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日本のメディアは安倍政権下で何も言えない
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2016-12-27 そりゃおかしいぜ第三章
イギリスの世界的に知名度の高いエコノミスト誌(The Economist)が日本の報道が安倍政権擁護しか報道しなくなっているという記事を書いた。海外のメディアにこんな指摘をされるとは、恐ろしい限りである。The media in Japan Speak no evilという表題であるが、日本語に直訳すると日本のメディアは悪魔(都合の悪いこと)について喋らないであるが、見ざる言わざる書かざるというところである。報道に対して、日本の政府の介入が長年続いているというのである。また法を使った圧力(高市法務大臣の放送法に抵触すると思われる発言のことであろう)も行われているというのである。記事はニュースステーションとクローズアップ現代にも触れている。
上図はその記事からコピーしたものであるが、左端の女性の持つ手にはNHKと書かれている。安倍晋三に最も近いと言われる、岩田明子のことであるまいか。彼女の政権幹部へのインタビューは極めて恣意的である。肯定的な回答ができるように聞き、評論では安倍政権の理解度を進める解説しかしない。
安倍晋三のメディアの幹部との会食は、批判を受けながらもいまだ連綿と続いている。下の表は国境なき記者団の報道の自由度の国別ランキングであるが、安倍晋三が政権の座に座ってから見るも無残に下がっている。今年は51番目になっている。
日本には古くから記者室というのが設けられて、どこかの記者が先んじて報道したり取材を行うことがないようになっている。行政や官庁が発表することを各記者が記事にするので、基本的に内容は同じである。誘拐犯の報道ではそれでも構わないと思われるが、それは特殊な場合に限られる。更に安倍晋三のように、メディアを抱き込むことによって自らの批判を封じ込め、肯定的内容しか国民に知らせることがなくなるのである。まるで中国や北朝鮮のようでもある。海外の記者がこうしたいわば風習を奇異に感じるのは当然である。
報道は権力の番犬でなければならない。批判することは否定することではない。完全な法律や行政などない以上、批判はそうした補完作用になる。批判される側にとってはそれらを真摯に受け止めるべきなのである。東西冷戦時代を経験し、資本主義が社会主義の持つ理念を取り込み、社会保障や年金制度や労働組合など団結権を認めるいことが、資本主義の質的向上がなされたのである。安倍晋三のように反対意見には全く聞く耳を持たないばかりか、封じ込めることは自らの欠陥を拡大させるだけになってしまう。海外の記者団たちの危機感はそうしたことを危惧してのことである。健全な批判や反対意見には真摯に向き合うべきであるが、安倍晋三にそのような度量はない。
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