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2016年12月08日 「ジャーナリスト同盟」通信
<祭政一致の絶体天皇制復活による国民支配>
明治には、人民が主人公となる自由・民主の近代的価値観という、いい芽も存在したが、地方の下級武士による藩閥クーデターという政治的制約を切り抜けるため、彼らはそれらを排除して反対の「天皇絶対性」による中央集権・国家主義による強権政治で人民支配を行った。同時に、富国強兵という軍国主義をも必然化させ、欧米の列強による植民地政策に自らのめり込んだ。結果、自由と民主を願望する人民とアジア諸国民を抑圧する天皇制国家主義の下で、破滅したものだ。この史実を反省できないどころか、むしろ正当化する、明治を引きずる勢力が、安倍・日本会議と決めつけることが出来る。彼らの野望は、祭政一致の絶体天皇制復活という21世紀において、とても容認できないアナクロニズム・時代錯誤に取りつかれている、と断ぜざるを得ない。参考までに、以下にその野望を分析してみたい。
<「日本は天皇中心の神の国」と本心を打ち明けた安倍後見人>
このことを内外に初めて公表した人物が、安倍の後見人を任じる森喜朗元首相である。安倍の祖父・岸信介元首相を信奉する森は、首相在任中、国家神道を継承した神社本庁の政治団体・神道政治連盟の集会で「日本は天皇中心の神の国である」という驚愕すべき天皇神国論なる認識を明らかにした。これこそが、日本の極右・日本会議の政治的野望を、実にわかりやすく裏付けた発言である。
戦後の平和憲法のもとで、平和と民主主義を学んできた日本人にとって、たとえ冗談でも容認できないカルト・狂信的政治体制論だった。内外に公言した森の国家認識こそが、いみじくも彼ら日本会議の本心を暴露したものだった。かくして、自民党リベラル派の加藤紘一が森退陣を迫った。無念にも、中曽根康弘や右翼言論の抵抗で押し切られてしまった。いうところの「加藤の乱」が成功していれば、今の安倍・自公体制が存在することなど出来なかった。日本とアジアの不幸の遠因となってしまった。
現実は、森の後継者となった小泉純一郎は、日本会議の支援を受けて首相になったその証拠が、実に6回の靖国神社参拝である。国家神道の象徴的な靖国参拝であることが理解できるだろう。
天皇神格論には、天皇のために命をささげる民の存在が不可欠である。その受け皿が靖国神社というトリックを必要とする。赤紙1枚で戦場で命を投げ出す若者である。安倍・日本会議の、神がかりの国家論を成立させる土台が靖国を中心とする100万の神社群なのだ。
<長州藩閥政治への郷愁>
天皇を神とする日本国というカルト国家論を編み出したのは、いうまでもなく明治の支配者となった薩長藩閥連合である。封建時代の残滓が散乱する中でこそ、実現した世界にまれな狂信的国家である。
そうして地方の下級武士集団は、列島の隅々にまで支配権を行使することが出来た。同じような国がまだ地球に存在しているようだが、人間を神にして、その神の意向に100%奴隷のように従属させる天皇制国家主義は、過去にも現在にも存在していない。
それゆえにこそ日本会議の面々は、郷愁を抱くことになるのであろう。山口県の田布施にその秘密が隠されているとの指摘があるようだが、あるいはそうかもしれない。現代の合理主義では、とても理解不能なのだから。
<明治の3大要素に執着>
カルトの天皇神格論による、国家制度を成立させるための、仕掛けが存在した。それが宗教・信仰と教育と憲法である。この3大要素を、人民に縦横無尽にかき混ぜることで、三位一体化させることで、日本人の精神と行動を徹頭徹尾律した。
まことに巧妙な仕掛けである。多くの若者が「天皇のために死ぬ」ことに生きがいを持った。それが侵略戦争を可能にしたものである。このような国は前例がない。
具体的に言うと、神社・神道を国教に格上げさせ、他の宗教を弾圧して、これを正当化した。信教の自由を禁じて、祭政一致の国にしてしまった。抵抗する市民に対して、厳しい法規制で対処した。その代表が、治安維持法である。これを駆使する特高警察をも組織した。自由主義者から共産主義者を容易に拘束・殺害した。国家神道の象徴的神社が靖国神社だ。伊勢神宮・明治神宮・出雲大社などの下に100万の神社が建立されているという。家庭には家の中心に神棚を備え付けさせた。榊・水・ご飯の上げ下げから1日が始まる日本の家々だった。こうして日本人の心は、天皇一神教に支配されるという異様な宗教国家となった。
ちなみに、創価学会の初代と二代の会長は投獄され、初代牧口常三郎は獄死、3代池田大作は、この惨劇を2代戸田城聖から学んでいる。池田が健在であれば、国家神道の継承者である日本会議の自民党を支援することなど、想定も出来なかったことである。
教育勅語もまた、日本人の精神と行動を、幼児期から拘束した。人間の資質は教育による。教育の中身で、その国の民度を測定することが出来るものだ。
教育勅語もまた、天皇の奴隷化を強要するものだった。価値判断の出来ない幼児期からの、悪しき教育の代表例であろう。第一次安倍内閣の下で、自由と民主の教育基本法に、教育勅語の核心である愛国心教育をたたき込む法改悪を強行したことを、記憶している国民も多いはずだ。
安倍・自公内閣は、すでに教育勅語と靖国参拝に対して、一定の成果をだしている。残るは大日本帝国憲法化であるが、特定秘密保護法と集団的自衛権行使を強行、戦争の出来る日本へと衣替えしている。
既に国民投票法も強行、残るは改憲の具体的内容に向けて驀進している。国民意識の改造のため、隣国との対立関係の構築にも実績を上げている。
明治への回帰は、すなわち日本の軍国主義化でもある。これの受益者はいうまでもなく財閥である。安倍内閣は財閥の傀儡政権とみられているが、日本会議と財閥は一体化している、という分析を筆者はしている。
日本会議の目標は、明治の三大要素である1、国家神道・靖国参拝へのこだわり2、教育勅語・愛国心教育の強要3、大日本帝国憲法に向けた憲法改悪ということになる。これが森のいう「日本は天皇中心の神の国」の実態なのである。
2016年12月8日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)
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