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(書評)会田 法行(著)「被爆者―60年目のことば (シリーズ・自然 いのち ひと) 」大型本 – 2005/7
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5つ星のうち 5.0
今を生きる被爆者たちの写真集--破壊された教会以上の奇跡を伝える本,
2005/8/9
By 西岡昌紀
長崎の浦上天主堂の丘の下に、不思議な物が在る。それは、レンガ造りの教会の鐘塔である。だが、その鐘塔は、地面に突き刺さった姿で、そこに横たわって居るのである。まるで、墓標の様に。--それは、長崎に原爆が投下された時、その上の丘から吹き飛ばされて、そこに落下した教会の一部なのである。--初めて長崎を訪れた時、私は、その落下した教会の一部を見て、強い衝撃を受けた。長崎は、多くの隠れキリシタンが、永い間、信仰を守り続けて来た土地である。そして、浦上天主堂は、その信仰厚い人々が、祈りを捧げて来た場所であった。しかし、その丘に立つ教会が、1945年8月9日、キリスト教徒の国からやって来た飛行機が投下した原爆によって、吹き飛ばされ、丘の下へと落下したのであった。それも、長崎の頭上を覆う厚い雲が途切れた一瞬に。その、原爆で吹き飛ばされ、落下した教会の一部を見た時、私は、「神は、存在するのだろうか?」と思はずには居られなかった。--この写真集を見て、私は、ふと、長崎の浦上の丘の下に横たわる、あの教会の残骸を思ひ出した。そして、地面に突き刺さる様な姿で、そこに横たわって居たあの聖なる残骸が、私に投げ掛けた問いを再び、自分の中で、自問した。「神は存在するのか?」と。この本が伝える、広島と長崎に生き続ける被爆者達の体験は、それほどに、過酷であり、無慈悲な物である。だが、あれほどの試練を受けながら、なお、この世界に希望を持ち、生き続ける被爆者達が居ると言ふ、この本が伝える事実は、奇跡と呼ぶ他の無い物である。その奇跡の大きさは、私が、あの教会の残骸の前で覚えた絶望より、大きな物かも知れないと、私は、今、思ひ始めて居る。
(西岡昌紀・内科医/長崎の原爆投下から60年目の日に)
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