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ナイトクラブを襲撃したという人物は世界的安全保障会社に雇われ、その父親にはCIAと関係の疑い
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201606190000/
2016.06.19 18:09:28 櫻井ジャーナル
フロリダ州オーランドのナイトクラブが6月12日に襲撃されたとされる事件でもCIAのコネクションが浮上してきた。単独犯行ではなかったのではないか、死傷者数が嘘ではないかと言われているが、とりあえず実行者とされている人物はオマール・マティーン。その父親、シディク・マティーンはアフガニスタン生まれと報道されているが、トルキスタンからアフガニスタンへ移住したとも伝えられている。どこで生まれたかはともかく、シディクは1979年から89年にかけてアメリカの手先としてアフガニスタンでソ連軍と戦い、CIAとつながった可能性が高い。それが事実なら、マティーン親子にFBIは手を出しにくかっただろう。
オマールは2007年にロンドンを拠点とする世界的規模の安全保障会社G4Sに雇われ、事件の時点でも彼はこの会社で働いていた。銃の扱いに慣れていたことが想像できるが、「イスラム過激派」というイメージに合致しないとも言える。会社の性格からして、そうした様子がうかがえれば解雇されたか、雇う目的があったはずだ。
しかし、彼は2011年と12年に巡礼のためにサウジアラビアを訪れ、13年には10カ月間、FBIに監視されていたとされている。監視についてはジェームズ・コミーFBI長官も確認、この間にFBIは信頼できる情報屋をマティーンに近づけていたともいう。
これが事実なら、G4Sへ情報が伝わっていないとは思えない。2014年にシリアで自爆したモネル・モハンマド・アブ・シャルハがマティーンと同じようにフロリダ州フォート・ピアースに住んでいたこともあり、その際にもマティーンは捜査対象になっている。捜査の過程で会社にも接触していたはずで、必然的に情報は伝わっているだろう。この辺の話に不自然さを感じる人はいるだろう。
シディクはアフガニスタンでソ連軍と戦ったというが、そうした戦闘員はサウジアラビアに雇われたワッハーブ派/サラフ主義者やムスリム同胞団が中心だった。アメリカの軍や情報機関はこうした傭兵に爆弾製造や破壊工作の方法を教え、都市ゲリラ戦の訓練もしている。携帯型対戦車ミサイルTOWや同じく携帯型のスティンガー対空ミサイルを含む武器/兵器はアメリカから提供された。
ロビン・クック元英外相によると、アル・カイダとはCIAから軍事訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル。「アル・カイダ」はアラビア語で「ベース」を意味し、「データベース」の訳語としても使われているようだ。なお、クックはこの指摘をした翌月、保養先のスコットランドで心臓発作に襲われて死亡した。享年59歳。
当初、アフガニスタン政府からの支援要請を渋っていたソ連政府が機甲部隊をアフガニスタンへ投入してきたのは1979年12月のことだが、パキスタンのバナジル・ブット首相の特別補佐官を務めていたナシルラー・ババールが89年に語ったところによると、アメリカ政府がアフガニスタンの反体制派への資金援助をはじめたのは73年のこと。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005)
それをさらに進めたのがジミー・カーター政権(1977年から81年)で大統領補佐官を務めたズビグネフ・ブレジンスキー。ソ連軍をアフガニスタンへ誘い出し、疲弊させようと考えたのである。この戦略に基づき、1979年4月にCIAはパキスタンの情報機関ISIから支援を受けながら秘密工作を開始した。(後年、ブレジンスキーはこの工作を自慢げにインタビューで話している。)
マティーンがFBIに監視されていた2013年にはボストン・マラソンのゴール付近で爆破事件があったが、このときに実行者とされたタメルラン・ツァルナエフとジョハル・ツァルナエフの兄弟もオマール・マティーンと似た背景がある。
ふたりの母親によると、FBIは3年から5年の間、息子たちを監視下におき、彼女にもしばしば接触、「過激派のウェブサイト」を息子が利用していると警告していたと主張している。
また、兄弟のおじにあたるルスラン・ツァルナエフは1992年から2年間、CIAとの関係が指摘されているUSAIDの「顧問」としてカザフスタンで働き、そのルスランが結婚したサマンサ・フラーの父親はグラハム・フラーというCIAの幹部だった。
このふたつの事件にかぎらず、「テロ事件」には不可解な点が少なくない。1960年代から80年代にかけてイタリアではNATOの秘密部隊「グラディオ」による「極左組織」を装った爆弾攻撃が相次いだ。このグラディオの存在は1990年にイタリア政府も公式に認めている。グラディオの背後には米英の情報機関(破壊活動部門)が存在、今でも活動中だ。
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