いよいよ米軍が撤退する、となれば、自衛隊の装備を大増強すればいい。その際は自前の空母保有も選択肢となり、内需拡大も期待できる。沖縄の基地問題だって解決に向かうかもしれない。 トランプ氏が“容認”する日本の核兵器保持は、中国をにらんだ外交カードとしては有効だ。 日本の特異な防衛費 厳しい環境下において、日本の防衛費はGDP対比で言えば世界で100位から120位の間を行ったり来たりという「軽負担」だ。本来、国家の防衛力の水準は、周辺の脅威に対応する「所要防衛力」として決められるべきなのだが、日本は財政的理由から「基盤的防衛力」(平和時に必要な防衛力の限界)の考え方に転換し、「GNP1%」という経済指標をもって上限としてしまった。つまり、景気が良い時には国防予算を増やしてもいいが悪くなれば削減する、と。経済指標と国防力をリンクしてきた国は、世界中で日本だけだ。 簡潔に言って、日本が財政事情で一方的に防衛費を決めて残りを米国に頼るという構図が続いている。にもかかわらず、これまで侵略される怖れなくやってこられたのは憲法9条の存在ではなく、日米安保体制があったからだ。 2014年、オバマ大統領が、尖閣に安保条約が適用されることを日本で明言した。その政治的意義は非常に大きかった。基本は中国に対する抑止だ。しかし、日本は安保条約の下で米軍が中国海軍と砲火を交えることを要求すべきではない。 例えば米国が上空に早期警戒管制機を飛ばし、自衛隊に情報を提供することも立派な米国の日本防衛行動だ。具体的な対応は日米防衛当局間で緊密に協議すればよい。尖閣を防衛するのは、本来は海上自衛隊の役割であって、米第7艦隊ではない。 2016.11.10 06:30更新 【米大統領にトランプ氏】 トランプ大統領で、いいじゃないか 東京本社編集局長・乾正人 http://www.sankei.com/column/news/161110/clm1611100003-n1.html ついに「驚くべき日」がやってきた。 シリア難民の大規模流入をきっかけに欧州を席巻した排外主義と一体化した反グローバリズムの大波は、英国に欧州連合(EU)からの離脱を決意させ、米国のエスタブリッシュメント(支配階層)を直撃した。 いや、打ち砕いた、といっても過言ではない。トランプ氏勝利で日本の株価は暴落し、円が急騰したのもむべなるかな。 環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)のお蔵入りが確定的となったばかりか、日本の安全保障の先行きも「日本がタダ乗りしている」と日米安保を誤解する米最高司令官の登場によって予見不能となった。 蛇足ながら、日本の外務省はまたも下手を打った。先月から今月にかけて話を聞いた高官や有力OBの誰一人として「トランプ大統領」を予測していなかった。某高官などは「接戦ですらない」とまで断言していた。外務省の楽観的な見通しも後押ししたであろう9月の安倍晋三首相とクリントン候補との会談は、失策としか言いようがない。 彼らの予測のもとになった各種世論調査は何の役にも立たず、クリントン候補に異様なまでに肩入れした米メディアがいかに嘆こうが、さいは投げられたのだ。だが、モノは考えようである。 トランプ大統領で、いいじゃないか。 トランプ流の「在日米軍の駐留経費を全部出せ」といったむき出しの本音には、日本も本音で向き合えばいいのである。 大統領になったらそんなむちゃな要求はしないだろう、という幻想は捨てなければならない。いよいよ米軍が撤退する、となれば、自衛隊の装備を大増強すればいい。その際は自前の空母保有も選択肢となり、内需拡大も期待できる。沖縄の基地問題だって解決に向かうかもしれない。 トランプ氏が“容認”する日本の核兵器保持は、唯一の被爆国という国民感情が強く、現実的ではないが、中国をにらんだ外交カードとしては有効だ。 TPPも米国抜きで発効させる方策を真剣に検討していい。 日米安保体制の枠内で憲法9条がどうの、安保法制がどうの、といったことが大問題となった牧歌的な世界はもはや過去となった。 日本も米国に軍事でも経済でも過度に依存しない「偉大な国」を目指せばいいだけの話である。 「人の命を奪う覚悟」が必要な組織 自衛官には「宣誓」というものがあります。これは何種類もあるのですが、最も一般的なのが「一般の服務の宣誓」と呼ばれるものです。その最後には、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います」とあります。 これは平たく言えば、いざという時には死にますという意味です。当たり前といえば当たり前で、その点では警官でも消防士でも同様です。いや、現実問題としては憲法のおかげで本当に危険な所には行かなくて済む自衛官より、警官や消防士の方がよほど危険と隣り合わせで職務に従事しているとも言えます。 しかし、命を捨てる覚悟という意味では警官や消防士と同じでも、軍隊には根本的にそれらと異なる部分があります。それは「人の命を奪う覚悟」もしなければならないということです。 私のような部隊行動にはほとんど役に立たない人間でも、訓練に出頭すれば年間1日は射撃の訓練を受けなければなりません。これは全国同じで、使う銃が旧式の六四式か新型の八九式かという程度の差があるだけです。 言うまでもなく、この訓練はキジを撃ったりイノシシを撃ったりするための訓練ではありません。人を殺傷するための訓練なのです。当たり前のことながら、武器というのはほとんどがそのために存在するものです。ここにおいては憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」などということは全く無視されます。 言うまでもなく私が言いたいのは、「だから憲法が間違っている」ということです。中国や北朝鮮という日本に敵意を持った国が目の前にあり、友好国である韓国との間も不安定、ロシアも潜在的脅威であり、アメリカとて慈善事業で同盟関係を結んでいるのではないとすると、信頼によって安全を維持することなど出来るはずがないのは誰でも分かることです。 昭和25年(1950年)の朝鮮戦争で、中国は100万とも言われる大軍を動員して参戦しました。中華人民共和国建国の翌年、まだ国内も安定しいない時です。中国共産党の幹部も大部分は参戦に反対でした。毛沢東が反対を押し切って参戦し、風前の灯だった金日成の北朝鮮を助けて最終的には現在の休戦ラインまで押し戻したのです。経済的合理性から言えば、絶対に中国が参戦することはあり得なかったはずで、実際、国連軍司令官のマッカーサーは中国が参戦しないと考えて北進しました。 毛沢東は北朝鮮がアメリカの手に渡れば、次は中国が狙われると思ったのです。だからあえて、無謀な戦いをした。おかげで朝鮮半島はその後、今日まで分断が続いていますが、中華人民共和国の指導者の判断としては間違っていなかったということでしょう。 我が国にも同様のことが言えます。1世紀前、日本は朝鮮がロシアの手に入ったら、次は間違いなく日本が狙われると考えました。だからロシアと戦ったのです。大東亜戦争にたびたび「無謀な」という形容詞をつける人がいますが、無謀さであれば日露戦争の方が無謀でしょう。世界一の強国にやっと近代化が一段落した程度の小国、日本が挑んだのです。 戦争は経済的な損得を乗り越えて起きるものです。台湾海峡も、戦争を起こしたところで中国に何の得もないのですが、それが戦争を起こさない理由になるという保証もないのです。 ですから日本が戦おうとしなければ外国も攻めてこないなどというのはほとんど妄想に過ぎません。逆に日本に敵意を持っている国は「戦おうとしないのなら攻めても大丈夫だ」と思うでしょう。朝鮮戦争もそうして始まりました。尖閣諸島も放っておけば中国は何かのきっかけで実効支配しようとするに違いありません。彼らの概念では自分たちの領土だからです。 そうならないためには、戦う覚悟と準備をしておかなければなりません。もっと有り体に言えば、人を殺す訓練もしなければならないのです。そして、いざ戦わなければならないという時には、自分が死ぬ覚悟だけではなく、人を殺す覚悟も必要になります。相手の兵士は、愛する家族を持っている、個人的には何の恨みもない人間です。それを殺さなければ自分は守れないし、家族の住む国土も守れないとなれば、やらざるを得ないのです。 もちろん、私自身も人殺したことはないので、その時の感覚が分かるわけではありませんが、この点は今の現役自衛官もほとんど同じです。おそらく、いざという時にかなり深刻な問題になると思います。 日本の層は薄い 人がいないということは、有事の際は加速度的に問題が深刻化していくということでもあります。例えば負傷者の護送です。戦死したら場合によっては死体を放置することもできますが、負傷者は絶対に救助して治療しなくてはなりません。必ず助けてくれるという信頼感がなければ部隊の士気はがたがたになり、とても戦えないからです。 そして自力で動けない1人を担架で担ぎ、すぐに野戦病院に送るためには4人が必要になります。つまり、1人負傷すると5人の戦力が抜けるということです。 このところ、「コンパクト化」という美名のもとに自衛隊はどんどん兵力が減らされて通常時の人員に余裕がなくなっています。今でもぎりぎりなのに、そこで戦闘をしたらどうなるかということです。 現役が足りなくなった時に駆り出されるのは、即応予備自衛官と予備自衛官、いわゆる予備役ですが、すぐに部隊に入れて使える即応予備自衛官は平成28年3月末でわずか8075人、予備自衛官はろくに走ることさえできない人間を入れてもおよそ4万7900人(陸海空)です。現役に対する予備役の比率は約20%です。 アメリカは61%、イギリスは53%、韓国に至っては714%です(「防衛白書」より)。いかに日本の層が薄いか分かろうというものです。 海上自衛隊の場合、日本海側の基地は青森の大湊、京都の舞鶴、長崎の佐世保の3カ所だけです。海上保安庁はもちろん沿岸警備の任務がありますから工作船などへの対処で考えた時、海上自衛隊に比べれば能力があります。それでも海保職員は陸上勤務まで合わせて1万3208人(平成26年度末)で、「警察比例の原則」に拘束されます。海上自衛隊の現員4万2052人(平成28年3月末)に比較しても圧倒的に少ないのです。 領海、排他的経済水域を加えると面積はカナダに次いで世界6位となる日本の海の守りという意味ではお寒い現状と言わざるを得ません。 「専守防衛」というごまかし 物理的、量的な問題に加えて法的な制約が自衛隊には極端に多いわけです。領域警備もできず、集団的自衛権の行使は限定的に認められましたが、海外派遣の時などでも分かるように、武器使用も異常なほどに制限されています。 外国での問題だけでなく、最も重要な日本の国土の防衛自体が全く矛盾だらけなのです。 本気で「専守防衛」をしようとするなら対人地雷やクラスター爆弾は水際で敵を防ぐために必要なはずです。自衛隊の対人地雷は平成15年までに、クラスター爆弾は平成27年までに廃棄しましたが、これで「専守防衛」をやるということは沖縄戦のように国土を戦場にし、国民の何割かは死ぬことを最初から覚悟するということです。もちろん、対人地雷やクラスター爆弾を残したところで、多少は被害を抑えられるかもしれないということに過ぎませんが。 「専守防衛」という言葉は誤魔化しの文句としてはなかなかよく出来ています。いかにも「侵略しませんよ」という感じが出ているし、日本国憲法の精神にも合致していると言えます。問題はそれが全く現実離れしていることにあります。まず、一体その「専守防衛」を誰がやってくれるのかということです。 自衛隊は「諸外国の軍隊と比べて身動きができないようになっている」というのはよく言われますが、問題はその身動きができないことを内部の人間は語れないし、外部の人間は大部分が知らないということです。 無視されてきた「国防の義務」 戦後、徹底して無視されてきた、本来極めて重要な原則があります。それは国民には等しく国防の義務があるということです。憲法には教育の義務、勤労の義務、納税の義務しか書かれていないからということで、「国防は誰かにやってもらえばよい」とされてきたのが戦後の日本です。 現在の自衛官、24万7154人(平成28年3月末)は、とりあえず組織を維持していくための最小限、あるいはそれ以下の人数です。災害派遣のように、出動した人員がほとんど損耗しないならともかく、ほぼ間違いなく死傷者が出て、その補充をしなければならなくなる戦闘に投入すれば、あっという間に自衛隊の機能は停止します。 そして通常の国であればそういう時に予備役を招集して使うわけですが、上は60歳過ぎまで入れて5万5000人あまり、その大部分を占める予備自衛官の訓練は年間わずか5日です。これでは使えるのは極めて限定された後方業務だけです。 ではどうするのか。自衛官以外の国民もいざとなったら戦わざるを得ないということです。憲法に書かれていようがいまいが、国民には国防の義務がある。こんなことは憲法以前の常識です。軍隊の存在も同様です。そうしなければ国家が維持できません。 もちろん、戦争が始まりそうだといって慌てて徴兵制などということはできるはずはありませんが、少なくとも戦時になれば国民がどういう形であれ国防の義務を果たさなければならないことは間違いない。現状の自衛隊だけで国が守れるはずがないというのは、少なくとも自衛官であれば皆、知っているはずです。 ちなみに、外国人参政権問題にはこの国防義務の視点が完全に欠けています。外国人であれば当然、国防義務を負わせることはできません。そして、日本の仮想敵国は北朝鮮であり、中国であり、ロシアで、日本に住んでいる外国人の多くは在日韓国・朝鮮人か中国人です。国防義務を負わせられないのに参政権を与えるということは、日本の置かれた状況では常識としては考えられないはずです。 「憲法9条が国の宝」というスローガンがありましたが、戦後70年にわたって日本の平和を守ってきたのは「宝」である憲法9条ではなく、左翼の忌み嫌うアメリカの軍事力、とりわけ核の傘でした。条文を厳密に解釈すれば自衛隊も憲法違反だし、在日米軍も憲法違反です。だからその意味ではとっくに憲法9条など破られているのであって、憲法9条が破られているからこそ国が守られているのだと言えます。 国民に「自衛隊は憲法違反なので止めます」と言ったら、支持は得られないでしょう。さすがに日本人もそれほど馬鹿ではありません。大多数の国民は自衛隊、もっとはっきり言えば軍の存在を認めていて、その役割に期待しているのです。 先制攻撃ができ、充分な予備兵力を持って、国民がそれをバックアップする。また核抑止力を持ち、必要に応じて同盟国、友好国の軍事的サポートも行う。その決断を政治家が行う。それができてこそ本当の意味で自立して平和を守ることができます。 2013.12.7 12:00 【中高生のための国民の憲法講座】 第23講 なぜ憲法に軍隊明記が必要か 百地章先生 http://www.sankei.com/life/news/131207/lif1312070030-n1.html わが国の自衛隊は、通常戦力では世界でもトップレベルにあり、隊員の士気は高く、能力や練度のどれをとっても世界最高の水準にあります。もちろん、政府は自衛隊を合憲としていますし、国民の多数もこれを支持しています。しかし、社民党や共産党のように、いまだに自衛隊を憲法違反とする人たちもいます。だから安倍晋三首相は、憲法を改正して自衛隊を名実ともに合憲の「国防軍」とすべきだと発言したのでした。 安倍首相は現在の自衛隊は国際法上は「軍隊」とされながら、国内では「軍隊ではない」とされており、この矛盾を解消する必要がある、とも言っています。まさにそのとおりです。 しかし、なぜ自衛隊を「軍隊」としなければならないのか。より本質的な理由は、次の点にあります。つまり戦力の不保持を定めた憲法第9条のもとでは、法制度上、自衛隊は軍隊ではなく、警察組織にすぎないとされているからです。 軍隊と警察の違い それでは、軍隊と警察の違いは何でしょうか? 軍隊の権限は「ネガティブ・リスト」方式で規定されています。つまり行ってはならない事柄、例えば、毒ガス等の非人道的兵器の使用禁止や捕虜の虐待禁止などを国際法に列挙し、禁止されていない限り、軍隊の権限行使は無制限とされます。だからネガティブ・リスト方式といいます。 なぜなら、国際社会ではもし武力紛争が発生した場合、国連安保理事会が対処することになっていますが、それができない時は、各国とも自分で主権と独立を守るしかないからです。 これに対し警察の権限行使は、「ポジティブ・リスト」方式です。つまり、国家という統一秩序の中で、国民に対して行使されるのが警察権ですから、制限的なものでなければなりません。だから行使して良い権限だけが法律に列挙されており、これをポジティブ・リスト方式といいます。 それゆえ、もし自衛隊が法制度上、軍隊であれば、領海を侵犯した軍艦や潜水艦に対しては、国際法に従って、まず「領海からの退去」を命じ、それに従わない時は「警告射撃」を行うことができます。さらに、相手側船舶を「撃沈」することさえ可能です。現に、冷戦時代、スウェーデン海軍は領海を侵犯したソ連の潜水艦を撃沈していますが、ソ連は何もいえませんでした。 尖閣諸島を守るために ところが、自衛隊は「軍隊」ではありませんから、自衛隊法に定められた「防衛出動」の場合を除き、武力行使はできません。また、自衛隊法には領域警備規定がありませんから、もし中国の武装漁民が尖閣諸島に強行上陸しても、防ぎようがないのです。相手が発砲してくれば、正当防衛として「武器使用」ができますが、場合により過剰防衛で起訴されかねません。 したがって速やかに憲法を改正して、自衛隊を「軍隊」とする必要があります。そうしなければ尖閣諸島も守れませんし、中国の軍事的脅威を前に、わが国の主権と独立を保持することは難しくなります。 ◇ 【プロフィル】百地章 ももち・あきら 京都大学大学院法学研究科修士課程修了。愛媛大学教授を経て現在、日本大学法学部教授。国士舘大学大学院客員教授。専門は憲法学。法学博士。産経新聞「国民の憲法」起草委員。著書に『憲法の常識 常識の憲法』『憲法と日本の再生』『「人権擁護法」と言論の危機』『外国人参政権問題Q&A』など。67歳。 自衛隊に領域警備権を与えるべき 拉致された邦人の救出と同時に、我が国の警備体制の問題があります。拉致は数十年にわたり、やり放題という状況でした。その状態はいま現在、解消されたのか。諸々の問題を分析して、万全の体制を構築したという実態はありません。 そもそも、一国の実力組織が平時に奇襲的に行う拉致のような行為に対して、警察力は無力です。特に日本の警察は武装が貧弱だし、「警察比例の原則」(除去されるべき障害の程度と比例する程度において警察権を発動することが妥当という原則)に則って、他国の奇襲的な行動に対処できるとは考えられません。 ではどうすればよいか。自衛隊に警備権限を与えるべきだと私は考えています。 現在、航空自衛隊のみが対領空侵犯の権限を法的に持っています。海上自衛隊は一部、不審船の対処に権限を持っていますが、平時に警備権限が与えられているのは航空自衛隊だけで、陸上自衛隊に至っては自隊駐屯地と命令による米軍基地の警備権しかない。陸自に我が国領土に関する警備権はありません。 もともと陸上自衛隊が創設された当時は、領域警備権を付与するという議論がありましたが、当時の陸上自衛隊の戦力はあまりにも貧弱でした。これは現在でも同じですが、とても警備は遂行できないという判断で、陸上自衛隊側からキャンセルしたという事情があります。 しかし、現実の我が国の警備状況を見ると、警察で対処できない問題は北朝鮮による拉致に限らず中国の問題しかり、あらゆる問題で手薄さを露呈しています。これに対して、憲法改正の問題とは関係なく、陸海空の自衛隊に平時の領域警備権を付与するというのは、可能なことです。もちろん、今の体制、体力で、常時警備を行うというのはできません。が、随時そのような状況が予想される際に、命令を下して特定の地域に警備任務を与えることは可能です。尖閣諸島などにも平素、自衛隊が警備に当たることができれば、状況は一変します。 自衛官の心構えをつくる 防衛省の中には、領域警備に関して、現状でほとんどカバーできているという意見を持っている人がいます。治安出動が法的に担保されており、できないことはないという言い方をします。しかし、治安出動をはじめ米軍の警備もそうですが、これは警察力の補完で、根本的に違います。つまり、警察の人数が増えたに過ぎない。 自衛隊が主権に基づいた実力行使をする法的な根拠にはならないのです。 自衛隊に与える領域警備権というのは、その国内の治安維持のための権限ではなく、主権に基づく実力行使の権限です。これは警察力の補完とは全く異なる。拉致問題を通じて、我が国の警備体制の不十分な点が分かっているからこそ、自衛隊に対する領域警備権の付与は、努めて早く法制化すべきだと私は思います。そうすれば自衛官の意識も変わってきます。 平時、領域警備権が与えられると、不意に実力行使をせざるを得ない、そうするべき状況が発生します。領域警備権の付与が心構えを作ることになります。しかも警察権ではなく防衛権なので、極めて重要な任務付与になります。 もう1つ、北朝鮮との交渉には、外務当局を主体とし警察官僚も参加していますが、ぜひとも制服自衛官の参加を促したいと考えます。交渉に制服自衛官が出ることは何も問題がありません。そもそも拉致問題の実態を見ると、北朝鮮の実力部隊が我が国の主権を犯して事案を発生させたのです。これに対して我が国が会議の場に制服自衛官を参加させるのは何ら不思議なことではない。 そしてこれは日本が考える以上に、北朝鮮に対してインパクトがあると思います。制服自衛官が参加するのは手間がかかるわけでもなく、政府が関係者に声がけをすれば済むことです。 こうしたことを進めながら、本来的な対処体制、事案の解決に関して色々なオプションを持ち得る国家体制を作ることが必要です。そのために憲法の問題を直視する。我が国が集団的自衛権でアメリカとの安保体制を強化するのも当面の策としては必要ですが、日本が主体的に軍事作戦を取り得るという意思表示と実態を作ることが大切です。米軍も韓国軍も、それには協力しない。オペレーションを自前で遂行する基盤を作ることこそ、解決のために一番現実的なプロセスだと考えます。 これは必ずしも政府や自衛隊だけの問題ではありません。国民が政府にやれと言ってばかりいても問題は解決しません。 憲法問題などに対して積極的に運動をしていく中で、国としての世論の盛り上がりがあってはじめて大きな進展が出てくるのだと考えています。 2013.11.30 09:52 【中高生のための国民の憲法講座】 第22講 尖閣守るため領域警備規定を 百地章先生 http://www.sankei.com/life/news/131130/lif1311300020-n1.html 平成22年9月の「尖閣事件」から、3年がたちました。中国はその後、尖閣諸島を奪おうとし、現在では中国公船(政府当局の船)が、わが国の接続水域をわがもの顔に航行し、領海侵犯を繰り返しています。また先日は、尖閣諸島の上空に中国の防空識別圏(領空侵犯を防ぐための空域)を設定してしまいました。中国が本気で尖閣を奪取しようとしていることは間違いありません。 ◆ゲリラ部隊どう阻止 中国は尖閣諸島の領有権を主張するだけでなく、同諸島をチベットやウイグルと同様に「核心的利益」と位置づけています。つまり、尖閣諸島を奪い取るためには武力行使も辞さないというのが中国の立場です。このような中で、もしゲリラ部隊が尖閣諸島に強行上陸を試みた場合、一体どのようにして阻止するのでしょうか。 事件後、尖閣諸島を守る国民運動が全国で展開され、超党派の国会議員や政府を動かした結果、昨年の国会で、海上保安庁法等が改正されました。そして領海内で違法操業をしている外国漁船などに対しては、立ち入り検査なしに直ちに「退去命令」を出し、従わない場合は退去命令違反で「拿捕(だほ)」することができるようになりました。 とはいえ、尖閣諸島をはじめとするわが国の領土・領海をしっかりと防衛するためには、やはり自衛隊法の改正が不可欠です。なぜなら海上保安庁が行使するのは警察権で、取り締まれるのは漁船等だけだからです。政府の公船や軍艦に対しては、自衛隊が対応するしかありません。ところが現在の自衛隊法には「領空侵犯」規定があるだけで、「領海侵犯」や「領土侵犯」対処規定は存在しないのです。 ◆侵略の未然防止を したがって自衛隊法に「警戒監視」や「領域警備」規定を定め、平素から「警戒監視」任務に当たらせるとともに、「治安出動」や「防衛出動」に至らない段階から「領域警備」ができるようにしておく必要があります。 現在の自衛隊法では、「武力攻撃」つまり「外国による組織的計画的な武力の行使」が発生しない限り、自衛隊は出動できません。つまり、たとえ中国や北朝鮮などのゲリラ部隊が領土・領海を侵犯しても、自衛隊にはこれに対処する任務も権限も与えられていないわけです。したがって、このような領域侵犯や小規模攻撃に適切に対処し、侵略を未然に防止するためにも、自衛隊法に「領域警備規定」を定めておく必要があります。 これは、国連憲章51条に定められた自衛権、つまり外国から組織的な「武力攻撃」を受けた際に発動される自衛権ではなく、慣習国際法上の自衛権によるものです。この自衛権のことを「マイナー自衛権」とも呼びます。そしてこれに基づき、自衛隊と海上保安庁等が共同で対処することによって、武装工作員らの領土・領海侵犯を未然に防ぎ、侵略を阻止することができるわけです。 もちろん、速やかに憲法9条2項を改正して自衛隊を「軍隊」とすべきですが、すぐにでも自衛隊法改正に取り掛かるべきではないでしょうか。 ◇ 【プロフィル】百地章 ももち・あきら 京都大学大学院法学研究科修士課程修了。愛媛大学教授を経て現在、日本大学法学部教授。国士舘大学大学院客員教授。専門は憲法学。法学博士。産経新聞「国民の憲法」起草委員。著書に『憲法の常識 常識の憲法』『憲法と日本の再生』『「人権擁護法」と言論の危機』『外国人参政権問題Q&A』など。67歳。
[32初期非表示理由]:担当:要点がまとまってない長文
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