http://www.asyura2.com/16/senkyo216/msg/729.html
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ネトウヨが返答できないシリーズ
皇族詐欺にまつわる話で、 竹田某なる者が皇族詐欺ではないと主張する方々へ
竹やんにヨシリンの皇族詐欺への反論出せって言ってやりなさい。
朝生でも対面してんだから、どこででも言えるだろ。
また明仁氏こそ安倍ちゃんに対抗するリベラルの星である。
夫妻は度々ゴードンさんだの五日市憲法だの護憲の立場をワザワザ公式に示している。
明仁氏の話するなら、上田正昭氏の話をしないとね。
これ、西村さんから直接聞いたし、役人とかからも植田さんお話として聞いた。
ちなみに西村さんって、豊田商事の永野会長刺殺事件の時にも現場で刺し殺した被疑者にインタビューした人ね。
皇国史観、差別に抗い、天皇や司馬遼太郎に
大きな影響与えた〜上田正昭
ジャーナリスト 西村 秀樹
http://gr-test.gendainoriron.jp/vol.08/serial/se01.php
上田さんは何度も御所に呼ばれているので、風邪気味で侍従長からの電話を断った時もあった。
その時、直接かけてきたのは明仁氏だ。
誰か御所でも皇居でも呼ばれたネトウヨ推薦の学者とかいるんかね?
宮内庁のホームページによると、平成13年つまり2001年、皇居で毎年催される歌会始(うたかいはじめ)は1月12日(金曜日)だと確認できる。
この年、上田は歌会の召人に選ばれる。
HPによると、「人々が集まって共通の題で歌を詠み、その歌を披講する会を歌会といいます。(略)これらの中で天皇が年の始めの歌会としてお催しになる歌御会始(うたごかいはじめ)といいました。先の大戦後、召人は広く各分野で活躍し貢献している人を選び」ましたと書いてある。
この文章の始め、上田が宮司を務める小幡神社境内に上田の詠んだ歌が歌碑になっていることを紹介したが、そもそもは2001年のことが始まりだ。
同じ2001年12月18日、明仁(あきひと)天皇は宮内庁記者クラブのメンバーとの記者会見に臨んだ。HPに「お誕生日に際し(平成13年)」と題する質疑応答が掲載されているので、そこから引用する。
記者からは翌年2002年に開催予定のサッカーワールドカップの日韓共同開催を前提に「歴史的、地理的にも近い韓国に対し、陛下がもっておられる関心、思いなどをお聞かせください」と質問した。
天皇からの答えは以下のようであった。ちょっと長いが引用する。
「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています、武寧王は日本との関係が深く、この時以来、日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また、武寧王の子、聖明王は、日本に仏教を伝えたことで知られております。
しかし、残念なことに、韓国との交流は、このような交流ばかりではありませんでした。このことを、私どもは忘れてはならないと思います」。
さらに、今後のことについて、こう釘を刺して発言している。
「ワールドカップを控え、両国民の交流が盛んになってきていますが、それが良い方向に向かうためには、両国の人々が、それぞれの国が歩んできた道を、個々の出来事において正確に知ることに努め、個人個人として、互いの立場を理解することが大切と考えます。両国民の間に理解と信頼感が深まることを願っています」とまとめた。
この発言は、韓国の新聞社はほとんど一面トップで大きく報じた。日本国内では、朝日新聞だけが発言を紹介した。記事はこうだ。「天皇陛下、W杯で交流に期待」「韓国とのゆかり感じてます」「桓武天皇の生母、百済王の子孫と続日本紀」と続いた。
実は、天皇と皇后が京都に宿泊した際、上田を京都御所に招待し、三人でゆっくり食事をしながら歴史話に興じたとの話題を、上田から聴いたことであった。
昨年末の亀岡でのインタビューも、実は2009年にJR車中で上田本人から打ち明けられたことを改めて確認すること、ディテールを詰めることであった。
招待の名目は、歌会始の召人を務めたことに対し、いわば「お疲れさま」とでも言おうか、返礼の催しであったという。時期はわたしが上田から高月町から京都までJRの車内で二人きりの秘密レクチャーを受けた前年の2008年、明仁(あきひと)天皇と美智子皇后が「源氏物語千年紀記念式典臨席」で奈良と京都を訪れた時期(10月30日から11月2日)で京都滞在中の11月1日。時間は午後7時すぎからおよそ2時間に及んだ。
場所は、京都御所の一画にある大宮御所。大宮御所の紹介として、京都御所の一部で、天皇、皇后、皇太子および皇太子妃の行幸啓の際の宿泊に使用されているとあるので、場所は京都御所のなかにある大宮御所に違いない。
以下は、上田から直接聞いた話である。
上田が御所に到着すると、玄関に天皇と皇后が出迎えたという。
食事の席につくと、天皇から歌会始の召人へのねぎらいがあり、皇后からは
「京都に宿泊するときは、京都の料理人に食事を作ってもらうのですが、今回は上田先生をおもてなしするために、皇居から料理人を連れてきました」ともてなしの言葉があったという。
TBSテレビの『天皇の料理番』でも紹介されていたが、天皇、皇后の料理をつくるのは単に料理の腕がいいだけではなく、天皇皇后の健康を考えたり、次の行程を考慮してのメニューを作らねばならないだけにたいへんな仕事ではあろう。
天皇と皇后、それに上田の会話のあれこれを記すことはなかなかに難しいことだが、上田が話してくれて興味深かったことは、「侍従からの話では、天皇は宮殿でのご進講の折、東京大の教授でも呼びかけるとき皆、苗字だけですが、先生と付けてお話になるのは上田先生だけです」とのことであった。
美智子皇后からは「先生、どうして教科書に南朝のことはあまり書いていないのでしょうね」と質問を受けたこと。
また天皇から、上田の「帰化人」を学習院大学時代に読んだこと、あるいは百済復興の最後の戦闘である白村江の戦い(663年)、さらには武寧王、百済仏教の日本伝来などなど、東アジアの古代史に関して数多くの質問が飛び出したと、上田は熱心に話してくれた。
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