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広島を訪問するオバマ米大統領は7年前に核兵器なき世界を目指すと主張したが、行動は伴わず
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201605110000/
2016.05.11 14:34:40 櫻井ジャーナル
バラク・オバマ米大統領が5月27日に広島を訪問すると騒いでいる人たちがいる。「気分は核兵器なき世界」なのだろう。その目の前でアメリカ政府は全面核戦争の危険性を高めている。
オバマ大統領は2009年4月5日にプラハで核兵器のない世界を目指すと演説したが、自分が生きている間には実現しないだろうという注釈付き。その一方で新たに核兵器保有国が現れることは許さないと釘を刺している。
それだけでなく、2014年9月21日には、今後30年間に9000億ドルから1兆ドルを投入する計画をオバマ政権は持っていると報道された。つまり、核兵器を既存の保有国が独占し続けるとオバマ大統領は宣言しているのだ。
2003年3月にアメリカはイラクを先制攻撃、サダム・フセイン体制を破壊した。今でもアメリカの支配下にあるが、攻撃の口実は「大量破壊兵器」。攻撃の2カ月前、国家安全保障問題担当補佐官だったコンドリーサ・ライスはキノコ雲という決定的な証拠を望まないと語り、今にもフセインがアメリカを核攻撃するかのような印象を広めていた。
こうした主張が正しくなかったことは明確になっている。不正確な情報を得ていたことによる間違いではなく、嘘を承知で宣伝していたのだ。1991年の段階でネオコン/シオニストはイラク、シリア、イランを5年以内に殲滅するプランを持っていたことを本ブログでは何度も書いてきたが、そのプランを実行するために大量破壊兵器、あるいは核兵器が口実として持ち出されたのである。
1933年2月にナチスは国会議事堂に放火、独裁体制を樹立する口実に利用したが、同じようにアメリカの好戦派は2001年9月の出来事を使った。言うまでもなく、ニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)に対する攻撃である。
その攻撃から10日後にペンタゴンを訪れたウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官によると、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺でイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランを先制攻撃する計画ができあがっていることを知ったという。こうした情報を統合参謀本部の軍人が口にしたのは、国防長官たちの計画に賛成していなかったからだろう。
イラクが核兵器を開発しているという話のひとつとして、ニジェールからイエローケーキ(ウラン精鉱)をイラクが購入するというものがあった。その話の発信源はイタリアの情報機関SISMIだと言われている。
その情報に関する調査をCIAから依頼されたのがジョセフ・ウィルソン元駐ガボン大使だった。2002年2月に現地で調査、その情報が正しくないことを確認した。文書をチェックしたIAEA(国際原子力機関)は、基礎的な事実関係を間違えている稚拙な偽物だと見抜いている。
しかし、2003年の一般教書演説で、ジョージ・W・ブッシュ大統領はフセインがアフリカから相当量のウランを入手しようとしていると発言、この演説に驚いたウィルソンはニューヨーク・タイムズ紙で事実を公表した。
その告発記事が出た8日後、ニューヨーク・タイムズ紙のコラムでロバート・ノバクはウィルソンの妻、バレリー・ウィルソン(通称、バベリー・プレイム)がCIAの非公然オフィサーだという事実を暴露している。
「9/11」から3カ月を経た2001年12月にラムズフェルド長官は、統合参謀本部の作戦部長だったグレゴリー・ニューボルド将軍をオフィスに呼びつけ、イラク侵攻作戦について報告させる。
ニューボルドによると、その場にいたのはラムズフェルドのほかにポール・ウォルフォウィッツ、統合参謀本部のリチャード・マイアーズ議長、ピータ・ペイス副議長、そして後にCIA長官となるウィリアム・ハインズ。ハインズの後ろ盾になっていた人物がチェイニー副大統領の顧問を務めていたデイビッド・アディントンだ。(Andrew Cockburn, “Rumsfeld”, Scribner, 2007)
アメリカのイラク侵略にイギリスも同調した。当時、イギリスの首相だったトニー・ブレアーは2002年3月の時点でアメリカによるイラク侵攻に参加することを決めていたことが今ではわかっている。ジョージ・W・ブッシュ政権で国務長官を務めたコリン・パウエルが2002年3月28日に書いたメモの中で、ブレア首相はアメリカの軍事行動に加わると書かれていたのだ。このメモが書かれた1週間後、米英両国の首脳は会談している。7月5日付けのニューヨーク・タイムズ紙はアメリカの対イラク軍事作戦の内容を伝えていた。
しかし、アメリカでは国防長官を含むネオコンのプランに国防総省の幹部が反対していた。その対立をトーマス・リックスが2002年7月28日付けのワシントン・ポスト紙に書いている。2002年10月にはニューボルド海兵隊中将が作戦部長を辞している。
イラク侵略は予定より1年ほど遅れて始まるが、その直前、陸軍参謀総長だったエリック・シンセキが議会でラムズフェルドの戦略を批判、2006年4月になるとニューボルド中将がタイム誌に「イラクが間違いだった理由」というタイトルの文章を書き、ブッシュ政権を批判している。
その記事が出る直前、アンソニー・ジニー元中央軍司令官もテレビのインタビューで国防長官を批判した。ジニー将軍も一貫してブッシュ政権のイラク攻撃を批判していた。このほか、2006年3月にはポール・イートン少将、4月にはジョン・バチステ少将、チャールズ・スワンナック少将、ジョン・リッグス少将もラムズフェルド長官を批判している。
ブレア英首相はイラク侵略を正当化するため、フセイン政権は45分で大量破壊兵器を使用できると主張していたが、開戦から2カ月後、BBCのアンドリュー・ギリガンはラジオ番組で「45分話」を主張する「9月文書」は粉飾されていると語ったている。さらにサンデー・オン・メール紙でアラステアー・キャンベル首席補佐官が情報機関の反対を押し切って「45分話」を挿入したともギリガンは主張した。
ギリガンが「45分話」の疑惑を語って間もなく、彼の情報源が国防省で生物兵器を担当しているデイビッド・ケリーだということがリークされ、ケリーは7月15日に外務特別委員会へ呼び出される。その2日後の17日にケリーは変死した。その後、2004年10月に「45分話」が嘘だということを外務大臣のジャック・ストローは認めている。
2006年になると、フォーリン・アフェアーズ誌(CFR/外交問題評議会が発行)はロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できるとするキール・リーバーとダリル・プレスの論文を掲載している。
1991年12月にソ連が消滅した後、ボリス・エリツィン体制のロシアはアメリカ支配層の属国だったが、21世紀に入るとウラジミル・プーチンがロシアを再独立させていた。そのロシアも脅せば屈服、場合によっては先制核攻撃で殲滅できるということだ。
プラハでオバマ大統領が核兵器のない世界を目指すと発言した2年後、アメリカはリビアやシリアに対する軍事侵略を始め、2014年にはウクライナでクーデターを実行、ロシアや中国に対して軍事的な圧力を強めている。
これまで買収と恫喝で多くの国を屈服させてきたアメリカの支配層はロシアや中国に対しても同じ手口を使ったが、効果はない。そのことに気づいた支配層の一部はネオコンから離れはじめたようだが、ネイコンは戦術を変えようとしていない。中東にしろ、東ヨーロッパにしろ、挑発を止めていない。全面核戦争も辞さないという姿勢だ。そのネオコンの好戦的な戦略に引きずられたままオバマは任期を終えようとしている。
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