>>21 沖縄の人を馬鹿にするのもいい加減にしなさい。 ギャーギャー煩いバカサヨカルト信者以外はまともな人の方が多いのを知らないの?(あ、そうか、プロ市民は半数以上外国人だったわ) 件の赤松嘉次元大尉は、島民の生活の為に甘んじて悪者になったんだよ。泣ける話だ。 >島民が年金や弔慰金を受け取れるようにするために名前を使われた赤松嘉次元大尉・・ 嘘ついてた照屋さんて人が、後に自責の念に駆られて詫びてるじゃないか。 それさえ嘘だ!というならもう救いようがない。オ〜エと一緒に心中してね。 (ん十年前に日教組の最高顧問であらせられたそうで) まあ、ダメな人には何をいったところでムダだから、聴く耳を持った日本人(読む気がある人)は是非とも読んでみてくださいね。
↓ ■ Japan On the Globe(472)■ 国際派日本人養成講座 ■ Media Watch: 悪意の幻想 〜 沖縄戦「住民自決命令」の神話 「沖縄戦において日本軍が住民に集団自決を強要 した」との神話が崩されつつある。 ■転送歓迎■ H18.11.19 ■ 35,019 Copies ■ 2,294,740 Views■ http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h18/jog472.html(全文転載) ■1.日本軍が『集団自決』を強要!?■
「沖縄戦において日本軍が住民に集団自決を強要した」との 「説」に関して、いま裁判が行われている。この「説」は高校 や中学の教科書にも登場する。[1,p336] 犠牲者のなかには慶良間諸島の渡嘉敷島のように、日本 軍によって『集団自決』を強要された住民や虐殺された住 民も含まれており・・・(三省堂の高校日本史A) 軍は民間人の降伏も許さず、手榴弾をくばるなどして集 団的な自殺を強制した(日本書籍新社の中学社会) 裁判というのは、集団自決が起こったとされる座間味島の守 備隊長だった梅澤裕・元少佐と、渡嘉敷村の守備隊長だった故 ・赤松嘉次元大尉の弟・赤松秀一さんが原告となり、『沖縄ノ ート』などで長らくこの説を流布してきた大江健三郎氏と岩波 書店に対して、出版停止と謝罪広告、慰謝料2千万円を求めた ものだ。 ■2.遺族援護のために「命令を出したことにしてほしい」■
判決はこれからだが、この「説」が事実でないことを示す決 定的な証言がすでに出ている。 第二次大戦末期(昭和20年)の沖縄戦の際、渡嘉敷島 で起きた住民の集団自決について、戦後の琉球政府で軍人 ・軍属や遺族の援護業務に携わった照屋昇雄さん(82) =那覇市=が、産経新聞の取材に応じ「遺族たちに戦傷病 者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令とい うことにし、自分たちで書類を作った。当時、軍命令とす る住民は1人もいなかった」と証言した。・・・ 同法は、軍人や軍属ではない一般住民は適用外となって いたため、軍命令で行動していたことにして「準軍属」扱 いとする案が浮上。村長らが、終戦時に海上挺進(ていし ん)隊第3戦隊長として島にいた赤松嘉次元大尉(故人) に連絡し、「命令を出したことにしてほしい」と依頼、同 意を得たという。・・・ ●照屋さんは「うそをつき通してきたが、もう真実を話さ なければならないと思った。赤松隊長の悪口を書かれるた びに、心が張り裂かれる思いだった」と話している。[2] ■3.「全島民、自決せよ」■
「自決命令神話」を最初に世に広めたのは、昭和25年8月に 沖縄タイムス社から出版された『鉄の暴風』である。この本で は、当時の状況を次のように描写している。 昭和20年3月26日、米軍の一部が渡嘉敷島の海岸数カ所 から上陸を始めた。赤松大尉率いる守備軍は、渡嘉敷島の西北 端の西山A高地に移動した。 ・・・移動完了とともに、赤松大尉は、島の駐在巡査を 通じて、部落民に対し、『住民は捕虜になる怖れがある。 軍が保護してやるから、すぐ西山A高地の軍陣地に避難集 結せよ』と命令を発した。さらに、住民に対する赤松大尉 の伝言として、『米軍が来たら、軍民ともに戦って玉砕し よう』ということも駐在巡査から伝えられた。・・・ 住民は喜んで軍の指示にしたがい、その日の夕刻までに、 大半は避難を終え軍陣地付近に集結した。ところが赤松大 尉は、軍の壕入口に立ちはだかって「住民はこの壕に入る べからず」と厳しく身を構え、住民達をにらみつけていた。 ・・・ 二十八日には、恩納河原付近(JOG注:西山A高地の一帯) に避難中の住民に対して、思い掛けぬ自決命令が赤松から もたらされた。 『こと、ここに至っては、全島民、皇国の万歳と、日本の 必勝を祈って、自決せよ。軍は最後の一兵まで戦い、米軍 に出血を強いてから、全員玉砕する』というのである。 住民には自決用として32発の手榴弾が渡されていたが、こ の時さらに20発増加された。住民たちは各親族どうしが一塊 になって、その中心で手榴弾を爆発させた。 手榴弾はあちこちで爆発した。轟然たる不気味な響音は、 次々と谷間に、こだました。瞬時にして----男、女、老人、 子供、嬰児----の肉四散し、阿修羅の如き、阿鼻叫喚の光 景が、くりひろげられた。死にそこなった者は互いに棍棒 で、うち合ったり、剃刀で自らの頸部を切ったり、鍬で親 しいものの頭を叩き割ったりして、世にも恐ろしい情景が、 あっちの集団でも、こっちの集団でも同時に起こり、恩納 河原の谷水は、ために血にそまっていた。[1,p51] ■4.「最後まで生きて、生きられる限り生きてくれ」■
作家の曽野綾子氏は渡嘉敷島に渡り、当時の状況を直接見聞 した人たちの証言を丹念に集めた。 上の引用で、赤松大尉から自決命令を伝えたとされる「島の 駐在巡査」安里喜順氏は、赤松大尉に部落民をどうするか相談 にいった時のことをこう語っている。 そうしたら隊長さんの言われるには、我々は今のところ は、最後まで(闘って)死んでもいいから、あんたたちは 非戦闘員だから、最後まで生きて、生きられる限り生きて くれ。只、作戦の都合があって邪魔になるといけないから、 部隊の近くのどこかに避難させておいてくれ、ということ だったです。 しかし今は、砲煙弾雨の中で、部隊も今から陣地構築す るところだし、何が何だかわからないまま、せっぱつまっ た緊急事態のときですから、そうとしか処置できなかった わけです。[1,p145] 『鉄の暴風』が言うような安全な「壕」など存在しなかった。 部隊は米軍の「砲煙弾雨」の下で、穴一つなく「今から陣地構 築する」という状況だったのである。 そんな状態の部隊に、住民が混じれば、一緒に攻撃を受ける ので、かえって危険である。少なくとも住民が部隊と離れて避 難していれば、米軍が非戦闘員への攻撃を禁じた戦時国際法に 従う限りは、かえって安全だ。赤松大尉の判断は軍人として適 切だった。 恩納河原には、住民達がいざという場合のために作った避難 小屋があった。住民たちはそこに逃げ込んだ。 しかし皆、艦砲や飛行機からうちまくる弾の下で、群集 心理で半狂乱になっていますからね。恐怖にかられて・・ ・・この戦争に遭った人でないと、(この恐怖は)わから んでしょう。[1,p147] その混乱の中で悲劇は起こった。 ■5.「何でこんな早まったことするね、皆、避難しなさい」■ ●曽野氏が赤松元大尉に、「自決命令は出さないとおっしゃっ ても、手榴弾を一般の民間人にお配りになったとしたら、皆が 死ねと言われたのだと思っても仕方ありませんね」と問うと、 赤松・元大尉はこう答えた。 手榴弾は配ってはおりません。只、防衛召集兵(JOG注: 部隊に招集された地元民の成年男子)には、これは正規軍 ですから一人一、二発ずつ渡しておりました。艦砲でやら れて混乱に陥った時、彼らが勝手にそれを家族に渡したの です。今にして思えば、きちんとした訓練のゆきとどいて いない防衛召集兵たちに、手榴弾を渡したのがまちがいだっ たと思います。[1,p153] ●村民達が自決を始めたなかに4人の女性がいた。手榴弾が不 発で死ねなかったので(多くの村民は手榴弾の扱い方を知らな かった)、「敵に突っ込もう」と、4人は部隊の本部に行った。 ●彼女たちは曽野氏にこう語っている。 A 私は行ったわけですよ、本部に。赤松隊長に会いに。 B 本部のとこに、突っ込みに行ったから「何であんた方、 早まったことをしたなあ」 C 「誰が命令したねえ」 D 「何でこんな早まったことするね、皆、避難しなさい」 と言った。[1,p172]
●これが集団自決を知った赤松隊長の反応であった。4人はこ の赤松隊長の言葉で気を取り直し、米軍の砲撃下を他の人びと とともに避難して、無事生き延びたのである。
■6.「何のためにあなた方は死ぬのか、命は大事にしなさい」■ 曽野氏が当時の多くの体験者から集めた証言から浮かび上がっ てくる赤松隊長像は、『鉄の暴風』に描かれた全住民に自決命 令を下す悪魔的な人物とはほど遠い。
古波蔵・元村長はこう語っている。 (事件から)一週間経って軍陣地から恩納河原へ帰った 時は状況は安定していました。その頃からもう、衛生兵が 来ましてね。いろいろ治療もしてくれました。[1,p142] 治療をした若山・元衛生軍曹は、それを赤松隊長と軍医から の命令であった、と断言している。 また女子青年団長だった古波蔵蓉子さんの証言では: 私は(JOG注:終戦間近の)7月12日に、赤松さんのと ころへ斬り込み隊に出ることを、お願いに行ったことある んですよ。5、6人の女子団員と一緒に。そしたら、怒ら れて、何のためにあなた方は死ぬのか、命は大事にしなさ いと言って戻された。[1,p270] この古波蔵蓉子さんたちも、衛生兵が治療した人々も、そし て前節の4人の女性も、赤松大尉によって救われた人々である。 こうした証言を読めば、赤松大尉は自決命令どころか、地元住 民たちになんとか戦火の下で生き延びて貰いたいと、心底から 願っていた事が判る。 それにしても『鉄の暴風』は何を根拠に、いかにも見てきた ように正反対の赤松大尉像を描いたのか。曽根氏は著者の太田 良弘氏に会って、太田氏は渡嘉敷島に行っていないこと、証言 者二人に那覇まで来て貰って取材した事を聞き出している。 この二人は渡嘉敷島の隣の座間味という島の助役と南方から の帰還兵であった。助役の方は座間味での集団自決は目撃して いたが、渡嘉敷島での事件は、人から聞いたのみであった。ま た帰還兵は、事件当時まだ南方におり、当然、事件を直接目撃 していない[1,p63]。 太田良弘氏はこの二人が周囲から聞き込んだ内容を又聞きし て、想像を膨らませて、この「文学作品」を書いたのである。 ■7.「もし本当のことを言ったらどうなるのか」■
昭和45年3月26日、赤松元大尉と生き残りの旧軍人、遺 族十数名が、渡嘉敷島で行われる「25周年忌慰霊祭」に出席 しようと那覇空港に降り立った。 空港エプロンには「渡嘉敷島の集団自決、虐殺の責任者、赤 松来県反対」の横断幕が張り出され、「赤松帰れ! 人殺し帰 れ!」とのシュプレヒコールがあがった。「何しに来たんだよ!」 と激高した人々に取り囲まれて、直立不動の赤松元大尉は 「25年になり、英霊をとむらいに来ました」と答えた。 結局、赤松元大尉は渡嘉敷島に渡るのを自粛したが、部下達 は慰霊祭に参加し、地元の人々と手を取り合って往事を偲んだ。 那覇から大阪に帰る前の晩、記者会見が開かれた。その席で 赤松・元大尉の責任を問う記者たちに、部下の一人はこう言っ た。 責任というが、もし本当のことを言ったらどうなるのか。 大変なことになるんですヨ。・・・いろいろな人に迷惑が かかるんだ。言えない。[1,p38] 冒頭で紹介したように、赤松元大尉が「遺族が援護を受けら れるよう、自決命令を出したことにして欲しい」と依頼されて 同意した事実が明らかにされたが、赤松元大尉が真相を語らな かったのは、それによって援護を受け取った遺族たちに迷惑が かかるからだった。 遺族たちのために、赤松大尉は「住民自決命令を出した悪魔 のような軍人」という濡れ衣を着せられながら、戦後ずっと弁 明もせずに過ごしてきたのだった。 ■8.「悪意の幻想」と闘う裁判■
赤松・元大尉が「おりがきたら、一度渡嘉敷島に渡りたい」 と語っていたという新聞記事を読んで、大江健三郎は『沖縄ノ ート』にこう書いている。 人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪の 巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねが う。かれは、しだいに希薄化する記憶、歪められる記憶に たすけられて罪を相対化する。つづいてかれは自己弁護の 余地をこじあけるために、過去の事実の改変に力を尽くす。 ・・・ このようなエゴサントリック(JOG注:自己中心的)な希 求につらぬかれた幻想にはとどめがない。「おりがきたら」、 かれはそのような時を待ち受け、そしていまこそ、そのお りがきたとみなしたのだ。[3,p210] さすがはノーベル賞作家である。新聞記事を読み、「おりが きたら」というたった一言から、自己弁護のために「過去の事 実の改変に力を尽くす」「幻想にはとどめがない」人物として 赤松・元大尉を描いて見せたのだった。しかし、「幻想にはと どめがない」のは大江氏自身である。 現地を訪れもせず、直接の体験者の話も聞かず、いかにも見 てきたように赤松元大尉を悪魔的な人物として描いた『鉄の暴 風』と、この大江氏の『沖縄ノート』は、赤松・元大尉を糾弾 することによって、日本軍を、ひいては日本国家を貶めようと した「悪意の幻想」の産物なのである。 この「悪意の幻想」から、赤松元大尉と日本軍、そして日本 国家全体の名誉を救い出すために、岩波書店と大江健三郎に対 する裁判が闘われているのである。[4] (文責:伊勢雅臣) ■リンク■ a. JOG(196) 沖縄戦〜和平への死闘(http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h13/jog196.html) 勝利の望みなきまま日本軍は82日間の死闘を戦い抜き、米 国の無条件降伏要求を撤回させた。
■参考■(お勧め度、★×4:必読〜★×1:専門家向け) →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。 1. 曽野綾子『沖縄戦・渡嘉敷島 集団自決の真実』★×3、 ワック、H18 2. 産経新聞「『軍命令は創作』初証言 渡嘉敷島集団自決 元琉球政府の照屋昇雄さん」、H18.08.27 3. 大江健三郎『沖縄ノート』★、岩波新書、S45 4. ブログ「沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会」 (http://blog.zaq.ne.jp/osjes/) おたより
■「悪意の幻想 〜 沖縄戦「住民自決命令」の神話」に寄せられた おたより はまださんより 今回は読んでいて辛いものでした。赤松大尉や部下の方々、 照屋さん達当時を知る沖縄の人々、長い間、両者とも、どんな に辛かったことでしょう。 やむを得ず、あるいは政治的意図のために、あるいは心無い 人々に誹謗されてどれだけの日本軍人が名誉や命を失ったでしょ うか。それは当人だけでなくご家族、ご遺族の人生も狂わせま した。 梅澤少佐と赤松さんを支援するまでの力がなくて申し訳ない のですが、なんとしても勝訴していただきたいと思います。大 日本帝国や旧日本軍への悪宣伝は国の内外で続いています。日 本軍の名誉回復は即ち日本人一人ひとりの名誉回復でもありま す。 そしてもっと早く日本軍への敬意や信頼が回復され、自衛隊 を日本軍にできていたら、現在の北朝鮮の増長もなかったので はないかと思います。 ■ 編集長・伊勢雅臣より
この裁判を支援している人々に感謝と敬意を捧げたいと思い ます。 ____________________________________ 沖縄集団自決の真実〜左翼のウソに騙されていた〜 ライター:souma_hakonekonakinsさん(最終更新日時:2014/7/6)投稿日:2014/7/6 http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n289896?__ysp=5rKW57iE5oim44Gn5pel5pys6LuN44Gv6Ieq5rG644KS5by36KaB44GX44Gf44Gu44GL (略) ●自決はともかく、上官が部下に「殺人命令」を下した例は実際にあった。アッツ島玉砕のときである。 ●昭和18年5月29日、日本守備隊2,500人が玉砕したが、中には傷を負ったり病で野戦病院のベッドに横たわったまま起き上がれない兵もいた。このとき、軍医たちは上官から病人を注射で薬殺するように命令を受けている。もし沖縄で軍命令が出されていたとしても、傷病兵を戦友の手で殺害して彼らを不名誉から救おうと考えたアッツ島の上官と、ほぼ同じ状況判断を下したといってよい。●命令の根底にあるのは愛情である。 《上坂冬子 正論2008/3月号》 ●考えてもみよ。そもそも集団自決というものは、米軍がその圧倒的兵力を以て迫らない限りは起こりよう筈もないのである。サイパンでも満洲でも集団自決が起こったところはどこでもそうだ。敵がその圧倒的戦力で周囲を包囲し、もうどこにも逃げ場がないという心理的に追い詰められた極限的状況の中でしか、集団自決というものは起こらない。●住民をそこまで絶望的立場に追いやったそもそもの元凶は、日本軍ではない。米軍(満洲の場合はソ連軍)なのである。 《勝岡寛次 正論2008/4月号》
(略) ●サイパンでもテニアンでも、たくさんの人たちが亡くなっている。●ひめゆりの塔の少女たちは軍命令で闘ったわけではない。●僕も中学1年生だったけれど、「一人一殺」で死ぬつもりだった。 《屋山太郎 正論2007/12月号》 私の興味を引いたのは、大江健三郎氏が『沖縄ノート』の中でこの守備隊長を「あまりにも巨きい罪の巨魁」と書いていることだった。私は「罪の巨魁」と、神からではなく、人間から断じられるような人を現世でまだ見たことがなかったから、そういう人には会っておきたいと好奇心から思ったのである。それから始めた調査の結果を、私は「ある神話の背景」という題で、『諸君』の1971年10月号から1年間連載させてもらった。
●「敵の手にかかって辱めを受けるより、潔く自決する」という考え方は、日本の軍部の圧制によって発生した悪事のように言われるが、世界的にはそういう考え方の方が少数派である。
イスラエルのマサダ要塞では、紀元1世紀にローマ軍に囲まれた千人近くのユダヤ人が、2年間の籠城の後、まず選ばれた10人が全員を殺し、この10人のうちの1人が残りの9人を殺して自分は自決するという最期を選んだ。この事件は決して強制された死ではなく、そこで死んだ全てのユダヤ人たちは愛国者としての名誉ある自決を選んだのだ、と今なお民族の誇りとして讃えられている。 《曽野綾子 諸君!2009/6月号》
(略) ≪「大尉は自ら十字架背負った」≫ ●「大尉は、自ら十字架を背負ってくれた」。沖縄戦の渡嘉敷島で起きた集団自決の「軍命令」を新証言で否定した元琉球政府職員、照屋昇雄さん(82)。●島民が年金や弔慰金を受け取れるようにするために名前を使われた赤松嘉次元大尉は、一部マスコミなどから残虐な指揮官というレッテルを張られてきた。照屋さんは、自分のついた「うそ」で、赤松元大尉が長年非難され続けてきたことがつらかったという。 (略) ____________________________________ 狼魔人日記 沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。 街宣炸裂!大江健三郎をノックアウト 2015-11-26 05:50:07 | 大江健三郎のいかがわしさ http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/c/72cbd374cbd1a1e235726578ff8132b4 の中で紹介されていたブログ
↓ 龍柱に反対する市民の会 http://stgeoge.ti-da.net/e8158437.html LOVE シーサー シーサー平和会議 龍柱反対署名提出 2015年11月20日 総合計 29,045筆 (略) 2015年11月24日 11/23 街宣炸裂!大江健三郎をノックアウト!偽反原発 捏造・集団自決軍命説 11月23日(月・勤労感謝の日)12時より 大江健三郎講演会に抗議街宣致しました。 作成した配布ビラのポイントは2つ 1、上原正捻氏の、琉球新報を相手どった『パンドラの箱告訴』の勝訴によって、 大江健三郎の『沖縄ノート』の集団自決への軍の命令説は崩壊し、事実ではないとなったにも関わらず、 撤回も謝罪も無い事への抗議 2、反原発のリーダーとなっているが、 ●実は『核時代の想像力』という1968年の発刊の本において、原発推進派だった。 ●しかし、撤回もせずに、2007年に再版し印税をちゃっかりもらい、昨年の原発反対集会で安倍総理に対して「責任」という言葉をヌケヌケという『無責任』ぶり。 下記が配布ビラです。250枚用意したが前半の1時間半ぐらいで完売でした。
(略) 金城テルさんの渾身のカウンター街宣は30分弱でしたが、3分弱の抜粋動画で上げます。 ● 教職員組合の狂気の教公二法阻止運動の後ろに大江がいた事と、今の辺野古基地反対と同じような事へ向かっていると指摘。 (動画 金城テル氏、48年前に日教組の最高顧問だった大江健三郎を徹底批判 沖縄の教公二法阻止闘争は共産革命 https://www.youtube.com/watch?time_continue=5&v=JcZLh37rEko) 金城テルさんは、午後1時頃には次の予定の為に去られました。 その後、私が必死に街宣で大江氏の嘘と矛盾と無責任を指摘しました。私の声が一番向こう側に通るからです。 (動画https://www.youtube.com/watch?v=SPTcR0KFv-A) ↑ とりあえず、街宣の一部の動画です。 <大江健三郎の嘘を撃つ 6分 平成27.11.23> しかし、残念な事に、街宣は渾身の力で話すので、大江氏本人が目の前で車を降りて会場に入って行くのを、仲間が教えてくれているのに気づきませんでした。 でも、しっかり沖縄で大江健三郎に抗議する県民がいる事を示せた、これは歴史的な事です! 最近、私たちの街宣活動に見学や応援に北部からわざわざ来てくださる方々がいますが、この大江健三郎講演会への抗議街宣も、いつもの仲間以外に、ご都合を付けて来て下さった方が4名ほどいらっしゃり、ビラ配りを手伝ったり、差し入れのお菓子を頂いたり、元気が出ます。本当にありがとうございます。 小さい声で「ご苦労様」「がんばって下さい」も増えて来ています。 ●それに引き換え、情報弱者の元教員らしき左翼思想の高齢の皆さんは、違う情報に耳を閉じ、両腕でバッテンやくるくるパーのしぐさをする幼稚さ、「ウソをつくな」とワンパターンの返答。沖縄マスコミや左翼言論以外の情報や知識、意見の検証は全くしていない事は明らか、被害者意識を植え付ける事の凄まじさに呆れます。 講演会参加者たちが、街宣を耳にした面白い反応として、 『核時代の想像力』という大江健三郎氏の本を読んでいない、原発推進派だった事を知らない、だろう反応。 大江健三郎が芥川賞を取った短編『飼育』さえも読んでいず、「黒人捕虜への人間扱いでは無い、動物扱いの差別、僻地の村人を土人扱いの差別」と話すと、反論出来ずシ〜〜ンといった感じです。 ●真実を見極める事を放棄した高齢者が我が物顔で沖縄の世論を決めつけている、と痛感しました。 ■琉球新報記事 2015年11月24日 05:05 <大江健三郎さん「辺野古移設 何も解決しない」 那覇で講演>http://ryukyushimpo.jp/news/entry-176863.html 抜粋: 戦後70年企画「大江健三郎講演会〜沖縄から平和、民主主義を問う〜」(琉球新報社主催、岩波書店共催)が23日午後、那覇市泉崎の琉球新報ホールで開催された。モニター画面で聴講した人も含め740人がノーベル賞作家の沖縄への思いに聞き入った。学生との対話も催され、学生から政府の新基地建設強行について問われた大江氏は「狭い沖縄に核兵器の基地があるということが本質的問題。移設しても根本的には何の解決にもならない」と答えると大きな拍手が起きた。 講演では、沖縄との出合いや「九条の会」の活動を振り返り、サンフランシスコ講和条約で沖縄が日本から切り離された日(4月28日)を「主権回復の日」として「天皇陛下万歳」と唱和したことに触れて、安倍政権を厳しく批判した。 80歳になる大江氏は講演で、憲法の価値が文化として日本に根付いていることを強調し「海外で危険な目に遭いながら活動する、特に女性たちが、憲法を文化として持っていることに希望を持っている」と述べた。その上で「そのような子どもたちを育てていただきたい」と若い世代への期待を語った。 講演に続いて、潮平芳和琉球新報編集局長の進行で県内の学生3人との対話が行われた。沖縄国際大3年の植(うえ)憲介さん、同大3年の儀間友里花さん、琉球大4年の酒本萌子さんが質問を投げ掛け、大江さんは丁寧に応じた。岩波書店の岡本厚社長も登壇した。 沖縄の意見を無視し行われている基地政策をめぐり「沖縄にとって何が一番大切か」という学生からの問いには「あなたたちが大事だ。はっきりと主張する新世代がいることが希望だ。具体的にどうするか、考え続けることだ。頑張ってください」とエールを送った。 会場からの質問にも答え、著書の「沖縄ノート」(岩波新書、1970年)について「沖縄の人に読んでもらっていることで緊張が続いている」と話し、「このように多くの方が来られて討論が続いていることに敬意を持つ。呼んでくださってありがとう」と感謝を表した。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ●本当に、大江健三郎氏と琉球新報、岩波書店の社会性ゼロ、法治国家無視、確固たる反日ぶりに唖然です。 ●しかし、私たちの街宣パンチにノックアウトされた事は上記の記事でよく分かります。 ●なぜなら、2つの裁判を起した大江氏の捏造『沖縄ノート』の「集団自決への軍の命令説」についても、最近の活動の主な物を占める「反原発」についても言及せずに逃げているからです。 ●私たちの街宣追求は痛過ぎた、逃げるしか無い、やはり卑怯な対応しか出来ない、という事。 この講演会に裁判の被告人の岩波書店社長までヌケヌケ来ていたが、サヨクで固められたはずの沖縄で否定され、さぞかし残念だった事でしょう。 ●不思議に、警察に「街宣音がうるさい」という通報が無かったようで、通報しても続ける私たちの根性は認識したようです。 大江氏は「狭い沖縄に核兵器の基地があるということが本質的問題。移設しても根本的には何の解決にもならない」と答えると大きな拍手が起きた。 ↑ 沖縄の米軍基地の普天間も嘉手納も、大江氏を代表するあなた達平和運動家の大好きな『国連』の『国連指定基地』です。 有事の際は日本国の許可無く『核兵器』の持ち込みも許されています。 まさか、普天間基地も嘉手納基地にも『国連旗』が日本国旗と米国国旗と並んで掲げられている事を知らないのでしょうか? 国連指定基地への反対運動は「平和に対する罪」です。 サンフランシスコ講和条約で沖縄が日本から切り離された日(4月28日)を「主権回復の日」として「天皇陛下万歳」と唱和したことに触れて、安倍政権を厳しく批判した。
↑●大敗戦した日本国が、短い7年弱で、やっと形の上でも独立国に戻れたのは、沖縄戦を含む日本国民一丸の戦いぶりと、生き残った日本人の戦後の復興の頑張りによります。なぜ奇跡の復興が出来たか、天皇陛下がいらっしゃったからですよ。●その天皇陛下を敬う国民一人一人の頑張りで、米国が絶対に手放したくなかった沖縄の祖国復帰が43年前に達成されたのです。何の努力も協力もしないペンよりも重い物を持った事の無い左斜めにしか物が見えない大江氏は批判する立場では無い! ●この大江健三郎という、驚くべき反日作家は、日本女性が海外で被害に合うように誘導ですよね!↓
「海外で危険な目に遭いながら活動する、特に女性たちが、憲法を文化として持っていることに希望を持っている」と述べた。その上で「そのような子どもたちを育てていただきたい」 ●緊張するなら、「集団自決に軍の命令無し」と撤回・謝罪せよ!↓ 大江健三郎:「沖縄ノート」(岩波新書1970年)について「沖縄の人に読んでもらっていることで緊張が続いている」 告訴人の上原正捻氏が「琉球新報の上告断念」をマスコミに伝えたFAX(写真) _____________________________________ 沖縄に内なる民主主義はあるか 私はウチナーンチュである前に人間でありたい。そして、民主主義思想家でありたい。沖縄に生まれ育った一個の人間として、アメリカや日本政府を非難すればが正義であると安易な主張をする沖縄の政治家、学者、知識人の思想を徹底して打ち砕く。 2014年07月05日 辺野古でのテロ行為を正当化する佐藤沖国大教授 http://hijai.ti-da.net/c224343_8.htmlから本の紹介 「沖縄内なる民主主義5」(A4版・60ページ)発売中。 県内主要書店 沖縄教販 BOOKSきょうはん 美浜店・BOOKSきょうはん やいま店・BOOKSきょうはん 宮古南店BOOKSきょうはん とよみ店・BOOKSきょうはん 安謝店 他の書店につては後日知らせます。 狼魔人日記でネット全国販売しています。 申し込みはメールでできます。 ブログ 狼魔人日記(http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925) メール ezaki0222@ybb.ne.jp 目次 〇沖縄の狂った話1・・・琉球民族主義は民族差別主義だ 〇沖縄の狂った話2・・・米軍がいるから戦争に巻き込まれるは妄想 〇ブログ 「狼魔人日記」より・・・末松氏大敗の意味 〇彼女は慰安婦ではない 違法 少女売春婦だ2 〇「狼魔人日記」河野談話撤回の好機! 〇「狼魔人日記」と「沖縄に内なる民主主義はあるか」は島袋氏を応援したけれど 〇名護市民は「県外移設」が不可能であることを証明した 〇ブログ 沖縄に内なる民主主義はあるか 沖縄の識者の腐敗 「県民金で転ばぬ」というが 〇軍命令はなかったのに なぜ集団自決は起こったのか 〇特別寄稿・ドキュメント 集団自決を追って 星雅彦(作家) 〇バーデスの五日間 ____________________________________ ねぇ知ってたぁ? http://xianxian8181.blog73.fc2.com/blog-entry-588.html
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