>>9 山田ミー太郎様 >自分の家に「遺族の家」ステッカーを貼り付けることになるとか、 自分の子どもが傷痍軍人になって物乞いするとか、 そういう出来事に対するリアルな想像力も覚悟も 全く欠如しているからこそ、塚本幼稚園なんかに 子供を預けることが出来るのでは、と考えます。 おっしゃる通りです。私もそれを危惧します。私の小学生時代にも白い病衣に軍帽を被って杖を突いたり、車椅子に乗ったり、アコーディオンを弾いたりしながら、二、三人で街角に立つ傷痍軍人をたまに見た覚えがあります。子供心にも胸を突かれる、もの悲しい風景でした。今思えばすべてが本物だったかどうかはわかりませんが、戦地へ行った人の年齢ではあったようです。アメリカではホームレスの中にベトナム、アフガン、イラク戦争に行った帰還兵たちが多くの割合でいると聞きました。日本が70年間戦争をしない平和国家であったのは良いことではありますが、それゆえに、若い世代からは現実の戦争に対する想像力が失われてしまったのは何とも皮肉なことです。 「マスコミに載らない海外記事」さんの以前の記事を思い出しました。 マスコミに載らない海外記事 人々が目にしてはいけないことになっている戦争写真 - Chris Hedgesのコラム http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/-chris-hedges-1.html
(以下、部分抜粋)
戦争は残虐で、人間味の無いものだ。個人の勇気ある行動といった夢想や、民主主義といった夢想的な目標のばからしさをあざわらうものなのだ。産業技術を駆使する戦闘は、攻撃してくる相手など見たこともない何十人、いや何百人もの人々を、一瞬で殺害できる。こうした高度な工業生産による兵器の威力は無差別で、信じがたいほどだ。瞬く間に、団地にいる全員を生き埋めにし、粉砕することが可能だ。そういう兵器は、村々を破壊し、戦車や、飛行機、船舶を灼熱の爆発で吹き飛ばすことが可能だ。生き残った人々にとって、傷は、酷い火傷や、失明や、四肢切断や、一生続く痛みやトラウマとなって残る。こうした戦闘から戻ると、人は変わってしまうものだ。しかもこうした兵器が使われてしまえば、人権にまつわるあらゆるあらゆる論議も茶番劇と化する。
ピーター・ファン・アットマールの『二度目の服務:死なずにすみますように』と、ローリ・グリンカーの『戦後: 紛争中の世界からの退役軍人』という、一度見れば忘れることのできない二冊の戦争写真集によって、戦争の写真というものは、ほとんど常に、大衆の目に入らぬよう隠されていることがわかる。こうした写真は暗部であり、実際に戦地に赴き、戦争の苦難を味わった人々しか、その本能的恐怖とは直面することはできないが、それでもこうした作品は、少なくとも、戦争の残虐さを暴こうとする努力である。 「道端にしかけられた爆弾が、乗っていた車両に命中し、ガソリン・タンクを発火させ、他の二人の兵士も焼死させた際、この兵士は体の90パーセント以上に火傷を負った」アットマールの写真集にある、手術室にいる血塗れの兵士の写真には、横にそう説明がある。「彼の迷彩服は、ヘリコプター上で彼を処置した衛生兵によって引き裂かれ、ベッド中に垂れ下がっていた。皮膚の塊ははげおち、わずかに残った皮膚は半透明になっていた。彼は意識を失ったり、回復したりしており、数秒間、彼はかっと目を見開いた。担架から、ERのベッドに移される際に彼は叫んだ。「父さん、父さん、父さん、父さん」そして「眠らせてくれ、頼むから眠らせてくれ。」ERには、もう一人のカメラマンがおり、上からの場面を撮影しようとして、医療スタッフの頭上からカメラを突き出した。兵士は叫んだ。「クソ・カメラを目の前からどけやがれ」彼の最期の言葉はそういうものだった。六ヶ月後、ある冬の午後、私は彼の墓にお参りした。」アットマールは書いている。「彼の最期の光景は脳裏から離れない。」 「車内には三人いて、ジープに火がつきました」イスラエル兵士ヨッシ・アルディティは、グリンカーの本にある引用で、火炎瓶が車中で破裂した瞬間について語っている。「燃料タンクは満タンで、今にも爆発しそうで、私の腕や顔からは皮膚が垂れ下がっていましたが、動転はしませんでした。誰も入ってきて、助けてくれることなどできず、火をくぐり抜けて、ドアに向かう他に脱出方法がないことは分かっていました。銃をもって出たかったのですが、両手が火傷していて、触れませんでした。」 アルディティは六ヶ月入院していた。退院後の三年間、二、三ヶ月毎に、合計20回の手術を受けた。 「私を見る人は、戦争が本当は何をするのかを見るのです」と彼は言う ----------------------------
この偉大な茶番において、負傷者、身体障害者、死者は、舞台の外に速やかに運び去られてしまう。彼等は戦争の廃物なのだ。私たちは彼らを目にすることはない。私たちは彼らの声を聞くことはない。彼等は、我々の意識の周辺に漂う、彷徨える魂のように、無視され、罵倒さえされるべく、運命づけられている。彼等が語る言葉は、我々が耳にするには余りに悲痛だ。人は、戦闘においては空虚で無意味となる言葉である、栄光、名誉、愛国心という神話を受け入れて、自らと、国家とを讃えることの方を好むものなのだ。そして、戦争の本当の結果と直面するべく運命づけられた人々は、向きを変えて、逃げてしまうことが多い。
グリンカーの本の中で、エルサルバドルでの戦争で両足を失ったサウル・アルファロは、陸軍病院の病床に横たわっていた時の、恋人による最初で最後のお見舞いについて語っている。 「軍隊では、彼女が恋人でして、結婚する計画でした」と彼は言う。「ところが、彼女は病院で私を見ると、何が起きたのか私には良くわかりませんが、皆が言うには、私を見て泣きだしたそうです。その後、彼女は私から去り、決して戻っては来ませんでした。」 公的な感謝の宣言は、国家から手渡された原稿を忠実に読む退役軍人向けとして、予約済だ。そうした公式の席に出席させられる退役軍人は、従順で、我々が、ぞっとせずに、その姿を見守ることができるような、心地良い人々であり、戦争は、愛国心であり、最高の善であるという嘘を、進んで支持する人々なのだ。「軍務に服して下さって有り難うございます」と言うことを、我々は期待されているのだ。彼等は神話を持続させることに慣れている。我々は、それを讃えることに慣れている。 ----------------------------
ニューヨーク・タイムズで、戦争報道をした後、1990年代に、サラエボを再訪し、何百人もの身障者が、エレベーターも車椅子も無い団地の室内に閉じ込められているのを私は発見した。大半は若者で、多くはいずれかの四肢を失っており、年老いた両親による世話を受け、輝ける戦争の英雄は朽ちるままに放置されていた。
生き残った人々を、絶望と自殺が、とらえて離さない。戦争中に亡くなった人数より多くのベトナム戦争退役軍人が、終戦後に自殺した。戦時に、兵士や海兵隊員に叩き込まれた非人間的な資質が、平和時に、彼等を打ち破るのだ。これこそが、戦争にまつわる偉大な書物『イーリアス』と、職業的殺人者の回復に至る長い旅を描いた偉大な書物『オデュッセイア』の中で、ホメロスが我々に教えてくれていることだ。多くの人々は、決して再適応することができない。彼等は、妻や、子や、両親や友人達と、再び意思を通じ合うことができずに、自己破壊的な苦悶と憤激という、孤独の地獄に引きこもる。 ----------------------------
「軍隊に入隊させるため、連中はあらゆる宣伝をします。連中は、山をスキーで滑走して降りる人々やら、素晴らしいことをしている人々の姿を見せます。連中は、射撃されることや、両足を吹き飛ばされたり、焼死したりする人々は見せません」と彼は言う。「連中は、本当に起こることは見せません。ただのインチキです。しかも連中は、そうしたことに、心の準備をさせるようなことは決してしません。連中は、世界中のありとあらゆる訓練をしてはくれますが、訓練は本当の戦争とは決して同じではないのです。」
---------------------------- 「マルビナス諸島で軍務についた連中の多くが」彼は諸島のアルゼンチン名を使って言った。「自殺しました。友人の多くが。」 (以上)
この国でも今、再び子供たちをそんな運命に導くための歯車が回り始めたのでしょうか。
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