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GHQ尋問「極刑」を逃れた岸信介〜擁護に回ったある重要人物の存在 巣鴨プリズンの様子を再現
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49842
2016.10.02 魚住 昭 週刊現代 :現代ビジネス
■岸への弁護が際立つ木戸尋問
戦中、天皇を補佐する内大臣だった木戸幸一は昭和史のキーパーソンである。彼は敗戦後の1945(昭和20)年12月16日、A級戦犯容疑者として巣鴨プリズンに収監された。
木戸はそれから3ヵ月の間にGHQ国際検察局による尋問を30回受けた。一方、岸信介は同じA級戦犯容疑者ながら、翌年3月初旬まで一度も尋問を受けていない。GHQにとって、岸より木戸のほうがはるかに重要な人物だったのである。
GHQが木戸を重視したのは、ひとえに彼が昭和天皇の第一の側近だったからだが、それともう一点、忘れてならないのは木戸日記の存在である。
東京裁判研究で知られる粟屋憲太郎・立教大学名誉教授によれば木戸日記は〈天皇を頂点とした昭和政治史の中枢を検証する第一級の政治資料〉だ。それはGHQにとっても、A級戦犯たちを訴追するための最重要証拠だったことを意味した。
ここで1946(昭和21)年2月25日に行なわれた第20回木戸尋問を再現してみよう。尋問官のサケット中佐は、木戸日記の記述を一つひとつ確認しながら取り調べを進めている。
中佐「(1941年)2月26日の日記に出てくるこの岸氏ですが、東条内閣で大臣になった岸信介のことですか」
木戸「そうです」
日記にはこう書かれていた。
〈二月二十六日(水)晴
……六時、星ヶ岡茶寮に於て……小島商工次官、岸信介氏と会食す〉
星ヶ岡茶寮は永田町の料亭だ。岸は前月に商工次官を辞めたばかり。木戸も商工省出身だから、商工省の現役・OBの有力者が顔をそろえたことになる。サケット中佐の問いがつづく。
中佐「彼(岸)は右翼でしたか」
木戸「いいえ、右翼ではありません。最も有能な官吏の一人でした」
中佐「彼は保守派に含まれますか?」
木戸「彼は官吏としては非常に進歩的な考えの人でした」
中佐「彼は東条首相の親友でしたか」
木戸「東条と古くからのつき合いはなかったと思いますが、満州で官吏をしていたので満州にいる間に知り合ったのでしょう」
中佐「彼を膨張主義者の一人に数えることができますか」
木戸「いいえ、膨張主義者とみなすことはできません。彼は武力に訴えずに進出したいと考えていたと思います」
おわかりと思うが、木戸は岸をかばっている。岸は東条らの支持を背景に出世してきた男だ。だから中佐も「膨張主義者」かと訊いたのだが、木戸は全面否定した。粟屋名誉教授は〈尋問調書のなかでのこの木戸の岸への弁護は異色〉だと言う。
この尋問から10日後の3月7日、岸の第1回尋問があった。担当したのはG・サカナリ中尉ら2人。岸は自分が3年にわたって支えた東条内閣の末期についてこんな趣旨の供述をした。
「(1944年7月9日に日本軍が全滅した)サイパンの戦いのあと東条内閣内の軋轢が強くなった。私はそれまでずっと東条の信頼する助力者だったが、次第に東条への不信感が頭をもたげてきた。私は東条に『もしこんな事態がつづけば、日本の工業生産能力は爆撃で破壊され尽くしてしまう』と言った」
岸の言う通り、米軍のサイパン制圧で日本全国どこでもB29の爆撃にさらされるようになった。残る道は、無理を承知でサイパン奪還を試みるか、降伏するかしかない。が、東条はどちらも選ばず、いたずらに被害を拡大させるだけだった。
そんな東条に海軍大将の岡田啓介や元首相の近衛文麿ら重臣たちが危機感を強め、木戸を巻き込んで倒閣工作を本格化させた。これに対し東条は内閣改造で立て直しを図るため、岸に辞任を求めた。その直後の出来事が木戸日記に記されている。
■供述の一致に拭えない違和感
〈七月十七日(月)晴
……十時半、岸国相(=国務相)来室、首相より辞職の要求ありし由にて、進退につき相談ありたり。余への相談は首相に諒解を得たりとのことなり〉
結局、岸は辞任を拒んだ。明治憲法下では首相といえども本人の同意なしに閣僚を罷免できない。翌18日、東条内閣は閣内不一致で総辞職に追いこまれた。調書の中で岸はこう語る。
「閣内で安藤紀三郎(内務相)が私と同じ(総辞職すべきだという)考えだったが、彼とは一切話し合っていない。この特別な問題を唯一相談したのは木戸だった。もし木戸が私の考えに反対していたら、私はそれに従っていただろう。なぜなら私はそれまでずっと木戸の助言に最高の信頼をおいてきたから」
これまた「異色」の木戸賛美である。岸が強調したいのは、自分と木戸が、いかに戦争の早期終結に貢献したかだ。あのまま東条内閣がつづいていたら、日本は本土決戦に突入し、日米双方に甚大な被害が出ていただろう。
それはその通りだと思う。ただ岸と木戸の供述を見ると、二人は事前に周到な打ち合わせをして尋問に臨んだのではないか、と言いたくなるほど、ぴたりと息が合っている。ちなみに当時の巣鴨プリズンでは戦犯容疑者同士の話し合いが自由にできたことも付け加えておきたい。
とは言え、木戸の岸弁護や岸の木戸賛美は、GHQの判断にさほどの影響は与えなかったようだ。木戸は後に起訴され、終身刑を言い渡される。
岸を尋問したサカナリ中尉らは「岸はどう見ても星野(直樹。東条内閣の書記官長)と同様、被告席を飾る、あらゆる正当な理由を持っているようだ」という言葉で調書を締め括った。
それから1週間後の3月14日、GHQのバーナード少佐はモーガン国際検察局捜査課長あてに「岸は東京裁判で裁かれる第一グループに入れられるべきだ」という報告書を送った。
さらに翌15日、キーナン国際検察局長は、A級戦犯被告の選定を進める執行委員会で、岸の運命をほとんど決定づける言葉を述べている。「状況が許すなら、東条内閣の閣僚すべてを被告にしてほしい」。
*参考:『東京裁判への道』(粟屋憲太郎著・講談社選書メチエ)『東京裁判資料 木戸幸一尋問調書』(粟屋憲太郎ほか編・大月書店刊。木戸尋問は本書からの引用)
『週刊現代』2016年10月8日号より
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