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最高裁判所という「黒い巨塔」〜元エリート裁判官が明かす闇の実態 これは日本の縮図だ
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49800
2016.9.29 瀬木 比呂志 明治大学教授 元裁判官 現代ビジネス
日本の裁判所と裁判のいびつな構造を次々に告発してきた瀬木比呂志さん。元エリート裁判官である彼が、まもなく渾身の小説を上梓する(10月下旬刊)。題して『黒い巨塔 最高裁判所』。一般にはうかがい知ることのできない最高裁の内幕を赤裸々に明かし、ストーリーも読ませる一冊だ。
なぜいま筆をとったのか、瀬木さんに話を聞いた。
■なぜ小説を?
ーー『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)に続く裁判所、司法批判の第3弾が長編の権力小説とは、驚きました。今回、小説という形を選ばれたのはなぜですか。
瀬木 2冊の新書では、日本の司法、ことに裁判所、裁判官、裁判の総合的、構造的、批判的分析を行いました。内容からすると専門書も書けるテーマですが、専門書では読者が本当に限られてしまいます。
瀬木比呂志(せぎ・ひろし) 1954年生まれ。東京大学法学部在学中に司法試験に合格。1979年以降、裁判官として東京地裁、最高裁等に勤務、アメリカ留学。並行して研究、執筆や学会報告を行う。2012年、明治大学法科大学院専任教授に転身。
一般にはあまり知られていませんが、近年、日本の司法は著しく劣化し、裁判官の精神的荒廃はきわめて深刻なレベルに達しています。
三権を構成する司法の機能低下は非常にゆゆしき問題で、民主主義や自由主義の根幹に関わりますから、多くの読者に、広くメッセージを伝えたいと思いました。
また、僕は、過去には筆名で小説や評論も書いてきたので、もう一度、一般書で自分の力を試してみたいという気持ちもありました。
ーーそれにしても、今回の『黒い巨塔 最高裁判所』は重厚な本格小説ですね。『絶望の裁判所』は序章にすぎなかった……。そんな感想をもちました。
瀬木 2冊の新書は、基本が法社会学的、論理的、実証的なものであることからくる制約がありました。また、2冊の新書に続く『リベラルアーツの学び方』や専門書の『民事訴訟の本質と諸相』でも社会批評は行っていますが、それらについても、本のテーマからくる制約がありました。
そんな過去の隔靴掻痒(かっかそうよう)感を全部清算して、この小説では、自分のもっているもの全部を解放し、最高裁を舞台に、日本における「権力」の普遍的なあり方、「かたち」を描いてみたいと思いました。
いわば、これまでの僕のすべての仕事、民事訴訟法理論を除いた全仕事の総合、統合です。その総合を、いわゆる主流文学の方法に、映画、ロック等のポップな芸術の方法、感覚をも加え、重厚ではあるけれども面白く一気に読めるような作品という形で、成し遂げてみたかったのです。
ーーそういわれてみると、瀬木さんのこれまでの著作すべての要素がこの一作に凝縮されている感がありますね。
瀬木 途中の病気休養をはさんで約1年半、これは本当に大変でした。紆余曲折はありましたが、日本の奥の院といわれる最高裁の秘められた権力メカニズムを描き切った、そういう達成感はありますね。
■裁判所ムラの住人、その実像
ーーこれまでにも、日本の「権力」を描いた小説等は多数ありましたが、この小説は、権力の中枢に長く属していた人でなければ到底書くことのできない、異様なまでの生々しいリアリティーと迫力に満ちていると思います。
最高裁や裁判所をテーマにした作品はこれまでにも多数刊行されていますが、本作を読むと、これまでの作品は何だったのだろうかと感じますね。
瀬木 そこまでおっしゃって頂くと面はゆいですが……。
ーーそれにしても、本書に登場する裁判官たちは、出世に目がくらんでいる官僚的、怪物的な人物が多いですね。日本人の多くは、裁判官はいささか杓子定基で面白みに欠けるが、正義感を持った清廉で誠実な人物だと考えていると思うのです。そのイメージのギャップに驚く読者が多いのではないでしょうか?
瀬木 アメリカでも、連邦最高裁判事はさすがにかなり生臭いですね。でも、たとえば州最高裁等には、廉潔で立派ないわゆる裁判官らしい人も多いです。
日本の場合には、ともかくシステムが戦前と変わらないピラミッド型ヒエラルキーですから、上昇志向の強い裁判官は、大体皆この小説のよくない登場人物たちのようになりますね(笑)。
でも、この小説では、そういう野心家たちをも、彼らなりの行動原理をもった、重みや影のある人物として造形したつもりです。現実の出世主義者なんていうのは、まあ、何というか、人間としては小さく、状況も見えていない愚かな人たちが多いですからね。
その意味では、現実の裁判所の裁判官たちは、出世主義者を含め、この小説の人物たちのようにくっきりとした魅力はないですよ。原子力ムラと同じような裁判所ムラの住人です。
ーーいわゆる悪役たちも、一面的な悪役ではなく、主人公の笹原駿・最高裁民事局付やそのまわりの良心派若手裁判官たちをかすませてしまうくらいの魅力をもっていますね。
ほかにも、この小説には、女性ながら男性以上に権力に執着する裁判官、ストレスから窃盗に手を染めてしまう裁判官、部下を陰湿にイジメ抜くパワハラ裁判官など、様々な裁判官が登場します。そして、多くの裁判官が、どこかで病んでいるように感じました。
瀬木 はい。そこには、「構造的な問題」があるのです。
日本の政治小説や権力小説、僕はあまり読んでいないので、ほんの印象にすぎませんが、読んでみてちょっと不満に感じるのは、悪いやつらと主人公(これも悪かったりよかったりするのですが)は出てくるけれど、権力というメカニズム自体の悪、ことに組織や部分社会全体がゆがんでいる場合の悪、そういう構造的なものが見えてこない場合が多いように感じられることです。それだと、結局、半沢直樹シリーズとおんなじことになっちゃう(笑)。
もちろん、半沢直樹シリーズは意図的に現代のチャンバラ劇をやっていらっしゃるんだと思いますからそれでいいんですが、日本の権力小説は、大まじめに書かれた小説でも、何となくそれに近いものに見えちゃうところがあるような気はします。もっとも、繰り返しますが、多くを読んではいない者のほんの印象にすぎません。
■最高裁長官の絶大な権力
ーー本作には印象的な登場人物が本当に多数登場しますが、その中でも圧倒的な存在感を誇っているのが須田謙造・最高裁長官です。司法の頂点に立つ最高裁長官は功成り名遂げた名誉職のようなポストだという先入観をもっていましたが、絶大な権力を握っているのに驚きました。
彼の描写について、1つ、それもさわりだけ、引用してみます。須田の長官室における会議の序の口で1人の怪物的所長が切り捨てられる場面の一部です。
* * *
須田は、のっそりと立ち上がり、引き締まった筋肉質の上体を揺すりながら、しかし、驚くほど短い時間でテーブルのところまでやってくると、みずからの席にどさりと腰を下ろした。通常の裁判官の定年は65歳、最高裁裁判官の定年は70歳、そして須田はすでに60代半ばだったが、到底その年齢の人間とは思われない機敏さだった。
須田が腰を下ろして初めて、人々は、彼がチューインガムを噛み続けたまま席を立ってきたことに気付いた。静かな長官室に、須田がガムを噛む音だけが鈍く響いていた。
須田は、日本人にはまれながっしりした筋肉質の体躯のために、背の高さはさほどではないにもかかわらず、実際よりも一回り大柄にみえた。
そのような体格と、頬のそげた彫りの深い顔立ち、そして鋭い眼光と毒舌で知られる彼は、局付たちから、陰で、「ゴジラ」と呼ばれていた。確かに、須田の両目のぎょろりとした動かし方と対面する相手の目を伏せさせずにはおかない射すくめるような眼差しは、あの有名な怪獣を連想させた。
須田は、席につくと間もなく、顔を下げることもしないまま口の中のガムを器用に灰皿の真ん中にぷっと吐き出し、一同の顔を順次眺め回すと、切り出した。
「まずは、小さなことから片付けよう。徳島の辻宏和のことだ。
うるさい奴だから、早いところ東京地裁から所長に出して追い払ったが、そろそろ次の異動がみえてくる時期だ。しかし、あいつはやめさせる。少なくとも、今後関東には戻さん、絶対にな」
折口事務総長は軽く、責任者の水沼人事局長は深くうなずいた。
須田の人事は、昔から、基準がよくわからず、恣意的だというので有名だった。須田自身が強烈な個性の持ち主だったから、個性の強い人物、あくの強い人物は、彼と衝突して嫌われることが多かった。
それでも、長きにわたった人事局長時代には、失敗すれば須田自身の身が危うくなりかねない状況で冷徹な判断を重ね、ぎりぎりの勝負を行っていたから、周囲の者も須田の大筋の意向は読み取れたが、彼の地位が安定し、「無人の野を行くが如し」と評されるようになった事務総長時代以降になると、個人的な好き嫌いに基づく人事が目立つようになった。
ともかく一度でも正面から須田の意に逆らったり、須田からみて許しがたいと思われる行動を取った人物に意趣返しをする傾向が強いことは明らかで、たとえば、事務総局課長になることを勧められたにもかかわらず地元を離れたくないからとの理由でこれを辞退した有力な裁判官が、最後に十数年間も地元高裁の裁判長ポストに塩漬けにされ、その間に何人もの後輩に先を越されて、うちの一人などはその高裁の長官になってしまったという例があった。後輩長官の下で働くことになったその裁判長のみじめさは、誰にでも容易に想像がついた。
* * *
ーー高官たちを前にチューインガムを噛んだまま会議の席につく最高裁長官……。実に強烈ですね。これは、創作では描けないでしょう? モデル人物がいるに違いないと深読みしています(笑)。
瀬木 これは創作です。想像されるのは御自由ですが(笑)。
こういう人物がいたかどうかは別として、日本の最高裁長官は、極端なことをいえばこうしたこともできる究極の権力者だとは、少なくともいえるでしょうね。
瀬木 オバマ大統領がブッシュ大統領以上の大々的な盗聴を世界中で行わせていたのをスノーデンという1人の若者が暴いたことを思い出して下さい。あれだって、創作以上に信じられない事実でした。
アメリカの諜報機構は、あなたの電話やメール、スカイプだってやすやすと盗聴できるのです。ヨーロッパ一の権力者であるドイツ首相メルケルでさえもやられたのですからね。
つまり、もはや、現実が近未来ディストピアSFを追い越してしまったのが、今の世界です。
そういう世界における国家、社会、人々のあり方をも、司法という舞台を通じて描くことが、この小説の目的の1つでした。
■閉じられた世界の絶対的支配者
ーー最高裁長官の力の源泉となっているのが事務総局等を通じての裁判官支配ですね。概略を説明して頂けますか?
瀬木 それでは、よりリアルに、僕も、小説の一部を引いてみましょう。少し長いので、適宜飛ばして読んで頂いても結構です。
* * *
最高裁判所は、15名の最高裁判所裁判官から構成される裁判部門と、40から50名の裁判官すなわち、事務総長、局長、課長、局付及びその10倍程度の裁判所職員から構成される司法行政部門とから成り立っている。
別組織である司法研修所等の教育機関と最高裁本体の中にある大きな図書館も、広い意味では最高裁の司法行政部門の一部だ。
司法行政部門は、最高裁判所裁判官会議の統轄下にあるが、裁判官会議は、最高裁からみての下級裁判所、すなわち、高裁、地家裁の場合ほどではないにしてもやはり形骸化しており、実際には、最高裁長官とその意を受けた事務総長とが、全司法行政を取り仕切っているといってよい。
さらに、最高裁長官は、裁判部門の補助官、スタッフであり、やはりエリートコースとされている30名ほどの最高裁判所調査官についても、そのトップに位置する首席調査官を通じて影響を及ぼすことが可能である。
つまり、最高裁長官は、大法廷事件の裁判長となるのみならず、支配や統治の根幹に関わる裁判を含む重要な裁判全般についても、首席、上席という調査官のヒエラルキー、決裁制度を通じて、コントロールしようと思えばすることができるのだ。
日本の組織におけるトップの権力は、通常は、かなりの程度に限られた、派閥、タテ社会組織のボスとしてのそれである。首相を始めとする政治家たちは、下支えを行う黒子集団である官僚組織にその権力の実質をかなりの程度に奪われている。一方、霞ヶ関の官僚トップである事務次官たちも、常に、官僚OB、企業、業界団体等の圧力を受けるほか、政治家たちの横やりやプレッシャーにもさらされている。
しかし、最高裁判所長官は、三権の長の一人として、直接的には、誰の支配も受けていない。裁判所の中には彼に並ぶ存在はいないし、外部からの圧力も、少なくとも、目にみえるような形では存在しない。
そのことを考えるならば、三権の中では比較的小さく地味であるとはいえ、これだけの権力が実質的にただ一人の人間に集中していることはおそらくほかに例がなく、また、現在の最高裁長官である須田謙造のような強烈な独裁者的人物が日本の組織のトップにまで昇り詰めることも、あまり例がないだろう。
ある意味で、裁判所の組織は、その法的な仕組みや外見とは異なり、戦前日本の組織からピラミッド型ヒエラルキーの上意下達(かたつ)体制を最も色濃く引き継いだものであり、その頂点が戦前の司法省から戦後の最高裁にすげ替えられただけだともいえた。
異なるところは、戦後、三権の一翼として、裁判所の地位が飛躍的に向上し、裁判官を志す若者の能力も、少なくともその上層部分については、行政のトップと並ぶレヴェルにまで高くなっていたという点にすぎなかった。
つまり、最高裁判所長官を頂点として新任の判事補まで、相撲の番付のように連綿と続く微細な序列によるピラミッドという形、先進諸国にはあまり例のないシステム自体は戦前と何ら変わらなかったのであり、ただ、それを支配、統制する機関が、戦前の司法省から、戦後の最高裁事務総局、その上にある最高裁長官と事務総長に取って代わっただけのことだった。
最高裁事務総局は、大きく、人事局、経理局、総務局、秘書課、広報課の純粋行政系、行政機関でいうところの官房系セクションと、民事局、行政局、刑事局、家庭局の事件系セクションとに分かれている。
各局には、1名の局長、2名以上の課長、そして、経理局を除き、局長、課長の下で働く2名から5名程度の局付がいる。これらの役職は、人事局、経理局の課長の一部を除けば裁判官によって占められている。
この組織には、数の上からいえば裁判官よりもずっと多くの裁判所書記官、また、事務官すなわちまだ書記官試験に合格していない主として若手の職員も働いていたが、実際に権限、決定権、発言権をもっているのは、裁判官たちだけだった。
* * *
ーーある意味で、絶大な純粋権力なのですね。
瀬木 はい。小説の中にも会話で出てくるジョージ・オーウェルの『一九八四年』にも似た、閉じられた世界の絶対的支配者ということです。
■これは日本の縮図だ
ーーこの小説で描かれている最高裁判所の描写については、瀬木さんが最高裁に在職していた当時の実体験を1つのヒントにされているのではないかと思いますが、現在の最高裁も、これと似たような状況にあると見てよいのでしょうか?
瀬木 大筋はこんなものだろうと思います。
時代が変わっていくらかましになった部分もあるでしょうが、『絶望の裁判所』等にも書いたように、2000年代に刑事系が司法制度改革を利用して実権を握った時代以降、全般に、より悪くなっている部分も大きいと思います。差し引き、雰囲気は、この小説に描かれているものとそれほど極端な差はないでしょう。
もっとも、これは小説ですから、描写は虚構ですし、リアリティーを確保するためにそんな虚構をより濃密に凝縮しているという部分はもちろんあります。
でも、おそらく、司法界以外、たとえばビジネスパースンや行政官の世界、あるいはジャーナリズムの世界でも、この小説によく似た経験を実際にされた方は多いはずです。そういう意味では、日本の縮図、あるいは、日本のエリートの世界の縮図をリアルに描いたつもりです。
ーー興味深いお話が尽きませんが、次回は、本書のストーリーにも密接に関わってくる原発訴訟等について、さらにお話をうかがいたいと思います。
瀬木 こちらこそ、よろしくお願いいたします。
最高裁中枢を知る元エリート裁判官が描く本格的権力小説! 最高裁の「闇」がいま初めて暴かれる。
(次回につづく)
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