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安倍晋三が天皇陛下をバカにして茶化した!
http://79516147.at.webry.info/201612/article_244.html
2016/12/29 14:49 半歩前へU
▼安倍晋三が天皇陛下をバカにして茶化した!
天皇陛下をめぐる安倍晋三の驚愕すべき情報が飛び出した。自民党支持者たちよ、お前たちが投票し、当選した自民党議員が選んだ安倍晋三がここまで傲慢不遜になった。
天皇陛下が、被災者と接する姿をバカにして茶化した。
みんな貴様たちのせいだ。どうするのだ? 安倍晋三をどうするのだ?自民党支持者よ、責任を取れ!
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リテラが告発した!!
「ある有力政治家の話ですが、彼が官邸の総理執務室で安倍さんと生前退位の話をしたら、安倍さんはカーペットに膝をつきながら、『こんな格好までしてね』と言ったらしいのです。ちょっと何て言うか、天皇陛下が被災者の方々に寄り添うお姿を、そういうふうにちゃかしてみせるというのは信じがたいですね」
これは、発売中の雑誌「月刊日本」12月号(ケイアンドケイプレス)で、毎日新聞編集委員の伊藤智永氏が明かしたエピソードだ。
伊藤氏は、これまで政治部や経済部、ジュネーブ特派員を歴任してきた毎日新聞入社31年目のベテラン記者。「月刊日本」は保守系月刊誌だが、今月号で「天皇陛下のお言葉を真摯に受け止めよ」という特集を組んでおり、そのひとつとして「安倍総理の天皇観を問う」と題する、伊藤氏のインタビューが掲載されている。
そのなかで伊藤氏は"毎日新聞ではなく私の見解"としたうえで、今上天皇個人に敬意を払いつつ、この間の「生前退位」めぐる有識者会議の運営や宮内庁の更迭人事など、政府の動きを批判。
そして、インタビュアーから「保守とされる安倍政権には畏れが感じられません」と振られると、傍証として上記のような有力政治家の証言を紹介したのだ。伊藤氏は念を押すように、こうも語っている。
「たとえば陛下は即位後、天皇として初めて被災地に訪問して、膝をつきながら被災者を慰められました。当時は一部の人たちが『そんなことをすべきではない』と批判しました。
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今の"天皇像"が気に入らないと安倍晋三!!
http://79516147.at.webry.info/201612/article_243.html
2016/12/29 14:47 半歩前へU
▼今の"天皇像"が気に入らないと安倍晋三!!
陛下が皇太子時代から皇后陛下とお二人で、誰にも言わずにずーっと考えてこられたことを黙って行動に移したら、『そんなこと』と言われたわけです。
さらにそれから20年以上、誰に何を言われようと黙って続けてこられて、東日本大震災後には国民から『これが新しい象徴の紛うことなき在り方だ』と受け入れられているのは、日本社会の現実ですよね」
「天皇陛下が自分はなぜここにいて、何をすべきで、どこへ向かい、どうバトンタッチしていくのか、ということを、誰も教えてくれない、お手本もない中で、真摯に考えて実践されてこられた賜物です」
これはまさに正論だろう。ところが、この天皇と皇后が幾度となく被災者・避難者の元を訪れ、その声に真摯に耳を傾けてきた様子を、安倍はポーズを真似てからかったというのである。にわかには信じがたい話だが、一方で、これは安倍ならやりかねないことでもある。
天皇は「お気持ち」のビデオメッセージのなかでも「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました」と語っているように、国民と同じ目線になることこそ"民主主義国の天皇"の姿だと考えている。
ところが安倍にとって、今上天皇が築き上げてきた民主主義的な"天皇像"は、まったく面白いものではない。
自民党の改憲草案が第1条で天皇の地位を「元首」に改めていることからもあきらかなように、安倍政権が目指すのは、天皇を現人神として位置付け国民支配の装置とした明治憲法下の日本だ。
そのためには、天皇を皇居の奥に引きこもらせ、国民と一線を画した存在に仕立て上げる必要がある。
天皇は国民よりも一段も二段も上にいなければならない、天皇が国民の前に直接出てきてひざまずくなどもってのほか。安倍が今上天皇の被災者訪問を茶化したのは、そういう意識のグロテスクな表出だろう。
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今の"天皇像"が気に入らないと安倍晋三!!
http://79516147.at.webry.info/201612/article_243.html
2016/12/29 14:47 半歩前へU
▼今の"天皇像"が気に入らないと安倍晋三!!
陛下が皇太子時代から皇后陛下とお二人で、誰にも言わずにずーっと考えてこられたことを黙って行動に移したら、『そんなこと』と言われたわけです。
さらにそれから20年以上、誰に何を言われようと黙って続けてこられて、東日本大震災後には国民から『これが新しい象徴の紛うことなき在り方だ』と受け入れられているのは、日本社会の現実ですよね」
「天皇陛下が自分はなぜここにいて、何をすべきで、どこへ向かい、どうバトンタッチしていくのか、ということを、誰も教えてくれない、お手本もない中で、真摯に考えて実践されてこられた賜物です」
これはまさに正論だろう。ところが、この天皇と皇后が幾度となく被災者・避難者の元を訪れ、その声に真摯に耳を傾けてきた様子を、安倍はポーズを真似てからかったというのである。にわかには信じがたい話だが、一方で、これは安倍ならやりかねないことでもある。
天皇は「お気持ち」のビデオメッセージのなかでも「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました」と語っているように、国民と同じ目線になることこそ"民主主義国の天皇"の姿だと考えている。
ところが安倍にとって、今上天皇が築き上げてきた民主主義的な"天皇像"は、まったく面白いものではない。
自民党の改憲草案が第1条で天皇の地位を「元首」に改めていることからもあきらかなように、安倍政権が目指すのは、天皇を現人神として位置付け国民支配の装置とした明治憲法下の日本だ。
そのためには、天皇を皇居の奥に引きこもらせ、国民と一線を画した存在に仕立て上げる必要がある。
天皇は国民よりも一段も二段も上にいなければならない、天皇が国民の前に直接出てきてひざまずくなどもってのほか。安倍が今上天皇の被災者訪問を茶化したのは、そういう意識のグロテスクな表出だろう。
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