ゼロ戦特攻隊による米軍艦船に対する体当り自爆攻撃があったことは厳然たる歴史の事実、史実だ。 アラブはこれを絶賛し、現在の自爆テロに繋がっている。アラーの為にアラブを救う為に神に捧げる聖戦と信じて自爆するのだから、いやいや泣きわめいて失禁し自爆など出来る訳がない。 攻撃される側としてはとんでもない理不尽な無差別攻撃である事も事実だ。 そういう現実が起こらないような世界にするべきだった筈、あるいはその必要がった筈がアラブ、欧州で多発しているのが今の世界の現実だ。 軍事、武力の圧倒的な侵略者、支配者に反撃武力攻撃する弱者の手段だと言うことに21世紀の世界の悲劇を痛感している。 敵対するものは国家、民族、親兄弟子供や故郷を守るための戦いを、平和的手段が徒労に帰チした時には無抵抗で殺されか死ぬ事を覚悟の上で戦うしかない。否定出来ない真実だろう。 ナチスの一方的な侵略に対しスターリングラード、レニングラード、モスクワ祖国防衛戦争を戦い数百数千万人の犠牲を払った。ポーランドに至っては スターリンに拉致殺害され(カチン)ソ連の反攻時に騙されワルシャワで蜂起したがソビエトはわざとワルシャワに入らずナチスにワルシャワ市民をホロコーストさせた後でワルシャワに入った。 先の戦争は日本については祖国防衛戦争だったことすら日本人は 忘れるか知らされていないかだ。 日本の将兵は自分の親兄弟と日本国とそのアイデンティテイを守る為に戦ったことをその子孫である今の日本国民は忘れてはならない。 戦争はバカげている。戦争は憎いという感情は当然だろう。 その感情を日本人の為に戦ったあなた方の父祖を誹謗中傷することに振り向ける事は愚かな行為だということだ。 泣きわめいて失禁し無理矢理乗せるなど今のネトウヨならいざ知らず 祖国を守る信念と訓練を積んだパイロットにはあり得ないことだ。 特攻隊は戦争行為としての戦術行為でテロとは異なる。 今の日本人でも会社や役所の掟に反抗せず従順に従っているだろう。 まして軍隊で反戦行為が出来る筈もない。バカバカしさをも飲み込み出撃して行っただろう。 私の叔父も松山航空隊に所属し特攻した。詳細は省く。 安倍は戦前の日本の精神を騙る嘘つき朝鮮人だから許せない成り済まし贋保守だ。 慰安婦、南京を捏造する韓国、中国も許せない。 この証言は同じ臭いがづる。 以下は手近に出て来た検索内容。評価抜き。 泣いているところを撮影したりしませんよ。しかし実際には泣いていたものもいたでしょうが、恐らくほぼ全員が泣いていなかったでしょうね。泣きたい様な気持ちになっていたか??恐らく多くのものがその気持だったと思います。 戦記本に「出撃前、特攻隊員は仏様のような綺麗な顔でした。 目が澄み切って頬が輝いておりました」などと言う記述がよく出てきます。それはそれで本当でしょうが、特攻隊員がそういう心境に達するまでの心の葛藤はものすごく残酷なものだったと思います。こういう綺麗ごとを書いて特攻を美化するのは許されません。 昭和20年3月、松山基地の第四御盾隊(「銀河」部隊)は特攻を命令されてから数日間待機。毎晩兵舎で深夜まで無茶苦茶に酒を飲んで大暴れ。巡検すらオフリミット。心の底から納得しておればそんな事をして心をまぎらわせる様な事をするわけがない。 慶応大学出身の島澄夫海軍少尉は特攻隊に指名され、遺書に「日本男子の本懐」「これ以上の幸福者はなき事と信じます」「神州は不滅なり」と書きました。 島少尉の発進直前に同期の辻井弘少尉が翼の上に駆け上って激励したら、島少尉は操縦桿を握ったまま首をうなだれ、「いや、もうあかん」と言って涙をこぼしたそうです。しかしこの島少尉も「ニッコリ笑って」指揮所に敬礼し、出撃していきました。 子息を特攻戦死で失ったある遺族は、海軍から遺書を受け取った。上官の検閲を受けた「正式」のものです。戦後になって、子息が出撃直前に秘密で親友に出した私信を見せられ、内容が余りにも違うので愕然としたそうです。どちらが本心なんだ、と。 千葉県茂原の海軍航空隊で、ある晩のこと予備学生出身の搭乗員が泥酔して各部屋をまわって壁や柱を軍刀で切りまくる、「俺たち予備学出身ばかり特攻に出しやがって海兵出身は卑怯だぞ!!」、と大暴れ。一緒に付いていた同期の少尉が「すまん。今夜だけ大目に見てやってくれ。明日は出撃なんだ!」と謝ってまわる。そしてその搭乗員も翌朝は吹っ切れた、実にいい顔をして出撃して行ったそうです。 ある海軍航空隊整備下士官の手記:「特攻を命令された予科練出身の若い搭乗員たちが零戦のそばに座って待機している。そばを通るとパッと顔をそむけてしまう。よく見ると閉ざした目から涙がすーっと流れている。可哀想だった」、と。 それでも出撃命令が下ると、みんな「ニッコリ笑って」「悟り切った様な顔で」指揮所に向かって敬礼して離陸していきました。そして敵艦に向かい、「天皇陛下バンザイ!」「大日本帝国バンザイ!」「お母さーん!」、あるいは何も言わずに歯を食いしばって突入していったのでしょうね。 特攻などで戦争に勝てるわけがない事を知りながら、特攻命令を受けて「今のオレに出来ることはこれしかない」と自分に言い聞かせ、故郷、親兄弟姉妹、妻、恋人たちへの想いを断ち切って体当たり攻撃に出撃していった16歳からの若者たちの心を思うと涙が出てきます。よくもあんなに残酷な事をさせたものです。 そして「お前たちだけを行かせはしない。本官も最後の一機で必ずあとを追う」と言って次々と特攻隊を出撃させた司令官、飛行長たちは「最後の一機で」どころか敗戦後も生き残り、平和で豊かな日本の生活を楽しみました。卑怯者ばかりです。陸軍特攻の大御所である第六航空軍の菅原道大中将は95歳で極楽往生。18歳になったばかりで特攻戦死した朝鮮出身の少年飛行兵はあの世でどう思っているでしょうね。 もしまだでしたら、零戦乗りの超ベテラン角田和男元海軍中尉が書いた「修羅の翼」をおすすめします。特攻出撃前夜の搭乗員たちの様子が実にリアルに描かれています。 ↓燃えながら米艦に突入する特攻機。この中には我々と同じ血と肉を持った若者が乗っていたのです。 泣いているところを撮影したりしませんよ。しかし実際には泣いていたものもいたでしょうが、恐らくほぼ全員が泣いていなか... ゼロ戦特攻隊による米軍艦船に対する体当り自爆攻撃があったことは厳然たる歴史の事実、史実だ。 アラブはこれを絶賛し、現在の自爆テロに繋がっている。アラーの為にアラブを救う為に神に捧げる聖戦と信じて自爆するのだから、いやいや泣きわめいて失禁し自爆など出来る訳がない。 攻撃される側としてはとんでもない理不尽な無差別攻撃である事も事実だ。 そういう現実が起こらないような世界にするべきだった筈、あるいはその必要がった筈がアラブ、欧州で多発しているのが今の世界の現実だ。 軍事、武力の圧倒的な侵略者、支配者に反撃武力攻撃する弱者の手段だと言うことに21世紀の世界の悲劇を痛感している。 敵対するものは国家、民族、親兄弟子供や故郷を守るための戦いを、平和的手段が徒労に帰チした時には無抵抗で殺されか死ぬ事を覚悟の上で戦うしかない。否定出来ない真実だろう。 ナチスの一方的な侵略に対しスターリングラード、レニングラード、モスクワ祖国防衛戦争を戦い数百数千万人の犠牲を払った。ポーランドに至っては スターリンに拉致殺害され(カチン)ソ連の反攻時に騙されワルシャワで蜂起したがソビエトはわざとワルシャワに入らずナチスにワルシャワ市民をホロコーストさせた後でワルシャワに入った。 先の戦争は日本については祖国防衛戦争だったことすら日本人は 忘れるか知らされていないかだ。 日本の将兵は自分の親兄弟と日本国とそのアイデンティテイを守る為に戦ったことをその子孫である今の日本国民は忘れてはならない。 戦争はバカげている。戦争は憎いという感情は当然だろう。 その感情を日本人の為に戦ったあなた方の父祖を誹謗中傷することに振り向ける事は愚かな行為だということだ。 泣きわめいて失禁し無理矢理乗せるなど今のネトウヨならいざ知らず 祖国を守る信念と訓練を積んだパイロットにはあり得ないことだ。 特攻隊は戦争行為としての戦術行為でテロとは異なる。 今の日本人でも会社や役所の掟に反抗せず従順に従っているだろう。 まして軍隊で反戦行為が出来る筈もない。バカバカしさをも飲み込み出撃して行っただろう。私の叔父も松山航空隊に所属し特攻した。詳細は省く。 泣いているところを撮影したりしませんよ。しかし実際には泣いていたものもいたでしょうが、恐らくほぼ全員が泣いていなかったでしょうね。泣きたい様な気持ちになっていたか??恐らく多くのものがその気持だったと思います。
戦記本に「出撃前、特攻隊員は仏様のような綺麗な顔でした。 目が澄み切って頬が輝いておりました」などと言う記述がよく出てきます。それはそれで本当でしょうが、特攻隊員がそういう心境に達するまでの心の葛藤はものすごく残酷なものだったと思います。こういう綺麗ごとを書いて特攻を美化するのは許されません。 昭和20年3月、松山基地の第四御盾隊(「銀河」部隊)は特攻を命令されてから数日間待機。毎晩兵舎で深夜まで無茶苦茶に酒を飲んで大暴れ。巡検すらオフリミット。心の底から納得しておればそんな事をして心をまぎらわせる様な事をするわけがない。 慶応大学出身の島澄夫海軍少尉は特攻隊に指名され、遺書に「日本男子の本懐」「これ以上の幸福者はなき事と信じます」「神州は不滅なり」と書きました。 島少尉の発進直前に同期の辻井弘少尉が翼の上に駆け上って激励したら、島少尉は操縦桿を握ったまま首をうなだれ、「いや、もうあかん」と言って涙をこぼしたそうです。しかしこの島少尉も「ニッコリ笑って」指揮所に敬礼し、出撃していきました。 子息を特攻戦死で失ったある遺族は、海軍から遺書を受け取った。上官の検閲を受けた「正式」のものです。戦後になって、子息が出撃直前に秘密で親友に出した私信を見せられ、内容が余りにも違うので愕然としたそうです。どちらが本心なんだ、と。 千葉県茂原の海軍航空隊で、ある晩のこと予備学生出身の搭乗員が泥酔して各部屋をまわって壁や柱を軍刀で切りまくる、「俺たち予備学出身ばかり特攻に出しやがって海兵出身は卑怯だぞ!!」、と大暴れ。一緒に付いていた同期の少尉が「すまん。今夜だけ大目に見てやってくれ。明日は出撃なんだ!」と謝ってまわる。そしてその搭乗員も翌朝は吹っ切れた、実にいい顔をして出撃して行ったそうです。 ある海軍航空隊整備下士官の手記:「特攻を命令された予科練出身の若い搭乗員たちが零戦のそばに座って待機している。そばを通るとパッと顔をそむけてしまう。よく見ると閉ざした目から涙がすーっと流れている。可哀想だった」、と。 それでも出撃命令が下ると、みんな「ニッコリ笑って」「悟り切った様な顔で」指揮所に向かって敬礼して離陸していきました。そして敵艦に向かい、「天皇陛下バンザイ!」「大日本帝国バンザイ!」「お母さーん!」、あるいは何も言わずに歯を食いしばって突入していったのでしょうね。 特攻などで戦争に勝てるわけがない事を知りながら、特攻命令を受けて「今のオレに出来ることはこれしかない」と自分に言い聞かせ、故郷、親兄弟姉妹、妻、恋人たちへの想いを断ち切って体当たり攻撃に出撃していった16歳からの若者たちの心を思うと涙が出てきます。よくもあんなに残酷な事をさせたものです。 そして「お前たちだけを行かせはしない。本官も最後の一機で必ずあとを追う」と言って次々と特攻隊を出撃させた司令官、飛行長たちは「最後の一機で」どころか敗戦後も生き残り、平和で豊かな日本の生活を楽しみました。卑怯者ばかりです。陸軍特攻の大御所である第六航空軍の菅原道大中将は95歳で極楽往生。18歳になったばかりで特攻戦死した朝鮮出身の少年飛行兵はあの世でどう思っているでしょうね。 もしまだでしたら、零戦乗りの超ベテラン角田和男元海軍中尉が書いた「修羅の翼」をおすすめします。特攻出撃前夜の搭乗員たちの様子が実にリアルに描かれています。 ↓燃えながら米艦に突入する特攻機。この中には我々と同じ血と肉を持った若者が乗っていたのです
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