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安倍総理の年頭会見は様々な解散・総選挙の形を考えさせたー(田中良紹氏)
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5th Jan 2017 市村 悦延 · @hellotomhanks
仕事始めの4日、安倍総理は伊勢神宮参拝後の年頭会見で、
衆議院の解散・総選挙を「全く念頭にない」と言いながら、
過去の酉年には歴史の節目となる解散・総選挙が行われたことを強調した。
解散・総選挙を問う記者からの質問に安倍総理は
「今質問されて初めて解散の言葉が脳裏に浮かんだ」と、頭にないことをわざとらしく装いながら、
一方で酉年については「12年前には劇的な郵政解散があった」、
「さらにその12年前には自民党が戦後初めて野党になり55年体制が崩壊した選挙があった」、
「そして佐藤総理が沖縄返還を合意して解散・総選挙に打って出た昭和44年も酉年だった」と
酉年と選挙とを結び付けた。
安倍総理の発言についてフーテンはこれまで、
地に足のつかない歯の浮くような大衆迎合の表現が多いのに辟易し、
過去に取材した田中角栄、中曽根康弘、金丸信氏らのように言葉の裏に隠された意味を読み解く必要を
感じないできたが、戦後7回ある酉年の話をするのに、解散・総選挙の年だけを引き出したことに興味を覚えた。
日本が戦争に敗れた1945年は酉年である。
日本は連合国軍の占領下におかれ手取り足取りされながら戦後を歩むことになる。
次の酉年は1957年である。日本は占領期を脱して独立を果たし、
朝鮮戦争を機に経済成長の足掛かりをつかみ、自民党と社会党による二大政党制が始まり、
「もはや戦後ではない」と言われるようになった。
そしてその直後の酉年に安倍総理の祖父である岸信介氏が総理に就任した。
しかし安倍総理は岸内閣誕生の1957年とアメリカにレーガン大統領が誕生した1981年の酉年は除き、
1969年、1993年、2005年の酉年だけを取り上げた。
それらはいずれも安倍総理が言うように「劇的な解散・総選挙」の年なのである。
そして安倍総理は話を手前から過去へと遡らさせた。
まずは前回の酉年、2005年は小泉総理が自民党を分裂させ、
その分裂のエネルギーで野党を木っ端みじんに蹴散らした「郵政選挙」の年である。
劇場型選挙がここから始まる。最近では昨年の東京都知事選挙で小池百合子氏がそれを再現させた。
今年、小池都知事は都議会議員選挙に政治生命をかける。
その選挙で自民党支配の都議会を変えることが出来なければ小池知事の政治力は終わりを迎えることになる。
一方の自民党はそれと対峙しなければならないが、公明党都議団は小池知事寄りを鮮明にし、
自民党との連携を拒否した。
これが国政レベルに影響すればことは極めて深刻である。
公明党内には一昨年の安保法案や昨年のカジノ法案強行可決を巡り安倍政権への反発も少なからずある。
昨年の参議院選挙で自民党が重点区とした一人区で予想外に負けたのは、野党共闘の成果もあるが、
公明党の地方組織が思うように動かなかったというか、陰で野党統一候補に協力したという話もある。
都議選をどう戦うかは安倍総理にとって重大な問題である。
安倍総理が次に言及したのは1993年の酉年である。
安倍総理はその年の衆議院選挙に初当選したが、
それは政治改革を巡って自民党が分裂し、
小沢一郎氏らが宮沢内閣不信任案に賛成したため解散となった選挙である。
自民党は結党以来初めて野党になるが、それは選挙の結果ではない。
小沢氏らが離党した分だけ自民党が議席を減らした結果である。
選挙では自民党が第一党となり、他の政党と連立すれば政権を維持することはできた。
ところが小沢氏の政治力が自民党を上回る。
あっという間に8党派を糾合して日本新党の細川護熙氏を総理に担ぎ、自民党から政権を奪った。
この選挙で初当選したのは安倍総理だけではない。
小池都知事も日本新党から出馬して国政に進出した。
現在、与党は衆議院で3分の2を上回り参議院との「ねじれ」もない。
自公が了承すれば法案は何でも成立する。
しかしそれは自公協力を前提とした話で、それが崩れればあっという間に自民党は政権から転落する。
また小沢氏や共産党の志位委員長らが進める野党協力がうまくいけば、
与党は現有議席を50議席以上減らすと言われている。
現状の自民党はいわば水ぶくれの状態で選挙をやれば議席を減らすことは確実だ。
93年の酉年を考えると選挙には慎重にならざるを得ないという話になる。
しかし麻生総理が解散のタイミングを失い、追い込まれ解散となって自民党が政権を失った例もある。
先に延ばせば伸ばすほど不利な状況が生まれてくる可能性もある。
政治は一寸先が闇なのである。本来は昨年末か年明けに解散する予定でいた安倍政権である。
野党共闘が整わないうち、また新たな選挙制度にならないうちに解散するはずだったが、
米大統領選挙や日ロ外交が思い通りにならなかった。
そこで安倍総理がすがるように考えているのが1969年の酉年だと思う。
11月末に佐藤総理は訪米して沖縄返還に合意し、
戦争で失った領土を獲得した勢いで12月に解散に打って出た。
合意から10日ほどでの解散である。
結果は自民党の大勝で追加公認を入れると300議席の大台を確保した。
先月の北方領土交渉は敗北と批判されたが、
何とかプーチン大統領に取り入って2島引き渡しを認めてもらい、
それを成果に解散に打って出る構想を安倍総理は描いているのではないか。
安倍総理の年頭会見はそんなことを思わせたが、しかしそれは願望の域を出るものではない。
今年の政治課題の中でフーテンが最も注目しているのは「天皇の退位問題」である。
安倍政権は一代限りの特別法で対応するために「有識者会議」なるものを作り、
国民を誘導しようとしているが、
しかしこれこそ「国のかたち」の根本にかかわる問題で国民の総意に基づくものでなければならない。
永い天皇の歴史の中で明治から敗戦までの間が異質だったとフーテンは考えている。
詳しくはまた書くことにするが、
国民と共にある「シラス」の政治と国民を支配しようとする「ウシハク」の政治について
日本人は民主主義と併せて考える時に来たと思っている。
その議論をないがしろにすると安倍政権は思わぬ失敗を犯す気がする。
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