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広島の平和記念公園で、被爆者の森重昭さん抱きしめるバラク・オバマ米大統領〔AFPBB News〕
「核なき世界」実現に立ちはだかる恐怖の論理 人間が悪をなす能力を消し去ることができないのなら・・・
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47057
2016.6.13 竹野 敏貴 JBpress
「71年前、雲一つない好天の朝、死が空から降り注ぎ、世界は変わりました。閃光と炎の壁が街を破壊し、人類は自らを破滅へと導く手段を手にしたことが示されたのです」
「人間が悪をなす能力を消し去ることはできないかもしれません。だから、国家や同盟は、自衛手段を持たなければならないのです。しかし、我が国のような核保有国は、恐怖の論理(Logic of fear)から抜け出し、核兵器なき世界を追求する勇気を持たねばなりません」
5月27日、伊勢志摩サミットを終えたバラク・オバマ米国大統領は、原爆投下国の現職大統領として初めて被爆地広島を訪れ、平和記念公園の原爆死没者慰霊碑に献花、17分にわたるスピーチを行った。
メディアは歴史的な日として伝えたが、同行する軍人が被爆地へと携行した「核ボタン」、通称「Nuclear football(核のフットボール)」にも言及。
司令部を離れても命令できるよう通信機器が装備された「核のブリーフケース」の存在は、いまも、核保有国指導者がすぐさま「死が空から降り注ぐ」世界をもたらし得ることを示している。
■核戦争勃発間際に追い込まれる米ロ
トム・クランシー原作のジャック・ライアン・シリーズ第4作『トータル・フィアーズ』(2002)(原題は「The Sum of All Fears」) は、そんな「恐怖の論理」と核ボタンをめぐる物語。
米国で核テロを起こしたファシストの謀略で核戦争勃発間際まで追い詰められる米露の駆け引きを描くサスペンスアクションである。
「今回の犠牲者の方々の追悼には平和への一歩しかありません。多国間で大量破壊兵器根絶へと踏み出すのです。我々は大きな代償を払い学びました。人類を滅ぼす最強兵器が使われるのは、怒りではなく恐怖によってだと」
こんな米国大統領のスピーチで映画は終るが、今回のスピーチともよく似たこうした言葉も、いまだ世界には推定1万5000を超える核兵器があり、中国は核戦力増強、北朝鮮は核実験で挑発し、テロ組織への核拡散の脅威も増す一方、という現実では、虚しく響く。
そして、「恐怖の論理」は、核兵器は「抑止力(Deterrence)」として必要だと訴え続ける。
大統領予備選中の現職大統領が核攻撃を決行する物語『Deterrence』(1999/日本未公開)は、猛烈な吹雪に見舞われたエマーソン大統領一行がコロラドのダイナーに足止めされるところから始まる。
そこに「イラク指導者」ウダイ・フセインがクウェート侵攻、との報。米国は通常戦力の8割を日本海と38度線に展開するなか、撤退降伏しなければ核兵器でバグダッドを爆撃する、と同行していたテレビカメラを通しエマーソンが通告する。
しかし、あなたは選挙で選ばれた大統領ではないしユダヤ人、とイラクは応じない。エマーソンは前大統領の死で副大統領から昇格していたのである。
参謀は「アラブ世界をジョージ・ブッシュが爆撃すれば戦争だが、あなたがやればジハードになる」と忠告するが、結局、「核のフットボール」は開けられ、バグダッド爆撃は決行された。
報復としてイラクは核ミサイルを米国や同盟国に向け発射、その多くは迎撃ミサイルに破壊されるが、アテネや広島などでは着弾。しかし不発だった。
■核不拡散のために核兵器を売る米国
実は、米国はフランスを通し核兵器を売ることで、イラク独自の核開発を中断に導き、その核兵器も正常作動しないよう細工していたのである。エマーソンはラスト、こう演説する。
「これまで抑止力は全世界の盾でした。今日、米国は世界に向けメッセージを送りました。我が国の安全が脅かされるようなことがあれば、我々には核兵器があり、それを使うということを」
昇格大統領による核兵器使用というプロットは、広島や長崎を連想させる。
9・11同時多発テロが世界を変え、ジョージ・W・ブッシュ政権が始めた戦いでウダイが死に、その後、戦いの大義「大量破壊兵器の存在」が証明されなかったという事実ともオーバーラップする。1999年製作のこの作品は今見ると実に興味深い。
冷戦が終わり、総力戦の現実味が薄れ、核兵器を実感しにくい世となった。しかし、恐怖がずっと身近だった時代、ちょっとした綻びが人類を破滅に導くさまを多くの映画が描いていた。
スタンリー・キューブリック監督のブラックコメディ『博士の異常な愛情』(1964)では軍人の狂気が原因となった。シドニー・ルメット監督の社会派『未知への飛行』(1964)では機器の故障と間違いを修正できないシステムが致命傷となった。
ジョン・F・ケネディ政権が核戦争の瀬戸際まで追い込まれた1962年のキューバ危機から間もない頃撮られた作品だけにその恐怖はリアルである。
「老若男女誰もが、か細い糸にぶら下がった核というダモクレスの剣の下で暮らしています。それは、いつ何時、切れてしまうかもしれません。事故か誤算か狂気で」
1961年、国連で行ったこのケネディのスピーチをなぞるように、核兵器の歴史と現状を検証していくドキュメンタリー『カウントダウンZERO』(2010)には恐怖をもたらす様々な綻びが提示される。
命令の読み違い、判断の誤り、危険性に関する誤算、情報を勘違いしての攻撃、コンピューターの誤動作・・・。
■目の前の警官は本物か
1995年には、情報を伝えられていたにもかかわらず、米国がノルウェーで発射したオーロラ観測ロケットを核弾頭と誤認したロシアが、「核のブリーフケース」を初めて開けた。
サミット期間中、駅や繁華街など「ソフトターゲット」の警備が強化され、日本は厳戒体制となった。街なかの雑踏で目立つ警官の姿。犯罪への迅速対応はもとより抑止を狙ってのものである。
しかし、そうした威圧的な空気には息苦しさを感じてしまう。職務質問など受けようものなら、数日、気分が悪い。しばらく同じ地域を歩きたくなくなる。
そんなとき、ふと思う。「本物の警官だろうか」と。
警察手帳を提示されたところで、本物かどうか、一般人に分かるはずもない。実際、外国、特に旧共産圏などでは、警官らしき者に呼び止められることは少なくなく、ニセ警官にパスポートを取られたり、荷物検査と称し、貴重品や現金を抜き取られる事件は後を絶たない。
警察に汚職が蔓延している国では、本物でも油断できない。それでも、ほとんどの人が言われた通りにするのは、何らやましいところがなくても、機嫌を損ねたら自分の不利に働くのでは、と反射的に考えてしまいがちだからである。
社会のシステムは権威への服従を前提に成りたっている。だから不服従にはそれなりの代償を伴う。ここにも恐怖の論理がある。
『コンプライアンス 服従の心理』(2012)の事件は、ファストフード店に警官のダニエルズと名乗る男から電話がかかるところから始まる。応対した女性店長は、警察への「支援」を頼まれる。
窃盗容疑の女性従業員を、警察が到着するまで監視してほしいと言うのだ。従業員は無罪を主張。ダニエルズは、連行すれば勾留となる可能性が高いが、自分の指示に従い店長が所持品検査をする手もあると言う。
無実の従業員は検査を選んだ。しかし、それは裸になることまで要求するもの。そして、何も出てこなかった。それでもダニエルズは監視を続けることを要求・・・。
■B級映画と思いきや・・・
ネタをばらせば、ダニエルズは警官ではない。あらすじだけ聞けば、そんな男の電話の言いなりになるなんてウソっぽい話、と思うことだろう。ポンコツB級映画だと。
しかし、この映画は現実の事件をもとにしていることを示して始まり、最後、「同様の事件が米国30州で70件以上報告されている」との字幕で終る。それだけの人が、こんな指示に、実際、服従したのである。
この「ストリップサーチ詐欺事件」の関係者心理を考えるとき、心理学者フィリップ・ジンバルドは、「ルシファー・エフェクト ふつうの人が悪魔に変わるとき」(鬼澤忍、中山宥訳 海と月社)の中で、「その気質の問題と捉えられがちだが、理解しがたい服従をうみだす権威の力をみくびってはいけない」との見解を示している。
こうした心理を考える実験としては、ジンバルドの「スタンフォード監獄実験」がよく知られている。学生たちに看守と囚人の役割を与え、監獄生活シミュレーションを行ううち、看守役が囚人役を実際に虐待するようになったというものである。
一定の条件下、個人の抵抗力が封じ込まれ、没個性化や善悪判断の欠落が進み、自分でもまさかやるとは思わなかったような冷酷な行為さえ実行してしまうというのだ。
同様の実験として、スタンリー・ミルグラムの「アイヒマン実験」も有名だが、これらについては、このところ相次いで映画化されているので、日本公開となった際、また詳しく紹介したいと思う。
そうなると、残念ながら「人間が悪をなす能力を消し去ることはできない」と考えるのが妥当だろう。事故、誤算、狂気などのほころびも、今後、一切なくなるとは思えない。「恐怖の論理」による抑止力は相打ちの危険をはらんだままだ。
日本は、5月にジュネーブで開かれた国連の核軍縮作業部会で、非核保有国グループが提案した核兵器禁止条約交渉に不賛同、段階的に減らすべき、との立場を取った。
唯一の被爆国でありながら、核保有国に囲まれ、米国の核の傘が頼りというジレンマに陥っている日本。だからこそ、「恐怖の論理」から抜け出し、頑として、核なき世界を追求する勇気を世界に示してほしい・・・。
(本文おわり、次ページ以降は本文で紹介した映画についての紹介。映画の番号は第1回からの通し番号)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47057?page=6
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