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中国提出の「南京大虐殺」資料を密室の審査で世界遺産に登録された、日本政府は分担金拠出を拒否した。KGBとも繋がる腐敗した旧ブルガリア共産党系社会党のイリナ・ボコバ ユネスコ事務局長の中国との癒着など、汚れた経歴と不透明な個人資産等々、調査・追及して現在世界最大のユネスコ分担金拠出国の日本はアメと鞭で、ユネス コを改革すべき
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月刊正論12月号】
「南京大虐殺」を世界遺産にしたユネスコ事務局長のトンデモない経歴 ミロスラフ・マリノフ(ジャーナリスト)
※この記事は、月刊「正論12月号」から転載しました。ご購入はこちらへ。
近年、日本の歴史問題が日本、中国、韓国の三国間で政治的対立の中心となっている観がある。「慰安婦」や「南京大虐殺」をめぐる激しい論争は歴史の教科書を越えて、ユネスコ(国連教育科学文化機関)や国連本体などのさまざまな国際機関にまで及び、その結果、日本に対する攻撃は驚くべきレベルに達している。日本人を含む世界中の人々は、国連やユネスコはすべての加盟国を尊重し、それぞれに利益をもたらすような合理的な意思決定ができる組織であると信じているのだろうか。これは真実から遠い。私は、国連やユネスコはどちらも極めて政治色が強い腐敗した組織であると思っている。
この国連やユネスコに対する筆者の意見は正しいのか、と読者は思うかも知れない。そこで、本稿ではユネスコの腐敗の象徴として、私の祖国・ブルガリア出身であるイリナ・ボコバに焦点を当ててみたい。
「赤い貴族」階級の出身
ユネスコ事務局長のイリナ・ボコバ(女性)は、典型的なブルガリア共産主義体制の申し子であり、このことがボコバを良くも悪くも興味深い人物にしている。彼女の個人的な性格は別として、ボコバや彼女の父親はブルガリア共産党の幹部で、我々庶民とはまるでかけ離れた世界に住む特権階級の出身だった。
一般庶民は日用品や食料品など必要最低限のモノを買うために毎日店の前に並ばなければならなかったのだが、ボコバ一家のような特権階級の人々が住むのは門で囲まれた特別居住区だった。ここにはトラックで豊富な食料品やさまざまなモノが運び込まれ、何の苦労もなくすべてが手に入った。しかも、これらは政府によって無料またはかなりの低価格で提供されたのである。
ボコバが受けた教育やキャリアは特権階級に属していた家族によるところが大きい。ボコバの父、ゲオルギ・ボコフは共産党機関誌の編集長で、プロパガンダ活動の中心人物であり、1954年から89年までブルガリアで独裁体制を敷いていたトドル・ジフコフ国家評議会議長と近い関係にあった。筆者がソフィア大学に在学していた時に、何度かボコフの講義を聞かなければならないことがあった。大学で講義をするだけの知識がなく、自分の意見を主張するわけでもない。最初から最後まで共産党の政策を賛辞するだけの話は、まったく退屈だった。このような話を聞かなければならない学生は不運だったと思っている。
ボコフは、第二次世界大戦中に反政府のゲリラとして活動を始めた。ソ連軍がブルガリアに侵攻し占領した後、ボコフのキャリアは飛ぶ鳥を落とす勢いだった。その一方で大戦中に、著名なジャーナリストで漫画家であるライコ・アレキシエフがスターリンの風刺画を描いたという理由で殺害しただけでなく、人民裁判所による処刑にも関与していた。1944年以前にファシズム政権に加担した、とされた数千人の政治家や知識人の殺害を許可する弾圧的な人民裁判所がソ連の命令により設置されたが、ボコフはここでの処刑にも関与していたのである。
そうした父のもとで、ボコバと兄のフィリップ・ボコフは特権階級に与えられた無限の恩恵を受けて育った。彼らは共産党幹部だけに入学が許可された首都ソフィアのエリート英語学校で学んだ。1976年、将来の外交官を養成し、KGBと近い関係にあったとされるモスクワ国際関係大学を卒業したボコバは西側諸国を何度も訪問している。さらに82年から84年まで、ブルガリア政府の代表としてニューヨークに赴任した。
この時代、一般のブルガリア人は移動が厳しく制限されていた。共産圏内の隣国へ行くにも、毎回ビザを申請しなければならず、地元の警察(民兵)が出国の許可を出さないこともあった。出国できるかどうかは民兵の判断次第だったが、ボコバはこのような不便を味わったことは一度もなかった。
生き残った共産党系人脈
1989年、東欧諸国の共産主義体制は終焉に向い、ブルガリアでは11月にジフコフ評議会議長が退陣した。この後「進歩的」な新政権が誕生したはずだったが、ブルガリア共産党は社会党に党名が変わっただけで、実態は何も変わらなかった。90年の初の議会選挙で社会党は勝利し、89年以前の共産主義独裁体制への反対派は徐々に隅に追いやられた。イリナ・ボコバのような人物が再び政権の重要な位置を占めるようになった。
1995年、ボコバはジャン・ヴィデノフ政権下で外務副大臣に、そして翌年外務大臣に任命された。しかし、この政権はブルガリアの歴史で最悪の政権のひとつだった。恐るべき無能さで財政破綻を引き起こし、それにより暴動が発生した。多くの銀行が倒産し、ブルガリアは債務不履行に陥った。ハイパーインフレは国民の貯蓄を奪い取り、国民一人当たりの平均月給が10ドルにまで落ち込んだ。このため社会党政権は退陣に追い込まれ、より保守的な連立政権が誕生した。
日本人がイリナ・ボコバという人物を見る時に、ボコバを含めたブルガリア共産党特権階級の精神構造とブルガリアの腐敗した共産党の実態を理解する必要がある。現在のブルガリアで、ボコバのような人物は珍しくなく、中には犯罪組織と関係のある政治家もいる。
2001年、元国王シメオン2世(シメオン・サクスコブルグ)率いる連立政権が樹立し、サクスコブルグ政権が発足した。この時の財務大臣だったミレン・ヴェルチェフも、父親はジフコフ時代に著名な外交官であり、祖父も影響力のある共産党政治局員だった。ヴェルチェフは外務大臣の在任中に、ブルガリアで最も強力なマフィアの幹部と一緒にヨットに乗っているところを写真を撮られ、大きなスキャンダルになった。このマフィア幹部は数年後に銃撃されて死亡した。また、現在はブルガリアメディア界の大物で大学教授のデミタール・イワノフは、共産主義政権時代に反体制派を暴行、投獄、迫害したことで悪名高いブルガリアKGBの最後の長官だったが、起訴されることなく現在に至っている。
日本の人たちには理解しがたい話かもしれないが、現在のブルガリア政権の要職を占める政治家のほとんどは元共産党員である。ボイコ・ボリソフ首相は父親が共産党政権下で内務省の幹部だった。ボリソフ自身も、ジフコフの独裁支配が崩壊し、共産主義から社会党に移行する過程においても共産党党員の立場を維持していた。彼は1991年、ジフコフ議長のボディーガードになり、その後もシメオン2世のボディーガードとして仕えた。ボディーガードとしてのキャリアがこの後のボリソフの出世の道を開いた。ブルガリア大統領のロセン・プレヴネリエフは共産党時代にある都市の共産主義青年団の要職に就いていた。彼の父親は同じ都市の共産党委員会で宣伝活動推進の主要人物の一人だった。
トルコ系少数派が支持する政党「運動の権利と自由」はつい最近まで、筆者の大学の同級生だったトルコ系ブルガリア人のアマメド・ドガンが党首だった。ドガンは1980年代半ばにトルコのテロリスト組織のメンバーで、数人が殺害された事件に加担し逮捕された。その時のことをいまでも鮮明に覚えている。彼は数年間刑務所に服役していたが、ジフコフ政権の崩壊後に釈放された。その後公開された文書でわかったことは、ドガンはブルガリアKGBのエージェント(工作員)だった。日本でこのような人物が政党の党首になることは考えられるのだろうか。ブルガリアではこのような疑わしい人物がメディアやビジネスで成功している。ボコバもこのような仲間の一人なのだ。
ユネスコの腐敗と偏向
そのような理由で2009年、ボコバのユネスコ事務局長就任のニュースは多くのブルガリア人を憤慨させた。独立系の報道機関は次のように指摘した。「ボコバのキャリアの成功は彼女がその残忍性を決して否定したことのない、共産主義によるところが大きい。そのことをブルガリア国民に思い出させた。共産主義の原則は体制が崩壊し社会党政権へと移行してもブルガリア国民は苦しい生活を強いられてきたのである」。また、あるコメンテーターは「1970年代から共産主義国の影響を強く受けている腐敗したユネスコのトップにボコバはふさわしい」と皮肉った。まさに「類は友を呼ぶ」ということである。
ボコバのもとで、ユネスコはますます政治的になり、不健全な運営が見られるようになったのではないだろうか。2011年、ユネスコはパレスチナという国家が存在しないにもかかわらず、パレスチナ自治区の加盟を認めた。これを受けて、米国はユネスコへの供出金を即座に停止した。2015年、イスラエルの首都であるエルサレムの「神殿の丘」の管理をめぐり、アラブ諸国主導でイスラエルを批判する決議案を採択した。ここはもともとユダヤ人が住んでいた土地であり、1967年までエルサレムの半分はヨルダンが支配していた。そして1948年から1967年、ヨルダンの支配下で多くのユダヤ教礼拝堂、墓地が破壊されたのだ。
イスラエルだけでなく、日本もユネスコの「世界の記憶(記憶遺産)」を通して非難されるべき国としてターゲットになっているようにみえる。「世界の記憶」の本来の目的は、歴史的記録物を保全し、一般人に広く公開することだが、ユネスコによってこの目的が捻じ曲げられ、ひどい方向に向かっているのではないか。
2015年、ユネスコは中国の「南京虐殺」の記録を登録した。南京虐殺については日中で激しい議論の的になっているにもかかわらずである。歴史の真実は歴史家によって議論されるべきであるが、ユネスコは歴史家よりも先を行き、不必要な議論を引き起こす元凶になっているのではないか。中国が登録申請した文書の内容は非公開で、日本はその詳細を確認することが許されなかった。サウス・チャイナ・モーニングポストは、「登録に強く反発した馳浩文科省大臣はボコバと会談をして、日本国内からは分担金供出の停止または減額の声が出ている」と報じた。日本はユネスコに申請書類やプロセスの中立性や透明性を求めたのである。日本の要求は当然であろう。同紙はまた、テンプル大学のジェフ・キングストン教授の「日本は南京虐殺資料の申請を非難し、同時にシベリア抑留資料を申請したのは偽善である」というコメントを伝えた。しかし、第二次世界大戦後に日本人がシベリアに抑留されたのは議論の余地がない事実であり、「南京虐殺」とはまったく違う。シベリア抑留の事実は誰も否定できまい。
「南京虐殺」文書の申請には頭をひねってしまう。仮にユネスコのロジックに従うならば、もっと多くの文書記録が登録されるべきだろう。1945年の英米軍によるドレスデン爆撃では推定2万5000人以上の一般市民が犠牲になった。広島と長崎への原爆投下や中国によるチベット人虐殺も申請するべきではないか。1500万人が餓死したとされる毛沢東による大躍進政策や、1989年の天安門事件は申請に値しないのか。このような歴史的イベントの申請に対してイギリスやアメリカ、中国はどう反応するのだろうか。
日本人は、ユネスコという国際機関を通して中国や韓国の格好の標的となっており、不当な扱いを受けていることをしっかりと認識すべきである。また中国のメディアは日本が、200人以上の日本人が中国人に惨殺された通州事件を申請して反撃に出たと報じた。「新しい歴史教科書をつくる会」が5月に「通州事件・チベット侵略」と「慰安婦と日本軍規律に関する文書」資料を、ユネスコ記憶遺産に登録申請したと発表した。これは大きな一歩であり、日本人が一丸となって支援すべき活動であろう。
【注】「世界の記憶(記憶遺産)」の英語の原文は「memory of the world」である。日本ユネスコ国内委員会はこれを「記憶遺産」と訳してきたが、「遺産」に当たる言葉は原文にはない上に、条約に基づく「自然遺産」「文化遺産」と同様に扱うのは妥当ではないという判断から、最近は「世界の記憶」という直訳調に訳語を変えた。ただ、従来の「記憶遺産」になじんでしまっていることと、「世界の記憶」だけでは文章構成上つながりが悪いことなどから、今後も「記憶遺産」という言葉は使われていくと推測される。
中国とユネスコの癒着
次のユネスコの動きで注目すべき点は、却下された慰安婦の関連資料の登録が決定されるかどうかだろう。ユネスコは中国に対し、関係国と共同での再申請を奨励した。最近のユネスコは隠すことなく中国寄りの姿勢を見せている。2015年9月の新華社通信社のインタビューで、ボコバは「中国が世界平和の理解や概念を推進する上で、ユネスコにおいてますます重要な役割を担っている」と述べている。このような賛辞は中国が近隣諸国に対して軍事的な脅威になっている事実を見ると、まったく偽善であると言うしかない。その同じ月に、ボコバは北京での抗日戦勝記念行事に出席した。
中国もボコバに対して賛辞を述べている。ブルガリアのメディア24Chasaが中国ユネスコ国内委員会委員長のハオ・ピンにインタビューをした。「中国の13億の国民は皆イリナ・ボコバを良く知っている。彼女は卓越した指導者で、並外れた能力、優れたグローバルなビジョンを持っている。ユネスコで財政の問題に直面したときも素晴らしい指導力を発揮した」と褒めちぎり、最後に「ボコバ事務局長が示した知恵とビジョンに感謝する。彼女こそ多くの若者の手本となり、憧れる人物です」と締めくくった。中国を代表するハオ・ピンのボコバを最大限に絶賛する言葉を聞くと、ボコバがどこの国に奉仕しているのかが簡単に想像がつく。
幸いというべきか、彼女は国連事務総長にはなれなかったが、事務総長への立候補を決めてからのボコバは元共産党員として中国やロシアに擦り寄り、両国からの支持を期待していたのである。
ボコバが事務総長に立候補したことで、彼女のユネスコでの“実績”が、これまで以上にメディアで取り上げられるようになった。メディアは政治的な問題だけでなく、ボコバの個人的な腐敗ぶりにも注目した。
まず、ボコバはブラジルの支持を得るために、まったく経験のないアナ・ルイザ・トンプソン−フローレスを、Bureau of Strategic Planning(BSP)のディレクターに任命した。この時、ロシアの著名なビジネス紙Kommersantは、採用基準に手を加え、卒業証明を改ざんしてまで、このポストにトンプソン−フローレスを任命するのは重大なルール違反だと、ボコバを激しく非難した。BSPは、戦略的なプログラムや予算を管理し、ユネスコの予算外の財源を扱う重要な部門である。前局長は後任者は博士号取得者を条件にと言い残していたが、公募の原稿からは博士号が消えて「望ましい資格保有者」に変わっていた。さらに、ボコバが承認した最終案には、この必須条件が無くなっていたのである。採用のハードルを低くしてトンプソン−フローレスがディレクターのポストを得られるように便宜が図られたのである。その後トンプソン−フローレスは、取得していない経営学修士の嘘が発覚してディレクターの職を解任されている。
さらに、ブルガリアのニュースサイトBivol.bgは、アルメニアの新聞報道を次のように紹介し、ボコバが独裁政権を支持していると非難している。ユネスコは、アゼルバイジャンのイルハム・アリエフ大統領夫人のメーリバン・アリイェーヴァをユネスコ親善大使に任命していた。これに強く抗議しているのが、欧州で報道の自由を守るために設立されたNGOのThe European Centre for Press and Media Freedom(ECPMF)である。アゼルバイジャンでは、ジャーナリストが拘束、投獄され時には殺害されている。このような国の大統領夫人をユネスコの親善大使に任命することは、恐るべきことで到底受け入れられない。2015年、ECPMFはメーリバン・アリイェーヴァをユネスコ親善大使から直ちに解任するよう求める公開書簡をボコバに送った。ボコバはアリイェーヴァ一家からの金銭の供与と引き換えにアリイェーヴァをユネスコの次期事務局長の候補に推薦するつもりではないか、と私は考えている。
Bivol.bgの調査はボコバ一家の個人資産にも及んでおり、ボコバと夫のカリン・ミトルフがブルガリア国外に所有する不動産と2人の給与について詳細を公表している(これらの文書は公開されておりすべてインターネットで検索できる)。ボコバは2012年、マンハッタンの国連ビル近くにコンドミニアムを、14年にも同じく国連ビル近くに2件目を購入した。さらに、11年にパリ、14年にロンドンにそれぞれ不動産を購入している。
住宅ローンで購入したパリの物件を除く、3件はすべて現金で購入しており、約450万米ドル(約4・5億円)を支払っている。ボコバは、ニューヨークでのインタビューで、年収は15万米ドル(ほぼ同額の調整手当も別途支給)だと答えているが、Bivol.bgの調査では16万ドルであり、ロンドンの欧州復興開発銀行(EBRD)の代理代表取締役のミトルフの給与もほぼ同額である。Bivol.bgは、ユネスコやEBRD、ブルガリア外務省に情報の公開を求め、それを元にボコバとミトロフの過去数年間の収入を調査した(その細かい数字はここでは省略する)。ボコバとミトルフが二人の収入から食費、衣服、旅行、その他の支出がまったくなかったとしても、支払える現金は約250万米ドルである。残りの200万米ドルは出所が不明である。Bivol.bgはユネスコにボコバの不動産購入に関し質問状を送ったが、「事務局長の不動産の所有に関しては職務とは関係がない」が報道担当者からの答えだった。
これだけではない。ボコバは事務局長に就任するとすぐに出張費の増額を要求した。ミッションのための2011年度の予算としてボコバが要求したのは80万ドルである。これは潘基文国連事務総長の年間出張予算より多い金額である。国際機関の予算の使われ方をモニターするイギリスMultilateral Aid Review(MAR)は2011年の報告書で「ユネスコは管理や運営に問題あり」と低い評価を下している。ユネスコの分担金では世界第2の日本は、ボコバの、そしてユネスコの実態をもっと知るべきではないだろうか。
2009年にユネスコ親善大使に任命されたフランスの著名な音楽家ジャン・ミッシェル・ジャールのようなボコバのファンクラブのメンバーはボコバの支持を表明している。しかしブルガリア国民は騙されない。ボコバの立候補はブルガリアではほとんど支持されず、支持をしてるのは一部のエリート政治家だけである。立候補のニュースはブルガリア国民にボコバの後ろ暗い過去を思い出させただけだった。
密室審議の根源
ブルガリアの映画監督のエフゲニー・ミハイロフは、ボコバの不誠実さ、共産党員としての過去、ユネスコでの疑わしい運営、そしてボコバが国連事務総長に立候補したことにブルガリア国民は愕然として、国を二分する大きな論争になったこと、ボコバに対する国民からの幅広い支持はブルガリアには存在しないことを伝える手紙を国連加盟各国に送った。
この手紙にブルガリアのエリート政治家はすぐに反応した。ミハイロフは国賊と罵られ、ブルガリア人の誇りとなるであろうボコバが国際的な地位を得るチャンスを台無しにしたと非難された。ボリソフ首相は、安倍首相を含む数カ国の首脳に手紙を送り、ブルガリア政府は引き続きボコバを支持することを表明した(しかし、のちにブルガリア政府はなぜかボコバへの支持を取り下げている)。
そして、ミハイロフを積極的に攻撃したのがブルガリアの社会学者であるアンドレイ・ライチェフだ。共産主義のブルガリアで筆者はライチェフと同じアカデミーで働いていたので、今でも覚えている。彼は進歩的なインテリとして振るまっていたが、実際はジフコフ政権に近い人物だった。ライフェフはブルガリア軍の高官の娘と結婚したので、共産主義体制が崩壊し「新しい」ブルガリアになっても特権階級を謳歌していた。
ブルガリアの60名の知識人がミハイロフの反ボコバの行動を非難する公開書簡をメディアや国際機関などに送ったが、ライチェフもそこに名前を連ねていた。これらの知識人は、ボコバはバルカン半島の複雑な関係だけでなく、世界の外交や国際関係、宗教紛争を最も良く理解しており、国連をリードするにふさわしい人物である…とあきれた持論を展開した。
インターネットで公開されているブルガリアテレビの討論会にも筆者のソフィア大学時代のクラスメートが出演していた。カリン・ヤナキエフといい、現在大学で神学を教えている。彼もミハイロフと同様、ボコバのこれまでの出世は共産党幹部だった父親の七光りであり、彼女を支持することは倫理に反する、とボコバの立候補を批判した。
例えば、ナチス・ドイツの高官だったヘルマン・ゲーリングの娘が立候補することは、国際的に認められることだろうか。ファシズムと違い、共産主義がきっちりと非難されたことはなかったのであり、重大な問題であろう。
イリナ・ボコバのユネスコでの腐敗ぶりは、ブルガリアの戦後の歴史と深く関係している。共産主義体制下で特権を享受してきた党幹部とその家族は、皆ボコバと同様の思考回路であるといっていいだろう。不正行為を働くことに罪の意識を感じないボコバが、ユネスコ記憶遺産の申請審議を密室で行ったことは驚くべきことではない。ボコバの腐敗の芽はブルガリア共産体制下で養われ、ユネスコ事務局長に就任後も続いた。ボコバの腐敗は中国共産党の腐敗の実態とぴったりと重なるように、私には思えてならない。
さて、日本はどのようなユネスコ対策を講じるべきだろうか。まず、ユネスコの腐敗ぶりや不正の数々を調査しすべて公開することである。日本人が持っていると思われる、「ユネスコは国際平和と人類の福祉を促進する」という幻想を捨てなければ、組織の実態は分からない。そして、米国が分担金支払いを停止している今、世界最大の分担金を払っている日本はユネスコに対して毅然とした態度で、アメとムチを使いながら、組織の改革を要求すべきであると、私は考えている。
10月の中旬にユネスコで新たな展開があった。イスラエルの東エルサレムの聖地に関する決議案が採択され、イスラエルがこれに抗議している。そしてこれより大きな展開は、日本政府がユネスコへの分担金を保留していることである。政治的なゆすりのための道具に成り下がったボコバ率いるユネスコは今、岐路に立っている。
当事国の主張が対立する歴史問題にユネスコが関わることは、さらに対立を深めることにしかならない。対立する歴史問題は歴史家に任せるべきである。そして、日本政府に望むことは、制度改革を含めた日本のすべての要求をユネスコにのませるために決して妥協しないことである。
■ミロスラフ・マリノフ氏 1958年、ブルガリア生まれ。ソフィア大学哲学科を卒業後、ブルガリア科学アカデミー哲学研究所にて博士課程修了。ソフィア大学准教授を経て、現在はカナダで、政治や社会哲学を中心にフリージャーナリストとして執筆活動中。
※この記事は、月刊「正論12月号」から転載しました。
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