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シリアで劣勢のダーイッシュが逃げ込んでいるコソボは麻薬や臓器の密売で知られる親米犯罪国家
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201605280000/
2016.05.29 23:48:10 櫻井ジャーナル
コソボがダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)の拠点になっているようだ。シリアから戦闘員の一部が逃げ込んでいるのだろう。拠点作りの資金はサウジアラビアから供給されているという。
シリアでは昨年9月30日にロシア軍がアル・カイダ系武装集団やダーイッシュに対して空爆を始めてから政府軍が優勢で、アメリカ、サウジアラビア、トルコ、イスラエルなど侵略勢力は対戦車ミサイルのTOWや携帯型の防空システムのMANPADを供給、戦闘員も増派、最近はアメリカ政府が特殊部隊を送り込み、トルコ軍がシリア領内へ侵攻しているものの、戦況を変えるには至っていない。
言うまでもなく、コソボはかつてユーゴスラビアの一部だった。1985年に54歳でソ連共産党の書記長に就任したミハイル・ゴルバチョフは西側流の民主主義を導入しよう考えたようで、1990年には一党体制を放棄、大統領制を導入する。影響力のある政党を作るにはそれなりの資金が必要であり、西側の巨大資本がロシアを浸食するのは必然だった。
1990年3月にゴルバチョフは初代大統領に就任、10月に東ドイツが西ドイツに吸収されるという形で統一されるが、その際、ジェームズ・ベイカー米国務長官はソ連のエドゥアルド・シュワルナゼ外務大臣に対し、東へNATOを拡大させないと約束している。この約束をゴルバチョフは真に受けた。
その翌年、1991年7月に西側の支配層はロンドンで開かれたG7の首脳会談で彼に見切りをつける。巨大資本にとって都合の良い新自由主義的な経済政策、いわゆる「ピノチェト・オプション」の導入にゴルバチョフが難色を示したのだ。そして登場してくるのがボリス・エリツィンである。エリツィンは1991年7月にロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の大統領に就任した。
こうしたソ連支配層の動きは国民の意思を反映したものではなかった。例えば、1991年3月にロシアと8つの共和国で行われた国民投票では、76.4%がソ連の存続を望んでいた。国民投票が実施された共和国の人口はソ連全体の93%で、ソ連全体の意思だと思って構わないだろう。(Stephen F. Cohen, “Soviet Fates and Lost Alternatives,” Columbia University Press, 2009)
西側支配層がソ連を支配、略奪しようとしていることは明白。ソ連の一部支配層が「国家非常事態委員会」を組織して権力の奪還を狙ったのは1991年8月のことで、すでに手遅れだった。
その年の12月にエリツィンはウクライナのレオニード・クラフチュクやベラルーシのスタニスラフ・シュシケビッチとベロベーシの森で秘密会議を開き、ソ連からの離脱を決めてソ連を消滅させた。西側主導のクーデターは成功したということだ。ネオコン/シオニストが国防総省のDPG草案という形で世界制覇プランを作成するのはその直後である。
そうした混乱の中、ユーゴスラビアでは国を解体する動きが顕在化する。1991年6月にスロベニアとクロアチアが独立を宣言、同年9月にマケドニアが、翌年3月にはボスニア・ヘルツェゴビナと続き、4月にはセルビア・モンテネグロがユーゴスラビア連邦共和国を結成して社会主義連邦人民共和国は解体された。
次に、ユーゴスラビア連邦共和国からコソボを剥ぎ取ろうとする動きが始まる。アルバニア系住民がコソボを分離させ、アルバニアと合体しようと計画、それをNATOが支援したのだ。
当初、この活動を主導したLDK(コソボ民主化連盟)は非暴力で、政府側も事態の悪化を懸念して運動を許していたのだが、西側支配層は話し合いでの解決を嫌う。1992年2月にフランスのランブイエで始まった交渉でコソボの自治権を認めることで合意、話はまとまりかけるが、そこでNATOは政府側が受け入れられない条件を出した。車両、艦船、航空機、そして装備を伴ってNATOの人間がセルビアを自由に移動できる、つまりセルビアを占領するという項目が付け加えたのである。(David N. Gibbs, “First Do No Harm”, Vanderbilt University Press, 2009)
そして1994年、アル・カイダ系武装集団がアルバニアで活動を開始、ボスニアやコソボにも手を広げる。その頃、アメリカの支配層は「人権擁護団体」、メディア、そして広告会社などを投入してセルビアを「悪魔化」する宣伝を開始した。
そうした宣伝の背後には、ロバート・ドール上院議員米上院議員と密接な関係にあるアルバニア・ロビーが存在、宣伝活動の中心にはルダー・フィンという広告会社が存在していた。(前掲書)コソボのアルバニア勢力がルダー・フィンと契約を結んだのは1992年10月のことである。(Diana Johnstone, "Fools' Crusade," Monthly Review Press, 2002)
1996年2月になると、LDKに替わってKLA(コソボ解放軍、UCKとも表記)が台頭してくる。KLAにはクロアチアの民族主義者が入り込んでいたが、その民族主義者はナチと協力関係にあった団体の流れをくんでいる。そうしたひとりがハシム・サチなる人物で、後に首相となる。
KLAが麻薬取引で資金を稼いでいたことは有名。アフガニスタンから西ヨーロッパへ流れるヘロインの約40%はコソボを通過していると言われている。アフガニスタンで非合法のケシ栽培が急増した原因はアメリカがそこ戦争を始めたことにあり、CIA系の銀行であるBCCIなどが資金を動かしていた。CIAに支援されているKLAがこの麻薬を扱うのは必然だ。
旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷で検察官を務めたカーラ・デル・ポンテによると、コソボ紛争中にKLAの指導者らが約300名のセルビア人捕虜から「新鮮」な状態で、つまり生きた人間から臓器を摘出し、売っていたという。この話は彼女の著作で紹介された。ガーディアン紙によると、臓器密売の黒幕はトルコ系イスラエル人のモシェ・ハレルで、富裕なイスラエル人は重要な顧客だとしている。
そうしたコソボを拠点にしはじめたダーイッシュが盗掘石油に続いて麻薬に手を出すのは必然。破綻国家になったウクライナから武器/兵器がポーランドを経由してダーイッシュへ流れているする情報もある。
ウクライナのクーデターを準備するため、アメリカ/NATOはネオ・ナチ(ステファン/バンデラ派)のメンバーを2004年からバルト3国にあるNATOの訓練施設で訓練していたが、2013年9月にはポーランド外務省がクーデター派の86人を大学の交換学生を装って招待、ワルシャワ郊外にある警察の訓練センターで4週間にわたって訓練したと伝えられている。
訓練の内容には、追跡技術、群集操縦、ターゲットの特定、戦術、指揮、緊張した状況における行動制御、警察のガス弾に対する防御、バリケードの建設、そして銃撃が含まれているという。
第2次世界大戦の当時からウクライナやポーランドにはナチスの協力団体が存在、クリミアのタタール人ともつながっていたが、その関係を維持させてきたのがCIAだ。CIAにはジェドバラ、OPCの流れを汲む破壊工作部門が存在、「NATOの秘密部隊」を編成して「テロ活動」を続けてきたことを考えると、今後、ダーイッシュは対ロシアだけでなく、EUでも破壊活動を始める可能性がある。
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