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15歳が気付いた「教育」という名の洗脳の怖さ
http://79516147.at.webry.info/201701/article_96.html
2017/01/10 22:32 半歩前へU
▼教育という名の洗脳の怖さ
15歳の中学生が「特攻隊を褒め称え、戦争を美化した」映画の感想を語った。
「私が一番驚いたのは、皆が戦死を名誉と考えていただけでなく、死を恐れない者が多くいたということだ」―。
彼は、教育という名の洗脳によって非常識が常識になってしまう、と戦争の恐ろしさについて率直に語った。
詳しくはここをクリック
http://26663082.at.webry.info/201401/article_11.html
関連原稿「赤紙が来たが最後」は
ここをクリック
http://26663082.at.webry.info/201401/article_12.html
関連原稿「学校で習わなかった」は
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http://26663082.at.webry.info/201401/article_13.html
戦争を知らない世代へ 1
http://26663082.at.webry.info/201401/article_11.html
2014/01/13 03:17 半歩前へ
▼教育という名の洗脳
「私が一番驚いたのは、皆が戦死を名誉と考えていただけでなく、死を恐れない者が多くいたということだ」―。これはゼロ戦のパイロットを主人公にした映画を見た15歳の中学生の感想である。彼は、教育という名の洗脳によって非常識が常識になってしまう、と戦争の恐ろしさについて率直に語った。
これは新聞の投稿欄の一文だ。なぜ、これを取り上げたかというと、60〜70代はGHQの「洗脳教育」を受けたのではないか、とのコメントがあったからである。「洗脳教育」と言うだけでは「なにをどう洗脳」されたと言うのか、よく分からない。が、日本人は洗脳教育など受けていない。
▼“幽霊屋敷”を見た思い
現在、60代の者は、戦争体験はないが子どものころ、親や親戚、近所の大人たち、学校の先生から実際に体験した戦争の苦労話を、直に何度も聞いている。いわゆる“焼け跡派”という世代で、私が通っていた小学校は校舎1、2階の東側が立ち入り禁止だった。
それでも恐る恐る覗きに行ったところ、窓ガラスや窓脇は吹き飛び、鉄筋の壁に大きな穴が開いていた。天井からは千切れた電線らしきものが無数に垂れ下がり、子ども心に“幽霊屋敷”を見た思いだった。このように戦争の傷跡がそこここに残っていた。
▼洗脳したのは軍国日本
町角には片足を切断し、松葉杖で白衣をまとった傷痍軍人。横で失明した同僚がアコーディオンを弾いていた。その日の生活資金を募っていたのである。60〜70代は自分の目で、耳で、見聞きし戦争の酷さを理解している。だから洗脳教育など必要ない。
中学生が感じた通り、「教育で洗脳」したのは戦前の軍国日本である。世界で帝国主義が跋扈した当時、日本も負けじと「鬼畜米英」を叫び、戦争への道を突き進んだ。赤紙(召集令状)を届けに来た者は、「おめでとうございます」と言い、受け取る側は「有難うございました」と言葉を返した。(続く)
戦争を知らない世代へ 2
http://26663082.at.webry.info/201401/article_12.html
2014/01/13 03:19 半歩前へ
▼赤紙が来たが最後
自分の夫やわが息子が戦争に行くのを「バンザイ」と、もろ手を挙げて本気で喜ぶ肉親がいるだろうか?赤紙は死地への入場券だ。戦地に行くとは、平たく言えば人を殺しに行くのである。殺されに行くのである。
赤紙が来たが最後、拒否などできない。「行くのは嫌だ」「戦争に行きたくない」とひと言、口にしただけで、当人はもとより親、兄弟、親戚までが“非国民”呼ばわりされた。国は戦争と言う荒縄で、国民をがんじがらめにしばりつけた。
▼戦死を名誉と教え込む
だが、人前では“非国民”と叫んだ者も、自分の家族が兵隊にとられるとなると別だ。近所の手前、「立派に死んで来い」と見栄を張った。が、家族だけになると「死ぬなよ。絶対に生きて帰ってくれ」と繰り返し、どこの家も泣いて別れを惜しんだ。
本心では、みんな戦争に行きたくなかった。だが、、流れに逆らうことが出来なかった。国民を戦争に駆り立て、自由にものが言えない社会を作り出すのが軍国教育である。中学生が感じたように、「戦死を名誉と考える」よう若者は教え込まれた。兵士は将棋の駒に過ぎないのである。
▼靖国、一般市民は対象外
戦死すれば受け皿が用意されている。それが靖国神社だ。戦死者を神として祀るための神社。しかし、米軍の爆撃機B29が投下した焼夷弾で、燃え盛る火の海を逃げまどい焼け死んだ人や、原爆で亡くなった人々は祀らない。だから靖国が“戦争神社”と言われるのである。
働き手の夫や息子を戦争に取られた家庭は、言語に絶する苦労を強いられた。当時のスローガンの「欲しがりません。勝つまでは」は、「お腹を空かせた子供たちへの、空しい叱咤激励だった」(作家の田辺聖子)という。すべて戦争が優先した。
▼鍋、釜まで供出を命ず
戦争一色となった日本は、紡績工場などをつぶし、くず鉄を砲弾や軍需製品に変えた。物資不足から家庭の「鍋、釜まで供出しろ」と命じられた。生活必需品の欠乏は極限状態で、多くの人が食べるにも事欠いた。
列車は大半が軍事用に転用され、米やサツマイモの買い出しに行くにも、ままならなかった。これが戦争の実態だ。映画や劇画のようなカッコイイものではない。(続く)
戦争を知らない世代へ 3
http://26663082.at.webry.info/201401/article_13.html
2014/01/13 03:21 半歩前へ
▼70年近く続く平和
私たちは幸いなことに、70年近くの間、ただの一度も戦争に遭わなかった。平和な世の中で暮らしてきた。この平和を当たり前と思っていたら心得違いである。こんなことは日本の近代史の中で過去に例がない。私たちは、平和の有難さをかみ締めないといけない。
日本は戦争を知らない世代が大半を占める。年とともに戦争が風化している。戦争体験を聞く機会もなくなりつつある。学校ではどうだったかと言うと、受験重視の偏差値教育のせいで近、現代史をほとんど学んでいないという。
歴史書を読むなどすればいいが、それもしないようだ。分からないのは当り前。戦争の悲惨さ、残酷さを知らないが故、勇ましい発言にすぐ飛びつく。「いいね」を連発する。
▼学校で習わなかった
尖閣問題などが起きる数年前に日、中、韓3か国の有名大学学生による討論会があった。日本の学生は、最初はアニメだ、ファッションだと調子がよかったが、話が二国関係に及んだ途端、沈黙を続けた。
日中平和条約などの常識にも満足に応えられなかった。「学校で習わなかった」との発言に、中継テレビを見ているこっちが恥ずかしくなった。いつまでもおんぶに抱っこではない。自分で調べ、学習するのが大学生だ。偏差値教育の弊害か。
▼勇ましい言葉には用心
「教育という名の洗脳」に遭わないためにも、戦争を知らない世代には、付和雷同することなく、自分で考え、判断してほしい。なぜなら、あなたたち世代は、日本の中軸として、これからも社会をリードしていく立場にあるからだ。
安倍首相は「強い日本を取り戻そう」と力説する。政治家が勇ましい言葉を叫ぶと、ろくなことがない。世界の歴史を振り返って見れば一目瞭然。これは本当だ。戦争を知らない世代の、特に若い皆さん、他人の言に惑わされることなく、カッと目を見開いて何が虚で、何が実かを見分けていただきたい。
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