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西側を後ろ盾とするウクライナのネオナチは2年前の5月2日にオデッサで住民を虐殺、民族浄化開始
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201604290001/
016.04.30 04:35:48 櫻井ジャーナル
2年前の5月2日、ウクライナ南部、黒海に面した港湾都市のオデッサで住民がネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)のグループに虐殺された。
http://orientalreview.org/2014/05/14/bloodbath-in-odessa-guided-by-interim-rulers-of-ukraine/
そのグループが密接に結びついていたキエフ政権はその年の2月23日、憲法の規定を全く無視した形でビクトル・ヤヌコビッチ大統領をクーデターで追放して実権を握っている。そのクーデターで主力だったのがネオ・ナチだ。そのネオ・ナチを率いたひとり、ドミトロ・ヤロシュが最近、オデッサを訪問したという。
ビクトリア・ヌランド国務次官補によると、ウクライナを支援するため、1991年からアメリカは50億ドルを投資したと発言している。2013年12月13日に米国ウクライナ基金の大会で明らかにした(https://www.youtube.com/watch?v=2y0y-JUsPTU)のだが、その際、彼女の背後には巨大石油企業シェブロンのマークが飾られていた。50億ドルを投入した目的は、ウクライナを巨大資本にとって都合の良い国に作り替えることにあったわけだ。
そのころ、ウクライナの首都キエフにあるユーロ広場(元の独立広場)では反政府行動が始まっていた。当初は「カーニバル」的な演出で人を集めていたが、途中からネオ・ナチを中心とした暴力的な活動へ移行、棍棒、ナイフ、チェーンなどを手に、石や火炎瓶を警官隊に投げつけるだけでなく、トラクターやトラックが持ち出され、ピストルやライフルも撃ちはじめている。
そして始まったのが市民や警官に対する狙撃だが、ヤヌコビッチ大統領が追放された後の2月25日にキエフ入りし、その実態をエストニアのウルマス・パエト外相が調べた。その結果を26日にEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)へ電話で報告したのだが、その音声が3月5日にYouTubeへアップロードされている。それによると、パエト外相は次のように語っている:
「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合体(クーデター派)が調査したがらないほど本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチ(大統領)でなく、新連合体(反政府側)の誰かだというきわめて強い理解がある。」
https://www.youtube.com/watch?v=ZEgJ0oo3OA8
そして「新連合はもはや信用できない。」としている。
クーデター政権を否定するような発言。それに対し、西側支配層の意向を反映するような形でアシュトンは「議会を機能させなければならない」と応じた。つまり、事実を隠して嘘を突き通せということだ。後の調査で、狙撃を指揮していたのはヤロシュと同じようにネオ・ナチを率いていたひとり、アンドレイ・パルビーだった可能性が高いとされている。クーデター後、バルビーは国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)議長に就任、2014年8月までその職にあった。
このクーデター政権をウクライナの東部や南部に住む人びとは拒否、それに対して民族浄化作戦が始まる。ロシア語を話す住民を殺し、追い出そうとしたのだ。「イスラエル建国」の際に行われたことを思い出させる。
1948年4月4日、イスラエルの「建国」を目指すシオニストはアラブ系住民を追い出すための作戦をスタートさせる。「ダーレット作戦」だ。9日未明にイルグンとレヒはデイル・ヤシン村を襲撃して住民を虐殺した。襲撃直後に村へ入った国際赤十字のジャック・ド・レイニエールによると、254名が殺され、そのうち145名が女性で、35名は妊婦。
この虐殺を見て多くのアラブ系住民は逃げ出す。約140万人いた住民のうち5月だけで42万3000人がガザ地区やトランスヨルダン(現在のヨルダン)へ移動、その後1年間で難民は71万から73万人に達したと見られている。
デイル・ヤシン村と似た運命をおわされたのがオデッサ。まず、4月12日にジョン・ブレナンCIA長官がキエフを極秘訪問、その2日後にキエフ政権のアレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行が制圧作戦を承認、4月22日にはジョー・バイデン米副大統領がキエフを訪問、それにタイミングを合わせるようにしてオデッサでの工作が話し合われている。
この会議に出席したのはトゥルチノフ大統領代行のほか、アルセン・アバコフ内相代行、バレンティン・ナリバイチェンコSBU長官代行、そしてパルビー。オブザーバーとしてドニエプロペトロフスクの知事で三重国籍のシオニスト、イゴール・コロモイスキーも参加していた。コロモイスキーはウクライナのほか、イスラエルとキプロスの国籍を持っている。ビジネス活動の拠点はスイスだ。
会議の10日後にオデッサで反クーデター派の住民が虐殺されたが、その数日前にパルビーが数十着の防弾チョッキをオデッサのネオ・ナチへ運んでいる。
https://www.youtube.com/watch?v=8tVITa8wegQ
その装具を受け取ったミコラ・ボルコフは虐殺の当日、労働組合会館へ向かって銃を発射、状況をキエフの何者かに報告する様子が映像に残っている。
虐殺は午前8時に「サッカー・ファン」を乗せた列車が到着したところから始まる。赤いテープを腕に巻いた人びとがフーリガンやネオ・ナチを抗議活動が行われていた広場へ誘導したのだ。誘導した集団は「NATOの秘密部隊」だと疑われているUNA-UNSOだと言われている。
虐殺を仕掛けたグループは、住民を労働組合会館の中へ誘導、そこが殺戮の舞台になった。
http://orientalreview.org/2014/05/14/bloodbath-in-odessa-guided-by-interim-rulers-of-ukraine/
殺戮の現場を隠すことが目的だったとも推測されている。48名が殺され、約200名が負傷したと伝えられているが、これは確認された数字で、住民の証言によると、多くの人びとが地下室で惨殺され、犠牲者の数は120名から130名。虐殺の調査をキエフ政権は拒否、その政権の後ろ盾になってきた西側も消極的で、実態は今でも明確になっていない。
クーデターを拒否する住民が多かったクリミアでは3月16日にロシアの構成主体になることの是非を問う住民投票が実施され、80%の有権者が参加、その95%以上が加盟に賛成し、すぐに防衛体制に入った。クリミアは周囲を海で囲まれた半島で守りやすいという利点もあり、オデッサのようなことにはならずにすんだ。
この住民投票では国外から監視団が入り、公正なものだったことが確認されているが、その投票結果を認めるわけにはいかない西側の支配層は投票に不正があったと宣伝している。その手先が「有力メディア」。ネオ・ナチが憲法の規定を無視して実権を握ったキエフの暫定政権を正当だとする一方、クリミアの「民意」は認めないというわけだ。
この当時、西側の政府や有力メディアはロシア軍の介入を宣伝、それを真に受けた「リベラル派」や「革新勢力」もいたが、そうした事実はなかった。クリミアのセバストポリは黒海艦隊の拠点だが、ソ連消滅後の1997年にロシアはウクライナと条約を結び、基地の使用と2万5000名までの駐留がロシア軍に認められていた。
この条約は1999年に発効し、その当時から1万6000名のロシア軍が実際に駐留してきたのだが、クーデター後、西側の政府やメディアはこのロシア軍を「侵攻部隊」だと叫んだのだ。これは、南オセチアでの惨敗が記憶に強く残っている西側支配層の描いた「予定稿」だったのかもしれない。
オデッサの虐殺は東部や南部の住民にとって大きなショックだったはずで、実際、多くの人がロシアへ難民として逃げ込んでいる。虐殺から1週間後の5月9日、ソ連がナチスに勝ったことを記念する戦勝記念日にキエフ軍の戦車がドネツク州マリウポリ市に突入、住民が殺された。記念日を狙ったのは心理的なダメージを狙っただけでなく、住民が街頭に出てくることを見越してのことだったと言われている。5月11日に予定されていた住民投票を止めさせることも目的だっただろうが、予定通りに投票は行われ、独立の意思が明確になった。
それに対し、6月2日にデレク・チョレット米国防次官補がキエフ入りし、そのタイミングでキエフ軍はルガンスクで住宅街を空爆、建物を破壊し、住民を殺し始めた。
https://www.youtube.com/watch?v=b9e5tiwHPK0(閲覧注意)
民族浄化作戦の始まりだ。
民族浄化作戦を作成したのはアメリカ軍系シンクタンク、RANDコーポレーションだと推測されている。そうしたことを示す文書が見つかったのだ。
http://www.abovetopsecret.com/forum/thread1019901/pg1
その文書によると、まず対象地域に住む人びとを「テロリスト」、あるいはその「シンパサイザー」だと考えて地域を軍隊で包囲して兵糧攻めにし、放送、電話、通信手段を断ち、ついで地上軍と航空機を組み合わせて戦略的に重要な施設を攻撃する「掃討作戦」を実施、目的を達成した後で電力や通信を復活させることになっていた。この間、外国のメディアを排除して作戦の実態を知られないようにするともしている。
現在、ウクライナではネオコンが描いた作戦は破綻しているのだが、ウクライナ支配とロシアへの侵略を諦めたわけではないだろう。NATOはロシア周辺での軍備を増強、軍事演習などを実施して挑発している。NATOが関東軍のような役割を果たす可能性もある。
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