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博打国家の次は、売春国家と言いかねないぞ!!
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16年12月10日 永田町徒然草
この1週間も政治的に論じなければならないことは山ほどあった。しかし、今回は韓国の朴大統領に対する弾劾決議案の可決とカジノ法案のふたつについて論じることとする。まず韓国の弾劾決議案の可決は韓国史上2例目のことである。前例は2004年3月の廬武鉉大統領に対するものであった。この時は、憲法裁判所が2か月後に弾劾訴追を棄却したので、廬大統領は罷免されなかった。
今回も憲法裁判所が棄却する可能性は十分ある。しかし、私は、朴槿恵大統領はもう政治的にもたないと思う。政治的にもたないものを無理矢理もたせても、政治的に意味がない。憲法等の諸手続きに従って、粛々かつ淡々と決着が付けられることを私は心から期待している。それにしてもわが国のマスコミが大々的に報道しているが、いちばん大事なことに触れていない。
今回の弾劾問題の発端になったのは、韓国の決してメジャーでないあるテレビ局(有線テレビ放送局だったと思う)が、今回の事件の主役と目されている女性のパソコンの解析からであった。問題のパソコンの入手に、違法性はなかったようである。解析によって得られた情報をもとに、事件を勇気を持って報道したために今回のような大きな運動が起こったのだ。
韓国においても大手マスコミは、わが国と同じように政府に懐柔されており、政府に批判的な報道がなかなかできないようである。しかし、前述の放送局は大いなる批判精神をもって報道を始めたのだ。そこのところを見逃してはならない。決してメジャーでない放送局のニュースを受け止めて、政権追及を始めた韓国国民の“ニュースを見る目”も評価しなければならない。このことを敢えて触れておく。
いっぽうわが国のマスコミと国民はどうだろうか。カジノ法案については、2回に亘って私の考えを述べた。兎に角とんでもない法案なのだ。問題の所在を明らかにすれば、たぶん国民の7〜8割が反対する法案なのだ。政権や電通の鼻薬が効いていたのであろう、最初はどのテレビ局も完全にスル―つもりだったようである。とにかく報道そのものが極端に少なかった。
今回は珍しく(笑)全新聞がカジノ法案に批判的な社説を書いた。また私をはじめとしていろいろな人たちが“おかしいぞ”と思い、その意見を発信した。そうなったために、さすがにテレビも完全にスル―という訳にもいかず、曲がりなりにも取り上げざるを得なくなった。しかし、私に言わせれば、アリバイ作りの報道に過ぎない。
何度も言うように、カジノ法案はわが国の品性と品格の問題なのだ。カネの我利我利亡者(がりがりもうじゃ)には、品性や品格などどうでもいい問題なのであろうが、わが国の国民は品性や品格を大切にする国民なのだ。品性や品格を重んじることはダメなことなのか。安倍首相が言う「美しい国」という考えには、国家や社会や国民の品性や品格は含まれていないのか。きっとそうなのだろう。そう考えなければ、いま国会で起こっていることは理解できない。
昔から男の道楽は、“呑む・打つ・買う”と言われてきた。呑むは、酒を呑むこと。打つは、博打のこと。買うは、郭(くるわ)などに行って売春すること。売春は、昭和33年に売春防止法ができるまで、わが国では公認されていた。しかし、売春行為そのものは、現在でも罰せられていないのだ。売春は“人類最古の営業”といわれているように、完全になくすることは難しいのだ。
博打(賭博)の誘惑は、昔も今もある。博打で大金が入れば、それは嬉しい。しかし、博打は大金が入る可能性と同じかそれ以上の確率で、大損(おおぞん)する。その緊張感が面白いという人もいるが、その緊張感の代償としては、あまりにも大き過ぎる。昔も今も、博打をする人は絶えないであろう。ギャンブル依存症は昔も今もある。そんなことは、どんな政府も知っているのだ。だが、わが国では江戸時代でも博打は、ご法度としてきたのだ。
博打をすることは、現在の刑法で禁じられている。しかし、「博打をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する」(刑法185条)とされているに比べ、「賭博場を開帳し、又は博徒を結合して利益を図った者は、3月以上5年以下の懲役に処する」(刑法186条2項)としている。前者を賭博罪といい、後者を賭博場開帳図利罪という。賭博罪と賭博場開帳図利罪は、量刑が違うだけではなく、罪質も違うのだ。
刑法も賭博(博打)をすることは良くないことだが、人間の悲しい性(さが)としてその誘惑に陥ることは多々あることと認識しているのだ。しかし、人間のこの悲しい性に付け込んで、賭博場を開帳して賭博をやらせて利益を図る行為は、きわめて違法性が高いと断じているのだ。賭博場があるから、大勢の人がそこに行く。その結果は、言うまでもないであろう。賭博場が公認されれば、より大勢の人が賭博に嵌(はま)ることも言うまでもない。その結果が悲惨なことを多くの国民は知っている。
カジノ法案は、この賭博場(カジノという)を公認しようとする法案なのだ。いまでも売春を公認していて、公認の売春宿がある国もある。そういう国に私は行ったこともある。売春国家と言ってもよいであろう。わが国もかつては売春国家であった。博打を公認している国もある。博打国家と言ってよいであろう。そういう国にも私は行ったことがある。いろいろな理由はあるのだろうが、私は売春国家や博打国家に品性や品格を感じることはできなかった。
日本もかつては売春国家であった。しかし、昭和33年にわが国は売春国家であることを止めた。少なくとも売春は公認されていない。わが国は、江戸時代でも博打を公認しなかった。江戸時代に公認されていなかったということは、それ以前も公認されていなかったと考えても良いだろう。言葉を変えて言えば、わが国は有史以来“博打国家”でなかったのだ。それは悪いことだったのだろうか。それはダメなことだったのだろうか。それは良いことだった、と私は考える。
江戸時代でも公認してこなかった博打を何故いま公認して“博打国家”になろうとするのだろうか。どんな屁理屈を並べてみても、それは我利我利亡者の言い分に過ぎない。マスコミがそれを批判しないことなど、およそ考えられないことである。マスコミもカネの我利我利亡者ということになる。アリバイ作りの番組を見ていると、彼らはそういってもよい連中ばかりである。この連中ならば、そのうち売春国家を作ろうと言いかねないぞ。
来週中にカジノ法案は、参議院でも可決され、法律になるかもしれない。しかし、カジノ法ができたとしても、実施法案を政府が作らなければカジノ解禁は現実のものとはならない。だからこれからまだ1年はこの議論を続けられるし、続けなければならないのだ。今回述べたこと以外にも、論じなければならないことが山ほどあるのだ。読者に飽きられないように、必要に応じてこれからも私は発言する。品性と品格ある日本を守るために !!
今日はこのくらいにしておこう。それでは、また。
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