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7月の都知事選投開票日、敗れた増田寛也氏の事務所に入る伸晃氏の表情は暗かった (c)朝日新聞社
石原慎太郎、伸晃、宏高親子は「永田町で終わった人」〈週刊朝日〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161018-00000231-sasahi-pol
週刊朝日 2016年10月28日号
石原家の凋落ぶりは顕著で、「永田町では終わった人」(自民党議員)扱いだ。
「慎太郎の政治家としての凋落の要因は親ばかですよ。新銀行東京で多額の負債を都民に押し付けたこと。当時の副知事は『やめたほうがいい』と説得したが、慎太郎は『伸晃のアイデアなんだ。伸晃は金融の専門家だから、絶対に大丈夫』と強行し、結果、大失敗した。もうひとつは四男、延啓を都の美術館の審議会のメンバーに入れ、都議会で問題になったこと。自称画家だが、何の実積もない四男を『才能がある』と言い、一般人にもかかわらず、フランスなどへ公費で出張させていた」(都庁関係者)
政治家を引退後、ベストセラーとなった、田中角栄を描いた『天才』(幻冬舎)を書くなど作家活動に専念している石原氏。「文學界」10月号に掲載された精神科医、斎藤環氏との対談は、過激さから波紋を呼んだ。
7月に発生した相模原障害者施設殺傷事件について、「あれは僕、ある意味で分かるんですよ。昔、僕がドイツに行った時、友人がある中年の医者を紹介してくれた。彼の父親が、ヒトラーのもとで何十万という精神病患者や同性愛者を殺す指揮をとった。それを非常にその男は自負して、『父親はいいことをしたと思います。石原さん、これから向こう二百年の間、ドイツ民族に変質者は出ません』と言ったので、恐ろしいやつだなと思って」(「文學界」から)
こうしたマイノリティーに対する発言について、伸晃氏の地盤、東京都杉並区の太田哲二区議(民進)は「1983年の衆院選の際に騒がれた黒シール事件のときと全く変わっていない」と語る。黒シール事件とは、選挙期間中に衆院旧東京2区に立候補した故・新井将敬氏のポスターに石原氏の公設秘書が「(新井氏は)66年に北朝鮮から帰化」と記したシールを貼り付けた公職選挙法違反事件である。石原氏は「秘書がやった」と主張。そのときに逮捕された秘書が、豊洲新市場の建設を落札した鹿島建設の役員を務めている人物だ。
「石原氏は著書『弟』で、石原プロなどが制作した映画『黒部の太陽』が資金難に陥り、裕次郎氏が電話で慎太郎氏に資金援助を申し出て、慎太郎氏がゼネコンに支出させたと美談のように書いているが、全くあほらしい話だ」(太田氏)
落ち目に陥ったのは長男、伸晃氏も同じである。7月の都知事選敗北の責任を取って自民党都連会長を辞任したが、党内の会合で「敗北の責任は谷垣禎一幹事長(当時)にある。都連会長に公認の決定権はない」と言い逃れをし、批判を浴びた。石原一家に近い自民党関係者が言う。
「安倍首相は責任を取らせ、閣僚も交代させるのかと思ったが、残留させた。派内でも浮き、伸晃氏に付いていこうという議員は誰もいない」
14日に臨時国会最大の焦点となる環太平洋経済連携協定(TPP)承認案などが審議入りしたが、「伸晃氏は農政に精通しておらず、国会答弁が大いに心配だ」(自民党国対)との声も聞こえてくる。
石原家の三男、宏高氏は内閣府副大臣を務めるが、選挙区が民進党都連会長の松原仁氏と同じで2度の落選経験もある。
「銀座などで豪遊し、地元をおろそかにしていて落選した轍を再び踏みかねない」(前出の自民党関係者)
石原氏と共に青嵐会で盟友だった故中川一郎元農水相の秘書を務めた新党大地の鈴木宗男代表は石原氏をこう評する。
「政治家として個性のある方だが、結果として何かをしたということはなかった」(本誌・上田耕司、小泉耕平、村上新太郎)
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