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中東で露軍に叩かれたダーイッシュは東南アジアでの活動を重視、そこにはオバマ親子の闇の歴史
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2016.06.27 03:46:58 櫻井ジャーナル
シリアやイラクで劣勢になっているダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)はマレーシアやフィリピンなど東南アジアにエネルギーを集中させるように呼びかけている。今年1月14日にインドネシアの首都ジャカルタで何回かの爆破と銃撃戦があったが、ダーイッシュが攻撃を認めているようだ。
この地域にはワッハーブ派/サラフ主義者のネットワークがあり、アメリカの手先として破壊活動を行ったこともある。例えば、インドネシアでは1965年9月30日に小集団の若手将校が6名の将軍を誘拐のうえ殺害してジャカルタの主要箇所を占拠、それを鎮圧するという名目でスハルト将軍が率いる軍隊が出動、スカルノ政権を倒し、親米政権を作り上げたが、その際にもイスラムが登場している。
このクーデターではコミュニストと見なされた人など30万人から100万人が虐殺されているが、その黒幕はアメリカの支配層。コミュニストと手を組み、外国資産の国有化を始め、非同盟運動に参加していたスカルノを排除することが目的だった。
まずプロパガンダで攻撃を始め、1957年にCIAは秘密工作を始めている。訓練基地、あるいは兵站基地として工作の拠点になったのはフィリピン、台湾、シンガポール、そして沖縄。1958年にスカルノが日本を訪問すると、軍事蜂起を仕掛ける。その際にアメリカ軍が支援したが、失敗した。
その一方、アメリカの支配層は貴族階級の若者に目をつける。フォード財団はそうした若者をアメリカに留学させて訓練した。このプロジェクトに協力した大学にはカリフォルニア大学バークレー校、マサチューセッツ工科大学、ハーバード大学、コーネル大学などが含まれていた。訓練を受けた若者は「バークレー・ボーイズ」とか「バークレー・マフィア」と呼ばれている。(スーザン・ジョージ著、小南祐一郎、谷口真里子訳『なぜ世界の半分が飢えるのか』朝日選書、1984年)スハルトのクーデターには留学生だけでなく、イスラム教徒も参加、その背後にはスポンサーとしてサウジアラビアがいた。
この出来事に関する議論をジョコ・ウィドド大統領は支援しているのだが、リャミザルド・リアクドゥ国防相は公開討論に反対、アメリカ支配層の意向を受けて中国との軍事的な緊張を高めようとしている。1965年のクーデターはまだ「歴史」になっていない。
クーデター当時、アメリカへ留学していたひとりにロロ・ソエトロという人物がいる。ハワイ大学で学んでいたのだが、そこで知り合ったアン・ダンハムと結婚した。このアンは1961年8月に子どもを産んでいる。バラク・オバマだ。インドネシアで虐殺が行われていた1966年にソエトロは帰国、翌年にはアンと子どもが後を追う。アンはインドネシアでフォード財団やCIAと関係の深いUSAIDの仕事をしている。
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