>13. 嫌韓さま、>6です。 「べ平連の小田実がソ連・KGBから金を貰っていたことはご存知?」とのご下問ですが、いやまったく知りませんねえ。右翼保守がさかんにそう吹聴しているのは知っていますが。 正月なんですから、あのちっちゃなベ平連の共同代表の一人に過ぎなかった売れない一作家がソ連・KGBから金を貰っていたかどうかなんてケチくさい話(貰ったからベトナム戦争に反対しましたなんていう人じゃないし(だったら左翼になって貧乏していないし)、そもそもデモに参加した私を含めた市民は誰からも金を貰ってませんよ)ではなくて、もっと大きな話をしましょうよ。そうですよ、あなたが大好きなあの政権独裁党、大自民党がCIAのスパイによってCIAの資金で結党されたとういう話ですよ。 岸信介が、戦後アメリカの犬となることと引き換えにA級戦犯を免責され、その後CIAの資金で自民党を創設し60年安保条約改定で日本をアメリカの永久属国としたことは、アメリカの機密解除資料と関係者とのインタビューに基づいて書かれたかの有名なティム・ワイナーの「CIA秘録」に明らかです。あなたならびに読者の簡便のために以下に岸信介関連部分を引用しましょう(参照ページは全て単行本)。 「CIAは1948年以降、外国の政治家を金で買収し続けていた。しかし世界の有力国で、将来の指導者をCIAが選んだ最初の国は日本だった」。(177ページ) 「釈放後岸は、CIAの援助とともに、支配政党のトップに座り、日本の首相の座までのぼりつめるのである」。(178ページ) 「釈放された岸はその足で首相公邸を訪れた。そこには弟の佐藤栄作が占領下の政府で官房長官を務めていた。佐藤は拘置所での制服を着替えるようにと、兄に背広を手渡した。 「おかしなものだな」と岸は弟に言った。「いまやわれわれはみんな民主主義者だ」。 それから七年間の辛抱強い計画が、岸を戦犯容疑者から首相へと変身させた。岸は『ニューズウィーク』誌の東京支局長から英語のレッスンを受け、同誌外信部長のハリー・カーンを通してアメリカの政治家に知己を得ることになる。カーンはアレン・ダレスの親友で、後に東京におけるCIAの仲介役を務めた。岸はアメリカ大使館当局者との関係を、珍種のランを育てるように大事に育んだ」。(178-179ページ) 「岸はアメリカ人に、自分の戦略は自由党をひっくり返し、名前を改め、たて直して自分が動かすことだと語っていた。岸が舵を取る新しい自由民主党は自由主義的でも民主主義的でもなく、帝国日本の灰の中から立ち上がった右派の封建的な指導者たちを多くそのメンバーとしていた。岸は当初は舞台裏で仕事をし、先輩の政治家に首相の地位を譲っていたが、やがて自分の出番がめぐってきた。岸は日本の外交政策をアメリカの望むものに変えていくことを約束した。アメリカは日本に軍事基地を維持し、日本にとっては微妙な問題である核兵器も日本国内に配備したいと考えていた。岸が見返りに求めたのは、アメリカからの政治的支援だった」。(179−80ページ) 「CIAと自民党の間で行われた最も重要なやりとりは、情報と金の交換だった。金は党を支援し、内部の情報提供者を雇うのに使われた。アメリカ側は、三十年後に国会議員や閣僚、長老政治家になる、将来性のある若者との間に金銭による関係を確立した。彼らは力を合わせて自民党を強化し、社会党や労働組合を転覆しようとした」。(180ページ) 「1955年11月、「自由民主党」の旗の下に日本の保守勢力は統合された。岸は保守合同後、幹事長に就任する党の有力者だったが、議会のなかに、岸に協力する議員を増やす工作をCIAが始めることを黙認することになる。巧みにトップに上り詰めるなかで、岸は、CIAと二人三脚で、アメリカと日本との間に新たな安全保障政策を作り上げていこうとするのである」。(180−181ページ) 「アイゼンハワー自身も、日本が安保条約を政治的に支持することと、アメリカが岸を財政的に支援することは同じことだと判断していた。・・・・この資金は少なくとも15年間にわたり、四人の大統領の下で日本に流れ、その後の冷戦期中に日本で自民党の一党支配を強化するのに役立った」。(181ページ) 「アメリカとCIAは、岸および自民党との隠密の関係を公式に認めたことはなかった。しかし2006年7月、十年以上続いた内部抗争の後で、国務省はCIAと日本の政界要人との間に秘密の関係があったことを認めた」。(182ページ) 「日本人はCIAの支援で作られた政治システムを「構造汚職」と呼ぶようになった。CIAの買収工作は1970年代まで続いていた。日本の政界における腐敗の構造はその後も長く残った。 「われわれは占領中の日本を動かした。そして占領後も長く別のやり方でうごかしてきた」。CIAの東京支局長を務めたホーレス・フェルドマンはそう述懐した。「マッカーサー元帥は元帥なりのやり方でやった。われわれはわれわれなりの別のやり方でやった」。(184ページ) 以上です。 日本の右翼保守は、戦前は「鬼畜米英」だったのに、あの悲惨な戦争で日本人300万人、アジア人2,000万人を殺した挙句に戦後はぬけぬけと「米国従属」に転じました。60年には売国奴岸が進める日本の属国化である安保改定(あの地位協定も)を熱烈に支持し国会前の国民のデモに対し暴力テロを行いました。70年安保においても右翼保守はそれに反対する民主勢力に敵対し同じく暴力テロに走りました。日本においては、「愛国」を叫ぶ右翼保守が売国で、「反日」と誹られる左翼を含む民主勢力が本当の愛国なのは、今や誰の目にも明らかですがが、それはこういうわけなのです。 日本の宿痾は岸や安倍に代表される右翼保守です。徹底的に殲滅しなければなりません。 以上、正月にふさわしい自民党と岸信介とCIAと日本の右翼保守の大きな話でした。
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