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政界地獄耳 真珠湾会談の薄っぺらさ(日刊スポーツ)
http://www.asyura2.com/16/senkyo217/msg/477.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 12 月 13 日 10:00:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

政界地獄耳 真珠湾会談の薄っぺらさ
http://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/1751156.html
2016年12月13日8時30分 日刊スポーツ


 ★年末に真珠湾での日米首脳による首脳会談と追悼に国民は高い関心を持つとともに、政府首脳は年明けの解散・総選挙の手ごたえを感じていることだろう。メディアの調査でも約8割程度の国民が日米同盟の強化というより追悼に評価をしているようだ。決して蜜月とは言えなかった米オバマ大統領との最後の外交パフォーマンスは歴史に残るものになるだろう。

 ★しかし、これがオバマの広島訪問の返礼として扱われると日米関係は厄介なことになりかねない。今全米でKilling the Rising Sun(日出づる国・日本を殺す)という本が飛ぶように売れているという。オバマの広島訪問が米国民に与えた影響とでもいうべきか、米国は間違っていなかったという論調が広がっている。つまり首相のハワイ行きはリメンバーパールハーバーに拍車をかける懸念がある。日本人から見れば軍事施設への攻撃と民間人への原爆投下は同列に語るべきでないと考えるが、一方の当事国は宣戦布告のない売られたケンカと再認識するということになる。

 ★首相は自ら「何のための」真珠湾行きかを丁寧に国民に説明をしていない。「より未来志向に」と首相が考えたとしても相手がそう感じるかどうか。また、それならば中国外務省の言うように「中国にも訪問すべきところが多いのではないか」という指摘が的を射ることになる。そのあいまいな世論受けのポピュリズム政治が世界的に受け入れられ始めている現実の前に、日本にはその失敗に陥らない努力の積み重ねがある。天皇皇后両陛下の東南アジア歴訪だ。政治外交ショーではなく、昭和天皇から続く慰霊の旅には演出などない。現地に赴き丁寧に国民に接すること。政治家には出来ぬ役割を果たしておられる。賛成が多いから評価されたと胸を張ることの薄っぺらさを感じる。(K)※敬称略

 

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コメント
 
1. 2016年12月13日 10:07:00 : ewBvrVx4Qw : 5SKvS_B8MDQ[15]
>また、それならば中国外務省の言うように「中国にも訪問すべきところが多いのではないか」という指摘が的を射ることになる。

まさにこれ正論じゃんw


2. 日高見連邦共和国[3249] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2016年12月13日 10:44:03 : pYBiRhRShY : JUWRjmwQc1E[147]

『広島・長崎=核を用いた一般市民を対象とした大量虐殺』と、
『真珠湾=軍事施設・軍艦を対象と舌宣戦布告のない先制攻撃』
が “横並び”で比較されて良い訳がない!

ずっと昔から旧日本軍の暗号など解読されていたのは常識の範疇で、
開示されたアメリカの公文書によって、当時の米政府と軍司令部が
『事前に真珠湾奇襲を知っていた』のは既に証明されている。

ヨーロッパ戦線への参加を拒否する米世論を“説得”する意味でも、
太平洋での“対日戦”を望んだのはアメリカであり、それが
『宣戦布告のない奇襲攻撃』であれば尚更好都合であったろう。

それまでの日米交渉を全く無視し、反故にするような『ハルノート』
が日本に突きつけられ、日本の“対米戦慎重派”は抵抗する術を失った。
『バスに乗り遅れるな』という新聞の煽りに加え、世論が“開戦”を望んだのだから・・・

古今東西、アメリカ自身が“宣戦布告なき先制攻撃”の常習犯だとしても、
日本の結果としての“宣戦布告無き先制攻撃”を擁護するつもりはない。
予定通りの攻撃数時間前の『宣戦布告』だって、褒められたものではあるまい。

確かに、先に手を出したのは日本であり、それは卑劣な“宣戦布告無しの奇襲攻撃”だった。
だが、では、『卑劣な奇襲攻撃』で亡くなった米兵と、『正規軍同士の真正面の艦体決戦』
で犠牲になった米兵の命の間に“差異”はあるのか?・・・と心から問いたい。

本国から遠く離れたハワイ―偉大な先住民から強引に武力で奪った他人の土地―に
なぜアメリカ人が居るのか?そこに巨大な軍事施設を建設し、巨砲を搭載した戦艦を複数配し、
西側にある海域と島国を威圧する“戦力”を置いている理由はどこにある???

あの戦争を望んだのは、日本人だけではない。だから、事『日米戦』だけを言えば、
『悪いのは双方、罪も同量』である。日本とアメリカは“対等な喧嘩相手”だったのだ。
(勿論、大陸でやった戦争は別物だ)


もし日本のトップが、“卑劣な先制攻撃”の結果としての犠牲者を悼むのであれば、
アメリカ側は、少なくとも『ハルノート』を出して、日本を追い詰めた事への反省を語らなければならない。
それこそが“バーター”というものだろう。

奇襲で失った鈍足の旧式戦艦の喪失を喜んだのは、むしろアメリカの軍司令部と軍需産業だ。
新鋭の16インチ砲搭載の高速戦艦建造の“議会承認”が速やかに行われたのだから。
そして、正規空母2隻は慌てふためいたように真珠湾から逃げ出していた事実・・・

安倍が轟沈したアリゾナの上で何を思うのか。それが本当の意味での“不戦の近い”であるならば文句は言わない。
でも、違うだろう。安倍は『卑劣な先制攻撃』を否定しても、“武力の行使”は否定しない。(むしろ行使したい)
そして、『負ける戦争』は否定しても、アメリカの尻馬に乗った“勝てる戦争”には喜々として追従する。

アメリカ自身が“負けつつある”昨今の情況では、あまりにも不見識と言わざるを得ない!!


3. 日高見連邦共和国[3250] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2016年12月13日 10:46:19 : pYBiRhRShY : JUWRjmwQc1E[148]

02です。誤記訂正。

×(誤): それが本当の意味での“不戦の近い”であるならば文句は言わない。

○(正): それが本当の意味での“不戦の誓い”であるならば文句は言わない。


4. 中川隆[5424] koaQ7Jey 2016年12月13日 10:52:33 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[5860]
小沢信者やアホ右翼は何も知らないんだな:

アメリカ人の原爆観
 
 フィラデルフィアで林間学校に参加していた16歳の時だった。ラジオで原爆投下を知った。周囲の子どもたちは歓声を上げた。私は我慢できず、一人で森の中に入り数時間戻らなかった。

もっと衝撃を受けたのは、ポルノ映画との触れ込みで50年代にボストンで上映された「ヒロシマ」という題の映画で、被爆者が沸騰した川に飛び込む映像を見ながら、観客が大笑いしていた光景だ。
http://www.asyura2.com/0505/idletalk14/msg/428.html


ユダヤ人の原爆観

日本を見るユダヤ人の目は今も厳しいのです。

ユダヤ人学生は、広島の平和記念公園に、ホロコースト慰霊碑があることに驚いて、
「ヒロシマ」の横に「アウシュヴィッツ」を並べて、同列に扱うのはおかしいと言いました。
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/370.html#c2


5. 中川隆[5425] koaQ7Jey 2016年12月13日 10:53:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[5861]
「むしろ『南京虐殺』を並べて、原因と結果の因果関係を展示すべきではないか」と。

また、ホロコースト生存者の映画を撮ったユダヤ人女性は、
「原爆は日本への罰」と言いました。つまり、原爆の被害を受けた日本でも、
ユダヤ人から見れば、加害者でしかないということです。


ノイマンや投下の乗組員は差別主義者で狂ったサルには神の裁きをと死ぬまで攻撃支持しています。

エノラゲイではアロハシャツを着て原爆を落としていったとどこかで聞きました。

ポール・ティベッツは確か「人類初の原爆投下をした男」というTシャツを作って、得々として着ていたはずですし、「眠れない夜などない」発言でも知られています。


原爆の対日使用は「人体実験」だった。

「広島・長崎への原爆攻撃の目的は何だったのか。1つには戦後世界でのアメリカ
の覇権確立である。そしてもう1つは、原爆の効果を知るための無数の人間への
『人体実験』である。

だからこそ、占領後にアメリカ軍が行なったことは、第1に、原爆の惨状について
の報道を禁止し、『人体実験』についての情報を独占することだった。

第2に、史上前例のない火傷、放射能障害の治療方法を必死に工夫していた広島・
長崎の医者たちに治療方法の発表と交流を禁止するとともに、死没被爆者の
ケロイドの皮膚や臓器や生存被爆者の血液やカルテを没収することだった。

第3に、日本政府をして国際赤十字からの医薬品の支援申し出を拒否させることだった。たしかに、『実験動物』を治療するのでは『実験』にならない。そこでアメリカ軍は全力を尽くして被爆治療を妨害したのである。

第4に、被爆者を『治療』せず『実験動物』のように観察するABCC
(原爆障害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)を広島・長崎に設置することであった。加害者が被害者を観察するというその目的自体が被爆者への人権蹂躙ではなかったか。」

広島で女学生(14歳)のときに原爆にあい、現在も原爆後遺症で苦しむ詩人の 橋爪文さんは、「ABCC」(原爆傷害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)について、次のような恐ろしい事実を述べている。

「私は広島の生き残りのひとりです。 〈中略〉 ここで、ひとつ触れたいことは『ABCC』についてです。これは日本でもほとんど知らされていないことですが、戦後広島に進駐してきたアメリカは、すぐに、死の街広島を一望のもとに見下ろす丘の上に『原爆傷害調査委員会』(通称ABCC)を設置して放射能の影響調査に乗り出しました。そして地を這って生きている私たち生存者を連行し、私たちの身体からなけなしの血液を採り、傷やケロイドの写真、成長期の子どもたちの乳房や体毛の発育状態、また、被爆者が死亡するとその臓器の摘出など、さまざまな調査、記録を行ないました。

その際私たちは人間としてではなく、単なる調査研究用の物体として扱われました。治療は全く受けませんでした。そればかりでなく、アメリカはそれら調査、記録を独占するために、外部からの広島、長崎への入市を禁止し、国際的支援も妨害し、一切の原爆報道を禁止しました。日本政府もそれに協力しました。こうして私たちは内外から隔離された状態の下で、何の援護も受けず放置され、放射能被害の実験対象として調査、監視、記録をされたのでした。

しかもそれは戦争が終わった後で行なわれた事実です。私たちは焼け跡の草を
むしり、雨水を飲んで飢えをしのぎ、傷は自然治癒にまかせるほかありません
でした。あれから50年、『ABCC』は現在、日米共同の『放射線影響研究所』となっていますが、私たちはいまも追跡調査をされています。
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc700.html


6. 2016年12月13日 10:54:46 : 2VxazcwEtj : LkYd3S4cYsA[253]
>> そのあいまいな世論受けのポピュリズム政治

その舞台装置を用意して演出するのは誰だ?

マスコミが自分達の役割、責任に目をつぶり
ポピュリズム政治を批判したところで何の説得力もない。



7. 2016年12月13日 10:55:49 : Uth8eW5rTM : nMv1Hu096QY[7]
>>2. 日高見連邦共和国[3249] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2016年12月13日 10:44:03 : pYBiRhRShY : JUWRjmwQc1E[147]

> ずっと昔から旧日本軍の暗号など解読されていたのは常識の範疇で、
開示されたアメリカの公文書によって、当時の米政府と軍司令部が
『事前に真珠湾奇襲を知っていた』のは既に証明されている。

『事前に真珠湾奇襲を知っていた』だけでは無く、ルーズベルト大統領の仕掛けた罠であったことは、今は広く知られている。

フランクリン・ルーズベルト(第32代大統領)の前任者、フーバー第31代米大統領は 「ルーズベルトは、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った『狂気の男』」[1]
と言っている。

[1]【真珠湾攻撃70年】 「ルーズベルトは、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った『狂気の男』」 フーバー元大統領が批判★3
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1323310737/
1 :有明省吾 ◆BAKA1DJoEI @有明省吾ρ ★:2011/12/08(木) 11:18:57.96 ID:???0 ?PLT(12066)
【ワシントン=佐々木類】ハーバート・フーバー第31代米大統領(1874〜1964年)が、日本軍が1941年12月8日、
米ハワイの真珠湾を攻撃した際の大統領だったフランクリン・ルーズベルト(第32代、1882〜1945年)について、
「対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った『狂気の男』」と批判していたことが分かった。


8. 2016年12月13日 12:12:50 : MAL0mQiyHk : 3MRdIkFJSJ0[8]
>>1

>まさにこれ正論じゃんw

南京30万だの慰安婦だの誇張、捏造をして反日教育、日本人狙い撃ちの
ヘイトクライムや暴動をする国、民族にそんな行為は無駄。

先進国であり、同じアジア人として、しっかり駄目なものには駄目と教育するのが
日本の役目だと思うよ。


9. 日高見連邦共和国[3256] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2016年12月13日 12:37:26 : pYBiRhRShY : JUWRjmwQc1E[154]

『南京虐殺』は、その規模(犠牲者)の多寡や質(日本軍が犯人かどうか)を問わず、
日本軍(人)が土足で隣人の家の中へ上がりこみ、日本人がそんな行動をしなければ起こらなかった悲劇である、
という認識の上に立って、日本人と日本政府は“正式に謝罪”し、冷静な歴史検証をすべき、だと思う。

今日の昼のニュースでも中国の発言を取り上げていたが、この時期、このような選択(真珠湾訪問)を発表すれば、
中国がどのようなリアクションをするか、なんて、外交の得意(笑)な安倍ちんには想定内では?(重ねて笑い)

当時の客観的事実を言えば、『満州国建国』までは、似たような事はどの列強もやてた事だから、
『極東の黄色いサルが忌々しい!』とは思いつつも、消極的容認(渋々)という白人列強の姿勢だった。

また、当時の首都“南京”を攻め落とすまで理解を示していた欧米の記者(当時の中国に沢山居た)も、
南京占領後も軍事行動を止めない日本軍を見て、『ヤベーぜ、コイツら!』となったのも歴史的事実である。

ちなみに、『バカ川隆』のいう事はさっぱり面白くもない、真新しいものもない“落書き”である。


10. 日高見連邦共和国[3257] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2016年12月13日 12:47:59 : pYBiRhRShY : JUWRjmwQc1E[155]

重ねて、ちなみに、『南京大虐殺』を、冷静且つ客観的に総括してみたら、
赤っ恥をかくのは『犠牲者30万人』と言い張っている連中の方こそであると断言しておく。

だから、アジアでの日本軍の悪行の“歴史的検証”を阻んでいるのは、

@アホな日本人
Aその日本人を責める有効な手段を手放したくない中国人、朝鮮人

なのです。

私はウェルカム!

当然、当時の列強諸国の“各地での悪行”も比較対象として“暴かれる”でしょうから。

そして日本軍の暴かれた“悪行”と、そうせざるを得なかった当時の情況(事情)を詳らかにしたい・・・
それが私の心からの希望です。

国連(国際連盟)で、日本が提出した『人種差別撤廃法案』にNOを突きつけたのはどの国らよ!!

大日本帝国なかんずく旧帝国陸海軍は確かに“悪”だが、それは、より強大で性質の悪い
“巨悪(白人による植民地主義・帝国主義)”に対する“必要悪だった”と信じて疑わない私です。

だからと言って、旧日本軍の戦い方を正当化はしません。軍備も、戦争も、“絶対的に悪”です!



11. 新共産主義クラブ[2717] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2016年12月13日 13:30:57 : MABInK6oNQ : mz2j1FlBW3Q[3]
>>9. 日高見連邦共和国 さん
 
>当時の客観的事実を言えば、『満州国建国』までは、似たような事はどの列強もやてた事だから、
 
 
 そうですか?
   
 当時、パリ不戦条約締結以降(1929年発効)は、欧米による軍事侵攻は無かったのではありませんか?
 
 いつものことながら、神道系右翼団体か指定暴力団傘下の右翼団体の構成員らしき、日高見連邦共和国さんは、お得意の『反米右翼思想』が丸出しですね。
 
 
■石原莞爾の最終戦争論
投稿者:日高見連邦共和国 投稿日:2012年 5月 2日(水)09時44分1秒   通報 返信・引用
―――丸腰で 世界の恒久平和のため 世界人類の道義に訴えるのでス
正しい道義が 武力を 超えるのです
そのために 都市を解体し 簡素生活を営み 農業と工業一体にする・・・

『まんが・最終戦争論 石原莞爾と宮沢賢治』 江川達也著 PHP研究所刊 より抜粋

http://8241.teacup.com/ashura/bbs/13
 


12. 日高見連邦共和国[3264] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2016年12月13日 15:14:43 : pYBiRhRShY : JUWRjmwQc1E[162]

>>11 『安倍協賛主義クラゲ』

>パリ不戦条約締結以降(1929年発効)は、欧米による軍事侵攻は無かったのではありませんか?

1929年以前は“似たようなこと”を、欧米列強がやってたって証明、アリガト!(笑)

私が“当時”という言葉の範疇は、広義では大航海時代から第一次大戦(終結が1918年)まで、
狭義でも第一次大戦から第二次大戦に至るまで、を念頭に入れて言ってるんだが、まあ、イイや。(笑)

で、オマエは、1929年以降、列強による軍事的行動を伴う植民血奪取がなかったと言う?

では、と問うが、それまで不当に奪取し占拠し搾取し続ける“植民地”を解放(独立させた)列強があるか?

1929年以降、新たな植民地を獲得できなかったのは、“植民地獲得競争”がアジアで飽和点に達したからだ。

そしてその事実を以って、それまでの“悪行の数々”が許されるとでも思うのか?クラゲよ!

日本が、欧米の先進・帝国主義国群の“悪い所”を真似てしまった事はまごうかたない事実だろう。

オマエは私を『反米右翼思想丸出し』と非難するのは、むしろ褒め言葉か?(笑)

私は当時の“事実”を語っているに過ぎず、それは取りも直さず欧米文明への“批判”になるのもコレ当然。

ツマラねー所で茶々入れてねーで、オマエの歴史観でも語ってミロや?

それとも、人の歴史観にミソ付けるしか能がないってこと、認めちゃう?(笑)


13. 日高見連邦共和国[3266] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2016年12月13日 15:39:23 : pYBiRhRShY : JUWRjmwQc1E[164]
>>11 『似非共産主義クラゲ』

『ハルノート』を避戦外交交渉の常識と経緯を踏まえれば、
意味論的に、明らかに最後通牒に近く、宣戦布告に等しい。
実際、日本側弁護人として東京裁判法定に立ったブレークニーが、
「こんな最後通牒を出されたらモナコやルクセンブルグでも武器をとって立つ」
と言った のは有名な話しである。

太平洋戦争へと向う怒涛のあの時代、『三国同盟』、『対米開戦』
に最後まで反対し、徹底的に抵抗した人達を知っているか?

今思えば、『三国同盟』さえ結んでいなければ、日本軍の軍事的激発が
アメリカの欧州戦線への参戦の“ダシ”に使われることもなかったのだ。

そういう視点で見るときに、現時点で『日米同盟』に拘泥する事こそが、
国際社会から孤立し、戦争の危機を増大させることだと言わざるを得ない。

この私の見識を披露した上で、オマエの意見を問おう。


14. 新共産主義クラブ[2721] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2016年12月13日 18:18:10 : fFg6BEaQs6 : pNHrYqbya48[30]
>>12. 『反米右翼』の日高見連邦共和国 さん
 
>で、オマエは、1929年以降、列強による軍事的行動を伴う植民血奪取がなかったと言う?
 
 
 1918年の第一次大戦の終結から、1939年の第二次大戦の勃発までの約20年の期間を戦間期という。
 
 ヴェルサイユ条約が締結され、国際連盟が発足し、満州事変が発生する1931年9月18日までは、ヨーロッパでは、ロシア革命後のソ連への干渉戦争や、民族独立運動による内戦など、例外的な戦争を除いて、列強諸国間の戦争や、列強諸国による植民地獲得のための軍事介入は極めて少なかった(無かったかもしれない)。
 
 しかし、アメリカ合衆国は、国際連盟に加盟していなかったが、戦間期にも、ホンジュラス、ニカラグア、グアテマラ、パナマなど、アメリカ合衆国の裏庭とみなした中米諸国には、たびたび軍事介入をおこなっていた。
 
 当時の日本軍や日本政府の意識の中に、アメリカ合衆国が中米諸国に軍事権益を得ているのだから、満州を日本の裏庭とみなして、軍事介入をおこなっても、国際法上差支えないという意識があったのかもしれない。
 
 当時の当時の日本軍や日本政府は、アジアは、アメリカ大陸と同様に、ヨーロッパよりも遅れた地域なので、日本がアメリカ合衆国のように、軍事介入してアジアの周辺地域から権益を得る権利があるという感覚を持っていたのではないだろうか。
 
 くだんのアメリカ合衆国に、日本が満州で排他的な権益を持つことに、とやかく言われたくないという日本側の感情は確かにあったのだろう。
 
 日本は、満州での特殊権益を排他的に保持するための戦争を、自衛のための戦争とみなしていた。
 
 日本による自衛権の拡大解釈が、アジア太平洋戦争を導いたといえるだろう。
 
 
■ 西嶋 美智子 ”戦間期の「戦争の違法化」と自衛権”
 
http://ci.nii.ac.jp/naid/40019028441
 
 
■ヴェルサイユ条約
 
 ヴェルサイユ条約(ヴェルサイユじょうやく、仏: Traité de Versailles)は、1919年6月28日にフランスのヴェルサイユで調印された、第一次世界大戦における連合国とドイツの間で締結された講和条約の通称。
 
 署名 1919年6月28日(ヴェルサイユ宮殿鏡の間)
 
 効力発生 1920年1月10日
 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%A6%E6%9D%A1%E7%B4%84
 
 
■ ロカルノ条約
 
 ロカルノ条約(ロカルノじょうやく、Locarno Treaties)は、1925年10月にスイスのロカルノで行われた協議を受けて、同年12月1日にロンドンで正式調印された7つの協定の総称である。
 
その中にはフランス・ベルギーの国境現状維持と、ラインラント非武装の確認(ラインラント条約)などが含まれ、基本的にはヴェルサイユ条約を踏襲したものが多い。国際紛争を軍事によらず仲裁裁判で解決することも含まれていた。ロカルノ条約の締結によりドイツは1926年に国際連盟に加盟。独仏の関係の緩和により、ヨーロッパ全土もしばらくの間、相対的安定期を迎えることになる。
 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%8E%E6%9D%A1%E7%B4%84
 
 
■ 不戦条約
 
不戦条約(ふせんじょうやく、戦争抛棄ニ関スル条約)は、第一次世界大戦後に締結された多国間条約で、国際紛争を解決する手段として、締約国相互での戦争を放棄し、紛争は平和的手段により解決することを規定した条約。パリ不戦条約とも。
 
1928年(昭和3年)8月27日にアメリカ合衆国、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、日本といった当時の列強諸国をはじめとする15か国が署名し、その後、ソビエト連邦など63か国が署名した。フランスのパリで締結されたためにパリ条約(協定)(Pact of Paris)あるいはパリ不戦条約と呼ぶこともあり、また最初フランスとアメリカの協議から始まり、多国間協議に広がったことから、アメリカの国務長官フランク・ケロッグと、フランスの外務大臣アリスティード・ブリアン両名の名にちなんでケロッグ=ブリアン条約(協定)(Kellogg-Briand Pact)とも言う。
 
 
■ 戦争一覧
 
1914年〜1918年 - 第一次世界大戦・Category:第一次世界大戦・Category:第一次世界大戦の戦い・Category:第一次世界大戦の海戦
1918年〜1919年 - ハンガリー・ルーマニア戦争
1918年〜1920年 - ロシア内戦(ロシア革命・対ソ干渉戦争・シベリア出兵)
1919年〜1922年 - アイルランド独立戦争
1919年〜1922年 - 希土戦争 (1919年-1922年)(小アジア戦争)
1919年 - 第三次アフガン戦争(アフガニスタン独立戦争)
1920年 - ポーランド・ソビエト戦争
1921年 - コト紛争
1922年〜1923年 - アイルランド内戦
1926年〜1949年 - 国共内戦
1931年〜1933年 - 満州事変(十五年戦争)
1932年〜1938年 - チャコ戦争
1935年〜1936年 - 第二次エチオピア戦争
1936年〜1939年 - スペイン内戦
1937年〜1945年 - 日中戦争(支那事変)・Category:日中戦争
1938年 - 張鼓峰事件
1939年 - ノモンハン事件
1939年〜1945年 - 第二次世界大戦・Category:第二次世界大戦・Category:第二次世界大戦の作戦と戦い
 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E4%BA%89%E4%B8%80%E8%A6%A7
 
 
■ アメリカ介入の歴史
 
1914-1934 ハイチ 軍隊が上陸し、空爆、19年間の軍事占領に至る。
1916-1924 ドミニカ共和国 軍の介入で、8年間の占領に至る。
1917-1933 キューバ 海軍部隊上陸。15年にわたる占領の開始。
1918-1920 パナマ 軍隊が介入し、「治安任務」で、2年以上駐留。
1918-1922 ロシア 海軍および陸軍部隊が、同国内のいくつかの地域で5年間にわたって戦闘する。
1919 ユーゴスラビア 海兵隊、ダルマチアに介入。
1919 ホンジュラス 海兵隊上陸。
1920 グアテマラ 軍隊介入。
1922 トルコ 海兵隊、スミルナ(イズミール)における作戦に参戦。
1922-1927 中国 5年間にわたり、海軍と陸軍を投入。
1924-1925 ホンジュラス 二年間に軍隊が二度上陸。
1925 パナマ 海兵隊が上陸し、作戦に参戦。
1927-1934 中国 海兵隊と海軍が国中に駐留。
1932 エルサルバドル 海軍部隊の介入。
1933 キューバ 海軍部隊の投入。
1934 中国 海兵隊、福州に上陸。
1946 イラン 北部の州への軍隊投入。
 
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post-07be.html
 
 
■ ニカラグラ
 
アメリカ合衆国の進出 (1909 - 1933)
 
1927年、自由党のホセ・マリア・モンカーダ(スペイン語版、英語版)らが保守党のアドルフォ・ディアス(スペイン語版、英語版)政権に対しての内戦(英語版)を始めた。この内戦はすぐに停戦してしまったが、停戦後再びアメリカ海兵隊が上陸してくると自由党軍のアウグスト・セサル・サンディーノ将軍だけは停戦に応じず、選挙監視を行うために駐留していたアメリカ海兵隊(占領軍)をニカラグア国民主権防衛軍で攻撃した(サンディーノ戦争)。サンディーノ戦争はラテンアメリカ諸国の支援を受けての、世界初の近代的なゲリラ戦争となった。アメリカ海兵隊は被害を恐れ、国家警備隊(スペイン語版、英語版)を養成し、海兵隊と共に国家警備隊がサンディーノ軍とジャングルの中でゲリラ戦を行うことになった。しかし、お互い決め手に欠けたまま時間だけが経ち、遂に選挙監視の任務が終わったこと、世界恐慌の影響でニカラグアに駐留する費用も惜しくなったことなどを原因に1933年、アメリカ海兵隊が撤退してサンディーノ戦争は終結した。
 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%82%A2
 
 
■ Honduras
 
American troops landed in Honduras in 1903, 1907, 1911, 1912, 1919, 1924 and 1925.

https://en.wikipedia.org/wiki/Honduras
 
■ Military action in the U.S during the 1920's?
 
Best Answer: 1920 -- China. - March 14. A landing force was sent ashore for a few hours to protect lives during a disturbance at Kiukiang.
1920 -- Guatemala. - April 9 to 27. US forces protected the American Legation and other American interests, such as the cable station, during a period of fighting between Unionists and the Government of Guatemala.
1920-22 -- Russia (Siberia). - February 16, 1920, to November 19, 1922. A Marine guard was sent to protect the United States radio station and property on Russian Island, Bay of Vladivostok.
1921 -- Panama - Costa Rica. American naval squadrons demonstrated in April on both sides of the Isthmus to prevent war between the two countries over a boundary dispute.
1922 -- Turkey. - September and October. A landing force was sent ashore with consent of both Greek and Turkish authorities, to protect American lives and property when the Turkish Nationalists entered Smyrna.
1922-23 -- China. Between April 1922 and November 1923, marines were landed five times to protect Americans during periods of unrest.
1924 -- Honduras. - February 28 to March 31, September 10 to 15. US forces protected American lives and interests during election hostilities.
1924 -- China. - September. Marines were landed to protect Americans and other foreigners in Shanghai during Chinese factional hostilities.
1925 -- China. - January 15 to August 29. Fighting of Chinese factions accompanied by riots and demonstrations in Shanghai brought the landing of American forces to protect lives and property in the International Settlement.
1925 -- Honduras. - April 19 to 21. US forces protected foreigners at La Ceiba during a political upheaval.
1925 -- Panama. - October 12 to 23. Strikes and rent riots led to the landing of about 600 American troops to keep order and protect American interests.
1926-33 -- Nicaragua. - May 7 to June 5, 1926; August 27, 1926, to January 3, 1933. The coup d'etat of General Chamorro aroused revolutionary activities leading to the landing of American marines to protect the interests of the United States. United States forces came and went intermittently until January 3, 1933.
1926 -- China. - August and September. The Nationalist attack on Hankow brought the landing of American naval forces to protect American citizens. A small guard was maintained at the consulate general even after September 16, when the rest of the forces were withdrawn. Likewise, when Nationalist forces captured Kiukiang, naval forces were landed for the protection of foreigners November 4 to 6.
1927 -- China. - February. Fighting at Shanghai caused American naval forces and marines to be increased. In March a naval guard was stationed at American consulate at Nanking after Nationalist forces captured the city. American and British destroyers later used shell fire to protect Americans and other foreigners. Subsequently additional forces of marines and naval forces were stationed in the vicinity of Shanghai and Tientsin.
 
other than this it was a relatively peaceful time
 
https://answers.yahoo.com/question/index?qid=20080506210229AAnfC8J
 

15. 新共産主義クラブ[2722] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2016年12月13日 18:27:41 : fFg6BEaQs6 : pNHrYqbya48[31]
>>13. 『反米右翼』の日高見連邦共和国 さん
 
>太平洋戦争へと向う怒涛のあの時代、『三国同盟』、『対米開戦』
に最後まで反対し、徹底的に抵抗した人達を知っているか?
 
 
 貴殿は、「石原莞爾」と言いたいのでしょうね。(大笑い)
 
 
■ 日独伊三国同盟
 
 英米協調派が主流を占めた海軍には反対が多く、海軍大臣の米内光政以下、次官の山本五十六、軍務局長の井上成美は特に「条約反対三羽ガラス」と条約推進派(親独派)から呼ばれていた。
 
 陸軍でも石原莞爾・辰巳栄一などが条約締結に反対していた。
 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%8B%AC%E4%BC%8A%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%90%8C%E7%9B%9F

16. 新共産主義クラブ[2723] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2016年12月13日 18:33:08 : fFg6BEaQs6 : pNHrYqbya48[32]
>>12. 神道系右翼団体か指定暴力団傘下の右翼団体の構成員らしき『反米右翼』さん
 
>オマエは私を『反米右翼思想丸出し』と非難するのは、むしろ褒め言葉か?(笑)
 
 
 褒め言葉ではありません。
 
 『反米右翼』に尊敬できる人はいません。

 『反米右翼』を自称する人には、基本的な知識に欠ける人が多い気がしています。
 
 むしろ、内心、馬鹿にして使っています。
 


17. 2016年12月14日 09:49:03 : v6LYoKqvEc : IU9JuRWP7mo[39]
>>9
>『南京虐殺』は、その規模(犠牲者)の多寡や質(日本軍が犯人かどうか)を問わず、
日本軍(人)が土足で隣人の家の中へ上がりこみ、日本人がそんな行動をしなければ起こらなかった悲劇である、
という認識の上に立って、日本人と日本政府は“正式に謝罪”し、冷静な歴史検証をすべき、だと思う。


いや〜、まったくその通り。
全くの正論だわ。


18. 日高見連邦共和国[3271] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2016年12月14日 10:57:19 : pYBiRhRShY : JUWRjmwQc1E[169]

『珍共産主義クラゲ』

ああ、だから何?

何ひとつ、私の指摘の“核心”に答えられてないの、分かってるダロ?自分で。

オマエのコメントを読むと、『負けました』としか聞こえない。(笑)


19. 新共産主義クラブ[2727] kFaLpI5ZjuWLYINOg4mDdQ 2016年12月14日 15:53:50 : ZZRN8DfbzY : YLOyQZg@BC4[114]
>>14(補足)
 
>アメリカ合衆国は、国際連盟に加盟していなかったが、戦間期にも、ホンジュラス、ニカラグア、グアテマラ、パナマなど、アメリカ合衆国の裏庭とみなした中米諸国には、たびたび軍事介入をおこなっていた。
 
>当時の日本軍や日本政府は、アジアは、アメリカ大陸と同様に、ヨーロッパよりも遅れた地域なので、日本がアメリカ合衆国のように、軍事介入してアジアの周辺地域から権益を得る権利があるという感覚を持っていたのではないだろうか。
 
 
 満州事変は、1931年9月18日、若槻礼次郎内閣で幣原喜重郎外相のときに起きた。
 
 幣原喜重郎外相は、国際協調の忠実な信奉者であったが、満州問題は、国際連盟の仲介でなく、当事国同士で解決すべきだと考えていた。
 
 幣原外交が終わり、内田外交、広田外交へと移っていくが、広田弘毅外相のもとで外務次官を務めた重光葵もまた、米国がアメリカ大陸のような後れた地域には国際連盟規約は合わないので「モンロー主義」が認められると考えているように、アメリカ大陸よりさらに遙かに後れている極東地域の紛争では、国際連盟規約のような欧州並の理想的平和条約は適用できないと、1933年の時点では考えていたようだ。
 
 
■ 加藤陽子(著)『シリーズ日本近現代史(5) 満州事変から日中戦争へ』(岩波新書,2007年)
 
 《広田と重光》
 
(p.180.)
 
 広田外交を支えていたのは重光葵次官であった。
 
 次官としての重光の在任期間は、33年5月から36年4月までの長きにわたる。
 
 欧州の連盟とは異なる地域秩序が極東には必要だと重光は考えていた。
 
 「米国の如きは、欧州の国際関係に適合する国際連盟規約の如きは、言わば、後れたる国際関係を律するに適合せずとの意味により「モンロー」主義の除外を求めたるものにして、更に遙かに後れたる国際関係に立てる極東の状態は、今にわかに欧州並の理想的平和条約若くは組織に適合せしむるには不適当の状態なり」
(「軍縮会議関係」33年9月)
 
 中南米の安全保障に任ずるアメリカは、同地域に連盟秩序を適用するのは無理だと判断したからこそモンロー主義による除外を求めたといえる。より遅れた地域であるはずの極東においては、なお例外が認められるべきだ、との考えにたっていた。
(酒井哲哉『大正デモクラシー体制の崩壊』)。
 
http://www.iwanami.co.jp/book/b268865.html
 

20. 日高見連邦共和国[3322] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2016年12月15日 15:59:04 : pYBiRhRShY : JUWRjmwQc1E[207]

『安倍協賛主義クラゲ』

まだやってるのかよ。意味のね〜、“目くらまし”コメント!(笑)


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