>>32・33・36さん >10回ぐらいは読み直して、・・・ ほほう、「10回ぐらいは読み直す」を覚えてましたね。忠告した甲斐がありました(笑) >マルクスってそんなに偉大でもないのだけどね。経済学でも名前ぐらいしか出てこない マルクス派側も、近経学者の理論など検証しない。理由は前提となるパラダイムが違うからで、当たり前のこと。 「偉大でもない」というなら、32さんの「価値論」を教えてください。さぞかし、素晴らしい独自の価値論をお持ちなのでしょうね。資本主義経済では商品の価格は重要。だから、価格になって現れる<商品の「価値」とは何か?>が、資本主義経済について考察する経済学では最大級のテーマ。 ちなみにマルクスは、自分の「労働価値説」を絶対的真理として提起したのではない。あくまでも、弁証法的な真理、つまり、暫定的な真理として提起した。だから、いつかはマルクスの「労働価値説」を止揚する新しい「価値説」が出現することも予想していたし、マルクス派は、そうした新しい「価値説」の出現を歓迎すらする立場なので遠慮はいりません。是非とも32さんの「価値論」を教えてください!! >お前だってチベットやウイグルに対して中国の軍事侵攻は正しかったと言ったじゃないか(笑)。 ウソ。中国のチベットに対する政策が正しかったなどと言ったことは一度もないし、ウイグルについては、ほとんど言及したことはない。あると言うなら、証拠を提示してくれ。 チベットについては、解放前のチベットの情況については、中国側が正しいと書いた。その根拠は、解放前のチベットを見聞した日本人僧侶河口慧海の「チベット旅行記」を読んで、解放前のチベットの実情は中国側の説明通りとわかり、ダライラマ側の説明はウソと知ったから。 解放前のチベット政府は、ダライ・ラマが排泄した大便を乾燥させて丸薬にし、高額で販売していたぐらい、どうしょうもないデタラメな社会だった。また、著名なチベット研究者「木村肥佐生」(亜細亜大学教授)によると、20歳前後で死んだダライ・ラマ10世、11世、12世の3人は、チベットの支配階級である貴族や高級僧侶たちに暗殺された可能性が高いという。 つまり、チベットの支配階級は、ダライ・ラマが「生き神」などではなく、人間であることを知っていながら、ダライ・ラマの大便を薬として販売していた政府。 日本経済大学大学院の叶芳和教授によると、実は既に「東アジア経済圏」とでも呼ばれるべき経済圏が形成されていると言う。というのは、東アジア諸国の輸出総額に占める域内向け輸出の2013年の割合は約83%だから。現在、「日中韓FTA」交渉と「東アジア地域包括的経済連携」(RCEP)交渉が並行して進められている。これがまとまれば、いよいよ「東アジア共同体」結成に向けた本格的な交渉が始まる。 とにかく、「東アジア共同体」が結成されて主権国家化すれば、アジア各国は<県>のような存在になるので、尖閣や竹島、南シナ海などの領有問題も、またチベットやウイグル問題も解決する。中国という主権国家自体が消滅するから。これしか解決方法は無いだろう。 チベット旅行記 河口慧海 http://www.aozora.gr.jp/cards/001404/files/49966_44769.html >南沙諸島を尖閣諸島みたいに固有領土について一言も言ってないじゃないか(笑)。 尖閣諸島は中国の領土と言ったが、南沙諸島まで中国の領土と言ったことは、一度もない。米国や日本は公平ではないと言っているだけ。なぜなら、米国が言うように、南沙諸島のような領土の係争問題が発生したら、どの国も現状変更すべきではないのは確か。しかし、最初に、現状変更して軍を派遣し、飛行場も建設したのは中国ではなく、ベトナムやフィリッピン、台湾、マレーシアの方で、中国は最後だった。 だから、米国や日本は、ベトナムなどが占領した時にも「現状変更するな」と言い、その後に中国にも「現状変更するな」と言うなら、公平であるが、ベトナムなどが一方的に占領した時には何も言わず、中国には「現状変更するな」と非難するのは不公平。 これは、世界中で米国がしているダブルスタンダード政策で、事情を知らない人に、いかにも中国が悪いように見せかけ、アジアを分断するプロパガンダ政策。だから、米国は世界中で嫌われる国になった。(そもそも、米国は国連海洋法を認めていないので、国連海洋法を根拠に偉そうなことは言えない。批准してから文句を言うべき) 『戦後史の正体』 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4422300512?ie=UTF8&camp=247&creativeASIN=4422300512&linkCode=xm2&tag=magazine9-22 <孫崎享氏>戦後史の正体を語る1 9分50秒〜 https://www.youtube.com/watch?v=FfsWPdWAUR0 <孫崎享氏>戦後史の正体を語る2 https://www.youtube.com/watch?v=FfsWPdWAUR0 >他国に政策を口に出す。これを内政干渉というのです 32さんのコメントは、ほとんど素人レベルで呆れるしかない。他国の政策を批判するだけなら、内政干渉ではない。内政干渉とは、実際に野党勢力に資金提供したり、与党の政治家を買収すること。これは常識。 >アメリカがどうなろうが、知った事ではない。ロシアも欧州もイスラムもね。中国は日本にちょっかいしてきているから言っているだけであって、中国の共産党がどうなろうが知った事ではない。 無知の極み。シリアの難民問題でもわかるように、13〜14億人もいる中国の政府が倒れて内戦が起きたら、数千万とか億単位の難民が生じて、周辺国は難民に占領されて潰れるなど、世界的な規模での大惨事になる可能性がある。 九州などは難民の人数が日本人よりも多くなる県も出てくるかもしれないので、日本も無事では済まない。チベット民族は、かつては漢民族の首都を占領したこともあるほど大勢力だったが、戦争に負けてチベット高原地帯に逃げた民族。ベトナムは、南京に辺りにいた民族が戦争に負けて南下し、建国した国。 日本にも、古代には中国から多くの難民が渡来して来た。そもそも、このようにアジアの歴史は、中国国内での内戦で負けた勢力が周辺に散ってきた歴史。われわれ日本人の祖先である縄文人(古モンゴロイド)も、大陸での新モンゴロイドとの抗争に敗れて日本列島に避難してきた集団だった可能性が高い。 >まあ、国際社会というのは主義主張や エゴをむき出しにした国の方針、国益などがからむ争いの舞台・・・ だからこそ、戦争が無い世界をどのようにして実現するかという世界的規模での長期的な構想=ビジョンが大事。資本主義→国家資本主義→市場社会主義→社会主義(共産主義)へと時間をかけて徐々に移行するしかないだろう。資本主義も試行錯誤で形成された。だから、社会主義(共産主義)も試行錯誤で形成するしかない。 安倍は企業幹部を率いて外国に行き、自らセールスマンとなって日本製品を売り込んだり、企業に賃上げ城とか、スマホを安くしろとか言って、自ら自由経済の枠を越えつつある。安倍は現実に迫られて必要なことをしているだけだが、益々、無意識的な「国家資本主義者」になりつつある。 これは、世界経済の現実が日本に、中国やロシアのような「国家資本主義」化を求めているということ。(ロシアは銀行を国有化してはいないが、プーチンが実質的に支配しているので、事実上の国家資本主義) ★ただし、マルクスは唯一の哲学書である「ドイツ・イデオロギー」で、社会主義(共産主義)も<暫定的な理想社会論>でしかなく、マルクスは永久革命論(弁証法)の立場であることを表明していた。われわれは、社会主義(共産主義)の先も想定しているが長くなるので省略。 >漫画や映画などに出て来るスーパーマンなどのヒーローは、現実には存在しないのです 無知の極み。スーパーマンなどのヒーローが存在し、歴史をつくるという「英雄史観」を否定したのがマルクスの「唯物史観」。 >前の時なんかは有給休暇を申請して友人や知り合いを沢山呼んで思いっきり遊んだりと自由時間を有意義に使ったのだが(笑)? お目出度いお人好し。日本の労働分配率は近経でも40〜60%。つまり、本当は2倍は長く遊べたということ。富は人間の労働しか造りだせない。 >受験勉強して有名大学の経済学部に入る事が賢明です。 心配なく。内容はゼロの学部だが、名前だけは有名。クラスの級友たちは東大の落選組か、系列高校からのエスカレータ組ばかり。うちは東大のすべり止め校なので(笑) >リン鉱石がなくなったら昔のやり方に戻るんじゃない(笑)? >堆肥とか有機質肥料になるんじゃないですか(笑) 無知の極み。化学肥料無しで、堆肥とか有機質肥料だと、食料の生産量は3分の1に激減する。自給率40%の3分の1、つまり15%前後になるということで飢餓になるかも。しかも、リンを都市鉱山から低価格で回収しなくては意味が無いので、困難らしい。 >自分の事や人生は自己責任なのは当たり前。 これが、32さんの致命的誤謬。この「自己責任」の件は通常、@個人の「自己責任」と、A営利企業の「自己責任」の問題に分けられる。(以下、この件のみ。他は低レベル過ぎてパス) ●●@個人の「自己責任」。 ●32さんが、「自分の事や人生は自己責任」と考えるのは、32さんは32さん自身が「独立自存の個人」で、32さん自身の意志で諸決定を自由に行い、生きていると思うから。 ところが、良く考えれば、32さんがあれこれと主張していることは全て、他の人からの「受け売り」なのである。そこには、たった一つの32さん自身の固有の主張=オリジナルな判断の産物など無いのが現実であろう。 というと32さんは、確かに「受け売り」だが、32さんが正しいと判断した諸基準で総合的に選択したものだから、32さんのオリジナル性もあると反論するかもしれない。しかし、その選択基準さえもが、親などの他者から移植であって32さん自身の固有の選択による基準ではないのが現実である。 ●すると更に32さんは、その選択基準を採用した判断基準、つまり、基準の基準はオリジナルだと反論するかもしれないのだが、これは、論理的には基準の基準の基準と遡ることになる議論。つまり、32さんの個人史を遡ることで、最終的には幼児期も含めた子供の頃の話となってしまい、32さん自身も、実はそのように推測しているだけで、具体的に自己自身で判断した記憶は無いはずである。 しかも、この過程は「世のためにつくせ」とか、「自己の生命最優先で生きろ」とかの判断基準の抽象化の過程であり、抽象化すればするほど判断が困難となり、子供では正誤の判断が出来るような問題ではなくなる。例えば、単に「世のためにつくせ」と抽象的に言われても、幼児や子供ではなぜなのか不明で、質問や反論などできない。単に言われるままに受け入れるしかないので、32さん自身の選択ではないことになる。 ●ところが青年期になれば、「世のためにつくせ」と言われれば、個々人が他の「自己の生命最優先で生きろ」とかの基準とも総合して、「自己の生命を守りつつ、極力世のために尽くす」とか、納得がいく範囲内の基準に改修して同意したり、否定したりすることが出来るようになるが、「世のためにつくせ」と「自己の生命最優先で生きろ」のどちらも、他者から移植されて基準で、32さん自身が考案した固有の基準ではない。 このように、人が自分個人のオリジナルな考えと思っているものも、実は、そのほとんどが他者から学んだもの=「受け売り」であって、その人個人の固有の思想など、ゼロとは言わないがほとんど無い。この最大のものが言語であり、言語という「もの」は個人レベルではあり得ず、自分自身しか理解できないのであれば、せいぜいが暗号でしかない。 ●つまり、言語は意識の中の共通認識=共同主観性なので、オリジナルな「もの」の真逆なもの。われわれは、この言語習得の過程で共通の言語や価値観、世界観を身に着け、一つの民族へと自己形成する。また、われわれが真理と考えているものは、この言語で形成された意識の共通認識=共同主観性である。つまり、世に真理とされているのは「発見されたもの」ではなく、「発明されたもの」なのである。 (人間の思考は言語に拘束されている。虹の色は、2色から7色まで民族により様々。つまり、言語は感性さえも拘束しているので、日本人には犬のなき声は、どうしても「ワンワン」と聞こえてしまい、鶏なら「コケコッコー」と聞こえてしまう。長い間、人類は言語により、自由に思考できると考えていたが実は逆で、言語は思考をある範囲内に制限する。これを「言語論的回転」という) ★32さんは<固有の自己>=<自我>という「独立自存の個人」なるものを想定して、「自己責任論」を主張するのだが、<自我>なるものは実在しない。人間は身体だけでなく、「朱に交われば赤くなる」という諺通りに、関わる相手や環境によって意識が変わるもので、親が巨人ファンなら、子供も巨人ファンになる。人間は意識を相互に造り合う生物だからこそ、言語でのコミュニケーションが可能だし、社会も形成できる。 「自己責任論」は、<固有の自己>=<自我>という幻想を前提にしたもので、「独立自存の個人」が実在しないとなれば、あり得ない倫理観である。 ●32さんのような個人観は、中世までは存在しなかった。中世までは、個人はもちろん、社会全体や自然界までも、全て<全知全能の絶対神>(東洋の場合は「天」)が完璧に統制されていると誰もが思っていたから。 というのは、仮に<神>が個人さえも統制できないのであれば、社会全体や自然界までも統制できるはずがなく、<全知全能の絶対神>というキリスト教など宗教が唱える<神>の教えが崩壊してしまう。それで、キリスト教会は人々に、神の意思に反することは不可能で、個人のすることは全て神の「御心次第」と洗脳した。つまり、一見すると自分が決意したように思えるのだが、実は、その決意をしたこと自体が、神の意思に従ってしただけの「決意」で、それが思い通りになるかどうかも、神の意思通りと教えた。 (神に操られた「下僕」たる人間は「自由な存在」とは言えるはずもない。だから、本当に「自由な人間」の概念は、神の意思に反することも実行可能な人間ということになる) だから、今でも敬虔なイスラム教徒には、「インシャラー」(インシャー・アッラー)=「神の思し召しのままに」と口癖のように良く言う人が多い。これは、敬虔なイスラム教徒が何かをしようと思った時、それが神の意思と一致しているなら成功するし、そうでないなら失敗すると考え、成功するかどうかは個人のレベルを超えて神の意思次第と思って、「神の思し召しのままに」と願うのである。 つまり、敬虔なイスラム教徒は、自己の意思で行うことも、全て神が背後で<統御>していると解釈するので、このように考えるイスラム教徒は、32さんのように自分を「自由な個人」とは考えていないということ。これが、人間を<神の下僕>と考える中世人の人間観であり、個人観だった。 ●しかし、近世になり、宗教が衰退すると、人間の地位が劇的に上昇した。人間は神の理性に近似した知性を持つとされて、「基本的人権」を認めようという合意ができたのは良かったのだが、西洋ではキリスト教の教義に代わり、デカルトの「物心二元論」や「機械的自然観」がパラダイムとなってしまった。 この「機械的自然観」は当時、普及し始めた置時計をモデルにした自然観で、置時計が部品から出来ていることで、全体よりも部分(個・部品)を重視する思潮を生み出して、<分析ー総合>という方法論の近代科学が成立したのだが、社会思想としては個人主義となって、猛威を振るい始めた。 この個人主義が32さんのガン。個人主義とブルジョア自由主義の組み合わせは、「自分の臓器なら売っても良い、臓器販売を合法化しろ」というウルトラ野蛮へと突き進む。 仏教が教えるように、自我は実在しないし、本質や性質も実在ではない。19世紀には、この個を重視する流れに反発して、全体(国家・社会)を個(国民)よりも重視し、国家・社会を一種の生物のような「有機体」と考える「有機体主義」が復活した。これが20世紀に、国民と国家との関係では、国家があってこそ、国民も生存できるとする反動思想「ナチス思想」=「皇国史観」(天皇主義)になった。 しかし、個も全体も実在せず、どちらも実体主義=本質主義で間違い。個も全体も関係性が物象化したもの。つまり、自然界の「物」は「事」であり、最新の量子力学でも「物」(素粒子)は「事」(波)とされているし、「物」が「事」であることは、ミクロ世界だけでなく、マクロ世界でも「ヘリウムの極低温での超流動現象」などで確認されているという。 ●●A営利企業の「自己責任」の問題。 ●左派に対して、資本主義側の近経学者や政治家は、この「自己責任」の理念により、資本主義を正当化してきた。しかし、過去20年間に起きた経済危機でこの理念は放棄された。自由主義・資本主義のチャンピョンである米国も、同じ営利の私企業でも中小企業は見捨て、銀行や電力会社、鉄道、トヨタなどの巨大企業は、影響が大き過ぎるという理由で、政府が血税を投入して救済するようになった。 しかし、これは合法であれば自由に経営しても良いが、万一経営に失敗した場合は国や社会には迷惑をかけずに、「自己責任」で処理するという資本主義の理念に反する。チャンピョン米国が、資本主義を正当化してきた<自己責任の理念>を放棄してしまったので、資本主義をプロパガンダしてきた自由主義の学者は、ソ連型経済だけでなく、自由主義経済=資本主義体制も破綻したことを潔く認めるべき。しかし、卑劣なほとんどの学者もマスゴミも政党も、この<自己責任の理念>など無かったかのように装ってこの問題をスル―し、逃げている。 ●しかし、この件は、実は大変深刻な問題。なぜなら、この社会の根本的な正当性に関わる問題だからで、今までは、教師(大人)は子供たちに、一応は<自己責任の理念>で「正当性」を説明し、ギリギリ擁護することができたが、今は、この社会の公平性、正当性を説明することも、擁護することもできない。 近代社会は、<自由・平等・博愛>という理念を掲げる社会。この理念とは、他者の平等の権利を侵さない限りにおいて、自由を追求しても良いし、他者の自由の権利を侵さない限りにおいて、平等を追求しても良いというもので、自由・平等・博愛の理念は一体的なもの。 だから、平等性が無くなれば、近代社会の<自由・平等・博愛>という理念の全体が崩壊するわけで、今の子供たちは明らかに、この近代社会の理念に反する不平等な社会、一種の前近代的な身分制社会で生きている。つまり、今の子供たちは理念を失った社会で、とにかく「<法>に反しなければ何をしても良い」という社会で生きることになる。 一般的に行動を制御する理念や道徳、倫理が無くなると、全ての犯罪を予め法で規制することは不可能なので、警察は犯罪の被害者に、「遺憾ながら、取り締まる法が無いのです」と言って、泣き寝入りを求めるしかなくなる。 ★だから、社会の腐敗堕落を防ぐためにも、私企業を、@万一の場合には税金投入で救済する(巨大)企業と、A<自己責任の理念>が適用される企業とに分け、前者の@は公有化する国家資本主義へと移行するべきである。 ★銀行が国有化されれば、全てが解決するというわけでもないが、国民が経済を半ばコントロールできる可能性が生まれ、非正規を無くすなど、今の社会よりも、はるかに良い社会になる。
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