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射殺されたナイトクラブ襲撃の容疑者もFBIに監視されていた人物で、被害状況に関する報道に疑問
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201606140000/
2016.06.14 22:47:25 櫻井ジャーナル
6月12日にフロリダ州オーランドのナイトクラブを襲撃、SWATに射殺されたというオマール・マティーンもFBIに監視されていた人物だったと報道されている。マティーンの両親はアフガニスタン出身で、2011年と12年に巡礼のためにサウジアラビアを訪れ、13年には10カ月間、FBIが彼を監視していた。監視についてはジェームズ・コミーFBI長官も確認している。この間、FBIは信頼できる情報屋をマティーンに近づけていたともいう。2014年にシリアで自爆したモネル・モハンマド・アブ・シャルハがマティーンと同じようにフロリダ州フォート・ピアースに住んでいたこともあり、その際にもマティーンは捜査対象になっている。
秘密工作を行う場合、情報機関は組織防衛のため、ライバルの機関を工作に巻き込むことが少なくない。例えば、かつて韓国の情報機関が日本に滞在していた金大中を拉致した際、自衛隊を巻き込もうとしていた。これは稚拙だったが、情報機関の基本的な手口ではある。どこかの機関、組織、勢力がFBIを目障りだと考え、FBIを巻き込む事件を引き起こした可能性もあるだろう。
マティーンがFBIに監視されていた2013年にはボストン・マラソンのゴール付近で爆破事件があった。3名が死亡、百数十名が負傷しているが、この事件も不可解な点が少なくない。爆破の直前、爆破を想定した訓練があるというアナウンスが流れ、周辺には大きなリュックを背負った複数の人物がいたのだが、なぜかタメルラン・ツァルナエフとジョハル・ツァルナエフの兄弟が容疑者として追われ、兄のタメルツランは射殺されたが、逮捕された際には歩いていたともされている。弟のジョハルは重傷を負った状態で拘束された。
ふたりの母親によると、FBIは3年から5年の間、息子たちを監視下におき、彼女にもしばしば接触、「過激派のウェブサイト」を息子が利用していると警告していたと主張している。兄弟のおじ、ルスラン・ツァルナエフは1992年から2年間、CIAとの関係が指摘されているUSAIDの「顧問」としてカザフスタンで働き、そのルスランが結婚したサマンサ・フラーの父親はグラハム・フラーというCIAの幹部だった。
2015年1月にはフランスの週刊紙、シャルリー・エブドの編集部が襲撃された。この事件にも少なからぬ謎、疑問点がある。例えば容疑者の特定は素早すぎないか、プロフェッショナル的な技術をどのようにして身につけ、襲撃に使った装備をどこで調達したのか、射殺される際の稚拙な行動と整合性がないのではないか、スキー帽で顔を隠している人間が身分証明書を自動車に置き忘れているのは「9/11」のときと同じように不自然ではないのか、襲撃しながら自分たちがイエメンのアル・カイダだと叫んでいるのもおかしくないか、襲撃の後、どのように非常線を突破したのか、事件の捜査を担当した警察署長のエルリク・フレドゥが執務室で拳銃自殺したのはなぜなのか、クリバリがニコラ・サルコジを面談できたのはなぜかなどだ。襲撃者と射殺されたふたりは別人ではないかと疑う人もいる。
この事件では、歩道に横たわる警察官の頭部を襲撃犯のひとりが自動小銃のAK-47で撃ったことになっているが、その場面を撮影した映像によると、あまりリアルでないドラマの一場面のように頭部は無傷のように見える。つまり、血が吹き出すことはなく、骨や脳が周辺に飛び散ってもいない。この時に生じた頭部の傷が原因で死亡したとするなら、歩道はすぐ血の海になっていただろう。
パリでは11月13日にも襲撃があり、約130名が殺され、数百人が負傷したとされているのだが、その痕跡が見あたらないとして疑惑(例えばココやココ)が指摘されていた。映像をチェックしても「血の海」と言える光景は見当たらない。オーランドの襲撃でも同じことが指摘されている。
昨年12月2日にも銃の乱射事件があった。カリフォルニア州サン・バーナーディーノの福祉施設で14名が殺され、22名が負傷、実行犯とされるふたりも殺されたようだ。当初の報道ではライフルを持ち、小銃を持ち、戦闘服を着た複数の白人男性が銃撃したとされていたが、その後、夫婦ということになった。当局の発表によると、妻はインターネット上でダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)に忠誠を誓う書き込みをしていたという。乱射事件の当日、警察の特殊部隊SWATが訓練を予定していた。
ボストンで爆破事件が引き起こされた前年、2012年にはフランスのトゥールーズでユダヤ人学校が襲われている。この事件で犯人とされているモハメド・メラはアル・カイダとの関係が指摘されているが、その一方でフランスの情報機関DGSEや治安機関DCRIの協力者だという情報も流れている。
2011年にも不可解な襲撃があった。7月に与党労働党の青年部が企画したサマーキャンプが襲撃されて69名が殺された(オスロで殺された人を含めると合計77名)のだが、その前にノルウェー政府はリビア空爆に参加している部隊を8月までに引き揚げると発表していた。アンネシュ・ブレイビクなる人物の単独犯行だとされているが、複数の目撃者が別の銃撃者がいたと証言している。
本ブログでは何度も指摘しているように、リビアは空からNATO軍が攻撃、地上ではアル・カイダ系のLIFGが主力部隊だった。2011年10月にムアンマル・アル・カダフィは侵略軍に惨殺されるが、その直後にベンガジでは裁判所にアル・カイダの旗が掲げられ、その映像がYouTubeにアップロードされ、デイリー・メイル紙も伝えている。ダーイッシュはアル・カイダから派生した、あるいはタグを付け替えた集団にすぎない。こうした集団を殲滅するという口実で他国を侵略してきたのが、こうした集団の雇い主だった。
今回の襲撃にどのような背景があるのかは不明だが、一般論として言うならば、社会を作り替え、コントロールするために爆弾攻撃を使うのはアメリカ好戦派の常套手段。有名な例には、1960年代の初めにキューバへの軍事侵攻を正当化する目的で考えられたノースウッズ作戦、1960年代から80年代にかけてイタリアで爆弾攻撃を繰り返したNATOの秘密部隊「グラディオ」による緊張戦略がある。グラディオの存在は1990年にイタリア政府が公式に認めている。
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