が中国側全面敗訴の判決を下したことだ。この裁判は台湾や尖閣諸島を対象にしていないが、中国にとって今回の仲裁裁判結果は、台湾や東シナ海についての領有権主張も「根拠がない」と判断されることを示唆する危険な判決だ。
尖閣諸島についての根拠の有無は前述した。台湾の状況は尖閣諸島と同じではないが、やはり中国の主張には問題がある。
台湾が中国によって支配されるようになったのは、1683年以降である。当時の中国は清朝であり、その年より以前は鄭成功が統治していた。この人物は明時代の人物だが明朝廷の命を受けて台湾を統治したのではなく、個人としての行動であり、また、その期間は22年という短期間であったので、明は台湾を支配していなかったというのが通説だ。
■清朝は台湾の一部を支配していただけ
また、清朝は台湾の一部を支配していただけであった。台湾の西半分であり、東半分は最北端の一地方だけであった。そして清朝政府は統治外の地域、すなわち東半分の大部分を「番」と呼ぶ住民の居住地とみなして漢人がその地域へ入ることを厳禁するなど、統治下と統治外の地域を厳格に区別していた。
このような歴史的経緯は台湾の教科書に明記されていることであり、中国としてもそれは百も承知のことである。にもかかわらず、台湾を中国の「固有の領土」と主張するのは、繰り返しになるが、日本から取り戻したいからである。
ただし、台湾についてはもう一つの事情が加わっている。中国にとって、台湾の中国への統一が実現しない限り第二次大戦直後から始まった中国の内戦は終わったことにならないのだ。
中国は今回の判決後、むしろスプラトリー諸島(中国名「南沙諸島」)などでの攻勢を強めているきらいがあり、そのため今回の裁判はあまり有効でなかったという見方もあるようだが、真相は全く違うと思う。
中国としては南シナ海、台湾、東シナ海の領土問題の根底には、日本の軍国主義との戦いがあり、手を緩めることはできない。もし国際社会の言うように物分かりの良い態度をとれば政治的に大問題になる恐れがあるのであり、今回の判決のように中国にとって危険なことが起これば強い態度で出ざるを得ないのだと思う。戦闘的な行動形式は今や多数の国家にとって無縁かもしれないが、中国にとっては、いざという場合には必要なことだろう。
中でも中国軍は、日本によって奪われていた領土を取り戻すことをもっとも強く主張している機関であり、「日本が南シナ海の仲裁裁判に不当に関与したので懲らしめてやろう」という気持ちが強く出たのかもしれない。軍に比べ中国外交部の地位は相対的に弱いといわれており、今回の事件についてはこのような内部事情も影響している可能性がある。
しかし国際社会においては中国の内部事情がどうであれ、中国のそのような特異な考えは認められない。日本が仲裁裁判に関与したなどという裁判批判は荒唐無稽だ。
■国際法にのっとって解決することが必要
日本が放棄した島嶼や岩礁の帰属問題は国際法にのっとって解決することが絶対的に必要だ。各国が国際法を無視して取り合い合戦を始めれば新帝国主義的争いとなる危険さえある。
日本政府が「国際法と国内法令に基づいて、今回の事件について冷静に、かつ毅然とした態度で処理する」という方針で臨んでいるのは正しいと思う。また、米国との情報交換などもよく行っているようだ。
一方、中国のフラストレーションにも注意が必要だ。中国は、南シナ海の問題、あるいは尖閣諸島の関係で不満が高じると、ほかの問題で代償を求めてくることがありうる。外相会談が開催できない原因を日本側に押し付けてくるようなことはすでに始まっているようだ。
残念ながら、共産党による事実上の一党独裁の中国では、分野あるいは案件をまたがっての政策調整は比較的簡単にできるが、民主主義国家では困難だ。そのため中国政府がとりうる政策手段の幅は日本などよりはるかに広く、時として日本の対中外交は困難に陥るが、日本としては安易な妥協は禁物であり、国際法に従って問題を処理することが、結局は中国にとっても利益であることを粘り強く説得していくことが肝要だ。
また、領土問題に関する主張の奥には、日本などとは比較にならない危険な政治状況がありうるということを常に念頭に置いておくことが必要だ。
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