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「新垣氏「琉球を通して、日本帝国がどう形成されたか、最初の部分がよく見えます」:岩上安身氏」
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2016/12/27 晴耕雨読
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まもなく、12月4日収録の「岩上安身による木村朗氏(鹿児島大学教授)、新垣毅氏(琉球新報記者)インタビュー 前編」の模様をツイートします。
岩上「本日は鹿児島大・木村朗教授、琉球新報・東京支社の報道部長である新垣毅さんのおふたりをお招きしています。よろしくお願いします」
木村氏・新垣氏「よろしくお願いします」
新垣氏「4月から東京支局にきましたが、一度、琉球新報という理由で入居を断られました」
岩上「あのお方でしたか」
新垣「一方で、結局決まった部屋は新報、タイムスを応援したいという大家さんで、家賃を大幅に減らしてくれました。多様性のある街ですね」
岩上「本日は『沖縄の自己決定権』というテーマですが、これは沖縄だけの問題ではありません。まずは現在進行系の沖縄のお話です。7月、選挙が終わった途端に高江でヘリパッド建設が強行され始めました。大阪府警機動隊が地元住民を『土人』と呼んだことも」
岩上「そして鶴保庸介沖縄担当大臣が『差別と断定できない、言論の自由はある』と、『土人発言』を事実上容認しています」
新垣氏「そもそも、なぜ住民が基地に反対するか。『負担軽減策』はいつも表面的な返還で、米軍が使わなくなった土地ばかりです」
新垣氏「そして返還には必ず2つの条件がつく。代わりに県内に新しい基地を作ること。そしてバージョンアップすること。沖縄の人からすれば基地の島にされてしまうという恐怖があります。基地を集中させるという差別に、プラスで人種差別も行われています」
新垣氏「そして差別発言を政府が完全に容認した。今後、子どもたちも含めて『沖縄の人にこういうことを言ってもいいんだ』と認識されることを懸念しています」
木村氏「歴史的暴挙。今後は国策に反対する人を『土人』と呼ぶのでしょう。公務員の発言ですから深刻」
新垣氏「県民の間でショックは広がっています。『またか、いくら努力しても沖縄の人は差別されるのか』と。これが、もっとあからさまな攻撃に発展してゆくことも懸念されます」
岩上「沖縄では運動のリーダーである山城博治さんが3度も逮捕され、長期拘留されています。数カ所で家宅捜索もあり、他にも抗議参加者の不可解な逮捕が続いています」
新垣氏「これはSLAPPと言いますか、運動の萎縮が狙われているのではないでしょうか」
新垣氏「山城さんは運動を過激に煽るのではなく、抑制する人。そういう人を逮捕するということは、いよいよ集会を壊滅させようとしているのではないか。ろでぃーさんらを逮捕したのは、カウンターの彼らが運動を勢いづかせてると警察が判断したのかもしれません」
木村氏「高江などでのできごとは、緊急事態条項の先取りだと言われていますね」
岩上「緊急事態条項がもし発令されれば、即日で弾圧されるでしょうね」
新垣氏「実際に新報やタイムスの記者が警察に拘束され、排除されてもいます。由々しき事態です」
岩上「こうした事態を認識した上で琉球の歴史をふり返りたいと思います。琉球は独立国でした」
新垣氏「そもそもなぜ自己決定権という概念を使っているか。これは国際法で使われている概念。政府は憲法より安保が大事という姿勢です。ならば、国際法をみたいと」
新垣氏「翁長知事が国連で『沖縄の自己決定権』を主張しました。沖縄の自己決定権の根拠は、『琉球処分』にあります」
岩上「新垣さんのご著書『沖縄の自己決定権』には重要なことが書かれています。我々も知らないことが多々ありました」
岩上「1609年の薩摩侵攻以来、琉球国は薩摩の支配を受ける一方、中国との冊封・朝貢関係を続けることで、薩摩にも利益をもたらす二重の主従関係にあったと」
新垣氏「琉球王国はずっと中国と冊封関係にあって、国王が中国の皇帝から任命されていました」
新垣氏「琉球と中国は貿易関係を密接に結んでいて、琉球の貢物は大したものではないのに、中国からの見返りはすごかったんです。海洋貿易の中国の出先機関のようなことをやっていました。そこに注目したのが薩摩。薩摩は完全に琉球を併合したわけではありません」
新垣氏「中国との関係を続けさせ、そこから薩摩は利益を吸い取っていったんです」
岩上「薩摩は利益を中央にすべて明らかにしていったわけではなく、密貿易で資金を蓄えていたんですね」
新垣氏「首里城は中国様式です。あれを外国がみれば『裏に中国がいる』と一目瞭然。中国との関係は安全保障の面もあったんです」
木村氏「琉球の中の奄美諸島と沖縄本島に対する支配の比重が違って、より薩摩から直接収奪されたのが奄美ではないかと思います」
木村氏「そして廃藩置県で奄美が鹿児島に編入される。琉球、奄美、薩摩の関係にも複雑なものがありました」
新垣氏「言語も文化も沖縄と奄美は非常に近い。ただ、奄美や先島は琉球時代にあまりいい思い出はありません。差別され、税金の取り立ても酷かった」
新垣氏「ひとつ押さえないといけないのは、15世紀などは、琉球はすごく栄えていたのですが、その後は薩摩からものすごい重税を課せられた。だから琉球は、奄美などに重税を課さないといけなかったんですね」
岩上「収奪の連鎖ですね」
岩上「そして中国はアヘン戦争で破れ、威信が低下。日本にも列強の圧力が迫りました。ペリーは、実は沖縄に行っているんですね」
新垣氏「ペリーは5〜6回沖縄に立ち寄り『琉米修好条約』を結びます。ペリーは幕府に、琉球と条約を結んでいいかと諮問しました」
新垣氏「そして江戸幕府は、『琉球はおれたちと関係ない』と回答したんです。幕府からすれば、『アヘン戦争の火の粉を、たかが琉球で浴びたくない』ということでしょう。そして『琉米修好条約』を結ぶことになったんです。この事実が後々、効いてきます」
岩上「徳川斉昭(なりあき)は、フランスが琉球を占領する可能性を耳にし、『琉球が奪われても、日本から援軍を送り、フランスに多数の犠牲者が出れば、小さな琉球を支配することさえこれだけ血を流すのだから日本占領は何十倍もの犠牲を覚悟しなければならないと考え、日本攻撃を差し控える』と、琉球の『捨て石』作戦を提唱したんですね」
新垣氏「結局この案は採用されませんでしたが、政治の中枢の人間のこうした考え方は今に続くものがあります」
岩上「これは沖縄戦にもかかってきますね」
新垣氏「今日でいえば、自衛隊を先島に配備し、オスプレイを沖縄に配備する。今の戦略に通じるものがあります」
岩上「そうですね。そして、ペリーが来たときに、琉球ではさっそく事件が起きています」
新垣氏「ペリー来航時、艦隊の水兵が沖縄の女性を暴行しました。それに対して住民が水兵に石を投げるんですね。最終的に水兵は海に落ちて死んでしまった。ペリーは水兵が死んだことを怒るわけですが、琉球側は『暴行したのはあなたの部下だ』と強く出ます」
新垣氏「最終的に、琉米修好条約の中に『こういう事件があったときは容疑者の身柄をどうするか決めましょう』という取り決めを盛り込みました。今の日米地位協定よりも進んだ内容でした」
岩上「ペリーの一行は最初から日本を威圧しに送り込まれた軍人たち。2千トン超の軍艦で、総員1985人、大砲は大小128門を備えた最新鋭の大艦隊だったと」
新垣氏「で、ペリーは『少しヤンキー流の駆け引きを持ち出そうと覚悟していた』と言っています」
新垣氏「銃剣を持って首里城に押しかけ、条約を締結させました。琉球は薩摩と中国との関係も整理しないまま第3国と条約を結ぶことを非常に嫌がったんですね。しかし、近代化の承認の証が、国際条約の締結でした。琉球は米、仏、蘭と条約を結んでいきます」
岩上「1844年〜1859年にかけて、琉球に異国船が延べ70回以上もきています。沖縄は人気でしたね」
新垣氏「今は地政学的な意味は低下してきましたが、当時は優位性が認められていました。便利な場所だったんですね」
岩上「琉球は東アジアの利権獲得に向けた『要石』として、一方的に砲艦外交を展開する列強の野望に晒されたんですね」
新垣氏「ずっと琉球は帝国の視線に晒されていたんです」
岩上「結んだ条約は不平等でしたが、独立国として複数の国に承認されていたと」
新垣氏「1872年、中国を真似て、天皇が『尚泰を琉球藩王となし、華族に列す』とします。琉球は中国との関係もあるのに、なぜ明治政府から任命を受けるのかと驚く。副島種臣外務卿は日中両属を容認しつつも華族と位置づけ、外交権を奪おうと策略しました」
岩上「そして外務省は、琉球の外交権を奪った」
新垣氏「外交権を行使し続けていれば、国際的に主権国家として承認されます。これを政府は止めたかったんです」
岩上「他にも琉球国王の印を奪うなど、次々と琉球に命令をくだします」
新垣氏「外交権の停止や国王印の提出など、琉球はことごとく断り、1872年から琉球処分までの7年間、必死に抵抗します。その抵抗を潰すために、政府は『処分』としたんです」
岩上「琉球は財政破綻しており、政府の融資も受けないといけなかったんですね」
岩上「副島は中国にも行っています。そして琉球や台湾、朝鮮などの地位について交渉を行い、副島は琉球に対して、琉球の存続を約束したが、結局、反故にしたと」
新垣氏「そうです。琉球の存続を公式文書でも約束しながら、約束を破っていきます」
岩上「1871年(明治4年)、宮古住民の船が遭難し、台湾に漂着。住民69人中54人が先住民に殺害されました」
新垣氏「これを政府は、『自国民が殺された。台湾を成敗する』と政治利用しました。そして、明治政府は台湾出兵を閣議決定しました」
新垣氏「琉球は政府に『出兵しないでくれ』と言いましたが、政府は台湾に目をつけていました。台湾は当時、国際法では無主の地で、先住民しかいなかった。中国も国が弱っており、台湾を領土として主張できておらず、扱いが曖昧だったんです」
新垣氏「そこでこの事件が起きたので、琉球も台湾も狙ういいタイミングとして出兵したんです」
岩上「そして中国は『琉球国民が殺されたのは知っているが、日本国民が被害を受けたとは聞いていない』と主張する。(被害者は)日本人ではなく琉球の国民でしょと」
新垣氏「政府は外圧によって、一度は出兵を取りやめますが、西郷隆盛の弟・従道たち…政府の不平・不満分子が独断で出兵。暴走したんです」
岩上「のちの関東軍の暴走にも通じます。文民がダメと言っても軍部が暴走するんですね」
岩上「福沢諭吉は台湾を無主の地で、土地を手に入れたいから人間を追い払え、抵抗すれば殺せと煽りました」
新垣氏「琉球を通して、日本帝国がどう形成されたか、最初の部分がよく見えます」
岩上「中国は日本の出兵に抗議。しかし日中間の交渉は不調に終わります。大久保利通は『これ以上議論しても意味がない』と言って諦めます」
新垣氏「交渉を通して大久保は、琉球の帰属問題は不安定だと実感。帰属問題が国際化することを懸念しました」
新垣氏「そして1879年、随行官9人、内務省官員32人、武装警官160人余、熊本鎮台兵約400人…官・軍一体化して琉球処分に乗り出すわけです」
岩上「今日の機動隊の面影と重なり合いますね」
新垣氏「高江に投入された機動隊と、人数も同じくらいです」
新垣氏「だから沖縄の人たちは『琉球処分が繰り返されている』と思っています。そして、政府の兵士たちは首里城を占拠して取り囲み、城門を閉鎖して、王様を城から追い出し、最終的には東京に拉致します」
岩上「琉球処分は、日本が帝国になろうとしていく過程で行われたんですね」
新垣氏「外交史料館に今も琉米修好条約の原本があります。条約を結んでいたことで、当時、琉球は国際法の主体だった。これで日本政府の琉球処分が正当かどうか、位置づけられます」
新垣氏「当時から琉球の役人は、琉球処分が国際法違反だと知っていました。無理矢理調印させるのは国際慣習法も禁じていたんです。そして琉球は、ものすごい抵抗運動を始めます」
新垣氏「実際にハワイでは、ハワイ王国時代に欧米諸国と『条約』を結んでいたことを根拠に、米政府に対して植民地化の責任を追及。結果、当時のビル・クリントン大統領がハワイへの謝罪文書にサインしました。台湾の蔡英文総統も9月、先住民に謝罪しました」
新垣氏「そういう責任の果たし方が、世界の潮流としてあります。琉球も主張していけば、その潮流に乗ることができるかもしれません。条約を結んだ米国も当事者ですので、この件については向き合わなければならなくなります」
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