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イラクやアフガンで戦った元参戦軍人数百 米国から強制送還:永住権で釣って軍務に:死後はアーリントン墓地に葬られる特権?
http://www.asyura2.com/16/warb17/msg/108.html
投稿者 あっしら 日時 2016 年 2 月 03 日 02:21:09: Mo7ApAlflbQ6s gqCCwYK1guc
 


イラクやアフガンで戦った元参戦軍人数百 米国から強制送還[スプートニク日本語]
2016年02月02日 10:42

イラクやアフガニスタン、その他のホッとポイントで米国旗のもと世界中で民主主義のために戦った多くの元参戦軍人が、今や国には必要なしとされ、強制送還された。米国Foxnewsが伝えた。

同TVは、ヘクター・バラハス氏(38歳)の人生を紹介している。彼は、7歳の時にメキシコから米国に渡り、1995年から2001年まで米軍に所属していたが、彼が人生の大部分を捧げた国の市民には、結局なれなかった。彼が最初にメキシコに強制送還されたのは、2004年だった。その時、彼の車から銃火器が発見されたからであった。その後2009年に、再び強制送還された。彼は、メキシコのティフアナ(バハ・カリフォルニア州の北部、米国との国境にある都市)に居住し、米退役軍人支援ハウスを設立した。家族は、今も米カリフォルニア州に残っている。

支援ハウスには、普通の生活に適応できなかった元軍人数名が住んでいる。ヘクター氏の話では、彼は、軍を退いた後、米国から自分が生まれた国、ボスニアからエクアドル、ガーナなど22カ国に強制送還された元軍人約300人を個人的に知っているとのことだ。

TV報道によれば、運命の皮肉によって、ヘクター氏のような軍人は、紛争地で戦った退役軍人としての特典があるものの、強制送還の状態にあるため、それを受けられないでいる。

元参戦軍人達自身の証言では、米国から強制退去させられた元軍人の数に関する正確なデータはないという。彼らは通常、自分達が生まれた国に送られるが、その際、米政府は、退役軍人達が自分の生まれた国と何の関係も持ちえない事など考慮しない。米国から追い出された元軍人の大部分は、グリーンカードの取得者だった。

米国防総省は、次のように説明している-「米軍では様々なポストで、ほぼ6万5千人の『非米国系市民』が勤務している。彼らが軍務に携わろうとする主な理由は、それによって市民権の手続きが加速化されるからだ。しかしだからと言って、それが強制送還から彼らを守ってくれるわけではない。」

ヘクター氏は、TV取材に対し、次のように述べた-

「私には今も、アーリントン墓地に葬られる権利がある。しかし生きているうちは、米国には帰国出来ない。恐らく、私が死んで初めて、私には米国籍が与えられ、私に対し感謝の言葉が送られるのだろう。」

また新聞「ヴェテランズ・トゥデイ」のゴードン・ダフ編集長は、TV「ロシア・トゥデイ(Veterans Today)」のインタビューの中で、次のように語っている-

「退役軍人の多くは、心理面での支援を必要としている。米国防総省のデータによれば、2012年だけで、アフガニスタンやイラクでの戦闘に参加した軍人、およそ6500人が自ら命を絶った。つまり1時間半ごとに、米国の元参戦軍人1人が、自主的にこの世を去る決心をしているのだ。そして、積極的な軍務についている軍人全体の約35%が、何らかの精神障害に苦しんでいる。

刑務所や精神障害者のためのクリニック、ホームレスの人達の一時避難施設などは、元参戦軍人で一杯だ。」

大統領府は、戦闘行為に加わった人達のケアについて、あらゆる事を口にし、彼らに住居を保証すると約束している。しかし、運よく米国内に残れたものでさえ、自分の新生活を見つける事が出来ず、社会の階段を転げ落ちている。

2014年のデータによれば、米国内では、元参戦軍人5万人がホームレスとなっている。もちろんこの数字は、こうした不愉快な数字を減らす最良の方法とは到底言えないが、統計の外にある元軍人を含めていないので、実際は明らかにもっと多くなるだろう。

http://jp.sputniknews.com/us/20160202/1533369.html

 

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コメント
 
1. 2016年2月03日 07:41:53 : KzvqvqZdMU : OureYyu9fng[328]
アーリントン墓地は良くて 靖国はイカン
と、糞サヨは言いたいのであろう。

バタ臭い小理屈はいけない




[32初期非表示理由]:担当:アラシコメント多数のため全部削除

2. 2016年2月03日 17:42:09 : nJF6kGWndY : n7GottskVWw[557]

>彼の車から銃火器が発見されたから

米国に限らず、外国籍のテロ予備軍、反政府主義者、犯罪者などは国外退去処分になることは珍しくは無い

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3

1945年に第二次世界大戦が終結し、ソビエト連邦をはじめとする東側諸国との冷戦が始まったアメリカで、『モダン・タイムス』以降の一連の作風が「容共的である」とされ、非難の的とされた。特に1947年公開の『殺人狂時代』以降はバッシングも最高潮に達し、1950年代に入り、ジョセフ・マッカーシー上院議員指揮の下、赤狩りを進める下院非米活動委員会から、他の「容共的である」とされた俳優や監督とともに何度も召喚命令を受ける。しかしそのような中で1948年に、フランス映画批評家協会は彼をノーベル平和賞に推薦した。
1952年、ロンドンで『ライムライト』のプレミアのために向かう船の途中、アメリカのトルーマン政権の法務長官ジェームズ・P・マクグネラリー(en:James P. McGranery)から事実上の国外追放命令を受ける。自身の意にはそぐわなかったが、スイス・ローザンヌのアメリカ領事館で再入国許可証を返還。自らに名声や富、成功をもたらす大きな原動力となったアメリカと決別する[6]。
アメリカの一般国民はこのチャップリンの追放劇に激しく抗議。決定した国務長官のもとに国内だけで数万通に及ぶ抗議の手紙が殺到した。国務長官は特別に、「チャップリン氏がアメリカにとって危険な人物である証拠は存在するが、今は明らかにできない」と苦し紛れの声明を出さざるを得なくなった。さらに1954年には左派団体の世界平和評議会が「平和国際賞」を贈るなど、この追放劇はチャップリンの名声を利用しようとした世界各国の右派、左派両方から政治的に利用される結果となった。


3. 2016年2月03日 19:07:33 : 0dmNneyp7w : uD@LgOhY6yM[3]
人を殺す、それも何の罪もない人を殺すのを仕事をしていれば精神を病むのも当たり前だろう。

1のコメント者も同じである。


4. 2016年2月04日 06:17:53 : fpt8itpB5Q : zW@YYVl31Kw[261]
>>1
靖国神社は戊辰戦争で日本人大虐殺を行った朝鮮人の桜山招魂社が起源だからイカン


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